中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 -… 中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 - 2019年8月16日)は、おもに歌謡曲、演歌を手がける日本の作曲家。本名:中村貞夫(なかむら さだお)。 山口県の後の新南陽市〜周南市にて誕生。地元開催の「コロムビア歌謡コンクール」徳山大会で入賞し、歌手を志して「かばん1つで上京」した。1958年には「コロムビア歌謡コンクール」全国大会で入賞して若山彰の付き人となる。原六朗に師事した後、歌手ではなく作曲の道に進んだ。 1963年、北島三郎の『三郎太鼓』のB面曲『田舎へ帰れよ』で、本名の中村貞夫として作曲家デビューした。1969年には、中村千里名義で同じく北島三郎の『仁義』をヒットさせた。
水谷川 忠俊(みやがわ ただとし、1935年12月9日 - … 水谷川 忠俊(みやがわ ただとし、1935年12月9日 - )は、日本の作曲家、雅楽研究家。旧姓名・近衛俊健。 近衛秀麿の三男(非嫡出子)として大阪市東区久宝寺町に生まれる。母は坪井文子。1937年7月22日、父秀麿により、大阪市東区役所に出生届が出される。1939年10月19日、父の末弟である水谷川忠麿の養子となり、忠俊と改名。物心ついたときは東京千駄ヶ谷の忠麿のアトリエにおり、生母の記憶はないという。 学習院初等科在学中、奈良県に転居し、奈良女子高等師範学校附属小学校(現・奈良女子大学附属小学校)から同中学校・同高校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業。上京後、山本直純の助手を務めながら作曲を学ぶ。
島津 伸男(しまづ のぶお、1935年12月2日 - 201… 島津 伸男(しまづ のぶお、1935年12月2日 - 2013年5月9日)は、日本の作曲家。本名は堀 信義(ほり のぶよし)。鹿児島県出身。日本作曲家協会所属。 鹿児島県揖宿郡喜入村大字前之浜(現在の鹿児島市喜入前之浜町)出身。鹿児島県立指宿高等学校普通科卒業。北島三郎と同じく船村徹の門下生。北島の舞台におけるバックバンドの指揮者も長年担当していたが、亡くなる2年程前に、体調不良を理由に降板していたという。心不全のため77歳で死去。
城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月2… 城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月28日 - 1989年〈平成元年〉5月9日)は、日本の歌手、作曲家である。本名・作曲家名は菊地 正規(きくち まさき)、1966年の改名前の芸名は菊地 正夫(きくち まさお)。ヨーデルを得意とし、鼻から抜ける独特のハスキー・ボイスとこぶし回しが特徴で魅力的な声の持ち主であった。『骨まで愛して』のヒット後の一時期、映画俳優としても活動した。 1935年(昭和10年)11月28日、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家・北原じゅん(文れいじ)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げて室蘭市で育つ。
茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 20… 茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 2022年9月5日)本名:山口良一は、日本の作詞家・作曲家。元歌手。全日本音楽著作家協会・常任理事(詩)2003年。日本作詩家協会 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 -… 櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 - )は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。 京都府立桃山高等学校、京都教育大学卒業。専攻は数学であった。在学中より福本正に作曲を学び、卒業後、本格的に作曲活動を開始する。伝統的な邦楽を基調とした日本的な作風で知られ、国内外で高い評価を得ている。 また、より広い作曲活動を求め、絵画・建築・写真・映像などの分野との一体化による、構造的芸術の創造を目指して取り組んでいる。作曲・編曲・指揮といった音楽分野を越えて、イヴェント・コーディネーターとして広く活躍している。 2000年代以降は、ジャズ楽曲を吹奏楽用に編曲した作品をウィンズスコアより発表しており、編曲家としての新たな一面を見せるなど、精力的な活動を展開している。
桜田 誠一(さくらだ せいいち、本名同じ。1935年10月2… 桜田 誠一(さくらだ せいいち、本名同じ。1935年10月23日 - 2012年3月19日)は、日本の作曲家である。日本作曲家協会会員、日本レコード大賞制定委員会委員でもある。青森県平川市(旧南津軽郡尾上町)出身。 1957年(昭和32年)三船浩の「恋なんて捨てっちまえ」で作曲家デビュー。当時桜田はまだ18歳であった。 1986年(昭和61年)第28回日本レコード大賞最優秀歌唱賞に、北島三郎の「北の漁場」が受賞(作詞:新條カオル、編曲:斉藤恒夫)。1987年(昭和62年)第29回日本レコード大賞最優秀歌唱賞に、大月みやこの「女の駅」が受賞(作詞:石本美由起、編曲:丸山雅仁)。 2012年3月19日、急性白血病により死去。
鵜崎 庚一(うざき こういち、1935年10月21日 - 2… 鵜崎 庚一(うざき こういち、1935年10月21日 - 2025年6月8日)は、日本の作曲家・音楽教育家。 1935年10月21日、東京都目黒区に生まれる。父は政治家の鵜崎多一、祖父は日本メソジスト教会初代監督の鵜崎庚午郎、曽祖父は姫路藩士で漢学者の鵜崎久平。 幼い頃より教会音楽に触れる。中学生の頃、妹のピアノレッスンの付き添いがきっかけとなり、ピアノ、和声の勉強を始める。 東京芸術大学音楽学部作曲科にて、作曲を池内友次郎、矢代秋雄、理論を島岡譲、指揮を金子登、ピアノを徳川愛子各氏に師事。 1964年3月 作曲、理論を学ぶためフランス・パリへ留学。作曲をトニー・オーバン、フーガをマルセル・ビッチュ、対位法・コラールをノエル・ギャロン各氏に師事。
今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 … 今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 - 2026年6月30日)は、日本の長唄三味線奏者、作曲家。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、日本藝術院賞受賞者でもある。本名は中川 昇一(なかがわ しょういち)。 四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男として東京日本橋に生まれる。十世芳村伊四郎、三世今藤長十郎、今藤綾子、山田抄太郎に師事した。 1959年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業した。1963年、二世今藤政太郎を襲名した。 大学卒業後は演奏活動と作曲活動を続け、海外公演にも参加した。また、桐朋女子短期大学講師、国立音楽大学講師、国立劇場養成課講師、NHK邦楽技能者育成会講師などを歴任し、2017年からは京都市立芸術大学客員教授を務めている。
兼田 敏(かねだ びん、1935年9月9日 - 2002年5… 兼田 敏(かねだ びん、1935年9月9日 - 2002年5月17日)は、日本の作曲家。 旧満洲新京(現・中国長春市)生まれ。引き揚げ後京都府京都市に住み、中学校時代にコルネット奏者となる。京都市立堀川高等学校音楽課程(現京都市立京都堀川音楽高等学校)を経て、東京藝術大学作曲科に入学。在学中下総皖一に師事。 岐阜大学教授、愛知県立芸術大学教授、岐阜大学大学院教授となり、居を岐阜市に構え、岐阜県にて音楽活動の中心とする。日本管打・吹奏楽学会顧問、日本バンドクリニック委員会代表、ナゴヤ・ディレクターズバンド指揮者を歴任。 保科洋(東京藝大での同期)と交流が深く、吹奏楽文化の普及をともにリーダーシップをとっていた。
筒井 広志(つつい ひろし、1935年8月26日 - 199… 筒井 広志(つつい ひろし、1935年8月26日 - 1999年2月28日)は、日本の作曲家、小説家。歌手・舞台女優のひらたよーことピンク・レディーXでデビューした元アイドル歌手の筒井明日は娘。東京生まれ。 慶應義塾大学法学部卒業。大学卒業後、広瀬健次郎に師事し、作曲家としてCMソングやアニメの主題歌を中心に活動。1964年頃より江利チエミの編曲家としてテレビの歌番組、舞台などで音楽活動を支えた。小林亜星と組んだ仕事も多い(小林作曲、筒井編曲)。代表的な作品としては、「ピンポンパン体操」(阿久悠作詞・小林作曲・筒井編曲)やよみうりテレビ『びっくり日本新記録』のテーマ音楽等がある。 1981年、『我等が宇宙永遠に平和なれ』で小説家デビュー。
はやし・こば(1935年7月27日 - 2016年1月11日… はやし・こば(1935年7月27日 - 2016年1月11日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都生まれ。本名、小林郁夫(こばやし いくお)。 東京都立大学心理学科卒業(音楽心理学専攻)。 東芝音楽工業(後の東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン、現在はユニバーサルミュージック)の専属編曲家などを経た1962年、三木鶏郎の音楽工房に加わり、CMソングの作曲に携わる。はやし・こば(本名は小林)の名付け親も、三木である。 その後独立して、1972年にコバ・ミュージック出版株式会社を設立。数々のCMソング・サウンドロゴを手がけてきた。 CMディレクターの市川準が手掛けたテレビCMのサウンドロゴを作曲したのが縁で、市川が監督を務めた映画の常連俳優として出演した他、宮崎駿監督によるスタジオジブリのアニメ映画『千と千尋の神隠し』では、河の神役で声優として出演した。
岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2… 岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2018年12月6日)は、日本の作曲家・指揮者。日本作曲家協議会会員、日本電子音楽協会理事、仙台電子音楽協会代表、仙台作曲家集団所属、宮城県芸術協会参事、NHK仙台放送局合唱団音楽監督。常盤木学園高等学校音楽科講師。
嵐野 英彦(あらしの ひでを、1935年6月6日 - 201… 嵐野 英彦(あらしの ひでを、1935年6月6日 - 2016年10月14日)は、日本の作曲家。多くのCMソング、『鉄人28号』『遊星仮面』『遊星少年パピイ』などのアニメ、石原裕次郎主演の映画音楽で名をあげた。 京都生まれ。松本民之助に師事していた東京芸術大学作曲科の在学中、朝日放送「クレハホームソングコンテスト」に応募。三木鶏郎にスカウトされた。 三木鶏郎音楽工房の作曲・編曲家として活躍、サウンドロゴやインフォマティブ・ソングという新しいCM音楽のスタイルを作り出す。森永製菓のリコーダー1本のCM"ピポピポ"は彼の作。日本のCM音楽を代表する作曲家。ACC賞、日本音楽コンクール入選、文部科学省社会教育功労賞など。
髙橋 育郎(たかはし いくお、1935年〈昭和10年〉3月2… 髙橋 育郎(たかはし いくお、1935年〈昭和10年〉3月26日 - 2026年〈令和8年〉3月7日)は、日本の童謡作詞家、童謡作曲家、著述家、元日本国有鉄道(国鉄)職員。東京都出身。国鉄時代から合唱団で音楽を学び、在職中から団体旅行ソングなどの作詞・作曲を手がけた。退職後は日本童謡協会に所属し、代表作「大きな木はいいな」(作詞)などの童謡作品を発表したほか、昭和から平成にかけての自身の体験を綴った著書を複数出版している。 1935年(昭和10年)3月、東京都に生まれる。1941年(昭和16年)4月に赤羽国民学校に入学し、戦中・戦後の動乱期を過ごす。1947年(昭和22年)3月に埼玉県杉戸町の杉戸国民学校を卒業。
横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 20… 横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 2017年7月8日)は、日本の作曲家、編曲家である。広島県広島市出身。 両親とも学校の教員。小学3年生の時に父親の転勤により呉市に転居したため、1945年の原爆被災を免れる。本人は呉から原爆のキノコ雲をもろに見て覚えていると話している。 小学6年生の時に再び父親の転勤により同じ広島県の甲奴郡に転居、甲奴郡には中学3年生の時まで暮らす。ある日に父親の勤務していた上下高等女学校(現・広島県立上下高等学校)で行われた、オペラ歌手の藤原義江と大谷洌子が出演する演奏会を父親と一緒に観に行き、魅了される。これに元々音楽が好きだったこともあって、中学2年生の時の進学指導で先生に「歌手になる」と答えたところ、先生から「音楽をやるなら作曲家にならなきゃだめだ」と言われ、広島音楽高等学校を勧められて同校に創立2期生として入学。
蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年〈昭和10年〉3月… 蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年〈昭和10年〉3月13日 - 2024年〈令和6年〉12月26日)は、日本の作曲家、編曲家である。別名︰冬木 透(ふゆき とおる)名義を用いる。 満洲国の首都新京出身で、14歳で母の郷里広島県へ戻る。広島県北の高校から広島市内の広島観音高等学校へ転校。1952年創立のエリザベト短期大学作曲科に入学し、宗教音楽専攻科を修了。1956年、TBS(当時ラジオ東京)へ音響効果技師として入社。当初はラジオを担当していたが、途中から開局したばかりのテレビへ軸を移す。翌1957年、国立音楽大学作曲科に3年生として編入するが、TBSにも社員として在籍。1958年、連続テレビドラマ『鞍馬天狗』において、不足分の音楽を作曲して劇伴作曲家デビュー。
原 嘉壽子(はら かずこ、1935年2月10日 - 2014… 原 嘉壽子(はら かずこ、1935年2月10日 - 2014年11月30日)は、日本のオペラ作曲家。本名は原和子。 東京府出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同専攻科修了。ベネデット・マルチェッロ音楽院声楽科卒業。池内友次郎、デュティユー、コラデッティらに師事。元同志社女子大学教授。芸術選奨文部大臣賞、ジロー・オペラ賞、紫綬褒章、旭日小綬章などを受賞している。 1978年から1999年の間に18曲のオペラを作曲した。多くは日本オペラ振興会または二期会によって東京で初演されたが、イタリアでも上演された作品がある。全般的には日本の主題を好んで用いるが、2作目のオペラはシャーロック・ホームズを題材とするもので、また1999年には新国立劇場でドストエフスキーの「罪と罰」の大規模オペラを上演した。
前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひ… 前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひと〉、1934年12月6日 - 2018年11月25日)は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家、指揮者。 大阪府出身。小学校教師であった父より、幼少より読譜を学ぶ。大阪府立桜塚高等学校卒業と同時に、プロのジャズピアニストとして活動を開始。ピアノ・指揮法とも独学で習得する。1955年に上京、名門ジャズバンド「西條孝之介とウエスト・ライナーズ」などのメンバーとして活躍。以後、様々なバンドに参加する一方、数多くのテレビ番組のテーマ音楽を手がける。特に、テレビ番組で共演し、共に昭和9年生まれの芸能人の会「昭和九年会」のメンバーでもある大橋巨泉とは親交も深く、巨泉が出演した番組のテーマ音楽の大半を手がけている。
塚本 靖彦(つかもと やすひこ、1934年〈昭和9年〉12月… 塚本 靖彦(つかもと やすひこ、1934年〈昭和9年〉12月1日 - 2008年〈平成20年〉6月8日 )は、日本の作曲家。満州国・奉天市に生まれ四平市で育つ。 戦後、静岡の榛原町(現:牧之原市)に引揚げる。
越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010… 越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010年11月14日)は、日本出身のドイツで活躍したマンドリン奏者、作曲家。 愛媛県今治市生まれ。13歳の時からマンドリンを始めた。1954年、東京外国語大学に入学してイタリア語や英語などを学び、そのかたわら比留間きぬ子のプライベートスクールでマンドリンとギターを学んだ。大学卒業後の数年間、同スクールでマンドリンとギターの講師を務め、いくつかの団体にソリストとして参加したりテレビ・ラジオの録音の活動を行った。 1961年、ジークフリート・ベーレントの招きでドイツに渡り、ザールラント州ザールルイに居を構え、いくつかの音楽学校でフリーランスの教師を務め、ドイツマンドリン連盟の講師として活動した。
三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - … 三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - 1986年5月16日)は、東京都出身の作曲家、編曲家、ジャズピアニスト、レーシングドライバー、俳優、映画監督。 妻はボーカリストの宮崎正子。 鮎川義介の懐刀で満州重工業開発理事や日本コロムビア社長などを歴任した三保幹太郎の息子。高校時代から、ピアニストの守安祥太郎に師事し、在学中の1950年に「クール・ノーツ」でプロデビュー。慶應義塾大学卒業後は、トミー・パーマー・オーケストラなどでピアニストとして活動。1959年4月、前田憲男、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を結成。同年『モグラの唄』で芸術祭奨励賞受賞。1961年、日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献し、2度目の芸術祭奨励賞を受賞。
桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934… 桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934年8月19日 - 2007年6月1日)は日本の作曲家。東京都出身。武蔵野音楽大学卒業。 下総皖一、クラウス・プリングスハイムに師事。宝塚歌劇団出身の俳優・華村りこ(RICO)は実子。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
宮崎 尚志(みやざき なおし、1934年8月4日 - 200… 宮崎 尚志(みやざき なおし、1934年8月4日 - 2003年5月2日)は、日本の作曲家。東京府出身。多摩美術大学客員教授。 映画、ドラマ、CMなどの音楽や、歌謡曲、校歌、社歌、聖歌など幅広いジャンルの作曲、編曲を手掛けた。生涯に作曲した作品は1万曲を超えており、1日に60曲以上作ったこともあったという。大林宣彦監督の映画に自主制作時代から携わり続けたことや、広島東洋カープ応援歌「それ行けカープ 〜若き鯉たち〜」(作詞・有馬三恵子)を作曲したことで知られる。CM音楽の分野においては、コカ・コーラの初代CMソングなど、作曲した曲がたびたびACC・CMフェスティバルの受賞対象となった。2006年に放映されたコカ・コーラTVCMにも、40年以上前に宮崎が作曲したメロディが使われている。
南 弘明(みなみ ひろあき、1934年6月21日 - )は、… 南 弘明(みなみ ひろあき、1934年6月21日 - )は、日本の電子音楽および現代音楽の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 山口県生まれ。福岡県立八幡高等学校を卒業後、東京藝術大学音楽学部作曲科、同校専攻科を経て、ドイツのフライブルク音楽大学でヴォルフガング・フォルトナーに学ぶ。帰国後、東京音楽大学、東京藝術大学で教鞭を執りながら、作曲活動を続ける。電子音楽に注目し、5曲の「電子交響曲」を作曲した他、1992年には日本電子音楽協会を設立した。また、若い頃から合唱の分野にも力を注いでおり、大学在学時の1955年、草野心平の詩による男声合唱のための組曲「蛙の歌」を作曲している他、堀口大學の訳詩による男声合唱曲集「月下の一群」(第1集 - 第3集)、高田敏子の詩による混声合唱組曲「飛翔(はばたき)」などがある。
高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )… 高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )は、日本の作曲家。 鳥取県米子市出身。1958年、国立音楽大学作曲科卒業。作曲を高田三郎、島岡譲に師事。1959年、国立音楽大学専攻科(作曲専攻)修了。同年、第28回日本音楽コンクール作曲部門第3位入賞。 1974年〜1979年、国立音楽大学助教授、1980年〜1999年、同大学教授、現在、同大学名誉教授。 日本現代音楽協会、日本作曲家協議会で作品発表や楽譜の出版の活動を続けている。
桜井 順(さくらい じゅん、1934年3月14日 - 202… 桜井 順(さくらい じゅん、1934年3月14日 - 2021年9月25日)は、日本の作曲家、作詞家。東京都(麻布)出身。本名は櫻井 峯夫(さくらい みねお)。作詞の際のペンネームに「水木 ひろし(みずき ひろし)」「能 吉利人(のう きりひと)」。櫻井 順と表記される場合もある。 曾祖父(父方の祖母の父)は貴族院議員・慶應義塾長を務めた小幡篤次郎。父方の祖父は三井物産砂糖部長・三越常務取締役・二幸取締役などを歴任した櫻井信四郎。幼稚舎(小学時代)より慶應義塾に学び、慶應義塾大学経済学部を卒業。祖父、父、自身と3代続けて幼稚舎〜経済(理財)を卒業した。 慶應義塾大学経済学部卒業。就職先が決まった頃には朝日放送主催の『ABCミュージカルスポット・コンクール』に応募し、2位に入賞していた(1位は越部信義)。
森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 -… 森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 - 2018年8月19日 )は、日本の作曲家、編曲家。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校卒業。指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事。 「君といつまでも」「恋のしずく」「ブルー・シャトウ」「今日でお別れ」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。作・編曲の傍ら、映画やテレビ番組の音楽監督・プロデューサーとして活動。主な作品に、映画音楽「若大将シリーズ」「宇宙からのメッセージ」「山下少年物語」「典子は、今」など。 またカーティア・リッチャレッリのレコーディング、サルバトール・アダモのコンサートのプロデュースなど外人アーティストの音楽制作プロデュースも積極的に手がける。
水野 修孝(みずの しゅうこう、1934年2月24日 - )… 水野 修孝(みずの しゅうこう、1934年2月24日 - )は、徳島県生まれの作曲家。
熊谷 賢一(くまがい けんいち、1934年2月16日 - 2… 熊谷 賢一(くまがい けんいち、1934年2月16日 - 2017年10月9日)は、日本の作曲家。神奈川県横浜市生まれ。名古屋市立菊里高等学校音楽課程、1954年愛知学芸大学(現・愛知教育大学)卒業。1974年より1994年まで暁学園短期大学(現・四日市大学)教授。 1978年創作合唱曲公募受賞。1990年に朝日作曲賞受賞。日本作曲家協議会会員。日本室内管弦楽団代表。1949年に桜台高等学校の校歌を作曲している(出典:桜台高校広報紙「図書館の窓」)。NHKドラマ「中学生日記」の音楽も担当した。 2017年、腎不全で死去。 公式ウェブサイト“KUMA HOUSE”
鈴木 淳(すずき じゅん、1934年2月7日 - 2021年… 鈴木 淳(すずき じゅん、1934年2月7日 - 2021年12月9日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサーである。本名:藤田 順二郎(ふじた じゅんじろう)。 夫人は元女優で作詞家の悠木圭子、前妻は作詞家の有馬三恵子。鈴木淳音楽事務所所属。 1934年(昭和9年)2月7日、山口県防府市の防府天満宮の宮司の子息として生まれる。 山口県立防府高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、音楽之友社に入社、音楽雑誌の編集を手がけるが、過労により郷里に戻り、入院生活を送る。2年間の療養生活を経て、さらに2年間、同地の女子高校に国語科教諭として勤務する。合計4年の時期を経て東京に戻り、音楽之友社に復帰、音楽雑誌『教育音楽』『ポップス』の編集に携わり、『ポップス』編集長に就任する。
早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 20… 早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 2024年8月20日)は、日本の作曲家、指揮者。広島大学名誉教授、新ヴィヴァルディ合奏団常任指揮者。 千葉県市川市出身。早くから音楽の才能を示し、6歳で最初の曲を書いた。東京都立両国高等学校を経て、東京大学で農学を学んだ後、東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を、渡邉暁雄に指揮を学び、1960年に卒業した。 1961年に東京ヴィヴァルディ合奏団を創立し、日本のみならずヨーロッパ各地で公演を行った。 1978年にはウィーンとミュンヘンに留学し、バロック音楽を研究した。 1979年、東京ヴィヴァルディ合奏団のトップメンバーらとともに新ヴィヴァルディ合奏団を設立。
三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本… 三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本の歌手・作詞家・作曲家・ボイストレーナー。本名:持光 正輝(もちみつ・まさてる)。 山口県宇部市出身。国立音楽大学卒業。NHK総合テレビジョンの音楽番組『歌の広場』でデビューした後、日本コロムビア専て活動。その傍ら、ボイストレーナーとして活動するほか、社歌、自治体の県民歌・市町村民歌を数多く手掛ける。 演歌歌手のわかばちどりは妻に当たる。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
越部 信義(こしべ のぶよし、1933年8月21日 - 20… 越部 信義(こしべ のぶよし、1933年8月21日 - 2014年11月21日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都出身。 子ども向けの楽曲や童謡をはじめ、テレビ・CM・舞台など幅広いジャンルで活躍。NHKのテレビ番組『おかあさんといっしょ』で楽曲制作を約40年にわたり担当したほか、テレビアニメ『サザエさん』の劇伴(BGM)を作曲したことでも知られた。代表作は「おもちゃのチャチャチャ」など。 中学生の頃からピアノのバイエルをはじめる。本人いわく「普通の音楽家より始める時期は遅かった」とのこと。その後、高校在学時にクラシック音楽の作曲家を志す。 1957年、東京藝術大学作曲科卒業。在学時は池内友次郎に師事する。
彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよ… 彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよし)、1933年〈昭和8年〉8月5日 - 2022年〈令和4年〉9月16日)は、日本の作曲家。北海道音更町生まれ、帯広市育ち。札幌市在住。 『長崎は今日も雨だった』など、1960年代後半から1970年代にかけてのムード歌謡のヒットメーカーとして知られる。 馬仲買人の父とカフェを経営していた母の間で音更町の父の実家で生まれるも父は3歳時に死去、幼少期は音更の祖父母と過ごすことも多かった。1940年に帯広小学校に入学後、小学5年生時に池田町へ学童疎開。終戦後帯広中学校に戻り手に職をつけるべく帯広商工高等学校土木科(現・帯広柏葉高等学校)に進学し卓球や家でラジオなど電子工作に傾倒する一方、映画館にも通い時代劇や洋画の劇伴音楽に感銘を受ける。
高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、… 高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、日本の作曲家・音楽家。兵庫県出身、東京都在住。アニメ・TVドラマなどの主題歌を手がけている。
山崎 唯(やまざき ただし、1933年5月29日 - 199… 山崎 唯(やまざき ただし、1933年5月29日 - 1990年12月30日)は、日本のピアニスト、作曲家、声優、タレント。東京都出身。妻は女優の久里千春。 大学教授の長男として誕生。当初は声楽家を目指し、国立音楽大学声楽科を卒業。同大学に進学した時は父の猛反対を受けていた。だがジャズやナット・キング・コールに傾倒してゆき、『渡辺晋とシックス・ジョーズ』のピアニストとしてデビュー。日本で最初のピアノの弾き語りを始める。 人形劇『トッポ・ジージョ』では主人公トッポ・ジージョの声を担当。その個性的な声から、声優としても話題を呼ぶ。 妻の久里千春とはおしどり夫婦として知られ、芸能活動も多かった。また、2人の娘がいて「仲良し家族」としてテレビ出演も多かった。
有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東… 有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。東京音楽大学名誉教授。本名は日暮禮子。師匠は下総皖一、伊福部昭。祖先に有馬晴信。著名な教え子に作曲家の神山奈々、福島弘和らがいる。 1933年5月5日に東京市中野区に生まれる。家族と満州に移住したが、1946年に帰国した。高校在学時に演劇部で作曲した曲が評価されたことを契機に、東京芸術大学音楽部作曲科に入学し、下総皖一に師事する。卒業後に東京音楽大学へ勤務し、学長に就任した伊福部昭に弟子入りした。1965年から1968年に日本コロムビアのディレクターを兼務する。音楽理論、民俗音楽の研究を行い、戦後日本の女性作曲家の先駆的存在として数多くの作品を手掛けた。
服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )… 服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )は日本の作曲家、随筆家、音楽評論家。神奈川県鎌倉市在住。 昭和8年(1933年)、山形県山形市生まれ。音楽教師であった祖母の指導で幼少時よりピアノを始める。 山形県立山形東高等学校卒業後、学習院大学文学部哲学科に入学し、久野収ゼミに所属。大学では皇太子・明仁親王と同学年。学部が違ったためいわゆる「ご学友」ではなかったが、「美術史」など一般教養科目をともに履修し、親しく言葉を交わすこともあったという。現在も宮中の茶会などに招かれる間柄である。学生時代からアマチュアの音楽家として活動し、中田喜直・山田耕筰・團伊玖磨らの知遇を得る。同大学4年の時NHKのオーディションに合格。
渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日 - 19… 渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日 - 1989年6月2日)は、日本の作曲家、音楽家、詩人。東京都出身。愛称は「ナベタケ」。アニメ・テレビドラマ・時代劇映画などの主題歌や劇伴を数多く手がけた。 作品によっては「渡邊岳夫」と表記する場合もある。 作曲家である渡辺浦人の長男として生まれ、武蔵高校、武蔵大学経済学部を卒業した。 23歳の時にフランス・パリへ留学してクラシックを学び、スコラ・カントルム音楽院卒業。その後ラジオ東京(現在のTBSホールディングス)へ入社し、演出部でテレビドラマの制作をするうちに音楽に対する想いが強くなり、同社を退社して音楽家に転身した。 様々なジャンルの作曲を手がけており、特に時代劇やアニメーション作品で印象に残る曲を残している。
萩原 英彦(はぎはら ひでひこ、1933年3月30日 - 2… 萩原 英彦(はぎはら ひでひこ、1933年3月30日 - 2001年10月16日)は、日本の作曲家。東京都生まれ。元武蔵野音楽大学作曲科教授。 1947年より、團伊玖磨の下で和声法、作曲法を学ぶ。その後、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、1956年卒業。作曲を池内友次郎に、ピアノを永井進に師事。 「光る砂漠」「白い木馬」「抒情三章」など合唱の分野で盛んに活動する。破綻のない演奏しやすい音楽が特徴で、調性感のあるいわゆる保守的作風を示す。フォーレの「レクイエム」をはじめとして、フランスのピアノ曲、歌曲、合唱曲の校訂にもたずさわった。 ()内の人物は作詩者。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
一柳 慧(いちやなぎ とし、1933年2月4日 - )は、兵… 一柳 慧(いちやなぎ とし、1933年2月4日 - )は、兵庫県神戸市生まれの作曲家、ピアニスト。
渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watan… 渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watanabe、1933年〈昭和8年〉2月1日 - )は、日本を代表するジャズサクソフォーン奏者、ジャズミュージシャン、作曲家、写真家である。 栃木県宇都宮市出身。 「ナベサダ」の愛称でサックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。世界的な人気を誇る。 写真家としても知られ、これまで6作の写真集を出版している。 ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。 父親は薩摩琵琶奏者。ビング・クロスビー主演の映画「ブルースの誕生」を観て、クラリネットを始める。栃木県立宇都宮工業高等学校を卒業後、1951年に上京。
原 博(はら ひろし、1933年1月24日 - 2002年2… 原 博(はら ひろし、1933年1月24日 - 2002年2月13日)は、日本の作曲家。 埼玉県熊谷市の材木商の家に生まれる。友人の伝手で池内友次郎に師事し、東京芸術大学に入学、1957年に同大を卒業。1958年、日本音楽コンクール室内楽部門第3位。1961年から渡仏し、パリ国立高等音楽院でシモーヌ・プレ=コサード、ジャン・リヴィエに師事、ニースでアレクサンドル・チェレプニン、アンリ・デュティユーにも師事した。1962年、クラリネット五重奏曲がニース国際作曲コンクール第1位。1963年の冬からヴェネツィアに移るも、1964年3月に帰国した。その後、作品発表会等をはじめとして活発な音楽活動をする。
三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013… 三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013年10月4日)は、日本の作曲家。位階は従四位。三善清達の弟。 東京府東京市杉並区阿佐谷(現:東京都杉並区)に生まれる。幼少期より自由学園でピアノ演奏法、音楽基礎を学ぶ。小学校入学の頃から高校まで、ヴァイオリン演奏法と作曲を平井康三郎、のち池内友次郎に師事する。都立高等学校尋常科から同高等科を経て、東京大学に入学。文学部仏文科在学中の1955年から1958年にかけて、フランス政府給費学生としてパリ国立高等音楽院に留学、のち中退。在学中はアンリ・シャラン、レイモン・ガロワ=モンブランに師事した。 1960年、東大文学部仏文科卒業。1963年東京芸術大学講師、1966年桐朋学園大学教授、1970年芸術祭優秀賞受賞。
市川 昭介(いちかわ しょうすけ、1933年(昭和8年)1月… 市川 昭介(いちかわ しょうすけ、1933年(昭和8年)1月4日 - 2006年(平成18年)9月26日)は、日本の作曲家。 福島県郡山市出身。福島県立郡山工業高等学校(現・福島県立郡山北工業高等学校)を卒業した18歳の頃、ハワイアンバンドでの歌手デビューを目指し上京。歌手の高倉敏、鶴田六郎らの付き人(かばん持ち)をする傍ら、作曲とピアノを独学で学ぶ。 1961年(昭和36年)、島倉千代子が歌い第3回日本レコード大賞作曲奨励賞を受賞した『恋しているんだもん』でデビュー。 1962年(昭和37年)、畠山みどりの『恋は神代の昔から』がミリオンセラーとなり、翌年の『出世街道』も連続のミリオンセラーを記録。
今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 201… 今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 2014年1月4日 )は、日本の現代音楽作曲家、舞台演出家、構成作家。別名にまんじ 敏幸(まんじ としゆき)、島 敏幸(しま としゆき)。 純音楽や歌曲の作曲活動だけでなく、映像音楽、劇音楽、舞踊音楽などにも多くの作品を残す一方、まんじ敏幸の別名で舞台・演劇の構成作家や演出を手がけ、劇団を創設した。さらに島敏幸のペンネームで歌曲の作詞をするなど、ジャンルを超えた幅広い芸術活動を精力的に展開してきた。その間、ヨネヤマ・ママコ、三条万里子、土方巽、小松原庸子らを指導し、世に送り出した。また、土方巽や“舞踏(BUTOH)”の命名者としても知られる。
鈴木 勲(すずき いさお、1933年1月2日 - 2022年… 鈴木 勲(すずき いさお、1933年1月2日 - 2022年3月8日)は、日本のジャズベース、コントラバス奏者及び作曲家。ニックネームはオマスズ、オマさん。東京都出身。 立教大学在学中、来日したルイ・アームストロング・オールスターズの公演を聴き特にベース奏者のミルト・ヒントンに衝撃を受ける。1956年には米軍ベースキャンプで演奏を始める。その後松本英彦カルテット、渡辺貞夫グループに入り活動。また自己のグループ結成後ファイブスポット等でライブ活動を行う。1963年の「幻の銀巴里セッション」でも菊地雅章、富樫雅彦、金井英人とのセッションを残している。1970年、来日したアート・ブレイキーにスカウトされ渡米、ジャズ・メッセンジャーズ(英語版)の一員となり全米、欧州をツアー。
川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月1… 川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月18日)は、日本の作曲家。 栃木県足利市出身。東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を師事した後、桐朋学園大学研究生指揮科を修了した。愛知教育大学教授と名古屋音楽大学教授を歴任し、現在は愛知教育大学名誉教授。 2013年11月瑞宝中綬章受章。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。