柏木 邦良(かしわぎ くによし、1936年 - )は、日本の… 柏木 邦良(かしわぎ くによし、1936年 - )は、日本の法学者・弁護士(長野弁護士会所属)。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1974年)。北海学園大学助教授(1970年から2年間)・大東文化大学教授(2004年から2年間)を歴任。小山昇門下。 東京都出身。専門分野は民事訴訟法であり、北海道大学で小山昇、エアランゲン大学でカール・ハインツ・シュヴァープにそれぞれ師事する。 判事補、弁護士としての実務経験を踏まえつつ、法実証主義を積極的に実践する立場から、従来の学説判例に対して批判を加え、既判力制度を中心とする新しい民事訴訟法体系を提唱し、多種多様な問題につき今後判例が進むべき方向を提示した。
奧野 善彦(おくの よしひこ、1936年 - )は、日本の弁… 奧野 善彦(おくの よしひこ、1936年 - )は、日本の弁護士、北里大学名誉教授、奥野総合法律事務所所長、事業再生のエキスパート。パートナー弁護士、会社整理、破産、和議、会社更生事件を担当。秋篠宮文仁親王が名誉総裁を勤められる世界自然保護基金日本支部幹事を歴任。 1936年東京都生まれ、神奈川県平塚市で育つ。学校法人石川高等学校卒、中央大学卒業後、シェル石油に勤務しながら、司法試験に挑戦し1963年、5回目の挑戦で合格する。この際前年に論文試験に合格していたので免除される権利を有していたが、一からすべて受け直している。司法試験合格後弁護士となり、父親が創設した奥野法律事務所に勤務する。1986年には住友銀行に吸収合併された平和相互銀行の代理人を務めている。
中島 通子(なかじま みちこ、1935年9月9日 - 200… 中島 通子(なかじま みちこ、1935年9月9日 - 2007年7月29日(日本時間30日)) は、日本の弁護士。 東京出身。東京大学文学部、同法学部卒、1967年弁護士登録。中島通子法律事務所所長。日本弁護士連合会女性の権利に関する委員会委員長。女性労働問題が専門。日産自動車の男女差別定年制裁判などを担当し、男女雇用機会均等法制定にも貢献した。2007年、ハワイのハナウマ湾でシュノーケリングをしていた際に水難事故により死去。
高木 新二郎(たかぎ しんじろう、1935年 9月6日- 2… 高木 新二郎(たかぎ しんじろう、1935年 9月6日- 2018年8月19日 )は、日本の弁護士。フロンティア・マネジメント株式会社特別顧問、霞が関国際法律事務所客員弁護士、凸版印刷株式会社顧問、ゴードン・ブラザーズ・ジャパン株式会社特別顧問、事業再生実務家協会創設者・顧問。博士(法学)。元裁判官。 事業再生と倒産再建の法と実務の第一人者として知られる。夜間高校を経て中央大学を卒業し、1963年に弁護士になった。25年半弁護士業務に従事した後、弁護士任官第1号として1988年に裁判官に任官した。第二次世界大戦後、占領軍の示唆等により弁護士が高裁長官や検事長などの高官として任官したことがあったが、現場の裁判官として弁護士から任官したのは初であった。
博田 東平(はかた とうへい、1935年〈昭和10年〉8月2… 博田 東平(はかた とうへい、1935年〈昭和10年〉8月28日 - 2014年〈平成26年〉5月29日)は、日本の弁護士。検察官。政治家。広島県尾道市長(4期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 広島県尾道市生まれ。1959年、中央大学法学部卒。同年、司法試験に合格。神戸、高知の両地検検事を経て、1965年、弁護士登録する。尾道市公平委員会委員長、同教育委員を務めた。 1979年4月22日に実施された尾道市長選挙に社会党、共産党推薦の無所属で立候補して、前広島県議と前尾道市議会議長の新人2人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 4月22日に市長に就任した。
福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本… 福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本の元外交官、元最高裁判所判事、弁護士(西村あさひ法律事務所)。
鈴木 喜久子(すずき きくこ、1935年8月2日 - )は、… 鈴木 喜久子(すずき きくこ、1935年8月2日 - )は、九段法律事務所所属の日本の弁護士(登録番号:18585)。元日本社会党衆議院議員(1期)。東京都出身。
中村 洋二郎(なかむら ようじろう、1935年6月6日 - … 中村 洋二郎(なかむら ようじろう、1935年6月6日 - 2025年3月8日)は、日本の弁護士。新潟県弁護士会所属。1981年度新潟県弁護士会長、1987年度日本弁護士会連合会副会長を務めた。新潟県新潟市出身。
山崎 源三(やまざき げんぞう、1935年3月13日 - )… 山崎 源三(やまざき げんぞう、1935年3月13日 - )は、日本の弁護士、オンブズマン。第一東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、三鷹市総合オンブズマン等を務めた。 1957年中央大学法学部法律学科卒業。1964年弁護士登録。1966年山崎源三法律事務所設立。1996年第一東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。1998年日本弁護士連合会弁護士推薦委員会委員長。2000年三鷹市総合オンブズマン。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
岡田 義明(おかだ よしあき、1935年(昭和10年)2月2… 岡田 義明(おかだ よしあき、1935年(昭和10年)2月21日-1989年(平成1年)8月16日)は日本の弁護士。金沢弁護士会会長、日本調停協会連合会理事を歴任する。 1935年(昭和10年)2月21日、石川県羽咋市に生まれる。 1957年(昭和32年)に法政大学法学部を卒業し、1959年(昭和34年)に法政大学大学院法学研究科を修了する。 1989年(平成1年)8月16日、呼吸不全により死去、54歳。 『現代物故者事典』(日外アソシエーツ、1993) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
雨宮 眞也(あめみや まさや、1935年1月7日 - 202… 雨宮 眞也(あめみや まさや、1935年1月7日 - 2022年3月18日)は、日本の弁護士、法学者。駒澤大学名誉教授。同大学学長、中国遼寧大学名誉教授など歴任。 山梨市出身。1953年、山梨県立日川高等学校卒業。同年山梨中央銀行入行。1956年 中央大学法学部法律学科に入学。在学中の1959年に司法試験合格。1960年、中央大学卒業。1962年、弁護士登録(東京弁護士会14期)。 1969年、駒澤大学法学部講師。助教授を経て1974年、法学部教授に就任。 1983年、日本比較法研究所客員研究員。駒澤大学法学部長、1994より副学長。 1998年~2002年、駒澤大学学長。2001年から2009年まで日本ディスクロージャー研究学会会長。
大塚 錥子(おおつか いくこ、1935年〈昭和10年〉 - … 大塚 錥子(おおつか いくこ、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の弁護士。愛知県初の女性弁護士とされる。 名古屋大学法学部出身。朝日大学法学部・大学院法学研究科名誉教授。夫は刑法学者の大塚仁(名古屋大学名誉教授)であり、息子は民法学者の大塚直(早稲田大学大学院教授)。 1935年(昭和10年)、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)に生まれた。父親は裁判官である。刈谷市立刈谷南中学校卒業後に愛知県立刈谷高等学校に進学し、高校時代には陸上部に所属していた。名古屋大学では山岳部に所属していた。 大学在学中の1956年(昭和31年)、21歳で司法試験に合格した。1957年(昭和32年)に名古屋大学法学部法律学科を卒業。
塩崎 勤(しおざき つとむ、1935年(昭和10年) - )… 塩崎 勤(しおざき つとむ、1935年(昭和10年) - )は、日本の元裁判官、弁護士(第一東京弁護士会、平沼髙明法律事務所)。元東京高等裁判所判事(部総括)。法政大学大学院法務研究科教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
平井 一雄(ひらい かずお、1935年 - )は、日本の法学… 平井 一雄(ひらい かずお、1935年 - )は、日本の法学者・弁護士。民法学者。獨協大学名誉教授。東京出身。
北川 弘治(きたがわ ひろはる、1934年12月27日- )… 北川 弘治(きたがわ ひろはる、1934年12月27日- )は、日本の弁護士、元裁判官。最高裁判所判事を務めた。愛知県出身。2006年4月旭日大綬章受章。 関西水俣病訴訟において、「国と熊本県はチッソを原因企業と認識できたのに排水規制せず、被害を拡大させたことは著しく不合理であり、違法である」とし、実質原告勝訴の判決を下したことで知られている。足利事件の冤罪判決を下した最高裁判事5名のうちの1人。 名古屋大学法学部卒業後は1957年(昭和32年)4月に第11期司法修習生、1959年(昭和34年)4月8日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。 2000年(平成12年)2月4日、千葉・高知連続強盗殺人事件で第一審・控訴審で死刑判決を受けた被告人Kの上告を棄却する決定を出したため、被告人Kに対する死刑判決が確定した。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )… 棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )は、日本の弁護士。元通産官僚、第25代通商産業事務次官、石油資源開発社長、石油鉱業連盟会長。 岐阜県岐阜市生まれ。軍人であった父を3歳の時に亡くし、母と祖父母に育てられた。 岐阜県立岐阜北高等学校から東京大学法学部に入学。在学中は行政法・自治法が専門の田中二郎のゼミで学ぶ。ゼミの同期には片山虎之助(参議院議員、初代総務大臣)がいた。「広域行政の必要性」を説く田中からは自治省への入省を勧められ、片山も自治省でのキャリアを積む事となるが、棚橋は「日本はまだまだ経済発展が必要だ。出来るならば、産業政策を担う通産省に入りたい」と志した。 1958年、東大法学部を卒業し通商産業省入省。
守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 20… 守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 2018年11月1日)は、日本の元裁判官・弁護士・法学者。専攻は、刑事訴訟法・少年法。東北学院大学教授。元仙台高等裁判所秋田支部長。東北大学で鴨良弼に師事。菊田クリミノロジー賞受賞。
鬼追 明夫(きおい あきお、1934年8月5日 - 2020… 鬼追 明夫(きおい あきお、1934年8月5日 - 2020年6月1日)は、日本の弁護士。元日本弁護士連合会会長、弁護士法人なにわ共同法律事務所代表社員・弁護士。財団法人日本漢字能力検定協会の理事長を務めた。 趣味は読書、囲碁、ゴルフ。 奈良県立五條高等学校を経て、大阪市立大学法学部を卒業。 1958年4月、司法研修所入所(12期)。1960年4月、大阪弁護士会に弁護士登録。1962年4月、太田・鬼追共同法律事務所(のち「なにわ共同法律事務所」に名称変更)を開設。1973年、大阪弁護士会副会長、1990年同会長。1996年、日本弁護士連合会会長。中坊公平の後任として、1999年から2004年まで整理回収機構代表取締役。
佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は… 佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:9171)。元衆議院議員(5期)。 北海道旭川市出身。父・佐々木秀世は自由民主党・宏池会所属の衆議院議員であり、第1次田中角栄内閣の運輸大臣を務めた。 旭川市立日章国民学校、旭川市立常盤中学校卒。旭川西高校3年時にサッカー部の主将を務め、旭川市・上川支庁地区大会で優勝し全道大会出場。1957年早稲田大学法学部を卒業。1961年に26歳で司法試験に合格し、翌1962年に早稲田大学大学院を修了する。司法修習16期(同期に日野市朗)経て1964年、弁護士登録。1969年、青年法律家協会(青法協)議長となり、社会派弁護士として活躍する傍ら、石田和外最高裁判所長官による青法協会員裁判官の排除に抵抗する。
杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年〈昭和9年〉7月2… 杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年〈昭和9年〉7月26日 - )は、日本の政治家、弁護士。自由民主党所属の元衆議院議員(6期)。法務大臣(第76代)、内閣官房副長官(政務担当、第2次小泉内閣・第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)などを歴任した。 1990年2月の総選挙で大規模な買収を行い、岡崎市議会議員13人が逮捕され、同7人が書類送検された(杉浦事件)。17人もの市議を入れ替える補欠選挙を引き起こし、市政を混乱に陥れるが、自身の立件は免れ、2005年には法務大臣として初入閣した。2023年まで小池百合子都知事の政治団体「百乃会」の代表および会計責任者を務めた。 愛知県矢作町大字東本郷(現・岡崎市東本郷町字荒井前)に生まれる。
清永 利亮(きよなが としすけ、1934年6月30日 - 2… 清永 利亮(きよなが としすけ、1934年6月30日 - 2023年1月25日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所調査官や東京高等裁判所部総括判事等を歴任した。 九州大学法学部卒業後、1963年に裁判官任官。最高裁判所調査官や東京地方裁判所部総括判事、水戸家庭裁判所長を経て東京高等裁判所部総括判事。知的財産訴訟関連の仕事が多く、東京地裁や東京高裁では知的財産担当の部署に配属され、最高裁調査官時代には最高裁判例に採択されることとなる事件も取り扱った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日… 緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日 - )は、日本の元検察官、元法務官僚、元弁護士。元公安調査庁長官。東京都目黒区のハーベスト投資顧問株式会社代表取締役。 父は検察官・弁護士の緒方浩、兄は化学者で上智大学副学長・千歳科学技術大学学長の緒方直哉。 父・浩が当時、岡崎検事局に勤務していたため愛知県岡崎市で生まれた。父はその後、名古屋、金沢、東京と転勤し、昭和14年(1939年)、満洲国最高検察庁検事として満州に赴任することになった。昭和14年(1939年)11月初旬、一家5人が満州国へと到着した。緒方と兄は、父に命じられていたこともあり、幼い頃から剣道を習っていた。 終戦後約1ヵ月をかけて母、兄、姉そして緒方の家族4人は無事に日本まで引き揚げてきた。
三宅 弘人(みやけ ひろと、1934年5月16日 - )は、… 三宅 弘人(みやけ ひろと、1934年5月16日 - )は、日本の裁判官、法務官僚、弁護士。法務省司法法制調査部参事官や、東京高等裁判所部総括判事、東京家庭裁判所長等を歴任した。 1957年国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。1961年東京地方裁判所判事補。1963年からフルブライト・プログラムでアメリカ合衆国シカゴに留学し、1965年ノースウェスタン大学法科大学院修了、法学修士。1971年東京地方裁判所判事。1973年法務省司法法制調査部参事官。1975年最高裁判所事務総局民事局課長。1980年東京地方裁判所部総括判事。1984年最高裁判所司法研修所教官。1988年東京地方裁判所所長代行。1992年水戸地方裁判所長。
佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 200… 佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 2008年12月24日)は、日本の弁護士、法学者、評論家、秀明大学元教授。東京生まれ。旧姓斎藤。夫は政治学者の佐藤誠三郎、息子は評論家の佐藤健志。 父駒之助は郵政省に勤め、杉並郵便局長、鶴見郵便局長などを務めた。1948年母ツネ子が死去。欣子は、 東京地方検察庁、横浜地方検察庁を経て東京高等検察庁勤務。ハーバード大学研究員、国連アジア犯罪防止研修所次長、内閣総理大臣官房参事官、1981年退官し弁護士となる。
平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )… 平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )は、日本の弁護士、元日本弁護士連合会会長(2006年4月1日 - 2008年3月31日)。一般財団法人防災教育推進協会監事 2006年4月1日から日本弁護士連合会会長に就任した(任期2年)。会長選挙では、高山俊吉・久保利英明の両候補を破って当選している。 早稲田大学年金をめぐって、大学理事会に対して独立性が求められる大学監事でありながら、年金減額をめぐる裁判で一時、大学側代理人弁護士をつとめていたこと、また大学年金基金に関する監査責任はないと主張していることについて強い批判を受けている。(出所:早稲田大学の年金を知る会)
堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024… 堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024年11月24日)は、日本の検察官、弁護士、福祉事業家。さわやか法律事務所所長、第一東京弁護士会所属、公益財団法人さわやか福祉財団会長、全日本社会貢献団体機構名誉顧問。 法務省大臣官房人事課課長、甲府地方検察庁検事正、法務省官房長、さわやか福祉推進センター所長などを歴任した。 京都府出身の弁護士である。京都大学を卒業後、検察官として任官し、東京地方検察庁では特別捜査部の検事としてロッキード事件の捜査に従事した。その後、甲府地方検察庁の検事正や法務省の官房長などを歴任した。退官後は弁護士として活動するとともに、さわやか福祉推進センターを開設するなど福祉事業家として活動した。
抜山 映子(ぬきやま えいこ、1934年2月26日 - )は… 抜山 映子(ぬきやま えいこ、1934年2月26日 - )は、日本の政治家、弁護士。元参議院議員(1期)。兵庫県神戸市垂水区出身。神戸大学大学院法学研究科修士課程修了。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
亀山 継夫(かめやま つぎお、1934年2月26日 - )は… 亀山 継夫(かめやま つぎお、1934年2月26日 - )は、日本の法律家、検察官、弁護士。元最高裁判所裁判官。 1956年、東京大学法学部卒業。司法修習生。1958年、横浜地方裁判所・家庭裁判所判事補。 1960年、法務省司法法制調査部付検事。1967年、法務省刑事局付検事。 1970年、法務省刑事局参事官。1976年、法務省刑事局青少年課長。 1979年、東京地方検察庁公判部副部長。1980年、東京地方検察庁刑事部副部長。 1981年、法務大臣官房審議官(刑事局担当)。1984年、東京高等検察庁刑事部長。最高検察庁検事。 1986年、札幌地方検察庁検事正。1988年、前橋地方検察庁検事正。1989年、最高検察庁総務部長。
日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 200… 日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 2003年7月6日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 仙台弁護士会副会長、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第14代)、衆議院災害対策特別委員長、衆議院農林水産委員長、郵政大臣(第61代)、社会民主党副党首などを歴任した。 宮城県桃生郡河北町(現石巻市)生まれ。仙台第二高等学校を経て、1956年中央大学法学部法律学科卒業、同大学院修了。1961年に司法試験に合格し、司法修習第16期を修了(同期に佐々木秀典)。1964年、宮城県仙台市で弁護士事務所を開業。1973年には仙台弁護士会副会長に就任した。 父である日野吉夫の衆議院議員引退に伴い、成田知巳日本社会党委員長(当時)の勧めを受け、1976年の第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城県第2区から立候補し、初当選。
板倉 宏(いたくら ひろし、1934年(昭和9年)1月15日… 板倉 宏(いたくら ひろし、1934年(昭和9年)1月15日 - 2017年(平成29年)4月28日)は、日本の法学者・弁護士。専門は刑法。学位は、法学博士(東京大学)。日本大学名誉教授。長男の板倉宏昭は、経営学者で東京都公立大学法人東京都立産業技術大学院大学教授。 神奈川県立湘南高等学校(同級生に佐々木信也・西村正雄がいる)を経て、東京大学法学部卒業。同大学院社会科学研究科博士課程(民刑事法学専攻)修了。司法試験第2次試験合格。団藤重光に師事し、1961年(昭和36年)3月、東京大学から『租税刑法の基本問題』により博士号取得。 1970年に日本大学法学部教授に就任、これ以後は法学部法学研究所所長・司法研究所所長・法科大学院教授等を歴任して2009年に日本大学名誉教授。
深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は… 深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は最高裁判所判事、弁護士。日本弁護士連合会副会長、最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長、小田急電鉄監査役を歴任した。旭日大綬章を受章。学校法人中央大学元理事[要出典]。静岡県出身。 金のない依頼人の面倒を見ていた弁護士である父親を見て、自身も弁護士を目指す[要出典]。 1957年、中央大学法学部卒業。1961年、弁護士登録。 1993年、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2000年9月、最高裁判所判事に就任。2004年1月、定年退官、弁護士登録。同年6月小田急電鉄監査役。2005年11月、旭日大綬章を受章。 2014年5月、学校法人中央大学理事長に就任。
五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月… 五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月16日 - 2000年(平成12年)5月23日)は、日本の弁護士・官僚・法学者。北海道函館市出身。専門は教育法学。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 函館の中学校卒業後、函館地方検察庁に入庁。北海道函館中部高等学校定時制、中央大学法学部通信教育課程卒業。東京高等検察庁事務官に就任。間もなく司法試験に合格。1967年札幌で弁護士登録。1977年札幌弁護士会副会長。1983年札幌学院大学法学部客員教授( - 1989年)。1990年札幌弁護士会会長に就任。1991年北海道弁護士連合会理事長に就任。
古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 -… 古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 - )は、日本の法律家、政治家、弁護士。元参議院議員(1期)。 京都市で出生し、1956年中央大学法学部法律学科卒業。1960年26歳で司法試験合格し、司法修習15期を経て、1963年弁護士開業。 福井弁護士会副会長など経て、1989年第15回参議院議員通常選挙で(民主改革連合の前身)連合の会新人として定数1の福井県選挙区で初出馬初当選。1994年羽田内閣国土政務次官。1995年第17回参議院議員通常選挙で落選。 1996年旧民主党公認で第41回衆議院議員総選挙の福井1区に出馬、比例復活もならず落選。
山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )… 山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事。日本で初めてプライバシー権を認めた「宴のあと」事件第一審判決などに関わった。また、司法研修所教官として司法修習生や裁判官の教育に取り組んだ。退官後、目黒公証役場公証人、第二東京弁護士会所属の弁護士となったほか、大東文化大学法科大学院教授を務めた。
土肥 孝治(どひ たかはる、1933年〈昭和8年〉7月12日… 土肥 孝治(どひ たかはる、1933年〈昭和8年〉7月12日 - 2023年〈令和5年〉8月1日)は、日本の弁護士、元検事総長。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。俗にいう「赤レンガ組」に対して、吉永祐介同様に「(捜査)現場派」であった。 7代続く船場の老舗漆器店に生まれる。大阪第一師範男子部附属国民学校(現・大阪教育大学附属天王寺小学校)に入学。5年生の1944年(昭和19年)7月に大阪府から学童縁故疎開要項が発表されたため、母と9月に石川県金沢市へ縁故疎開した。 太平洋戦争終戦後、石川県立金沢第一中学校(旧制)2年生の時に大阪へ戻り、府立天王寺中学校に転入。在学中に学制改革と男女共学化という転換期を経験し、新制の高等学校となった大阪府立天王寺高等学校を卒業。
澤田 壽夫(さわだ としお、1933年6月29日 - 201… 澤田 壽夫(さわだ としお、1933年6月29日 - 2016年4月1日)は、日本の法学者・弁護士(1975年登録)。上智大学名誉教授。専門分野は、国境を越える販路開拓、技術協力、合弁、資源・素材開発などの国際契約とカウンセリング、国際紛争の処理(特に仲裁・調停)、国際取引一般。 昭和8年(1933年)6月29日、東京都に生まれる。昭和33年(1958年)3月、中央大学法学部法律学科卒業(法学士)。昭和33年(1958年)5月より米国カリフォルニア大学大学院留学(昭和34年(1959年)5月まで)。 昭和34年(1959年)6月より米国ニューヨーク市エコノメットリック研究所で、順次、調査員、研究員、上席研究員として、国際経済、国際取引法の研究にあたる(昭和36年(1961年)6月まで)。
松下 滿雄(まつした みつお、1933年6月19日 - )は… 松下 滿雄(まつした みつお、1933年6月19日 - )は、日本の法学者、弁護士。東京大学名誉教授、成蹊大学名誉教授、上智大学教授。専門は経済法。法学博士(東京大学、1968年)。独占禁止法の研究者として知られ、日米通商摩擦に関する紛争事例を分析する。父は第5代・6代・7代立教大学総長の松下正寿。東京府出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
竹内 重年(たけうち しげとし、1933年5月10日 - 2… 竹内 重年(たけうち しげとし、1933年5月10日 - 2021年6月23日)は、日本の法学者、弁護士。専門は憲法学、政党法。 1933年、岡山県岡山市に生まれる。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。東京大学社会科学研究所所員として憲法、行政法を専攻した。ドイツ公法研究のためハイデルベルク大学へ留学し、憲法学者ゲルハルト・ライプホルツ(de:Gerhard Leibholz)に師事した。 1962年、参議院法制局参事に就任。1968年に熊本大学講師に就任し、その後、助教授を経て教授に就任する。1995年、「ドイツ政党法の実証的研究」で北海道大学法学博士号を取得。1996年、明治大学教授に就任。
河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 20… 河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 2015年2月7日)は、日本の検察官・弁護士・法学者。 東京地検特捜部長、法務省矯正局長などを歴任し、最高検公判部長を最後に退官し、弁護士となった。駿河台大学名誉教授。位階は従三位。 検察官時代は刑法、刑事訴訟法に渡って多くの論文を執筆した。有名なものに、放火罪の既遂時期における新効用消失説がある。判例は、当該物が独立して燃焼に至った場合に既遂になるという独立燃焼説を採用しているが、これを現代の不燃性建造物の増加に対応できないと批判した上で、目的物の燃焼を必要とせず、火力によって効用を失うに至った場合に既遂になるとの説を提唱した。 テレビ番組は、日テレ系の番組に限って出演している。
西村 利郎(にしむら としろう、1933年4月10日 - 2… 西村 利郎(にしむら としろう、1933年4月10日 - 2006年10月21日)は、日本の弁護士である。渉外弁護士として知られ、設立した弁護士事務所は現在、四大法律事務所のひとつである西村あさひ法律事務所となっている。
吉原省三(よしはら しょうぞう、1933年3月29日 - 2… 吉原省三(よしはら しょうぞう、1933年3月29日 - 2018年10月13日)は、日本の弁護士。 兵庫県尼崎市出身。1955年司法試験合格。1956年東京大学法学部卒、三菱銀行入社。1965年弁護士・弁理士登録。吉原特許法律事務所を開設した。
坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2… 坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2020年7月15日)は、日本の弁護士。新潟水俣病第1次訴訟の弁護団幹事長。新潟水俣病第2次訴訟の弁護団長などを務めたことで知られる。日本弁護士連合会常務理事。 新潟県小千谷市生まれ。新潟県立小千谷高等学校、中央大学法学部卒業。1959年に弁護士を開業し、1963年に新潟市で坂東克彦法律事務所を開設した。 長年、新潟水俣病訴訟で中心的な役割を担い、1967年提訴の第1次訴訟に弁護団幹事長として参加。四大公害病で初めて原因企業を訴えた。1971年9月29日の新潟地裁判決で昭和電工の過失責任を認めさせ、原告を勝訴に導いた。1982年提訴の第2次訴訟で1995年まで弁護団長を務めた。
本田 洋司(ほんだ ようじ、1933年 - )は日本の元弁護… 本田 洋司(ほんだ ようじ、1933年 - )は日本の元弁護士。 長崎県出身。1951年、長崎県立長崎西高等学校卒業、4月より長崎家庭裁判所に勤める。1958年1月、東京地方裁判所書記官補。1960年、中央大学法学部卒業、同年9月より最高裁判所第一小法廷書記官。1969年、旧司法試験合格。1970年、書記官を退官。1972年3月、司法修習生を終え、4月に弁護士登録。荻野陽三法律事務所に勤め、1975年1月に独立、事務所を開く。同年、スモン裁判原告弁護団に加わる。 弁護士会では1991年民暴対策委員長、1993年第二東京弁護士会副会長、1994年日本弁護士連合会常務理事、2002年関東弁護士会連合会副理事長、2004年第二東京弁護士会常議員会議長を歴任。
吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護士。民法学者。東京学芸大学及び中央大学名誉教授。東京都出身。川村泰啓門下。 東京都立日比谷高等学校卒業。1958年中央大学法学部卒業。1963年同大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。同法学部助手。1967年松山商科大学経済学部専任講師。1971年東京学芸大学教育学部助教授。1979年同教育学部教授。1989年中央大学法学部教授。東京学芸大学名誉教授。2004年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第一東京弁護士会所属)。桐蔭横浜大学法科大学院客員教授( - 2007年)。 2007年 中央大学 法学博士 論文の題は「手付の研究」。
安倍 晴彦(あべ はるひこ、1933年 - )は、日本の裁判… 安倍 晴彦(あべ はるひこ、1933年 - )は、日本の裁判官、弁護士。 裁判官で司法研修所所長などを歴任した安倍恕(はかる)の次男として長崎に生まれる。伯父は安倍能成。 1952年、福岡県立修猷館高等学校卒業。浪人や休学を経て、1960年、東京大学法学部卒業。結核に冒され、旧制中学時代から大学入学直後の2年間の療養所生活を含め、通算15年間ほどの療養や休養を強いられた。このような経験から弱者の権利に目覚め、退院後はセツルメントで社会活動をおこなう。 1960年、第14期として司法研修所に入所、同時に青年法律家協会に入会。京都での実務修習中、差別問題への関心から部落問題研究所に入会、その後も裁判官退官後に至るまで夏期講座や研究者全国集会に毎年のように参加。
渡辺 脩(わたなべ おさむ、1933年 - )は、日本の弁護… 渡辺 脩(わたなべ おさむ、1933年 - )は、日本の弁護士(東京弁護士会所属)。 1933年生まれ。一橋大学社会学部卒。1961年に東京弁護士会に登録。横山昭二と同期。青梅事件・辰野事件・仁保事件の無罪判決を始め、長年数多くの刑事事件の弁護活動に従事する。日本弁護士連合会では、「刑法『改正』阻止実行委員会」事務局長・副委員長を務め、「弁護人抜き裁判」特例法案阻止対策本部で事務局次長、国家秘密等情報問題対策委員会委員長、日弁連刑事法制委員会副委員長などを歴任。 1995年より2004年2月の最終判決までオウム真理教麻原彰晃被告の国選弁護人として弁護団団長を務めた。最後の被告人質問で「弁護人はすべて、あなたを優れた宗教家であると認めているから質問している。
吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護士。民法学者。東京学芸大学及び中央大学名誉教授。東京都出身。川村泰啓門下。
越山 康(こしやま やすし、1932年12月20日 - 20… 越山 康(こしやま やすし、1932年12月20日 - 2009年11月27日)は、東京都出身の日本の法律家、弁護士。 東京都生まれ。成城学園高等学校、東京大学法学部卒業。 司法修習生時代の1962年、参議院選挙でのいわゆる「一票の格差」をめぐる訴訟を全国で初めて提起し、最高裁判所大法廷まで争うも敗訴した。その後も弁護士活動を通じて20件以上の提訴を起こした。1972年と1983年の衆議院選挙について、最高裁判所で違憲判決を得ている。 羽織・袴と口髭を生やして出廷する姿が、彼のトレードマークであったという。 2009年11月27日、中咽頭ガンのため76歳で死去。
半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2… 半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。