樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - 2022… 樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - 2022年11月24日)は、日本の文芸評論家。2005年に芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 祖父の樋口長衛は開成学園で斎藤茂吉と、東京帝国大学で岩波茂雄と同級生だった信州の教育者で長野県立長野中学校長を務めており、祖母の樋口志保子は島木赤彦門下のアララギ歌人。父の樋口寛は国文学者で、安曇野に疎開して以降長野在住だった斎藤史と交流があり、幼少期の覚は史に可愛がられていた。 長野県長野市出身。長野で過ごしていた頃はバロック音楽に心酔していた。長野県長野高等学校を経て、一橋大学社会学部卒業。大学時代には短歌に目覚め、斎藤史に歌を学んだ。株式会社医学書院編集部で編集者として活動するかたわら、歌人として活動を開始し、後に文芸評論の道に進む。
鏡 明(かがみ あきら、1948年1月2日 -)は、日本の小… 鏡 明(かがみ あきら、1948年1月2日 -)は、日本の小説家、SF作家、翻訳家、音楽・SF作品・漫画等文芸方面の評論家、広告ディレクター。電通顧問(元・執行役員)。 初期は岡田英明名義を使用した。 山形県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学第一文学部に進む。大学時代はワセダミステリクラブや、伝説的なSFファンの集まり「一の日会」に参加。またSF同人誌「宇宙気流」「SF倶楽部」などに関わる。 早稲田大学英文科を全優で卒業(指導教授には修士課程に進むことを切望される)後、電通に勤務。上司に小田桐昭、同僚に関三喜夫がいた。ジョージ・ルーカスを起用したパナソニックのCMなどで知られ、ACC賞、カンヌ国際広告賞、アジア太平洋広告祭をはじめとする国内外の広告賞を多数受賞。
勅使河原 純(てしがわら じゅん、1948年 - )は、日本… 勅使河原 純(てしがわら じゅん、1948年 - )は、日本の美術評論家、キュレーター。 岐阜県生まれ。東京都立西高等学校を経て、東北大学文学部美学美術史学科を卒業。民間企業、地方自治体、文化系財団などに勤務したのち、世田谷美術館事業部長。1995年『美術館からの逃走』で倫雅美術奨励賞受賞。油絵「風方」で第22回シェル美術佳作賞を受賞。生け花の勅使河原蒼風とは関係はない。
関根 正和(せきね まさかず、1948年 - )はアメリカロ… 関根 正和(せきね まさかず、1948年 - )はアメリカロサンゼルス在住の実業家・食文化評論家。米国帰化市民。SEKAI Electronics, Inc.創業者。ペンネームはミスター世界。 東京都出身。母は徳川宗家第十七代当主で元貴族院議長の徳川家正の三女徳川順子。 1970年慶應義塾大学工学部電気工学科卒業、1972年同大学大学院修士課程修了。1982年軍事民間警察用途の航空機車両等に搭載するビデオカメラやレコーダーのメーカー、SEKAI Electronics, Inc.を設立する。 1980年代から、ミスター世界のペンネームで世界の食文化評論家としてロサンゼルスの日本語テレビ、ラジオ、情報誌で活動。
七澤公典(ななさわ きみのり、1948年- )は、「与作」の… 七澤公典(ななさわ きみのり、1948年- )は、「与作」の作者、宗教家、評論家。 群馬県生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。ジャズギタリスト、ウエイター、セールスマン、サラリーマンなど幾多の職業を経験後、76年にジャズで売りだすため渡米するが失敗して帰国、「与作」を作詞・作曲してNHK「あなたのメロディー」に応募。78年、北島三郎の歌で売りだしヒットする。1983年、植松愛子、深見東州と出会い、師事する。ワールドメイトのスタッフとして多くの人々の相談にあたり、また、全国各地で講演会を開催したりなどの活動を行っている。別名・北山高望, 七沢耀, 七澤友一郎の名で著作を出している。
境野 米子(さかいの こめこ、1948年 - )は生活評論家… 境野 米子(さかいの こめこ、1948年 - )は生活評論家・薬剤師。群馬県前橋市出身。 1970年、千葉大学薬学部卒業。 東京都立衛生研究所にて、食品添加物や残留農薬などについて研究したのち、1977年、福島県に移住。有機農業運動に携わる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
天野 恵一(あまの やすかず、1948年 - )は、日本の思… 天野 恵一(あまの やすかず、1948年 - )は、日本の思想家・社会評論家。反戦活動家。 静岡県生まれ。1970年、中央大学法学部卒業。在学中は全共闘運動に参加。早稲田通りで古書店「寅書房」(2014年閉店)を営みながら、社会評論活動に従事。 70年代に土田・日石・ピース缶爆弾事件などの救援活動を担い、1984年に菅孝行らと反天皇制運動連絡会(略称:反天連)を結成。90年代から派兵チェック編集委員会などで反戦運動も担う。 以下はインパクト出版会刊 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
有川 治男(ありかわ はるお、1948年 - )は、日本の美… 有川 治男(ありかわ はるお、1948年 - )は、日本の美術史家・美術評論家。学習院大学文学部哲学科教授。専攻は芸術学、西洋美術史。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
芝山 幹郎(しばやま みきお、1948年 - )は、日本の翻… 芝山 幹郎(しばやま みきお、1948年 - )は、日本の翻訳家、随筆家、評論家、詩人。 石川県金沢市生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。詩集『晴天』(書肆山田、1972年)で詩壇に登場し、後に翻訳、評論の分野で精力的な活動を行う。 スポーツ、映画にも造詣が深く、1993年から2000年まで「キネマ旬報」に「オールモスト・クール」を、2000年から2009年1月まで日本経済新聞土曜版に「今週の1本」を連載したほか、「月刊メジャー・リーグ」「週刊サッカーマガジン」などにも随筆や評論を掲載している。
別宮 暖朗(べつみや だんろう、1948年 - )は、日本の… 別宮 暖朗(べつみや だんろう、1948年 - )は、日本の歴史評論家・軍事評論家。 以下はAmazon.comで公表している著者紹介に基づく。 東京大学経済学部卒業。西洋経済史専攻。その後、大手信託銀行(行名未詳)に入社し、マクロ経済などの調査・企画を担当した。現在、ロンドンにある証券企画調査会社(社名未詳)のパートナー。個人サイトで「兵頭二十八と別宮暖朗の往復書簡」を公開している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
飯島 一孝(いいじま かずたか、1948年 - )は日本のジ… 飯島 一孝(いいじま かずたか、1948年 - )は日本のジャーナリスト、外交評論家、元日本財団職員、元毎日新聞モスクワ支局長。 旧ソ連・東欧の政治・経済・社会を研究。
豊田 謙二(とよだ けんじ、1948年 - )は、日本の社会… 豊田 謙二(とよだ けんじ、1948年 - )は、日本の社会福祉学者、焼酎評論家、熊本学園大学シニア客員教授。 1980年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学、2005年「質を保障する時代の公共性 ドイツの環境政策と福祉政策 」で博士(アドミニストレーション)号取得(熊本県立大学)。鹿児島経済大学助教授、鹿児島国際大学(校名変更)教授、1992年福岡県立大学人間社会学部教授、2007年熊本学園大学社会福祉学部教授、2018年同シニア客員教授。NPO福祉用具ネット理事長、NPO法人ふくおか自然環境保護協会理事長。社会福祉学、公共政策。
髙橋 洋一(たかはし よういち、1948年 - )は、日本の… 髙橋 洋一(たかはし よういち、1948年 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家、評論家。 東京都生まれ。一橋大学卒業。専攻は文化社会学・比較文化。ファッション・舞踊・文芸・美術などの評論活動を行う。 ジャン・コクトーを軸に19世紀から20世紀のフランス文学を翻訳・研究している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
豊島 逸夫(としま いつお、1948年〈昭和23年〉 - )… 豊島 逸夫(としま いつお、1948年〈昭和23年〉 - )は日本の貴金属トレーダー、経済評論家。ワールド・ゴールド・カウンシル日本代表を経て、豊島逸夫事務所代表。 東京都出身。1972年一橋大学経済学部を卒業し、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。同行を退社し、1975年からスイス銀行外国為替貴金属部ディーラー。ニューヨーク金市場フロアトレーダーを経て、東京金市場設立に参画。1985年にワールド・ゴールド・カウンシルに入り、投資事業本部アジア・オセアニア地域担当本部長や日韓地域代表を歴任。2011年豊島逸夫事務所を設立し、同代表就任。2014年には元担当編集者の治部れんげを事務所の副代表に招聘。
飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医… 飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医学ジャーナリスト、評論家。 長野県上田市生まれ。北海道大学水産学部卒業。信濃毎日新聞社入社後、報道部、整理部、文化部を経て1994年編集委員。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。専門は医学・医療・健康問題。
梅津 時比古(うめづ ときひこ、1948年 - )は、日本の… 梅津 時比古(うめづ ときひこ、1948年 - )は、日本のジャーナリスト、毎日新聞記者、音楽評論家、桐朋学園大学学長(2013年4月ー2022年3月任期満了退任)。専門は、西洋音楽史。 神奈川県鎌倉市生まれ。1971年早稲田大学第一文学部西洋哲学科卒業。毎日新聞社東京本社編集局に入社。ケルン音楽大学留学を経て、2002年から毎日新聞社東京本社学芸部専門編集委員となる。2013年から毎日新聞社客員特別編集委員として音楽コラムを執筆。 2004年から母校の早稲田大学商学部非常勤講師、2010年から桐朋学園大学音楽部特任教授。2013年4月から桐朋学園大学学長に就任(2022年3月までで任期満了退任)。
八束 はじめ(やつか はじめ、1948年 - )は、日本の建… 八束 はじめ(やつか はじめ、1948年 - )は、日本の建築家、建築史家、建築評論家、芝浦工業大学名誉教授。 ロシア・アヴァンギャルドを中心とする建築史研究や、卓抜な建築論でも知られる。 妹島和世や日埜直彦など多くの建築家を輩出している茨城県立水戸第一高等学校出身。 東京大学工学部都市工学科卒業。丹下健三が東京大学で教鞭を執っていた際の最後の教え子。同大学大学院(大谷幸夫研究室)修了。 2008年3月には、1994年から美術批評家の多木浩二らと編集委員として始めた雑誌10+1が最終号を迎えることとなり、自らNo50『Tokyo Metabolism 2010』(Inax出版)を編纂。
清水 成駿(しみず せいしゅん、1948年 - 2016年8… 清水 成駿(しみず せいしゅん、1948年 - 2016年8月4日)は、東京都出身の競馬評論家。 1972年、明治学院大学経済学部卒業と同時に、父の経営する印刷会社が請け負っていた縁で競馬専門紙の1馬に入社。旧東京系のトラックマンとなり、20代の若さで評論家、35歳と異例の速さで取締役編集局長に就任。 同紙で長年に渡り担当したコラム「今日のスーパーショット」をはじめ、ラジオ日本 土曜・日曜競馬実況中継やスポーツ紙、週刊誌などで「走らせる側に立って考える」という独特の予想理論を展開。人気薄の馬に敢然と本命印を打ち孤独の◎として人気を集めていた。 2001年末に文筆業に専念するとして1馬を退社したが、その後もフリーランスで競馬評論を続けていた。
黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )… 黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )は、兵庫県印南郡大塩町(現・姫路市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、野球解説者・評論家。 生家は黒田官兵衛の子孫と伝わる。黒田が生まれた頃、生家は薬局を経営しており、薬剤師をしていた母から整腸剤を毎日飲むように言われていたことが強い体の基礎となったと回想している。 中学生の時に本格的に野球を始め、姫路南高校では1年次の1963年からベンチ入り。その時の3年生主砲が切通猛で、凄い筋肉で打球をポンポン飛ばしていた。黒田は一流になるにはあのぐらいの筋力がないといけないのかと思い、足腰を徹底的に鍛えた。切通からは「何でもええから走っとけ」と言われ、野球人生で最初に影響を受けた人になった。
岡田 晃(おかだ あきら、1947年〈昭和22年〉12月17… 岡田 晃(おかだ あきら、1947年〈昭和22年〉12月17日 - )は、日本の経済評論家。大阪経済大学客員教授、21世紀臨調運営委員。大阪府出身。 BSジャパン(現:BSテレビ東京) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
長谷川 郁夫(はせがわ いくお、1947年12月15日 - … 長谷川 郁夫(はせがわ いくお、1947年12月15日 - 2020年5月1日)は、日本の文芸編集者・評論家。元小澤書店社長、大阪芸術大学教授も務めた。日本編集者学会初代会長。 神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学在学中の1971年に小沢(小澤)書店を創立。約六百数十点の文芸書の編集・制作に携わったが、2000年秋、東京地裁に自己破産を申請し倒産した。のち編集プロダクションを主宰し、長谷川郁夫事務所取締役、法政大学兼任講師。2007年から、大阪芸術大学教授、2013年から同芸術学部文芸学科長(2020年3月まで)。2010年2月日本編集者学会を発足し会長。 編集した全集類に「青山二郎文集」、「小川国夫全集(全14巻)」(各・小澤書店、1991~1995)、「田村隆一全集(全6巻)」(河出書房新社、2010~2011)などがある。
水谷 実雄(みずたに じつお、1947年11月19日 - )… 水谷 実雄(みずたに じつお、1947年11月19日 - )は、宮崎県串間市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。
佐々木 良昭(ささき よしあき、1947年11月18日 - … 佐々木 良昭(ささき よしあき、1947年11月18日 - )は、日本の国際問題評論家、イスラム圏研究者。 岩手県生まれ。1966年、岩手県立一関第一高等学校卒業。 19歳の時にムスリムになった。 1970年、拓殖大学商学部卒業。同年の大阪万国博覧会でアブダビ政府館副館長を務めた。1971年、リビアに渡って国立リビア大学(英語版)神学部に入学。1974年に修了し、アラブ・データ・センター勤務となり、ベイルート駐在代表。 1976年、クウェートの新聞『アルカバス(英語版)』の東京特派員。1978年、在日リビア大使館渉外担当を経て、1980年に拓殖大学海外事情研究所研究員となり、その後、徐々に昇任して1993年に同教授となる。
戸川 安宣(とがわ やすのぶ、1947年11月14日 - )… 戸川 安宣(とがわ やすのぶ、1947年11月14日 - )は、日本の編集者、ミステリ評論家。 東京創元社の元会長、元社長。光文文化財団理事。 ミステリ専門書店「TRICK + TRAP」元店主。日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ各会員。本格ミステリ作家クラブでは事務局長をつとめた。編集者としてミステリ作家を多数育成する傍ら、文庫解説等の執筆を行う。 戦時疎開先の長野県で出生し、翌年、東京に移り荒川区南千住で育つ。 生家は備中庭瀬藩戸川家の分家である帯江戸川家で、江戸時代には3000石の大身旗本だった。同名の庭瀬藩主戸川安宣は、直系ではないが、先祖筋にあたる。曽祖父は、帯江戸川家8代目戸川安愛の弟で、9代目戸川最兎女(もとめ)栄秀。
野崎 六助(のざき ろくすけ、1947年11月9日 -)は、… 野崎 六助(のざき ろくすけ、1947年11月9日 -)は、日本の小説家、文芸評論家。 日本推理作家協会会員。 東京都品川区生まれ。京都府立桃山高等学校卒業。1960年から1978年まで京都に在住。コック、大工など多数の職を経る。 1984年、『幻視するバリケード 復員文学論』(田畑書店)でデビュー。 1992年、『北米探偵小説論』で第45回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。推理小説、推理小説評論を主に書く。 1994年、『夕焼け探偵帖』(講談社)で小説家デビュー。
吉田 文憲(よしだ ふみのり、1947年11月5日 - )は… 吉田 文憲(よしだ ふみのり、1947年11月5日 - )は、日本の詩人、文芸評論家。 秋田県北秋田郡比内町生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1976年、詩集『衰弱』を刊行。2002年、『原子野』で第43回晩翠賞受賞。2007年、『六月の光、九月の椅子』で第7回山本健吉文学賞を受賞。2011年、宮澤賢治についての評論で第21回宮沢賢治賞を受賞。2014年、『生誕』で第44回高見順賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
金井 美恵子(かない みえこ、1947年11月3日 - )は… 金井 美恵子(かない みえこ、1947年11月3日 - )は、日本の小説家・エッセイスト・映画/文藝評論家。活動初期は小説と並行して現代詩の創作も行っていた。 画家の金井久美子は実姉であり、著書の装画・装丁も手がける。 群馬県高崎市生まれ。群馬県立高崎女子高等学校卒業。現在は東京・目白で姉の久美子と同居。『遊興一匹 迷い猫あずかってます』などのエッセイの通り愛猫家であり、かつては猫のトラー(2007年に死去)を飼っていた。 6歳で父を失い、母子家庭で育つ。物心つく前より母の影響で映画に接し、後の素地を育んだ。 高校卒業後は大学へ進学することはなく作家活動を開始。 1967年、石川淳が選考委員をしていたことから『愛の生活』を太宰賞に応募し最終候補に残り、当の石川から賞賛をうけて掲載されデビュー。
竹田 青嗣(たけだ せいじ、1947年〈昭和22年〉10月2… 竹田 青嗣(たけだ せいじ、1947年〈昭和22年〉10月29日 - )は、日本の哲学者・文芸評論家・音楽評論家。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学国際教養学部教授。大学院大学至善館教授。在日韓国人二世。 『〈在日〉という根拠』(1983年)で登場し、フッサールの現象学に影響を受けて独自の現象学を構築。人間論を中心に幅広く批評を展開する。著書に『自分を知るための哲学入門』(1990年)、『近代哲学再考』(2004年)など。 通常用いている韓国名は、姜修次(カン・スチャ、강수차)。戸籍名は、姜正秀(カン・ジョンス、강정수)。「竹田青嗣」は、太宰治の小説「竹青」から付けた筆名であり、日本名ではない。 大阪府出身。
近藤 譲(こんどう じょう、Jo Kondo 1947年10… 近藤 譲(こんどう じょう、Jo Kondo 1947年10月28日 - )は、日本の現代音楽の作曲家、音楽評論家。東京都出身。 1947年、東京に生まれる。一切の自作が何もなかったため、最初に長谷川良夫へ、後に南弘明に師事。1972年、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業。ロックフェラー三世財団フェローシップにより、1977年から1978年にかけてニューヨークに滞在。1979年、カナダ政府の招きにより、ヴィクトリア大学にて講義。東京芸術大学、エリザベト音楽大学、お茶の水女子大学の各所で教鞭をとり、川島素晴やペーター・ガーンほかの弟子を育てた。1986年、イギリス政府フェローシップによりロンドンに滞在。
藤田 平(ふじた たいら、1947年10月19日 - )は、… 藤田 平(ふじた たいら、1947年10月19日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
高山 宏(たかやま ひろし、1947年10月8日 - )は、… 高山 宏(たかやま ひろし、1947年10月8日 - )は、日本の英文学者、翻訳家、評論家。旧・東京都立大学(首都大学東京)教授、大妻女子大学教授などを歴任。専門は17・18世紀を軸とする英文学で、美術史、表現芸術の文化史の著作・翻訳を多数刊行している。 岩手県生まれ、高知県育ち。生来の弱視(黒サングラスと眼鏡を併用)。 東京大学文学部英文科を卒業、同大学院人文科学研究科修士課程修了。東大大学院ではメルヴィルの『白鯨』で修士号を取得。博士課程には進まず、東大教養学部外国科助手となる。青土社の月刊誌『ユリイカ』の常連寄稿者になるとともに、旧・東京都立大学助教授、教授、首都大学東京都市教養学部教授を経て、明治大学国際日本学部教授、2014年より大妻女子大学比較文化学部教授。
安田 富男(やすだ とみお、1947年10月7日 - )は、… 安田 富男(やすだ とみお、1947年10月7日 - )は、千葉県船橋市出身の騎手、競馬評論家。 オッズの低い騎乗馬でしばしば好走を見せ、「穴男」、「泥棒ジョッキー」などと称された。史上初めてJRA全10場において重賞を勝利した記録も持つ。 安田は男3人、女1人の四人兄妹の次男として生まれ、父・保男は香具師やブリキ職人、子供が生まれる頃にはアルミ職人など手作業をして生計を立てていた。保男は天理教に帰依していたが、母・梅世は創価学会に入信しており、四人の子が物心つく前から祈る事の大事さを教えた。競馬とは無縁の一般家庭であったが、保男が無類の馬券好きで身上を潰したため、安田は小さい頃から競馬がどんなものか知ろうとも思わなかった。
町永 俊雄(まちなが としお、1947年(昭和22年)9月6… 町永 俊雄(まちなが としお、1947年(昭和22年)9月6日 - )は、福祉介護評論家・ジャーナリスト。NHKの元アナウンサー。 東京都出身。東京都立日本橋高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1971年(昭和46年)入局。以後八戸、岡山、東京、名古屋などで勤務。情報系の番組を担当することが多かったが、のちに社会福祉系の番組を専門とするようになる。2007年10月1日に嘱託職へ移行し、64歳となった2011年秋に嘱託終了。
石川 真禧照(いしかわ まきてる、本名:石川 暁(いしかわ … 石川 真禧照(いしかわ まきてる、本名:石川 暁(いしかわ あきら)、1947年9月 - )は、日本の自動車評論家。日本モータースポーツ記者会会員、日本自動車ジャーナリスト協会副会長。 東京都出身。専修大学商学部卒業。1970年、日刊自動車新聞社に入社するも翌年退社し、以後フリーランスの自動車評論家として活動。1982年、有限会社「I.W.オフィース」を設立し、同社代表となる[要出典]。日本カーオブザイヤー選考委員(2004 - 2005、他)を務めた。 2006年、アメリカ合衆国の有力日刊紙において自説が紹介された。日本で開業したレクサスを紹介するロサンゼルス・タイムズの記事中で、石川は「(レクサスは)不人気なトヨタ車の名前を変えただけのもの」「購入者は40歳以上で、田舎の小企業の社長」「彼らとて本当はBMWやベンツが欲しいのだが、トヨタとの取引があるために買えない」と解説、さらにレクサス・LS460を運転した感想として「トヨタはドライビングのなんたるかを学ぶべきだね」と批判している。
水上 はるこ(みなかみ はるこ、1947年8月16日 - )… 水上 はるこ(みなかみ はるこ、1947年8月16日 - )は、元雑誌編集者、音楽評論家、翻訳家。本名非公開。 愛媛県生れ、山口県下関市で育つ。1966年、山口県立下関南高等学校卒業後、新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント )に入社。1966年5月、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」編集部に配属された。そのタイミングで来日したビートルズのコンサートをすべて見て、コンサート評を書いた。当時の編集長は星加ルミ子だったが、水上はボブ・ディランやジャニス・ジョプリンなどを好み、星加編集長の「そんな記事を書いても雑誌は売れない」というポリシーと対立し、3年後に一度、会社を辞めている。高校時代にはフォーク・ソングにも興味をもち、ギターを弾いて歌っていた。
寺島 実郎(てらしま じつろう、1947年8月11日 - )… 寺島 実郎(てらしま じつろう、1947年8月11日 - )は、日本の政治評論家。外交評論家。 多摩大学学長・教授、東北公益文科大学客員教授、立命館大学国際関係学部客員教授、帝塚山大学特別客員教授、立命館アジア太平洋大学国際経営学部客員教員、学校法人市川学園特別顧問、一般財団法人日本総合研究所会長、一般社団法人寺島文庫代表理事。 札幌市立啓明中学校卒業。北海道札幌旭丘高等学校卒業。1971年3月 - 早稲田大学政治経済学部卒業。 1973年3月 早稲田大学大学院修了。政治学修士。1973年4月 - 三井物産に入社し、調査部、業務部で勤務する。1983年 - 1984年 ブルッキングス研究所へ出向する。
建畠 晢(たてはた あきら、1947年8月1日 - )は、日… 建畠 晢(たてはた あきら、1947年8月1日 - )は、日本の詩人、美術評論家。京都芸術センター館長、草間彌生美術館館長、川口市立美術館館長。元多摩美術大学学長、多摩美術大学名誉教授。元京都市立芸術大学学長、京都市立芸術大学名誉教授。元国立国際美術館長。元埼玉県立近代美術館館長。専門は現代美術。 兄は彫刻家・日本大学芸術学部教授の建畠朔弥、父は彫刻家の建畠覚造、祖父は彫刻家の建畠大夢。 京都府生まれ。早稲田大学文学部仏文学科卒業。「芸術新潮」編集者、国立国際美術館主任研究官を経て、1991年、多摩美術大学美術学部芸術学科助教授、1995年、同教授、2005年より客員教授、2015年より学長。2005年、国立国際美術館長、独立行政法人国立美術館理事に就任。
井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日 -… 井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日 - )は、日本の競馬評論家・コメンテーター。 東京都荒川区出身(長野県生まれ)。本名は「布目 健二」(ぬのめ けんじ)。 父は浪曲奇術師の布目貫一。 息子は芸能人キャスティング会社「クロスアイ」代表取締役の布目靖太郎。フジテレビ「めざましテレビ」にてディレクターを務めた後に、法人向けキャスティング部門の責任者を経て独立した。 葛飾野高校卒業後は明治大学商学部に進学するが、在学中に人に勧められて初めて買った馬券が的中したのがきっかけで競馬にのめり込み、学費を全額ぶち込んだという伝説まである。フジテレビの競馬中継のADのアルバイトをしていた時に、タニノムーティエの勝った日本ダービーを中継車で見ていて感動し、専門紙記者を志す。
天木 直人(あまき なおと、1947年7月19日 - )は、… 天木 直人(あまき なおと、1947年7月19日 - )は、外交評論家、作家、政治運動家。インターネット政党の新党憲法9条の発起人。元駐レバノン日本国特命全権大使。
池田 清彦(いけだ きよひこ、1947年7月14日 - )は… 池田 清彦(いけだ きよひこ、1947年7月14日 - )は、日本の生物学者(構造主義生物学・理論生物学)、科学・社会・環境問題評論家。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。理学博士(東京都立大学)。TAKAO 599 MUSEUM名誉館長。構造主義を生物学に応用する方法を追究する。専門の生物学をはじめ、進化論、科学論、環境問題、脳科学などを幅広く論じる。趣味は昆虫採集。
荒俣 宏(あらまた ひろし、1947年7月12日 -)は、日… 荒俣 宏(あらまた ひろし、1947年7月12日 -)は、日本の博物学研究家、図像学研究家、小説家、収集家、神秘学研究家、妖怪評論家、翻訳家、タレント。元玉川大学客員教授、武蔵野美術大学造形学部客員教授、サイバー大学客員教授、京都国際マンガミュージアム館長、日本SF作家クラブ会員、世界妖怪協会会員。 日本大学藝術学部芸術研究所教授なども歴任している。翻訳家としての筆名に団 精二(だん せいじ)を用いていた。また、雑誌『BOOKMAN』における筆名に本野 虫太郎を用いていた。 東京都出身。中学生にして平井呈一に弟子入りし、平井と交流していた紀田順一郎を紹介されさらに兄事した。幻想小説や怪奇小説に魅かれ、野村芳夫と同人誌を発行するとともに、鏡明と国外作品の翻訳に取り組み、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトやロバート・E・ハワードらの作品を手掛けた。
谷 新(たに あらた、本名:小口 牧通(おぐち まきみち)、… 谷 新(たに あらた、本名:小口 牧通(おぐち まきみち)、1947年6月2日 - 2020年6月2日)は美術評論家。ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の日本館コミッショナーなどを歴任し、宇都宮美術館館長も務めた。 1947年長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、千葉大学卒業。 1972年に美術雑誌『みづゑ』(美術出版社)の800号記念として企画された芸術評論募集で、大賞となる一席に入選。流通小売業を対象とした業界専門誌の出版社であった株式会社商業界に入社。同社の広報部や月刊紙『販売革新』編集部で勤めながら、『みづゑ』『美術手帖』などに現代美術評論を執筆する。1989年に美術評論家として独立する。
佐藤 道郎(さとう みちお、1947年5月5日 - )は、東… 佐藤 道郎(さとう みちお、1947年5月5日 - )は、東京都中野区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 愛称はミチ、ミチさん。 パ・リーグ初の最多セーブ投手を獲得している。 日大三高ではエースとして同期の石塚雅二とバッテリーを組み、3年次の1965年には夏の甲子園都予選決勝に進むが、後に大学で同期となる日大二高の神山修投手に完封され0-2で惜敗、甲子園出場を逸する(2年時にチームはセンバツに出場したが自身の出番は無かった)。高校の1年上には遊撃手の大橋穣、1年下に左翼手の磯部史雄がいた。 高校卒業後の1966年、石塚と共に日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは低迷が続き、3年次の1968年にチームが二部に降格するが、4年次の1969年に一部復帰を果たす。
松原 惇子(まつばら じゅんこ、1947年4月22日 - )… 松原 惇子(まつばら じゅんこ、1947年4月22日 - )は、日本のエッセイスト、評論家。
吉田 匠(よしだ たくみ、1947年4月22日 - )は、日… 吉田 匠(よしだ たくみ、1947年4月22日 - )は、日本の自動車評論家。
小阪 修平(こさか しゅうへい、1947年4月18日 - 2… 小阪 修平(こさか しゅうへい、1947年4月18日 - 2007年8月10日)は、日本の評論家。全共闘活動家。駿台予備学校論文科講師。
小浜 逸郎(こはま いつお、1947年4月15日 - )は日… 小浜 逸郎(こはま いつお、1947年4月15日 - )は日本の評論家。国士舘大学客員教授。
栄陽子(さかえ ようこ、1947年4月6日- )は、日本の留… 栄陽子(さかえ ようこ、1947年4月6日- )は、日本の留学カウンセラー、国際教育評論家。栄陽子留学研究所所長。 奈良県生まれ。大阪府出身。1970年帝塚山大学卒業。1971年セントラルミシガン大学大学院教育学修士課程を修了。1972年オハイオ州立大学大学院教育学修士課程修了。国際教育評論家として活動、72年栄陽子留学研究所を開設、所長となる。
鎌田 三平(かまた さんぺい、1947年4月2日 - )は、… 鎌田 三平(かまた さんぺい、1947年4月2日 - )は、日本の翻訳家、文芸評論家、作家。 本名は瀧田英雄 (たきた ひでお)。 千葉県出身。3 - 4歳から大田区蒲田で暮らし、のちのペンネームの由来となった。 1971年に明治大学文学部英文科卒業。1972年に、早川書房入社。「ハヤカワ・ノベルズ」などの編集を担当するかたわら、「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」に冒険小説のコラムを執筆。瀧田 英雄名義での短編の翻訳もある。宮田 洋介も鎌田の別名義。 1979年、早川書房退社、翻訳家に専念。主にSF、冒険小説の翻訳を行う。また、評論、創作も手がけた。1988年には、システムサコムから発売されたノベルウェア(「パソコンで読む小説」と銘打ったアドベンチャーゲーム)『シャティ』の原作を書いている。
ジョー 小泉(ジョー こいずみ、本名:小山 義弘(こやま よ… ジョー 小泉(ジョー こいずみ、本名:小山 義弘(こやま よしひろ)、1947年3月31日 - )は、日本のボクシング評論家、ボクシングのマッチメーカー兼トレーナー、ボクシング番組解説者、ボクシング誌記者。兵庫県神戸市出身。国際ボクシング名誉の殿堂博物館、世界ボクシング殿堂入り。 ペンネームの由来は、小泉信三元慶大塾長の著書に感動したことと、フランツ・カフカの小説の主人公の名前から。 神戸市兵庫区西出町に生まれる。先祖は広島藩の御納戸役であったという。祖父も父もエンジニアで父は戦前、皇太子の近衛兵として東京に召集されたが、広島への原爆投下により実家が壊滅。広島に居た親族のほとんどが亡くなり、姉のいた神戸で途中下車しそのまま住みついた。