大熊 正二(おぐま しょうじ、1951年7月22日 - )は… 大熊 正二(おぐま しょうじ、1951年7月22日 - )は、日本の男性元プロボクサー。福島県郡山市出身。元WBC世界フライ級王者。元リングマガジン世界フライ級王者。本名および旧リングネームは小熊 正二(読みは同じ)。福島県立郡山西工業高等学校(現:福島県立郡山北工業高等学校)卒業。左ボクサータイプ(コンバーテッドサウスポー)。現役時代は新日本木村ボクシングジム所属。 最初の世界タイトル獲得時は、柴田国明やガッツ石松、輪島功一の全盛期で、2度目のタイトル奪取時は具志堅用高が連続防衛記録を伸ばしていた時期で、当時の日本人世界王者と比較すると地味な印象だったが、コツコツと実績を積み上げて王座に返り咲いた。
大熊 正二(おぐま しょうじ、1951年7月22日 - )は… 大熊 正二(おぐま しょうじ、1951年7月22日 - )は、日本の男性元プロボクサー、WBC世界フライ級王者。本名および旧リングネームは小熊 正二(読みは同じ)。郡山西工業高校卒業。左ボクサータイプ(コンバーテッドサウスポー)。新日本木村ボクシングジム所属。引退後は埼玉県川越市で廃棄物処理やカラオケボックス経営を経て、小熊ボクシングスポーツジムを経営している。
スパイダー根本(スパイダーねもと、1950年11月17日 -… スパイダー根本(スパイダーねもと、1950年11月17日 - )は、日本の元プロボクサー。福島県いわき市出身。元日本フェザー級王者。右ファイタータイプ。現役時代は草加協栄ボクシングジム(後の草加有沢ボクシングジム)所属。現在はスパイダー根本ボクシングジム会長。 日本フェザー級タイトルを2度獲得し、連続13度、通算では14度防衛した。 1971年3月1日に草加協栄ジム所属でデビュー、デビュー戦は4回判定負け。 1972年1月28日、中野武範(親和)に6回判定勝ちし、全日本新人王決定戦を制した。その後、リングネームを「スパイダー根本」に変更。 1973年4月27日、元東洋フェザー級王者、金炫(韓国)に10回判定勝ち。
上原 康恒(うえはら やすつね、1950年10月12日 - … 上原 康恒(うえはら やすつね、1950年10月12日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。元日本スーパーフェザー級王者。元WBA世界スーパーフェザー級。元リングマガジン世界スーパーフェザー級王座。 沖縄中央高校3年時にインターハイ優勝、日本大学在学時にはライト級、ライトウェルター級の2階級を制覇し専修大学のエース風間清と数回対戦。国際大会でも1970年アジア大会ライトウェルター級銅メダルを獲得。アマチュア通算117勝(87RSC)8敗と抜群の成績を残し、協栄ボクシングジムと当時日本プロボクシング史上最高となる契約金1,000万円で契約した。実弟であるフリッパー上原も元プロボクサー。
シゲ福山(しげ ふくやま、1950年1月28日 - )は、日… シゲ福山(しげ ふくやま、1950年1月28日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は福山 茂文(ふくやま しげふみ)。鹿児島県川内市出身。協栄ジム所属。 1968年デビュー。日本ランキング入りした1970年にアメリカ武者修行を敢行、ロサンゼルスで4勝2敗の成績を残して帰国。1972年3月12日、金炫の持つOBF東洋ジュニアフェザー級王座に挑戦したが、10回KO負けで王座獲得ならず。 その後再度ロスに渡り、晩年のエデル・ジョフレを始めとする強豪とグローブを交え、その果敢なファイターぶりで現地の人気を博す。1974年、強打のホープ、ダニー・ロペスと対戦、後の名王者を9回KOに破る貴重な勝ち星を挙げた。
バトルホーク 風間(バトルホーク かざま、1950年1月2日… バトルホーク 風間(バトルホーク かざま、1950年1月2日 - 2004年10月3日)は、日本の元プロボクサー。本名は風間 清(かざま きよし)。第26代日本ライト級王者。有限会社パオネットワーク元代表。東京都生まれ、千葉県習志野市出身。石丸ボクシングジム所属選手としてプロデビュー、後に奈良池田ジム所属。上野高等学校定時制、専修大学卒業。 アマチュアで活躍していた兄・良一にボクシングを学び、高校1年在学中に国体出場。 1968年、高校3年時にインターハイライト級優勝を収めた。複数のボクシング強豪校から勧誘があったが専修大学に進学、強豪校への発展に寄与した。ミュンヘンオリンピックの代表候補強化合宿にも参加した。
ロイヤル小林(ロイヤルこばやし、本名:小林 和男(こばやし … ロイヤル小林(ロイヤルこばやし、本名:小林 和男(こばやし かずお)、1949年10月10日 - 2020年11月17日 )は、日本の男性プロボクサー。熊本県下益城郡出身。元WBC世界スーパーバンタム級王者。ミュンヘンオリンピック(1972年)日本代表。 拓殖大学卒業後、自衛隊体育学校でボクシングを始め、アマチュアのトップ選手としてミュンヘンオリンピックに出場、ベスト8の成績を残す。アマ通算34勝 (28RSC) 3敗、KO率8割2分という記録を引っ提げてプロ入り。国際ジムからプロデビュー後もKOの山を築き、「KO仕掛人」の異名を持った屈指のハードパンチャーであった。 プロではWBC世界ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)王者になったが、それ以上にアレクシス・アルゲリョ、ウイルフレド・ゴメス、エウセビオ・ペドロサという時代を代表する名王者を相手に世界タイトルマッチを戦ったことでその名を知られた。
サルトビ小山(さるとび こやま)、1949年10月5日 ‐ … サルトビ小山(さるとび こやま)、1949年10月5日 ‐ )は、日本の元プロボクサー。本名は小山 繁幸(こやま しげゆき)。山形県上山市出身。元日本スーパーバンタム級チャンピオン。4度の防衛後、眼疾によりタイトル返上し引退。引退後は様々な職を経験した後、ファイティング原田ジムでチーフトレーナーを歴任。現役時代は笹崎ボクシングジム所属。 山形県上山市にて3人兄弟の末っ子として誕生。笹崎ジム黄金期に全日本新人王、日本タイトルを獲得。 現役引退後は、役者を志願し千葉真一の設立したアクションスター養成のジャパンアクションクラブの3期生となり、数年役者としての活動。 その後、ファイティング原田ジムにトレーナーとしてボクシング界に戻り指導に当たっていた。
新垣 吉光(あらがき よしみつ、1949年(昭和24年)8月… 新垣 吉光(あらがき よしみつ、1949年(昭和24年)8月14日 - 2002年(平成14年))は、昭和時代のボクサー。 日本大学在学中に、1972年の夏季オリンピックで男子のライトフライ級に出場し、1回戦で敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
篠原 恭二(しのはら きょうじ、1949年(昭和24年)8月… 篠原 恭二(しのはら きょうじ、1949年(昭和24年)8月12日 - )は、日本のボクサー。 近畿大学在学中に、1972年ミュンヘンオリンピックに男子ライトウェルター級で出場し、ベスト8入りした。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
イーグル佐藤(イーグルさとう、本名:佐藤 哲夫、 1949年… イーグル佐藤(イーグルさとう、本名:佐藤 哲夫、 1949年6月11日 - )は、東京都品川区出身の元プロボクサー。元日本スーパーライト級チャンピオン。野口ジム所属。アマのエリートからプロに転じ、強打とビッグマウスで知られた。 野口ジム主催のベビーボクシング出身。アマで活躍、59勝4敗の成績を残し、1969年6月プロデビュー。 デビュー戦は引分け、その後4連勝を飾るが、6戦目で初の黒星。8戦目では元日本王者の窪倉和嘉に5回KOで敗れる。その後は快進撃、1971年1月15日、開行憲を判定で破り日本スーパーライト級獲得。その後は開行憲との再戦で初防衛を果たし、ノンタイトルでフェル・ペトランザ、南久雄の両強豪を破るなど気を吐いたが、1972年2月13日、二度目の防衛戦で東海林博に判定で敗れ王座を失った。
中川 仁士(なかがわ ひとし、1949年5月15日 - )は… 中川 仁士(なかがわ ひとし、1949年5月15日 - )は、日本の元プロボクサー。栃木県真岡市出身。元日本ジュニアミドル級王者。帝拳宇都宮ジム所属。 サッカーからボクシングへ転向。1969年プロデビュー。 1970年12月、東日本ウェルター級新人王を獲得。全日本では後の東洋王者羽草勉に敗れたが、堀畑道弘、龍反町ら強豪と対戦した。1973年9月26日、加島雷三を4回KO勝ちし、日本ジュニアミドル級王座を獲得した。 1974年5月10日、初防衛戦で技巧派柴田賢治に判定負けを喫し、王座から陥落した。同年6月23日、東洋ミドル級王座を狙って王者柳済斗に挑んだが失敗に終わった。 1974年9月5日の試合を最後に引退した。
カシアス内藤(カシアスないとう、1949年5月10日 - )… カシアス内藤(カシアスないとう、1949年5月10日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は内藤 純一(ないとう じゅんいち)。 兵庫県神戸市生まれ、神奈川県横浜市育ち。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフであり、アメリカ名はロバート・ウィリアムス・ジュニア。 元東洋(OBF)ミドル級王者で、最高位は世界ミドル級1位。現役当時は「和製クレイ」、「東洋のクレイ」などと呼ばれた。リングネームはモハメド・アリの改名前の名前「カシアス・クレイ」からとったもので、アリと対面した際に承諾を得ている。E&Jカシアス・ボクシングジム会長を務める。戦績39戦27勝(13KO)10敗2分。長男の内藤律樹、次男の内藤未来もプロボクサー。
門田 新一(かどた しんいち、1949年3月26日 - )は… 門田 新一(かどた しんいち、1949年3月26日 - )は、日本の男性元プロボクサー。愛媛県伊予郡松前町出身。現役時代は三迫ボクシングジム所属。現在はファミリーフォーラムボクシングジム会長。1974年、リングネームを門田 恭明にした。 幼少期に両親と相次いで死別。新田高校ボクシング部在籍中、同郷である三迫仁志のスカウトを受け上京した。 1967年4月30日、竹之内徳美を1RKOで沈めプロデビューを飾る。 12月18日、沢口和広と東日本フェザー級新人王を争うが判定負けでデビュー戦以来の連勝も止まる。 1970年6月6日、元WBC世界ジュニアライト級王者のレネ・バリエントスと対戦するも判定負け。 10月17日、趙永喆が持つOBF東洋ライト級王座に挑戦。
中村 哲明(なかむら てつあき、1948年(昭和23年)10… 中村 哲明(なかむら てつあき、1948年(昭和23年)10月1日 - )は、日本のボクサー。 明治大学在学中に、1968年メキシコシティーオリンピックで男子フライ級に出場し、ベスト8入りした。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
辻本 章次(つじもと しょうじ、1948年9月25日 - 2… 辻本 章次(つじもと しょうじ、1948年9月25日 - 2023年12月23日)は、日本の元プロボクサーである。奈良県出身。ヨネクラボクシングジム所属。元日本ウェルター級王者。実兄である辻本英守も元日本ライト級王者である。 近畿大学では、ライト級でアマチュアの全日本王者になるなど、102戦92勝(46KO・RSC)10敗の戦績を残した。その後、プロ転向し、ヨネクラジムに入門。 1970年10月7日、浦和洋一(東海)戦(6回判定勝ち)でデビュー。 1972年10月30日、清水孝恒(セキ)が持つ日本ウェルター級王座に挑戦、6R終了TKO勝ちで奪取。 1974年11月11日、元世界王者で、世界ウェルター級10位にランクされていたエディ・パーキンス(アメリカ)に10回判定勝ち、世界ランキング入り。
浅尾 和信(あさお かずのぶ、1948年9月12日 - )は… 浅尾 和信(あさお かずのぶ、1948年9月12日 - )は、日本の元プロボクサー、現役のプロボクシング・レフェリー(WBAの審判資格を持つ)。北海道出身。
古賀 俊憲(こが としのり、1948年5月24日 - )は、… 古賀 俊憲(こが としのり、1948年5月24日 - )は、福岡県出身のアマチュアボクサー。サウスポースタイルのボクサータイプ。モントリオールオリンピック日本代表。3回戦敗退。 モントリオールオリンピック・ボクシングフライ級の全日本選手権決勝戦では後に世界選手権銅メダリストになった石井幸喜を破り日本代表になった。 大牟田高校時代には駅伝の選手として全国大会等にも出場。ボクシングは愛知学院大学に入ってから始めた。全日本選手権にも出場するが大学時代には上位ランクするも優勝の経験は無い。努力と実力が認められ、佐賀国体(1976年開催)の選手兼指導者として佐賀県庁職員となる。 福岡県アマチュアボクシング連盟理事長、また、福岡県アマチュアボクシング強化委員会委員であり、九州産業大学ボクシング部監督を務める。
藤原 敏男(ふじわら としお、1948年〈昭和23年〉3月3… 藤原 敏男(ふじわら としお、1948年〈昭和23年〉3月3日 - )は、日本のキックボクサー。1969年にプロデビューし、全日本キックボクシング協会で初代ライト級王座を獲得。1977年にはタイ人以外で初めてラジャダムナン・スタジアム認定王座を獲得した。 岩手県宮古市田老鉱山出身。高校時代はテニス部に所属し、卒業後に上京し中央工学校の夜間部で設計の勉強を始める。アルバイトで牛乳配達をするが、配達区域に目白ジムがあった。その縁で目白ジムを見学しているうちにキックボクシングに興味を抱き、1969年7月に目白ジムへ入門した。黒崎健時の指導を受け、目白ジムに住み込みでキックボクシングに専念し始めると、1日10時間年中休みなしの練習漬けの毎日を送った。
タッド 岡本(タッド おかもと、1947年(昭和22年)11… タッド 岡本(タッド おかもと、1947年(昭和22年)11月10日 - )は、日本の元プロボクサー。第18代日本フェザー級王者。本名:岡本 正(おかもと ただし)。 日本大学在学中に、1968年メキシコシティーオリンピックに男子フェザー級で出場し、1回戦敗退した。 1969年11月15日、リキ金谷ジムより本名でプロデビューし、後藤三郎に1回KO勝ち。 1970年8月14日、サルトビ小山に3回KO負けを喫し、プロ初黒星。 1971年5月17日の藤古幸雄戦よりリングネームをタッド岡本に改名。 日本人初の2階級世界王者ファイティング原田が設立したトーア・ファイティングジムへ移籍し、1971年9月14日にホノルルでベン・ビラフロアと対戦し、初回55秒KO負けを喫した。
添野 義二(そえの よしじ、1947年9月29日 - )は、… 添野 義二(そえの よしじ、1947年9月29日 - )は、日本の空手家(士道館九段)・キックボクサーであり、世界空手道連盟士道館館長・キックボクシング「そえのジム」会長。極真会館出身で、城西の虎・極真の猛虎などの異名を持ち、山崎照朝と共に極真の龍虎と呼ばれていた。土方歳三に憧れていた事から一時期、添野 義三(そえの よしぞう)とも名乗っていた。士道館最高師範の添野達一は長男。 埼玉県所沢市出身。1964年9月1日に極真会館に入門。館長の大山倍達を筆頭に、大山道場時代からの師範代である石橋雅史・黒崎健時らが指導を行っていた。先輩には大山茂・大山泰彦・千葉真一・郷田勇三・中村忠・加藤重夫・藤平昭雄・芦原英幸らがいた。
山崎 照朝(やまざき てるとも、Terutomo Yamaz… 山崎 照朝(やまざき てるとも、Terutomo Yamazaki、1947年7月31日 - 2025年6月22日)は、日本の武道家・空手家・キックボクサー・ジャーナリスト・歌手。空手道段位 : 七段。身長177cm、62kg。異名は極真の龍・天才。 空手道の一つの理想的な組手を、フルコンタクト空手で示したことにより、歴史に残る空手家だと評価されている。アメリカ合衆国の武道雑誌『ブラックベルト』にもその名は刻まれており、真剣を思わせる切れ味鋭い技で、自らは傷を負わずに対戦相手をバッサリ斬ってとるファイティングスタイルから、キックボクシングでも幻の名選手と評され、異なる格闘技で一時代を築いた強豪である。
安岡 力也 (やすおか りきや、1947年〈昭和22年〉7月… 安岡 力也 (やすおか りきや、1947年〈昭和22年〉7月19日 - 2012年〈平成24年〉4月8日) は、日本の俳優・ロック歌手・キックボクサー・タレント。シャープ・ホークスのボーカル。イタリア名:リカルド・ニコ・バレンティーノ(安岡力也は日本国籍名)。身長187cm、体重108kg、血液型はO型。イタリア・ジェノヴァもしくは宮城県仙台市出身。埼玉県行田市育ち。長良グループ所属。 デビュー以来、本名の「安岡力也」名義で活動していたが、「安岡リキヤ」と表記していた時期もある。2001年、離婚を機に姓のない芸名「力也」に改名したが、2010年からは再び「安岡力也」名義で活動した。子は俳優の安岡力斗。
柴田 国明(しばた くにあき、1947年3月29日 - )は… 柴田 国明(しばた くにあき、1947年3月29日 - )は、日本の元プロボクサー。茨城県日立市出身。身長163cm。ヨネクラボクシングジム所属。元WBC世界フェザー級王者。元WBA・WBC世界スーパーフェザー級王者。元リングマガジン世界フェザー級・スーパーフェザー級王者。世界2階級制覇王者。 名門ヨネクラボクシングジムが生んだ初の世界王者。敵地メキシコで「赤き鷹」と呼ばれた王者ビセンテ・サルディバルから王座を奪取するなど、2階級に渡って3度世界王座を奪取したうち、2度が日本国外での王座獲得であった。 その才能は青木勝利、海老原博幸らと並んで日本プロボクシング史上屈指と評され、実力・実績に対する評価も極めて高い。
西城 正三(さいじょう しょうぞう、1947年(昭和22年)… 西城 正三(さいじょう しょうぞう、1947年(昭和22年)1月28日 - )は、日本のプロボクサー。WBA世界フェザー級王者。埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町出身。身長171cm。戦績は38戦29勝(8KO)7敗2分。 大場政夫、沼田義明、小林弘、柴田国明らと共に当時日本人現役世界王者が5人同時にいたという日本ボクシング黄金時代を彩った一人。協栄ボクシングジムから海老原博幸以来二人目の世界王者となった。日本プロスポーツ大賞の初代大賞受賞者。 日本人として初めて海外での世界王座奪取に成功した。 野口ボクシングジムで小学生の頃からベビーボクシングに取り組み、中学卒業後、実兄のトレーナー西条正右とジムの先輩金平正紀が興した協栄ボクシングジム(当時・金平ボクシングジム)に入門し、1964年(昭和39年)8月13日にプロデビュー。
高築 正子(たかつき まさこ、1947年 - )は、1970… 高築 正子(たかつき まさこ、1947年 - )は、1970年代に活躍した女子プロボクサーである。日本ボクシングにおける女性プロ第1号。 小学生の時は柔道に打ち込んでいたが、日本で初開催された世界バンタム級タイトルマッチをテレビ観戦したのがきっかけでボクシングに興味をもち、17歳のときに高校を中退し、元東洋太平洋スーパーフェザー級チャンピオン勝又行雄が小岩で開いたジムに入門してボクシングの世界に入り、22歳で地元蕨市内にある埼玉中央ボクシングジムのトレーナーとして男子の練習生とスパーリングを繰り返した。 1974年4月18日、後楽園ホールでエキシビションを披露。 1976年8月、当時の協栄ボクシングジム会長金平正紀の紹介で女子プロボクシングが解禁された米国・カリフォルニア州ロサンゼルスに単身で渡りプロライセンスを取得。
金沢 和良(かなざわ かずよし、1946年11月8日 - )… 金沢 和良(かなざわ かずよし、1946年11月8日 - )は、日本の男性プロボクサー、キックボクサー。北海道札幌市出身。アベボクシングジム所属。戦績41戦30勝(17KO)10敗1分。 北海道札幌工業高等学校在学中に札幌ジムでボクシングを始め、1963年には全日本社会人フライ級で優勝。 当初は協栄ジム入門を希望していたが結果的にアベボクシングジム所属で1965年7月18日、市川清戦でプロデビュー。 ルーベン・オリバレスとは1969年に1度対戦したが、その際は2RKO負けだった。1971年7月2日、孫永煥を5RKOで下し、OBF(現OPBF)東洋バンタム級王座を獲得。 同年10月25日、愛知県体育館でルーベン・オリバレスが持つWBA世界王座に挑戦した。
森岡 栄治(もりおか えいじ、男性、1946年6月8日 - … 森岡 栄治(もりおか えいじ、男性、1946年6月8日 - 2004年11月9日)は、日本のプロボクサー。大阪府大阪市大正区出身。1968年メキシコシティーオリンピックボクシングバンタム級の銅メダリスト。 大阪浪商高(現大体大浪商高)3年時にインターハイバンタム級優勝。近畿大学商学部進学後も1965年から全日本選手権4連覇を達成。1968年メキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得。決勝進出を阻んだのは不可解な判定であったが、会場がブーイングを続けたことに対し、森岡は「メキシコの人たちが、あれだけ騒いでくれたことがうれしい」と言い残している。アマチュア戦績138戦128勝72KO・RSC10敗。
宇野 正高(うの まさたか、男性、1946年3月26日 - … 宇野 正高(うの まさたか、男性、1946年3月26日 - 2025年12月23日)は、愛知県日進市出身の元プロボクサー。 最高位は日本バンタム級1位。東海ジム所属。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
高山 将孝(たかやま まさたか、1945年10月30日 - … 高山 将孝(たかやま まさたか、1945年10月30日 - )は、1970年代前半に活躍した日本のプロボクサー。中華民国(現中華人民共和国)上海市出身。日本ライト級王者。右ボクサータイプ。 小学生時代からボクシングを始め、1961年の高校1年時に全日本高校選手権フライ級で優勝。1963年10月に開催された東京オリンピックリハーサル大会でフェザー級に出場し、当時17歳の高校3年生ながら決勝でアマチュア全日本王者を破って優勝したことで注目されることになった。高校卒業後は早稲田大学第二商学部に進学し、同大学ボクシング部に在籍。 1964年、フェザー級日本代表として1964年東京オリンピックに出場、2回戦で試合を優勢に進めたもののバッティングにより左まぶたを切ってレフリーストップで敗退 。
ムサシ中野(ムサシ なかの、1945年2月26日 - 199… ムサシ中野(ムサシ なかの、1945年2月26日 - 1996年7月)は、日本の元プロボクサー。本名は中野 勝也。元東洋太平洋ウェルター級チャンピオン。 朝鮮総督府の警官を父として、韓国ソウル市に生まれる。終戦後日本へ引き揚げてきたが、父母と死別、孤児となる。祖父も剣道の達人だったという武道家の血筋からか、剣道、柔道、空手などを学んだ後、四日市工業高校時代にボクシングと出会う。アマの試合で3戦3勝の成績を残し、高校を中退してプロの道へ。 笹崎ボクシングジムに入門し、1963年デビュー。剣道で馴染んだ右手・右足前の構えを取るため、本来右利きでありながらサウスポーとなる(コンバーテッドサウスポー)。
米倉 宝二(よねくら ほうじ、1944年(昭和19年)10月… 米倉 宝二(よねくら ほうじ、1944年(昭和19年)10月3日 - )は、日本のボクサー。 立教大学在学中に、1964年東京オリンピックに男子ライトウェルター級大会で出場し、3回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
島木 譲二(しまき じょうじ、1944年〈昭和19年〉9月1… 島木 譲二(しまき じょうじ、1944年〈昭和19年〉9月13日 - 2016年〈平成28年〉12月16日)は、日本のお笑い芸人、プロボクサー、俳優、役者。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。興國商業高等学校卒業。 本名は濵 伸二(はま しんじ)。芸名は石原裕次郎が演じた映画『俺は待ってるぜ』の元ボクサーの「島木譲次」役に由来する。 兵庫県尼崎市に生まれる。小学校の時に見た映画『俺は待ってるぜ』で石原裕次郎が演じた元プロボクサーのレストラン店主である島木譲次役に憧れ、中学生の頃から本名(濵伸二)と役名(島木譲次)をもじって「ワシは島木譲二や!」と勝手に名乗っていたという。また、長嶋茂雄や中西太にも憧れて野球に打ち込み、強豪校である興國商業高等学校(現在の興國高等学校)に進学しているが、2年生の時に肩を壊して甲子園への道は断念した。
小林 弘(こばやし ひろし、1944年〈昭和19年〉8月23… 小林 弘(こばやし ひろし、1944年〈昭和19年〉8月23日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーフェザー級統一王者。元リングマガジン世界スーパーフェザー級王座。右のボクサータイプ。「雑草の男」の異名を持つ。既に閉鎖された中村ボクシングジムに所属していた。 群馬県伊勢崎市出身。伊勢崎市立南中学校卒業後、会社員として勤めていたが、1962年に上京して中村ジムに入り同年8月にプロデビューした。 日本ボクシング黄金時代を彩った一人で、初代王者、白井義男から6人目の世界チャンピオンとなった。白井義男、ファイティング原田の4度の防衛記録を塗り替える6度の防衛記録(当時の日本の選手の最多防衛記録。
岡田 晃一(おかだ こういち、1944年6月25日 - )は… 岡田 晃一(おかだ こういち、1944年6月25日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都出身。元OBF東洋ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)チャンピオン。キングジム、のち木村ジム所属。 派手なKO勝ちとは無縁だが、それを対照とできる優れた技巧で東洋王座を5度防衛したテクニシャン。 立教大学卒。オリンピック強化選手にもなった。1968年3月20日、キャリア9戦目で東洋ジュニアフェザー級王者スルフレド・バスコに挑戦、スピーディなジャブ、ストレートで王者をアウトボクシングで翻弄、判定で王座を奪取した。 確かな技巧でその後王座を5度防衛した。1970年2月26日、元金メダリストで東洋バンタム級王者の桜井孝雄とのカードは、当代屈指の技巧派同士の一戦として話題を呼んだが、2ラウンドのダウンが祟り小差の判定負け。
渡部 惇二(わたなべ じゅんじ、1944年(昭和19年)4月… 渡部 惇二(わたなべ じゅんじ、1944年(昭和19年)4月12日 - )は、日本のボクサー。 近畿大学在学中に、1968年メキシコシティーオリンピックで男子ライトフライ級に出場し、ソビエト連邦のヴィクトル・ザポロージェツ(英語版、ロシア語版)に敗れ、1回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
益田 弘二(ますだ こうじ、1944年(昭和19年)2月1日… 益田 弘二(ますだ こうじ、1944年(昭和19年)2月1日 - 2022年(令和4年)8月28日[要出典])は、日本のボクサー。 早稲田大学在学中に、1964年東京オリンピックに男子ライトミドル級で出場した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
南 久雄(みなみ ひさお、1944年1月29日 - )は、日… 南 久雄(みなみ ひさお、1944年1月29日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は南 久夫。大阪府吹田市出身。元日本ウェルター級、東洋ウェルター級、東洋ミドル級チャンピオン。日本、東洋で3つのタイトルを制した重量級の名選手。中外ジム所属。関西のジム出身者として初めて世界王座に挑んだ選手でもある。 1962年デビュー。1965年12月27日、渡辺亮の持つ日本ウェルター級王座に挑むが、引き分けで奪取ならず。翌1966年10月3日の再挑戦では渡辺に雪辱、10回判定勝ちで日本王座を獲得したものの、翌1967年3月27日の初防衛戦で窪倉和嘉に判定で敗れ、王座から陥落した。12月15日の再戦でも窪倉に判定負け、王座奪回はならなかった。
高山 勝義(たかやま かつよし、1944年1月6日 - )は… 高山 勝義(たかやま かつよし、1944年1月6日 - )は、日本の元プロボクサー。千葉県館山市出身。現役時代は木村ジム(現・新日本木村ボクシングジム)所属。左ストレートが武器のサウスポーでアグレッシブなインファイトを得意とした。 1962年3月22日、プロデビューでは判定負けを喫し、2戦目は引き分けた。しかし、その後は連勝を重ね、1963年1月28日、初回KO勝利で第9回全日本フライ級新人王を獲得。8月22日、現役の日本フライ級王者斎藤清作(たこ八郎)にノンタイトル戦ながら10回判定勝ち。1963年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会では新鋭賞に選出された。 1965年10月7日、WBA・WBC世界フライ級王者サルバトーレ・ブルニ(イタリア)とのノンタイトル10回戦では右フック、ジャブが好調で、3Rには左ストレートの追撃でダウンを奪ってペースを譲らず、判定勝利を収めた。
冨士井 金雪(ふじい かねゆき、1943年10月10日 - … 冨士井 金雪(ふじい かねゆき、1943年10月10日 - 1990年6月13日)は、三重県度会郡二見町(現・伊勢市)出身の元ボクサー、ボクシング指導者、高校野球指導者。 中学卒業後に神鋼電機に勤めながら定時制の伊勢実業高等学校(現・三重県立伊勢まなび高等学校)に通ったが、2年の時に中退し、名古屋市のボクシングジムに入る。だが、わずか2年で伊勢実業に復学し6年かけて高校を卒業した。その後、国士舘大学に進み、元来はボクシング選手であるにもかかわらず陸上競技部にも在籍した。 26歳で大学を卒業後、三重県内の小学校や中学校で教員経験を積み、1974年、三重県内でボクシング部のあった三重県立明野高等学校のボクシング部監督に就任。
輪島 功一(わじま こういち、1943年4月21日 - )は… 輪島 功一(わじま こういち、1943年4月21日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーウェルター級統一王者。元リングマガジン世界スーパーウェルター級王者。 現在はタレント、輪島功一スポーツジム名誉会長。団子屋の経営も行っていた。樺太豊原市(現・ユジノサハリンスク)出身、北海道士別市育ち。血液型はB型。 世界スーパーウェルター級王座を3度獲得(1度目と2度目はWBA・WBC統一王座で、日本人初の公式な(WBA・WBC分立後)統一世界王者でもある。3度目はWBAのみ)。"炎の男"の異名を持ち、"かえる跳び"等で知られる変則右ボクサーであった。具志堅用高、ガッツ石松、輪島の三人でボクシング界の重鎮として共演することが多い。
吉野 洲太(よしの しゅうた、1943年(昭和18年)3月2… 吉野 洲太(よしの しゅうた、1943年(昭和18年)3月20日 - )は、日本の元プロボクサー。東拳に所属していた。 日本大学在学中に、1964年東京オリンピックに男子フライ級で出場し、東ドイツのオットー・バビアッシュ(Otto Babiasch)に敗れ、2回戦敗退した。 1966年にプロ転向。 1968年12月23日、後のWBA世界フライ級王者大場政夫に敗れ引退。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
中村 剛(なかむら たけし、1943年3月18日 - )は、… 中村 剛(なかむら たけし、1943年3月18日 - )は、日本の元プロボクサー、実業家。栃木県真岡市出身。元OBF東洋フライ級チャンピオン。 1959年にデビュー。 1963年6月7日、ノンタイトルでOBF東洋フライ級王者チャチャイ・ラエムファバー(チャチャイ・チオノイ)を破る金星を挙げる。同年7月7日、チャチャイのOBF東洋王座に挑み、体格に勝るチャチャイにインファイトを仕掛けて巧みに左右フックをヒット、僅差の判定勝ちでタイトルを獲得した。弱冠20歳であった。 その後は粘り強いファイトを身上に、約6年の在位期間で10度の防衛に成功した。その中には後に世界チャンピオンとなるエルビト・サラバリア、バーナベ・ビラカンポら強豪も含まれる。
沢村 忠(さわむら ただし、1943年〈昭和18年〉1月5日… 沢村 忠(さわむら ただし、1943年〈昭和18年〉1月5日 - 2021年〈令和3年〉3月26日)は、日本のキックボクサー。剛柔流空手道参段。満洲国出身。本名:白羽 秀樹(しらは ひでき)。娘はタレントの白羽玲子。半生を描いた漫画やアニメの『キックの鬼』の影響により、世間からは「キックの鬼」と呼ばれていた。 幼少より祖父から剛柔流空手道を習う。祖父からは中国武術も習っていた模様。幼少期には子役として「劇団そらまめ」という児童劇団に入っており、将来は役者を目指していた。実際に中学3年生のときには新東宝の新東宝スターレットに合格し、「城哲也」の芸名でテレビドラマ等へ出演していたが、新東宝の倒産に伴い芸能活動休止を余儀なくされる。
青木 勝利(あおき かつとし、1942年11月28日 - )… 青木 勝利(あおき かつとし、1942年11月28日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都杉並区出身。三鷹ジム所属。元OPBF東洋太平洋バンタム級王者。 「メガトン・パンチ」と称された強打と抜群のセンスで、ファイティング原田、海老原博幸と並び「三羽烏」と呼ばれた。当時の日本記録である7試合連続KO勝ちを達成し、19歳で東洋王者になるなどの活躍を見せた。一方で、現役時代から酒好きと練習嫌いで知られており、上記3人の中で唯一世界王座に届かなかった。現役引退後、窃盗や無銭飲食などの刑事事件を何度も繰り返して世間を騒がせた。 少年時代は、家出を繰り返すなどの虞犯少年で、16歳で少年院に入れられた。入院中にテレビ中継でボクシングに出会い、退院直後の1960年4月に三鷹ジムの住み込みの練習生となる。
浜田 吉治郎(はまだ よしじろう、男性、1942年10月25… 浜田 吉治郎(はまだ よしじろう、男性、1942年10月25日 - 2013年9月22日)は、日本の元アマチュアボクシング選手、指導者。東京オリンピック日本代表。元近畿大学ボクシング部総監督。 新田高校から近畿大学に進み、全日本選手権優勝。東京オリンピックにウェルター級で出場、準々決勝に進出も、金メダルを獲得したマリアン・カスプルシクに敗れる。 引退後は近大ボクシング部でコーチ、後に総監督として現総監督の赤井英和やWBA世界スーパーフライ級王者名城信男らを指導、同部が不祥事で一時廃部になる2009年まで指導の場に立った。 2013年9月22日午前6時8分、心不全のため奈良県北葛城郡河合町の自宅で死去。
白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月… 白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月3日 - )は、日本の体育学者、アマチュアボクシング選手。 青森県青森市出身。青森県立北斗高等学校卒業後、早稲田大学に進学。 接近戦を得意とする選手で、1962年から1964年にかけてライト級の全日本チャンピオン。1962年アジア競技大会(第4回、ジャカルタ)にボクシング種目 (Boxing at the 1962 Asian Games) で出場し、ライト級で銀メダルを獲得した。 早稲田大学在学時、1964年東京オリンピックに日本代表の一人として選ばれ男子ライト級で出場した。メダルへの期待が高かったとされるが、3回戦で敗れた。のちに早稲田大学の授業で「自分がメダルを取れなかった理由」として、外国人選手の態度の大きさに圧倒されたこと(乱痴気騒ぎに辟易して寝不足になったという)、日本のボクシングチームのキャプテンとして試合前日まで奔走したこと(バンタム級の桜井孝雄が行方不明になったとして大騒ぎになったが、桜井は渋谷のバーで一人で飲んでいたという。
藤本 勲(ふじもと いさお、1942年1月24日 - 202… 藤本 勲(ふじもと いさお、1942年1月24日 - 2020年5月5日)は、日本のキックボクサー。本名、藤本洋司(ふじもと ようじ)。 山口県長門市出身。剛柔流空手二段。1966年6月に目黒ジムよりプロデビュー。1969年2月26日にルンピニー・スタジアムでコクデノイを膝蹴りでKO。現役時代は膝蹴りを得意とし、”ヒザ蹴りジャックナイフ”の異名をとった。 1968年に東映映画『ごろつき』に出演。キックボクシングのスパーリングで主演の高倉健をノックアウトするチャンピオンの役であった。他に東洋ミドル級チャンプの沢村忠、東洋ライト級チャンプの西川純、全日本ヘビー級1位の斉藤天心が出演していた。 1970年12月にキックボクシングを引退。
スピーディ早瀬(スピーディはやせ、1941年10月18日 -… スピーディ早瀬(スピーディはやせ、1941年10月18日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は叶 哲郎(かのう てつろう)。広島県出身。フライ級で2度、日本タイトルを獲得した。 広島県松本商業高校在学中の1960年、インターハイでモスキート級優勝。中央大学で活躍後、中村ジムからプロデビュー。 1970年公開の映画・実写版「あしたのジョー」にウルフ金串役で出演している。 1962年7月13日、プロデビュー。 1965年4月24日、後の世界王者バーナベ・ビラカンポに敗れる。 1967年4月10日、元世界王者海老原博幸に敗れる。 1967年8月27日、日本フライ級王座決定戦で高山勝義に勝利し、タイトル獲得。
桜井 孝雄(さくらい たかお、男性、1941年9月25日 -… 桜井 孝雄(さくらい たかお、男性、1941年9月25日 - 2012年1月10日)は、日本の元アマチュアボクシング選手・プロボクサー。千葉県佐原市(現・香取市)出身。中央大学卒業。1964年東京オリンピック・バンタム級金メダリスト。OBF東洋バンタム級王者。 天性の勘と磨かれた技術、優れたフットワークを持ち、金メダリストとして鳴り物入りでプロ入りしたものの、ボクシングに対しクール過ぎる性格が災いし「安全運転」と称された消極的ボクシングを展開。当時のプロのバンタム級はファイティング原田やルーベン・オリバレスらが王座を保持して世界の壁が厚く、これを突破することはできなかった。しかし、2012年に村田諒太がロンドン・オリンピックのミドル級で金メダルを獲得するまでの48年間、アマチュアボクシングでは五輪のみならず世界選手権を合わせても唯一の日本の金メダリストであり、アマチュアボクシング界に残した功績は大きかった。