鍬原 拓也(くわはら たくや、1996年3月26日 - )は… 鍬原 拓也(くわはら たくや、1996年3月26日 - )は、岡山県玉野市生まれ、奈良県御所市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 2人兄妹の長男で、岡山県玉野市で出生してから3歳までは、父方の苗字を名乗っていた。両親の離婚を機に、母方の苗字である「鍬原」姓へ変更し、母の実家がある奈良県御所市へ母・妹と共に転居。築50年・家賃月額4,000円ほどの市営住宅で育った。 小学校3年時から野球を始めると、中学生時代は「橿原磯城リトルシニア」に所属。2010年の全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップでは、1学年後輩の岡本和真らと共に、3位となった。 両親の離婚後から母子家庭で育っていたため、中学校からの卒業後は、シニア関係者の勧めで福井県の北陸高等学校に進学。
谷岡 竜平(たにおか たっぺい、1996年3月21日 - )… 谷岡 竜平(たにおか たっぺい、1996年3月21日 - )は、埼玉県和光市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。 父の影響で8歳から白小クラブ(和光市)で野球を始める。中学時代は和光リトルシニアに所属していた。 成立学園高等学校に進学した。同校の2年生となった2012年の第94回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 高校卒業後は東芝に入社。2年目の都市対抗野球大会で白星を挙げ、3年目の西関東予選でも主戦でチームの8年連続出場に貢献。東芝には3年間在籍した。背番号は29だった。 2016年10月20日に行われたドラフト会議では、読売ジャイアンツから3位指名を受け、契約金6000万円、年俸1000万円で入団に合意した。
井手 亮太郎(いで りょうたろう、1996年3月20日 - … 井手 亮太郎(いで りょうたろう、1996年3月20日 - )は、福岡県古賀市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロ野球では、育成選手として東北楽天ゴールデンイーグルスに2年間在籍していた。 古賀市立小野小学校の2年時から軟式野球を始めると、古賀市立古賀東中学校への在学中に硬式野球チームの福岡ライナーズへ所属。中学1年時まではオーバースローで投げていたが、制球力を高めるべく、中学2年時にサイドスローへ転向した。転向のきっかけは、当時のコーチから「サイドスローで投げれば、手首の柔らかさやスナップスローのうまさを生かせる」とのアドバイスを受けたことによる。 さらに、九州産業大学付属九州高等学校3年時の春からアンダースローに転向したところ、投球フォームが安定。
御山 真悠(みやま まゆ、1996年3月19日 - )は、千… 御山 真悠(みやま まゆ、1996年3月19日 - )は、千葉県出身の女子プロ野球選手。平成国際大学卒。ポジションは外野手。 2018年愛知ディオーネに入団。 2019年埼玉アストライアへ移籍。同年11月1日、今季限りで女子プロ野球リーグを退団することが発表された。 2020年からは新創設されるGOODJOB女子公式野球部に所属する。
田中 耀飛(たなか あきと、1996年3月5日 - )は、日… 田中 耀飛(たなか あきと、1996年3月5日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。NPB時代の登録名は「耀飛」。 小学2年生の時に「長曽根ストロングス」で外野手として野球を始める。中学時代は「浜寺ボーイズ」に所属。 英明高等学校では1年秋にレギュラーを獲得。2年秋には県大会で優勝し、四国大会8強に進出。全国大会出場はなかったものの、高校通算18本塁打を記録した。 高校卒業後は芦屋大学に進学し、2015年に芦屋大学と教育提携を結んでいるBASEBALL FIRST LEAGUEの兵庫ブルーサンダーズに入団する。 1年目は37試合に出場し、打率.333を記録。2年目は長打力が開花し、5本塁打を放ち本塁打王を獲得する。
日下部 光(くさかべ ひかる、1996年2月28日 - )は… 日下部 光(くさかべ ひかる、1996年2月28日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手)、野球指導者。 福知山成美高等学校に進み、2013年の第95回全国高等学校野球選手権大会に出場した。高校卒業後は大阪商業大学に進む。野球部では1年生の時から試合に出場したが、負傷に悩まされた。 大学卒業後にNTT西日本硬式野球部に入り、入部初年から打線の中軸を担って第44回社会人野球日本選手権大会では1回戦の三菱日立パワーシステムズ戦でタイブレークの延長12回に決勝となる3ラン本塁打を放った。2021年には主将も務め、5年間在籍した。 2023年2月15日にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の群馬ダイヤモンドペガサスに練習生として入団した。
西村 凌(にしむら りょう、1996年2月21日 - )は、… 西村 凌(にしむら りょう、1996年2月21日 - )は、滋賀県甲賀郡甲西町(現在の湖南市)出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。 湖南市立三雲小学校在学中に三雲スポーツ少年団で軟式野球を始める(詳細後述)と、甲西中学校の在学中には、滋賀野洲ボーイズに所属していた。中学校の同級生に奥村展征がいる(奥村は草津リトルシニアパンサーズに所属)。 青森山田高等学校への進学後は、2年時の秋と3年時の春に青森県大会を連覇したが、3年時夏の全国高等学校野球選手権青森大会では、準決勝で弘前学院聖愛高等学校の前に敗れた。2学年上に山崎晃大朗、1学年上に京田陽太、木浪聖也がいる。 捕手としての肩の強さや、高校時代に対外試合で通算23本塁打を記録したほどの長打力をスカウトから注目されたことを背景に、高校3年時(2013年)の秋にはプロ志望届を日本学生野球協会に提出。
岸本 淳希(きしもと じゅんき、1996年2月19日 - )… 岸本 淳希(きしもと じゅんき、1996年2月19日 - )は、中日ドラゴンズに所属する福井県鯖江市出身のプロ野球選手(投手)。
鈴木 遼太郎(すずき りょうたろう、1996年2月18日 -… 鈴木 遼太郎(すずき りょうたろう、1996年2月18日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。 向陽小学校1年時に軟式野球を始め、蛇田中学校では軟式野球部に所属。石巻選抜チームにも所属し、中継ぎやロングリリーフを務め宮城県選抜大会の優勝に貢献した。 中学卒業後は石巻西高等学校に入学。3年夏の宮城県大会4回戦で上林誠知、熊谷敬宥、馬場皐輔擁する仙台育英と対戦したが、7回コールド負け。3年間での甲子園出場経験は無し。 東北学院大学では2年秋からベンチ入りし、リーグ通算39試合に登板。18勝を挙げ、防御率は1.76の成績を残し、2年時に最優秀新人賞、3、4年時に敢闘賞を獲得した実力を持つ。
藤谷 洸介(ふじたに こうすけ、1996年2月12日 - )… 藤谷 洸介(ふじたに こうすけ、1996年2月12日 - )は、山口県周南市出身の元プロ野球選手(投手、内野手)。右投右打。 周南市立福川中学校在学中に、校内の軟式野球で投手を中心にプレー。山口県立周防大島高等学校への進学後は二塁も守っていたが、2年時の夏からエースの座を確保した。打者としては、在学中の対外試合で15本塁打を記録。投手としては、長身から速球を投げ下ろす投球スタイルから「離島のダルビッシュ」と称された。3年夏の全国高等学校野球選手権山口大会では、山口県立新南陽高等学校との1回戦にNPB5球団のスカウトが集結していたが、先発で15球を投げたところで右肘を骨折したため降板。病院での応急措置を経て、右腕を包帯で吊った姿で球場へ戻ったものの、チームは初戦敗退を喫した。
周東 佑京(しゅうとう うきょう、1996年2月10日 - … 周東 佑京(しゅうとう うきょう、1996年2月10日 - )は、群馬県新田郡藪塚本町(現:太田市)出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 NPBにおける育成選手出身者初の盗塁王かつ、連続試合盗塁記録の世界記録保持者(13試合連続)。育成出身野手初の月間MVP受賞者。 太田市立藪塚本町小学校2年時に「藪塚リトルファイターズ」で軟式野球を始める。太田市立藪塚本町中学校時代は硬式の太田ボーイズに所属。 2011年、東京農業大学第二高等学校に入学。3年時には主将として夏の群馬大会では「2番・遊撃手」で17打数7安打で打率.412・盗塁5、チームは決勝で髙橋光成を擁する前橋育英高等学校に敗れる。
島田 海吏(しまだ かいり、1996年2月6日 - )は、熊… 島田 海吏(しまだ かいり、1996年2月6日 - )は、熊本県宇土市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 小学3年まで福岡に住んでいたが両親が離婚し、父の実家がある宇土に引っ越し、宇土市立宇土東小学校4年時から「宇土イースターズ」で野球を始めた。陸上の元短距離選手だった父が走塁コーチを務めていた。宇土市立鶴城中学校時代には、同校の軟式野球部に所属。 九州学院高校へ進学後、外野手として1年時の秋からレギュラーの座を掴み、2年時の春には第84回選抜高等学校野球大会へ出場した。しかし、同年の春夏連覇を果たす大阪桐蔭高校との2回戦で、後にプロでチームメイトとなる1年上の藤浪晋太郎の前に2打数無安打(「8番・右翼手」で三振、中飛、投犠打)に抑えられ、9回には代打を送られチームも敗退した。
山田 幸恵(やまだ ゆきえ、1996年2月 - )は、神奈川… 山田 幸恵(やまだ ゆきえ、1996年2月 - )は、神奈川県相模原市出身の高校野球指導者。2020年より箕面自由学園高等学校硬式野球部の顧問を務めていた。 2021年時点で、大阪府内の高校では唯一の女性による男子硬式野球部監督で、府内初の女性監督ともいわれた。 2人の兄の影響で小学2年生から軟式野球を始める。進学した中学校は野球部がなくなったばかりだったため、陸上短距離走に取り組んだ。高校ではバドミントンの選手だったが、東京女子体育大学では軟式野球部(関東六大学女子軟式野球連盟所属)に所属し、野球を再開した。大学では、1年目からベンチ入り。2年目からスタメン出場するようになり、4年目には主将を務めた。
笹沼 菜奈(ささぬま なな、1996年1月26日 - )は、… 笹沼 菜奈(ささぬま なな、1996年1月26日 - )は、栃木県矢板市出身の元女子プロ野球選手(投手)。 埼玉栄高等学校、平成国際大学卒。 2014年と2016年、「マドンナジャパン」に選出される。 2017年の入団テストを経て愛知ディオーネに入団。 2020年12月28日、自身のTwitterで女子プロ野球から退団することを発表した。 2021年からは東海NEXUSに所属することが発表された。 50m走は8秒0、遠投80m。最速126㎞のストレートが武器。
中村 辰哉(なかむら たつや、1996年1月24日 - )は… 中村 辰哉(なかむら たつや、1996年1月24日 - )は、福井県大野市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズのチームサポーター兼チーム付デスクを務めていた。 兄は東京ヤクルトスワローズ所属の中村悠平。 大野市立下庄小学校、大野市立陽明中学校卒業後、福井県立福井商業高等学校に進学。3年生夏に第95回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3回戦で敗退。高校卒業後は関西六大学野球連盟に属する龍谷大学に進学。 高校時代から大学時代までの7年間、長谷川凌汰とバッテリーを組み続けた。学生時代は怪我に悩まされ、中学、高校、大学とトミー・ジョン手術を含む右肘の手術を三度受けている。 大学卒業後の2018年にプロ野球独立リーグであるベースボール・チャレンジ・リーグの福井ミラクルエレファンツに地元枠で入団。
稲村 亜美(いなむら あみ、1996年〈平成8年〉1月13日… 稲村 亜美(いなむら あみ、1996年〈平成8年〉1月13日 - )は、日本のタレント、ベースボール5選手。東京都出身。浅井企画所属。 当初は、ジャスティスジャパンエンターテイメント(旧:ジャスティスプロダクション)に所属していた。 2013年9月20日発売のFRIDAYで発表された「ミスiD2014」にて、準グランプリに相当する「ミスiD(アイドル)2014」に選出された。 2014年3月13日、日出高等学校を卒業し、同年4月1日に国士舘大学21世紀アジア学部に入学、4月14日には『週刊プレイボーイ』×グラドル自画撮り部「第1回ジガドル・グランプリ」吉田豪賞を受賞する。 2015年3月26日
山﨑 剛(やまさき つよし、1995年12月29日 - )は… 山﨑 剛(やまさき つよし、1995年12月29日 - )は、福岡県福岡市早良区出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 2020年のみ登録名を山﨑 幹史(読み同じ)としていた。 福岡市立飯倉小学校では3年から野球を始め、「田隈ジュニア」に所属。田隈ジュニアでは1番ピッチャーでキャプテンを務めた。 福岡市立原中学校時代は「城南サンボーイズ」に所属し二塁手を務めた。 日章学園高等学校時代は、1年秋から二塁手のレギュラーで活躍するものの甲子園出場はなかった。 國學院大學時代は、2年時は二塁手のレギュラーを獲得した春季に打率.400で首位打者と二塁手のベストナイン獲得。
板東 湧梧(ばんどう ゆうご、1995年12月27日 - )… 板東 湧梧(ばんどう ゆうご、1995年12月27日 - )は、徳島県鳴門市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 鳴門市大麻中学校では軟式野球部に所属し、徳島県立鳴門高等学校では甲子園に4度出場。 プロ球団からの評価は必ずしも高くはなく、高校卒業後はJR東日本に入社。身体づくりを中心としたトレーニングと投球術の習得に取り組んだ結果、都市対抗野球などで制球力のよさと緩急のコンビネーションを駆使した安定感のあるピッチングを見せ、プロ球団のスカウト陣からの評価を高めた。 2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受けた。
岩田 きく(いわた きく、1995年12月10日 - )は、… 岩田 きく(いわた きく、1995年12月10日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。 愛称(ニックネーム)は「きく」。 プロ入り前は、履正社レクトヴィーナス (Recto venus) という女子の硬式野球チームでプレイしていた。2014年からはフローラに入団し、プロデビューを果たしたが、22試合の出場で打率.161・2打点・2盗塁という成績に終わった。 2014年まで所属していたフローラでは、チーム最年少の選手であった。 2015年からは、育成チームとしての位置付けにある東北レイアに移籍。新人選手の加入もあって、最年少ではなくなった。同年、レイアでは8試合の出場で打率.263・2打点・1盗塁という成績を記録。
東 克樹(あずま かつき、1995年11月29日 - )は、… 東 克樹(あずま かつき、1995年11月29日 - )は、三重県四日市市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 四日市市立三重北小学校1年時から、軟式野球チームの「三重クラブ野球少年団」で野球を始める。四日市市立大池中学校時代には「四日市トップエースボーイズ」に所属。野茂英雄が総監督を務める「JUNIOR ALL JAPAN(NOMOジャパン)」の一員としてアメリカ遠征を経験した。 愛知県名古屋市の愛工大名電高校への進学後は、1年夏の選手権愛知大会で2試合に先発した。2年時にはチームが春夏連続で甲子園球場の全国大会に出場したが、1学年先輩で自身と同じ左投手の濱田達郎がエースだったことから、いずれの大会でも登板の機会がなかった。
又吉 亮文(またよし あきふみ、1995年11月20日 - … 又吉 亮文(またよし あきふみ、1995年11月20日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。兄はオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属の又吉克樹。従姉妹は舞台女優の大村沙亜子。 浦添市立浦添中学校入学時から野球を始め、当時は外野手としてプレー。同級生に與座海人(西武)がいる。 沖縄県立浦添高等学校進学後に自らの希望で投手に転向。当時はオーバースローのフォームで、球速は120km/h前後の平凡な投手だった。ベンチ入りできたのは2年生の秋のみで、中学時代も高校時代も目立った成績を残せなかった。 高校卒業後は野球を辞め、琉球大学に進学して教員免許を取得することを目指していたが、3年生の秋に兄の又吉克樹がドラフト会議で中日ドラゴンズより2位指名を受けたことで奮起し、野球を続けるために兄と同じ環太平洋大学に進学。
嘉陽 宗一郎(かよう しゅういちろう、1995年11月15日… 嘉陽 宗一郎(かよう しゅういちろう、1995年11月15日 - )は、沖縄県沖縄市出身の社会人野球選手(投手)。 沖縄市立宮里小学校2年時より「宮里スラッガーズ」で野球を始める。 沖縄市立宮里中学校時代には一塁手兼控え投手として軟式野球部に所属。 同じ沖縄出身の荷川取秀明監督が指揮を執る愛媛県の松山聖陵高等学校に進学。2年夏よりエースとなる。同年秋の県大会準決勝では、済美のエース・安樂智大と延長14回を投げ合いサヨナラ負けした。3年春は県大会決勝で今治西に敗退、3年夏は準決勝で同じく今治西に1失点完投も0-1で敗退。甲子園出場はなし。 2014年、東都大学野球リーグの亜細亜大学に進学。同期に髙橋遥人投手、北村拓己がいる。
肘井 竜蔵(ひじい りゅうぞう、1995年11月13日 - … 肘井 竜蔵(ひじい りゅうぞう、1995年11月13日 - )は、兵庫県加東市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 現在は日本プロ野球選手会事務局の職員。 小学4年時生から野球を始めると、小野市立河合中学校時代に軟式野球部で全日本少年軟式野球大会に出場している。 兵庫県立北条高等学校への進学後は、2年秋から主将を務めた。硬式野球部は部員19人という少ないながら、兵庫県高校野球秋季県大会では、準々決勝で姫路工業高校に6対3で勝利し、初の大会4強入りを果たすという躍進をみせた。更なる上位進出を狙ったが、準決勝で神戸国際大附属高校と対戦するが敗戦、3位決定戦の関西学院高校との対戦では0-1と惜敗。
山本 大貴(やまもと だいき、1995年11月10日 - )… 山本 大貴(やまもと だいき、1995年11月10日 - )は、北海道札幌市厚別区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 札幌市立信濃小学校3年の時に「信濃スターズ」で野球を始め、札幌市立信濃中学校時代は江別リトルシニアに所属。3年時には全国大会にも出場した。 高校は公立高校に進学することを考えていたが、偶然北星学園大学附属高等学校の監督の目に留まったことで、同高に進学。1年夏からベンチ入りし、2年秋からはエースを務めたが、3年夏は全国高等学校野球選手権南北海道大会札幌地区予選3回戦で札幌琴似工業に敗退するなど、3年間で全道大会への出場は果たせなかった。スカウトからの注目も集めていたためプロ志望届を提出したが指名されず、北海道内の大学に進学を予定していた。
熊谷 敬宥(くまがい たかひろ、1995年11月10日 - … 熊谷 敬宥(くまがい たかひろ、1995年11月10日 - )は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 仙台市立南光台小学校2年時の冬に、友人の勧めで軟式野球をスタート。仙台市立南光台中学校在学中には、仙台東部シニアへ所属していた。 仙台育英高校への進学後に硬式野球部へ入部すると、2年時(2012年)夏の全国高等学校野球選手権大会から、春夏を通じて3季連続で甲子園球場の全国大会に出場した。3年時(2013年)には、春の第85回記念選抜高等学校野球大会で通算14打数2安打と振るわなかったものの、チームは準々決勝まで勝ち残った。夏の第95回全国高等学校野球選手権大会では、通算で8打数4安打を記録。
園部 聡(そのべ さとし、1995年11月10日 - )は、… 園部 聡(そのべ さとし、1995年11月10日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)。 いわき市立勿来第一小学校5年生の時にソフトボールを始めると、いわき市立勿来第一中学校では軟式野球部の「いわき松風クラブ」に所属。全国大会では、準々決勝への進出を経験した。内田靖人は同クラブでチームメイトだった。 聖光学院高等学校への進学後は、1年時から4番打者に起用。2年時の春から3年時の夏までは、4季連続で阪神甲子園球場の全国大会へ出場した。2年春の第84回選抜大会では、「4番・一塁手」として2試合に出場すると、通算打率.429(7打数3安打)、1打点を記録。夏の第94回選手権全国大会でも、「4番・一塁手」として2試合に出場すると、通算打率.500(6打数3安打)、1本塁打、4打点という成績を残した。
渡邊 佑樹(わたなべ ゆうき、1995年11月8日 - )は… 渡邊 佑樹(わたなべ ゆうき、1995年11月8日 - )は、山梨県富士吉田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 富士吉田市立下吉田東小学校2年の時に、地元の富士見町少年野球チームで野球を始めた。 富士学苑高等学校では3年夏の県大会3回戦で敗退、横浜商科大学へ進学。3年春はベストナインを受賞。プロ入り前は優勝経験がなく、高校・大学ともに全国大会とは無縁であった。大学では1学年先輩に左澤優がいる。 2017年のドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目で指名。契約金4000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で契約した。背番号は「47」。2017年シーズンオフ時点のNPB所属選手では唯一の山梨県出身であった。
長谷川 凌汰(はせがわ りょうた、1995年11月8日 - … 長谷川 凌汰(はせがわ りょうた、1995年11月8日 - )は、福井県越前市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 福井工大福井高校の選手として甲子園に出場した父の影響もあり、越前市立北新庄小学校2年から父が監督を務める軟式野球チーム「北新庄ヒーローズ」に所属。越前市立万葉中学校では軟式野球部に所属した。 福井商業高校進学後、当初は外野手だったが、長身に注目した北野尚文元監督の勧めもあり、投手に転向。1年秋から控え投手としてベンチ入り。3年夏の福井県大会では1イニングの登板にとどまったが、エースの中村文英の活躍もあり、第95回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の帯広大谷高校戦で中村文が右肘を痛め、7回から登板し、3イニングを4奪三振1失点に抑え、逆転勝利に繋げた。
髙橋 遥人(たかはし はると、1995年11月7日 - )は… 髙橋 遥人(たかはし はると、1995年11月7日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 小学校入学後に兄の影響でソフトボールを始め、小学3年時に「西奈少年野球スポーツ少年団」に入団した。常葉橘中学校時代は右翼手兼投手として、3年夏に第32回全国中学校軟式野球大会でチームを優勝へ導いた。 常葉学園橘高校に進学後、1年夏からのベンチ入り。2年夏には甲子園大会へ出場し、開幕戦となった福井工大福井戦に救援投手として登板を果たすも、打線が菅原秀の前に9回2得点に封じられ初戦敗退。3年秋には日本学生野球協会へプロ志望届を提出するも、ドラフト会議でどの球団からも指名されなかったため、亜細亜大学へ進学した。
玉村 祐典(たまむら ゆうすけ、1995年11月4日 - )… 玉村 祐典(たまむら ゆうすけ、1995年11月4日 - )は、福井県鯖江市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。
高橋 礼(たかはし れい、1995年11月2日 - )は、千… 高橋 礼(たかはし れい、1995年11月2日 - )は、千葉県松戸市出身のプロ野球選手 (投手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 母親の影響で小学1年時にソフトボールを始め、その後、松戸中央ボーイズで硬式野球を始める。中学3年時にチームのコーチに勧められ、上手投げから下手投げに転向。 専大松戸高では3年春に県大会準優勝で、関東大会ベスト8。夏は県大会準決勝で木更津総合高に延長13回サヨナラ負け。高校の2学年先輩に上沢直之、2学年後輩に原嵩と渡邉大樹がいた。 専修大へ進学し、当時身長187cmのアンダースローとして1年時から活躍。2年春には東都大学野球で52季ぶりの優勝に貢献、大学選手権初戦でも救援で5回を投げて勝利投手。
松井 裕樹(まつい ゆうき、1995年10月30日 - )は… 松井 裕樹(まつい ゆうき、1995年10月30日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する神奈川県横浜市青葉区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
宮川 哲(みやがわ てつ、1995年10月10日 - )は、… 宮川 哲(みやがわ てつ、1995年10月10日 - )は、奈良県生駒市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 5歳から野球を始め、生駒市立生駒南第二小学校では生駒クラブライオンズ、生駒市立生駒南中学校は硬式野球のクラブチーム生駒ボーイズでプレー。中学時代には堺ビッグボーイズとの試合に外野手として出場し、投手として出場していた森友哉と対戦している。 高校は山形県の東海大山形に進学し、1年春からベンチ入り。当初は外野手や捕手としてプレーしていたが、2年春から投手を兼任し、3年夏は背番号18ながらもエース格で県ベスト8。打っては高校通算10本塁打、投げては最速144km/hと投打に高い潜在能力を発揮していた。
椎野 新(しいの あらた、1995年10月10日 - )は、… 椎野 新(しいの あらた、1995年10月10日 - )は、新潟県胎内市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 黒川サンダースで野球を始め、胎内市立黒川中学校では軟式野球部に所属した。新潟県立村上桜ヶ丘高等学校では2年生の春から公式戦に登板。2年生の秋の新潟大会3回戦・新潟県立長岡大手高等学校戦で初先発を果たし、10奪三振1失点の好投で初完投勝利(7回コールド)を収める。3年生の春から主戦を務め、春季新潟大会では38.2回8失点で10年ぶりの優勝をもたらした。初戦の新潟県立巻総合高等学校戦で18三振を奪う完封勝利を挙げる。準決勝の日本文理高校戦では142km/hを計測し、8回を3失点に抑えた。
若月 健矢(わかつき けんや、1995年10月4日 - )は… 若月 健矢(わかつき けんや、1995年10月4日 - )は、埼玉県加須市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 オリックスでは正捕手として2度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献。個人ではベストナインを1回、ゴールデングラブ賞を2回獲得している。2026年のWBCでは、正捕手として日本代表に貢献した。 妻は声優の立花理香。 小学1年から大桑ジャイアンツで野球を始める。捕手となったきっかけは、入部時に空いていたポジションが捕手だったことにあるという。加須平成中時代に加須シニアで全国8強入り。 花咲徳栄高では1年秋から捕手でレギュラーを獲得。2年生時に監督の助
山﨑 真彰(やまざき まあき、1995年9月26日 - )は… 山﨑 真彰(やまざき まあき、1995年9月26日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 2022年のみ、登録名をマーキとしていた。 ニューインターナショナルスクール1年時に目黒西リトルで野球を始めた。港区立三田中学校時代は大田シャークボーイズでプレー。高校は東京学館浦安高校に進学し、高校通算10本塁打を記録した。甲子園大会出場はないが、千葉県選抜としてアメリカ遠征を経験した。 大学は東京国際大学へ進学するが、1年生の夏に野球部を退部し渡米。東京国際大の姉妹校であるウィラメット大学へ留学し、一旦帰国後にハワイ大学へ編入学。単位認定の関係で1年間は米西海岸の大学リーグにあたる「オール・ビッグ・ウエスト」の試合に出場ができなかったが、翌年から遊撃手として定着。
和田 恋(わだ れん、1995年9月26日 - )は、読売ジ… 和田 恋(わだ れん、1995年9月26日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手)。
山岡 泰輔(やまおか たいすけ、1995年9月22日 - )… 山岡 泰輔(やまおか たいすけ、1995年9月22日 - )は、広島県広島市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
東方 伸友(とうぼう しんすけ、1995年9月17日 - )… 東方 伸友(とうぼう しんすけ、1995年9月17日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。苗字の「東方」は、「とうほう」ではなく「とうぼう」が正しい。 小学3年から野球を始め、三隅中時代は三隅少年野球クラブに所属していた。浜田商時代は、1年からベンチ入り。2年時に頭角を現し、秋大会からエースとして登板した。3年夏の県大会はベスト8で敗退するも4試合すべてで完投し、32イニングで36奪三振の力投を見せた。 2013年10月24日、プロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから育成2位指名を受けた。 2014年は、二軍戦での登板は無かったが、三軍戦では、10試合に登板し、15回を投げ、1勝1敗、防御率4.20の成績だった。
與座 海人(よざ かいと、1995年9月15日 - )は、沖… 與座 海人(よざ かいと、1995年9月15日 - )は、沖縄県浦添市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 「與」が旧字体であるため、報道などでは苗字が「与座」と表記されることもある。 兄の與座健人は社会人野球のパナソニックの投手であり、弟の與座巧人も社会人野球・伏木海陸運送の投手である。 浦添市立前田小学校の1年時から「前田ホークス」で野球を始めると、浦添市立浦添中学校では軟式野球部でエースとして活躍。中学時代の同級生に又吉亮文がいる。 沖縄尚学高等学校への進学当初はオーバースローで投げていたが、3番手以下の扱いで、投手出身の監督の比嘉公也の勧めで2年時の夏からサイドスローに転向。
木村 敏靖(きむら としやす、1995年9月14日 - )は… 木村 敏靖(きむら としやす、1995年9月14日 - )は、奈良県葛城市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 小学時代は新庄ハッピーボーイズで、中学時代は天理シニアでプレー。高校は御所実業でプレーした。 履正社医療スポーツ専門学校時代は外野手兼投手としてプレーし、投手としては2年目の伊勢大会で球速152 km/hを計測した。この投球で関心を示したNPB球団があったものの、既にドラフト会議直前であったため各球団の指名の大枠は決まっており、この年は指名されることはなかった。木村は聴講生として専門学校に1年残って、指名を待つことを決断する。 2016年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから育成4巡目指名され、支度金200万円、年俸200万円(金額は推定)で契約した。
田口 麗斗(たぐち かずと、1995年9月14日 - )は、… 田口 麗斗(たぐち かずと、1995年9月14日 - )は、広島県広島市佐伯区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 2歳から五日市観音少年野球クラブで野球を始め、カープJrでNPB12球団ジュニアトーナメントに出場した。五日市観音中学校では、「五日市観音シニア」(軟式)に在籍し、エースとして県大会出場。広島新庄高等学校では1年生からベンチ入り、高校3年時の2013年全国高等学校野球選手権広島大会決勝にて広島県瀬戸内高等学校と対戦し、山岡泰輔と投手戦を演じ、延長15回を無失点完投。規定による引き分けで、決着は2日後の再試合(2013年7月30日)で、9回1失点完投と奮闘したが敗戦した。
海老原 一佳(えびはら かずよし、1995年9月13日 - … 海老原 一佳(えびはら かずよし、1995年9月13日 - )は、東京都昭島市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 母方の祖父がアメリカ人のクウォーターとして出生。昭島市立拝島第一小学校の1年時に、昭島ヤングライオンズで野球を始めた。 東海大学菅生高等学校中等部時代には軟式野球部へ所属し、主将を務めたが、卒業後は系列の東海大学菅生高等学校ではなく、創価高等学校へ進学。高校時代には2年時の秋から「5番・中堅手」としてレギュラーに定着したが、春夏ともに甲子園球場への全国大会とは無縁で、卒業後に系列校の創価大学へ入学した。高校・大学の1学年先輩に、田中正義がいる。 創価大学では、1年時から東京新大学野球のリーグ戦に出場。
畝 章真(うね たかまさ、1995年9月9日 - )は、広島… 畝 章真(うね たかまさ、1995年9月9日 - )は、広島県広島市安佐北区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。NPBでは育成選手であった。 父は広島東洋カープの選手で、引退後はコーチを務める畝龍実。 幼少期は母方の祖父の影響でゴルフをプレー。小学3年生からソフトボールを始めて三塁を守り、中学時代は軟式野球部で遊撃手だった。 広島新庄高校時代は田口麗斗とチームメイトで、二塁手としてプレー。しかし、両膝を手術した影響で公式戦でベンチ入りすることはなかった。3年生夏の広島大会決勝での田口と瀬戸内高・山岡泰輔の延長15回を投げ切って引き分け再試合となった投手戦もスタンドから眺め、「彼らはレベルが違うと思いました」と感想を漏らしている。
古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 - )は、… 古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 高校野球の経験者である父親の影響で、武雄市立武内小学校の3年時に投手として野球を始め、武雄市立武雄北中学校在学中には、投手や三塁手として佐賀県の中学野球大会へ出場した。 佐賀県立有田工業高等学校への進学後は、1年夏からのベンチ入りを経て、2年秋からエースの座を確保。3年時の5月から6月にかけて開催された第60回NHK杯佐賀県高等学校野球大会では、決勝戦で敗れながらも、通算投球イニング40回2/3で40奪三振を記録した。夏の全国高等学校野球選手権佐賀大会では、決勝までの5試合(投球回数47イニング)通算で47三振を奪い、いずれの試合でも1点差の完投勝利を記録。
鎌田 光津希(かまた みずき、1995年9月6日 - )は、… 鎌田 光津希(かまた みずき、1995年9月6日 - )は、千葉県匝瑳郡野栄町(現:匝瑳市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPB在籍時は育成選手だった。 匝瑳市立野田小学校3年次から軟式野球を始め、匝瑳市立野栄中学校では軟式野球部に所属した。 横芝敬愛高に進学し硬式野球を始める。当初は120km/h台中盤しか出せなかった球速を、冬場の徹底したトレーニングで145km/hまで伸ばした。プロ志望届を提出すると、NPB球団からの指名はなかったが、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスから1位指名を受けた。しかし、高校の系列である敬愛大学へ進学するため入団を辞退した。
児山 祐斗(こやま ゆうと、1995年9月1日 - )は、岡… 児山 祐斗(こやま ゆうと、1995年9月1日 - )は、岡山県総社市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。現在は社会人野球チームのシティライト岡山で監督を務める。 総社東野球スポーツ少年団で野球を始め、総社市立総社東中学校時代は軟式野球部に所属していた。 関西高等学校への進学後は、1年秋からベンチ登録を果たすと、2年春にエースの座を獲得。2年秋には、県大会・中国大会優勝、神宮大会準優勝を果たす。3年春の選抜大会では、和田恋擁する高知を6回まで2安打6奪三振無失点に抑えたが、終盤捕まり7回2/3を5失点で初戦敗退となった。1学年後輩に小郷裕哉がいる。 2013年のプロ野球ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから5巡目で指名。
中村 祐太(なかむら ゆうた、1995年8月31日 - )は… 中村 祐太(なかむら ゆうた、1995年8月31日 - )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校1年生のときに一南スピリッツで野球を始め、江戸川区立小岩第五中学校時代は硬式野球の江戸川中央シニアでプレーした。 関東第一高校へ進学し、1年秋からベンチ入りすると、いきなりチームのエース格となり、東京大会のマウンドは同期の醍醐駿平と2人で投げ、帝京との決勝では中村が先発。投げては1安打完封、打っては先制適時二塁打を放つ活躍で、チームを同大会4年ぶり2度目の優勝に導いた。その後は明治神宮大会に出場し、愛工大名電との1回戦でも8回2失点と好投。ただ、打線の援護がなく、チームは敗退した。
奥浪 鏡(おくなみ きょう、1995年8月29日 - )は、… 奥浪 鏡(おくなみ きょう、1995年8月29日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 呉東リトルリーグで野球を始めると、呉市立広中央中学校時代は広島ジャガーボーイズに所属。全国大会に出場したほか、硬球を使用した3年時の対外試合ではMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)左翼席場外のネットに当たる本塁打(推定飛距離150m)を放った。 創志学園高校への進学後は、春夏ともに甲子園球場での全国大会に出場できなかったが対外試合で通算71本塁打を記録し、「岡山の李大浩」と呼ばれていた。3年生の春には、済美高校との練習試合で2年生の安樂智大から2打席連続本塁打を放っている。
髙井 俊(たかい すぐる、1995年8月22日 - )は、新… 髙井 俊(たかい すぐる、1995年8月22日 - )は、新潟県見附市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 父親はアマチュア野球で審判を務めていた。小学校2年生の時に野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属。中学生で野球をやめるつもりだったが、両親からの勧めもあり、親元を離れて宮城県の東北高等学校に進学し、野球を続けた。 高校時代は、自身の失態による練習不許可や不慮の事故による負傷などがあり、なかなか主力選手の一員になれなかった。3年生時には全国高等学校野球選手権宮城大会に出場するも4回戦で敗退。「自分のレベルではついて行けない」という理由で大学野球部からの勧誘を断り、実家に戻って長岡市の調理師学校に入学。