三井所清典(みいしょ きよのり, Kiyonori Miis… 三井所清典(みいしょ きよのり, Kiyonori Miisho 1939年2月7日- )は、日本の建築家。株式会社アルセッド建築研究所代表取締役。公益社団法人日本建築士会連合会名誉会長。芝浦工業大学名誉教授。佐賀県生まれ。 佐賀県立佐賀西高等学校から東京大学工学部建築学科に進学し1963年卒業。1965年、同大学大学院数物系研究科建築学専攻修士課程修了。1968年、同大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。工学博士。 1963年、RAS建築研究同人に参加。1968年から芝浦工業大学講師。1970年にアルセッド建築研究所を設立。1982年に芝浦工業大学教授就任。2007年に東京建築士会会長。
高宮 眞介(たかみや しんすけ、1939年1月7日 - )は… 高宮 眞介(たかみや しんすけ、1939年1月7日 - )は、日本の建築家。山形県村山市出身。 山形県立山形東高等学校を経て、1962年に日本大学理工学部建築学科を卒業後、大林組に勤務。 1966年から1968年まで、デンマークのクローン・ラスムッセン設計事務所に勤務する。その後丹下健三都市建築設計研究所を経て、 1975年に計画・設計工房を谷口吉生と開設。1980年には谷口建築設計研究所取締役に就任し、1985年に谷口建築設計研究所の代表となり、谷口吉生とともに、資生堂アートハウス、土門拳記念館、東京都葛西臨海水族園、豊田市美術館などを手がけていく。 1996年から2007年まで母校日本大学理工学部建築学科の教授を務める。
大野 美代子(おおの みよこ、1939年 - 2016年8月… 大野 美代子(おおの みよこ、1939年 - 2016年8月)は、日本の建築家・橋梁デザイナー。 株式会社エムアンドエムデザイン事務所(M+M Design Office)の主宰を務め、橋梁や道路、その付属施設の景観デザインなどを手がける。愛知県立芸術大学と東京工業大学の非常勤講師を歴任。 岡山県出身。1958年、岡山県立岡山朝日高等学校卒業。1963年、 多摩美術大学美術学部デザイン科卒業。
陰山 日出也(かげやま ひでや、1939年 - )は、有限会… 陰山 日出也(かげやま ひでや、1939年 - )は、有限会社サンフォルム設計事務所代表取締役、東京都建築士事務所協会理事を勤める日本の建築家。実業家。 1962年日本大学理工学部建築学科2部卒業。1962年株式会社日亜建築設計事務所。1966年モール建築事務所共同経営。1974年一級建築士事務所造形社。1991年有限会社サンフォルム設計事務所 代表取締役。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
樋口 裕康(ひぐち ひろやす、1939年 - )は、日本の建… 樋口 裕康(ひぐち ひろやす、1939年 - )は、日本の建築家。静岡県静岡市生まれ。 1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。1965年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。1965年から1971年までU研究室。1971年に富田玲子や大竹康市らと象設計集団を設立。同年、返還前の沖縄子供の国マスタープラン策定、今帰仁中央公民館、名護市庁舎で芸術選奨文部大臣賞、都市計画学会賞、日本建築学会賞などを受賞。1986年より台湾北東部の宜蘭懸冬山河風景区開発計画に着手。1990年、事務所を十勝に移し、全国各地で学校、公共施設、福祉施設をはじめとする地域性に根差した建築を進める。
只野康夫(ただの やすお、1939年〈昭和14年〉 - )は… 只野康夫(ただの やすお、1939年〈昭和14年〉 - )は、日本の建築家。法政大学多摩キャンパス、国際科学技術博覧会テーマ館、出光興産中央研究研究所、IHI豊洲センタービル、博多リバレインあるいはMM21パシフィコ横浜(国際会議場・展示場・ホテル複合施設)などを手がけたことで知られている。
福澤 宗道(ふくざわ むねみち、1939年 - 2012年9… 福澤 宗道(ふくざわ むねみち、1939年 - 2012年9月8日)は、日本の都市工学者、建築家。専門分野は都市計画、広域都市計画、都市・建築設計。 足利工業大学名誉教授で、足利市および佐野市の都市計画審議会委員、足利市建築審査会委員、とちぎ総合研究機構客員研究員などを歴任した。 生前の蔵書を集めた図書館「両毛・足利まちづくり建築文庫(足利建築文庫)」が足利市にある。 熊本県に生まれ、富山県や香川県高松市で育つ。1961年に東京大学工学部建築学科を卒業し、同大学大学院に進む。1963年、東京大学大学院数物系研究科修士課程を修了した。在学中は丹下健三研究室に在籍し上武広域都市開発基本計画や東大・高山研究室の山形市都市開発基本計画に参加し、博士課程を経て、1968年に足利工業大学工学部助教授となる。
岩﨑 堅一(いわさき けんいち、1939年 - 2023年4… 岩﨑 堅一(いわさき けんいち、1939年 - 2023年4月26日)は、日本の建築家。東京都市大学名誉教授、岩﨑建築研究室代表取締役を務めた。 〔以上 竹中工務店在籍時〕
田中 俊六(たなか しゅんろく、1938年11月11日 - … 田中 俊六(たなか しゅんろく、1938年11月11日 - )は、日本の建築学者。地域冷暖房システム、ヒートポンプ冷暖房システム、太陽熱冷暖房システム、環境共生住宅の研究を中心とした建築設備を専門とする。学位は、工学博士。東海大学名誉教授。東海大学工学部長・東海大学学長・大学院運営委員長・学校法人東海大学を務める。公益財団法人戸田育英財団評議委員。三重県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
渡辺 俊一(わたなべ しゅんいち、1938年11月7日 - … 渡辺 俊一(わたなべ しゅんいち、1938年11月7日 - 2024年8月13日)は、日本の建築学者。工学博士(東京大学)。専門は比較都市計画研究。東京理科大学名誉教授。 東京都生まれ。新潟県立三条高等学校を経て、1961年東京大学工学部建築学科卒業、1964年ハーバード大学大学院修了。1965年東京大学助手、1978年建設省建築研究所勤務などを経て、1990年から東京理科大学理工学部教授。シェフィールド大学、カリフォルニア大学、ミシガン州立大学、ワシントン大学、国立台湾大学、韓国開発研究院で客員教授等を歴任した。
富田 玲子(とみた れいこ、1938年9月24日 - )は、… 富田 玲子(とみた れいこ、1938年9月24日 - )は、日本の女性建築家。象設計集団の創始者の一人。現在象設計集団東京事務所主宰。 母は日本初の女性大使でデンマーク大使を務めた高橋展子。父は軍医であったが戦死した。東京府に生まれ、高田馬場で育つ。戦時中は埼玉県に疎開し、その後阿佐ヶ谷で育つ。代表作のドーモアラベスカはそのときの家を改修したものである。ピアノを音楽評論家の藤田晴子に師事。 東京教育大学附属高校から東京大学理科二類に進学。1961年に東京大学工学部建築学科を卒業し、大学院に進学。なお、東大建築学科初の女子学生であった。同年、林泰義と結婚。当初は吉武泰水研究室に所属していたがしばらくして丹下健三研究室に移籍。
渡辺 豊和(わたなべ とよかず、1938年8月1日 - )は… 渡辺 豊和(わたなべ とよかず、1938年8月1日 - )は日本の建築家。渡辺豊和建築工房主宰。博士(工学)。
大竹 康市(おおたけ こういち、1938年5月2日 - 19… 大竹 康市(おおたけ こういち、1938年5月2日 - 1983年11月20日)は、日本の建築家。都市計画家。象設計集団創設者の一人で中心的存在。宮城県仙台市生まれ。 東北学院中学校・高等学校に進学し、高校では陸上競技とサッカーでインターハイに出場する。1962年、東北大学工学部建築学科卒業。卒業設計は全国優秀賞を受賞する。その後早稲田大学大学院に進学し同大学院修士課程修了。 1964年、吉阪隆正が主宰する建築設計事務所U研究室に入所し、大学セミナーハウス、大島元町復興計画(計画書、大島中学校体育館、吉谷公園、大島参道など)、生駒山宇宙科学館、相模湖総合復興計画などを担当する。 1971年、象設計集団設立。
吉田 研介(よしだ けんすけ、1938年4月24日 - )は… 吉田 研介(よしだ けんすけ、1938年4月24日 - )は、日本の建築家。吉田研介建築設計室 ASJ登録建築家。東海大学教授を歴任。東京都生まれ。 1962年、早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1962年、竹中工務店設計部入社。1965年、多摩美術大学非常勤講師。1966年、早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。1967年、東海大学工学部建築学科に赴任。1968年に吉田研介建築設計室開設。 国立競技場のザハ・ハディド案について、計画白紙化以前の2015年7月4日、「コンペ当選案のまま、あの伸びのある姿のまま建てるように国をあげて、建築界をあげて応援すべきだった」という見解を示した。
狩野 忠正(かのう ただまさ、1938年3月2日 - 201… 狩野 忠正(かのう ただまさ、1938年3月2日 - 2018年5月30日)は、日本の建築家、狩野忠正建築研究所代表、竹中工務店プリンシパルアーキテクト、神戸大学、大阪芸術大学教授。 1938年に、当時日本統治下にあった朝鮮の全羅南道麗水(現・大韓民国内)で生まれる。終戦後、佐賀県の唐津港に引き揚げ、両親の実家のあった長崎県島原市に移り住む。小学5年生までを島原で過ごした後、兵庫県明石市に再度転居した。建築家を目指したのは幼少期に岡山県の閑谷学校を訪問してその建物を見たことが原点であると回想している。 1962年に神戸大学工学部建築学科(堯天義久研究室)を卒業して竹中工務店に入社し、設計部に配属された。
岩井 國臣(いわい くにおみ、1938年〈昭和13年〉2月5… 岩井 國臣(いわい くにおみ、1938年〈昭和13年〉2月5日 - 2025年〈令和7年〉4月21日)は、日本の政治家、建設技官。 国土交通副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、国土交通大臣政務官(第2次森改造内閣)、参議院決算委員長、参議院議員(2期)、建設省河川局長、同省中国地方建設局長などを歴任。 京都府京都市生まれ(本籍地は福岡県行橋市)。京都府立朱雀高等学校、京都大学工学部を経て、京都大学大学院修了。大学院修了後に建設省に入省。中国地方建設局長や河川局長を歴任した。 1995年(平成7年)、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補し、初当選。2001年(平成13年)、第2次森改造内閣で国土交通大臣政務官に就任。
渡辺武信(わたなべ たけのぶ、1938年1月10日 - )は… 渡辺武信(わたなべ たけのぶ、1938年1月10日 - )は、日本の詩人・建築家・映画評論家。
片寄 俊秀(かたよせ としひで、1938年1月9日 - )は… 片寄 俊秀(かたよせ としひで、1938年1月9日 - )は、日本の建築学者、都市計画家。 日本初の大規模ニュータウンである千里ニュータウンの設計者である。妻は栄養学者・料理研究家の片寄眞木子(神戸女子短期大学名誉教授)。 奈良市生まれ。1960年京都大学工学部建築学科卒、62年同大学院工学研究科修士課程修了。1977年「ニュータウンの建設過程に関する研究」で工学博士。京都大学では西山夘三研究室に在籍し、日本住宅公団より「北大阪丘陵地帯の開発計画に関する研究」の委託を受けた西山と共に千里ニュータウン計画を作成する。卒業後も西山と共同でニュータウンの建設計画や軍艦島の研究などを行っている。 1961年から1962年にかけては第一次京大アフリカ類人猿学術調査隊の一員として、今西錦司隊長らと共にアフリカに渡る。
渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺… 渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺研究家、建築家。多摩美術大学名誉教授。農学博士。全国各地の水辺、運河、用水路の研究と水空間の計画・デザインに多く携わる。世田谷区在住。 1938年、北海道小樽市生まれ。その後愛媛県で育つ。 1965年に前橋工業短期大学(現前橋工科大学)を卒業後、日本大学理工学部に進学。1967年に同校建築学科を卒業し、内井昭蔵建築設計事務所に入所。 その後東京藝術大学大学院に進学し、1972年同大学院修士課程修了後、都市計画コンサルタント創造社に勤務及多摩美術大学専任講師。1992年、同大学教授。東京農工大学より農学博士授与。論文の題は「農業用水路の再生に関する多面利用形態と空間構造の研究」。
紀谷 文樹(きや ふみとし、1938年 - ) は、日本の建… 紀谷 文樹(きや ふみとし、1938年 - ) は、日本の建築学者。東京工業大学名誉教授。元社団法人空気調和・衛生工学会会長。社団法人日本建築設備診断機構名誉会長。 埼玉県生まれ。1963年東京工業大学理工学部卒業。1965年東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。1971年東京工業大学より工学博士の学位を取得。1978年武蔵工業大学工学部建築学科教授。1988年東京工業大学工学部建築学科教授。1997年空気調和・衛生工学会副会長。1998年空気調和・衛生工学会会長。1999年神奈川大学工学部建築学科教授、東京工業大学名誉教授。2008年日本建築設備診断機構会長。2019年日本建築設備診断機構名誉会長。
水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築… 水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築家。 愛知県生まれ。1962年、日本大学卒業後、坂倉準三建築設計研究所に入所。以来坂倉建築研究所で建築設計に従事する。その後アーキブレーン建築研究所を設立。 代表作に、Ntsシステム総合研究所がある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
渡辺 明(わたなべ あきら、1938年 - )は、日本の建築… 渡辺 明(わたなべ あきら、1938年 - )は、日本の建築家。長野県生まれ。 その他の作品に、東京プリンスホテルがある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築… 水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築家。
谷口 吉生(たにぐち よしお、1937年〈昭和12年〉10月… 谷口 吉生(たにぐち よしお、1937年〈昭和12年〉10月17日 - 2024年〈令和6年〉12月16日)は、日本の建築家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。文化功労者。 父は建築家の谷口吉郎。洗練されたモダニズム建築を手掛け、「美術館建築の名手」と呼ばれた。自身の建築について多くを語らず、作品を見せることを優先する「作品主義」の一面があった。 丹下健三都市・建築研究所での勤務を経て、計画・設計工房を高宮眞介と開設し、谷口吉郎建築設計研究所所長、谷口建築設計研究所所長などを歴任した。資生堂アートハウスの設計で1984年 日本建築学会賞、土門拳記念館(1983年)の設計で1984年 吉田五十八賞、東京都葛西臨海水族園(1989年)の設計で1990年 毎日芸術賞を受賞するなど受賞多数。
尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日… 尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日本の建築家、建築学者、教育者、環境学者、都市環境工学者、都市科学者。工学博士。早稲田大学名誉教授。 富山県生まれ。早稲田大学で建築都市環境に関する教育と研究、また研究成果の実践につとめた人物。 1970年に、早稲田大学にて日本で初めての都市環境工学講座を建築学科に設けた。 2008年からは 財団法人建築保全センター理事長ほか。アジア都市環境学会会長。 大阪万国博覧会、国際科学技術博覧会など、日本国内で開催された博覧会会場環境設計ほか多数。また、新東京国際空港や多摩ニュータウン・センター地区などの基本設計なども手がけている。 2008年、都市環境工学の発展に対する貢献で、日本建築学会賞受賞。
相田 武文(あいだ たけふみ、1937年6月5日 - )は、… 相田 武文(あいだ たけふみ、1937年6月5日 - )は、日本の建築家。積み木の家シリーズで知られる。 芝浦工業大学教授を歴任。株式会社相田土居設計 創業者・顧問。工学博士。東京都生まれ。公益社団法人日本建築家協会(JIA)名誉会員。 1960年、早稲田大学卒業。1962年、早稲田大学大学院修士課程修了。1966年早稲田大学大学院博士課程修了。 1967年、相田武文都市建築研究所設立。1977年、芝浦工業大学教授就任 相田武文設計研究所に改称。2013年株式会社相田土居設計に改組(創業者・顧問)。2015年JIA名誉会員。さいたま市景観表彰選考会会長ほか要職多数。 芝浦工業大学の大学賞として、相田武文記念賞がある。
伊丹 潤(いたみ じゅん、1937年5月12日 - 2011… 伊丹 潤(いたみ じゅん、1937年5月12日 - 2011年6月26日)は、韓国の建築家、画家。在日韓国人2世で本名は庾東龍 (ユ・ドンヨン、유동용)。本貫は茂松庾氏。 伊丹潤の名は、生まれて初めて韓国行きの飛行機に乗った伊丹空港の「伊丹」と、親しく交流していた朝鮮出身の作詞・作曲家・歌手であった吉屋潤(よしやじゅん、またはキル・オギュン(길옥윤))の「潤」とを合わせて作ったものである。姓の漢字「庾(ユ)」が、常用漢字として認められていなかったためもあるという(人名用漢字の項も参照)。 東京都出身。1964年、武蔵工業大学工学部建築学科卒業。1968年に伊丹潤建築研究所設立。2007年から2008年まで、日本民藝館運営委員。
木島 安史(きじま やすふみ、1937年5月9日 - 199… 木島 安史(きじま やすふみ、1937年5月9日 - 1992年4月27日)は、日本の建築家。木島安史+YAS都市研究所 計画・環境建築で、多くの建築作品を残した人物。また、大学教授として人材育成にもあたった。朝鮮黄海道海州市生まれ。 1962年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。1962年からトロハ研究所。1966年 早稲田大学大学大学院修了。丹下健三都市建築設計研究所入所。1967年、エチオピアハイレシェラシェI世大学講師。1970年、相田武文とYAS都市研究所 計画・環境建築を設立。1971年、熊本大学に招かれる。1980年 熊本大学工学部教授。1991年 千葉大学工学部教授。熊本では両角光男、東京では橋本文隆と組んで活動した。
黒川 雅之(くろかわ まさゆき、1937年4月4日 - )は… 黒川 雅之(くろかわ まさゆき、1937年4月4日 - )は、愛知県名古屋市生まれの建築家・プロダクトデザイナー(金沢美術工芸大学博士)。日本建築学会会員。日本建築家協会会員。株式会社黒川雅之建築設計事務所主宰。株式会社デザイントープ主宰。
香山 壽夫(こうやま ひさお、1937年(昭和12年)3月1… 香山 壽夫(こうやま ひさお、1937年(昭和12年)3月1日 - )は、日本の建築学者・建築家。学位は、工学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。有限会社香山壽夫建築研究所所長。1996年日本建築学会賞、2000年公共建築賞、2002年日本建築学会作品選奨、2005年度日本芸術院賞受賞。 東京都生まれ。東京大学においては吉武泰水に師事、ペンシルベニア大学においてはルイス・I・カーンに師事した。専門は建築設計、建築意匠論、都市計画論。公共建築、教会建築、学校建築を多く設計している。大学キャンパスの設計においては、コミュニケーションに着目し、フォーマル・コミュニケーション、インフォーマル・コミュニケーション、フリー・コミュニケーションの3つのレベルの場を提供することが重要であると考え、実践した作品を設計している。
山下 和正(やました かずまさ、1937年2月10日 - )… 山下 和正(やました かずまさ、1937年2月10日 - )は、日本の建築家。工業デザインも手がけている。また、古地図のコレクターであり、岐阜県図書館には山下和正コレクションがある。
岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本… 岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家、政治家。息子の岩崎夏海は放送作家。 東京生まれ。父は岩崎書店創業者・岩崎徹太。兄は精神科医の岩崎徹也。慶応義塾高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築科へ入学。 大学卒業後、建築設計事務所を2年間経営した後、アフリカ・ガーナの国立科学技術大学専任講師、そしてハーバード大学デザイン大学院都市デザイン専攻留学。
八木澤 壯一(やぎさわ そういち、1937年 - )は、日本… 八木澤 壯一(やぎさわ そういち、1937年 - )は、日本の建築学者。東京電機大学名誉教授(2000年4月授与)。 1961年に東京都立大学工学部建築工学科を卒業する[要出典]。 東京電機大学教授を2000年3月まで務めた後に共立女子大学に転じた。 葬祭場・火葬場に関する研究・調査と、その建築計画・設計の実務にも携わり、多くの作品を手がけてきている。建築物に限らず、「葬送」に関する多くの著作を残してきており、広い意味での「葬送・葬祭・葬祭場・火葬・火葬場」に関する研究と実務を系統的に建築計画の一分野として確立した[要出典]。 祭典新聞の編集者であった山床節子と共に「葬送文化研究会」を設立したほか、NPO法人「街づくりと資産継承ネットワーク協議会」の理事長を務める。
菅原 道雄(すがわら みちお、1937年 - )は、日本の建… 菅原 道雄(すがわら みちお、1937年 - )は、日本の建築家。石本建築事務所元会長。日本建築家協会、日本建築学会のほか、ULIジャパン(Urban Land Institute)米国建築家協会AIA所属。カルフォルニア大学日本支部理事。社団法人日本外国特派員協会会員。財団法人国際文化会館会員。東京都生まれ。
吉田 イサム(よしだ いさむ、1937年 - 2009年12… 吉田 イサム(よしだ いさむ、1937年 - 2009年12月19日)は、日本の建築家・カンツォーネ歌手。建築家吉田イサムとアーク・ハイを主宰し、建築作品を残す。東北ハウジングアカデミー副学院長のほか、宮城県建築士事務所協会副会長、仙台市景観条例検討委員会委員などを歴任。愛媛県西条市生まれ。 京都工芸繊維大学工芸学部建築工芸学科を卒業。1974年 吉田イサム事務所開設。のち名称変更。 中新田町文化会館(バッハホール)で、日本建築学会東北支部東北建築賞作品賞部門受賞。そのほか社団法人日本建築士事務所協会連合会建築賞受賞。 おもな作品に、すずき脳神経外科クリニック、ギャラリー杜の音、仙台市片平市民センター 、奥遠刈田温泉竹泉荘、八木山佳養亭、富谷松寿庵 など多数。
北澤 興一(きたざわ こういち、1937年(昭和12年) -… 北澤 興一(きたざわ こういち、1937年(昭和12年) -2024年(令和6年))は、日本の建築家。長野県生まれ。 1955年(昭和30年)、長野県飯田長姫高等学校建築科卒。1960年(昭和35年)、工学院大学工学部建築学科卒。1961年(昭和36年)、工学院大学建築計画専攻課程修了(天野太郎研究室)。1961年(昭和36年) - 1971年(昭和46年)、レーモンド建築設計事務所に勤務、アントニン・レーモンドに師事。 軽井沢分室(アントニン・レーモンド新スタジオ)現在の所有者。 校舎建築に際しては、「児童が喜ぶ施設を造る」を心がけている。 2024年7月21日死去享年87歳 妻が宮城県河北町(現・石巻市)出身だった縁で、河北町内で16の建築物の建築・改修に携わった。
瀧 光夫(たき みつお、1936年11月19日 - 2016… 瀧 光夫(たき みつお、1936年11月19日 - 2016年12月8日 )は日本の建築家。広島県尾道市出身。1961年に京都大学大学院修士課程修了、1963年にコロンビア大学大学院を修了。国際万国博覧会・EXPO’70のワーキングスタッフを経て、1972年に東京にて瀧光夫建築・都市設計事務所を設立。1993年から2009年までは福山大学工学部建築学科教授を務めた。1998年に千里山第1噴水再整備計画に携わり、2005年からは阪急千里山駅周辺再開発計画に吹田市のアドバイザーとして携わった。 植物園や園芸建築など自然と人工物の造形を活かした建築設計で知られ、建築業協会賞や日本建築学会賞、公共建築賞などを受賞した。
長島 孝一(ながしま こういち、1936年(昭和11年)10… 長島 孝一(ながしま こういち、1936年(昭和11年)10月31日 - 2022年(令和4年)7月24日)は、日本の建築家・都市計画家アーバンデザイナー。エーユーアール建築・都市・研究コンサルタントを主宰。 祖父は衆議院議員(立憲政友会)、弁護士、法学博士の長島鷲太郎。息子は逗子海岸映画祭やCINEMA AMIGOを主催する長島源。
原 広司(はら ひろし、1936年9月9日 - )は、日本の… 原 広司(はら ひろし、1936年9月9日 - )は、日本の建築家。東京大学名誉教授。
阿部 勤(あべ つとむ、1936年7月7日 - 2023年1… 阿部 勤(あべ つとむ、1936年7月7日 - 2023年1月10日)は、日本の建築家。日本大学芸術学部非常勤講師。 1960年 早稲田大学理工学部建築学科卒業後、坂倉準三建築研究所勤務。その間にタイにて、農業工業学校25校の設計管理でタイ国中を歩き廻り東南アジアや南の島の風土がすっかり好きになる。1975年にアルテック設立。1995年から屋久島に手造りで小屋を建て始め、現在まだ完成していない。時々行って少しずつ造ることを楽しんでいる。 2004年 「私の家」第5回日本建築家協会25年賞受賞。 2008年「賀川豊彦記念松澤資料館」第8回日本建築家協会25年賞受賞。 2011年「スタンレー電気技術研究所本棟」第11回日本建築家協会25年賞受賞。
小沢 明(おざわ あきら、1936年3月27日 - )は、日… 小沢 明(おざわ あきら、1936年3月27日 - )は、日本の建築家、東北芸術工科大学第三代学長で、同大学名誉教授。 建築家が大学の教育現場で建築デザインを教えることは、最早めずらしいことではない。その意味で小沢は、みずからプロフェッサー・アーキテクトであることを任じ、実作の世界と教育の世界の二元的な立場から、「建築家による建築家教育」の重要性を説く。学長時代には、これからの芸術デザイン教育のありかたとして、表現の教育ではなく「表現者の教育」が重要であるとして、作家・デザイナーとして活躍する同大現役教員48名による「私の語るアートとデザイン」の著書を発行した。 建築家としての小沢の作品は、新建築、住宅特集に掲載されるほか、近年の代表作として城下町鶴岡(山形県)につくられた「鶴岡アートフォーラム」がある。
宮脇 檀(みやわき まゆみ、1936年2月16日 - 199… 宮脇 檀(みやわき まゆみ、1936年2月16日 - 1998年10月21日)は、建築家、エッセイスト。男性。 洋画家宮脇晴とアップリケ作家の宮脇綾子の子として愛知県名古屋市で生まれた。1954年東京芸術大学入学、担当教授は岡田捷五郎、吉田五十八、吉村順三。病気のため1年休学ののち1959年卒業。東京大学大学院に入学、芸大時代から都市計画に興味を持ち、東京大学では高山英華研究室に所属。在学中、石津謙介の依頼で帝人メンズショップの設計を行い、その設計料で車を買って2か月かけて日本一周。全国の集落を見て、その美しさに感激する。その経験がのちのデザインサーベイ、住宅地の全体計画の仕事につながってゆく。
高木 滋生(たかぎ しげお、1936年2月2日 - 2013… 高木 滋生(たかぎ しげお、1936年2月2日 - 2013年12月18日)は日本の建築家、建築デザイナー。 高校時代、美術教師の大村政夫(日展参与)が高校生のために開放した自宅のアトリエに通い、デッサンを繰り返した。同じ志を持つ静高生ら十人ほどが集まっていた。三年間で制作したデッサンなどは約200点。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業1959年、東京藝術大学建築科卒業。1962年〜1984年、女子美術大学非常勤講師を務めた。1963年、高木滋生建築設計事務所開設。東海大学短期大学部、静岡大学でも非常勤講師を務めた。1975年、地域開発センター設立、理事長。静岡県を拠点とし地域に根ざした設計を心がけ、50年間で約500軒を設計した。
山口 甚郎(やまぐち じんろう、1936年〈昭和11年〉1月… 山口 甚郎(やまぐち じんろう、1936年〈昭和11年〉1月13日 - )は、日本の建設技官。関東地方建設局長、国土地理院長を務めた。 1959年京都大学工学部土木工学科卒業、同年建設省入省。1988年12月関東地方建設局長、1990年4月国土地理院長。2003年度から2004年度までダム工学会会長を務めた。
村尾 成文(むらお なりふみ、1936年 -2015年 )は… 村尾 成文(むらお なりふみ、1936年 -2015年 )は、日本の建築家。日本設計創立メンバー。 1960年、東京大学工学部建築学科卒業。山下寿郎設計事務所(現・山下設計)から、1967年日本設計事務所(現・日本設計)の設立に参加。1997年副会長に就任。その後2001年特別顧問。1998年日本建築家協会会長に就任したのほか、国際観光施設協会会長、日本建築学会理事、建設省(現国土交通省)中央建築士審査会委員なども歴任した。代表作として、京王プラザホテル、名古屋観光ホテル、新宿三井ビルディング、日産自動車本社・新橋演舞場、富山県工業技術センター、アクロス福岡などがある。 建築業協会賞、日本建築学会作品賞、公共建築賞、JIA環境建築賞
山本 浩三(やまもと こうぞう、1936年 - )は日本の建… 山本 浩三(やまもと こうぞう、1936年 - )は日本の建築家。 鳥取県生まれ。1960年に東京大学工学部建築学科卒業。東京大学大学院数物系研究科に進学し、丹下健三研究室在籍。1962年に修士課程修了。丹下健三設計事務所URTECに入る。1988年取締役、パリ事務所所長、副社長を経てURTECを退職。 その間、20数カ国の海外プロジェクトに携わる。 1988年に山本浩三都市建築研究所設立。1990年から1994年まで、因幡万葉歴史館を設計。1990から1993年まで、オーチャード通りコマーシャルセンター(シンガポール)を設計。1992から1995年まで、わらべ館を設計。1993から1998年まで、ソフィテル・ウェストレイク国際ホテル(ハノイ)設計。
大河原 淳一郎(おおかわら じゅんいちろう、1936年 - … 大河原 淳一郎(おおかわら じゅんいちろう、1936年 - )は、日本の建築家。 1959年、日本大学旧工学部建築学科卒業。卒業後、冨士工に入社し、旭化成を経て、1966年に大河原建築設計事務所を設立した。
山本 長水(やまもと ひさみ 、1936年 - )は、日本の… 山本 長水(やまもと ひさみ 、1936年 - )は、日本の建築家。四国を中心に活動する。 1959年、日本大学旧工学部(現・理工学部)建築学科卒業。同年、市浦建築設計事務所に勤務。1964年に故郷高知に戻り、猪野工務店勤務をへて、1966年、山本長水建築設計事務所設立。 高知女子大学、高知大学で非常勤講師を歴任後、2001年から高知工科大学客員教授。 かたつむり山荘(高知県長岡郡大豊町、1969年)2002年第4回日本建築家協会25年賞(住宅部門) 高知県立美術館(高知県高知市、1993年) 高知県立中芸高校格技場(高知県安芸郡田野町、1994年)1999年日本建築学会賞、第22回JIA25年賞 相愛本社(高知県高知市、1996年)1998年日本建築学会作品選奨 県営住宅十市団地木造棟3階建て(高知県高知市、1996年) 稱名寺本堂(高知県高知市、2001年)2004年日本建築学会作品選集 母の家(高知県高知市、2008年)
山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出… 山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出典] - 2016年2月29日)は、日本の建築家。山崎泰孝+AZ環境計画研究所を主宰し代表を務めた。 兵庫県芦屋市生まれ。京都府立鴨沂高等学校を経て、1960年早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1960年〜1970年坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)。1973年、株式会社アズ・インスティチュート(AZ Institute AZ環境計画研究所)設立。1976年福井工業大学教授( - 1996年)、1997年近畿大学文芸学部芸術学科教授( - 2003年)(近畿大学日本文化研究所)[要出典]。 1977年「善光寺別院願王寺」で。昭和51年度 日本建築学会賞(作品)。
鈴木 恂(すずき まこと、1935年4月28日 - )は、日… 鈴木 恂(すずき まこと、1935年4月28日 - )は、日本の建築家。AMSアトリエ主宰。早稲田大学名誉教授。 北海道生まれ。1959年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1962年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。早大で吉阪隆正に師事。U研究室を経て、1964年に鈴木恂建築研究所設立。1980年から2006年まで早稲田大学教授。2001年から2004年まで早稲田大学芸術学校校長を歴任。 代表作に、恵比寿 STUDIO EBIS、GAギャラリー、GOH7611、龍谷寺妙光堂、雲洞庵仏舎利堂、千駄ヶ谷 マニン・ビル、早稲田大学理工学総合研究センター・研究棟(55号館)、桂離宮図、二川幸夫邸、宍戸錠邸 JOH(焼失)、KAH、高輪に建つ住宅 NAH。