長谷川 広(はせがわ ひろ、1981年4月3日 - 2002… 長谷川 広(はせがわ ひろ、1981年4月3日 - 2002年7月1日)は、囲碁の棋士。島根県江津市出身、関西棋院所属、今村俊也九段門下、六段。 1990年津宮小学校3年にして、少年少女囲碁大会小学生の部で優勝し才覚を現す。1994年、小学校卒業と同時に大阪の今村俊也を頼って上阪、1995年に初段となる。1999年には、新人賞及び連勝賞(14連勝)をあげる。 しかし2002年7月1日、京都府京都市西京区の自宅で起きた火災により急性一酸化炭素中毒で死去した。火災の原因について、自殺か失火か京都府警桂署の調査でも不明とされた。同年3月には囲碁棋士としては異例の金髪に染色し周囲を驚かせるなどの行動も見せ、5月には当時最年少六段に昇段したばかりで将来を嘱望されていたが、戦績を思い悩む様子も見受けられていた。
山森 忠直(やまもり ただなお、1981年2月15日 - )… 山森 忠直(やまもり ただなお、1981年2月15日 - )は、日本棋院中部総本部所属の囲碁棋士。七段。福井県出身。妻は囲碁棋士の王景怡。
河野 臨(こうの りん、1981年1月7日 - )は、囲碁の… 河野 臨(こうの りん、1981年1月7日 - )は、囲碁のプロ棋士、九段。東京都西東京市出身。保谷市立(現・西東京市立)明保中学校卒業。日本棋院東京本院所属。小林光一名誉三冠門下。天元位3連覇(第31期-第33期)。棋聖位・名人位・本因坊位・碁聖位挑戦者。妻は囲碁棋士の奥田あや。 父親に碁を教わり、小学4年生ごろから仁風会(木谷実の「土曜木谷会」の後継の会)に参加して、さらに小林光一の研究会に参加するようになり、のちに小林に師事。 1996年入段、二段に昇段。1997年三段、大手合第二部優勝。1998年四段。1999年五段。2001年六段、棋道新人賞。 2003年七段、天元戦挑戦者決定戦進出。
山本 賢太郎(やまもと けんたろう、1980年11月15日 … 山本 賢太郎(やまもと けんたろう、1980年11月15日 - )は、日本の囲碁棋士。六段。鳥取県倉吉市出身。後藤俊午九段門下で、日本棋院関西総本部に所属する。 父親の影響を受け、4歳から囲碁を始める。小学校4年生の時に日本棋院関西総本部の院生となり、大阪の小学校に転校する。1997年に入段。 21歳の時に広島市に移住し、広島県師範として普及活動などを行っている。2023年創設の日本女子囲碁リーグでは、チーム若鯉の監督を務める。
松本 武久(まつもと たけひさ、1980年9月8日 - )は… 松本 武久(まつもと たけひさ、1980年9月8日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。長崎県五島市福江島生まれ。趙治勲名誉名人門下。 5歳から父の影響で、囲碁をはじめる。幼少時には、父の転勤が続いたため一所に長いこと居住することはなかったが、東京在住時に緑星囲碁学園に通いその中では弱かったと回顧する。 その後香川県高松市に転居し高松中央小学校5、6年で史上初の少年少女囲碁大会小学生の部で2連覇を果たす。 記念対局で趙治勲に2子局で敗れ、その夜に再度趙が自宅を訪問し2局打ち才能を認め、内弟子に採られ中学1年に千葉県へ転居。内弟子時代に1年先輩の金秀俊、後輩の鶴山淳志らと切磋琢磨し実力をつける。
下島 陽平(しもじま ようへい、1978年11月21日 - … 下島 陽平(しもじま ようへい、1978年11月21日 - )は、日本棋院中部総本部所属の囲碁棋士。八段。長野県駒ヶ根市出身、吉岡薫九段門下。 長野県駒ヶ根市出身。幼少期は友人と野球や山遊びを楽しんで過ごした。小学3年生の時に、下島が在学する駒ヶ根市立中沢小学校へアマチュア強豪の北村俊郎が赴任、同級生らと共に囲碁の薫陶を受ける。北村とは少なくとも3000局は対局したといい、4年生のうちにアマ五段程度にまで上達。その後、小学校卒業を機に吉岡薫の内弟子となる。 12歳で中部総本部の院生となるが、当初は既にプロ入りを決めていた羽根直樹と5子局で対局して完敗し、院生手合では13連敗を喫するなど挫折の連続であった。
秋山 次郎(あきやま じろう、1977年11月23日 - )… 秋山 次郎(あきやま じろう、1977年11月23日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。九段。東京都世田谷区出身。菊池康郎に師事。主な実績に、NEC俊英囲碁トーナメント戦優勝、天元戦挑戦者など。 小学校1年で母方の叔父の影響で囲碁を始める。兄と共に碁会所に通ううち、転居を経て小学3年で菊池康郎の紹介を経て、緑星囲碁学園に通うようになる。同学園では、同学年の溝上知親や後に入園してきた1級下の山下敬吾と切磋琢磨し実力をつける。1988年小学5年の時に少年少女囲碁大会3位入賞。1992年入段。 1994年竜星戦予選で6連勝して本戦入りしベスト4進出、38勝6敗で全棋士勝率1位、四段。1996年五段。
王 唯任(おう ゆいにん、1977年4月6日 - )は、日本… 王 唯任(おう ゆいにん、1977年4月6日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。台湾台北市出身。筒井勝美六段門下。東京中華学校、桜美林大学経済学部卒。桜美林大学大学院国際学研究科国際関係専攻博士前期課程修了。
羽根 直樹(はね なおき、1976年8月14日 - )は囲碁… 羽根 直樹(はね なおき、1976年8月14日 - )は囲碁のプロ棋士。日本棋院中部総本部所属。三重県志摩市磯部町出身。A型。七大タイトル獲得は9期。 棋聖2連覇、本因坊2連覇、天元位3連覇などの実績を持ち、中部総本部初の三大タイトル獲得者となった。 張栩、山下敬吾、高尾紳路らとともに「平成四天王」と称される。また棋士一家としても有名で、史上唯一七大タイトルを親子で獲得している。 現在は父・泰正(後述)と同じ、愛知県長久手市在住。 元王座の羽根泰正の次男として生まれる。七大タイトルでの親子タイトルホルダーは史上唯一。父・羽根泰正の指導の下に幼少の頃より棋士を志し、1991年に15歳で入段し2002年に九段(入段から11年3か月で九段到達は当時の日本棋院最短記録)。
大澤 奈留美(おおさわ なるみ、1976年5月22日 - )… 大澤 奈留美(おおさわ なるみ、1976年5月22日 - )は、日本の囲碁棋士。日本棋院東京本院所属。菊池康郎門下。 埼玉県さいたま市(旧大宮市)出身。父は碁会所を営んでいた影響で、6歳から囲碁を学び始める。妹の大澤摩耶や上田崇史と同じ碁会所で打つ。佐藤幹雄の子供囲碁教室の入門。7歳でアマ初段、9歳でアマ5段、アマチュア向け秀行塾に参加。緑星囲碁学園に小学5年から通い実力をつける。10歳で初代埼玉女流アマ名人、翌年も優勝して2連覇。1988年8月、大宮市立蓮沼小学校6年で、第9回少年少女囲碁大会に埼玉県代表で出場し6位入賞。 1989年、日本棋院院生となる。さいたま市立大砂土中学校、埼玉県立大宮東高等学校卒。
富紅梅(ふ こうばい、1975年2月2日 - )は、女流棋士… 富紅梅(ふ こうばい、1975年2月2日 - )は、女流棋士 (囲碁)。中国出身。日本棋院東京本院所属。林海峰9段門下。 9歳の頃より碁を始め、小学校を卒業した後は黒竜江省棋院に入る。ハルビン市大会、黒竜江省大会で優勝するも16歳で競技生活を中断。19歳で留学のために来日し、碁を再開する。第40回全日本女流アマチュア囲碁選手権大会優勝(1998年)。獨協大学卒業。
加藤 充志(かとう あつし、1974年(昭和49年)8月14… 加藤 充志(かとう あつし、1974年(昭和49年)8月14日 - )は、日本の囲碁棋士。東京都出身、日本棋院所属、菊池康郎に師事、九段。JT杯星座囲碁選手権戦優勝など。中央を好む棋風。 東京都江東区生まれ。9歳の時に祖父から囲碁を学び、菊池康郎の緑星囲碁学園に通う。1986年少年少女囲碁大会小学生の部で5位入賞。その後日本棋院院生となり、1990年入段。1992年棋聖戦三段戦優勝。1993年四段時に日中スーパー囲碁で4人抜きし「スーパーアツシ君」と呼ばれる。1996年、棋聖戦五段戦優勝、選抜戦でも優勝し、最高棋士決定戦進出。1997年には六段戦優勝するが選抜戦では準優勝。1998年JT杯で獅子座の部に優勝して本戦出場、決勝で趙治勲を破って棋戦初優勝。
光永 淳造(みつなが じゅんぞう、1974年8月6日 - )… 光永 淳造(みつなが じゅんぞう、1974年8月6日 - )は、囲碁のプロ棋士、六段。岡山県で出生し、兵庫県神戸市で育つ。日本棋院東京本院所属。灘中学校・高等学校、東京大学理学部数学科卒業。
知念 かおり(ちねん かおり、1974年7月28日 - )は… 知念 かおり(ちねん かおり、1974年7月28日 - )は、囲碁の棋士。沖縄県平良市出身、日本棋院東京本院所属、時本壱九段門下。女流本因坊4期、女流棋聖5期など。攻めと地の両方をこなし、柔軟で勝負強い棋風。夫は楊嘉源九段。 沖縄県宮古島市(旧平良市)で育ち、小学2年の時に父から囲碁の手ほどきを受ける。小学6年の時に、囲碁の勉強のために8か月間沖縄本島に住み、関西棋院で院生となる予定であったが、ホームシックから宮古島に戻った。その後中学2年で少年少女囲碁大会中学生の部ベスト32、全日本女流アマチュア囲碁選手権大会ベスト16。中学3年の時に上京し、その当時開設されたばかりの日本棋院幕張研修センターに入り院生生活を始めるが、年齢制限で退所を余儀なくされ、沖縄県出身の縁で茨城県に住む時本壱八段の内弟子になる。
矢田 直己(やた なおき、1973年8月21日 - )は、日… 矢田 直己(やた なおき、1973年8月21日 - )は、日本の囲碁棋士。関西棋院所属、九段。和歌山県紀の川市出身。 14歳でプロ入りし、長年にわたり関西棋院の中堅棋士として活動している。 師匠は白石裕九段。門下に稲葉かりん二段、新谷洋佑三段がいる。 和歌山県紀の川市に生まれる。 1988年、14歳で関西棋院からプロ入り。2000年に九段昇段。堅実な棋風を持ち、多くの若手棋士の育成にも携わっている。 関西地方を中心に囲碁の普及活動を行っており、和歌山県では指導碁会や囲碁イベントの解説などに積極的に参加している。
木下 かおり(きのした かおり、1973年5月6日 - )は… 木下 かおり(きのした かおり、1973年5月6日 - )は、囲碁インストラクター。神奈川県出身。日本棋院の公認審判員。2008年日本棋院普及活動賞受賞。東京都師範。中央大学総合政策学部卒。アマチュア六段の資格を持ち囲碁の普及活動などをしている。東京都中学校囲碁連盟顧問(特別委員)でもある。また、野菜ソムリエの上級認定資格である「シニア野菜ソムリエ」の資格を持ち、関東地区の野菜ソムリエコミュニティの一つ「野菜ソムリエコミュニティーTOKYO」元代表(2009年7月まで)、料理教室「cuisine facile」を主宰するなど幅広い活動をしている。
坂井 秀至(さかい ひでゆき、1973年4月23日 - )は… 坂井 秀至(さかい ひでゆき、1973年4月23日 - )は、日本のプロ棋士。関西棋院所属。兵庫県三田市出身。灘高校、京都大学医学部卒業。医師の資格を持つ。佐藤直男九段門下。
高野 英樹(たかの ひでき、1970年5月8日 - )は、日… 高野 英樹(たかの ひでき、1970年5月8日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士、日本コントラクトブリッジ連盟公認プロ。東京都出身。 小学・中学・高校・大学のビッグタイトルの獲得歴のある唯一の棋士として知られる。またサラリーマン経験のある数少ない棋士でもある。何度もプロ棋士になるよう内弟子や院生への誘いを受けたが、それを断り続け外来として入段した。 菊池康郎の緑星囲碁学園で力をつけ現在も関わりを持つ。 コントラクトブリッジの強豪としても知られ、囲碁棋士としてプロ入り以降にプロとなっている。ただしプロといえど、2010年まで日本国内に賞金付の大会は少なく、実業として囲碁による収入がメインである。
小山 栄美(こやま てるみ、1970年(昭和45年)1月3日… 小山 栄美(こやま てるみ、1970年(昭和45年)1月3日 - )は、日本の囲碁棋士。神奈川県出身、日本棋院所属、加藤正夫名誉王座門下、六段。女流名人戦優勝4期など。小山竜吾六段は夫、小山空也初段は実子、旧名「西田栄美」「小山滿鶴」。
横田 茂昭(よこた しげあき、1969年5月1日 - )は、… 横田 茂昭(よこた しげあき、1969年5月1日 - )は、囲碁の棋士。岡山県浅口郡金光町(現浅口市)出身、関西棋院所属、赤木一夫門下、九段。関西棋院第一位、碁聖戦挑戦者など。厚みを重視する棋風。趣味はクラシック音楽とバレーボール。 1980年、第1回少年少女囲碁大会に金光町立金光小学校5年で出場し、見事初代優勝者となる。翌年も連覇を掛け第2回少年少女囲碁大会に出場するが、のちに関西棋院の後輩となる新垣朱武に敗れ準優勝に終わる。 1983年入段、1995年に九段。 2005年、第49期関西棋院第一位決定戦で中野泰宏を2-0で降し、自身初のタイトルを手にした。 2007年、第32期碁聖戦トーナメントを勝ち上がり、38歳にして七大タイトル初挑戦を果たす。
稲葉 禄子(いなば よしこ、本名:白江 禄子(しらえ - )… 稲葉 禄子(いなば よしこ、本名:白江 禄子(しらえ - )、1969年4月15日 - )は、日本のアマチュア女流棋士(囲碁)、囲碁指導インストラクターである。段位はアマチュア六段。元日本棋院院生。 藤村女子高等学校を経て、東京富士大学短期大学部卒業。 日本棋院所属の引退棋士白江治彦八段は義父。夫は、ダイアモンド囲碁サロン経営者の白江徹一。
小松 英樹(こまつ ひでき、1967年〈昭和42年〉3月4日… 小松 英樹(こまつ ひでき、1967年〈昭和42年〉3月4日 - )は、日本の囲碁棋士。愛知県出身、日本棋院東京本院所属、安永一に師事、九段。 NECカップ囲碁トーナメント戦優勝、新人王戦2回優勝など。師の安永の研究した中国流布石に詳しい。夫人は小松英子四段、小松大樹四段は実子。 福井県敦賀市に生まれ、父の転勤で愛知県に移る。6歳で父から囲碁を学び、1978年に日本棋院中部総本部の院生となり、1979年に神奈川県に移って東京本院に転属。1981年、初段。1985年に二宮英子初段と結婚。同年五段昇段。1988年、新人王戦決勝で鳴沢泰一を2-0で破って優勝。同年、29勝8敗の成績で、棋道賞新人賞受賞。
内藤 由起子(ないとう ゆきこ 1966年9月19日 - )… 内藤 由起子(ないとう ゆきこ 1966年9月19日 - )は、囲碁観戦記者・囲碁ライター。 神奈川県平塚市出身。平塚市立花水小学校、平塚市立浜岳中学校、神奈川県立平塚江南高等学校を経て、お茶の水女子大学家政学部を卒業。在学中は囲碁部に所属した。 日本アイ・ビー・エム勤務の後、お茶の水女子大学大学院修士課程入学、日本食糧新聞社入社。朝日新聞紙上で囲碁名人戦・第22期より観戦記を担当。囲碁将棋チャンネル「囲碁 名局の解説 本因坊家特集」に聞き手として出演している。 囲碁ライター協会役員、東日本大学OBOG囲碁会役員。
今村 俊也(いまむら としや、昭和41年(1966年)3月2… 今村 俊也(いまむら としや、昭和41年(1966年)3月29日 - )は、囲碁の棋士。奈良県奈良市出身、関西棋院所属、苑田勇一九段門下、九段。関西棋院常務理事(渉外・ネット担当)。元NHK囲碁講座講師。 第14期碁聖戦挑戦者。第55期王座戦挑戦者。 独創的かつじっくり手厚く構える棋風で「世界一厚い碁」とも呼ばれる。また早島戸川氏(岡山県早島町)の国家老(70石)の末裔として知られる人物である。 門下に長谷川広六段。康子夫人はアマチュア強豪であり、TV司会などでも活躍。 13歳の時に子供囲碁教室を通じて苑田九段に入門。1980年入段。藤沢秀行の研究会に参加、同年の依田紀基とともに若手有望株として期待され「東の依田、西の今村」と称される。
依田 紀基(よだ のりもと、1966年2月11日 - )は、… 依田 紀基(よだ のりもと、1966年2月11日 - )は、日本棋院に所属する囲碁棋士。九段。北海道美唄市生まれ、岩見沢市育ち。安藤武夫七段門下。名人4期、碁聖6期、十段2期、NHK杯優勝5回、第1回三星火災杯世界オープン戦優勝など、タイトル獲得数36で囲碁棋士の獲得タイトル数ランキング歴代8位。捨て石の名手とされ、また、その人柄から「最後の無頼派」「囲碁界最後の無頼派」などとも呼ばれる。左利きだが、石を打つのは右手。原幸子との間に3人の子供がおり、次男の依田大空も囲碁棋士。門下に藤村洋輔四段。 北海道美唄市に生まれ、幼い頃は美唄ののどかな自然の中で虫や魚を捕ったりして遊びまわる少年であったという。
清成哲也(きよなり てつや、1961年(昭和36年)11月2… 清成哲也(きよなり てつや、1961年(昭和36年)11月27日 - )は、囲碁の棋士。宮崎県延岡市出身、関西棋院所属、倉橋正蔵八段門下、九段。長男真央も関西棋院の棋士。主要な良績にNHK杯テレビ囲碁トーナメント準優勝、関西棋院第一位決定戦優勝2回など。入段から九段昇段まで10年3ヶ月の、日本棋院を含めての最短昇段記録を持っていた。 アマチュア強豪の父の影響で、4、5歳頃に碁を覚える。中学2年の時に同郷の倉橋正蔵の内弟子となって、関西棋院院生となる。1976年入段。1980年五段。同年、新人王戦決勝で宮沢吾朗に0-2で敗れ準優勝。1982年に棋戦戦七段戦で優勝し、続く全段争覇戦では本田邦久、中村秀仁を破り、決勝では淡路修三に敗れるが準優勝となって、最高棋士決定戦に出場、1回戦で林海峰に敗れた。
小林 覚(こばやし さとる、1959年4月5日 - )は、囲… 小林 覚(こばやし さとる、1959年4月5日 - )は、囲碁棋士。日本棋院元理事長(2019年4月-2024年6月)、木谷實九段門下、九段。 第19期棋聖。第20期碁聖、三星火災杯世界オープン戦準優勝など。第29回棋道賞最優秀棋士賞受賞。 木谷道場の中で最も若い七大タイトル獲得者(門下では7人目で最後の獲得者)。 兄姉弟4人皆プロ棋士で(小林千寿六段、小林健二七段、小林孝之準棋士二段)その末弟。なお同姓の小林光一名誉三冠は同じ木谷門下の兄弟子ではあるが血縁関係は無い。 長野県松本市に生まれ、プロに2子を置けば負けないほどの実力の父に、3歳からスパルタ教育を受ける。1966年に本格的な修行のために一家で東京に移る。
片岡 聡(かたおか さとし、1958年(昭和33年)8月3日… 片岡 聡(かたおか さとし、1958年(昭和33年)8月3日 - )は、囲碁の棋士。千葉県松戸市出身、日本棋院所属、榊原章二九段門下、九段。天元位獲得、本因坊戦挑戦者など。手厚くバランスのよい本格的な棋風。
萩原 睦(はぎわら むつみ、1957年2月17日 - )は、… 萩原 睦(はぎわら むつみ、1957年2月17日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。群馬県安中市出身、八段。1980年入段、2020年引退。通算成績326勝451敗3持碁。 この項目は、囲碁の棋士(アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
小林 千寿(こばやし ちず、1954年(昭和29年)9月28… 小林 千寿(こばやし ちず、1954年(昭和29年)9月28日 - )は、囲碁の棋士。日本棋院所属、木谷実九段門下、六段。日本棋院常務理事(2010年6月 - 2012年6月、2016年6月 - 現在)。日本将棋連盟非常勤理事(2011年5月〜)。女流選手権戦優勝3連覇、女流鶴聖戦優勝3回など。海外囲碁普及活動を積極的に行っている。小林四姉弟の長子で、孝之準棋士、健二七段、覚九段は弟。娘あり。 長野県松本市に生まれる。4歳で父から囲碁を習う。同時にピアノ、合気道、書道も習ったが、父の熱意で囲碁だけが続けられた。6歳で木谷実の内弟子となる。入門時に「呉清源先生を負かすまでは松本に帰ってきません」と言ったという。
石倉 昇(いしくら のぼる、1954年6月22日 - )は、… 石倉 昇(いしくら のぼる、1954年6月22日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁棋士。神奈川県横浜市出身。九段。
小林 光一(こばやし こういち、1952年9月10日 - )… 小林 光一(こばやし こういち、1952年9月10日 - )は、囲碁のプロ棋士。名誉棋聖、名誉名人、名誉碁聖。北海道旭川市出身。東京都小金井市在住。木谷實九段門下。日本棋院東京本院所属。前妻の小林禮子(1996年逝去)との間に一男一女、後妻との間にも子どもがいる。長女小林泉美、娘婿の張栩、孫の張心澄、張心治もプロの囲碁棋士。門下に河野臨、大矢浩一、酒井真樹、大木啓司、金澤秀男、桑原陽子、穂坂繭がいる。 タイトル獲得数歴代4位。棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇など、数々のタイトル連覇記録を樹立し、歴代2位の3つの名誉称号を持つ。棋道賞「最優秀棋士賞」7回(歴代3位タイ記録)、秀哉賞7回。6年連続賞金ランキング1位(1988-1993)。
小川 誠子(おがわ ともこ、1951年4月1日 - 2019… 小川 誠子(おがわ ともこ、1951年4月1日 - 2019年11月15日)は、日本の囲碁棋士。日本棋院所属。木谷實九段門下。夫は俳優の山本圭。 福井県福井市生まれ、愛知県名古屋市育ち。精華学園高等学校卒業。 6歳で碁を覚え、小学4年の頃から酒井利雄八段の紹介で日本棋院中部総本部に通う。1965年、14歳時に全日本女流アマチュア囲碁選手権大会で優勝。「おかっぱ本因坊」と話題になり、これを機会に1966年1月に木谷實の内弟子となり18歳でプロ棋士になった。 1970年入段、71年二段、74年三段、75年四段、92年五段、95年六段。2008年、杉内寿子に次ぐ女流2人目の500勝達成。 1977年、指導碁を通じて知り合った俳優の山本圭と結婚。
武宮 正樹(たけみや まさき、1951年1月1日 - )は、… 武宮 正樹(たけみや まさき、1951年1月1日 - )は、囲碁のプロ棋士、九段。名人1期、本因坊6期など。東京都葛飾区出身。日本棋院所属。本因坊時代の雅号は当初「秀樹(しゅうじゅ)」であったが、2度目の獲得以降は「正樹(せいじゅ)」と改めた。また世界選手権設立当初に活躍したため、「世界最強の男」の異名を取った。 中央に大模様を作る厚み重視の棋風は、「宇宙流」という愛称で知られる。田中三七一・木谷実に師事。尊敬する棋士は藤沢秀行名誉棋聖など。同じ木谷実門下の石田芳夫、加藤正夫と並んで「黄金トリオ」「木谷三羽烏」と呼ばれ、木谷一門黄金時代の一翼を担った。 妻は梶和為九段の娘。プロ棋士の武宮陽光は長男。
宮沢 吾朗(みやざわ ごろう、戸籍上の表記は宮澤 吾朗、19… 宮沢 吾朗(みやざわ ごろう、戸籍上の表記は宮澤 吾朗、1949年11月29日 - )は、囲碁の棋士。北海道帯広市出身。木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。 父は衣料店経営の傍ら囲碁の指導をしていたアマチュア強豪で、6歳の頃に兄(宮沢は5男3女の8人きょうだいの末っ子)から碁を教わる。11歳でアマ4段くらいになった1961年、木谷實九段が弟子の上村邦夫・久島国夫(共に現九段)・高畑(柴田)寛二を連れて帯広にやって来た。そこで高畑と3子で打ち木谷に認められ釧路へ1週間同行することになる。後日木谷道場への入門を勧める手紙が届き、11月、大野正由地方棋士とともに帯広の家を出発。青函連絡船に乗って道場へ向かった。
淡路 修三(あわじ しゅうぞう、1949年8月13日 - )… 淡路 修三(あわじ しゅうぞう、1949年8月13日 - )は、日本の囲碁棋士。東京都出身、伊藤友恵七段門下、日本棋院東京本院所属、九段。名人戦、本因坊戦挑戦者など。青山学院大学法学部卒業。 読み合い、ねじり合いを信条とする戦闘的な棋風から「ロッキー」の異名をとる。 西松建設に務める父の影響で小学校入学前に囲碁を覚え、西松建築の社長が後援会長だった縁で、1955年、6歳で伊藤友恵に入門。戦闘的な棋風を師から受け継ぐ。1968年入段、1975年五段。1979年に棋聖戦七段戦準優勝し、全段争覇戦に出場。1982年本因坊戦リーグ入り。1983年八段戦優勝、全段争覇戦で優勝して最高棋士決定戦出場。同年、碁聖戦、天元戦挑戦者となり、棋道賞殊勲賞受賞。
二十四世本因坊秀芳(にじゅうよんせいほんいんぼう しゅうほう… 二十四世本因坊秀芳(にじゅうよんせいほんいんぼう しゅうほう 、1948年8月15日 - )本名:石田 芳夫(いしだ よしお)は、日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。1971年に22歳の当時史上最年少で本因坊となって秀芳と号し、本因坊5連覇により名誉称号を名乗る。正確な目算とヨセから「コンピューター」のニックネームがある。タイトル獲得数は24。 碁好きが嵩じて碁会所を開いていた父から小学2年の時に囲碁を教えられる。碁を覚えて1年でアマ5段まで到達した。その年木谷實が名古屋に来た際に同行していた大竹英雄初段(当時)と六子で打って認められ、その1957年に木谷道場に入門する。
佐藤 昌晴(さとう まさはる、1947年〈昭和22年〉1月1… 佐藤 昌晴(さとう まさはる、1947年〈昭和22年〉1月16日 - )は、囲碁の棋士。新潟県上越市出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。名人戦リーグ出場2回など。佐藤真知子二段は妻。 1959年木谷實九段に入門。1964年に入段しプロデビュー。1965年二段。1967年三段。1968年四段。1972年五段、1974年六段と数年ごとに昇段が続く。 1975年には、第23期王座戦で挑戦者決定戦進出。1976年新人王戦ベスト4、第1期棋聖戦六段戦優勝。1977年六段戦連続優勝。1978年七段。1979年第4期棋聖戦七段戦優勝。昭和55年第6期名人戦リーグ入り。1982年に七段戦で優勝、八段に昇段した。
上村 邦夫(かみむら くにお、1946年3月18日 - 20… 上村 邦夫(かみむら くにお、1946年3月18日 - 2004年6月25日)は、囲碁の棋士。北海道北見市出身。日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。 タイトルには恵まれなかったが、高木祥一、石田章とともに「無冠の三強」と呼ばれた。
秋山 賢司(あきやま けんじ、1946年 - )は、囲碁観戦… 秋山 賢司(あきやま けんじ、1946年 - )は、囲碁観戦記者、囲碁ライター。観戦記者としてのペンネームは春秋子。アマチュア6段。 神奈川県川崎市生まれ。早稲田大学法学部卒業。在学中は囲碁部で活躍、学生囲碁連盟幹事を務める。卒業後、囲碁雑誌編集者を経て、フリーの囲碁ライターとなる。 観戦記者としてのキャリアは日本棋院選手権戦に始まり、その後天元戦で10年以上、名人戦で36年間に亘って観戦記者を務めた。2024年の第49期名人戦七番勝負観戦記にて、体力の衰えを理由として、当期を以ての引退を表明。 囲碁ライターとしては「週刊碁」や各囲碁雑誌に執筆。季刊の個人通信誌「凡鳥庵だより」を発行している。 囲碁史の研究も行い、2006年4月にスタートした「囲碁史会」の運営委員。
石榑 郁郎(いしぐれ いくろう、1942年12月7日 - )… 石榑 郁郎(いしぐれ いくろう、1942年12月7日 - )は、日本棋院所属の囲碁棋士。岐阜県岐阜市出身、木谷實九段門下、九段。詰碁創作の名手として知られ、多数の作品を発表している。 小学3年で碁を覚え、父とともに中部総本部の五十川正雄の碁会所に通い腕を磨いた。
石井 邦生(いしい くにお、1941年(昭和16年)10月2… 石井 邦生(いしい くにお、1941年(昭和16年)10月20日 - )は、囲碁の棋士。福岡県うきは市出身、日本棋院関西総本部所属、細川千仭九段門下、九段。元院生師範。名人戦リーグ2期、本因坊戦リーグ2期など。兄は石井衛九段。門下に史上初の七冠同時制覇を達成した井山裕太や、兆乾がいる。 1953年に細川千仭九段に入門、翌年日本棋院院生となり、1956年入段。関西学院大学中退。1968年八段。1969年、新鋭トーナメント戦決勝で石田芳夫に敗れ準優勝。1973、74年に本因坊リーグ入り。1977年、碁聖戦リーグ入り。1978年九段。1979年に棋聖戦九段戦で準優勝、最高棋士決定戦ベスト4に進出するが、準決勝で橋本昌二に敗れる。
安倍 吉輝(あべ よしてる、1941年9月28日 - 200… 安倍 吉輝(あべ よしてる、1941年9月28日 - 2009年10月25日)は、日本棋院に所属する囲碁の棋士(東京本院所属、九段)。門下に金川正明、釼持丈。女流棋士の岡田結美子は実娘、イラストレーターの安倍吉俊は息子。 宮城県石巻市出身。1954年に院生。1960年入段。1962年、藤沢朋斎の門下となる。 1986年九段へ昇段。この間藤沢秀行の主宰する研究会(通称「秀行塾」)で薫陶を受ける。低段時代はよく一次・二次予選突破を果たし、「枠抜けのアベちゃん」の異名を取った。大手合の第二部で、三等に三回連続入賞。1965年、梶原武雄を団長、林裕を副団長とする囲碁使節団の一員として工藤紀夫とともに、1ヶ月中国を訪問。
工藤 紀夫(くどう のりお、昭和15年(1940年)8月2日… 工藤 紀夫(くどう のりお、昭和15年(1940年)8月2日 - )は、囲碁の棋士。青森県弘前市出身、日本棋院東京本院所属、前田陳爾門下、九段。元日本棋院副理事長。 第25期王座・第23期天元位。第31回棋道賞優秀棋士賞受賞。若い頃は力碁で「眠狂四郎」のニックネームがあったが、後年粘り強く冷静な棋風へと変化した。 現在、存命の七大タイトル獲得経験者では最年長である。 生後すぐ、家族とともに満洲にわたる。日本の敗戦により、苦難の旅で弘前にひきあげる。 小学1年生の時に囲碁をおぼえ、当時、妻の実家があった弘前に疎開していた勝本哲州(元「棋道」編集者)に師事する。1952年に勝本が家族と上京する。小学校卒業の1953年に勝本に誘われて上京し、日本棋院院生となり、1955年入段して前田陳爾門下となる。
白江 治彦(しらえ はるひこ、1938年1月16日 - )は… 白江 治彦(しらえ はるひこ、1938年1月16日 - )は、囲碁のプロ棋士、八段。石川県小松市出身、大窪一玄門下。日本棋院所属、2004年に引退。 アマチュアへの普及活動に献身し、多くのファンの指導に当たったため剣術の吉岡一門になぞらえて「門弟三千人」などとも言われた。軽妙なトークを生かして囲碁番組の司会などを数多く務めており、囲碁界の底辺拡大の功績は極めて高く評価されている。 棋風は中央戦を得意とし、珍しい着点である大高目(4線と6線の交点)や「浮かび」(第6線と第10線の交点)などを多用したことで知られる。 息子に、ダイアモンド囲碁サロン経営者の白江徹一。 図のように第六線を三連打する布石を一時期多用し、「アポロ流」と称していた。
茅野 直彦(ちの ただひこ、1937年(昭和12年)7月4日… 茅野 直彦(ちの ただひこ、1937年(昭和12年)7月4日 - )は、日本の囲碁棋士。千葉県野田市出身、中村勇太郎九段郎門下、日本棋院所属、九段。プロ十傑戦8位入賞、本因坊戦リーグ2期など。 野田市生まれ。1950年中村勇太郎に入門、院生となる。1953年初段。同年二段。1954年三段。1956年北陸新聞日本棋院新人戦で優勝。1959年五段。1963年六段。1966年大手合一部三等、七段。1970年プロ十傑戦8位入賞、本因坊戦リーグ入り。1974年八段。1975年本因坊戦リーグ入り。1978年棋戦戦八段戦優勝、最高棋士決定戦出場。1980年八段戦準優勝。1983年九段。1988年、89年に碁聖戦ベスト4。
相場 一宏(あいば いっこう、または、あいば かずひろ、19… 相場 一宏(あいば いっこう、または、あいば かずひろ、1936年 - )は、囲碁ライター、編集者。 秋田県秋田市出身。1955年に僧籍に入り、駒澤大学仏教学部に入学。駒澤大学仏教学部中退。1962年に囲碁ライターに転じる。安永一の1966年の著書『囲碁百年』(全3巻、時事通信社)では、記述・編集を担当した。 囲碁ライター協会名誉会長。全日本囲碁協会元・理事。囲碁史の研究も行い、2006年4月にスタートした「囲碁史会」の運営委員。天元戦・新人王戦の観戦記者をつとめた。 1981年から1985年まで出版社・四星社も経営し、『趙治勲のかならず勝つ』『棋聖秀行の碁』『囲碁名局年鑑』『囲碁新手年鑑』などを刊行した。
橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月… 橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月18日 - 2009年〈平成21年>12月2日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県明石市出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下、九段。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型、長考派としても有名で、「重戦車」の異名を取った。 1994年から1998年まで関西棋院理事長。その後特別顧問。 日本棋院台湾支部長で、自宅に道場を開いていた国三郎を父に、台湾に生まれる。幼時から父に囲碁の手ほどきを受け、棋士を目指して厳しい指導を受けた。
中山 典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - 20… 中山 典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - 2010年2月16日)は、囲碁のプロ棋士。長野県上田市出身。日本棋院東京本院所属。1951年、長野県上田松尾高等学校卒業。1953年、鈴木五良八段に入門。1962年入段。1992年六段に昇進。 アマチュア出身であり、入段が遅かった。タイトル戦などには縁がなかったが、文才に長け、『実録囲碁講談』『囲碁の世界』など囲碁界に関する多数の著作がある。またライターや編者としての100冊以上の棋書の編纂を行った。若い頃は名記録係といわれ、読売新聞の観戦記者である山田覆面子に重用された。アマチュアへの指導に高い評価があり、1982年からほぼ毎年海外に出て囲碁の普及に努めた。
田村 竜騎兵(たむら りゅうきへい、1931年〈昭和6年〉6… 田村 竜騎兵(たむら りゅうきへい、1931年〈昭和6年〉6月24日 - 1990年〈平成2年〉2月14日)は、朝日新聞社の記者、囲碁ライター。群馬県出身、本名は田村孝雄。観戦記者として著書多数。朝日新聞東京本社編集委員をつとめた。本名・孝雄。 群馬県山田郡大間々町(現・みどり市)に生まれる。群馬県立桐生高等学校卒業、群馬大学医学部中退。その後、早稲田大学に転じ、囲碁部で村上文祥と同期生となる。1955年に早稲田大学商学部を卒業、日本棋院の『棋道』誌編集部に所属し、編集長だった宇崎玄々子に師事。『棋道』で記事を書いた他、東京新聞、産経新聞で牧伸太郎の筆名で観戦記を執筆。 宇崎玄々子の引退後、1960年より朝日新聞観戦記者となり、囲碁・将棋ともに観戦記を執筆した(将棋は「龍」名義)。