川本 祐輔(かわもと ゆうすけ、1993年9月30日 - )… 川本 祐輔(かわもと ゆうすけ、1993年9月30日 - )は、広島県尾道市出身の社会人野球選手 (投手)。 尾道市立高須小学校2年次より野球を始める。 尾道市立高西中学校在学時には尾道シニアに所属。 地元の尾道高等学校に進学。2年秋に広島県大会優勝、中国大会8強を達成。 高校卒業後は東都大学野球連盟の亜細亜大学に進学。リーグ戦には3年春より登板。全国大会には3年春の選手権大会、4年秋の明治神宮野球大会に出場し、神宮大会では優勝も経験している。 大学卒業後は社会人野球のJR東海に入社。それまでのスリークォーターからサイドに転向。3年目には都市対抗野球大会にも出場。
樋越 優一(ひごし ゆういち、1993年9月28日 - )は… 樋越 優一(ひごし ゆういち、1993年9月28日 - )は、北海道網走市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 小学生の時に地元の野球クラブで野球を始めた。 中学では始め網走市の中学校で軟式野球をしていたが、中学2年の冬に埼玉県の中学校に転校。東京・東練馬シニアで硬式野球をプレーした。 千葉経済大学附属高等学校では3年夏に5番・捕手で出場した第93回全国高等学校野球選手権千葉大会8強が最高で、甲子園への出場経験は無かった。当大会では打率.474を記録し、2011年7月24日に行われた準々決勝、対習志野高等学校戦において、2安打を放つも延長10回サヨナラ負けを喫する。
遠藤 雅洋(えんどう まさひろ、1993年9月27日 - )… 遠藤 雅洋(えんどう まさひろ、1993年9月27日 - )は、神奈川県出身の元社会人野球選手(内野手)。 東海大学付属相模中学校(現在の東海大学付属相模高等学校中等部)時代は横浜瀬谷ボーイズでプレー。 高校は福島県の聖光学院高等学校に進学。同級生には歳内宏明がいる。自身は4番・一塁として歳内らとともに過去最高のベスト8に貢献した。高校在学時には東日本大震災を経験している。 高校卒業後は東都大学野球連盟の亜細亜大学に進学。2015年秋季リーグではMVPを獲得。東都大学通算本塁打は11本。 大学卒業後は社会人野球のHondaに入社。レギュラーとして活躍。2019年シーズンをもって現役を引退した。
塚田 貴之(つかだ たかゆき、1993年9月26日 - )は… 塚田 貴之(つかだ たかゆき、1993年9月26日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校2年生から野球を始め、白鷗大学足利高等学校、白鷗大学では投手を務めた。高校1年生の頃にヘルニアと成長痛を併発し、1年時は全く練習できないままだったという。 2015年度ドラフト会議でオリックス・バファローズから育成ドラフト1位で指名され、11月下旬に支度金300万円、年俸250万円で仮契約。背番号は120に決まった。 2016年シーズン序盤、ウエスタン・リーグで11試合に救援登板して防御率1.35の好成績を残し、4月15日に支配下登録を勝ち取った。これに伴い、背番号が91に変更となった。
堤 裕貴(つつみ ゆうき、1993年9月21日 - )は、佐… 堤 裕貴(つつみ ゆうき、1993年9月21日 - )は、佐賀県佐賀郡久保田町(現在の佐賀市)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 龍谷高1年時から遊撃手のレギュラーに定着した。3年生夏の選手権佐賀大会3回戦で佐賀北高に4-5で敗れるなど、在学中には春夏とも阪神甲子園球場での全国大会への出場経験はなかったが、2011年のNPBドラフト会議でオリックス・バファローズから6巡目で指名。契約金2500万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は62。 2012年は、二軍生活に終始した。 2013年は、ウエスタン・リーグ公式戦でチーム最多の100試合に出場。フレッシュオールスターゲームに、同リーグ選抜のメンバーとして初出場を果たした(詳細後述)。
菅原 祥太(すがわら しょうた、1993年9月19日 - )… 菅原 祥太(すがわら しょうた、1993年9月19日 - )は、東京都出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。
森藤 友綺(もりとう ゆき、1993年9月14日 - )は、… 森藤 友綺(もりとう ゆき、1993年9月14日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。岡山県里庄町出身の遊撃手。右投げ右打ち。 神村学園高等部出身。2011年に日本女子プロ野球機構による第3回合同トライアウトを受験し合格。プロ1年目の2012年は、大阪ブレイビーハニーズに所属。3月27日の兵庫スイングスマイリーズ戦(京セラドーム大阪)で初出場、4月1日の兵庫スイングスマイリーズ戦(わかさスタジアム京都)で初ヒットを記録している。翌2013年は組織変更によりウエスト・フローラの選手としてプレー。9月2日には、出身地の里庄町大内恒章町長を表敬訪問している。同シーズン後、来期の契約を結ばないことが発表された。
渡邉 啓太(わたなべ けいた、1993年9月13日 - )は… 渡邉 啓太(わたなべ けいた、1993年9月13日 - )は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校から常磐軟式野球スポーツ少年団で軟式野球を始め、4年生の時に捕手から投手に転向した。中学校ではいわき東ボーイズに所属した。 福島県立いわき光洋高等学校では1年秋から控え投手としてベンチ入り。2011年に発生した東日本大震災で被災し、1カ月以上にわたり高校に通えず、その後も放射能の問題で練習時間が限られるなど苦労を強いられる。厳しい環境を乗り越え、3年夏の福島大会ではエース兼二塁手としてチームの中心を担いベスト4入りに貢献したが、甲子園出場はならなかった。 神奈川工科大学創造工学部ロボット・メカトロニクス学科に一般受験で入学し、1年春から神奈川大学リーグ戦に出場。
森山 遥菜(もりやま はるな、1993年9月7日 - )は、… 森山 遥菜(もりやま はるな、1993年9月7日 - )は、長崎県佐世保市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。日立サンディーバ所属。 9歳でソフトボールを始める。佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校を卒業後、2012年にHondaに入団。2019年から2021年までキャプテンを務めた。2022年から日立サンディーバに所属。 日本リーグでは本塁打王(2017)と、一塁手でベストナインを2回(2017・2019)受賞している。2022年に開幕した新リーグ「JDリーグ」では初年度の東地区ベストナインに選出された。 日本代表には、Bチームが出場した2015年の第4回東アジアカップやカナダ代表との親善試合に出場。
釜元 豪(かまもと ごう、1993年9月3日 - )は、長崎… 釜元 豪(かまもと ごう、1993年9月3日 - )は、長崎県北高来郡森山町(現:諫早市)出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。右投左打。 諫早市立森山西小学校では2年生から森山西少年SBCでソフトボールを始め、4年生からレギュラーに座った。諫早市立森山中学校に進学し、軟式野球に転向。2年生の時には陸上競技の長崎県大会で短距離の障害種目にも出場した。 長崎日大高校からの誘いがあったが、『文武両道を貫く』と長崎県立西陵高校に進学し、1年夏から3番・中堅手で活躍した。主将となり臨んだ3年時の夏は、長崎県予選2回戦で春の第83回選抜高等学校野球大会に出場した波佐見高校と対戦。後にソフトバンクで同僚となる松田遼馬を打ち崩し、5-1で勝利した。
今永 昇太(いまなが しょうた、1993年9月1日 - )は… 今永 昇太(いまなが しょうた、1993年9月1日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのシカゴ・カブス所属。 2016年から2023年まではNPBの横浜DeNAベイスターズに所属し、実働8年間で165試合に登板、64勝50敗、7完封、1021奪三振、防御率3.18の成績を記録し、最終年の2023年にはセントラル・リーグ最多奪三振のタイトルを獲得した。2024年からMLBに挑戦、2025年現在はカブスでプレーしている。日本代表では2017年のアジア プロ野球チャンピオンシップ優勝、2019年のプレミア12優勝、2023年のWBC優勝に貢献した。 愛称は「投げる哲学者」「マイク・イマナガ2世(Mike Imanaga II)」。
廖 任磊(リャオ・レンレイ、1993年8月30日 - )は、… 廖 任磊(リャオ・レンレイ、1993年8月30日 - )は、台湾(中華民国)桃園県出身のプロ野球選手(投手)。CPBLの富邦ガーディアンズ所属。右投右打。弟はCPBLの台鋼ホークスに所属している廖乙忠(中国語版)。 桃園市光明青少棒隊でプレーした後、野球留学で来日して岡山県共生高等学校へ入学し、3年間を過ごした。高校3年次には2011年夏の第93回全国高等学校野球選手権大会岡山県予選ではベスト8に進出した。埼玉西武ライオンズの呉念庭は高校の同級生。 岡山県共生高卒業後の2012年4月に台湾へ帰国した。開南大学へ進学したが休学。 2014年にメジャーリーグベースボール(MLB)のピッツバーグ・パイレーツへ入団し、2015年までパイレーツの傘下ルーキーリーグで2年間プレーした。
廣畑 実(ひろはた みのる、1993年8月27日 - )は、… 廣畑 実(ひろはた みのる、1993年8月27日 - )は、日本の元社会人野球選手、野球指導者、YouTuber。YouTuberとしては、ミノルマン名義で活動する。 小学1年生の頃から野球を始め、軟式チーム・開成ジュニアイーグルスでプレー。枚方市立枚方第四中学校時にはボーイズチーム強豪のオール枚方ボーイズに所属したが、2年生秋まで試合出場はなし。練習に励んで3年生春にレギュラーを勝ち取ると、ジャイアンツカップで優勝。 その後、大阪桐蔭高校に進学。1年秋にレギュラーの座をつかみ、2年の春に甲子園大会に2番・二塁手として出場。しかし、その後は肩を故障し、イップスに陥る。それでも練習量などが認められてか、3年生になってからは主将を務めた。
根本 和也(ねもと かずや、1993年8月20日 - )は、… 根本 和也(ねもと かずや、1993年8月20日 - )は、神奈川県川崎市中原区出身の元プロ野球選手(捕手)。 中高大で球歴がないながらもNPB入りを目指した、異色な経歴を持つ野球選手だった。ニックネームは「ねもい」。 川崎市立東住吉小学校2年生のときから野球を始め、「木月住吉町少年野球チーム」に所属し、投手や三塁手としてプレー。6年生のときには中原区選抜選手にもなった。しかし、進学した川崎市立今井中学校に野球部がなかったため、バレーボール部に入部。セッターとして活躍し、市大会を勝ち抜き、県大会にも出場した。高校生時代からテニスを始めソフトテニス部に所属し、都内で上位の成績を収めた。一浪して一般入試で合格した立教大学でも体育会ソフトテニス部に所属。
芳川 庸(よしかわ ちから、1993年8月18日 - )は、… 芳川 庸(よしかわ ちから、1993年8月18日 - )は、京都府京都市左京区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 中学時代は京都ライオンズに所属。 洛北高時代は、1年と2年時の夏はいずれも京都府予選で初戦敗退。3年時の夏は、京都府予選4回戦で西城陽高に0-7(7回コールド)で敗れた。甲子園出場経験は無し。 2011年9月に、読売ジャイアンツ(巨人)の入団テストへ参加。参加者から唯一の合格を勝ち取ると、同年のプロ野球育成ドラフト会議で巨人から4巡目で指名されたことから、年俸240万円、支度金100万円(金額は推定)という条件で育成選手として入団した。背番号は006。
田中 俊太(たなか しゅんた、1993年8月18日 - )は… 田中 俊太(たなか しゅんた、1993年8月18日 - )は、神奈川県厚木市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。オイシックス新潟アルビレックスBC所属。兄は広島東洋カープに所属していた田中広輔。 小学校1年生のときにソフトボールを始め、4年生から中学まで父が監督を務めるボーイズリーグに所属していた。 東海大学付属相模高校に進学すると1年秋から主軸に据わり、2年生の2010年に3番・二塁手として出場した第92回全国高等学校野球選手権大会で準優勝、3年生の2011年も同じく「3番・二塁手」として出場した第83回選抜高等学校野球大会は準決勝の履正社高校戦で満塁本塁打を放つなど活躍し、優勝をそれぞれ経験した。
三家 和真(みけ かずま、1993年8月13日 - )は、和… 三家 和真(みけ かずま、1993年8月13日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手・外野手)。右投両打。千葉ロッテマリーンズ所属。
山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 -… 山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。左投左打。現在は東京ヤクルトスワローズで二軍外野守備走塁コーチを務める。 西貴志ドリームスで野球を始める。同じ西貴志小学校の1学年上に西川遥輝、4学年上に益田直也がいた。 中学時代には地元の和歌山北ボーイズで投手兼外野手としてプレー。 中学卒業後は青森山田高校へと進学し、2年秋から中堅手レギュラーを獲得。3年の春に控え投手を務め、3年春の準々決勝、準決勝と連続完封も記録。3年夏予選は両チーム合計41安打の打撃戦の末、光星学院高校に敗れるも個人としては決勝で2ラン含む3安打など4戦15打数9安打8打点と好成績を残す(甲子園出場経験はなし)。
近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は… 近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は、千葉県千葉市緑区出身のプロ野球選手(外野手、捕手、内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 2021年開催の東京五輪・野球競技 金メダリスト。 千葉県の軟式野球クラブの泉谷メッツで野球を始めた。千葉市立泉谷小学校6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されると、第1回NPB12球団ジュニアトーナメントで髙山俊、船越涼太らと共に準優勝を経験した。 中学野球界の強豪である修徳中学校に進学し、軟式野球部に入部。2年時には「1番・遊撃手」として第29回全国中学校軟式野球大会へ出場(初戦敗退)するとともに、捕手としてマスクを被った。
西濵 幹紘(にしはま みきひろ、1993年8月4日 - )は… 西濵 幹紘(にしはま みきひろ、1993年8月4日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
川崎 貴弘(かわさき たかひろ、1993年8月2日 - )は… 川崎 貴弘(かわさき たかひろ、1993年8月2日 - )は、三重県津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。津市消防本部消防吏員。現在の姓は「前田」。 小学2年から西が丘スポーツ少年団でソフトボールを始める。津市立橋北中学校時代は軟式野球部に所属。 高校は、進学高である津東高に進学。2年夏は、三重県予選2回戦で敗退も、1回戦の名張高戦で5回参考完全試合を達成。 3年夏は、三重県予選3回戦でシード校の皇學館高に1-0で勝利するも、続く4回戦で津高に3-7で敗れる。結局、在学中には春夏とも、阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。 2011年プロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから5巡目で指名。
桝澤 怜(ますざわ りょう、1993年8月1日 - )は、神… 桝澤 怜(ますざわ りょう、1993年8月1日 - )は、神奈川県相模原市出身の元社会人野球選手。右投右打。 8歳の時に野球を始め、相模原市立淵野辺東小学校時代は中渕少年野球部に所属し、相模原市立共和中学校に進学後は硬式野球(シニアリーグ)の海老名リトルシニアに所属した。 高校は東京都八王子市の八王子学園八王子高校に進学。秋春ともにベスト4進出し、春は関東大会出場。夏は東日本大震災の影響で予選中止となったことから、全校ノーシードとなる。抽選の結果、東海大菅生と初戦で激突し、コールド負け。甲子園出場経験はない。 高校卒業後は亜細亜大学に進学。3年秋に初めて大学日本代表に召集され、4年時の2015年7月には第28回夏季ユニバーシアードに出場し優勝を果たした。
増田 大輝(ますだ だいき、1993年7月29日 - )は、… 増田 大輝(ますだ だいき、1993年7月29日 - )は、徳島県徳島市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 徳島県立小松島高等学校では野球部主将を務めた。3年時の夏の県大会では投手として全試合完投、35.1回22三振8失点の好成績を残すが、準決勝で徳島商業高等学校に敗れた。甲子園に進めなかった8月には日本高野連の四国地区選抜チームの一員としてハワイ遠征を体験した。選抜チームでのチームメイトに木下雄介がいた。 高校を卒業後、近畿大学に入学するも2013年(2年次)に中退した。いったん帰郷し鳶職についたが、高校のコーチの薦めで四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験し、徳島インディゴソックスから3位指名を受け入団した。
桑原 将志(くわはら まさゆき、1993年7月21日 - )… 桑原 将志(くわはら まさゆき、1993年7月21日 - )は、大阪府和泉市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。いずみの国和泉市PR大使。 和泉市立郷荘中学校時代に、和泉ボーイズで「1番・遊撃手」としてプレー。福知山成美高等学校への進学後は、1年春から三塁手のレギュラーに定着した。しかし、夏の選手権京都大会の開幕前に、同級生の部員が暴力事件を起こしたことが発覚し、事件に関与していなかった桑原を含めて1年生部員全員が対外試合出場停止処分を受け、チームも京都大会の決勝で龍谷大付属平安高校に敗れた。1年時の秋に処分が解除されると、「3番・遊撃手」としてレギュラーに復帰し、チームを近畿大会の準々決勝進出へ導いた。
歳内 宏明(さいうち ひろあき、1993年7月19日 - )… 歳内 宏明(さいうち ひろあき、1993年7月19日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。羽田エキスパートエージェンシーとエージェント契約を結んでいる。 尼崎市立小園小学校3年時から「猪名川エンジェルス」で軟式野球を始めると、中学生時代にはボーイズリーグの宝塚ボーイズに所属した。 オリックス・ブルーウェーブの打撃投手時代にイチローの練習パートナーとして知られた当時の宝塚ボーイズ監督・奥村幸治の勧めで、中学卒業後は福島県の聖光学院高校へ進学。1年生だった2009年の秋からベンチ登録を果たしたものの、対外試合の登板では、打たれ出すと止まらなくなる傾向が見られた。 2010年には、2年への進級当初まで4番手・5番手の投手として扱われていたが、6月にスプリットの投げ方を身に付けたことから状況が好転。
原 樹理(はら じゅり、1993年7月19日 - )は、兵庫… 原 樹理(はら じゅり、1993年7月19日 - )は、兵庫県加古川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校1年生から軟式野球を始め、加古川市立野口南小学校、加古川市立中部中学校を経て東洋大学附属姫路高等学校に進学。 東洋大姫路高では2年次にエース投手となり、3年次に兵庫県大会決勝で加古川北高校と対戦し、15回2失点196球を投げ決着がつかず延長引き分け再試合となった。翌日の再試合でも先発をし、9回完封で抑え第93回全国高等学校野球選手権大会に出場を果たした。初戦となった2回戦の永江恭平擁する海星戦、3回戦の新湊戦で勝ち投手となったが、準々決勝の光星学院戦で9回2失点ながら敗戦投手となり、ベスト8で敗退した。
宮之原 健(みやのはら たける、1993年7月16日 - )… 宮之原 健(みやのはら たける、1993年7月16日 - )は、鹿児島県鹿屋市出身の元プロ野球選手(外野手、両投左打)、ベースボール5選手。元ベースボール5日本代表。 小学2年生の時に東京都へ移り住み、世田谷区立山崎小学校に編入した。小学3年生から世田谷区の「ツインファイターズ」で野球を始める。世田谷区立山崎中学校に進学した。 日本大学第三高等学校では2年秋の明治神宮野球大会からベンチ入りし、副主将も務めたが、右肘の怪我に悩まされ、3年時には全国高等学校野球選手権大会に背番号16で出場し、チームは優勝したものの自身は準決勝で9回に守備に就いたのみだった。高校の同期には阪神タイガースの髙山俊、東北楽天ゴールデンイーグルスの横尾俊建らがいる。
吉田 正尚(よしだ まさたか、1993年7月15日 - )は… 吉田 正尚(よしだ まさたか、1993年7月15日 - )は、オリックス・バファローズに所属する福井県福井市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。
野村 亮介(のむら りょうすけ、1993年7月9日 - )は… 野村 亮介(のむら りょうすけ、1993年7月9日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 清水飯田小学校1年生の時に「飯田リトルジャイアンツ」で野球を始め、清水飯田中学校3年生の時に全国中学校軟式野球大会に出場した。静清工業高校(2年生時より静清高校)に進むと3年生時(2011年)の春の選抜高校野球に出場、1回戦に登板し3失点完投勝利で京都成章を破り、2回戦の日大三戦でも3失点完投するも、チームは敗れた。同年夏の甲子園・静岡大会では準々決勝で常葉菊川に敗れ敗退した。 三菱重工横浜に入団すると1年目の2012年から都市対抗野球大会などに出場、2年目の2013年は9試合に登板し防御率7.71であったが、その後フォーム改造にも取り組み、3年目となった2014年の通算防御率は2.11。
川越 誠司(かわごえ せいじ、1993年6月30日 - )は… 川越 誠司(かわごえ せいじ、1993年6月30日 - )は、北海道札幌市豊平区出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 札幌市立豊平小学校2年生の時に野球を始め、札幌市立八条中学校では札幌豊平東シニアで投手としてプレーした。当時のチームメイトには1歳下に水野滉也がいる。 北海高等学校では、3年生の第83回選抜高等学校野球大会で3試合に「4番・右翼手」として先発出場し、1回戦・対創志学園高等学校戦では同点の8回に決勝本塁打を放つなど、計12打数6安打、1本塁打、2打点、打率.500の成績だった。第93回全国高等学校野球選手権大会・1回戦の対明徳義塾高等学校戦では「4番・右翼手」として先発出場し、4打数1安打1打点、打率.250の成績でチームはサヨナラ負けした。
野田 昇吾(のだ しょうご、1993年6月27日 - )は、… 野田 昇吾(のだ しょうご、1993年6月27日 - )は、福岡県糸島市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は埼玉西武ライオンズ所属。
吉本 祥二(よしもと しょうじ、1993年6月26日 - )… 吉本 祥二(よしもと しょうじ、1993年6月26日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 父親からグラブとバットを買い与えられたのがきっかけで小学校1年から野球を始め、2年から投手を勤める。中学校時代は軟式野球チームでプレーし、3年生の夏には東京都大会で優勝。都内の強豪校からの誘いもあったが、厳しい上下関係が嫌との理由から断り足立学園高に進学。1年生の夏からベンチ入りし、2年時夏の東東京予選1回戦の都科学技術高戦で先発登板し4回を投げて10奪三振でノーヒットに抑え、3回戦東洋高戦では5回をヒット1本に抑えベスト16入りするも、4回戦の修徳高戦では一転して制球に苦しみ、3回5安打を打たれて降板した。
森 和樹(もり かずき、1993年6月23日 - )は、千葉… 森 和樹(もり かずき、1993年6月23日 - )は、千葉県野田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 野田市立二川小学校2年時から、「関宿メッツ」に所属し軟式野球を始める。野田市立二川中学校時代は、軟式野球部に所属し、遊撃手と一塁手兼控え投手としてプレー。 市立柏高に進学すると、投手として頭角を現し、2年秋からエースとなる。3年夏は、千葉県予選4回戦で一宮商業高にリリーフで登板するも4-6で敗れる。甲子園出場経験は無し。チームメイトに宇佐見真吾と船越涼太がいた。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成1位指名を受け、年俸240万円、支度金200万円(推定)で入団した。
北川 倫太郎(きたがわ りんたろう、1993年6月21日 -… 北川 倫太郎(きたがわ りんたろう、1993年6月21日 - )は、大阪府堺市西区出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
大城 滉二(おおしろ こうじ、1993年6月14日 - )は… 大城 滉二(おおしろ こうじ、1993年6月14日 - )は、オリックス・バファローズ所属の沖縄県島尻郡豊見城村(現在の豊見城市)出身のプロ野球選手(内野手)。
塩見 泰隆(しおみ やすたか、1993年6月12日 - )は… 塩見 泰隆(しおみ やすたか、1993年6月12日 - )は、神奈川県相模原市中央区出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学生の頃から軟式野球を始め、相模原市立星が丘小学校、相模原市立中央中学校(海老名リトルシニア)を経て武相高等学校に進学。 高校時代は、2年生の秋からレギュラーに定着。3年生の夏の県大会では、主に「3番・右翼手」としてスタメン出場。チームは、準々決勝の茂木栄五郎らを擁する桐蔭学園戦で、延長12回の激戦の末に2-3で破れ、甲子園に出場することはできなかった。同期には井口和朋らがいた。 高校卒業後は帝京大学に進学。1年時から試合に出場し、3年生の春のリーグ戦では打率.279、17安打、1本塁打、11盗塁の成績を残した。
呉 念庭(繁体字:吳 念庭、ウー・ネンティン、1993年6月… 呉 念庭(繁体字:吳 念庭、ウー・ネンティン、1993年6月7日 - )は、台湾(中華民国)・台北市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。CPBLの台鋼ホークス所属。 台湾出身だが、日本の高校・大学に在籍したためNPBの外国人枠から外れていた。 新北市立汐止国民中学校を卒業後、父親の勧めもあって岡山県共生高等学校へ留学。廖任磊は高校の同級生。甲子園出場経験はない。 2011年12月12日に行われた四国アイランドリーグplusのドラフト会議にて愛媛マンダリンパイレーツから指名を受ける。交渉の末に入団合意へ達したが、2012年1月25日に自己都合による退団が発表された。 その後第一工業大学に進学。
三好 匠(みよし たくみ、1993年6月7日 - )は、福岡… 三好 匠(みよし たくみ、1993年6月7日 - )は、福岡県北九州市戸畑区出身のプロ野球選手(内野手)。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
宇佐見 真吾(うさみ しんご、1993年6月4日 - )は、… 宇佐見 真吾(うさみ しんご、1993年6月4日 - )は、千葉県松戸市出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 幸谷小学校在籍時に二ツ木ソフトボールクラブ(現:二ツ木・幸谷ツインズ)でソフトボールを始め、他にもサッカーや少林寺拳法も小学生時代に経験。小金南中学校では軟式野球部に所属した。 柏市立柏高等学校では2年夏にベスト8。2年秋から正捕手になり、森和樹とバッテリーを組む。3年夏は5番打者として出場するも、4回戦敗退。甲子園に出場することはなかった。その他のチームメイトに船越涼太がいた。 城西国際大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場。1年秋と2年春にベストナインを受賞。
横尾 俊建(よこお としたけ、1993年5月27日 - )は… 横尾 俊建(よこお としたけ、1993年5月27日 - )は、東京都多摩市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 南鶴牧小学校3年から武蔵府中リトルで野球を始める。チームメイトには1学年先輩に南貴樹、同期に茂木栄五郎と菅野剛士、2学年後輩に石川亮、2002年から2004年の間は1学年下にクーパー・ヒュンメルがいた。横浜市立あざみ野中学校時代は中本牧シニア、相模ホワイトボーイズで捕手を務めた。 日大三高校入学後、1年の秋からレギュラーとして活躍。第82回選抜高等学校野球大会では1学年先輩の山﨑福也を擁し、4番打者として横山雄哉や有原航平などの投手から安打を量産した。興南高校との決勝では島袋洋奨から2安打を打ったが、自身のエラーが決勝点となってしまい敗れた。
谷田成吾(やだ せいご、1993年5月25日 - )は、埼玉… 谷田成吾(やだ せいご、1993年5月25日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(外野手)、経営者。2019年12月19日から2023年1月31日まで、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスの取締役兼球団代表を務めた。2023年5月から2024年3月まで、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の専務理事を務めた。 慶應義塾高校時代に1年次から4番を打ち、高校通算76本塁打。慶應義塾大学時代に東京六大学通算15本塁打を打ち、「高橋由伸2世」とも呼ばれるなど注目された。 大学4年次の2015年にドラフト会議において上位指名が予想されたが、大学の同期である山本泰寛が読売ジャイアンツ、横尾俊建が北海道日本ハムファイターズに指名される中での指名漏れとなった。
柿沼 友哉(かきぬま ともや、1993年5月12日 - )は… 柿沼 友哉(かきぬま ともや、1993年5月12日 - )は、茨城県つくば市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 市立松代小学校時代は「松代ブルーサンダース」、市立手代木中学校時代は「つくばリトルシニア」に所属していた。中学3年時点で身長が163cmと小柄で強豪校からは声が掛からず高校は知人の紹介で誠恵高校に進学する。 高校では4番で臨んだ3年夏の県大会3回戦で延長11回逆転サヨナラ負け。 日本大学国際関係学部では、2年の春に肘を痛めトミー・ジョン手術を受け、1年間試合に出場出来ない日々を送る。4年生の時の東海地区大学野球秋季選手権大会では敗者復活1回戦で完全試合を達成した嘉代誠をリード、続く第11回東海・北陸・愛知三連盟王座決定戦でも「4番・捕手」として先発出場した。
稲倉 大輝(いなくら だいき、1993年5月11日 - )は… 稲倉 大輝(いなくら だいき、1993年5月11日 - )は、熊本県菊池郡合志町(現:合志市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 中学校時代は、熊本北リトルシニアに所属。捕手としてプレーし、キャプテンを務めていた。 熊本国府高では1年時の夏からベンチ入りし、秋からは4番を務めた。2年秋から主将となり、この頃から場外ホームランを放つなど注目を集めるようになる。3年時の夏は、熊本県予選4回戦で城北高に3-6で敗れた。甲子園出場経験は無し。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから育成1位指名を受けた。 1年目の2012年は支配下登録されず、ファームでも9試合の出場にとどまり、打率.125、1本塁打、1打点の成績だった。
野田 亮介 (のだ りょうすけ、1993年5月9日 - )は… 野田 亮介 (のだ りょうすけ、1993年5月9日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は48。 日本大学第一高等学校から日本大学へ進み、学生コーチを務めた。同期に山崎晃大朗、1学年上に森脇亮介、戸根千明、1学年下に京田陽太がいた。2017年1月1日に日本野球機構審判部に入局。 (記録は2025年シーズン終了時点)
川上 竜平(かわかみ りゅうへい、1993年5月8日 - )… 川上 竜平(かわかみ りゅうへい、1993年5月8日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。現在はパーソナルトレーナーとして活動している。 小学3年生の時に仲井真ライオンズで野球を始め、小学6年生の時には3番捕手として全国大会ベスト16まで勝ち上がっている。中学校では那覇国際ポニーズに所属し、捕手として全国大会にも出場している。 光星学院高時代は1年生ながら夏の大会でベンチ入りし、秋からの新チーム体制では4番を任せられる事もあった。2年春からは投手としての練習も開始し、主将となった2年秋には青森大会優勝、東北大会準優勝を果たした。 3年春の第83回選抜高等学校野球大会では、2回戦で智弁和歌山に2-3で敗れる。
永江 恭平(ながえ きょうへい、1993年5月7日 - )は… 永江 恭平(ながえ きょうへい、1993年5月7日 - )は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。 小学校1年生の時に野球を始め、中学生時代は「小郡リトルシニア」でプレーした(その時の監督は広島東洋カープなどに在籍、特に西武ライオンズの1980年代の黄金期に左のワンポイントリリーフとして名を馳せた永射保)。 海星高等学校では1年生の時に遊撃手のレギュラーになった。主将として迎えた3年生時の夏の長崎大会では投手としても3試合に登板した。第93回全国高等学校野球選手権大会では初戦で東洋大姫路高校と対戦。3番・遊撃手として先発出場し、エースの原樹理相手に4打数1安打だった。
新井 勝也(あらい かつや、1993年5月6日 - )は、千… 新井 勝也(あらい かつや、1993年5月6日 - )は、千葉県船橋市出身の日本のプロ野球選手(内野手)。 小学1年生のときから少年野球チームで野球を始める。6年生時にはキャプテンを務め、千葉県大会で準優勝。当時のポジションは遊撃手。中学時代は硬式野球の船橋シニアでプレー。 高校は野球の推薦で千葉県立千葉商業高等学校に進学。クリーンナップを任され、この頃から二塁を守るようになる。3年間で甲子園大会には出場できず、最高は県大会ベスト16。 大学も野球の推薦で千葉県大学野球連盟の清和大学法学部に進学。大学では、遊撃、二塁のほか、三塁も守った。大学卒業後には独立リーグを経由してのNPB入りを目指したが、4年生の春に右肩を脱臼。
西村 天裕(にしむら たかひろ、1993年5月6日 - )は… 西村 天裕(にしむら たかひろ、1993年5月6日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。北海道日本ハムファイターズに所属。
菅野 剛士(すがの つよし、1993年5月6日 - )は、東… 菅野 剛士(すがの つよし、1993年5月6日 - )は、東京都府中市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 1歳年下の山野辺翔とは実家が近所の幼なじみでよく遊んでいた。府中市立日新小学校時代に武蔵府中リトルリーグで野球を始め、全国大会準優勝を経験。府中市立府中第八中学校時代は武蔵府中シニアに所属し3年春には全国大会ベスト8に進出。当時のチームメイトには、前述の山野辺のほか、茂木栄五郎、横尾俊建らがいる。 東海大相模高校に進学後、1年生秋からレフトのレギュラーを獲得。甲子園には2010年春(1回戦敗退)、2010年夏(準優勝)、2011年春(優勝)の計3回出場した 。チームメイトは1学年上に一二三慎太、大城卓三、同期には田中俊太、渡辺勝がいる。
髙橋 洸(たかはし こう、1993年4月30日 - )は、新… 髙橋 洸(たかはし こう、1993年4月30日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手(外野手)。 日本文理高では、1年時の春からベンチ入り。夏には控え投手として第91回全国高等学校野球選手権大会に出場。自身の出場機会は無かったものの、チームは新潟県勢初となる甲子園決勝に進出。中京大中京高を相手に9回に強烈な粘りを見せるが、あと一歩及ばず9-10で敗退し準優勝。 2年時の夏に野手に転向するも、打撃の低迷から一時は野球を辞めるという考えにまで至ったが、チームメイトの励ましもあり思い留まる。 3年時は、春に第83回選抜高等学校野球大会に8番・三塁手として出場。初戦は香川西高に8-1で勝利するも、2回戦で九州国際大付高に2-4で敗れる。