竹村 淳(たけむら じゅん、1937年3月1日 - )は、音… 竹村 淳(たけむら じゅん、1937年3月1日 - )は、音楽ジャーナリスト。 1937年3月1日に、神戸市に生まれる。6歳のときより、京都に移住するが、7歳のとき、父が中国で戦死する。1961年3月に早稲田大学第一文学部文学科演劇専修を卒業する。広告代理店に就職し、コピーライトを担当するが、1973年に独立し、フリーランスのコピーライターになる。 1976年より、ラテン音楽関係のジャーナリストとして活動を開始する。「スイングジャーナル」や「アドリブ」のジャズ専門誌で、フュージョン音楽の普及に努める。なお、本人は、評論家とされることを嫌う。ラテン音楽、フォルクローレ、タンゴ、ボサノヴァのジャンルの曲およびアーティストについてかなり精通し、全国のファンから尊敬されることとなる。
杉本 清(すぎもと きよし、1937年2月19日 - )は、… 杉本 清(すぎもと きよし、1937年2月19日 - )は、奈良県大和高田市出身のフリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。元関西テレビアナウンサーで、長年、中央競馬の実況中継を担当したことで知られる。現在はアライバル所属。関西放送記者クラブ会友。血液型はB型。 少年時代の夢はプロ野球選手であった。奈良県立高田高等学校在学中は野球部に所属していたが、猛特訓を受けた反動でスポーツ性の腎機能障害を患ってしまい、このことがきっかけで運動制限がかかってしまい、野球を断念する。この頃からラジオのナイター中継を聴いているうちに、プレーをしている選手よりも実況しているアナウンサーに興味が移っていった。 高校卒業後は関西学院大学法学部へ進学し、在学中の1960年に知人のツテを頼って関西テレビにアルバイトとして入社。
萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日… 萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年)2月3日 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本のノンフィクション作家、フリーランス・ジャーナリスト。元赤旗記者。本名:坂本 孝夫(さかもと たかお)。別のペンネームとして、渋谷 仙太郎(しぶや せんたろう)と井出 愚樹(いで ぐじゅ)を用いた。 北朝鮮に関する多くの著作や翻訳がある。日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、除籍された(後述)。 高知県高知市出身。立命館大学名誉教授で元『上方芸能』編集長の木津川計(坂本凡夫)は実兄。日本共産党大阪府羽曳野市元市議団長を務めた杉山弥生は実妹。 17歳の時に経済的理由から地元の高校を中退して上阪。
岡倉 徹志(おかくら てつし、1937年1月20日 - )は… 岡倉 徹志(おかくら てつし、1937年1月20日 - )は、日本のジャーナリスト、中東学者。 東京生まれ。父は岡倉古志郎。岡倉天心の曾孫にあたる。早稲田大学第一文学部卒業後、毎日新聞社へ入社。カイロ支局長、外信部副部長、編集委員を経て1990年より富山国際大学教授となる。2008年退職。専攻は中東、イスラム世界の現代政治、国際関係。
木村 愛二(きむら あいじ、1937年〈昭和12年〉1月17… 木村 愛二(きむら あいじ、1937年〈昭和12年〉1月17日 - 2020年〈令和2年〉12月17日)は、日本のジャーナリスト、ホロコースト否定論者。木村書店代表。歴史見直し研究会代表。筆名に征矢野仁、徳永正樹。 東京府生まれ。幼時を北京で過ごし、日本敗戦後の1946年に家族で中国から引き揚げた。大陸で、日本人収容所の収容所生活を経験している。帰国後、防衛大学校に入学する(第3期生)も、1955年に中退。東京大学に再入学する。1960年の60年安保の際には、国会へのデモに参加し、国会の南門を開ける役割を果たしている。また、この際に犠牲となった樺美智子を知る一人でもある(「樺美智子は、普段はデモに来なかったのに、あの日に限ってデモに来た」と、60年安保40周年を記念して開かれた討論会で回想している)。
藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 20… 藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 2025年10月17日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト、ノンフィクション作家。時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所社長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。1942年、言語学者の父に従って朝鮮の清津へ移住する。1944年、満洲の興安街に転居するが、1945年ソ連軍による侵攻の9時間前に脱出。安東で生活した後、1946年11月に帰国。 宮城県仙台第一高等学校を経て、1962年東京外国語大学フランス語科卒、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省担当。1967年よりオタワ[要出典]、ワシントン特派員。以後、日本銀行、経団連、外務省などの担当を経て、編集委員[要出典]、解説委員、解説委員長を歴任。
森口 豁(もりぐち かつ、1937年 - )は、日本のジャー… 森口 豁(もりぐち かつ、1937年 - )は、日本のジャーナリスト。東京都出身。一貫して沖縄県に関わる諸問題を追及し続けている。 玉川学園高等部在学中、沖縄県の言葉についての研究発表を行った一学年後輩の金城哲夫と知り合う。この金城の研究発表がきっかけとなり、1956年に玉川学園の教師や他の生徒とともに米軍政下の沖縄本島を訪問。その際、本土との間にある政治的・精神的分断に衝撃を受け、沖縄県に関わる問題を強く意識するようになっていく。 玉川大学文学部を中退後、琉球新報社会部記者、日本テレビ沖縄特派員として暮らす。テレビドキュメンタリー『ひめゆり戦史 いま問う国家と教育』、『島分け 沖縄鳩間島哀史』などを制作、テレビ大賞優秀個人賞などを受賞。
加藤 久晴(かとう ひさはる、1937年 - )は、日本のテ… 加藤 久晴(かとう ひさはる、1937年 - )は、日本のテレビディレクター、ジャーナリスト、メディア学者。 早稲田大学文学部卒。日本テレビ勤務、東海大学文学部広報メディア学科教授。2008年に退任。メディア総合研究所研究員。 主な担当番組「NNNドキュメント」「田英夫リポート」ほかでJCJ賞・地方の時代映像賞・ギャラクシー賞などを受賞。
和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は… 和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は、日本のジャーナリスト、学者、政治活動家である。島根県大田市出身。早稲田大学卒業。産経新聞記者、藤田正明参議院議員政策担当秘書、新自由クラブ島根県連合代表、米アラスカ大学政治学客員教授、グアム大学政治学教授・総長顧問などを務めた。
伊藤 明彦(いとう あきひこ、1936年11月5日 - 20… 伊藤 明彦(いとう あきひこ、1936年11月5日 - 2009年3月3日)は、日本のジャーナリスト。被爆者の声を聴き、伝えることに人生をかけた。 伊藤明彦は、入社8年後の1968年11月からNBC長崎放送のラジオ番組「被爆を語る」をスタートさせた。第1回放送は、11月5日火曜日。偶然にも32歳の誕生日だった。早朝の6分間、週3回の放送だった。これは、被爆地の放送局として「被爆者の声」を収録するとともに、長期的に保存し、その一部を放送するという新しい企画提案であった。ライフワークと思っていたが、番組を担当してわずか半年後に、この番組の担当を社内の事情でおろされ、佐世保支局へ転勤させられた。 その後、ラジオ番組「被爆を語る」は番組名を「長崎は証言する」に変更され、現在もなお毎週土曜日、朝6:40からの5分番組として長崎に在住している被爆体験者の声を取材して放送している。
上之郷 利昭(かみのごう としあき、1936年(昭和11年)… 上之郷 利昭(かみのごう としあき、1936年(昭和11年)11月3日 - 2006年(平成18年)9月16日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 三重県出身。明治学院大学卒業。英国ロイター通信社や東京新聞(中日新聞社)社会部記者として、約2年にわたって世界各国で取材。1977年以来、フリーに。幅広い分野に関する多くの著書がある。 2006年9月16日午後7時58分、進行胃癌のため東京都板橋区の病院で死去。69歳没。
伊藤 正孝(いとう まさたか、1936年10月23日 - 1… 伊藤 正孝(いとう まさたか、1936年10月23日 - 1995年5月31日)は、日本のジャーナリスト、編集者。朝日ジャーナル編集長、朝日新聞編集委員。 福岡市に生まれる。福岡学芸大学附属福岡中学校、福岡県立修猷館高等学校を経て、1955年早稲田大学文学部に進学するが、中学・高校の同期で親友であった山崎拓が商学部に入学したこともあり、翌年転入。なお、2人は中学時代に同じ文芸部に所属し、山崎が部長で伊藤は副部長であった。卒業後、山崎がブリヂストンタイヤに就職したため一時同社に入社するが、1960年朝日新聞に転職。山崎との親交は終生続いた。朝日新聞では、鹿児島支局、福岡支局社会部、1969年、東京本社社会部、1970年、アフリカ特派員、1972年、東京本社政治部、1977年、ダルエスサラーム特派員、1980年、カイロ特派員などを務める。
椿 貞良(つばき さだよし、1936年(昭和11年)10月4… 椿 貞良(つばき さだよし、1936年(昭和11年)10月4日 - 2015年(平成27年)12月10日)は、日本のジャーナリスト、テレビ朝日取締役。偏向報道を疑われた椿事件を引き起こした。 椿は取締役報道局長に在任中の1993年(平成5年)9月、日本民間放送連盟の会合で、総選挙期間中に非自民政権樹立を促す報道姿勢であった旨を発言。これが産経新聞の報道によって表面化し、偏向報道を禁じる放送法に違反した可能性を指摘された。これにより、椿は10月に取締役と報道局長職を解任された。 10月25日、椿はこの問題で衆議院による証人喚問を受け、軽率な発言を陳謝したが、社内への報道内容の具体的な指示については一貫して否定し、あくまで偏向報道は行っていないとした。
角間 隆(かくま・たかし、1936年9月27日 - 2008… 角間 隆(かくま・たかし、1936年9月27日 - 2008年5月14日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。国際ジャーナリスト養成IJCの代表。 大阪府大阪市に生まれ、石川県金沢市で育つ。東京大学教育学部教育行政学科卒業後、NHKに入局しプロデューサー・ディレクターとしてドキュメンタリー制作などに携わり、1964年から2年間コロンビア大学に留学しメディア論を専攻。 1980年にNHKを退社しジャーナリストとして独立、以降アメリカ合衆国ニューヨークを本拠地として活動を続けている。
竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は… 竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は、日本の元編集者・ジャーナリスト。八戸ペンクラブ顧問。 北海道函館市生まれ。1946年台湾より引揚げて父の郷里青森県弘前市和徳町へ。翌年母の郷里八戸市六日町へ移り、1955年八戸高等学校卒業(高七回生)。アルビオン英語学校一期生として中高5年間薫陶を受けた漆山終吉校長の母校でもある東京外国語大学英文学科を卒業。 1959年2月に文藝春秋新社(のちの株式会社文藝春秋)に入社。雑誌「週刊文春」月刊「文藝春秋」「文學界」の編集や、出版部で書籍編集に携わる。1977~79年「諸君!」編集長ののち、出版局長、編集局長、営業局長、総務局長、常務取締役を経て2000年6月退任。
山岡 清二(やまおか せいじ、1936年8月 - )は、日本… 山岡 清二(やまおか せいじ、1936年8月 - )は、日本のジャーナリスト、国際問題評論家、翻訳家、通訳、ラジオ時事解説者、コンサルタント、国際政治学者。東洋英和女学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1962年国際基督教大学卒業。 共同通信記者、米国務省通訳官、ワシントン・ポスト記者(東京支局)を経てフリーとなり、評論、翻訳、通訳、ラジオ時事解説、コンサルティングのほかに、衆議院国際会議課顧問、文部省教科書審議会委員(外国語部会長)、『ニューズウィーク日本版』編集顧問など。 1988年東洋英和女学院短期大学国際教養科教授、2001年東洋英和女学院大学・国際社会学部教授。2007年定年退任、名誉教授。
滝沢 荘一(たきざわ しょういち、1936年6月29日 - … 滝沢 荘一(たきざわ しょういち、1936年6月29日 - )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。専攻は国際政治論・米国現代政治。 東京生まれ。滝沢修の長男。1960年東京大学教養学部教養学科アメリカ分科卒業。東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)修了。毎日新聞に入り、外信部副部長、読者室委員兼編集委員、熊本大学法学部教授、1998年富山国際大学教授。2007年退職。 2004年『名優・滝沢修と激動昭和』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。九条の会会員。
西川 渉(にしかわ わたる、1936年6月8日 - 2020… 西川 渉(にしかわ わたる、1936年6月8日 - 2020年2月16日)は、日本のドクターヘリ事業の普及発展に寄与した航空ジャーナリスト。東京都出身。 宮崎県に生まれ、中学2年生の時に東京都に移住した。1960年に東京大学理学部を総代で卒業した。 1960年に西武百貨店に入社、その後、同じグループであった朝日ヘリコプター(現在の朝日航洋)に転籍、1980年に代表取締役専務、1989年に地域航空総合研究所代表取締役所長に就任した。朝日航洋では、ベル 47、KH-4、シコルスキー S-58C、S-62A、アルウェットII、AS350B、AS355、Bo105、BK117、ベル 206B、206L、204B、212、412、214B、214ST、MD900、ピューマ、スーパーピューマ、ミル Mi-8、カモフ Ka-26など、数多くの機体に携わった。
大野 誠治(おおの せいじ、1936年3月23日 - )は、… 大野 誠治(おおの せいじ、1936年3月23日 - )は、日本のジャーナリスト、経済評論家。 大分県大分郡湯布院町(現・由布市)出身。1960年埼玉大学文理学部経済学科卒。日刊工業新聞、日本工業新聞記者を経て、雑誌『財界』編集長。のち常務取締役兼論説委員。
和田 俊(わだ たかし、1936年(昭和11年)3月6日 -… 和田 俊(わだ たかし、1936年(昭和11年)3月6日 - 2002年(平成14年)10月5日)は、日本のジャーナリスト、立正大学教授、朝日新聞論説副主幹などを務めた。中華民国広州市出身。血液型はO型。趣味・特技はテニス、スキー、ゴルフ。 義父は映画プロデューサーの大塚和。長男はヒップホップミュージシャンのダースレイダー(本名:和田礼)。 小宮悦子1 - 渡辺真理 岡田洋子3 - 小谷真生子3・9 - 丸川珠代3 - 白木清か - 上山千穂 小林一喜 - 田所竹彦 - 和田俊 - 高成田亨 - 菅沼栄一郎 - 轡田隆史 - 清水建宇 - 萩谷順 - 森永卓郎 - 船曳建夫 - 笑福亭松之助3 - テリー伊藤3 朝岡聡8 - 松井康真5 - 飯村真一 - 坪井直樹 - 角澤照治2 - 長島三奈3 - 真中瞳3 - 河野明子2・4 松本裕子 - 勝恵子 - 大石恵 - 内藤聡子 - 乾貴美子 - 河合薫 - 増田雅昭3 - 斎藤義雄3 - 宮部二朗3 - 飯島真一3 渡辺宜嗣8 - 若林正人 - 渡辺みなみ9 - 西脇亨輔 - 安藤優子 - 橋谷能理子 - 内田忠男 - 三反園訓 川平慈英 - 宮嶋泰子2 松岡直也 - 前田憲男6 - 本多俊之 - ASKA - ゴスペラーズ - 福岡ユタカ - Char7 - サラ・ブライトマン - U2 ANNニュースファイナル - ANNスポーツニュース 選挙ステーション - ミュージックステーション - SmaSTATION!! 田代喜久雄 - 桑田弘一郎 - 伊藤邦男 - 広瀬道貞 - 黒柳徹子 - 大橋巨泉 - 福岡政行 - 青木功 - 糸井重里 - 栗山英樹2 - 黒鉄ヒロシ - 立松和平 - 羽田健太郎 - 小泉武夫 - 神田秀一 - タモリ - 古舘伊知郎 - 富川悠太 - 小木逸平 - 大越健介 - 香取慎吾 テレビ朝日 - ANN - ANNニュース - オフィス・トゥー・ワン - 金曜チェック - ニュースシャトル - ナイトライン - 600ステーション - ステーションEYE - スーパーJチャンネル - チェック・ザ・ステーション - 筑紫哲也 NEWS23(筑紫哲也)
轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 20… 轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 2022年8月31日)は、日本のジャーナリスト、サッカー選手。元朝日新聞論説委員、日本ペンクラブ正会員。父の轡田三男(旧姓・横村)もサッカー選手および報知新聞記者であり、学生時代にサッカー日本代表に選出された経験を持つ。 東京府の出身だが太平洋戦争の戦火を逃れるため、従軍記者としてフィリピンへ赴いていた父の帰国と共に一家で埼玉県北足立郡与野町(与野市を経て、現在のさいたま市中央区)へ疎開をした。戦後に埼玉師範学校附属小学校から埼玉師範学校附属中学校へ進学すると中学1年時にサッカーを始め、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学政治経済学部へ進学後もサッカー選手としてプレーをした。
久能 靖(くのう やすし、1936年2月13日 - )は、日… 久能 靖(くのう やすし、1936年2月13日 - )は、日本のジャーナリスト、アナウンサー。 元日本テレビアナウンサー、同局専属ニュースキャスター。千葉県出身。妻は元宝塚歌劇団の女優の久美かおる。 少年時代を長野県北信地域で過ごす。神奈川県立小田原高等学校、東京大学文学部卒業後、1960年、アナウンサーとして日本テレビへ入社、ニュース、スポーツ、舞台中継などを担当。同期に久保晴生・宮尾俊輔がいる。 1972年、連合赤軍あさま山荘事件では長時間にわたって実況報道を担当した。事件報道を機に報道部へ異動を志願し、記者に転じる。 1988年9月19日、「昭和天皇重体」の一報を聞きつけ、報道局に詰めて取材にあたる。
マイク 青木(マイク あおき、1936年1月21日 - )は… マイク 青木(マイク あおき、1936年1月21日 - )は、日本のゴルフルール研究家、ゴルフ評論家、元フォトジャーナリスト。東京都足立区生まれ。 東京都立足立高等学校を経て、1959年に中央大学法学部法律学科夜間部を卒業。在学中より在日アメリカ人フォトジャーナリストのアシスタントを約4年間務める。 その後、フリーのフォトジャーナリストとして活動を開始し、世界40か国を取材訪問する。1965年には単身で渡米してアメリカ合衆国・ニューヨーク市に居を構え、足掛け20年間滞在する。アメリカではプロスポーツの取材が多く、アメリカのPGAツアーを取材し、ゴルフルールに魅力に感じはじめ、「ルールの神様」と呼ばれたジョセフ・ダイに師事する。
那野 比古(なの ひこ、1936年(昭和11年) - 201… 那野 比古(なの ひこ、1936年(昭和11年) - 2017年(平成29年))は、科学技術ジャーナリスト、多摩大学名誉教授。本名・井上一郎。 岡山県生まれ。岡山県立倉敷青陵高等学校、東京大学理学部卒業。サンケイ新聞、情報産業新聞記者を経て、1982年に科学技術ジャーナリスト・サンケイ新聞客員記者。郵政省などの各種委員も務める。1989年に多摩大学経営情報学部教授。日本ベンチャー学会副会長なども歴任。2007年に定年退任。
岡崎 満義(おかざき みつよし、1936年 - )は、日本の… 岡崎 満義(おかざき みつよし、1936年 - )は、日本の編集者・スポーツジャーナリスト・ライター。 鳥取県生まれ。1960年京都大学文学部哲学科卒、文藝春秋入社、『文藝春秋』『週刊文春』『オール読物』編集部を経て、1980年創刊の『スポーツ・グラフィック・ナンバー』初代編集長、82-84年『文藝春秋』編集長を経て、99年退職。
佐藤 友之(さとう ともゆき、1936年 - )は、日本のジ… 佐藤 友之(さとう ともゆき、1936年 - )は、日本のジャーナリスト。 群馬県生まれ。東京経済大学卒業。安保闘争に敗れ、大学卒業後職を転々とし、フリーライターとなる。60年代の末、詩集『旅からのレポート』を上梓し、以後著書多数。『金田一耕助さん、あなたの推理は間違いだらけ』が人気があるほか、警察捜査・冤罪・死刑存廃問題など人権問題で著書多数。
隅井 孝雄(すみい たかお、1936年 - 2026年2月1… 隅井 孝雄(すみい たかお、1936年 - 2026年2月13日)は、日本のジャーナリスト。長らく日本テレビ放送網で記者として国際報道などに従事した後、京都学園大学(後の京都先端科学大学の前身)教授としてマスメディア論などを講じた。また、特定非営利活動法人京都コミュニティ放送副理事長や、日本ジャーナリスト会議代表委員なども歴任した。 1958年に、国際基督教大学を卒業して、日本テレビ放送網に入社し、以降、編成部、広報部を経て、外報部所属の放送記者となった。 1986年には、日本テレビの米国現地法人である NTV International Corporation(NY)の社長となり、後に NTV American Company の社長も兼務した。
広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - … 広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - 2024年1月3日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。鹿児島県鹿児島市出身。 1958年に鹿児島大学文学部国文学科を卒業し、南日本新聞社に入社。1990年2月に取締役に就任し、1991年12月に常務、1993年12月に専務を経て、1995年12月から1999年12月までに社長を務めた。 2024年1月3日、特発性間質性肺炎のために死去。88歳没。
千本 健一郎(せんぼん けんいちろう、1935年10月26日… 千本 健一郎(せんぼん けんいちろう、1935年10月26日 - )は、ジャーナリスト、翻訳家。 東京生まれ。1960年早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1965年朝日新聞社入社。「週刊朝日」記者、「朝日ジャーナル」記者・副編集長・編集委員などを経て、朝日カルチャーセンター文章教室講師、法政大学講師(社会思想)。
持田 直武(もちだ なおたけ、1935年10月16日 - )… 持田 直武(もちだ なおたけ、1935年10月16日 - )は、日本のジャーナリストである。NHK解説委員、解説主幹を歴任。 埼玉県立熊谷高等学校、東京大学文学部仏文科卒、東京大学新聞研究所修了。1960年NHK入局。NHK横浜放送局記者を経て、1964年より外信部記者。その間1968年-1969年サイゴン特派員、1969年-1971年メキシコシティー特派員、1975年-1978年ソウル特派員、1984年-1985年ニューヨーク特派員、1985年-1987年ワシントン支局長。その後、1987年NHK解説委員、1990年-1995年解説主幹を歴任。
岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 201… 岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 2014年1月18日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。毎日新聞社特別顧問。 関東州(現:中国)大連生まれ、山口県防府市育ち。山口県立防府高等学校、京都大学法学部卒業後、1958年毎日新聞社入社。社会部記者、政治部記者、政治部副部長、秘書室長、論説委員、出版局次長兼サンデー毎日編集長、編集委員室長、東京本社編集局次長、編集局編集委員、編集局政治担当特別顧問を最後に、2007年3月31日で退社。 毎日新聞の編集局長時代には、夕刊紙上で「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」と一面から社会面まで誤報を掲載した経緯がある(毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件)。
料治 直矢(りょうじ なおや、1935年9月9日 - 199… 料治 直矢(りょうじ なおや、1935年9月9日 - 1997年7月31日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。東京都新宿区出身。
田畑 光永(たばた みつなが、1935年8月29日 - )は… 田畑 光永(たばた みつなが、1935年8月29日 - )は、日本のジャーナリスト。キャスト・プラス所属。
中馬 清福(ちゅうま きよふく、1935年8月22日 - 2… 中馬 清福(ちゅうま きよふく、1935年8月22日 - 2014年11月1日)は、ジャーナリスト。 鹿児島市生まれ。1960年旧・東京都立大学卒業、朝日新聞社入社。秋田・横浜支局を経て63年政治部員、1978年同部次長、1982年調査研究所主任、1984年編集委員、1986年論説委員、1990年大阪本社論説副主幹、1991年東京本社論説副主幹、1992年論説主幹代理、1994年論説主幹、1995年取締役、1996年常務大阪本社代表、1998年専務、2000年西部本社代表兼務、代表取締役専務・編集担当など。2001年退任。1983-84年マサチューセッツ工科大学・国際問題研究所客員研究員。朝日新聞社顧問、同アジア・ネットワーク会長。
田所 竹彦(たどころ たけひこ、1935年8月6日 - 20… 田所 竹彦(たどころ たけひこ、1935年8月6日 - 2013年8月14日)は、日本のジャーナリスト、中国評論家。
本間 義人(ほんま よしひと、1935年7月17日 - 20… 本間 義人(ほんま よしひと、1935年7月17日 - 2022年1月12日)は、日本のジャーナリスト、都市政策学者、法政大学名誉教授。 東京出身。1958年早稲田大学文学部卒。1989年「内務省住宅政策の教訓 公共住宅論序説」で北海道大学法学博士。1967年毎日新聞社入社、社会部編集委員、編集局編集委員、特別報道編集委員、1982年編集委員となる。1994年九州大学大学院比較社会文化研究科教授、1999年4月法政大学現代福祉学部教授に転じ、2006年定年、名誉教授となる。2022年1月12日、虚血性心不全のため死去、86歳。 1984年東京市政調査会藤田賞特別賞受賞。
筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23… 筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23日 - 2008年〈平成20年〉11月7日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。長年にわたって新聞・雑誌・テレビ報道の第一線に立ちつづけ、日本のテレビジャーナリズムの確立に多大な貢献をした業績により日本記者クラブ賞を受賞。朝日新聞社政治部記者、ワシントン特派員、テレビ朝日『日曜夕刊!こちらデスク』メインキャスター、朝日ジャーナル編集長などを経て、TBSテレビ『筑紫哲也NEWS23』キャスター編集長を18年あまり務めた。 大分県日田郡小野村(現在:日田市)で筑紫和臣・文子夫妻の長男として生まれた。静岡県立沼津東高等学校、東京都立小山台高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。
浅井 信雄(あさい のぶお、1935年6月23日 - 201… 浅井 信雄(あさい のぶお、1935年6月23日 - 2015年3月6日)は、日本の国際ジャーナリスト。三桂所属。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校、東京外国語大学インド・パーキスターン語学科卒。 1958年読売新聞社入社。海外特派員としてジャカルタ、ニューデリー、カイロ各特派員を経て、1978年から1981年までワシントン支局長。1981年に読売新聞社を退社。 その後はジョージタウン大学研究員、野村総合研究所在米コンサルタント、1983年に東京大学、東京外国語大学各講師、三菱総合研究所研究員、財団法人中東調査会理事を歴任。 1987年から1998年まで、神戸市外国語大学国際関係学科教授(国際政治学)。
日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、… 日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、日本のジャーナリストである。アメリカ合衆国在住。ハドソン研究所客員上級研究員、全米商工会議所会長首席顧問、ハーバード大学ケネディスクールタウブマンセンター諮問委員。 1935年(昭和10年)名古屋市生まれ。愛知県知多郡東浦町出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、東京大学文学部英文科卒業。 親米派の論客として改憲論、特に日本国憲法第9条改訂の立場をとるジャーナリストとして知られる。2010年代後半以降はメディア登場がない。 1959年(昭和34年)、NHK入局。福岡放送局、佐世保放送局(現・支局)、1965年(昭和40年)外信部、1970年(昭和45年)ワシントン特派員、1972年(昭和47年)外信部、1975年(昭和50年)ニューヨーク特派員、1980年(昭和55年)ニューヨーク支局長、1982年(昭和57年)ワシントン支局長、1985年(昭和60年)特報部、1987年(昭和62年)NHKエンタープライズアメリカ会長、理事待遇アメリカ総局長を歴任した。
永井 清彦(ながい きよひこ、1935年6月19日 - 20… 永井 清彦(ながい きよひこ、1935年6月19日 - 2017年7月14日)は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 東京府東京市牛込区(現東京都新宿区)出身。1958年東京大学文学部独文科卒、朝日新聞に入り、ドイチェ・ヴェレ、ザ・タイムズ記者ののち、桃山学院大学教授、玉川大学教授、1996年共立女子大学国際文化学部教授を務めた。
小浜 維人(おばま これひと、1935年〈昭和10年〉4月3… 小浜 維人(おばま これひと、1935年〈昭和10年〉4月30日 - 1999年〈平成11年〉9月24日)は、日本のジャーナリスト。元NHKキャスター、NHK解説委員長。 大阪府出身。京都大学教育学部卒業後、1961年にNHKに入局。仙台放送局から記者生活をスタートする。1963年大阪放送局に移り、この時期に結婚。2男1女をもうけた。 1967年、東京に移動。政治部に配属となり、福田派を担当する。体重が90キロもあったため、福田赳夫から「小浜関」と呼ばれて可愛がられた。 1979年から1982年までの3年間、『ニュースセンター9時』のキャスターを担当。初代の磯村尚徳が外信、2代目の勝部領樹が社会部だったため、3代目は政治部からとのことで小浜がキャスターに抜擢されたという。
遊佐 雄彦(ゆさ かつひこ、1935年3月6日 - 2012… 遊佐 雄彦(ゆさ かつひこ、1935年3月6日 - 2012年12月13日)は、日本のジャーナリスト。 福島県二本松市出身。1958年、埼玉大学文理学部卒、読売新聞社に入り、地方支局を回って1962年本社復帰。地方部、整理部、婦人部、1974年新聞監査委員。
田村 大五(たむら だいご、1935年(昭和10年)2月20… 田村 大五(たむら だいご、1935年(昭和10年)2月20日 - 2009年(平成21年)2月13日)は、日本のベースボールコラムニスト、スポーツジャーナリスト。 『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。一部記事(公式戦初勝利、他多数)
馬場 璋造(ばば しょうぞう、1935年2月13日 - 20… 馬場 璋造(ばば しょうぞう、1935年2月13日 - 2021年12月20日)は、日本の建築評論家、建築批評家、建築史家、編集者、建築ジャーナリスト。 1935年埼玉県川越市生まれ。1957年早稲田大学建築学科卒。1959年早稲田大学経済学科卒、新建築社入社。1972年新建築社取締役編集長。1989年から「高松宮殿下記念世界文化賞」建築部門の選考委員を務めた。1990年建築情報システム研究所設立。1992年日本建築学会理事。1995年日本文化デザイン会議福岡議長。2002年日本建築学会賞業績賞受賞。 コンペのプロフェッショナル・アドバイザー、さいたまスキップ・シティ技術提案競技審査委員長、中国仏山市スポーツセンター国際指名設計競技審査員、ブリーゼタワー国際指名設計競技審査員等を歴任。
小山 勇(こやま いさむ、1935年1月29日 - 2020… 小山 勇(こやま いさむ、1935年1月29日 - 2020年6月10日)は日本の実業家、ジャーナリスト。株式会社中日新聞社代表取締役副社長、中部日本放送株式会社非常勤取締役を歴任した。東京府東京市(現:東京都港区)出身。 養父は株式会社中日新聞社代表取締役社主を務めた小山龍三。 1935年(昭和10年)1月29日、東京府東京市に「平賀勇」として生まれる。 1959年(昭和34年)3月、早稲田大学政治経済学部を卒業する。在学中は後に内閣総理大臣となる森喜朗と交友があった。同年4月、自動車ディーラーのヤナセに入社する。 1969年(昭和44年)に義父の小山武夫が取締役を務める中部日本新聞社(現:中日新聞社)に入社、経済部記者に配属される。
友田 錫(ともだ せき、1935年1月27日 - 2018年… 友田 錫(ともだ せき、1935年1月27日 - 2018年7月31日)は、日本のジャーナリスト、国際関係学者。 東京生まれ。1958年早稲田大学文学部仏文科卒、東京新聞に入り外信部記者、1962年産経新聞社に移り外信部、1967-1968年サイゴン特派員、プノンペン特派員、1974-1978年パリ特派員、パリ支局長、政治部編集委員、1983年国際報道部長、1984年編集局次長、論説委員を経て、山陽学園短期大学教授となり、1992年亜細亜大学アジア研究所教授、2002-2004年所長、2005年日本国際問題研究所所長、2009年退任。2018年7月31日、腎盂癌のため死去。83歳没。
向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本… 向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本のジャーナリスト、探検家。 佐賀県唐津市生まれ。1960年東京外国語大学英米科卒業、共同通信社入社。社会部長、論説委員兼編集委員などをへて95年退社。日本記者クラブ会員。日本山岳会会員。1973-76年奥アマゾン探検隊隊長ほか、アンデス、南極、北極、アラスカ、オセアニア、ミクロネシア、ヒマラヤ、アジア各地で探検、登山、取材をした。
亀井 淳(かめい じゅん、1935年(昭和10年)1月12日… 亀井 淳(かめい じゅん、1935年(昭和10年)1月12日 - 2009年(平成21年)5月10日)は、日本のジャーナリスト、編集者。『週刊新潮』編集部次長、日本ジャーナリスト専門学校専任教員を務めた。 東京都出身。鳥取県人・亀井常蔵の長男。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。1957年4月、新潮社に入社。同期に江國滋がいた。 『週刊新潮』編集部には21年在籍し、同誌編集部次長を経て、1978年に退社。フリーとなり、日本ジャーナリスト専門学校専任教員を務めた。 2009年5月10日23時20分、肺癌のため東京都新宿区の病院で死去。74歳没。 週刊新潮編集部次長の経験を活かしたマスコミ・ジャーナリズムに関する評論のほか、三宅島や沖縄における自衛隊・米軍基地問題の取材・報告を主たる活動テーマとした。
杉田 博明(すぎた ひろあき、1935年1月9日ー2017年… 杉田 博明(すぎた ひろあき、1935年1月9日ー2017年12月13日)は、日本のジャーナリスト、随筆家。 京都府出身。同志社大学卒。京都新聞社に入り、編集委員を務めた。京都の文学・美術などについての著作がある。
中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日… 中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日本のジャーナリスト、ロシア・ソ連研究家。 大連市生まれ。長野県南佐久郡佐久穂町に育つ。長野県野沢北高等学校を経て、東京外国語大学ロシア語科国際関係課程卒業。時事通信社入社、本社経済部記者、シンガポール、クアラルンプール、モスクワ特派員、モスクワ支局長、外信部次長、整理部次長、外信部長、県立新潟女子短期大学国際教養学科教授、長岡短期大学教授、長岡大学産業経営学部教授などを務めた。モスクワ勤務の期間は通算9年強。妻幸子(ゆきこ)との間に3人の子供がいる。長男は「なかざわひでゆき」の名前で、映画と音楽の評論執筆活動を行う(http://angeleyes.dee.cc/)かたわら、随時、TVチャンネル「WOWOWプライム」の木曜夕方の番組「ザ・プライムショー」に出演中。