熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月… 熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月28日 - )は、元航空自衛官、軍事史学者、軍事評論家、歴史評論家である。ペンネーム熊谷 直(くまがい ただす)を著作の種別により用いる。 父方・母方ともに長州藩士の家系であるという。
職業が評論家:2,471人
熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月… 熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月28日 - )は、元航空自衛官、軍事史学者、軍事評論家、歴史評論家である。ペンネーム熊谷 直(くまがい ただす)を著作の種別により用いる。 父方・母方ともに長州藩士の家系であるという。
河村 錠一郎(かわむら じょういちろう、1936年〈昭和11… 河村 錠一郎(かわむら じょういちろう、1936年〈昭和11年〉4月19日 - 2025年〈令和7年〉9月19日)は、日本の美術評論家、英文学者、比較芸術学者、翻訳家。一橋大学名誉教授。専門はイギリス美術史、特にラファエル前派。 東京市浅草区生まれ。1960年(昭和35年)東京大学文学部英文科卒、1965年(昭和40年)同大学院博士課程中退、一橋大学経済学部講師。1969年(昭和44年)助教授、のち教授。1996年(平成8年)言語社会研究科教授、2000年(平成12年)定年退官、名誉教授。帝京大学教授。のち客員教授。2015年(平成27年)11月の秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章する。 門下に加藤光也(元旧・東京都立大学教授)。
江坂 彰(えさか あきら、1936年4月17日 - )は、日… 江坂 彰(えさか あきら、1936年4月17日 - )は、日本の経済評論家。 京都府生まれ。本名・海老名彰一[要出典]。1961年京都大学文学部卒業。東急エージェンシー本社マーケティング局長、関西支社長などを経て、1984年独立。『冬の火花』でデビュー。サラリーマンたちの人生を見つめた著作を発表。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山野 博大(やまの はくだい、1936年(昭和11年)4月1… 山野 博大(やまの はくだい、1936年(昭和11年)4月10日 - 2021年(令和3年)2月5日)は、日本の舞踊評論家。 東京都生まれ。日本のバレエ創生期のスターで、『白鳥の湖』全幕を最初に踊った松尾明美(1919~2013年)に憧れて舞踊の世界に入る[要出典]。慶應義塾大学法学部在学中から新聞や雑誌等に公演批評、作品解説等を執筆するようになった。1959年、慶應義塾大学法学部卒業。1960年、他の批評家、舞踊家らと「二十世紀舞踊の会」を立ち上げる。この会では、うらわまこと、池宮信夫、市川雅などの若手批評家たち、小杉武久らのグループ音楽、そしてさまざまな分野の舞踊家が、新しい表現を追求していたモダンダンスの邦千谷のスタジオに集まって、舞踊やパフォーマンス、トーク、シンポジウムなどを行った。
古屋 健三(ふるや けんぞう、1936年4月8日 - )は、… 古屋 健三(ふるや けんぞう、1936年4月8日 - )は、日本のフランス文学者、文芸評論家、作家、慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。フランス・グルノーブル大学に留学、博士号取得。慶大文学部助教授を経て教授、2002年に定年退職し名誉教授。 文芸評論家としても、主として内向の世代の作家を論じ、「三田文学」編集長も務めた。60歳になるまで著書を出さない方針だったが、それ以後は旺盛な執筆活動に入り、小説も著した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は… 志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は、日本の防衛評論家、帝京大学名誉教授、星槎大学客員教授、元陸上自衛官(最終階級:陸将)。工学博士(京都大学、1968年)。 静岡県浜松市出身。金沢大学附属高等学校、防衛大学校本科(土木工学専攻)を卒業(第2期)。京都大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)。 岩見沢駐屯地第102施設大隊長(1974年3月16日~1976年3月24日)、アメリカ陸軍戦略大学研究員、在米国大使館防衛駐在官、陸上幕僚監部人事部長、第2師団長、防衛大学校幹事、北部方面総監などの要職を歴任する。北部方面総監在任中の1991年には陸上自衛隊としては初の方面隊規模の災害対処訓練「ビッグレスキュー'91」を統裁した。
藤崎 康夫(ふじさき やすお、1936年3月30日 - )は… 藤崎 康夫(ふじさき やすお、1936年3月30日 - )は、日本の評論家、移民史研究者、児童文学作家。 ブラジル日本語新聞「ニッケイ新聞」(旧名パウリスタ新聞)東京支社名誉支社長。雑誌『児童文学』編集長。 熊本県生まれ。1944年朝鮮から引き揚げ。1958年熊本大学教育学部理科学科卒業。天草、東京で中学校教師等を経て、著作活動へ。南米の日本人移民の調査などを行った。 第17回日本児童文芸家協会賞受賞。弟子に奥野修司などがいる。
大野 誠治(おおの せいじ、1936年3月23日 - )は、… 大野 誠治(おおの せいじ、1936年3月23日 - )は、日本のジャーナリスト、経済評論家。 大分県大分郡湯布院町(現・由布市)出身。1960年埼玉大学文理学部経済学科卒。日刊工業新聞、日本工業新聞記者を経て、雑誌『財界』編集長。のち常務取締役兼論説委員。
マークス 寿子(マークス としこ、英語: Toshiko M… マークス 寿子(マークス としこ、英語: Toshiko Marks、1936年(昭和11年)3月23日 - 2024年(令和6年)6月15日)は、日本出身のイギリスの学者、評論家。エセックス大学講師や秀明大学教授を務めた。 正式名は「ブロートンのマークス男爵夫人トシコ・マークス閣下(The Right Honourable Toshiko Marks, Baroness Marks of Broughton)」[要出典]。旧名は志村 寿子(しむら としこ)。アメリカ文学者の志村正雄(東京外国語大学名誉教授)は兄。 1936年、東京府に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。旧・東京都立大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 201… 種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 2014年11月6日)は、日本の作家、随筆家、評論家。滋賀県大津市出身。 もとは毎日新聞社の記者だったが、1973年に鉄道に関連する記事執筆を専業とするフリーのライターとなり、レイルウェイ・ライターと称して鉄道に関するルポルタージュ、時事評論、紀行文、推理小説などを数多く発表した。 滋賀県立大津東高等学校(現在の滋賀県立膳所高等学校)、京都大学法学部卒業。 毎日新聞社の国鉄担当記者であった1972年に、その豊富な鉄道知識と新聞記者としての取材、執筆能力から、当時の『鉄道ジャーナル』編集長の竹島紀元に抜擢され、「列車追跡」など同誌のメインとなる特集記事を執筆するようになったほか、連載コラムも持つようになる。
天野 道映(あまの みちえ、1936年2月15日 - 202… 天野 道映(あまの みちえ、1936年2月15日 - 2023年7月15日)は、日本の演劇評論家。大連生まれ、東京都国分寺市在住。東京大学文学部仏文科卒、朝日新聞記者を経て、演劇評論家として活動する。人形浄瑠璃文楽、歌舞伎、ミュージカル、宝塚、現代劇の批評を書いていた。国際演劇評論家協会日本センター所属。 2023年7月15日、誤嚥性肺炎のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
平松 茂雄(ひらまつ しげお、1936年(昭和11年)2月9… 平松 茂雄(ひらまつ しげお、1936年(昭和11年)2月9日 - 2023年(令和5年)7月5日)は、日本の政治学者、評論家。国家基本問題研究所評議員。 静岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、1966年(昭和41年)同大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学(1986年(昭和61年)に法学博士)。1967年(昭和42年)防衛庁防衛研究所入所、1980年(昭和55年)第1研究部第3研究室長を経て、1987年(昭和62年)から2005年(平成17年)まで杏林大学社会科学部(のちに総合政策学部)で教鞭をとった。 長年、中華人民共和国の軍事面での台頭について警告を発している。東西冷戦終結間際の時期(1988年(昭和63年)頃)に、中国が冷戦崩壊後の世界で軍事的に台頭することを予想していたのは自身のほかにはほとんどいなかったと述べている。
西田 善夫(にしだ よしお、1936年2月8日 - 2016… 西田 善夫(にしだ よしお、1936年2月8日 - 2016年2月27日)は、日本のスポーツ評論家。元NHKアナウンサー。
吉田 康彦 (よしだ やすひこ、1936年2月4日 - )は… 吉田 康彦 (よしだ やすひこ、1936年2月4日 - )は、日本の国際問題評論家、元埼玉大学教授。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員教授。
権田 萬治(ごんだ まんじ、1936年2月2日 - )は、日… 権田 萬治(ごんだ まんじ、1936年2月2日 - )は、日本の推理小説評論家。
新崎 盛暉(あらさき もりてる、1936年1月27日 - 2… 新崎 盛暉(あらさき もりてる、1936年1月27日 - 2018年3月31日)は、日本の歴史学者・沖縄史評論家。反戦運動家。沖縄大学名誉教授。専門は沖縄現代史。 東京府東京市杉並区天沼生まれ。1961年、東京大学文学部社会学科卒業。都庁勤務を経て、1974年に沖縄に移住し、同年から沖縄大学助教授、1975年から教授。1983年~1989年には学長を務め、2001年~2004年には2度目の学長を務めた。2004年に退任し、名誉教授となる。 反戦運動家として活動し、1978年に伊波普猷賞、1984年に沖縄研究奨励賞、1993年・2013年に沖縄タイムス出版文化賞、2006年日本平和学会平和賞を受賞。
湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月2… 湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月22日 - )は、日本の音楽評論家、作詞家、女優。 本名・湯野川和子(ゆのかわ かずこ)が田村駿禮(たむら たかのり)と結婚して田村和子になる。のちに離婚するが本名は田村和子のままにしている。吾妻麗子名義で女優として活動したこともある。山形県米沢市育ち。 東京府東京市目黒区芳窪町(現:東京都目黒区東が丘)に出生。父は海軍大佐・湯野川忠一。忠一の従妹(父・湯野川忠世の妹の娘・礼子)は山本五十六の妻。海軍大将・黒井悌次郎は大叔父(父方の祖母の弟)。米沢藩家老・千坂高房は母方の祖先。その他、父方の曾祖父の湯野川忠国は漢学者。父方の祖父の湯野川忠世は全国農事会本部幹事でラ・フランスを日本に紹介した人物。
マイク 青木(マイク あおき、1936年1月21日 - )は… マイク 青木(マイク あおき、1936年1月21日 - )は、日本のゴルフルール研究家、ゴルフ評論家、元フォトジャーナリスト。東京都足立区生まれ。 東京都立足立高等学校を経て、1959年に中央大学法学部法律学科夜間部を卒業。在学中より在日アメリカ人フォトジャーナリストのアシスタントを約4年間務める。 その後、フリーのフォトジャーナリストとして活動を開始し、世界40か国を取材訪問する。1965年には単身で渡米してアメリカ合衆国・ニューヨーク市に居を構え、足掛け20年間滞在する。アメリカではプロスポーツの取材が多く、アメリカのPGAツアーを取材し、ゴルフルールに魅力に感じはじめ、「ルールの神様」と呼ばれたジョセフ・ダイに師事する。
菅沼 光弘(すがぬま みつひろ、1936年〈昭和11年〉1月… 菅沼 光弘(すがぬま みつひろ、1936年〈昭和11年〉1月18日 - 2022年〈令和4年〉12月30日)は、日本の評論家、元公安調査官。公安調査庁で調査第二部部長を務めた。 1958年(昭和33年)、国家公務員上級職甲種採用試験(法律職)合格。1959年(昭和34年)、東京大学法学部卒業後、公安調査庁入庁。近畿公安調査局調査第二部第一課長を経て、1977年(昭和52年)4月1日、和歌山地方公安調査局長。1979年(昭和54年)4月1日、中国公安調査局調査第二部長。1980年(昭和55年)4月1日、中国公安調査局調査第一部長。1981年(昭和56年)4月1日、千葉地方公安調査局長。1982年(昭和57年)4月1日、公安調査庁本庁総務部資料課長。
松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は… 松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は、日本の写真評論家、写真家。 九州産業大学芸術学部・大学院講師、東京工芸大学芸術学部講師などを務め、写真史に関する啓蒙活動、美術館の写真収集に関する協力活動などを、きわめて積極的に行うほか、写真弘社のカレンダーの制作にも協力しており(解説など)、写真家としても作品を残している。 広島県尾道市に生まれる。日本大学芸術学部写真学科卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
清水 雅人(しみず まさと、1936年1月1日 - 2018… 清水 雅人(しみず まさと、1936年1月1日 - 2018年5月19日)は、日本の詩人、宗教評論家。 満洲生まれ。本名・清水佶(ただし)。1958年早稲田大学文学部国文科卒。『新宗教新聞』編集長をへて、1960年フリー、清水雅人事務所を設立。「宗教問題を考えるジャーナリストの会」発起人、「韓国人被爆者を救援する会議連絡会」世話人。1976年「宗教を現代に問う」(毎日新聞)で菊池寛賞受賞。2018年5月19日、胸部大動脈解離のため死去、82歳。
河崎 曽一郎(かわさき そういちろう、1936年 - )は、… 河崎 曽一郎(かわさき そういちろう、1936年 - )は、日本の政治評論家。NHK解説委員を務めた。 京都府京都市出身。愛媛大学卒業後、NHKに入局。松山支局、富山支局を経て1969年に報道局政治部に配属され、選挙を担当。政治部記者を長く務め、1993年に解説主幹を最後に退職。 その後は2001年までNHK部外解説委員。現在は評論家・ジャーナリストとして活躍している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)… 佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)10月26日 - )は、日本の農家、農業問題評論家、著作家、詩人。 無着成恭の『山びこ学校』の卒業生。上山市の青年学級主事、教育委員、農業協同組合理事などを務める。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山元村立山元中学校在学時に無着成恭の教えをうけ、1951年、文集『山びこ学校』に生活記録がのる。 山形県立上山農業高等学校定時制在学中に農民詩を発表。1955年、同校を卒業してからは家業の農業のかたわら、著作活動を続けている。 木村迪夫に影響を与え、詩の道へ進ませるきっかけを作った。
高橋 昌男(たかはし まさお、1935年10月23日 - 2… 高橋 昌男(たかはし まさお、1935年10月23日 - 2019年1月27日)は、日本の小説家、文芸評論家。 東京府生まれ。慶応義塾大学文学部仏文科卒。博報堂、コスモ・ピーアール勤務を経て創作活動に入る。1973年「白蟻」で芥川賞候補、1974年「道化の背景」、1975年「藁のぬくもり」で同じく芥川賞候補、1977年『巷塵』で直木賞候補、1983年「町の秋」で芥川賞候補。第7次『三田文学』復刊に携わり、1985年から1986年にかけて編集長をつとめる。1997年『独楽の回転 甦る近代小説』で第25回平林たい子文学賞受賞。1998年5月~99年7月、日本経済新聞に小説「饗宴」を連載した。 2019年1月27日午後5時15分、肺炎のため東京都内の病院で死去。
木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 20… 木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 2026年4月16日)は、日本の雑誌編集者、文化芸能評論家、コラムニスト。本名は坂本 凡夫(さかもと つねお)。 雑誌『上方芸能』を発行するかたわら、立命館大学ほかで教鞭をとったほか、演芸賞・文学賞等の審査を行った。 高知県高知市江ノ口生まれ。高知市立旭小学校・高知市立城北中学校・高知県立高知丸の内高等学校卒業。萩原遼(本名:坂本孝夫)は実弟。 20代より上方の芸能に関する執筆活動を行う。ペンネームを当初「私の主張に『気付けい』」との思いを込め、「木津 計(きづ けい)」としていたが、やがて「聞き流していただいて結構です、水のように川のように」と心境が変化し、川の字をつけて「木津川 計」と改めたという。
石崎 浩一郎(いしざき こういちろう、1935年10月7日 … 石崎 浩一郎(いしざき こういちろう、1935年10月7日 - 2017年11月14日)は、日本の映画・美術評論家。 広島県広島市出身。早稲田大学文学部新聞学科卒。1964年、飯村隆彦、高林陽一、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。映画評論、美術評論で活動し、名古屋造形芸術大学教授となり、図書館長を務めた。2006年定年、名誉教授。
岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 201… 岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 2014年1月18日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。毎日新聞社特別顧問。 関東州(現:中国)大連生まれ、山口県防府市育ち。山口県立防府高等学校、京都大学法学部卒業後、1958年毎日新聞社入社。社会部記者、政治部記者、政治部副部長、秘書室長、論説委員、出版局次長兼サンデー毎日編集長、編集委員室長、東京本社編集局次長、編集局編集委員、編集局政治担当特別顧問を最後に、2007年3月31日で退社。 毎日新聞の編集局長時代には、夕刊紙上で「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」と一面から社会面まで誤報を掲載した経緯がある(毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件)。
小倉 重夫(おぐら しげお、1935年9月23日 - )は、… 小倉 重夫(おぐら しげお、1935年9月23日 - )は、日本の舞踊評論家、翻訳家。 東京生まれ。立教大学文学部卒、1965年デンマーク・ロイヤル・バレエ・アカデミー修了、1972年東京大学教養学部中退あるいは卒業。1979年から三年間芸術祭審査委員。
入江 隆則(いりえ たかのり、1935年9月19日 - )は… 入江 隆則(いりえ たかのり、1935年9月19日 - )は、日本の文学研究者・評論家。明治大学名誉教授。専門は英米文学・比較文化論。日本会議代表委員。 1935年、神奈川県横浜市で生まれた。京都大学文学部英文学科で学び、1961年に卒業。 1961年から1964年まで岩波映画製作所に勤務して、シナリオ執筆を担当。東京都立大学大学院に入学し、佐伯彰一に師事。1966年に修士課程を修了。 1966年、東京医科大学専任講師に就いた。1969年、明治大学商学部専任講師。1972年、明治大学商学部助教授。1977年、明治大学商学部教授に昇格。この間、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院、オーストラリア国立大学太平洋アジア研究所・モナシュ大学日本研究センターなどでも客員研究員を務めた。
杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年〈昭和10年〉9月17… 杉浦 忠(すぎうら ただし、1935年〈昭和10年〉9月17日 - 2001年〈平成13年〉11月11日)は、愛知県西加茂郡挙母町大字挙母(現:豊田市若宮町)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 日本プロ野球 (NPB) 史上5人目・パ・リーグ初の投手5冠を達成し、「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」などと呼ばれた。 現在の豊田市若宮町で生まれる。5人兄弟の四男で、「忠」の名は「南総里見八犬伝」から取られたもので、父・定治は、長男を「仁」、次男を「智」、三男を「孝」、四男を「忠」、五男を「義信」と命名した。挙母町立第一小学校(現:豊田市立挙母小学校)、挙母市立東部中学校(現:豊田市立崇化館中学校)、愛知県立挙母高等学校(現:愛知県立豊田西高等学校)を卒業。
森木 亮(もりき あきら、1935年9月7日 - 2019年… 森木 亮(もりき あきら、1935年9月7日 - 2019年6月26日)は、日本の経済評論家。 東京都出身。1958年早稲田大学商学部卒業。同年三菱信託銀行に入行、調査部に勤務する。1978年に同行を退職の後、民社党に入党し1979年と1980年の総選挙(旧東京5区)と1983年、1986年、1989年の参院選(比例区)に立候補したものの何れも落選している。 政治活動の傍ら、言論人懇話会に関わり「言論人」主幹を務めた後、経済工学研究所所長兼理事長として経済評論活動を行った。白鷗大学講師。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
祖田 浩一(そだ こういち、1935年8月21日 - 200… 祖田 浩一(そだ こういち、1935年8月21日 - 2005年2月7日)は、日本の作家、評論家。日本文芸家協会会員、大衆文学研究会会員、近代人物研究会(主宰)。俳号=青蜂(セイホウ)、白蜂(しろ)。 島根県広瀬町生まれ。本名・咸利。早稲田大学法学部卒。卒業後の1958年04月から8年半文芸通信社に勤務し、作家の原稿とりをする。のち作家、歴史家。2001年11月、短歌結社「潮音」入会。 「いちかわ文芸」年間賞(短歌部門,平11年度)、市川市短歌協会賞(平14年度)、市川市手児奈文学賞(短歌佳作,第3回)。
北川 透(きたがわ とおる、1935年8月9日 - )は、日… 北川 透(きたがわ とおる、1935年8月9日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。本名は磯貝 満(いそがい みつる)。愛知県碧南市出身。 梅光学院大学特任教授。中原中也賞選考委員。現代詩から北村透谷、萩原朔太郎、中原中也論など著書多数。 1935年(昭和10年)に愛知県碧南市に生まれる。1958年(昭和33年)に愛知学芸大学(現・愛知教育大学)学芸学部国語科を卒業。高校教諭を経て、1962年(昭和37年)に詩誌「あんかるわ」を創刊し、詩と批評を掲載する。1990年(平成2年)に同誌を廃刊させ、1991年(平成3年)には山口県下関市に移住して梅光女学院大学教授となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田所 竹彦(たどころ たけひこ、1935年8月6日 - 20… 田所 竹彦(たどころ たけひこ、1935年8月6日 - 2013年8月14日)は、日本のジャーナリスト、中国評論家。
富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月… 富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月28日 - 2023年〈令和5年〉4月8日)は、日本の詩人・小説家・文芸評論家。日本芸術院会員。上方お笑い大賞選考委員。静岡県伊東市在住。本名は菅多 恵子、夫は現代美術家の菅木志雄。 1935年(昭和10年)大阪府大阪市出身。大阪府立桜塚高等学校、大阪女子大学文学部英文科卒業。 池田満寿夫と同棲していたことがあり、当初は詩人として出発。卒業後は高校教師を務めたが、上京して多くの詩集を出し、『物語の明くる日』(1961年)以降は小説に転じた。多数の詩・小説・評論・エッセイがある。また映画のシナリオも書いている。 1969年6月、菅木志雄と結婚。
西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20… 西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - 2024年(令和6年)11月1日)は、日本のドイツ文学者、評論家。ニーチェの研究で知られる。学位は文学博士(東京大学)。電気通信大学名誉教授。新しい歴史教科書をつくる会名誉会長。 東京府に生まれる。東京都立小石川高等学校を経て、1958年(昭和33年)東京大学文学部独文科卒。1961年(昭和36年)同大学院修士課程を修了。指導教官は手塚富雄であった。 1961年静岡大学人文学部講師、1964年電気通信大学助教授、1975年教授。1979年に「初期のニーチェ」により東京大学より文学博士の学位を授与された。電通大助教授時代の1965年に「私の『戦後』観」で『自由』新人賞を、1994年正論大賞をそれぞれ受賞。
堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 20… 堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 2019年2月8日)は、日本の政治家、通産官僚、小説家、評論家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 経済企画庁長官(第55・56・57代)、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。また、株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても活動していた。 本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)であり、ペンネームの由来は、先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前である「堺屋太一」から採ったものである(堺屋は屋号にあたる)。 谷町に近い大阪市東区岡山町(現:中央区玉造)生まれ。
森谷正規(もりたに まさのり、1935年7月10日 - )は… 森谷正規(もりたに まさのり、1935年7月10日 - )は、日本の経済・技術評論家。放送大学名誉教授。専攻は現代技術論。 旧朝鮮生まれ。東京大学工学部卒業。日立造船、野村総合研究所、東京大学先端科学技術研究センター客員教授、1994年放送大学教授、LCA大学院大学副学長。1980年『日本・中国・韓国産業技術比較』で大平正芳記念賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 200… 皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 2005年2月6日)は、山形県南置賜郡山上村大字関根(現・米沢市)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・解説者・評論家。 現役当時は同期入団の野村克也と共に南海ホークス黄金期の主力選手であり、同じくアンダースロー投手の杉浦忠と共に南海黄金時代のエースとして活躍した。通算成績は759試合登板、221勝139敗、防御率2.42。通算221勝はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の球団記録であり、1983年に山田久志に更新されるまでアンダースロー投手としてのNPB記録でもあった。なお、南海の大エースとして名高い杉浦(通算187勝)よりも通算勝利数は上回っており、200勝がラインとなる日本プロ野球名球会にも入会している。
野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 20… 野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 2020年2月11日)は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。プロ野球史において唯一、選手と監督の両方で通算3000試合を達成。捕手でありながら当時歴代最多のシーズン52本塁打、戦後初の三冠王などの記録を打ち立て、歴代最多のベストナイン19回選出。監督としても数多の人材と名言を遺し、評論家時代を通じて野球の理論・技術の発展と普及に尽力した。京丹後市名誉市民。後妻にタレントの野村沙知代。 NPB戦後初(史上2人目)の三冠王を達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)。実働26年で本塁打王9回、打点王7回、最優秀選手5回は歴代2位かつパ・リーグ最多記録(歴代1位はいずれも王貞治)。
松原 久子(まつばら ひさこ、1935年〈昭和10年〉5月2… 松原 久子(まつばら ひさこ、1935年〈昭和10年〉5月21日 - )は、日本出身の学者、ドイツ評論家、著作家である。 京都府出身。ドイツ・ペンクラブ会員。アメリカ合衆国カリフォルニア州在住。 生家は京都市の建勲神社で、同市で育つ。 国際基督教大学を1958年に卒業後、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州立大学(舞台芸術科)で修士号取得、日本演劇史を講義した。その後、ドイツ・ゲッティンゲン大学大学院にてヨーロッパ文化史を専攻、1970年に博士号(日欧比較文化史)を取得した。 ドイツでは週刊の全国紙「DIE ZEIT」でコラムニストを務めたほか、西ドイツ国営テレビ(当時)で日欧文化論を展開。 1987年にアメリカ合衆国・カリフォルニア州に移住。
岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1… 岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1994年6月13日)は、日本の美術評論家。 福岡県北九州市八幡西区香月生まれ。1963年学習院大学大学院美学美術史博士課程修了。1961年より東京国立近代美術館勤務、企画資料課長、次長。1994年6月13日、在職中に肺癌のため死去。
斎藤 偕子(さいとう ともこ、1935年4月27日 -202… 斎藤 偕子(さいとう ともこ、1935年4月27日 -2021年12月23日 )は、日本のアメリカ演劇学者、演劇評論家、慶應義塾大学名誉教授。本姓・楠原。 東京(現中野区)生まれ。1958年同志社大学文学部英文科卒。62年同大学院退学。劇団俳優座舞台部勤務、64年白水社『新劇』編集部勤務。1968年ニューヨーク大学大学院修士課程修了。1969年東洋英和女学院短期大学専任講師、71年助教授、1970年菊田賞受賞。1977年慶大文学部助教授、81年教授、2000年退任、名誉教授、日本橋学館大学教授。2011年『19世紀アメリカのポピュラー・シアター』で日本演劇学会河竹賞受賞。演劇評論は斎藤偕子の名で、学術雑誌には楠原偕子の名で執筆。
紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 -… 紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 - 2025年7月15日)は、日本の文芸・メディア評論家・翻訳家・小説家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、各会員。 本名は佐藤 俊()。ペンネームの「紀田」はきだみのるから、「順一郎」は谷崎潤一郎に由来している。 書誌研究を中心に、半世紀以上にわたり『古書街を歩く』、『日記の虚実』、『二十世紀を騒がせた本』などメディア論、近代史論などを数多く刊行。古書をテーマとした推理小説、幻想文学作品も著した。 横浜・本牧(正確には横浜市中区千代崎町)で出生、父は日本銀行本店の行員。1941年に父が結核となり、暗い家庭となる。腺病質で体が弱かったため、本の世界に楽しみを見出していた。
清水 勤(しみず つとむ、1935年4月5日- )は、日本の… 清水 勤(しみず つとむ、1935年4月5日- )は、日本の経営評論家。 兵庫県神戸市出身。1958年東京大学教育学部教育心理学科卒、東京芝浦電気に入社し、人材開発部担当課長、総合企画部担当課長、勤労部福祉担当課長、76年日野工場総務部長、78年原子力事業本部総務室長、81年人材開発部担当部長を経て退職。職業能力開発総合大学校教授に就任。2001年退任後、HRDリサーチを設立しコンサルタントとなり、多数のビジネス書を執筆。1974年、日本労務管理協会藤林賞を受賞。
武市 好古(たけいち よしふる、1935年3月20日 - 1… 武市 好古(たけいち よしふる、1935年3月20日 - 1992年8月6日)は、日本の評論家・演出家。日本文芸家協会、日本アカデミー賞協会、日本音楽執筆者協議会、各会員。 徳島県徳島市出身。明治大学を中退。1956年- 1961年の間、劇団四季演出部に在籍した。1969年に渡米して、ラスベガスでショービジネスの演出に従事する。1967年に帰国し、フリーの演出家としてステージの演出および記録映画の監督をつとめる。 また、映画評論、競馬評論、音楽評論、エッセイ、翻訳など大衆文化をテーマに幅広く文筆活動を行う。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
矢野 誠一(やの せいいち、1935年3月18日 - )は、… 矢野 誠一(やの せいいち、1935年3月18日 - )は、日本の芸能評論家、エッセイスト。東京市代々木八幡出身。歌舞伎学会、日本文芸家協会会員。都民劇場理事、早川清文学振興財団理事[3]。
田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023… 田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023年1月28日)は、日本の音楽評論家、舞台監督、歌手、料理研究家、翻訳家、ミステリ評論家。 1935年、大阪市生まれ。本名、永島律〈ながしま・ただす〉。1960年、大阪大学文学部国史学科卒業。 関西フォークの全盛期に、鑑賞団体「大阪労音」事務局に勤務。大阪労音事務局時代に、助言者的な立場で関わっていた音楽評論家の中村とうよう、飯塚晃東と知り合う。 1968年、東京に移る。 1969年4月に飯塚晃東、小倉エージらとともに、中村とうようを編集長とする雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加。 1970年、フリーとなり、音楽評論、舞台監督、レコーディングディレクターなど様々な音楽関連の仕事を体験。
藤木宏幸(ふじき・ひろゆき、1935年3月5日 - 2003… 藤木宏幸(ふじき・ひろゆき、1935年3月5日 - 2003年12月24日)は日本近現代演劇研究者、演劇評論家。 東京都出身。1957年日本大学芸術学部卒業、1960年同大学院研究科修了。日大在学中に秋庭太郎の教えを受け、秋庭太郎の日本演劇研究での数少ない弟子とされる。1967年共立女子大学専任講師。同助教授、教授を経て同大学名誉教授。近代日本のイプセン受容研究で業績をあげる。「戦争と平和」戯曲全集を源五郎、今村忠純と共に編集。日本演劇学会理事も務める。 2003年12月24日、大動脈瘤破裂のため自宅で死去。68歳没。 藤木宏幸氏死去 演劇評論家(共同通信)
松本 道介(まつもと みちすけ、1935年2月26日 - 2… 松本 道介(まつもと みちすけ、1935年2月26日 - 2017年5月12日)は、日本のドイツ文学者・文芸評論家。中央大学名誉教授。 北海道生まれ。2歳で東京に移る。のち京都、岡山に移り、東京大学文学部独文科卒。1960年東京大学大学院修士課程修了。熊本大学法文学部助手、1962年専任講師。1964年國學院大學専任講師、1967年助教授。2年間フランクフルト大学講師を務め、1973年中央大学文学部助教授。1976年教授。文学部長を歴任し、2005年に定年を迎え同大名誉教授。なお中央大学在籍中には体育会水泳部の部長も務めていた。 『季刊文科』同人、1982年より『文學界』に同人雑誌評を書き続けた。