原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長… 原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。
職業が画家:2,021人
原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長… 原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。
和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本… 和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本の画家。
下田 義寛(しもだ よしひろ 1940年3月30日 - )は… 下田 義寛(しもだ よしひろ 1940年3月30日 - )は富山県出身の日本画家。倉敷芸術科学大学名誉教授。 ※以下の出典は知足美術館ウェブサイトおよび倉敷芸術科学大学ウェブサイト。 富山県滑川市に生まれる。1963年に東京芸術大学を卒業して同大学大学院に進み、1965年に修了する。日本美術院院友に推挙される。1967年、安田靫彦の助手として法隆寺壁画再現模写に従事した。第52回院展で奨励賞・白寿賞受賞。 1978年、日本美術院同人に推挙される。1979年の第64回院展で文部大臣賞を受賞した。1981年、日本美術院評議員に推挙される。1983年の第68回院展で総理大臣賞を受賞した。 東京芸術大学助教授を経て、1995年、倉敷芸術科学大学芸術学部教授に就任する。
清水 榮三(しみず えいぞう、1940年(昭和15年)3月1… 清水 榮三(しみず えいぞう、1940年(昭和15年)3月18日 - )は、群馬県前橋市在住の日本画家。退職までは群馬県前橋市にあったフランスパンで働く傍ら日本画を描き続ける。他にも前橋市盆栽会会長も務める。 1940年(昭和15年)、群馬県前橋市に生まれる。1962年(昭和37年)、日本画の絵画館や思想にひかれ、日本画家、日本画府(日府展)審査員京都出身成田一方に師事す。1963年(昭和38年)、群馬県美術家連盟展で初出品し初入選。その後、1964年(昭和39年)、群馬県美術家連盟展に出品しY氏賞を受賞。1965年(昭和40年)、群馬県美術家連盟展に出品、東京新聞者賞を受賞。同年、日本画府、日府展に初出品し初入選。
佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 201… 佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 2017年3月13日)は、日本の画家・書家・陶芸家。 旧関東州大連生まれ。奈良県在住していた。 画壇に属さない画家として、独特の仏教観に根ざした豪放な書画を描き続けている。富士山と仏像を好むほか、朱色を多用し紙に余白を残さない点が特徴。作品を手がけるだけでなく、陶磁器や骨董品の蒐集家としても知られている。 7歳で生家の岡山県賀陽町(現・吉備中央町)に引き揚げたのち岡山県立高梁高等学校を経て、1958年、鳥取大学学芸学部入学。1960年、重度の結核で入院するが快癒。以来プラス思考に転じる。 1963年、帝塚山学園小学部で教師となるも、1968年、中川一政の作品展に影響を受け創作活動を開始。
野田 哲也(のだ てつや、1940年(昭和15年) 3月5日… 野田 哲也(のだ てつや、1940年(昭和15年) 3月5日 - )は、日本の版画家。日本版画界を代表する版画家の1人。東京藝術大学名誉教授。熊本県出身。写真を使ったシルクスクリーンと木版を組み合わせて自身の日常の断片を描いた日記シリーズによる作品で知られる。洋画家の野田英夫は、伯父にあたる。 東京国立近代美術館 / 京都国立近代美術館 / 国立国際美術館 / 東京都現代美術館 / 和歌山県立近代美術館 / 三重県立美術館 / ニューヨーク近代美術館 / シカゴ美術館 / ボストン美術館 / サンフランシスコ美術館(英語版) / ロサンゼルス・カウンティ美術館 / 大英博物館 日々の生活の記録である日記をテーマとして、1968年から今日まで40年以上にわたり作品を制作。
宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 20… 宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日 - 2012年10月19日)は日本の画家。大阪府吹田市出身。 大阪府吹田市生まれ。父の転勤により和歌山市へ転居し、小中学校期を同地で過ごす。 1953年に家族とともに大阪に転居し、大阪市立田辺中学校に編入。 1958年、大阪府立天王寺高校卒業。東京藝術大学を受験するが不合格となり、東京に居をかまえ独学で創作を開始。 1963年、南画廊(東京・日本橋)で初個展。 1965年、「新しい日本の絵画と彫刻」展(MoMA、NY)出品。この年に見つけた『ライフ』誌上のワッツ暴動の写真から抜き出した4人の人型を、翌年の自作に用いる。 1967年、第5回パリ青年ビエンナーレ(パリ市立近代美術館)、1972年、第36回ヴェネツィア・ビエンナーレ参加、他多数。
山﨑 隆夫(やまざき たかお、1940年1月22日-)は、日… 山﨑 隆夫(やまざき たかお、1940年1月22日-)は、日本画家。京都市立芸術大学名誉教授、日展顧問、新日春展顧問。新潟県出身、京都市在住。父は元内務官僚で吹田市長も務めた山崎隆義。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吉井 爽子(よしい あきこ、1940年 - )は日本の画家。… 吉井 爽子(よしい あきこ、1940年 - )は日本の画家。池袋モンパルナスの吉井忠の娘であり、父と同じように画家をしていた。 女子美術大学洋画科出身
長岡 国人(ながおか くにと、1940年 - )は日本の画家… 長岡 国人(ながおか くにと、1940年 - )は日本の画家。現代版画家。 長野県に生まれる。多摩美術大学デザイン科を卒業し、1966年から1991年までベルリンに滞在。ベルリン市立アカデミーグラフィック専攻卒業。ベルリン国立芸術大学および大学院版画・絵画専攻修了。
加藤 源(かとう げん、1940年 - 2013年)は、日本… 加藤 源(かとう げん、1940年 - 2013年)は、日本の都市計画家。株式会社日本都市総合研究所取締役。筑波大学ほか講師。法政大学大学院客員教授。日本都市計画学会では理事をつとめる。工学博士。 1940年、神奈川県生まれ。1964年、東京大学工学部建築学科卒。1966年、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了。1967年ハーバード大学デザイン系大学院修士課程修了。米国RTKL都市計画建築事務所、1969年丹下健三都市建築設計研究所をへて、1973年に、株式会社日本都市総合研究所を設立。 日本都市計画学会賞(計画設計部門)は、JR花巻駅周辺地区の都市設計で受賞。おもな業務実績に、丸亀駅前整備、北彩都あさひかわ、帯広駅周辺地区、藤沢市辻堂駅北口地区、札幌市駅前通り地下歩行者空間等のデザインと事業調整など。
鞠安 日出子(まりあ ひでこ、1940年 - )は、日本人画… 鞠安 日出子(まりあ ひでこ、1940年 - )は、日本人画家。東方キリスト教学会会員。朝日カルチャーセンター講師。2004年に長野県宮田村にある別荘を改装し、「羊草庵 イコンの家」と名付けている。 1940年、長野県に生まれる。1962年、東京学芸大学美術科を卒業。1963年から1968年にかけてフランスパリに在住。1982年、春の院展初入選。1989年から1999年にかけて絵画療法士として社会福祉法人聖ヨハネ会桜町病院に勤務。1993年、日本美術院展初入選。1998年、上智大学神学部社会人講座卒業。日本美術院展入選2回、春の院展入選6回、大調和会展受賞2回、ブロードウェイ大賞展一席などの受賞歴がある。
大矢十四彦(おおや としひこ、 1940年- )は、新潟県長… 大矢十四彦(おおや としひこ、 1940年- )は、新潟県長岡市出身の日本画家。富貴蘭、芙蓉、花菖蒲、牡丹など花をモチーフとした作品を発表している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
村上 美奈子(むらかみ みなこ、1940年 - )は、日本の… 村上 美奈子(むらかみ みなこ、1940年 - )は、日本の建築家、都市計画家、一級建築士、再開発コーディネーター、再開発プランナー。まちづくり専門家。(株)計画工房主宰。専門分野は建築設計、地域、地区計画。住宅を中心とした建築設計から、住環境整備として地域計画に携わる。 公共事業の実績には国土交通省関連の障害者施策推進協議会、中央建設業審議会委員、東京都関連の住宅バリアフリー協議会副会長、墨田区景観アドバイザー、住宅政策審議会委員など多数歴任。杉並区でまちづくり関連審議会委員等を務める。 1940年広島県生まれ。1965年東京芸術大学建築科卒業。1967年同大学大学院修士課程修了。1969年計画工房設立、主宰、現在に至る。
石丸 雅通(いしまる まさみち、1940年)は、画家、彫刻家… 石丸 雅通(いしまる まさみち、1940年)は、画家、彫刻家。甥に造形作家の河野甲がいる。 銀座和光や鎌倉ポロ・ラルフローレン店のディスプレイも手がけたレザーアートの第一人者。1980年に日本ディスプレイ大賞を受賞。現在は、石丸美術館として鎌倉の自宅アトリエ「Salon de 酔鯨館」を公開している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
長島 浩(ながしま ひろし、1940年 -)は、日本の画家。… 長島 浩(ながしま ひろし、1940年 -)は、日本の画家。元近代美術協会会員。
孫内 あつし(まごない あつし、1940年 - 2025年1… 孫内 あつし(まごない あつし、1940年 - 2025年12月1日)は、もっぱらクレヨン画によって知られた日本の画家。 青森市生まれ。生家は遊郭街に近い神社で、次男として生まれた。 1958年に東奥義塾高等学校を卒業し、1960年に美術担当として青森放送に入社し、1972年に退社するまで、自社制作番組の美術制作に携わった。 青森放送退社後は、青森市を中心に、複数の飲食店やブティックを経営するかたわら、クレヨン画による創作活動を始めた。 1990年、初の個展を、青森市の五拾壹番館ギャラリーで開催した。 1992年以降、公募展に入選するようになり、1993年には東京都に転居して、1996年からは東京でも個展を開くようになった。
水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭… 水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭和14年〉12月23日 - )は、日本のイラストレーター、歌手、女優、画家、作家。「劇団未来劇場」所属。愛称は「あどちゃん」「あどタン」。夫は「劇団未来劇場」の主宰者である里吉しげみ。旧姓:森。 東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区日本橋)出身。父は建築家。母親は日本画家の森美子。幼い頃に絵やバレエ、ピアノを習う。 中央区立常盤小学校、桜蔭中学校・高等学校卒業。ハワイのモロカイハイスクールに遊学し、英語とジャズに触れる。 日劇ミュージックホールで歌手デビュー。英会話雑誌でイラストも描き始める。1964年、のちの夫・里吉しげみ(1965年に結婚)の主宰する劇団未来劇場公演「彼も仲間も悪い奴」で初舞台。
海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月1… 海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月19日 - 1979年(昭和54年)9月23日)は、日本の木版画家。静岡県静岡市出身。 静岡市新富町(現在の葵区新富町)4丁目で染色業を営んでいた海野家の次男として生まれる。1952年(昭和27年)、静岡市立末広中学校に入学。1年の頃、日記の中に入れた版画が教諭の目に留まり、日本教育版画協会所属の教諭・蒔田晋治を紹介され、以後版画制作に没頭するようになる。静岡商業高校卒業後は日立製作所東京本社に就職したが、20歳になった1959年(昭和34年)に退職。本格的に版画家としての道を歩むようになり、同年、静岡市内で初の個展を開く。1964年(昭和39年)に発表した「触」が日本版画協会賞奨励賞を受賞。
真鍋 俊照(まなべ しゅんしょう、1939年(昭和14年)1… 真鍋 俊照(まなべ しゅんしょう、1939年(昭和14年)11月15日 - )は、日本の仏教美術学者、四国大学教授、仏画家、真言宗権大僧正。 東京生まれ。1962年高野山大学文学部仏教学科卒、64年東北大学大学院美術史修士課程修了、同大文学部助手、10月奈良国立文化財研究所技官、70年神奈川県立金沢文庫学芸員、97年金沢文庫長、2000年宝仙学園短期大学長、02年「密教図像と儀軌の研究」で東洋大学博士(文学)。04年四国大学文学部教授、08年文学部長。画家としての号は香川写人。98年四国霊場第四番大日寺住職、2011年権大僧正補任。
佐々木 巌(ささき いわお、1939年〈昭和14年〉8月23… 佐々木 巌(ささき いわお、1939年〈昭和14年〉8月23日 - 1999年〈平成11年〉3月30日)は、日本人正教徒でありイコン画家。秋田県大館市に生まれ、北麓ハリストス正教会で洗礼を受ける。聖名はペトル。フィンランドにおけるローマ字表記は"Petros Sasaki"(ペトロス ササキ)。 秋田県立大館鳳鳴高等学校を卒業後、ニコライ堂境内にある日本正教会が運営する神学校を1962年に卒業。教団で伝教者として働き、『正教時報』の編集に携わった。1963年7月、大阪ハリストス正教会に赴任し、日曜学校の指導、指導者の養成を行う。ギリシアで正教神学と正教伝統のビザンティン・イコンを学ぶため、1964年8月伝教者としての職を辞し、9月にギリシアに渡り、アテネ大学、工芸大学などで学んだ。
西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月2… 西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月27日 - )は、日本の絵本作家・画家・イラストレーター。代表作は『わたしのワンピース』『ちいさなきいろいかさ』など。 1939年、東京都に生まれる。洋画家の山口猛彦を父とし、母フミとの間に次女として生まれた。 1945年9月、千葉県山武郡に転居、1946年4月に千葉で小学校に入学したが、6月には東京に戻った。1955年、東京都立駒場高等学校に入学した。 1964年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、世田谷区に子どもに絵を教える『子どものアトリエ』を開いた。大学卒業後、銀座の版画工房でリトグラフを学び、アルバイトをしながらリトグラフの作品を作っていた。
東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 20… 東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 2016年5月)は、日本の洋画家、歌手。二科会絵画部会員。 1939年に画家・東郷青児の長女として生まれる。立教女学院に在学。 1956年には、画家として二科展に初入選する一方で、歌手としてもデビューを果たし、ソロでジャズを歌い、朝丘雪路、水谷良重とトリオ「七光り三人娘」を組んでステージに立つこともあった。1958年の第9回NHK紅白歌合戦では、水谷良重、沢たまきとのトリオで「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を歌っており、この時の音声が現存している。 1960年、勉学に専念するため、絵と歌を中断し、単身渡米しカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学する。
三橋 節子(みつはし せつこ、1939年3月3日 - 197… 三橋 節子(みつはし せつこ、1939年3月3日 - 1975年2月24日)は大阪府に生まれ、京都府京都市で育った画家。京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)美術学部出身。夫は日本画家の鈴木靖将。長男は元バドミントン選手の鈴木草麻生。姪はチェンバロ奏者の三橋桜子。 1973年に利き手の右手を鎖骨の癌により手術で切断。その後は左手で創作を続けたが、35歳で癌の転移により他界した。 晩年には地元近江の昔話を基にした作品を多く手がけた。 没後50年を迎えた2025年(令和7年)、三橋節子をしのぶ展覧会「没後50年 三橋節子回顧展 野草から家族への想いを描いて」が、1月7日から5月25日まで大津市の三橋節子美術館で開催された。
若林 茂熙(わかばやし しげき、1939年2月21日 - )… 若林 茂熙(わかばやし しげき、1939年2月21日 - )は国画会会員の画家。佐賀県佐賀市出身。父は画家若林景光、弟は画家若林夏生。
相笠 昌義(あいがさ まさよし、1939年2月18日 - )… 相笠 昌義(あいがさ まさよし、1939年2月18日 - )は、日本の画家。洋画家であり版画家である。 1972年作品の「見る人」から派生した「~をみる人」シリーズや、駅のホームを題材にした作品、日常風景を描いた作品などが主な代表作品である。 相笠 昌義は1939年、東京・日本橋で生まれた。1962年に東京芸術大学を卒業後、1960年代は版画やコラージュを中心に制作。1968年「文明嫌悪症連作」はカメラ雑誌から切り取った形体によるコラージュと、そこから展開する版画のシリーズで、人間が生み出す文明や人間の存在そのものへの嫌悪を諷刺的に表現した。 1970年、油彩による制作を再開。作風は一転して具象となり、個々の人間が時間に翻弄されながら存在するさまを描いた《時間差計画》のシリーズは、1970年代中頃から、駅や公園、動物園など、都会の中の群衆をテーマにした《日常生活》 へと移行。
谷 福丸(たに ふくまる、1939年2月11日 - )は、日… 谷 福丸(たに ふくまる、1939年2月11日 - )は、日本の官僚、国会職員、画家。瑞宝大綬章。55年体制の終焉の後、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉の6代の政権の傍ら、国会で史上最長(退任時)の約9年5か月、衆議院事務総長を務めた。その退職後は、国土緑化推進機構副理事長を務めた。 福岡県出身。福岡県立田川東高等学校(現・福岡県立東鷹高等学校)を経て(1957年卒業)、九州大学法学部卒業(1963年)。上野英信が著した『追われゆく坑夫たち』に感銘を受け、大学卒業後、福岡県庁に入庁し、既に衰退期に入っていた筑豊炭田の炭鉱を抱える鞍手福祉事務所にケースワーカーとして勤務した。県庁勤務中、国家公務員採用のため上京が決まったが、その挨拶回りの道すがら、仕事上世話をしていた家庭の子供から「好かん人が来たよー」と言われたことで「物事は半分、努力は半分分かってもらえれば十分なのだ」と思うようになったという。
藤田 健次(ふじた けんじ 1939年-)は、青森県鶴田町出… 藤田 健次(ふじた けんじ 1939年-)は、青森県鶴田町出身の版画家、漫画家、エッセイスト。現代童画会会員。青森県八戸市在住。 公務員生活の合間をぬって版画家、漫画家、エッセイストとして作品を制作する。著書「看護婦のオヤジがんばる」シリーズは同名映画化され、昭和55年度文化庁優秀映画賞受賞。 1939年、青森県鶴田町生まれ。1958年、青森県立五所川原高等学校卒業。青森民友の新聞記者を経て公共職業安定所に勤務。 1999年、八戸公共職業安定所所長を最後に公務員生活を終了。 この間に版画家、漫画家、エッセイストとして活躍し、また1974年、朝日新聞に投書し、看護婦の労働条件の向上をめざして「看護婦のオヤジの会」提唱。
浦田 周社(うらた かねたか、1939年 - )は、日本の版… 浦田 周社(うらた かねたか、1939年 - )は、日本の版画家。江戸寛政年間から続く浮世絵木版画の伝統的技術を継承。 浮世絵は、安藤広重や葛飾北斎に代表される「絵師」だけでなく、「彫師」、「摺師」の三者の共同作業によるが、絵師、彫師、摺師の三つの作業を一人でこなす。創作版画家として、郷土静岡の風景や東大寺お水取りのシリーズなど日本を題材に描く。 静岡市昭和町に江戸時代から続く浮世絵処「版隈」五代目儀一の長男として誕生。1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。高校卒業後、家業を継ぎ、浮世絵処「版隈」六世。1976年、文化庁認定重要民俗文化財選定保存技術保持者に認定。浮世絵木版画彫摺技術保存協会会員となる。
荒田厚(あらたあつし、1939年 - )は、日本の都市計画家… 荒田厚(あらたあつし、1939年 - )は、日本の都市計画家。日本都市総合研究所代表。 山形県生まれ。1961年東京大学工学部建築学科卒業。1963年東京大学大学院数物系研究科修士課程修了。丹下研究室在籍。博士課程退学後、1967年丹下健三・都市・建築設計研究所URTEC入社。事務所は1973年に辞し、1974 年、加藤源、鳥栖那智夫、松本敏行らとともに民間コンサルタント日本都市総合研究所を設立。その後 「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会委員」を務めるなど、1973年から現在まで沖縄の内外で様々にかかわる
土井 幸平(どい こうへい、1939年 - )は、大阪市立大… 土井 幸平(どい こうへい、1939年 - )は、大阪市立大学工学部建築学科、環境都市工学科・大東文化大学環境創造学部元教授、豊島区都市計画審議会会長、板橋区景観審議会会長、埼玉県都市計画審議会会長、東京都建築審査会委員(都市計画) などを歴任した日本の都市計画家。 都市計画コンサルタント協会・マスター都市プランナー。 1962年東京大学工学部建築学科卒業、1964年同大学院数物系研究科建築学専攻修士課程・1967年博士課程修了。1967年に民間都市計画コンサルタントとして都市計画設計研究所を設立し代表。1993年東京大学学位博士(工学)取得。1995年ひろしま街づくりデザイン賞・大賞受賞。 その後大阪市立大学工学部建築学科、環境都市工学科教授として街づくり研究会メンバーや大阪市・大阪府・高槻市等の都市計画審議会委員を歴任。
南條 道昌(なんじょう みちまさ、1939年 - 2010年… 南條 道昌(なんじょう みちまさ、1939年 - 2010年)は、都市計画家、都市プロデューサー。 1962年、東京大学工学部建築学科卒業。1964年、同大学院修士課程、1967年、博士課程修了。1967年、株式会社都市計画設計研究所設立。 筑波研究学園都市や日本万国博覧会の会場基本計画や一連の諸計画、日本万国博覧会記念公園、花と緑の博覧会政府苑や世界都市博覧会の基本計画・設計、沖縄国際海洋博覧会会場基本計画・基本設計・全体調整、千葉モノレール県庁前駅舎基本計画などのイベント及び都市計画・施設設計に携わる。浜名湖花博で会場計画プロデューサーとしてかかわり、Good Design Award受賞ほか。
渡辺 隆次(わたなべ りゅうじ、1939年(昭和14年) -… 渡辺 隆次(わたなべ りゅうじ、1939年(昭和14年) - )は、日本の画家、著述家。きのこの胞子を使った胞子紋画をメインに創作活動を行っている。 1939年、東京都八王子に生まれる。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)本科・西洋画卒業。東京学芸大学養護科修了。 1977年から八ヶ岳山麓長坂町にアトリエを構え、無所属として創作活動を行う。1992年から1999年まで、武蔵野美術大学で特別講師を務める。2000年には山梨県甲府市の武田神社菱和殿に、山梨の草木鳥獣などを描いた120枚の天井画を奉納。2006年には同じく武田神社の能楽殿甲陽武能殿の鏡板を手掛ける。個展を中心に作品を発表するほか、エッセイストとしても著述活動を行っている。
石田 良介(いしだ りょうすけ、1939年(昭和14年) -… 石田 良介(いしだ りょうすけ、1939年(昭和14年) - )は、日本の剪画(切り絵の一種)家。NPO法人日本剪画協会会長。NHK学園講師。群馬県生まれ。 切り絵の発展形として剪画というジャンルを打ち出しており、日本剪画協会を発足、1984年より、「日本剪画美術展」を開催している。 群馬県利根郡月夜野町に生まれる。1961年、明治大学政経学部経済学科を卒業。桑沢デザインスクールに入り、1963年、同校VDデザイン科を卒業。切り絵作家としての道を歩き始める。1990年、朝日新聞紙上に「下町そぞろ歩き」を連載。1992年、銀座・和光で同連載展を開催。2006年、森繁久彌の“最後の作品”の朗読DVD「霜夜狸」(文化庁・芸術祭参加作品)で剪画を制作。
池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の… 池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の画家。童絵作家を名乗って活動している。日本漫画家協会会員。 高松短期大学客員教授、香川県「子育て心配無用教え隊」、埼玉県川越市「小江戸川越大使」、埼玉県狭山市「狭山観光大使」も務めている。 読売新聞、朝日新聞、神奈川新聞、上毛新聞、四国新聞、日本農業新聞などに、童絵や民話、連載漫画などを掲載。 日本各地の民話を訪ね歩き、『童絵』という独自の画風を確立。観音霊場や祭りに関する多くの著書がある。 香川県高松市出身。高校卒業後、会社勤めを経て1963年に東映動画に入社し、アニメーターとして働く。1983年から、テレビ「まんが日本昔ばなし」の演出・作画・美術を担当する。
荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6… 荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6月5日)は日本画家、抽象画家。 兵庫県神戸市生まれ。東京都立駒場高等学校芸術科を経て、1963年に東京芸術大学日本画科を卒業。高校の非常勤講師として絵画を教える傍ら制作活動に取り組み、新制作協会日本画部に出品、1973年と1974年には春季展賞を受賞した。1971年に結婚、夫の母である日本画家の荘司福とは共に取材旅行を行い制作に励む。1974年に結成された創画会にも出品を重ね、4年連続で春季展賞を受賞するなどしたが、1979年に腸癌で死去。享年39歳。 その作品は、加山又造により「稀有の才能に満ち」「日本画という制約の多いとも思える素材、技法で、日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、しかも才能豊かに、一貫して発表しぬいて居られ」「胸をときめかして見たのである」と評された。
継岡 リツ(つぎおか -、 (旧姓:丸橋) 1939年 - … 継岡 リツ(つぎおか -、 (旧姓:丸橋) 1939年 - )は、日本の洋画家。 神奈川県横浜市生まれ。女子美術大学付属高等学校、女子美術大学洋画科卒業。女子美術大学洋画研究室助手、高崎芸術短期大学教授を経て、文化庁在外特別研究員としてイタリアブレラ美術学院へ留学。 女子美術大学付属高等学校・中学校長(2009年4月 - 2013年3月)、学校法人女子美術大学理事(中等部門担当、2009年5月 - 2013年5月)。女子美術大学大学院美術研究科洋画研究室兼任講師、女流画家協会会員、立軌会同人、日本美術家連盟会員。
宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - … 宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - )は、日本の画家、イラストレーター、テレビ美術家。長野県安曇野市出身。 長野県松本県ヶ丘高等学校を経て東京芸術大学美術学部図案計画科卒業後、TBSに入社し、昭和を時代背景にした名作を数多く残した作家で脚本家の向田邦子、作家で演出家の久世光彦のテレビドラマの美術を担当する。 サロン・ド・プランタン賞受賞。パリ国際青年ビエンナーレ展出品ほか、個展9回、グループ展に多数出品。 サンケイ新聞婦人欄にイラストを連載したほか、池田弥三郎著『わが街銀座』等の挿絵、TV番組「日本レコード大賞」、水曜劇場「ムー一族」、「世界・ふしぎ発見!」等の美術を担当する。
守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は、日… 守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は、日本の画家。行動美術協会会員、大阪芸術大学教授。大阪府茨木市在住。放送作家の守谷武己は実子。
根岸 右司(ねぎし ゆうじ、1938年3月20日 - 202… 根岸 右司(ねぎし ゆうじ、1938年3月20日 - 2021年5月26日)は、埼玉県出身の洋画家。日展副理事長。「雪の画家」と呼ばれる。 埼玉県に生まれる。1960年、光風会展初出品・入選。1961年、新日展初出品・入選、埼玉大学教育学部美術科卒業、渡辺武夫に師事する。1964年、光風会展50回記念賞。 1969年、光風会会員。1978年、光風会展会員賞。1983年、光風会展寺内萬治郎賞。1987年、日展特選「鉱山寥乎」、埼玉県立浦和高等学校において教鞭をとる。1990年、光風会展寺内萬治郎賞。1992年、光風会展つばき賞、日展特選「雪の選炭工場」、現代美術選抜展(文化庁)。1993年、画家の旅から 美しき東日本展(東京ステーションギャラリー)。
山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、… 山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、日本の日本画家。東京都出身。本名同じ。
谷川 晃一(たにがわ こういち、1938年2月16日 - )… 谷川 晃一(たにがわ こういち、1938年2月16日 - )は、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家。妻も画家・エッセイストの宮迫千鶴。1988年より伊豆高原在住で、伊豆高原アートフェスティバル運営委員長。
廣津 里香(ひろつ りか、本名:廣津 啓子 1938年(昭和… 廣津 里香(ひろつ りか、本名:廣津 啓子 1938年(昭和13年)2月14日 - 1967年(昭和42年)12月12日)は、日本の画家、詩人。 昭和19年上原小学校に入学、20年6月、空襲が激しくなり山形県稲川村に母、弟と共に疎開。稲川小学校2年生。母方の祖父宅が空襲にあい、罹災のため疎開。山形県松峯に移転の際ひきとられる。松峯小学校2年生。20年10月、渋谷区の自宅に戻り上原小学校へ戻る。21年4月横浜市鶴見区にある父の弟宅へ転居。鶴見小学校3年生。同年ほとんど同時期に父方、母方の祖父が相次いで死去。23年の2学期から父方の故郷福岡県久留米市に帰る。鳥飼小学校5年生。24年4月、父が敗戦後流体工学に変わり、東京都世田谷区の武蔵工大教授として、大学内に移住。
鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -202… 鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -2021年5月24日)は、日本の女性画家、浮世絵師、舞台美術家。鳥居派9代目当主。本名は、鳥居せつ子。鳥居派8代目・5代清忠の娘で、鳥居派で初の女性浮世絵師である。東京都町田市在住。日本舞台美術家協会会員、国際浮世絵学会会員、日本演劇協会会員木版画や鳥居派伝統の歌舞伎絵看板だけでなく、歌舞伎の衣裳や舞台美術も手がけ、舞台装置図のような立体図も制作。鈴本演芸場番組表の表紙絵も描いていた。 東京都出身。鳥居派8代目・5代清忠(言人)の娘として生まれる。幼少より家業の手伝いをしていたが、兄・元宏が映画監督の道に進んだため、鳥居派を滅ぼすまいとした父から画法を伝授された。
上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は… 上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は、日本の詩人、エッセイスト、画家。 広島県広島市に生まれる。1945年、原爆投下の数日後に広島市内を横切り入市被曝。詩「一枚のハガキ」で第7回白鳥省吾賞の最優秀賞受賞。詩集『八月の夕凪』の著者。 2017年 戦争や災害による犠牲者を追悼する「レクイエム・プロジェクト」の混声合唱曲「生きとし、生けるものへ」の作詞を手がける。作曲は、上田益。同曲は、3月5日に広島県民文化センターで、また8月6日に長崎市民会館文化ホールで公演された。8月6日、上田由美子は詩朗読と講演を1000に近い参加者の前で行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
片寄 俊秀(かたよせ としひで、1938年1月9日 - )は… 片寄 俊秀(かたよせ としひで、1938年1月9日 - )は、日本の建築学者、都市計画家。 日本初の大規模ニュータウンである千里ニュータウンの設計者である。妻は栄養学者・料理研究家の片寄眞木子(神戸女子短期大学名誉教授)。 奈良市生まれ。1960年京都大学工学部建築学科卒、62年同大学院工学研究科修士課程修了。1977年「ニュータウンの建設過程に関する研究」で工学博士。京都大学では西山夘三研究室に在籍し、日本住宅公団より「北大阪丘陵地帯の開発計画に関する研究」の委託を受けた西山と共に千里ニュータウン計画を作成する。卒業後も西山と共同でニュータウンの建設計画や軍艦島の研究などを行っている。 1961年から1962年にかけては第一次京大アフリカ類人猿学術調査隊の一員として、今西錦司隊長らと共にアフリカに渡る。
鳥栖 那智夫(とりす なちお、1938年 - )は、日本の都… 鳥栖 那智夫(とりす なちお、1938年 - )は、日本の都市計画家。一般社団法人都市計画コンサルタント協会マスター都市プランナーで、都市プロデューサーとも紹介される、(財)日本地域開発センター客員研究員。 都市や地域の活性化並びに更新・再生を先導する構想の立ち上げや計画策定を手がける。 北海道に生まれる。1964年、東京大学工学部建築学科を卒業後、同大学大学院数物系研究科修士課程に進み、1966年に修了する。在学中は丹下健三研究室に在籍した。引き続き都市工学専攻博士課程に在籍して1969年に修了し、工学博士号を取得した 1969年より1973年まで丹下健三都市建築設計研究所に勤務する。在勤当時は海外の都市計画を多く担当した。
中澤 優子(なかざわ ゆうこ、1938年〈昭和13年〉 - … 中澤 優子(なかざわ ゆうこ、1938年〈昭和13年〉 - )は、日本の画家。 長野県諏訪市出身。 春陽会正会員。 20歳で故郷の諏訪市を離れ、絵画に精進し、現在は春陽会を中心に活動を展開している。 作品のテーマとして女性像を選ぶことを好み、画面にしばしば絹糸や絹布を描画して独特な色面を用い、人生を示すアレゴリーとして、あるいは繊細な女性の表情の演出として表現する画風である。 これは、中澤が絹糸・絹布産業が盛んであった諏訪市内で育ったため、幼少時から身近に絹糸や絹布に親しんだことによる。 2007年(平成19年)11月には諏訪市美術館において、大作を中心に約30点を展示して、諏訪離郷以来50年ぶりとなる大規模な個展を開催した。
浜 征彦(はま まさひこ、旧字体:濱 征彦、1938年 - … 浜 征彦(はま まさひこ、旧字体:濱 征彦、1938年 - 2018年)は、長野県諏訪市出身の洋画家。二科会長野県支部長。銀座の老舗画廊、「薔薇画廊」の専属画家だったため、作品は多くの政財界の応接間等に飾られた。明るく柔らかな色使いと、筆遣いが特徴。題材はフランス.イタリア.故郷の諏訪等の風景画が多く、薔薇の花と共に描かれた裸婦画は希少。晩年の作品はデフォルメされた道化師等の作風。美術名典、号125,000円 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
来住 しげ樹(きし しげき、1938年 - )は、日本の画家… 来住 しげ樹(きし しげき、1938年 - )は、日本の画家。西脇市岡之山美術館名誉館長・美術家・日本美術家連盟会員・湊川短期大学名誉教授。兵庫県西脇市生まれ。「来住しげ樹/子どものアトリエ」主宰。現在は、土曜日夜19時ー21時まで・大人と子供の教室として10人程度の教室を続けています。「一生の仕事」として…。息子を溺愛。 1955年頃から画家活動。1973新構造社絵画部会員のち1983年審査会員、2008年退会、現在無所属。日本美術家連盟会員。現在美術家として活動。公的コレクション多数。壁画、モニュメントなど多数。横尾忠則の作品収蔵と展示を行う「西脇市岡之山美術館」の館長を務め、2013年3月退任。