白法山 旺三(びゃくほうやま おうぞう、1948年4月26日… 白法山 旺三(びゃくほうやま おうぞう、1948年4月26日 - )は、春日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は金本 龍雄(かなもと たつお)。現在の山口県岩国市出身。178cm、111kg。最高位は東十両7枚目。得意技は寄り、押し。 1964年3月場所に初土俵。1971年1月場所に東幕下筆頭で5勝2敗と勝ち越し、病床にいた春日山が没する直前に十両昇進を決定的にした。1971年3月場所に十両昇進し、春日山が大関の時に贈られて未使用だった締め込みを使わせてもらった。1973年1月場所に24歳で廃業。廃業後は山口県岩国市玖珂町で相撲料理店「白法山」を経営した。寄りと押しを主体とした取り口であったが、叩く癖があった。
國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 -… 國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 - )は、千葉県市川市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は堀木 兼初(ほりき かねはつ)。176cm、110kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 少年時代から宮相撲に参加する相撲好きであった。1964年5月場所初土俵、1972年5月場所に十両昇進するも2勝13敗と大敗を喫し、翌場所に幕下陥落。十両在位はこの1場所に終わる。1975年9月場所限りで廃業。その後は、料理屋を経営した。
佐野 浅太郎(さの あさたろう、1948年3月30日 - )… 佐野 浅太郎(さの あさたろう、1948年3月30日 - )は、滋賀県栗太郡栗東町(現在の栗東市)出身で朝日山部屋所属の元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代の四股名は日吉山(ひよしやま)で、最高位は序二段62枚目。本名は佐野 実(さの みのる)。身長186cm、体重90kg。 瀬田工業高校卒業後、大相撲の朝日山部屋に入門して1965年5月場所に17歳で初土俵を踏む。入門同期に花田満(のちの貴ノ花利彰)がいる。同部屋には兄弟子に三重ノ山(柴田勝久)や二瀬海(サムソン・クツワダ)が在籍し、さらに当時中学2年の鶴田友美も入門しているが、初土俵を踏むことなく辞めている。翌1966年5月場所に四股名を佐野から日吉山に改名したが伸び悩み、勝ち越しは1場所のみにとどまり1967年1月場所限りで廃業する。
魁傑 將晃(かいけつ まさてる、1948年2月16日 - 2… 魁傑 將晃(かいけつ まさてる、1948年2月16日 - 2014年5月18日)は、花籠部屋所属の元大相撲力士。最高位は東大関。本名は西森輝門(にしもり てるゆき)。得意手は突っ張り、左四つ、寄り。身長188cm、体重130kg。黒いダイヤや怪傑黒頭巾、クリーン大関の異名がある。血液型はAB型。引退後は年寄・放駒として放駒部屋の師匠となり、日本相撲協会第11代理事長(在任期間:2010年8月-2012年1月)を務めた。
三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし、1948年2月4日 - … 三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし、1948年2月4日 - )は、三重県松阪市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。第57代横綱。本名は石山 五郎(いしやま ごろう)。現役引退後は年寄として後進の指導に尽くし、日本相撲協会理事長、退職後は、相撲博物館館長を務めた。 幼少期は山で木を削って刀を作ったり、ターザンごっこをしたり、寺で三角ベースをやったりしていた。野球も少ししていたが、特別好きなチームはなく、好きな選手はいなかった。運動神経は悪かったため、野球ではチームの足を引っ張っていた。父が建設関係の仕事をしていたころは普通の生活を送っていたが、父が病気で倒れてからは途端に貧しくなった。以来、ベルトを買う金もなく、母の腰巻の紐で代用していたほどの貧窮家庭に育った。
宍戸 清志(ししど きよし、1948年1月28日 - )は、… 宍戸 清志(ししど きよし、1948年1月28日 - )は、東京都葛飾区出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。180.3cm、105kg。最高位は西幕下34枚目。 大相撲の公傷制度適用の第1号力士として知られる。公傷適用の元となったのは、1972年3月場所の朝ノ花戦で右膝の関節を脱臼したことによる。翌5月場所、自己最高位となった西幕下34枚目の地位で公傷休場となった。公傷休場明けの7月場所は1勝6敗と大敗し、皮肉にもこの地位が力士人生の最高位となった。 力士としては、1965年11月に初土俵、そして公傷休場の1年後の1973年5月をもって廃業している。廃業後は葛飾区内で、ちゃんこ料理屋「若瀬川」を経営した。
輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11… 輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11日 - 2018年(平成30年)10月8日)は、石川県七尾市出身で花籠部屋に所属した大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。 本名は輪島 博(わじま ひろし)。血液型はA型。大相撲時代は身長184cm、体重129kg。ニックネームは蔵前の星、黄金の左、現役引退後はワジー。 七尾市立石崎小学校3年から相撲を始め七尾市立香島中学校3年時の石川県中学生相撲大会で個人優勝。金沢高等学校では監督の家に下宿し1年時の山口国体で優勝。2年時には大鵬が二所ノ関部屋へ勧誘するべく実家まで訪れたこともある。日本大学文理学部に進み、日大相撲部では1968年(昭和43年)・1969年(昭和44年)の2年連続で学生横綱に輝くなど14個のタイトルを獲得した。
大潮 憲司(おおしお けんじ、1948年(昭和23年)1月4… 大潮 憲司(おおしお けんじ、1948年(昭和23年)1月4日 - 2024年(令和6年)5月25日)は、福岡県八幡市(現・同県北九州市八幡東区)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は波多野 兼二(はたの けんじ)。最高位は東小結(1978年1月場所)。現役当時の体格は186cm、143kg。得意手は左四つ、寄り、突き。 大相撲で通算1891回出場の史上1位記録を持つ。 引退後は年寄・式守秀五郎(通称・式秀)を襲名し、1992年(平成4年)から日本相撲協会を停年(定年。以下同)退職する2013年(平成25年)1月まで式秀部屋の師匠を務めた。 幼いころに両親が離婚し下宿屋で貧乏しながら育ち、いわゆる「おばあちゃん子」であった。
照櫻 弘行(てるざくら ひろゆき、1947年12月5日 - … 照櫻 弘行(てるざくら ひろゆき、1947年12月5日 - )は、大阪府箕面市箕面出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。本名は尾崎 弘行(おざき ひろゆき)。最高位は西前頭7枚目(1970年9月場所)。現役当時の体格は183cm、114kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押し。 柔道部で活躍していた天理高等学校を2年生途中で中退後に伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1964年5月、16歳で初土俵。同年7月場所にて、「照桜」の四股名で序ノ口に付いた。 その後は比較的順調に出世し、1969年9月場所で十両に昇進。その後、1970年7月場所で入幕を果たした。 しかし、幕内では立合いに付いて行けずなかなか自分の相撲を取らせてもらえなかったために苦戦し、幕内在位は通算5場所に終わっている。
豊山 広光(ゆたかやま ひろみつ、1947年10月22日 -… 豊山 広光(ゆたかやま ひろみつ、1947年10月22日 - 2020年9月19日)は、新潟県新発田市大字新保小路出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は長濱 廣光(ながはま ひろみつ)。現役時代の体格は186cm、133kg。得意手は右四つ、突っ張り、吊り、寄り。最高位は東小結(1972年9月場所・1977年11月場所)。 現役引退後は年寄・湊を襲名して、湊部屋を創設し、その師匠を長く務めた。 実家は農家。幼い頃から相撲を始め、新発田農業高校では全国大会で優勝し「高校横綱」になるなど、活躍を見せた。 1966年春、高校卒業と同時に東京農業大学に進学。スポーツ特待生での入学を希望したが、当時学内の不祥事により同大学では特待生制度を認めていなかったため、一般の学生として入学した。
栃勇 義治(とちいさみ よしはる、1947年10月2日 - … 栃勇 義治(とちいさみ よしはる、1947年10月2日 - )は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は阿保 鉄雄(あぼ てつお)。身長177cm、体重115kg。得意手は左四つ、押し、吊り。最高位は東前頭7枚目(1971年1月場所) 中学生の時から相撲を始めて同郷の栃ノ海に憧れ、中学校卒業後に栃ノ海の姉の紹介で春日野部屋へ入門し、1963年(昭和38年)3月場所に於いて初土俵を踏んだ。 入門後は押し相撲の指導を受け、1969年(昭和44年)7月場所で新入幕を果たした。しかし立合いの鋭さに欠けたために幕内では苦戦し、さらに1972年(昭和47年)9月場所で右肩を負傷してからは不振で、翌年9月場所では幕下まで落ちた。
三鷹山 昌吾(みたかやま しょうご、1947年9月29日 -… 三鷹山 昌吾(みたかやま しょうご、1947年9月29日 - )は、東京都三鷹市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は斎藤 昌吾(さいとう しょうご)。178cm、135kg。最高位は東十両17枚目。得意技は押し。 三鷹中学校2年生の時点で身長176cm、体重135kg(当時は正確に計測できる秤がなかったので推定値)に達する程の体格であったが、自身は太っていても仕方がないと思っていたので、3年生から柔道を始めたが体重を減らすことができず悩んでいるうちに柔道の先生の知人である錣山親方(小結・若葉山)が勧誘に来た。相撲は嫌いだったが、餅搗きに招待したり豊山と話をさせてもらううちに、父から「東京都立高校に受かる自信があるなら角界に入らなくても良いが自信がないなら入れ」と言われて時津風部屋に入門し、部屋の近くにある墨田区立竪川中学校に通いながら相撲を取ることにした。
サムソン・クツワダ(Samson Kutsuwada)こと轡… サムソン・クツワダ(Samson Kutsuwada)こと轡田 友継(くつわだ ともつぐ、1947年5月1日 - 2004年10月12日)は、日本の元大相撲力士、元プロレスラー。北海道江別市出身。 大相撲時代は朝日山部屋に所属、四股名は二瀬海(ふたせうみ)、最高位は幕下23枚目。プロレス転向後は日本プロレスを経て全日本プロレスに所属し、サムソン・クツワダをリングネームに大型のパワーファイターとして活躍した。 1962年1月場所にて轡田の四股名で初土俵、1964年1月場所で二瀬海に改名したものの伸び悩み、幕下23枚目の番付となった1967年9月場所限りで廃業した。なおこの9月場所は休場しており、実質土俵を務めたのは同年の7月場所限りである。
キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 … キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 - )は、春日野部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。新潟県西蒲原郡吉田町(現:燕市)出身。本名は小澤 正志(おざわ まさし)。キラー・カンとも表記される。大相撲時代の四股名は越錦(こしにしき)で、最高位は幕下40枚目。
春日竜 功隠(かすがりゅう よしやす、1947年2月25日 … 春日竜 功隠(かすがりゅう よしやす、1947年2月25日 - )は、春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は中村 謙吾。東京都江東区生まれだが、出身地は栃木県那須郡黒羽町としていた。184cm、120kg。最高位は西十両6枚目。得意技は押し。 子供の頃は野球が好きだったが、中学3年になる頃には体重が95kgに達していたので相撲大会の団体戦に駆り出されることになり、その体格と素質を見出して家を訪ねて来た春日野部屋の世話人から勧誘された。両親と相談したが、父は熱狂的な栃錦の贔屓だったこともあり、即座に承諾して入門が決まった。1962年1月場所に「中乃村」の四股名で初土俵。幕下での長い下積みを経て1970年3月場所に十両昇進。
米村 天心(よねむら てんしん、1946年12月16日 - … 米村 天心(よねむら てんしん、1946年12月16日 - 2016年6月20日)は、秋田県鹿角郡花輪町(現在の鹿角市)出身の高島部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名は高昇 紀彰(たかのぼり としあき)で最高位は幕下75枚目。本名、米村勉(よねむら つとむ)。 高島部屋に入門して米村の四股名で1962年9月場所初土俵、その後四股名を鹿角山(かづのやま)、高昇(たかのぼり)と改め幕下まで昇進したが、伸び悩み1969年1月場所限りで廃業となった。 大相撲廃業後は、金子武雄が経営するボディビル・ジムでトレーナーをしていたが1972年に金子の勧めで国際プロレスに入団。国際プロレス崩壊後は、マイティ井上とともに全日本プロレスに移籍した。
若葉山 強(わかばやま つよし、1946年11月7日 - )… 若葉山 強(わかばやま つよし、1946年11月7日 - )は、山形県最上郡(現在の新庄市)出身で時津風部屋所属の元大相撲力士、日本競輪選手会神奈川県支部所属の元A級競輪選手。大相撲時代は身長183cm、体重91kg。本名は伊藤 強(いとう つよし)。最高位は西十両5枚目(1967年1月場所)。得意手は左四つ、押し。 時津風部屋に入門して、1962年7月場所に本名の伊藤の四股名で初土俵を踏んだ。翌9月場所から伊藤川(いとうがわ)に四股名を改めるとともに7戦全勝で序ノ口優勝を飾った。その後は日の出の勢いで番付を上げていき、1963年9月場所は16歳の若さで早くも幕下に昇進し、7戦全勝で優勝同点の好成績を残した。
藤ノ川 武雄(ふじのかわ たけお、1946年9月26日 - … 藤ノ川 武雄(ふじのかわ たけお、1946年9月26日 - )は、北海道河東郡音更町出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は森田 武雄→祥玄→武雄。身長178cm、体重108kg。得意手は突き、押し、右四つ。最高位は西関脇。拓殖大学第一高等学校卒業。小柄さと機動型の相撲から土俵のキャッチフレーズが取り分け多かったことで知られており活字になったものだけでも今・牛若丸、ちびっ子ギャング、小さな巨人、鉄腕アトム、土俵のクレイ、ベトコン、忍者、土俵の魔術師など多数確認される。 拓殖大学に在籍していた次兄(のち警視庁柔道師範の森田祥業)から話を聞いた伊勢ノ海親方のスカウトを受けて上京し、東京の墨田区立両国中学校在籍中の1961年(昭和36年)5月場所、伊勢ノ海部屋より初土俵。
常の山 日出男(つねのやま ひでお、1946年8月7日 - … 常の山 日出男(つねのやま ひでお、1946年8月7日 - )は、岡山県児島郡(現在の倉敷市)出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は鈴木 日出夫(すずき ひでお)。身長172cm、体重100kg。最高位は西十両12枚目(1978年5月場所)。得意技は左四つ、小股掬い。年寄・10代出羽海(元関脇・鷲羽山佳和)の兄で常ノ山勝正の甥である(従って平成の元前頭・常の山勝正の義理の従兄弟にも当たる)。 クリーニング業の三男として生まれ、子供の頃から運動万能で、児島市立味野中学校では柔道と砲丸投げの選手だった。しかし、自分の腕一本で生きようと決めて中学校卒業後の1962年3月下旬に出羽海部屋へ入門した。
羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 -… 羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 - 2016年10月23日)は、宮崎県延岡市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は戸田 智次郎(とだ ともじろう)。最高位は東小結(1973年5月場所)。 引退後は年寄・雷として後進の指導に努め、停年まで日本相撲協会に在籍していた。身長179cm、体重133kg。得意手は右四つ、寄り、押し。 本名の戸田を四股名としていた時期も長く、その当時に横綱・大鵬の連勝を45で止める金星を挙げているが、後に「誤審」であると大きな話題となった、このこともあって戸田 智次郎の名でも知られる。 中学校在学中に立浪部屋へ入門し、1961年(昭和36年)5月場所に於いて、14歳で初土俵を踏んだ。
栃富士 勝健(とちふじ かつたけ、1946年6月8日 - 2… 栃富士 勝健(とちふじ かつたけ、1946年6月8日 - 2003年4月28日)は、埼玉県大里郡三尻村(現・熊谷市)出身(出生地は東京都渋谷区)で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は小暮 晴男(こぐれ はるお)。最高位は東前頭3枚目(1971年5月場所)。身長186cm、体重141kg。得意手は左四つ、寄り。 渋谷区立上原中学校在学時の1961年に春日野部屋へ入門し、同年5月、14歳で初土俵を踏んだ。 小兵力士が多かった同部屋に於いて、珍しい大型力士として早くから注目されていた。 幕下までは順調に昇進するも、ここで苦労する。特に1967年3月場所では東幕下筆頭で6勝1敗と好成績を挙げながら、場所後の「番付枚数削減」に伴う関取一挙16人削減の影響を受けて翌5月場所では東幕下3枚目に下げられた。
栃葉山 暁輝(とちばやま あきてる、1946年5月7日 - … 栃葉山 暁輝(とちばやま あきてる、1946年5月7日 - 1992年1月11日)は、岐阜県岐阜市出身で春日野部屋所属の元大相撲力士。最高位は西十両9枚目。本名は臼井 仁志(うすい ひとし)。身長187cm、体重133kg。得意技は押し。 旧大日本帝国海軍の海軍相撲で鳴らした父の影響で、岐阜市立明郷中学校2年生より相撲を始める。春日野部屋からスカウトされたが、進学を条件に上京し、明治大学附属中野高等学校に入学、春日野部屋に住み込みながら高校生活を送る。 高校時代には、1963年、1964年に全国高等学校相撲選手権大会で2連覇。明治大学に進学するも1年途中で退学し春日野部屋に正式に入門。1966年1月場所に初土俵を踏む。
玄武 満(げんぶ みつる、1946年5月4日 - )は、北海… 玄武 満(げんぶ みつる、1946年5月4日 - )は、北海道芦別市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士、現タレント。本名は栗原 満(くりはら みつる)。最高位は東十両7枚目(1973年5月場所)。身長175cm、体重123kg。得意技は右四つ、寄り、押し。 高校2年の時に知人から立浪部屋所属の大島親方(元前頭・若浪)を紹介され、再三の勧誘の結果入門を決意。高校を中退し立浪部屋に入門。1964年3月場所で初土俵を踏んだ。1973年1月場所には十両に昇進。取的時代に赤塚不二夫の智遇を得ていて、新十両に際し赤塚からバカボンのパパの絵を用いた化粧廻しを贈られて評判になった。現在では漫画のキャラクターを化粧廻しのデザインにしている力士は少なくなく、戦闘竜が『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公である両津勘吉を描いた化粧廻しを使用していたことがよく知られ、戦闘竜がその走りとされることが多いが、玄武はそれ以前の事例に当たるため、玄武はキャラクター物の化粧廻しを使用したパイオニアといえる。
坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日… 坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日 - )は、北海道釧路市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は福本 文一(ふくもと ぶんいち)。175cm、112kg。最高位は西十両12枚目。得意技は突き、押し、諸差し、寄り。 若い頃から柔道、相撲と盛んに行った。また四股名は相部屋で同郷の大吉田(のちの乾龍初太郎)とともに知人作家に付けてもらったもの。1961年5月場所初土俵、1972年11月場所に十両昇進するも、在位はこの1場所に終わる。1973年11月場所限りで引退。引退後は料理屋を経営。
寺西 勇(てらにし いさむ、1946年1月30日 - )は、… 寺西 勇(てらにし いさむ、1946年1月30日 - )は、富山県射水郡(現:射水市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。本名:寺西 等(てらにし ひとし)。大相撲時代の四股名は寺西(てらにし)、最高位は三段目1枚目。 大相撲の立浪部屋に入門し、1963年5月場所に本名の寺西の四股名で初土俵を踏んだ。しかし伸び悩んでしまい、入門3年後の1966年5月場所をもって廃業した。大相撲廃業後は、1966年に同門の永源遙とともに豊登道春率いる東京プロレスに入ってプロレスラーに転向。同年10月21日、団体旗揚げ戦においてデビュー(相手は竹下民夫)。東京プロレス崩壊後はラッシャー木村らと共に国際プロレスに移籍する。
大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月21日 … 大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月21日 - )は、兵庫県加古川市東神吉町出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は和田 一男(わだ かずお)。身長178cm、体重118kg。最高位は東前頭筆頭(1969年11月場所)。 加古川市立東神吉小学校在籍時から、相撲に親しんでいた。加古川市高砂市組合立宝殿中学校では相撲部に入り、3年次には兵庫県中学校相撲大会個人戦で優勝した。出身地が近い三保ヶ関親方(元大関・初代増位山)の熱心な勧誘を受け、中学校卒業直前に三保ヶ関部屋へ入門し、1961年1月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。 突っ張ってからの右四つに加え、土俵際の粘りや、突き落としや足技(時折、立合い一瞬の蹴手繰り)も見せるなど多彩な技の持ち主として知られた。
大鷲 平(おおわし ひとし、1946年1月12日 - )は、… 大鷲 平(おおわし ひとし、1946年1月12日 - )は、長野県佐久市大字志賀(出生時は北佐久郡志賀村)出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 平(いとう ひとし)。最高位は西前頭3枚目(1975年1月場所・1976年5月場所)。身長190cm、体重115kg。得意手は左四つ、上手投げ、吊りなど。 幼少時は普通の体格であったが、小学生の頃から急に身長が伸び始めた。東中学校に在学中は野球部に在籍した。制球は覚束なかったが、豪速球を武器に投手として活躍していた。 中学卒業後、親戚からその活躍ぶりを聞き付けた同じ佐久市出身の西岩親方(元前頭18・若嵐)の勧誘を受け、本人も相撲が嫌いでなかったためあっさり角界入りが決まった。
乾龍 初太郎(けんりゅう はつたろう、1946年1月2日 -… 乾龍 初太郎(けんりゅう はつたろう、1946年1月2日 - )は、二所ノ関部屋、押尾川部屋に所属した元力士。引退後は世話人に就任した。本名は吉田 初太郎(よしだ はつたろう)。現在の北海道北見市出身。181cm、110kg。最高位は西十両5枚目。得意技は押し、寄り、内掛け。 1964年3月場所に初土俵。1974年1月場所に十両昇進、1976年に押尾川部屋独立の際に移籍する。1978年3月場所限りで引退し、以後世話人に転じた。押尾川部屋閉鎖の際に、尾車部屋に移籍した。2011年1月停年退職。
渥美洋 正征(あつみなだ まさゆき、1945年12月25日 … 渥美洋 正征(あつみなだ まさゆき、1945年12月25日 - )は、愛知県渥美郡渥美町(現在の田原市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は川合 正征(かわい まさゆき)。182cm、93kg。最高位は東十両12枚目。得意技は右四つ、突き。 1961年5月場所初土俵、長い幕下生活の末1971年7月場所に十両昇進。その場所は5勝10敗と負け越し1場所で幕下へ陥落したが翌1972年3月場所で再度十両に昇進。しかし、十両に在位したのはこの2場所のみで勝ち越すことはなかった。幕下下位で途中休場した1974年1月場所限りで廃業。四股名は当初本名であったが、後に地元にちなんだ現在の四股名に改名。
若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1945年10月26日 … 若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1945年10月26日 - 2017年2月23日)は、北海道夕張市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は千葉 重幸(ちば しげゆき)。最高位は西前頭6枚目(1967年11月場所)。現役時代の体格は177cm、88kg。得意手は左四つ、出し投げ、掬い投げ、足癖。 実家は豆腐屋で、11人兄弟姉妹の末っ子として誕生。父親は重幸が1歳の誕生日を迎える前に急逝し、母親とも、14歳の時に死に別れている。 兄や姉達は夕張炭鉱で働いていたが、中学生の頃力士になりたいと志望し、親代わりの長兄の強い反対を押し切って1960年に上京。同郷の元横綱・吉葉山が率いる宮城野部屋へ入門した。
若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 … 若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 - 1995年3月31日)は、岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は松田 秋夫(まつだ あきお)。現役時代は身長175cm・体重126kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1973年1月場所)。 内川目中学校を卒業後、元前頭3枚目・大ノ海が率いる花籠部屋に入門し、1961年(昭和36年)5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の関脇・藤ノ川、小結・羽黒岩らがいる。出世は遅く、初土俵から約10年、57場所かかって1971年(昭和46年)1月場所で十両昇進。そして、1972年(昭和47年)7月場所での新入幕は初土俵から11年2ヶ月、67場所を要した。
佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日… 佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日 - 1999年10月3日)は、佐賀県佐賀郡諸富町(現在の佐賀市)出身で、近鉄バファローズ所属の元プロ野球選手(投手)、井筒部屋(後に君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は土師 一男(はじ かずお)。大相撲時代は身長185cm、体重107kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両11枚目(1972年7月場所)。土師一夫の四股名でも関取在位がある。 佐賀県立佐賀工業高等学校を経て1964年に近鉄バファローズに入団。2年間在籍するも一軍登板なく退団した。 退団後すぐに力士に転向し、大相撲の井筒部屋に入門して1965年11月場所で初土俵を踏んだ。
佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日… 佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず、1945年10月20日 - 1999年10月3日)は、佐賀県佐賀郡諸富町(現在の佐賀市)出身で、近鉄バファローズ所属の元プロ野球選手(投手)、井筒部屋(後に君ヶ浜部屋)所属の元大相撲力士。本名は土師一男。大相撲時代は身長185cm、体重107kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両11枚目(1972年7月場所)。土師一夫の四股名でも関取在位がある。
橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 -… 橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は、日本の元調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属していた。宮崎県北諸県郡三股町出身。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、九州産業大学卒業。 大学卒業後の1969年より公営・佐賀競馬で騎手となり1年ほど騎乗、のちに中央競馬へ転じ調教師となった異色の経歴をもつ。1982年に厩舎開業。当時としては先進的な調教法であった坂路調教で頭角を現し、1990年にはJRA最多勝利調教師となる。1992年にGI競走を初制覇して以降、11頭のGI優勝馬を手がけ、地方競馬、日本国外成績との合算では通算1000勝を越える。 JRA騎手であった橋口満朗は実弟、JRA調教師の橋口慎介は長男。
前の山 太郎(まえのやま たろう、1945年3月9日 - 2… 前の山 太郎(まえのやま たろう、1945年3月9日 - 2021年3月11日)は、大阪府北河内郡庭窪村(現在の守口市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は清水 和一(しみず かずいち)、旧姓は金島(かねしま)。身長186cm、体重133kg。最高位は東張出大関。得意手は突っ張り、左四つ、寄り。 元前頭・朝若との養子縁組時は中矢(なかや)を名乗った。実弟に同部屋の幕下力士・佐田岬(後に前の湖と改名)がいる。 浪商高校入学直後までは野球部に所属していたが、長身の体格を見込まれ相撲部に入部して大阪府の大会に出場するなど活躍した。そこで自信を持ち、高校を1年で中退し兄と共に高砂部屋に入門、1961年3月場所に初土俵を踏んだ。
大位山 勝蔵(おおいやま かつぞう、1945年3月5日 - … 大位山 勝蔵(おおいやま かつぞう、1945年3月5日 - )は、兵庫県宍粟郡山崎町(現在の宍粟市)出身(本籍地は、同県姫路市)で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。 本名は松本 勝三(まつもと かつぞう)。力士時代の四股名は三保ノ松および大位山、プロレス時代のリングネームは大位山 勝三。相撲時代の得意手は、右四つ、寄り、押し。最高位は東前頭12枚目(1968年11月場所)。 地元・山崎町の中学校を卒業後、三保ヶ関親方(元大関・増位山)の関係者の紹介で三保ヶ関部屋に入門し、1960年5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、部屋の名と本名の松本に因んだ「三保ノ松」。
琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2… 琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2015年6月28日)は、沖縄県那覇市出身(出生地は大分県中津市)で、朝日山部屋に所属した元大相撲力士。 本名は島 武光(しま たけみつ)→神田 武光(かんだ - )。現役時代の体格は176cm、130kg。得意手は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(1973年9月場所)。沖縄県出身者初の関取として記録に残っている。 疎開先の大分県中津市で生まれ、アメリカ占領下の那覇市で少年時代を過ごした。中学卒業後に奄美群島奄美大島に渡り、奄美高校では柔道部で活躍する。高校2年の夏休みに上京した時、同じ奄美群島徳之島出身の横綱・朝潮のいる高砂部屋に出かけたが、巡業中で誰もおらず失望して帰る途中で道に迷ったところを朝日山親方(元関脇・高津山)夫人に声を掛けられた。
大雪 嶺登(だいせつ みねと、1944年11月30日 - 1… 大雪 嶺登(だいせつ みねと、1944年11月30日 - 1980年4月16日)は、北海道夕張市出身(本籍地は北海道夕張郡由仁町)で宮城野部屋に所属した大相撲力士。本名は秋田 芳夫(あきた よしお)。最高位は東前頭3枚目(1971年7月場所)。現役時代の体格は183cm、120kg。得意手は右四つ、投げ、蹴返し。 夕張市立千代田中学校を卒業後、夕張鉄道に2年ほど勤務したが1962年、地元の道会議員の紹介で宮城野部屋へと入門。入門に際しては母の強い反対があったが、それを押し切る形で決めた角界入りであった。 同年9月場所にて17歳で初土俵を踏み、翌場所、本名でもある「秋田」の四股名で序ノ口に付いた。
大寛 宗之(たいかん むねゆき、1944年10月20日 - … 大寛 宗之(たいかん むねゆき、1944年10月20日 - 没年不明 )は、鹿児島県熊毛郡中種子町出身で井筒部屋、陸奥部屋に所属した元大相撲力士。本名は淵上 重昭(ふちがみ しげあき)。180cm、118kg。最高位は東十両4枚目。得意技は右四つ、寄り。 当初は野球が好きだったが、種子島高校に入学すると、柔道部に入部する。1年生の時に柔道部で最も大きい体格を見込まれて相撲部に駆り出され、鹿児島県大会で準優勝したのが評判に上り、井筒部屋の世話人から勧められて入門した。1962年3月場所に初土俵。幕下での下積みが長かったが、1969年11月場所の幕下優勝を足がかりにして1970年3月場所に十両昇進、以後21場所十両に在位する。
大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 -… 大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 - 1999年7月27日)は、三重県鈴鹿市出身で友綱部屋に所属した元大相撲力士。本名は的場 猛(まとば たけし)。175cm、145kg。最高位は東十両6枚目。得意技は押し、右四つ。 1961年5月場所に初土俵。入門してから約1週間の間は気の小ささからか、淋しくて寝られなかったこともあった。1966年3月場所に十両昇進。以後十両を11場所務めたが、腰の重さと粘り強さに頼り過ぎる消極的な取り口であったせいか、負傷が多かった。特に、1970年1月場所で右足首を骨折してからは休場が続き、1970年5月場所限りで25歳で廃業。廃業後は1972年から鈴鹿市で肉料理店「まと場」を経営した。
栃東 知頼(とちあずま ともより、1944年9月3日 - )… 栃東 知頼(とちあずま ともより、1944年9月3日 - )は、福島県相馬郡日立木村(現在の相馬市)出身(出生地は茨城県筑波郡)で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は志賀 駿男(しが はやお)。最高位は東関脇(1970年3月場所)。現役時代の体格は178cm、115kg。得意手は左四つ、上手出し投げ、右四つ、寄り。 引退後は年寄・玉ノ井(13代)を襲名し、春日野部屋付きを経て玉ノ井部屋を創設した。次男・太祐は四股名栃東を譲り受けて大関まで昇進。現役引退後は年寄・栃東を襲名して父の下で部屋付き親方となった後、部屋を継承した。なお、日本相撲協会を定年退職した後は、玉ノ井部屋の師範代となった。 中学時代から野球部で活動し、原町工業高校進学後も野球部に在籍していたが、相撲部の顧問を兼任していた野球部の顧問に相撲の大会に助っ人として出場するように言われ、その大会で優勝すると、1960年秋に春日野部屋からスカウトされて高校を中退し入門する。
長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、1944年7月20日 - … 長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、1944年7月20日 - 2026年5月31日)は、北海道空知郡栗沢村(現在の岩見沢市)出身(出生地は樺太恵須取支庁恵須取郡珍内町)で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。現役時代の体格は身長183cm、体重128kg。得意手は左四つ、寄り、掬い投げ。最高位は東関脇。一時期、四股名を長谷川 戡洋(はせがわ かつひろ)としていた時期もあった。 叔父に宮城野部屋の十両力士・四季の花範雄がいる。 父親は炭鉱マンで、炭鉱のある樺太の珍内町(現在のロシア・サハリン州クラスノゴルスク)で生まれ、1950年(昭和25年)春に樺太から引き揚げる。1960年(昭和35年)3月場所に初土俵を踏んだ。
時葉山 敏夫(ときばやま としお、1944年5月5日 - 1… 時葉山 敏夫(ときばやま としお、1944年5月5日 - 1995年9月20日)は、石川県七尾市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は春木 敏男(はるき としお)。最高位は東前頭2枚目(1968年9月場所)。現役時代の体格は180cm、131kg。得意手は左四つ、寄り、掬い投げ。 小学生時代から相撲を始め、七尾市立七尾東部中学校(当時東部中学校)では地元の大会で優勝するなど活躍した。中学3年生の時、立田川親方(元横綱・鏡里)の勧誘を受け、時津風部屋に入門。1959年9月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「春木」。 1966年7月場所、22歳で十両に昇進し、これを機に「春木」から「時葉山」に改名。
株本 義久(かぶもと よしひさ、1944年4月23日 - 没… 株本 義久(かぶもと よしひさ、1944年4月23日 - 没年不明 )は、広島県福山市出身で朝日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は株本 義輝。179cm、108kg。最高位は西十両9枚目。得意技は突き、押し。 1965年7月場所に21歳で初土俵。出世は早く、1970年1月場所に十両昇進を果たす。1971年5月場所に十両で4勝11敗と幕下陥落濃厚の成績となり、この場所限りで廃業した。
大磯 武(おおいそ たけし、1944年4月8日 - )は、富… 大磯 武(おおいそ たけし、1944年4月8日 - )は、富山県新湊市(現在の射水市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、東京プロレス、国際プロレス所属の元プロレスラー。本名は、摺崎武二(するさき たけじ)。大相撲時代の四股名は大磯浪(おおいそなみ)、最高位は三段目14枚目。プロレスラー時代は身長181cm、体重117kg。 大相撲の立浪部屋に入門し、1963年7月場所に本名の摺崎の四股名で初土俵を踏んだ。1965年3月場所に四股名を大磯浪に改名したが伸び悩み、1966年5月場所をもって三段目で廃業した。大相撲廃業後は1966年に東京プロレス設立に伴い、プロレスラーに転向。入門同期には寺西勇・大剛鉄之助・柴田勝久・永源遙らがいた。
楠ノ海 正治(くすのうみ まさはる、1944年3月13日 -… 楠ノ海 正治(くすのうみ まさはる、1944年3月13日 - )は、佐賀県佐賀市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は中村 正治(なかむら まさはる)。現役時代は身長173cm・体重75kg。最高位東十両16枚目。得意技は右四つ、上手投げ。 1959年7月場所初土俵。序ノ口を1場所で通過後に序二段中位〜下位で1年程停滞したり、初めて幕下に昇進した1961年11月場所で7戦全敗を喫したりしたが、以降は好成績を修め続け順調に番付を上げて、1965年5月場所に21歳で十両昇進。しかし場所前に左膝の関節を捻挫したために当場所及び翌場所を全休。以降は番付を幕下下位に落とし成績は振るわず、1966年5月場所に22歳の若さで廃業した。
玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ、1944年〈昭和19年〉… 玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 1971年〈昭和46年〉10月11日)は、大阪府大阪市生野区出生、愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。第51代横綱。血液型AB型。本名は谷口正夫、後に竹内正夫(たけうち まさお)。得意技は突っ張り、右四つ、寄り、吊り、上手投げ。 横綱に昇進しながらも27歳の若さで亡くなった。 1944年(昭和19年)2月5日に大阪府大阪市で生まれるが、大阪大空襲で焼け出されて蒲郡に疎開、以降は蒲郡で育つ。谷口家は決して裕福ではない家庭であり、母はほとんど女手一つで正夫少年を含めた4人の子供を育て、針仕事や行商、時には土木作業で家計を支えた。
白田山 秀敏(しらたやま ひでとし、1943年12月15日 … 白田山 秀敏(しらたやま ひでとし、1943年12月15日 - )は、熊本県八代郡鏡町(※現役当時、現・同県八代市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は白田 秀敏(しらた ひでとし)。現役時代の体格は187cm、105kg。最高位は東前頭4枚目(1971年5月場所)。得意手は左四つ、出し投げ、外掛け。 現役引退後は、年寄・谷川として後進の指導に努め、停年(定年)まで日本相撲協会に在籍した。 地元・鏡町の中学校を卒業後、進学した八代第一高校(現・秀岳館高校)を僅か3ヵ月で中退して上京し、高砂部屋に入門。1959年7月場所に於いて、15歳で初土俵を踏んだ。新弟子時代は17貫(約64㎏)の小さい体であり、2場所前に初土俵を踏んだ朝嵐に目をかけられて精進した。
柴田 勝久(しばた かつひさ、1943年12月4日 - 20… 柴田 勝久(しばた かつひさ、1943年12月4日 - 2010年1月16日)は、日本の元大相撲力士、元プロレスラー、レフェリー。三重県桑名市出身。 大鳴戸部屋(師匠は二瀬山)に入門して、柴田の四股名で1960年7月場所に16歳で初土俵を踏む。鉄扇(てっせん)と改名して1961年5月場所には序ノ口優勝、1963年9月場所には三段目優勝を果たした。この間、大鳴戸部屋と朝日山部屋の合併に伴い新・朝日山部屋所属となり、四股名も三重ノ山と改名した。しかし1966年9月場所限りで廃業、最高位は幕下35枚目。 プロレスへ転向、1966年に東京プロレスに入団して同年10月12日プロレスデビューした。1967年2月の東京プロレス崩壊後は、アントニオ猪木らとともに日本プロレスに移籍。
二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - … 二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で、二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。本名は山中 武(やまなか たけし)。現役時代の体格は178cm、113kg。最高位は西小結(1967年11月場所、1968年3月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、内無双、下手投げなど。 中学から相撲部に所属し、中学卒業後に相撲部の先生と再会した時、先生が横綱・初代若乃花から弟子探しを頼まれていたので勧誘され、1961年1月場所で花籠部屋から初土俵を踏んだ。 1962年5月場所をもって若乃花が引退して年寄・二子山を襲名し、間もなく二子山部屋を創設するとそれに同行し、1964年11月場所で十両に昇進。