三友 康平(みとも こうへい、1980年3月19日 - )は… 三友 康平(みとも こうへい、1980年3月19日 - )は、福岡県直方市出身のバスケットボール指導者、選手である。
職業がバスケットボール:1,574人
三友 康平(みとも こうへい、1980年3月19日 - )は… 三友 康平(みとも こうへい、1980年3月19日 - )は、福岡県直方市出身のバスケットボール指導者、選手である。
鈴木 鉄夫(すずき てつお、1980年3月1日 - )は、神… 鈴木 鉄夫(すずき てつお、1980年3月1日 - )は、神奈川県横浜市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはF。 横浜商大高、青山学院大学卒業後に関東実業団リーグの東京日産に入団。2002年春のリーグでは新人賞とベスト5を獲得し、同年秋にもベスト5を獲得するなど活躍。 翌、2003年にオーエスジーフェニックスに加入。 オーエスジーのbjリーグ転籍によりJBL2のアイシン・エィ・ダブリュ アレイオンズ安城に移籍。
寺下 太基(てらした だいき、1980年〈昭和55年〉2月2… 寺下 太基(てらした だいき、1980年〈昭和55年〉2月25日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。和歌山県和歌山市出身。現役時代のポジションはスモールフォワード、パワーフォワード。滋賀レイクスターズU18のヘッドコーチを務めている。 12歳でバスケットボールを始める。 和歌山市立東中学校を卒業後、和歌山県立和歌山工業高等学校、大阪産業大学を経て2002年に松下電器パナソニックスーパーカンガールズ入り。このチームは後のbjリーグの大阪エヴェッサで指揮を執る天日謙作氏がアシスタントコーチであった。2シーズンをJBLスーパーリーグの登録選手として過ごした。同期に木下博之。 2003年、新潟アルビレックスA2に移籍。
木下 博之(きのした ひろゆき、1980年2月18日 - )… 木下 博之(きのした ひろゆき、1980年2月18日 - )は、大阪府八尾市出身の元バスケットボール選手、バスケットボール指導者である。ポジションはポイントガード。身長178cm、体重69kg。 桜宮高校から日本体育大学に進み、2001年のインカレ日体大のキャプテンとして優勝に導き、自身もMVPとなる。[要出典] 卒業後、松下電器に入社。バスケットボール部に入社。同期に寺下太基。 2003年にはユニバーシアード日本代表に選出される。[要出典] 2010年、30歳にして初のフル代表候補に選出され、アジア大会に出場。 2013年、パナソニックの後継チームである和歌山トライアンズに移籍。 2014年、日立サンロッカーズ東京に移籍。
佐藤 稔浩(さとう としひろ、1980年1月28日 - )は… 佐藤 稔浩(さとう としひろ、1980年1月28日 - )は、山形県出身の元バスケットボール選手。日立サンロッカーズに所属していた。 山形南高校から青山学院大学に進み、インカレ初優勝に貢献。 卒業後、日立に入社。2012年引退。背番号「20」はサンロッカーズの永久欠番。
西田 陽子(にしだ ようこ、1980年1月8日 - )は、沖… 西田 陽子(にしだ ようこ、1980年1月8日 - )は、沖縄県出身の元バスケットボール選手である。旧姓・安谷屋(あだにや)。オーエスジーフェニックスでプレーした兄健太とともに「沖縄バスケ界のパイオニア」と呼ばれた。 室川小学校でバスケを始め、安慶田中学校では1994年に沖縄女子初のジュニアオールスター優勝。沖縄県立北中城高等学校でインターハイベスト8に貢献し、ジュニア日本代表主将も務めた。愛知学泉大学でも黄金時代を支え、2001年には国体準優勝を経験。インカレでは敢闘賞を受賞した。 卒業後、三菱電機に入社。1年目から主力として定着。2006年にW1降格となるも、入れ替え戦進出に貢献。2007年引退。
佐藤 賢次(さとう けんじ、1979年12月14日 - )は… 佐藤 賢次(さとう けんじ、1979年12月14日 - )は、奈良県出身の元バスケットボール選手、バスケットボール指導者。180cm、77kg。 大瀬中、洛南高、青山学院大学を経て東芝(現:川崎ブレイブサンダース)に入社。 大瀬中学時代は、そのプレーぶりから「奈良のマイケル・ジョーダン」と呼ばれていた。[要出典](当時の『月刊バスケットボール』にも記載されていた[要ページ番号]。)大学4年のトーナメントで優勝した際に、山田哲也(日立(現:サンロッカーズ渋谷))は「(苦しい時に佐藤が引っ張ってくれて)やっぱりマイケルジョーダンですよ。」とコメントしている。[要出典] 大学時代は同学年で同姓の佐藤稔浩(日立(現:サンロッカーズ渋谷)とポジション争いをすることになる。
小堺 みさき(こざかい みさき、1979年12月5日 - )… 小堺 みさき(こざかい みさき、1979年12月5日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手、現指導者。東京都出身。実践学園高等学校卒業。現役時代のポジションはガードフォワード。 実践学園高等学校ではウィンターカップに出場しベスト5にも選ばれる。 卒業後は富士通に進み、オールジャパン優勝を経験し、Wリーグではフリースロー賞も獲得。 2006年の引退後は立命館大学女子バスケットボール部ヘッドコーチに就任。 2015年、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスコーチに就任。 2017年、男子Bリーグに所属する茨城ロボッツのアシスタントコーチに就任。 2019年より茨城ロボッツU15育成コーチ兼ROBOTSバスケットボールスクールコーチを務める。
陰 承民(ウム・スンミン、1979年10月21日 - )は、… 陰 承民(ウム・スンミン、1979年10月21日 - )は、大韓民国・ソウル特別市出身のプロバスケットボール選手。ポジションはフォワード。195cm、86kg。 bjリーグ初の韓国人選手。 弘益大学校附属弘益高校卒業後、九州産業大学に留学。西日本大会優勝などに貢献。 卒業後の2006年、アーリーチャレンジ制度により大分ヒートデビルズと契約。同年、富山グラウジーズにドラフト2巡目指名を受け入団。 2007年、学生時代を過ごした福岡より参入するライジング福岡にエクスパンション・ドラフトで移籍。シーズン終了後現役引退。 現在[いつ?]はグラウジーズ.ネット国際交流部。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。
澤岻 安史(たくし やすふみ、1979年10月14日 - )… 澤岻 安史(たくし やすふみ、1979年10月14日 - )は、沖縄県沖縄市出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード、シューティングガード。大分ヒートデビルズ所属の澤岻直人は実弟。元富山グラウジーズの根間洋一は同郷でありかつ横浜ギガキャッツ時代の同期である。 北中城高校でインターハイと国体に出場。 福岡大学でも4年連続でインカレ出場。 2002年に横浜ギガキャッツ入団。 その後は母校である福岡大学アシスタントコーチを経て、2006年に故郷のクラブチームでプレーし国体にも出場。 2008年8月に弟が所属する琉球ゴールデンキングスに育成指定選手として所属。12月出場選手契約。
本間 京子(ほんま きょうこ、1979年7月26日 - )は… 本間 京子(ほんま きょうこ、1979年7月26日 - )は、山形県出身の元バスケットボール選手・指導者である。ニックネームは「ビク」。ポジションはガードフォワード。
安藤 毅(あんどう たけし、1979年7月6日)は、東京都練… 安藤 毅(あんどう たけし、1979年7月6日)は、東京都練馬区出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはスモールフォワード。背番号9。190cm、82kg。 12歳の時に石神井中学校入学と同時にバスケ部に入部し、バスケットボールを始める。高校は都内の強豪高校國学院久我山高校に進学し。大学は國學院大學へと進む。 大学卒業後の2003年、さいたまブロンコスに入団。 2005年、チームがbjリーグを発足するのに伴い、ドラフト4巡目(全体18位)指名を受け、プロ契約を結んだ。 2009年引退。引退後、埼玉ブロンコスアカデミーのコーチスタッフとして小中学生の指導にあたっている。 2009年秋にフィールドジャパンが運営する"アンディ・テクニカルカレッジ"(埼玉県吉川市)にて小学生を指導。
伊藤 俊亮(いとう しゅんすけ、1979年6月27日 - )… 伊藤 俊亮(いとう しゅんすけ、1979年6月27日 - )は、日本の元男子バスケットボール選手である。神奈川県座間市出身。ポジションはセンター。204cm、112kg。ニックネームは「イートン」。 県内有数の進学校、神奈川県立大和高等学校から中央大学に一般入試で合格。同大学に進学し、全日本学生バスケットボール選手権大会(インカレ)、リーグで2度準優勝を経験。また、在学中の2001年に日本代表に選ばれ、アジア選手権に出場。[要出典] 卒業後の2002年、東芝に入社。ルーキーシーズンに19試合出場し、2003年には最多得票でオールスターにも選ばれるなどの活躍を見せる。[要出典] 全日本でもコンスタントに選ばれ[要出典]、2006年世界選手権にも出場した。
渡邉 由穂(わたなべ ゆほ、1979年6月12日 - )は、… 渡邉 由穂(わたなべ ゆほ、1979年6月12日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。ニックネームは「ユホ」。現役時代のポジションはガードフォワード。 市立船橋高校から富士通に入社。当時WIだった女子バスケットボール部に所属し、2シーズン目には先発出場こそ5試合にとどまるものの、90%を超えるフリースロー成功率でWリーグ昇格に貢献。 2004年、日立ハイテクに移籍。2006-07シーズンにはフリースロー成功率のタイトルを獲得。 2010年、指導者に転じて国体千葉県成年女子の監督も務めた。 2012年、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスコーチに就任。
玉城 昌子(たましろ しょうこ、1979年6月11日 - )… 玉城 昌子(たましろ しょうこ、1979年6月11日 - )は、沖縄県の元バスケットボール選手である。 小学校でバスケを始め、高校は名門北中城高校に進学。同期の安谷屋陽子らとともにインターハイベスト8に貢献。 卒業後は三洋電機に入社するが、2000年に廃部となったため、日本体育大学に入学。 全日本インカレ3連覇を経験する一方で、国体沖縄選抜としても2001年の新世紀・みやぎ国体で安谷屋らとともに準優勝に貢献。2大会連続でユニバーシアード日本代表にも選ばれる。 卒業後、シャンソン化粧品に加入。1年目はシックスウーマン要因ながらWリーグ5年ぶりの優勝に貢献。2シーズン目はレギュラーシーズン9試合、プレーオフ4試合先発出場で連覇を達成するが、このシーズンを最後に引退。
堀川 竜一(ほりかわ りゅういち、1979年6月9日 - )… 堀川 竜一(ほりかわ りゅういち、1979年6月9日 - )は、富山県富山市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。身長191cm、体重85kg。 12歳の時、西部中学校のバスケットボール部に入部し、バスケットボールを始める。土浦日大高校に進学後、1996年ウィンターカップでベスト8進出に貢献。京都産業大学に進学後、1999年関西リーグ優勝と4年連続インカレを経験。大学卒業後、当時はクラブチームだった富山グラウジーズに加わった。 2005年のbjリーグ発足に当たり、埼玉ブロンコスにドラフト5巡目指名を受け入団。2008年、大阪エヴェッサに移籍する。2009年7月、トライアウトを経て滋賀レイクスターズに移籍。
恩塚 亨 (おんづか とおる、1979年〈昭和54年〉6月5… 恩塚 亨 (おんづか とおる、1979年〈昭和54年〉6月5日 - ) は、日本のバスケットボール指導者。バスケットボール女子日本代表ヘッドコーチ、東京医療保健大学女子バスケットボール部ヘッドコーチ、東京医療保健大学准教授。 1979年、大分県生まれ。幼少期よりバスケットボールを始める。選手ではなく指導者を志し、筑波大学進学、バスケットボール部に入部。 大学で教員免許取得後、2002年から7年間渋谷教育学園幕張中学校・高等学校の教員として勤務し、女子バスケットボール部のコーチを務める。 2006年、東京医療保健大学が新設されるタイミングで大学に企画書を提出して女子バスケットボール部を立ち上げた。
根間 洋一(ねま ひろかず、1979年5月12日 - )は、… 根間 洋一(ねま ひろかず、1979年5月12日 - )は、沖縄県出身のバスケットボール指導者、元プロバスケットボール選手である。選手としてのポジションはガード/フォワードであった。 北谷高校から法政大学を経て、2002年に横浜ギガキャッツに入団。オールジャパンベスト8に貢献した。 ギガキャッツが廃部となったため、2005年に福岡レッドファルコンズへ移籍したが、レッドファルコンズも消滅の憂き目に遭う。 2006年、富山グラウジーズにドラフト外で入団。主将に指名される。 2008年現役引退。アシスタントコーチに転じる。しかし2008-09シーズン途中で福島雅人ヘッドコーチが更迭されたため石橋貴俊がヘッドコーチに就任するまで代行として指揮を執った。
佐野 吉宗(さの よしむね、1979年4月30日 - )は、… 佐野 吉宗(さの よしむね、1979年4月30日 - )は、日本のバスケットボール選手である。旧姓、加藤(かとう)。ポジションはフォワード、センター。沼津学園高校、日本大学を経て2002年にトヨタ自動車アルバルクに入団。以後日立サンロッカーズ、レラカムイ北海道やクラブチームを経て2011年にはbjリーグの浜松・東三河フェニックスと契約した。その後は秋田ノーザンハピネッツ、ライジング福岡とbjリーグのチームでプレイし、2014-15シーズン終了後に引退した。 静岡県富士宮市出身。沼津学園高校で全国大会を経験し、日本大学に進学。2001年には北京ユニバーシアード代表に選出される。 卒業後の2002年、トヨタ自動車アルバルクに入団。
松藤 貴秋(まつふじ たかあき、1979年4月18日 - )… 松藤 貴秋(まつふじ たかあき、1979年4月18日 - )は、神奈川県伊勢原市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはガード。176センチ、体重72キロ。弟は松藤光生。 現在は母校である中京大学スポーツ科学部教授、体育会バスケットボール部ヘッドコーチを務める。高校時代の2年先輩に三遠ネオフェニックスHCの大野篤史がいる。 愛工大名電高校から中京大学を経て埼玉ブロンコスに入団。 2005年 埼玉ブロンコスのbjリーグ参戦を機に日本リーグの豊田通商に移籍 2002-03、2003-04 日本リーグ優勝・連覇 2007-08シーズンをもって引退 2008年 中京大学ヘッドコーチ就任。 2010年 インカレ出場 2014年 東海リーグ優勝(24年ぶり)、西日本大会準優勝、天皇杯出場 2017年 全日本大学選手権大会 ベスト8 2019年 バスケットボールU22日本代表 アシスタントコーチ 2021年 バスケットボールU22日本代表 チームリーダー 2022年 全日本大学新人選手権大会 3位、全日本大学選手権大会 ベスト8 2023年 日本学生選抜 ヘッドコーチ。
川畑 宏美(かわばた ひろみ、1979年3月23日 - )は… 川畑 宏美(かわばた ひろみ、1979年3月23日 - )は、福井県小浜市出身の女子バスケットボール選手である。ポジションはパワーフォワード。181cm。JOMOサンフラワーズ所属。ニックネームは「ラック」。「花の78年組」の一人。 小浜二中でバスケを始め、福井商業高校からジャパンエナジーに入社。主力選手としてJOMO黄金時代に貢献。 2004年にはアテネ五輪日本代表に選ばれる。 2005年よりJOMOの主将に就任。 2006-2007シーズンを最後に現役を引退。 引退に際し、Wリーグから功労賞が贈られた。
山田 久美子(やまだ くみこ、1979年2月14日 - )は… 山田 久美子(やまだ くみこ、1979年2月14日 - )は、福岡県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはセンター。コートネームの「テン」には「天」「点」などあらゆる「テン」がかかっている。 名古屋短期大学附属高等学校(現・桜花学園高等学校)では全国大会でタイトルを獲得。 卒業後、強豪のシャンソン化粧品に入社。全日本にも選ばれバンコクアジア大会で金メダルを獲得するが、出場機会は徐々に減少。 2001年、日立ハイテクノロジーズ・スクァレルズに移籍。出場機会を増やし、チームの得点源として活躍。2002年世界選手権に出場。 2006年、JOMOサンフラワーズに移籍。シャンソン・JOMOの女子バスケ2強をなす両チームに所属した初の選手となる。
陳 海沫(ちん はいも、1979年2月13日 - )は、中国… 陳 海沫(ちん はいも、1979年2月13日 - )は、中国・上海出身のプロバスケットボール選手である。193cm、80kg。ポジションはスモールフォワード。 上海市南洋模范中学校に在学中の14歳の時にバスケットボールを始める。北陸高校でのバスケ留学のために来日、後に大東文化大学に進学し、全国大会で活躍。 卒業後は日本クラブバスケットボール連盟の鹿児島教員クラブでプレー。 2004年6月16日付けで日本国籍を取得。 同年、オーエスジーフェニックス(現、三遠ネオフェニックス)に日本人選手として入団。チームの主力として活躍し、オールスターのメンバーにも選ばれている。 2008-2009年シーズンは浜松のエクシパンションドラフトにおけるプロテクトを受け、bjリーグの浜松・東三河フェニックスの一員としてプレーすることが決まった。
小野 元(おの はじめ、1979年1月2日 - )は、東京都… 小野 元(おの はじめ、1979年1月2日 - )は、東京都出身の男子バスケットボール選手。190cm、82kg。 世田谷学園高、中央大学を経て東芝に入社。ユニバーシアード日本代表にも2度選出されている。 2012年に一旦引退したが、2013年に復帰して熊本ヴォルターズへ入団した。2014-15シーズンはライジング福岡に所属した後、シーズン終了後に現役を引退した。
斎藤 卓(さいとう たく、1979年1月1日 - )は、日本… 斎藤 卓(さいとう たく、1979年1月1日 - )は、日本のバスケットボール選手・指導者である。 都立駒場高校から東海大学を経て、卒業後はクラブチームの横浜ギガキャッツ、横浜ギガスピリッツ、TEAM-Sでプレー。 引退後は指導者に転じ、2013年のアースフレンズのヘッドコーチから始まり、2014年にアースフレンズ東京ZとしてNBDLに加入するとアシスタントコーチに就任し、2017年にヘッドコーチ昇格。 ヘッドコーチとしては1シーズン指揮した後、スポーツディレクター、育成部ディレクターとしてチームに関与するも、2021年退団。 2021年、レバンガ北海道アシスタントコーチ就任。 2023年、レバンガ北海道アシスタントコーチを退任。
矢野 良子(やの りょうこ、1978年〈昭和53年〉12月2… 矢野 良子(やの りょうこ、1978年〈昭和53年〉12月20日 - )は、日本のバスケットボール選手。徳島県出身。ポジションはフォワード。ニックネームは「リョウ」。「花の78年組」の一人。2004年アテネオリンピック日本代表。 三人姉妹の末っ子で、矢野優子は次姉 姉たちの影響でバスケを始め、徳島県立城北高等学校卒業後の1997年に次姉が所属していたジャパンエナジー(現ENEOS)に加入。当初のポジションはセンターフォワードであった。萩原美樹子のWNBA移籍後はチームのエースとして活躍し、Wリーグ優勝4回、皇后杯全日本総合選手権(オールジャパン)優勝6回に貢献した。2003-04シーズンWリーグプレーオフMVPも受賞。
山岡五月(やまおか・さつき、1978年12月13日 - )は… 山岡五月(やまおか・さつき、1978年12月13日 - )は、徳島県阿南市出身の元バスケットボール選手。ポジションはSG。背番号32。 徳島県立富岡東高等学校、大阪体育大学出身。大学卒業後は、トヨタ自動車アンテロープ(現・トヨタ自動車アンテロープス)に入団。 2006年、デンソーアイリスに移籍。身長171cm、体重60kg。得意プレイはレッグスルー。 2008年オフに結婚。 2009年引退。主婦業に専念する。 2015年徳島県阿南市立加茂谷中学校で教員として働く。
米本 聡(よねもと さとし、1978年12月4日 - )は、… 米本 聡(よねもと さとし、1978年12月4日 - )は、東京都出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。177cm、76kg。
平手 美樹(ひらて みき、1978年11月19日 - )は、… 平手 美樹(ひらて みき、1978年11月19日 - )は、長野県出身の元女子バスケットボール選手である。ポジションはC。かつてデンソーアイリスに所属していた。 茅野北部中でバスケを始め、名門名古屋短大付高ではインターハイ3連覇など多くのタイトルを獲得。 卒業後はデンソーに入社。 1997年、ジュニア日本代表に選出され、翌年の世界選手権に出場した。 2001年には全日本に選ばれ東アジア競技大会に出場。2002年も国際試合を経験した。 2005年、デンソーを退社。クラブチームのLOWSに入団。2007年からの全日本クラブ選手権連覇の原動力となる。
大野 慎子(おおの しんこ、1978年11月14日 - )は… 大野 慎子(おおの しんこ、1978年11月14日 - )は、長崎県佐世保市出身の女子バスケットボール選手である。身長162cm。ポジションはガード。柏リーブス(千葉)・KING ASH(渋谷区)所属。 佐世保市立皆瀬小学校でバスケットボールを始め、佐世保市立中里中学校では、県中学総体で準優勝。 鶴鳴女子高校では1995年福島国体で準優勝、1996年の山梨インターハイで準優勝、広島国体3位の成績を収める。 1997年に渡米し、インディアナ州エバンスビル大学附属英語学校で学んだ後、1998年エバンスビル大学に正式入学。1999年にはカンファレンスリーグ最優秀新人賞を獲得。日本人女子初のNCAA出場を果たした。
大場 康弘(おおば やすひろ、1978年10月23日 - )… 大場 康弘(おおば やすひろ、1978年10月23日 - )は、山形県出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはセンターフォワード。背番号32。200cm、110kg。現在[いつ?]は東京アパッチのアシスタントコーチ。 日本大学卒業後、東京日産に入社。 退社後、クラブチームのゼロを経て、2005年のbjリーグ発足に当たりトライアウトを受け、東京アパッチと契約。 2006-07シーズン途中よりプレイイングコーチとなる。 シーズン後現役引退。アシスタントコーチに就任。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
青野 文彦(あおの ふみひこ、1978年10月20日 - )… 青野 文彦(あおの ふみひこ、1978年10月20日 - )は、愛媛県西条市(旧周桑郡小松町)出身の元バスケットボール選手である。身長210cm、体重120kgで、ポジションはセンター。Bリーグの日本人現役選手の中では長身の選手の1人だった。[要出典] 小学校卒業時にはすでに身長が180cmあり、横綱の北の湖さんが実家まで来たこともある。[要出典] 高校からバスケを始め[要出典]、松山城南高等学校から青山学院大学を経て2001年、松下電器に入社、バスケットボール部に所属。 青山学院大学在籍時には、創部初の春のトーナメント優勝、新人戦優勝、リーグ戦優勝、インカレ優勝、 4年時には大学タイトル三冠を達成している[要出典]。
江口 真紀(えぐち まき、1978年10月14日 - )は、… 江口 真紀(えぐち まき、1978年10月14日 - )は、愛知県名古屋市生まれ熊本県水俣市出身のバスケットボール選手である。ポジションはセンター。 「花の78年組」の一人で、アテネ五輪日本代表。実業団5チームを渡り歩き、引退と復帰も経験した苦労人である。 水俣二中でバスケを始め、九州女学院高校から三洋電機に入社。 休部後は日立戸塚を経て、2002年にシャンソン化粧品に移籍。 2004年にはアテネオリンピック日本代表に選ばれる。 2004-05Wリーグ優勝の原動力となる。 シーズン後三菱電機に移籍。チームはW1に降格し、故障も抱え引退。 2007-08シーズン現役復帰。 2008年、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスに移籍。
船引 まゆみ(ふなびき まゆみ、1978年10月9日 - )… 船引 まゆみ(ふなびき まゆみ、1978年10月9日 - )は、北海道出身の元バスケットボール選手である。ポジションはガードフォワード。富士通レッドウェーブに所属していた。174cm、58kg。同じく富士通に所属していた船引かおりは実姉である。 札幌山の手高校から愛知学泉大学に進学。インカレ5連覇を経験し、1999年のユニバーシアードに姉妹揃って出場。 2001年、姉が所属する富士通に入社。1年目より15試合中14試合にスタメン出場し、Wリーグ昇格の原動力となる一方でユニバーシアード2大会連続出場も果たした。 2007年のオールジャパンでは大会ベスト5に選ばれた。2008年北京五輪世界最終予選の日本代表に選出された。
渡邉 拓馬(わたなべ たくま、1978年10月7日 - )は… 渡邉 拓馬(わたなべ たくま、1978年10月7日 - )は、日本の元男子バスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。福島県出身でアルバルク東京所属。188cm、83kg。
竹田 謙(たけだ けん、1978年10月5日 - )は、神奈… 竹田 謙(たけだ けん、1978年10月5日 - )は、神奈川県川崎市高津区出身のバスケットボール選手である。ポジションはガード/フォワード。身長188cm、体重80kg。AB型。左利き。現在は横浜ビー・コルセアーズのアドバイザーと青山学院大学男子バスケットボール部のHCを務める。 國學院久我山高校、青山学院大学を経て、東京海上日動火災保険に入社。日本リーグのバスケットボール部に所属し、ルーキーながら全14試合に先発出場し、221得点を記録。 2002年に新潟アルビレックスBBへ移籍。引き続き主力として活躍。 2005年、新たに発足された福岡レッドファルコンズへ移籍するが、シーズン途中で解散したため、松下電器へ移籍。
林 五十美(はやし いそみ、1978年9月16日 - )は、… 林 五十美(はやし いそみ、1978年9月16日 - )は、富山県出身の元バスケットボール選手である。ニックネームは「イソミ」。ポジションはセンターフォワード。「花の78年組」の一人。 名門名古屋短大付高校ではインターハイ3連覇など全国大会のタイトルを次々と獲得。また、ジュニア日本代表にも選ばれ、ジュニア世界選手権にも出場。 卒業後、日本リーグ2部の積水化学に入社。全日本にも選ばれる活躍を見せるが、1999年に廃部。 その後、WIリーグの日立那珂(後の日立ハイテク)に移籍。Wリーグ昇格に貢献する。 2006年、JOMOに移籍。2年連続でタイトルを逃したチームの救世主として期待され、ベンチ要員ながらも2006-07の王座奪還に貢献。
中西 恒彦(なかにし つねひこ、1978年9月8日 - )は… 中西 恒彦(なかにし つねひこ、1978年9月8日 - )は、静岡県出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。 青山学院大学卒業後、地元のクラブチームを経て、2004年にさいたまブロンコス入団。 bjリーグ発足後も引き続き所属するが、出場機会に恵まれず退団。 静岡市のバスケットボールクラブチームSILVER BACK(シルバーバック)でキャプテンとして活躍中。 その傍らストリートでも活動中。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
原 一希(はら かずき、1978年9月6日 - )は、福岡県… 原 一希(はら かずき、1978年9月6日 - )は、福岡県出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはフォワード。背番号15。194cm、89kg。 宗像高から鹿屋体育大学に進学。 卒業後の2001年、日立電線に進む。 2005年、この年よりスタートするbjリーグに参加する埼玉ブロンコスよりドラフト3巡目(全体12位)指名を受け入団。 初年度はチームは最下位に沈むもコンスタントに出場を重ね、2006-07シーズンも全試合に出場した。 2008年にプロ引退。同年7月より地元・福岡県内の中学校で保健体育の講師を務めている。競技の第一線を退いた後も、地元のクラブチームなどでトレーニングを続けており、国体(成年男子の部)の福岡県代表に2年連続(2008年-2009年)で選出されている。
渡邉 温子(わたなべ あつこ、1978年8月29日 - )は… 渡邉 温子(わたなべ あつこ、1978年8月29日 - )は、愛知県出身の元バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。176cm。「花の78年組」の一人。START OF THE DAYのボーカリストAtsuko(渡邉 温子)とは別人。 昭和ミニから名古屋市立千種台中学校、名古屋短大付高を経て、愛知学泉大学に進学。これらすべてで優勝を経験しており、「優勝の申し子」と呼ばれる。 2001年、シャンソン化粧品に入社しバスケット部に入部。大神雄子を抑えてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。 全日本にも選ばれ、2002年世界選手権に出場。 2005年、チームの5年ぶりのリーグ優勝に貢献。シーズン後、デンソーに移籍。
三谷 藍(みたに あい、1978年8月21日 - )は女子バ… 三谷 藍(みたに あい、1978年8月21日 - )は女子バスケットボール選手である。富士通レッドウェーブ所属。ポジションはセンターフォワード。182cm。ニックネームは「レイ」。「花の78年組」の一人。 千葉県出身。市立船橋高校から、専修大学経営学部を経て2001年に富士通に入社。 1年目よりWリーグ昇格に貢献し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する。 その後もチームの主力として活躍し、オールジャパン連覇及び2年連続プレーオフ出場に貢献。2006-07シーズンには年間ベスト5賞を受賞。 2005年には日本代表にも初選出。2005年アジア選手権や東アジア競技大会などに出場。 2007年アジア選手権、北京オリンピックバスケットボール世界最終予選、2010年世界選手権に出場。
三木 聖美(みき さとみ、1978年8月19日 - )は、福… 三木 聖美(みき さとみ、1978年8月19日 - )は、福岡県北九州市出身の元バスケットボール選手である。現姓:中村。ポジションはポイントガード。「花の78年組」のひとり。 折尾中学校、名古屋短期大学附属高等学校(現・桜花学園高等学校)では全国タイトルを獲得。 卒業後、シャンソン化粧品に入社。バスケットボール部に所属し活躍。フリースロー賞など個人タイトルも獲得し、シャンソン黄金時代を支えた。 2004-05シーズンは主将を務め、5年ぶりの優勝に導いた。 全日本にも選ばれ、1998年世界選手権などにも出場。バンコクアジア大会では金メダルを獲得。ジュニア代表では得点王も獲得している。 2007年1月に結婚し、チーム初の既婚選手となったが、同年3月に現役を引退した。
石川 幸子(いしかわ さちこ、1978年8月18日 - )は… 石川 幸子(いしかわ さちこ、1978年8月18日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。178cm。「花の78年組」の一人。脱毛症により一時期スキンヘッドとなっていた。 新居浜商業高から指導していたコーチの転勤に伴って甲子園学院高に編入学。3年次のウィンターカップでは準優勝した。卒業後、1997年にシャンソン化粧品に入社。2003年に先発に定着した。 2004-05シーズンの5年ぶりとなるシャンソン優勝の原動力となる。 2005-06シーズンよりチームのキャプテンに就任し、レギュラーシーズン・プレーオフ全試合出場で連覇に貢献した。 2005年にはアジア選手権の日本代表にも選出されている。
榊原 紀子(さかきばら のりこ、1978年8月4日 - )は… 榊原 紀子(さかきばら のりこ、1978年8月4日 - )は、兵庫県出身の元バスケットボール選手である。ニックネームは「キコ」「キング」。ポジションはフォワード。175cm。父は元プロ野球選手の榊原良行。「花の78年組」の一人。
藤原 隆充(ふじわら たかみち、1978年7月16日 - )… 藤原 隆充(ふじわら たかみち、1978年7月16日 - )は、福岡県北九州市小倉南区出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。背番号11。182cm、81kg。 9歳でバスケットボールを始める。中学校は北九州市立守恒中学校に、高校は小倉南高校に進学。激戦区の福岡にあって福岡大大濠高校が大きな壁となって立ちはだかり、チームとして全国大会には一度も出場できなかった。大学は九州産業大学に進学。ここでの活躍で全国区に名が知られる存在となる。2年生からは九州学生選抜に選出される。 卒業後の2001年、新潟アルビレックスBBに入団し新人王に輝く。2006年から主将となる。ゴールを決めた後の雄叫びはブースターの間で御馴染みの光景となる。
広瀬 大志(ひろせ たいし、1978年7月15日 - )は、… 広瀬 大志(ひろせ たいし、1978年7月15日 - )は、東京都出身のプロバスケットボール選手である。172cm、64kg。bjリーグの東京アパッチに所属していた。背番号88。 駒澤大学卒業後、江東倶楽部を経て、2005年にbjリーグのトライアウトを受験。仙台89ERSに合格したが、東京アパッチに練習生として参加、シーズン途中で選手契約。2006年退団。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
金田 詳徳(かねた よしのり、1978年7月10日 - )は… 金田 詳徳(かねた よしのり、1978年7月10日 - )は、宮城県出身のプロバスケットボール指導者である。 仙台高校では1年次より全国大会に出場し、3年次のウィンターカップではベスト4を経験。高校日本代表にも選出。 早稲田大学では2年次に関東大学2部リーグアシスト王となる。 卒業後はクラブチームのエクセレンスに加入。全日本クラブ選手権ベスト4を経験。 引退後の2005年、大塚商会アシスタントコーチに就任。翌年、ヘッドコーチに昇格。 2007年、大塚商会から継承されたプロチーム・栃木ブレックスの初代ヘッドコーチに就任。JBL2優勝、JBL昇格に導いた。 そのオフ、レラカムイ北海道アシスタントコーチに就任。
上山 博之(うえやま ひろゆき、1978年6月25日 - )… 上山 博之(うえやま ひろゆき、1978年6月25日 - )は、島根県出身の元バスケットボール選手。ポジションはガード。183cm、74kg。 松江北高校から愛知学泉大学を経て、2001年、トヨタ自動車アルバルクに入団。 2005年にスーパーリーグに新規加入となった福岡レッドファルコンズに移籍しプロ契約を結ぶ。しかし、チームがシーズン半ばで解散したため、bjリーグのアーリーチャレンジ制度を利用し、仙台89ERSと契約した。(福岡から同制度で契約した選手は他に埼玉ブロンコスの庄司和広がいる。) 契約終了後、日立サンロッカーズに移籍。bjからJBLに移籍した最初の選手となる。(JBL→bjの移籍選手は多いが、bj→JBLの移籍をした選手は2007年現在、他に同じく仙台からレラカムイ北海道に移籍した大西裕之のみである。
柳本 聡子(やなぎもと さとこ、1978年6月8日 - )は… 柳本 聡子(やなぎもと さとこ、1978年6月8日 - )は、大阪府出身の元女子バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。「花の78年組」の一人。 樟蔭東高校から樟蔭東女短大を経て、日本航空にキャビンアテンダント(客室乗務員)として入社し、バスケットボール部に所属。1年目にはユニバーシアード代表に選ばれる。JALでは主将も務めた。 全日本のメンバーとしても、2005年のアジア選手権に出場。 2008年引退。現在は客室乗務員に専念している。 薮内夏美は高校・短大・JALの1年先輩に当たる。
金澤 篤志(かなざわ あつし、1978年4月2日 - )は、… 金澤 篤志(かなざわ あつし、1978年4月2日 - )は、千葉県出身のバスケットボール指導者である。 八千代市立八千代中学校、千葉県立佐倉高等学校、筑波大学で選手として活躍し、卒業後はヨルダンのアル・ジャリールスポーツクラブのアシスタントコーチと同クラブのU-14及びU-16チームヘッドコーチを2003年まで務める。 2005年、八千代市選抜チームのアシスタントコーチを務める。 2006年より母校・筑波大でアシスタントコーチを務める。 2007年から2シーズン、ライジング福岡アシスタントコーチに就任。 2009年、高松ファイブアローズアシスタントコーチに就任。福岡、高松時代いずれもヘッドコーチはカール・ジョン・ニューマン。