青木 幹典(あおき もとふみ、1964年9月19日 - )は… 青木 幹典(あおき もとふみ、1964年9月19日 - )は、愛知県出身の元バスケットボール選手、プロバスケットボール指導者である。 中央大学在学中、全日本学生選抜に選ばれる。 卒業後の1987年、日本電装(現デンソー)に入社。 バスケットボール部で1993年までプレーし、全日本実業団優勝にも貢献。引退後は監督に就任。 1996年、愛知機械工業ヘッドコーチに就任。1999年には日本リーグ1部昇格に導き、休部となる2000年まで務める。 2001年、浜松大学コーチに就任。 2006年、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に新規参入する高松ファイブアローズのヘッドコーチに就任。1シーズン目の2006-07シーズンにプレイオフファイナルに導き、最優秀コーチ賞を受賞。
梅嵜 英毅(うめざき えいき、1964年〈昭和39年〉4月2… 梅嵜 英毅(うめざき えいき、1964年〈昭和39年〉4月24日 - )は、日本のバスケットボール指導者。福岡県出身。 福大大濠高、日体大で選手を経験し、卒業後は指導者に転じ1990年から1994年まで日立那珂(現・日立ハイテク)、1995年から1998年まで富士通、1998-99年は積水化学でそれぞれヘッドコーチを務め、積水化学廃部後の1999年に日立ハイテクヘッドコーチに復帰。 2007年、山梨学院大学女子バスケットボール部監督就任。 2001年よりバスケットボール女子日本代表コーチも兼任し、2004年アテネ、2016年リオデジャネイロの2度のオリンピックに出場。 2019年4月3日、JX-ENEOSサンフラワーズヘッドコーチ就任。
近石 香緒里(ちかいし かおり、1963年9月22日 - )… 近石 香緒里(ちかいし かおり、1963年9月22日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。大阪府出身。樟蔭東高等学校卒業。現役時代は東芝に所属していた。 1983年世界選手権に全日本メンバーとして出場。
山下 雄樹(やました ゆうき、1963年8月19日 - )は… 山下 雄樹(やました ゆうき、1963年8月19日 - )は、東京都出身のバスケットボール選手・指導者である。現在は三菱電機コアラーズゼネラルマネージャー、名古屋ダイヤモンドドルフィンズ常務取締役。 立川五中でバスケを始め、関東高、日本体育大を経て、三菱電機に入社。バスケットボール部に所属する。 1987年にはユニバーシアード日本代表に選出される。そのシーズンの日本リーグでも新人王を獲得。 その後も個人タイトルを次々と手にし、オールジャパン連覇にも貢献した。 引退後、社業に専念したのち、2008年に女子部のヘッドコーチに就任。Wリーグ復帰に導いた。2016年、ゼネラルマネージャーに就任。名古屋ダイヤモンドドルフィンズ常務も兼任。
古海 五月(ふるみ さつき、旧姓:原田、1963年5月26日… 古海 五月(ふるみ さつき、旧姓:原田、1963年5月26日 - )は、長崎県出身の女子バスケットボール選手・指導者である。現役時代は共同石油(現・ENEOSサンフラワーズ)でプレー。バスケットボール女子日本代表アシスタントコーチも務めた。 豊玉高校2年時に鶴鳴女子高(現:長崎女子高校)の監督だった山崎純男の誘いを受けて転校。卒業後は鶴鳴女子高の元監督である中村和雄が監督を務める共同石油に入社。日本リーグ優勝3度、オールジャパン優勝3度経験。リーグMVPも2度獲得した。 全日本でも6年に渡って選ばれ、4年間主将を務めた。 1990年に共石退社後は徳島に移り、北島CR・クラブに所属。全日本クラブ選手権4連覇や国体連覇の輝かしい成績を残す。
佐藤 清美(さとう きよみ、1962年5月21日 - )は、… 佐藤 清美(さとう きよみ、1962年5月21日 - )は、日本の男子バスケットボール選手、バスケットボール指導者。
加藤 三彦(かとう みつひこ、1962年5月5日 - )は、… 加藤 三彦(かとう みつひこ、1962年5月5日 - )は、秋田県横手市(旧平鹿郡大森町)出身のバスケットボール指導者である。
大野 由美子(おおの ゆみこ、1962年4月6日 - )は、… 大野 由美子(おおの ゆみこ、1962年4月6日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。栃木県出身。宇都宮女子商業高校卒業。現役時代は東芝に所属していた。 ブラジル開催1983年世界選手権に全日本メンバーとして出場。
竹山 とよ子(たけやま とよこ、1961年12月19日 - … 竹山 とよ子(たけやま とよこ、1961年12月19日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。現姓永田(ながた)。宮崎県出身。 宮崎県立小林高等学校では2年次の選抜大会、3年次のインターハイ・国体いずれも初優勝。 卒業後は共同石油に所属し、日本リーグルーキ・オブ・ザ・イヤーを獲得。1981-82シーズンにはMVPも獲得。 全日本にも選ばれ、オリンピック・世界選手権はかなわなかったものの1986年アジア競技大会に出場。 引退後は母校である小林高校でアシスタントコーチを務める。 日本人初のWNBAプレイヤーである萩原美樹子が憧れの選手として挙げていたことで知られる。
久保田 久美(くぼた くみ、現姓:渡邊、1961年10月30… 久保田 久美(くぼた くみ、現姓:渡邊、1961年10月30日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。 和歌山県出身。大阪府枚方市立津田中から甲子園学院高校に進学し、全国高校総体で準優勝した。その後、日本リーグのシャンソン化粧品に所属し、1985-86シーズンに日本リーグMVPを獲得している。全日本にも選ばれ、1983年世界選手権に出場した。主将も務めている。引退後は元熊谷組の渡邊英幸と結婚。1男1女の母親となり、娘の渡邊夕貴はWリーグのアイシン・エィ・ダブリュに所属した元バスケットボール選手、息子の渡邊雄太はNBAで6シーズンプレーしたプロバスケットボール選手。
塚本 清彦(つかもと きよひこ、1961年2月26日 - )… 塚本 清彦(つかもと きよひこ、1961年2月26日 - )は、兵庫県出身のバスケットボール選手・指導者、スポーツジャーナリストである。愛称は「ツカちゃん」。現役時代のポジションはポイントガード。明治大学ヘッドコーチ、法政大学ヘッドコーチ、バスケットボールカレッジ学園長などを歴任。 育英高校から明治大学を経て、日本鋼管に進む。日本リーグ優勝2回、オールジャパン優勝2回に貢献。1993-94シーズンのリーグではベスト5を受賞。 1996年現役引退。 さらに大阪ディノニクスを立ち上げ、bjリーグ参戦に当たり、トップチームを大阪エヴェッサに譲渡し、エヴェッサの親会社であるヒューマングループが運営する「バスケットボールカレッジ」の学園長に就任した。
本間 大輔(ほんま だいすけ 1961年?- )は北海道札幌… 本間 大輔(ほんま だいすけ 1961年?- )は北海道札幌市出身のバスケットボール指導者。
山本 千賀(やまもと ちか、1960年10月15日 - )は… 山本 千賀(やまもと ちか、1960年10月15日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。現姓:中川(なかがわ)。大阪府出身。薫英高等学校卒業。現役時代は日立戸塚に所属していた。 1983年世界選手権に全日本メンバーとして出場。
長谷川 健志(はせがわ けんじ、1960年4月4日 - )は… 長谷川 健志(はせがわ けんじ、1960年4月4日 - )は、日本のバスケットボール指導者。元男子日本代表ヘッドコーチ。 青山学院大学卒業後、NIKE入社。1989年青山学院大学バスケットボール部男子監督に就任し、インカレ優勝を含めファイナル4進出7回、関東大学リーグ戦優勝5回、関東大学選手権大会優勝5回、全日本大学バスケットボール選手権大会優勝4回のチームに成長させた。また、日本学生選抜監督、ジョーンズカップ日本代表監督、ユニバーシアード日本代表コーチを歴任、2007年夏季ユニバーシアード(バンコク大会)日本代表監督を務めた。2013年10月の東アジア競技会でも日本代表チームを指揮した。 2014年男子日本代表監督に就任。
池内 泰明(いけうち やすあき、1960年1月12日 - )… 池内 泰明(いけうち やすあき、1960年1月12日 - )は、福島県郡山市出身のバスケットボール選手・指導者である。現役時代のポジションはフォワード。現在は拓殖大学オレンジクラッシャーズヘッドコーチ。 福島県立郡山商業高等学校から拓殖大学に進学。在学中、1979年と1981年のユニバーシアード2大会出場。3年時には全日本のメンバーにも選ばれアジア選手権にも出場した。以降9年間全日本で活躍し1982年アジア大会で銅メダル獲得、主将も務めた。 卒業後の1982年、住友金属に入社。1試合40得点を挙げるなどの活躍を見せ、岡山恭崇とともに住友黄金時代を築く。日本リーグでは新人賞、優秀選手賞に7回、フリースロー賞2回の個人タイトルも獲得した。
鈴木貴美一(すずき きみかず、1959年9月26日 - )は… 鈴木貴美一(すずき きみかず、1959年9月26日 - )は、東京都渋谷区出身の元バスケットボール選手、バスケットボール指導者である。B.LEAGUEに所属するシーホース三河のヘッドコーチ。
大山 春美(おおやま はるみ、1959年2月26日 - 20… 大山 春美(おおやま はるみ、1959年2月26日 - 2018年9月)は、日本の元バスケットボール選手。ポジションはフォワード。身長172cm。 尼崎市立小田南中学校入学時よりバスケットボールを始め、甲子園学院高校の時には1年生からレギュラーとして総体などで活躍した。 1977年シャンソン化粧品に入社。中川文一監督(当時)の元で1年目は出場機会に恵まれたが、その後膝の負傷などで手術を受け約1年半リハビリを続け、1979年に復帰。 1983年、キャプテンとして臨んだ第16回日本リーグでシャンソンの初優勝に貢献しMVPも受賞。その後左足の靭帯断裂に見舞われたがそのシーズンは最後まで出場し続け、オールジャパンと日本リーグの二冠を達成した1984年に引退した。
小野 秀二(おの しゅうじ、1958年1月31日 - )は秋… 小野 秀二(おの しゅうじ、1958年1月31日 - )は秋田県出身の元バスケットボール選手、指導者。
三木 力雄(みき りきお、1957年〈昭和32年〉7月29日… 三木 力雄(みき りきお、1957年〈昭和32年〉7月29日 - )は、日本の元バスケットボール選手で、現在は指導者。京都府出身。現役時代のポジションはポイントガード。B3リーグ・東京八王子ビートレインズヘッドコーチ。 東山高等学校から京都産業大学を経て、1980年に熊谷組に入社。 10年間選手として活躍し、引退後は母校である京産大を始め、中学生、国体チームなどで指導者として育成に取り組む。 2003年、さいたまブロンコスのヘッドコーチに就任。チームを日本リーグ2連覇に導く。 bjリーグ発足後は、テクニカルアドバイザーに退くが、2006-07シーズンは山根謙二ヘッドコーチの下、アシスタントコーチを務めた。
福井 美恵子(ふくい みえこ、1956年12月3日 - 19… 福井 美恵子(ふくい みえこ、1956年12月3日 - 1980年11月30日)は、滋賀県蒲生郡日野町出身の日本の女子バスケットボール選手。ポジションはセンター。184cm。 中学ではバレーボール部に所属するが、高校女子バスケの名将原田茂監督の誘いを受け樟蔭東高校に進学しバスケットボールに転向。インターハイ・国体で優勝に輝き、全日本ジュニアにも選ばれた。 卒業後の1975年、ユニチカに入社。日本リーグ新人王を獲得。1977-78シーズンにはリーグ優勝の原動力となり、この年より3年連続でベスト5に選ばれた。 また、全日本のメンバーとして1975年世界選手権準優勝メンバーとなる。 翌年のモントリオールオリンピックにも控えとして出場した。
倉石平(くらいし おさむ、1956年4月20日 - )は新潟… 倉石平(くらいし おさむ、1956年4月20日 - )は新潟県出身の元バスケットボール選手、現バスケットボール指導者である。現役時代のポジションはガード。早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。
浜口 秀樹(はまぐち ひでき、1956年1月4日 - )は、… 浜口 秀樹(はまぐち ひでき、1956年1月4日 - )は、長崎県出身の元バスケットボール選手である。195cm。 長崎南高校から拓殖大学に進み、在学中に最年少となる20歳でモントリオール五輪に出場。2021年の東京オリンピックに開催国として出場するまでオリンピック男子バスケットボールに選手としての出場歴を持つ最も若い日本人であった。 卒業後は新日鐵に入社。
伊與田 好彦(いよだ よしひこ、1955年10月28日 - … 伊與田 好彦(いよだ よしひこ、1955年10月28日 - )は、日本のバスケットボール指導者である。 西尾高校から日体大に進み、卒業後は高校教員となり、愛知県教員チームでプレーを続ける。 1983年の愛知商業高校顧問を皮切りに指導者としてのキャリアを始める。 2001年より愛知学泉大女子ヘッドコーチを務め、インカレ準優勝に導く。 2012年にはユニバーシアード女子日本代表ヘッドコーチに就任するが、週刊誌の記事が問題となったため本大会を前に辞任。 一方、愛知学泉大のヘッドコーチは2016年まで務め、同年からは京都精華学園高校顧問に就任。 2018年、山梨クィーンビーズのアシスタントコーチに就任するが、前任者の水上豊ヘッドコーチの退任に伴い同年12月にヘッドコーチ昇格。
佐々木 桂二(ささき けいじ、1955年4月25日 - )は… 佐々木 桂二(ささき けいじ、1955年4月25日 - )は、日本のバスケットボール指導者。日本バスケットボール協会コーチデベロッパー、宮城県バスケットボール協会会長、東北バスケットボール協会会長、東北大学バスケットボール連盟会長、東北学院大学バスケットボール部男女監督。教え子にはバスケットボール日本代表の相澤優子がいる。
丸山 健治(まるやま けんじ、1955年4月2日 -2023… 丸山 健治(まるやま けんじ、1955年4月2日 -2023年1月27日 )は、長野県松本市出身のバスケットボール指導者である。
北原 憲彦(きたはら のりひこ、1954年12月11日 - … 北原 憲彦(きたはら のりひこ、1954年12月11日 - )は、日本の元バスケットボール選手、指導者である。長野県伊那市出身。モントリオールオリンピック男子バスケットボール日本代表。江戸川大学社会学部経営社会学科特任教授で、研究分野は健康・スポーツ科学、専門分野はスポーツ教育学、スポーツ経営学。同校の男女バスケットボール部の部長を務めている。明治大学付属中野高等学校、明治大学文学部日本文学科卒業。 明大中野高校でバスケットボールに本格的に取り組み、第1回春の選抜(現・ウィンターカップ)優勝メンバーとなる。また、当時大会記録となる1試合58得点を叩き出した(2008年に藤井祐眞(藤枝明誠)が更新)。
岡山 恭崇(おかやま やすたか、1954年11月29日 - … 岡山 恭崇(おかやま やすたか、1954年11月29日 - )は、熊本県出身の元バスケットボール選手、指導者。現役時代のポジションはセンター。 日本人で初めてNBAドラフトで指名を受けた選手である。 九州学院高校卒業。大阪商業大学進学と同時にバスケットボールを始めた。中学高校時代は柔道選手(二段取得)であり、柔道選手としていくつか大学から勧誘もあったが、大商大バスケットボール部監督の人柄に引かれて転向を決意した。1979年、住友金属工業に入社し、籠球団に所属。同年、日本リーグのリバウンド王、新人王を獲得。身長は歴代日本人選手最長の230cm、体重158kgだった。2019年現在、存命中の日本人としては最長身。
河内敏光(かわち としみつ、1954年5月7日 - )は、東… 河内敏光(かわち としみつ、1954年5月7日 - )は、東京都足立区出身のバスケットボール選手・指導者・解説者。 1973年に京北高等学校から明治大学に進み、同期の北原憲彦らとともにインカレなどのタイトルを獲得。 卒業後は、1977年に三井生命保険バスケットボール部入部。日本リーグの主力選手の一人としてリーグ戦はもとより1977年から1970年まで全日本チームでも活躍し、1986年の現役引退後は、1988年に三井生命の監督に就任し、実業団選手権大会優勝、天皇杯準優勝、日本リーグ3位にチームを導いた。 1993年には全日本男子監督に就任し、アトランタオリンピック予選アジア選手権3位、ユニバーシアード福岡大会優勝、広島アジア大会で優勝している。
青沼 令子(あおぬま れいこ、1954年1月28日 - )は… 青沼 令子(あおぬま れいこ、1954年1月28日 - )は、長野県長野市出身の元女子バスケットボール選手である。現姓・藤澤(ふじさわ)。 長野清泉女学院高校卒業後、ユニチカ山崎に入社。 全日本のメンバーにも選ばれ、1974年アジア大会金メダル、1975年世界選手権銀メダルを獲得。モントリオール五輪にも出場した。 引退後は日本レクリエーション協会公認指導者に転じ、地元でレクリエーション活動の普及に努めている。 現在は社団法人長野県経営者協会教育研修部課長、長野県レクリエーション協会理事。 ソフトボール日本代表元監督の宇津木妙子はユニチカの同期。
高川 定子(たかがわ さだこ、1953年12月1日 - )は… 高川 定子(たかがわ さだこ、1953年12月1日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。秋田県仙北郡中仙町(現・大仙市)出身。現役時代のポジションはガード。 中仙町立豊成中学校時代に、姉の影響でバスケットボールを始める。秋田県立角館南高等学校卒業後、共同石油に入社。入社3年目に同郷の中村和雄が共石のコーチに就任すると、キャプテンに抜擢されるが、左足の怪我などもあり、レギュラー定着は6年目の1977-1978年シーズンと遅咲きの選手だった。1978-1979年シーズン、1979-1980年シーズンのチームの日本リーグ連覇に貢献し、1978-1979年シーズンではリーグベスト5にも選ばれた。
門屋 加壽子(かどや かずこ、1953年10月7日 - )は… 門屋 加壽子(かどや かずこ、1953年10月7日 - )は、愛媛県松山市出身の元女子バスケットボール選手。現姓・大野。日本女子バスケ黄金時代に活躍した選手のひとり。 名門・聖カタリナ女子高校で夏の総体、国体ともにベスト8を経験。 卒業後、ユニチカ山崎に入社。常勝チームの一員として全日本選手権・日本リーグで多くのタイトルに貢献。主将も務めた。 全日本にも選ばれ、1974年アジア大会金メダル、1975年世界選手権準優勝と1976年モントリオール五輪を経験する。 五輪後のシーズンを最後に現役引退。アシスタントコーチに就任する。 1980年、ユニチカを退社。母校・聖カタリナ女子高校のアシスタントコーチに就任。
斎藤 文夫(さいとう ふみお、1953年8月22日 - 20… 斎藤 文夫(さいとう ふみお、1953年8月22日 - 2019年3月25日)は、東京都福生市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはセンター。現役当時は205cmの長身プレイヤーであった。 高校1年で野球からバスケットボールに転向。中央大学在学中の1974年、全日本に選出され、アジア大会に出場。1975年アジア選手権で準優勝に貢献しモントリオール五輪にも出場。 卒業後の1977年、松下電器に入社。日本リーグでタイトル獲得。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
松岡 美保(まつおか みほ、女性、1953年7月11日 - … 松岡 美保(まつおか みほ、女性、1953年7月11日 - )は、元バスケットボール選手である。大阪府出身。 1970年代を代表するシューターとして知られ、日本代表としても1976年モントリオールオリンピック、1979年世界選手権に出場した。 薫英高等学校からユニチカに入社し、主力として優勝に貢献。1977シーズンはリーグMVPも受賞する。 また、全日本にも選ばれ、モントリオールオリンピックにも出場した。 1979年世界選手権にも出場。
炭田 久美子(すみた くみこ、1953年3月18日 - )は… 炭田 久美子(すみた くみこ、1953年3月18日 - )は、日本の女子バスケットボール選手・指導者である。新潟県新井市(現:妙高市)出身。 新井中学校でバスケを始め、高田商業高校卒業後、日立甲府に入社。 1986年に山梨で開催されたかいじ国体では選手・コーチを兼任し、引退後はコーチに転じる。1997年にはヘッドコーチに就任し、日本リーグ初の女性ヘッドになった。 日立甲府が甲府→山梨クィーンビーズとクラブ化された後も引き続き指揮を執り、2005年には日本代表コーチも務める。 2012年にヘッド退任し、翌シーズンはゼネラルマネージャーを務めた。 2015年、地元の新潟アルビレックスBBラビッツのヘッド就任。
橋本 きみ子(はしもと きみこ、1953年2月17日 - )… 橋本 きみ子(はしもと きみこ、1953年2月17日 - )は、千葉県千葉市出身の元女子バスケットボール選手である。現姓・長井。ポジションはガード・フォワード。コートネームは「ボク」。 千葉市立新宿中学校3年で県大会3位の成績を残し、千葉商業では同好会を部に昇格させ、3年でインターハイ出場を果たした。 卒業後、第一勧業銀行に入社。日本リーグ(現Wリーグ)では第8回から3年連続でベスト5に選ばれ、主将も務めた。 全日本の一員として1974年アジア大会金メダル、1975年世界選手権準優勝メンバーとなった。翌年のモントリオール五輪でもメンバーに選ばれたが、膝の故障のため5試合で出場29分に留まった。 1977年の引退後はNHK解説者を務める。
桑田 健秀(くわた きよひで、1953年1月3日 - )は、… 桑田 健秀(くわた きよひで、1953年1月3日 - )は、熊本県山鹿市生まれ東京都大田区馬込出身のバスケットボール選手・指導者である。現役時代はシューティングガードからセンターまでこなした。 熊本で生まれ、1歳で東京に移住。大田区立馬込東中学校でバスケを始め、慶應義塾高校に進み、能代工業高校監督加藤廣志が率いる全日本ジュニアに選出される。 その後慶應義塾大学では谷口正朋(中大)が持っていた得点記録を更新。1973年夏季ユニバーシアードにも出場。 1975年に慶應義塾大学商学部を卒業後、日本鋼管(NKK)に入社。1976年にはモントリオール五輪に出場するなど全日本で11年間プレーした。NKKでも日本リーグ1度、オールジャパン2度の優勝に貢献する。
西 譲治(にし じょうじ、1952年11月3日 - )は、日… 西 譲治(にし じょうじ、1952年11月3日 - )は、日本の政治家、元川崎市議会議員(民主党)、元バスケットボール選手、実業家。福岡市中央区出身。
山本 浩二(やまもと こうじ、1952年〈昭和27年〉7月2… 山本 浩二(やまもと こうじ、1952年〈昭和27年〉7月28日 - 2001年〈平成13年〉3月29日)は、秋田県山本郡八森町(現:八峰町)出身のバスケットボール選手。ポジションはガード。 能代工業高校で全国大会2冠を達成し、明治大学に進学。4年次に主将を務め、1975年のオールジャパン優勝に導いた。これが現在のところ学生チームが制した最後のオールジャパンとなる。 卒業後、日本鋼管に入社。1年目より活躍し、全日本にも選ばれ翌年のモントリオール五輪に出場した。 引退後は日立戸塚女子の監督も務めた。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
宮本 輝子(みやもと てるこ、女性、1952年5月3日 - … 宮本 輝子(みやもと てるこ、女性、1952年5月3日 - )は、元バスケットボール選手である。 熊本県小川町(現・宇城市)生まれ。河江小学校、益南中学校、松橋高校卒業。ユニチカ山崎に入社し、タイトル獲得。1974年から3年連続で日本リーグベスト5にも選ばれる。 また、全日本にも選ばれ、1975年世界選手権では準優勝メンバーとなる。モントリオールオリンピック(第5位)にも出場した。
丸岡 茂樹(まるおか しげき、1952年〈昭和27年〉1月3… 丸岡 茂樹(まるおか しげき、1952年〈昭和27年〉1月3日 - )は、日本の元バスケットボール選手。現在は指導者。香川県善通寺市出身。現役時代のポジションはガード。 善通寺第一高校在学中にインターハイベスト16、国体ではベスト8。明治大学進学後は全日本大学選手権で優勝している。大学卒業後、豊田通商に加入。引退後の1985年、監督に就任し、1990年にチームを日本リーグ1部に昇格させた。2004-2005シーズンには日本リーグで優勝。2006年、この年よりbjリーグに参戦した高松ファイブアローズ(現:香川)の監督に就任。2シーズン務めた後に退団した。 2009年8月にJBL2実行委員長に就任。
生井 けい子(なまい けいこ、1951年12月9日 - )は… 生井 けい子(なまい けいこ、1951年12月9日 - )は栃木県出身の元バスケットボール選手。栃木県宇都宮女子商業高校、日本体育大学卒業。現姓・今野。愛称は「生ちゃん」。 栃木市立東中学校2年でバスケを始めたが、当時は陸上競技との掛け持ちだったためバスケ練習は週1回程度だった。 宇都宮女子商(現宇都宮文星女子高)では2年でレギュラーになる。 高校卒業後は実業団からも誘いを受けるが断り続け、短大進学を希望するが顧問は「日体大なら許してやる」と言われ日体大へ進学。日体大のインカレ3連覇に貢献し、大学生として全日本のメンバーに選ばれる。 大学卒業後は故郷で教員を目指すが採用試験で不合格。コーチとして日体大に残る。
沼田 宏文(ぬまた ひろふみ、1951年8月15日 - 20… 沼田 宏文(ぬまた ひろふみ、1951年8月15日 - 2022年12月28日)は、兵庫県出身のバスケットボール選手・指導者である。ポジションはセンター。現役当時は204cmの長身から「ジャンボ沼田」と呼ばれていた。 加古川東高から同志社大学に進学。1970年インカレ準優勝を果たし、1972年ミュンヘン五輪に出場。 卒業後は、松下電器に入社。選手として7度の日本リーグ優勝に貢献、新人王も獲得しベスト5も5度受賞する。1976年にはモントリオール五輪代表となる。 引退後は1997年にバスケット部部長に就任。 2002年から2003年には日本協会男子指導部長も務めた。 2007年、母校である同大バスケットボール部監督に就任。
荒 順一(あら じゅんいち、1951年7月28日 - )は、… 荒 順一(あら じゅんいち、1951年7月28日 - )は、茨城県出身のバスケットボール選手・指導者。 土浦日大高校から日本大学を経て、東芝に入社し、バスケットボール部で選手として活躍。 引退後はコーチに転じ、東芝男子、東芝名古屋女子コーチを務めた後、母校・日大コーチとなる。後にヘッド昇格。 1991年には香川県国体成年女子監督に就任。 1994年に東芝女子ヘッドとしてオールジャパンベスト4などに導いたが、1999年廃部。 その後は解説者を経て、2002年に日本航空のコーチに就任。オールジャパン優勝に貢献。 2005年、女子日本代表を内海知秀の代行として率いたが、世界選手権予選を兼ねたアジア選手権で敗退。
佐竹 美佐子(さたけ みさこ、女性、1951年1月19日 -… 佐竹 美佐子(さたけ みさこ、女性、1951年1月19日 - )は、元バスケットボール選手である。 宮崎県立妻高等学校から第一勧銀に入社し、タイトル獲得。1974年には日本リーグMVPにも選ばれる。 また、全日本にも選ばれる。1975年世界選手権では準優勝メンバーとなり、モントリオールオリンピックにも出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
藤本 裕(ふじもと ゆたか、1950年12月21日 - 20… 藤本 裕(ふじもと ゆたか、1950年12月21日 - 2001年10月31日)は、日本のバスケットボール選手・指導者である。別名「日本のパット・ライリー」(北原憲彦談)。 育英高校から大阪商業大学に進学、卒業後の1973年に日本鋼管に入社。日本リーグ新人王を獲得。 1976年のモントリオールオリンピックに全日本として参加。 引退後、日本鋼管の監督に就任。毎年オフにはアメリカでスカウト活動を行い、NBAには及ばないが戦力として可能性のある選手を発掘する。エリック・マッカーサーもその1人である。 さらに日本人も阿部理らをスカウトした。 晩年はデンソーの監督を務めた。
結城 昭二(ゆうき しょうじ、1950年8月27日 - )は… 結城 昭二(ゆうき しょうじ、1950年8月27日 - )は、日本の元バスケットボール選手である。ポジションはシューター。東京都出身。 バスケットボールの名門校として知られる京北高校で活躍後、中央大学に進学。在学中全日本に選出される。 卒業後は。住友金属に入社。1976年にはモントリオール五輪に出場した。住友でも日本リーグ優勝3回(1973・1974・1977)、オールジャパン 優勝3回(1974・1978・1980)に貢献する。 1981年現役引退。著書に、バスケットバイブル、マイケルジョーダンの最強のテクニック、他 現在はNBA解説者として活躍する一方、全国で普及活動も行っている。
清水 良規(しみず よしのり、1949年12月21日 - )… 清水 良規(しみず よしのり、1949年12月21日 - )は、京都府亀岡市出身のバスケットボール選手・指導者である。O型。元バスケットボール男子日本代表監督。 日本体育大学でインカレ優勝を果たし、卒業後に松下電器入社。松下電器ではリーグ優勝2度、オールジャパン優勝1度に貢献。 引退後の1978年、コーチに転じる。1980年には監督(ヘッドコーチ)に就任して、16シーズンでリーグ戦5連覇を含む優勝9度、オールジャパン優勝6度を誇る強豪チームに育てあげた。 1990年に全日本のアシスタントコーチに就任。のちにヘッドコーチを歴任して1994年まで務めた。 1996年にWJBL・日立戸塚レパードのヘッドコーチに就任。
杣友 厚(そまとも あつし、1949年6月10日 - )は、… 杣友 厚(そまとも あつし、1949年6月10日 - )は、元バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。185cm。 徳島海南高校から日本大学を経て、住友金属に入社。 全日本にも選出され、1972年ミュンヘンオリンピックにも出場した。
森 哲(もり さとし、1949年5月10日 - )は、元バス… 森 哲(もり さとし、1949年5月10日 - )は、元バスケットボール選手。 熊本工業高から明大に進み、インカレ連覇などに貢献。 卒業後、住友金属に入社し、籠球団に所属。住金黄金時代の中心選手として活躍。第8回(1974年度)と第11回(1977年度)はMVPにも輝く。 全日本としてミュンヘン、モントリオールのオリンピック2大会に出場。主将も務めた。 現在は富士常葉大学の監督。
栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 -… 栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 - )は、千葉県千葉市出身で、大和証券バスケットボール部所属の元バスケットボール選手、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は浜中 忠(はまなか ただし)、旧姓は大野。大相撲時代は身長191cm、体重95kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。最高位は東十両13枚目(1973年9月場所)。父も元力士で、大野山の四股名で三段目まで昇進した。 千葉商業高校卒業後は、身長191cmの体格を見込まれて大和証券バスケットボール部に入社し、いきなり主力となり、1967年に行われた第22回全日本実業団競技大会で活躍、チームの日本リーグ入りに大いに貢献した。バスケットボールを続けていれば1972年ミュンヘンオリンピック日本代表入りを果たせると言われたほどの大器であったが「バスケットじゃ飯が食えない。