金杉 忠男(かなすぎ ただお、1940年12月25日 - 1… 金杉 忠男(かなすぎ ただお、1940年12月25日 - 1997年11月12日)は、日本の劇作家・演出家。東京葛飾区生まれ。 代表作は『胸騒ぎの放課後』、『花の寺』、『プールサイド』など。 1967年、演劇集団「その他の人々」を旗揚げ。1971年、劇団中村座に改名。地元である立石や四ツ木など、東京の下町をモチーフにした多くの戯曲を発表。1990年、中村座解散。その後金杉忠男アソシエーツを結成。1997年11月12日、癌のため死去。金杉忠男アソシエーツは解散となる。 彼の死後、交流のあった劇作家の平田オリザが金杉作品を構成しなおし、『上野動物園再々々襲撃』を劇団青年団で上演。第9回読売演劇大賞優秀作品賞を受賞している。
西牧 秀夫(にしまき ひでお、1940年7月25日 - )は… 西牧 秀夫(にしまき ひでお、1940年7月25日 - )は、日本のアニメーション監督、演出家。兵庫県尼崎市出身。京都市立芸術大学卒。 シバ・プロ、虫プロダクション、タツノコプロ、スタジオ古留美などに在籍。スタジオ古留美時代は椛島義夫とのコンビで上記の作品を多く担当した。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 20… 四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 2025年3月9日[要出典])は、福岡県福岡市生まれ、ドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。 早稲田大学第一文学部社会学科を卒業。講談社に勤務するが、友人の泉田昌慶が黒木和雄監督の助監督だったことから、岩波映画製作所の演出家たちを中心にした同人組織「青の会」に入会。 1965年に講談社を退社し、フリーの助監督として土本典昭に師事する。1969年に岩波映画で『カラーの眼』を初演出。 のち、「日本リクルートセンター」、小泉修吉の「グループ現代」などで、教育・環境・障害者などに関わる、多数の作品を演出。 また、1970年代初期には「ある日のヨーロッパ」(フジテレビ)などのテレビのミニ番組も制作。
出口 典雄(でぐち のりお、1940年5月2日 - 2020… 出口 典雄(でぐち のりお、1940年5月2日 - 2020年12月16日)は、日本の演出家。劇団シェイクスピア・シアター主宰、同劇団附属演劇研究所講師。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11… 唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2024年〈令和6年〉5月4日)は、日本の劇作家・演出家・俳優。本名:大靏 義英(おおつる よしひで)。位階は従四位、勲章は旭日中綬章。劇団「唐組」主宰、文化功労者。紅テントの「状況劇場」を結成。アングラ演劇の始祖。日本戦後演劇を再構築。 東京府東京市下谷区下谷万年町(現:東京都台東区)出身。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。作家としても活躍、『佐川君からの手紙』(1981年)で芥川賞を受賞。俳優として自作以外の映画やテレビドラマに出演することもある。他の演出家への戯曲提供も多い。2012年4月より明治大学客員教授に就任。戦後現代演劇は「唐以前、唐以後」と言っても過言ではない。
広渡 勲(ひろわたり いさお、1940年 - )は日本の演出… 広渡 勲(ひろわたり いさお、1940年 - )は日本の演出家、音楽プロデューサー。
二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年… 二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年〈昭和14年〉12月9日 - 2023年〈令和5年〉9月13日)は、日本の歌舞伎役者、俳優、演出家。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三つ猿。俳名に華果(かか)がある。紫派藤間流二代目家元としては二代目 藤間 紫(にだいめ ふじま むらさき)を名乗る。本名は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)。東京都出身。 「猿翁」は隠居名で、49年間にわたり名乗り続けた三代目 市川 猿之助(さんだいめ いちかわ えんのすけ)としても広く知られる。 文化功労者、従四位、旭日中綬章。子は九代目市川中車(香川照之)。 公称身長165cm・体重68kg・A型。千代田区立番町小学校、慶應義塾中等部・慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部国文学科を卒業。
東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同… 東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同じ、1939年12月5日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の元監督・元演出家。福島県喜多方市出身。 1966年、円谷プロ作品『ウルトラQ』にて助監督として関わり、キャリアをスタート。翌々年の1968年、同プロダクション制作作品である『戦え!マイティジャック』で監督デビュー。以降同プロダクションや東映制作の特撮テレビドラマを中心に活動を続けた。 特撮監督の佐川和夫とは大学の同期だったが、在学中は全く交流がなく、付き合いは円谷プロで仕事をするようになってからである。 大学卒業後にテアトルプロに入社。助監督として東宝や大映のテレビドラマに参加した。
岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982… 岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982年12月28日)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。
坂口 芳貞(さかぐち よしさだ、1939年10月2日 - 2… 坂口 芳貞(さかぐち よしさだ、1939年10月2日 - 2020年2月13日) は、日本の俳優、演出家、声優。文学座所属。 東京府(現東京都)出身。 学習院高等科、北海道大学文学部卒業。 大学1年生の5月ぐらいに一緒に進学した高校の同級生が演劇好きで演劇研究会に所属しており、「お前、体力があるからタタキ手伝ってくれよ」と言われ「うん、いいよ」と承諾した。その時に部室に先輩たちが何人かおり、「ちょっとこれ読んでくれよ」と言われたところ戯曲があった。「僕は役者とかで呼ばれて来たんじゃないんですよ。タタキ手伝いに来たんです」と説明したが「いいじゃないか、読んでみてよ」と言われ、書籍を読んでみたことで演劇を始める。
坂本 太郎(さかもと たろう、1939年9月20日 - )は… 坂本 太郎(さかもと たろう、1939年9月20日 - )は、特撮テレビドラマ作品の元監督・演出家である。岡山県出身。日本大学藝術学部卒業。 1964年、東映テレビプロで『廃虚の唇』より助監督として関わり、キャリアをスタート。以後は『特別機動捜査隊』・『プレイガール』・『人造人間キカイダー』・『非情のライセンス』・『がんばれ!!ロボコン』・『特捜最前線』など多くの東映大泉テレビ作品に助監督を担当し、伊賀山正光・田中秀夫・奥中惇夫・野田幸男・天野利彦・小西通雄・吉川一義らアクション、刑事ものを数多く撮った監督達に師事した。坂本は東映に入社後、演出部に配属されたことが演出家になったきっかけと述べている。
古川 清(ふるかわ きよし、1939年8月8日 - 2015… 古川 清(ふるかわ きよし、1939年8月8日 - 2015年4月20日)は、日本の演劇プロデューサー、演出家。北九州市ソレイユホール館長。 父は喜劇俳優の古川ロッパ、弟は俳優の古川ロック。 東京に生まれる。1962年、慶應義塾大学文学部美学美術史科卒業。 卒業と同時に、東宝演劇部へ。演出部を経て、1967年、現在の帝国劇場の開場よりプロデューサーを務める。東宝時代は『スカーレット』(1970年『風と共に去りぬ』のミュージカル化)、『シカゴ』(1985年、1986年)、『レ・ミゼラブル』(1987年日本初演)、『ミス・サイゴン』(1992年日本初演)などの製作を担当。師である菊田一夫の演出助手を主に務め、演出作品としてミュージカル『ピピン』、演出補として『屋根の上のヴァイオリン弾き』『佐渡島他吉の生涯』『マイ・フェア・レディ』など多数を手がけた。
青木 弘司(あおき こうじ、1939年7月2日 - 没年不明… 青木 弘司(あおき こうじ、1939年7月2日 - 没年不明)は、日本の演出家、アニメ脚本家。 神奈川県大和市生まれ。藤嶺学園藤沢高校卒、1963年3月、早稲田大学第一文学部国文科卒。大学時代は稲門シナリオ研究会に所属して卒業後に雑誌社勤務を経て、同年9月に東映テレビに契約助監督として入社、家城巳代治や野田幸男らに付いた。 テレビドラマの演出や企業PR、深見弘としてアニメシナリオ、教育映画も制作。日本映画監督協会会員。時期は不明だが同協会サイトでは物故者となっている。
鈴木 忠志(すずき ただし、1939年6月20日 - )は、… 鈴木 忠志(すずき ただし、1939年6月20日 - )は、日本の演出家。世界各地での上演活動や共同作業、俳優訓練法「スズキ・トレーニング・メソッド」で知られている。唐十郎、寺山修司らとともに、1960年代におこった新しい演劇運動の代表的な担い手の一人である。 静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。東京都立北園高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田大学在学中に、学生劇団「自由舞台」に参加。劇作家の別役実らと知り合い、本格的に演劇活動を開始した。 1966年 大学卒業後、鈴木を中心として、別役、斉藤郁子、蔦森皓祐らと劇団「早稲田小劇場」を結成、早稲田大学近くの喫茶店「モンシェリ」2階に劇団と同名の劇場をかまえ、活動を続けた(2015年、早稲田大学は鈴木忠志に名称使用の了解を得て、跡地に「早稲田小劇場どらま館」を再建した)。
山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2… 山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2010年9月12日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。東京都江東区出身。東京都立両国高等学校卒業、東京大学教育学部教育心理学科卒業。劇団黒テント所属。妻は女優の稲葉良子。 5人兄弟の長男。父親は自営業だが、太平洋戦争終戦を境に事業がうまくいかなくなって仕事・住居ともに転々としていた。大学では演劇研究会に所属。大学在学中より芝居の執筆を開始。大学卒業後は時事通信社に入社し、運動部記者としてアマチュアスポーツを3年間担当。1967年に「六月劇場」の結成参加のため時事通信社を退職。その後六月劇場を経て、1968年に黒テントの前身である「演劇センター68」に参加。
2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年… 2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年)4月16日 - )は、日本の女優、歌手、演出家、エッセイスト。本名、松野 好重(まつの よしえ)。
井下 靖央(いのした やすお、1939年3月11日 - 20… 井下 靖央(いのした やすお、1939年3月11日 - 2005年5月13日)は、TBSテレビ(旧TBSエンタテインメント)制作1部所属のテレビドラマの演出家。
中野 誠也(なかの せいや、1938年〈昭和13年〉9月16… 中野 誠也(なかの せいや、1938年〈昭和13年〉9月16日 - )は、日本の俳優、演出家。本名は同じ。 千葉県市川市出身。東京都立両国高等学校卒。早稲田大学第一文学部演劇科中退。劇団俳優座に所属。 劇団俳優座の第10期生でデビュー。初舞台は『黄色い波』。 1960年代、1970年代に、テレビドラマで二枚目として活躍。「新劇の二枚目俳優」と呼ばれる。主演ドラマは『竜馬がゆく』『次郎長三国志』など。「洋画劇場」や「NHK」の外国ドラマなどで声優も務めた。また、1970年代以降は刑事ドラマや時代劇の常連悪役として活躍している(ただし時代劇でも善人役を演じることがあるなど完全な悪役専門ではない)。 趣味はピアノ、アコーディオン、ハーモニカ。
大野 慶人(おおの よしと、1938年〈昭和13年〉7月15… 大野 慶人(おおの よしと、1938年〈昭和13年〉7月15日 - 2020年〈令和2年〉1月8日)は、舞踏家、演出家、ダンスセラピスト、教育者。大野一雄の次男。1986年以降、大野一雄の全作品を演出している。 ソロ作品「花と鳥」(2013年)はヨーロッパ(2014年)ブラジル(2015年)中国 (2016年2017年)を巡演。
津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は… 津野 海太郎(つの かいたろう、1938年4月6日 - )は、日本の演出家・編集者・評論家。元晶文社取締役、和光大学名誉教授。NPO法人共同保存図書館・多摩、顧問。 福岡県生まれで、川崎に育つ。本姓・鈴木。東京都新宿区立落合中学校から東京都立戸山高等学校を経て早稲田大学第一文学部国文科卒。 大学時代は「演劇研究会」に所属していた。在学中の1961年に、中学時代からの仲間の草間暉雄の劇団「独立劇場」に参加する。だが、草間は設立後に持病を悪化させて25歳で亡くなる。 大学卒業後の1962年に、アルバイト生活を経て、『新日本文学』編集部員に補欠で採用される編集者となる。その直前、新日本文学会を支配していた共産党との関係が崩れメディアも大きく報じた時代だった。
里吉 しげみ(さとよし しげみ、1938年2月18日 - 2… 里吉 しげみ(さとよし しげみ、1938年2月18日 - 2019年以前)は、日本の劇作家、演出家、作家、作詞家である。劇団未来劇場主宰。妻は、同劇団所属である水森亜土(1965年結婚)。立教大学社会学部卒業。本名は里吉重實。 吉武みどりが1958年に主宰として創立し、当初は推理劇専門劇団だった。里吉しげみは1959年に入団。2年後の春、喜劇「ネコが好き」を書き、演出し、喜劇に魅せられる。吉武のバックアップで以後6年間に渡り6本の作品の作・演出をするが、吉武から強引に劇団を押しつけられ、渋々引き継ぎ今日に至る。その時、現在の未来劇場のスタイルともなる、ミュージカル風・喜劇を目指すことを考え、作曲家の小林亜星の参加を得て、以後数十年間に渡り、自ら脚本を書き、演出してきた。
小沢 僥謳(おざわ きょう、1938年1月27日 - 199… 小沢 僥謳(おざわ きょう、1938年1月27日 - 1999年3月28日)は、日本の劇作家、演出家、翻訳家。本名:小沢 協(読みは同じ)。東京府芝区西久保明舟町(現・東京都港区虎ノ門)出身。暁星中学校・高等学校、パリ大学人文科卒業。父は俳優の小沢栄太郎。 俳優の小沢栄太郎とその最初の妻との長男として生まれ、16歳で母を自死で失う。中学・高校を暁星学園で過ごし、卒業後はパリ大学人文科に進学。同大学卒業後もフランスに滞在して映画助監督となり、帰国後に舞台の劇作家、演出家として活動した。第5回湯浅芳子賞受賞。ファッションブランド「VAN」が製作した『Take IVY』の映画版の監督も務めた。 1999年3月28日、閉塞性黄疸のため死去。
赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本… 赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本テレビ放送網のプロデューサー、演出家。日企代表取締役会長。 千葉県出身。父親が新聞記者だったこともあって、早くからマスコミ業界を志望していた。 慶應義塾高等学校では安部譲二と同級生だった。 1962年3月に慶應義塾大学文学部仏文科を卒業し、同年4月に日本テレビ放送網株式会社に入社。芸能局音楽部に配属された。 1974年に日本テレビを独立して、番組制作会社・日企を設立する。
こずかた 治(こずかた おさむ、1938年 - 2025年)… こずかた 治(こずかた おさむ、1938年 - 2025年)は、日本の小説家、コピーライター、演出家。岩手県出身。岩手県立大東高等学校、法政大学法学部卒業。作家としては経済小説を主に執筆する。
石塚 克彦(いしづか かつひこ、1937年8月4日 - 20… 石塚 克彦(いしづか かつひこ、1937年8月4日 - 2015年10月27日)は、日本の舞台演出家。本名同じ。画号は「烏山(うざん)」。武蔵野美術学校洋画科卒。日本劇作家協会会員。 古美術研究で奈良に遊学後、平城京発掘に参加。シナリオライター山形雄策に師事。劇団新制作座、統一劇場を経て、1983年、劇団ふるさときゃらばんを創立。脚本・演出・美術プランナーとして、第1作ミュージカル『親父と嫁さん』を上演、文化庁芸術祭賞を受賞。1987年、第3回日本舞台芸術家組合賞を受賞。 1991年、日米合作ミュージカルのメインライターとして「LABOR OF LOVE」を上演、日米両国ツアー、バルセロナオリンピック芸術祭に招聴される。
実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - … 実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - 2006年11月29日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家、小説家。元東京藝術大学演奏芸術センター教授。妻は女優の原知佐子。 現在までのところ、デビュー作(長編映画第1作)『無常』でFIAPF(国際映画製作者連盟)公認の国際映画祭(ロカルノ国際映画祭)の最高賞を獲得した、唯一の日本人監督である。海外では非常に多く見られる、映画監督から継続的なオペラ演出を手掛けた人物としても日本で唯一であった。[要検証 – ノート] 1937年(昭和12年)3月29日、東京府東京市四谷区(現・東京都新宿区四谷)に生まれ、中国青島で育つ。曽祖父は臼杵藩士であった。
柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は… 柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、演出家。
北村 三郎 (きたむら さぶろう、1937年 - ) は、沖… 北村 三郎 (きたむら さぶろう、1937年 - ) は、沖縄県北谷村出身の俳優・演出家。本名は高宮城 實(実)政 (たかみやぎ じっせい)。
清水 邦夫(しみず くにお、1936年〈昭和11年〉11月1… 清水 邦夫(しみず くにお、1936年〈昭和11年〉11月17日 - 2021年〈令和3年〉4月15日)は、日本の劇作家、演出家。演劇企画グループ「木冬社」代表。妻は女優の松本典子。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。新潟県立高田高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科卒業。 早稲田大学在学中に初戯曲『署名人』を発表し、注目を浴びる。1960年早稲田大学卒業後、岩波映画に入社するが1965年に退社。劇作家として劇団「青俳」などに戯曲を提供する。 東京・新宿のアートシアター新宿文化劇場を拠点に、演出家・蜷川幸雄とコンビを組み、一時代を画した。1968年に蜷川と現代人劇場を結成。1969年の『真情あふるる軽薄さ』(蜷川幸雄演出)が反響を呼び、蜷川らと結成した劇結社「櫻社」が解散する(1974年)まで、蜷川とコンビを組み、反体制的な若者を描いた作品で人気を集める。
小林 志郎(こばやし しろう、1936年8月 - )は、日本… 小林 志郎(こばやし しろう、1936年8月 - )は、日本の演劇研究者、演劇学者・演出家。東京学芸大学名誉教授・元副学長。有明教育芸術短期大学終身名誉学長。 高等教育におけるパーフォーミング・アーツ(演劇・舞踊・音楽)教育のフィロソフィの構築とその実際に尽力。 理論の中心は、日本の伝統芸術(能狂言と歌舞伎、日本舞踊、日本の伝統音楽)の基礎教育と西洋の芸術教育との融合におかれた。専門は演劇教育学、現代演出論。長野県下高井郡木島平村出身。「鬼島志郎」の筆名がある。
堀 長文(ほり ながふみ、1936年4月29日 - 2015… 堀 長文(ほり ながふみ、1936年4月29日 - 2015年11月7日)は、日本の元演出家・プロデューサー。元東映東京撮影所所属。香川県出身。早稲田大学卒業。企画会社堀屋ほり長の社長としてドキュメンタリー番組の制作に携わっていた。おいはファニメーション社長のゲン・フクナガ。 大学を卒業後、1961年に東映東京撮影所に入社。主に深作欣二に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わるが、監督としてはあまり作品にタッチできなかった。主な助監督作品に『刑事くん』『ジャイアントロボ』など。1971年放映『キイハンター』の一編にて監督デビュー。その後、『Gメン'75』で助監督兼監督を務めたり、大正製薬の『リポビタンD』のテレビコマーシャル演出などに携わるが、1983年よりプロデューサーの鈴木武幸からの招きで、スーパー戦隊シリーズの『科学戦隊ダイナマン』より特撮作品の演出を担当。
今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 … 今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 - )は、日本の演出家、プロデューサー、脚本家、実業家。文化功労者。 株式会社東京放送での勤務を経て、株式会社テレビマンユニオン取締役、武蔵野美術大学造形学部教授などを歴任した。 秋田県河辺郡仁井田村(のちの秋田市)出身。4歳から高校卒業まで北海道夕張市で育つ。今野の小学生時代は終戦直後の混乱期で、教育も大きな変遷の時を迎えていた。特にレコードを使用した国語の授業や、誰かが読んだ詩を皆んなでリフレインしたりする全く新しい形式による教育を自著、今野勉のテレビズム宣言においてこう回想している。『ア、人生っていうのは、相当自由にやって許されるんだなっていうのが突然わかった。
斎藤 博(さいとう ひろし、1936年3月17日 - 201… 斎藤 博(さいとう ひろし、1936年3月17日 - 2015年6月26日)は、日本のアニメーション監督、脚本家、演出家。京都市立紫野高等学校卒業。 中国(当時は満洲国)の日本租借地であった関東州大連市生まれ。太平洋戦争終戦後の1946年に日本へ引き揚げ、京都府に住む。 20代前半、油絵の勉強に専念し画家をめざすが、結婚後の1960年、漫画家の横山隆一 主宰するおとぎプロへ入社し、1961年放送開始のテレビアニメ『インスタント・ヒストリー』や劇場作品の作画を数本担当する。 1963年『鉄腕アトム』の放映が開始されると、おとぎプロの先輩アニメーターで1961年に設立された虫プロダクションの創設メンバー山本暎一の紹介で虫プロダクションへ入社。
渡壁 煇(わたかべ あきら、1936年 - )は、日本の音楽… 渡壁 煇(わたかべ あきら、1936年 - )は、日本の音楽監督・演出家。 1936年、東京で生まれる。 1955年に広島大学附属福山高等学校、1960年に東京芸術大学音楽学部器楽科(クラリネット)を卒業し、1961年に日本放送協会入局。『夢であいましょう』、『音楽の広場』など音楽番組やバラエティショーの制作・演出に携わる。 1987年に日本放送協会を依願退職し、翌1988年にサントリー株式会社サントリーホールにエグゼクティヴ・プロデューサ兼副支配人として入社。以後、サントリーホール総支配人、館長補佐、制作監督を経て、1997年に横浜みなとみらいホール館長に着任。2003年には横浜みなとみらいホール名誉館長に就任した。
石橋 冠(いしばし かん、1936年 - )は、日本の演出家… 石橋 冠(いしばし かん、1936年 - )は、日本の演出家。山田太一、倉本聡らの脚本家と組み、多くの作品を手掛けた。日本テレビのディレクターを経て、現在はフリー。
小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - … 小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - 2020年12月13日) は、日本の映画監督・演出家・脚本家。 父は鳥取県倉吉市2代目市長の小谷善高。 東京府東京市杉並区出身で、小学校2年生まで東京で育つ。公職追放になった父の故郷・鳥取県東伯郡西郷村の村長の後釜を引き受けたため、1944年3月末、当地に引っ越す。県立倉吉東高校卒業まで鳥取で過ごし、東京に戻りたくて、一浪後東京大学文学部フランス文学科入学を機に東京へ戻る。同時期に大江健三郎・久世光彦が在学していた。この2人は東大在学中から目立つ存在で、次第に落ちこぼれて映画に方向転換した。 大学卒業後、1960年に、暮しの手帖社と東宝の入社試験を受け、東宝に入社。
蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2… 蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。
渡辺 浩子(わたなべ ひろこ、1935年9月25日 - 19… 渡辺 浩子(わたなべ ひろこ、1935年9月25日 - 1998年6月12日)は、演出家。父は、作曲家の渡辺浦人、兄は作曲家で音楽家の渡辺岳夫で、アニメ、テレビドラマ、時代劇映画などの主題歌などを手掛けていた。 早稲田大学の学生劇団自由舞台で演出をはじめ、卒業後の1959年、劇団民藝に入団。 1961年から1963年まで渡仏しソルボンヌ大学に留学、「ルノー=バロー劇団」で研修する。 帰国後の1965年に「ゴドーを待ちながら」で戦後初の女性舞台演出家デビューする。その後も、アーノルド・ウェスカー、フェデリコ・ガルシーア・ロルカなどの翻訳劇から、秋元松代の「七人みさき」などの創作ものまで幅広い戯曲を手掛け、日本の新劇界を代表する演出家として活躍した。
小林 守夫(こばやし もりお、1935年9月2日 ー )は日… 小林 守夫(こばやし もりお、1935年9月2日 ー )は日本の音響監督、演出家である。 東京向島生まれ。歌舞伎を見たことがきっかけで芝居に興味を持ち、日本大学芸術学部を卒業。 1960年4月に東北社(現在の東北新社)へ入社。入社当初は小林曰く「翻訳者の集団」だったが、しばらくして海外作品の吹替版の制作をすることになり、1961年に連続ドラマ『ハイウェイ・パトロール』の演出を担当。これが演出デビュー作となる。以後、数々の洋画吹替の演出を担当(アニメーションの音響監督も担当している。)。 吹替の創生期から活躍する大ベテランであり、同じ演出家で小林の助手を務めた経験のある小山悟は「大作をたくさん手掛けていた」と語っている。
堀越 善明(ほりこし よしあき、1935年7月27日 - )… 堀越 善明(ほりこし よしあき、1935年7月27日 - )は、日本の映画監督、演劇の演出家である。本名大野 裕司(おおの ゆうじ)でも活動し、別名斎藤 功(さいとう いさお)、橘 明(たちばな あきら)でも作品を発表している。 1935年(昭和10年)7月27日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)4月、新制高校の東京都立駒場高等学校に進学し、1954年(昭和29年)3月の卒業後に小幡欽治の劇団炎座に入団、演出部に所属する。当時の同劇団には久保田猛、清水元、石崎一正、中庸助、草村礼子らがいた。1959年(昭和34年)、テレビ映画の製作会社で助監督の職を得る。
円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 199… 円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 1995年6月11日)は、円谷プロダクション第3代社長で第2代会長、演出家、プロデューサー、歌手、作詞家。別名に谷のぼる。 円谷英二の次男として生まれる。円谷一(演出家・円谷プロダクション第2代社長)は兄、円谷粲(英語版)(円谷映像社長)は弟、円谷一夫(円谷プロダクション第4代社長・同社第3代会長)は息子にあたる。 玉川学園卒。同社で特撮スタッフとして長年活躍した高野宏一とは小学校で同級生だった。脚本家の金城哲夫はこの玉川学園の後輩である。 1954年(昭和29年)、成城大学文芸学部入学。大学では演劇に熱中。石井伊吉(現毒蝮三太夫)は劇団仲間だった。
久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 200… 久世 光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)は、日本の演出家、小説家、実業家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「株式会社カノックス」創業者。テレビドラマ、小説ともに受賞多数。 歌謡曲作詞や脚本家としてのペンネームに市川 睦月(いちかわ むつき)、小谷 夏(こたに なつ)、林 紫乃(はやし しの)など。兄は元参院議員・金融再生委員長を務めた久世公堯。母方叔母に置塩壽。 当時の東京市杉並区阿佐谷生まれ。 父親は陸軍少将の久世弥三吉で転属により、小学校2年のとき北海道札幌市へ移り、終戦の年に両親の故郷・富山県富山市へ疎開し、その後高校卒業まで富山で育つ。富山市立西田地方小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業後、ラジオ東京(現・TBSHD)入社。
柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016… 柳井 満(やない みつる、1935年3月30日 - 2016年2月1日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。東京都出身。1958年、TBSに入社。1995年、TBSを定年退職後はドラマプロデューサーとしてTBSと専属契約を結んでいた。 東京都立大学附属高等学校、東京大学文学部社会学科を卒業後、1958年にラジオ東京入社。東大時代は日高六郎に師事していた。当時は民放テレビはまだ本放送を開始して間もないころであり、柳井も当初は新聞社入社を志していた。同じくドラマ演出家である鴨下信一、久世光彦は東大文学部・TBSの同期である。 入社当時は報道部への配属を希望していたが、ドラマ制作部に配属された。1980年代を代表するテレビプロデューサーであり、1980年代の世相を反映した「問題児」をテーマにした作品を多数制作した。
永野 靖忠(ながの やすただ、1935年3月29日 - 19… 永野 靖忠(ながの やすただ、1935年3月29日 - 1993年2月17日)は、日本の映画監督、テレビ演出家。北海道小樽市奥沢町出身。 1953年に東京都立江北高等学校、1959年に日本大学芸術学部映画学科を卒業。東映教育映画部を経て東映テレビ・プロダクションに所属し、助監督として関川秀雄に師事する。1963年にテレビ朝日系「特別機動捜査隊」第80話「帰らざる海」で監督としてデビュー。 プライベートでは、監督を務めたライオン奥様劇場「罪人形」に出演していた女優の松木路子と1972年頃に結婚。 1993年2月17日、肝臓がんで死去。 特記がない限り監督のみ担当。
武市 好古(たけいち よしふる、1935年3月20日 - 1… 武市 好古(たけいち よしふる、1935年3月20日 - 1992年8月6日)は、日本の評論家・演出家。日本文芸家協会、日本アカデミー賞協会、日本音楽執筆者協議会、各会員。 徳島県徳島市出身。明治大学を中退。1956年- 1961年の間、劇団四季演出部に在籍した。1969年に渡米して、ラスベガスでショービジネスの演出に従事する。1967年に帰国し、フリーの演出家としてステージの演出および記録映画の監督をつとめる。 また、映画評論、競馬評論、音楽評論、エッセイ、翻訳など大衆文化をテーマに幅広く文筆活動を行う。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鴨下 信一(かもした しんいち、1935年3月17日 - )… 鴨下 信一(かもした しんいち、1935年3月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー・演出家・TBSテレビ相談役。東京都出身。
岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 20… 岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 2020年5月31日)は、日本の俳優・演出家。東京都出身。國學院大學卒。趣味はスキー、水泳。 大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の子として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。伯父に医学者緒方知三郎、兄はジャーナリストの岡村昭彦。 北海道放送演劇養成所に学ぶ。北海道札幌南高等学校在学中に、加清純子や樫村幹夫らとともに文芸同人誌「青銅文学」を創刊。加清純子とは恋仲であった。札幌南高校を追い出されるようなかたちで退学となり、「青銅文学」は27号で終刊。
瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2… 瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2012年9月5日)は、日本の演出家、鍼灸師。劇団「発見の会」主宰。「ウリウ治療室」を開設し「快医学」を提唱。発見の会は「最初のアングラ劇団」と言われる。青年劇場の瓜生正美は兄。 1935年(昭和10年)、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。兄たちの影響で、小中学生のころより劇団や人形劇に携わる。15歳のとき父が死去。1951年、若松高校に入学、演劇部に入部。18歳のとき家が破産。 1954年、19歳で上京。黒雅舎で印刷工として働く。1956年、舞台芸術学院に入学。1958年、劇団「舞芸座」の演出部に所属(23歳)。演出家・土方与志に師事。
野田 幸男(のだ ゆきお、1935年2月2日 - 1997年… 野田 幸男(のだ ゆきお、1935年2月2日 - 1997年8月27日)は、日本の映画監督・演出家・脚本家。和歌山県御坊市出身。 代表作には『不良番長シリーズ』、『やくざ刑事シリーズ』、『0課の女 赤い手錠』、『激殺! 邪道拳』、『ゴルゴ13 九竜の首』など。 京都大学在学中に戸浦六宏の主催する劇団「風波」に参加。1958年(昭和33年)に大学卒業後、東映東京撮影所に助監督として入社し、石井輝男・佐伯清らに師事する。 1968年(昭和43年)3月、日本プロレスの記録映画である『プロレスWリーグ 血ぬられた王者』で監督デビュー。同年には梅宮辰夫主演の『不良番長』で映画の演出デビューも果たした。同作は大ヒットとなり、1972年(昭和47年)の『不良番長 骨までしゃぶれ』までシリーズ全16作が製作され、野田は11作を監督した。
倉本 聰(くらもと そう、1935年〈昭和10年〉1月1日 … 倉本 聰(くらもと そう、1935年〈昭和10年〉1月1日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。本名は、山谷 馨(やまや かおる)。東京都渋谷区出身。妻は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。父は俳人、日新書院取締役の山谷太郎。祖父は医学博士、日新医学社社長の山谷徳治郎。大伯父は衆議院議員の山谷虎三。 東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送を経てフリー。おもにテレビドラマの脚本家として活躍。東京から北海道へと居を移し、『前略おふくろ様』『北の国から』など多くのヒット作を生み出した。主宰した「富良野塾」にて26年間にわたり後進を指導。65歳で紫綬褒章、75歳で旭日小綬章を受章した。1977年(昭和52年)より富良野市に在住。