塩崎 公寿(しおざき きみとし、1973年5月24日 - )… 塩崎 公寿(しおざき きみとし、1973年5月24日 - )は、日本のラグビーレフリー(審判員)。大分県豊後高田市(旧西国東郡香々地町)出身。現役時代のポジションは、ウイング(WTB)、フルバック(FB) 豊後高田市香々地小学校、香々地中学校、大分県立高田高等学校、大阪体育大学卒業後、大分の高校教師をやりながらクラブチームでプレーしていたが、1999年からレフリーを始めた。 2010年 A1級レフリーに昇格 2010年 トップリーグ第4節、三洋電機対NTTコミュニケーションズにてトップリーグの初担当 2014年 第94回全国高等学校ラグビーフットボール大会 決勝担当 2018年 A級レフリーに昇格。
廣瀬佳司(ひろせ けいじ、1973年4月16日 - )は、日… 廣瀬佳司(ひろせ けいじ、1973年4月16日 - )は、日本の元ラグビー選手。トヨタ自動車ヴェルブリッツに所属した。
星野 明宏(ほしの あきひろ、1973年3月4日 - )は、… 星野 明宏(ほしの あきひろ、1973年3月4日 - )は、日本の経営者、教育者、ラグビーユニオン指導者。東京都町田市出身。 町田市立小川小学校、桐蔭学園中学校・高等学校、立命館大学法学部を経て、1995年より株式会社電通に勤務。その後、筑波大学大学院で学び、静岡聖光学院中学校・高等学校へ勤務。寮教員から始まり、担任、学年主任、教頭、副校長を経て、赴任後15年目に学校長を務める。 2020年にコロナウイルスが猛威を振るい始め、当時の安倍首相から全国一斉休校要請が発令される2020年2月27日よりも前に、”生徒の安全確保のために登校を停止するが、学校機能は止めない”独自の休校を決めた。翌2月28日にはホームページ上で学校方針を発表し、翌週の3月2日から全国で最も早くオンライン授業に踏み切った。
渡邉 大吾(わたなべ だいご。1973年1月22日 - )は… 渡邉 大吾(わたなべ だいご。1973年1月22日 - )は日本のラグビー選手。元競輪選手(日本競輪選手会愛知県支部所属)である。山梨県出身。天理高校、明治大学時代はラグビーのトップ選手として鳴らしたが、ラグビー選手としてのキャリアは大学で一旦途切れ、その後競輪界入りした。
竹内 克(たけうち かつ、1973年1月12日 - )は、日… 竹内 克(たけうち かつ、1973年1月12日 - )は、日本のラグビー指導者。元ラグビー選手。三重県出身。 ラグビーは高校から始めた。 松阪高校卒業後、ニュージーランドへ渡って10年間ノーストン・ユナイテッドPFCでプレーした。 1999年、New Zealand Institute of Sport (NZIS)に入社。2009年、ニュージーランドラグビーリンクス社を設立。 その後、ウェリントン・ウエスト・ロースターズ・U18日本代表などのコーチを経て、2016年、U20日本代表のバックスコーチに就任。 2018年、NTTドコモレッドハリケーンズのアシスタントコーチに就任。
坂田 正彰(さかた まさあき、1972年11月25日 - )… 坂田 正彰(さかた まさあき、1972年11月25日 - )は、日本の元ラグビー選手。引退後はサントリーサンゴリアスの広報兼渉外担当スタッフ、チームのゼネラルマネージャーを務めた。
天野 慶久(あまの よしひさ、本名同じ、1972年11月22… 天野 慶久(あまの よしひさ、本名同じ、1972年11月22日 - )は、日本の元ラグビー選手、俳優。ケイダッシュ所属。 ポジションはフランカーおよびナンバー8。国学院久我山高等学校では全国高等学校ラグビーフットボール大会ベスト8。明治大学に進学。在学中には、関東大学対抗戦で4年間全勝優勝、全国大学ラグビーフットボール選手権大会で優勝2回、準優勝1回、日本選手権に出場。第1回ジャパンセブンス選手権大会で優勝。卒業後はオーストラリア、イングランド留学を経て、サントリーに入社して活躍した。U23日本代表、日本A代表、日本代表、関東代表、7人制日本代表、10人制日本代表に選出された。 海外クラブチームでプレーしていた時期があり、ゴードン(シドニー)、サニーバンク(ブリスベン)(以上、オーストラリア)、ワンプス(ロンドン)などに在籍していた。
天野 義久(あまの よしひさ、本名同じ、1972年11月22… 天野 義久(あまの よしひさ、本名同じ、1972年11月22日 - )は、日本の元ラグビー選手、俳優。ケイダッシュ所属。
南條 賢太(なんじょう けんた、 1972年11月22日 -… 南條 賢太(なんじょう けんた、 1972年11月22日 - )は、 大阪府東大阪市出身の元ラグビー選手である。2003年以降は「南條 健太」名義で選手登録。 小学校高学年時に『いじめ』に遭い、玉川中学校へ進学した際に楕円球と出会い、強くなりたい一心でラグビーを始める。 大阪工業大学高校に進学し、高校3年時には大阪府代表として国体優勝、全国高校ラグビー大会では第3位、高校日本代表入りを果たす。 高校卒業後は明治大学に進学。ラグビー部では3年から正PR(プロップ)として出場し1993年度の大学選手権優勝に貢献。4年時には主将を務めた。 大学卒業後の1995年に神戸製鋼へ入社。阪神淡路大震災の被害により、瓦礫が山の様に積み込まれる灘浜グランドで社会人ラグビー選手としての一歩を踏み出す。
朽木 雅文(くつき まさふみ、1972年6月15日 - )は… 朽木 雅文(くつき まさふみ、1972年6月15日 - )は、日本のラグビー指導者。現在若狭東高校ラグビー部の監督を務めている。 若狭東高校、日本体育大学を経て、若狭高校ラグビー部監督に就任。その後若狭東高校ラグビー部の監督に就任。 2023年、監督として第103回全国高等学校ラグビーフットボール大会にて敦賀工業高校と共に学校の統廃合以外で合同チームでの花園出場を経験した。 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJラグビー/Pラグビー)。
増保 輝則(ますほ てるのり、1972年1月26日 - )は… 増保 輝則(ますほ てるのり、1972年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手。元神戸製鋼コベルコスティーラーズ監督。現在ジャパンラグビーリーグワンコベルコ神戸スティーラーズのアドバイザーを務めている。 淑徳小学校→城北中学・高校→早稲田大学 城北中学でラグビーを始める。城北高校3年時に高校日本代表の主将としてスコットランド遠征に参加。 早稲田大学に進学後、戦後最年少(当時)となる19歳3か月で日本代表に選出され、WTB(ウイング)として活躍。在学中に大学選手権準優勝2回。 1994年に神戸製鋼に入社し、1年目から中心選手として活躍。 1995年の第3回W杯では、ニュージーランド戦で大敗した戦犯の1人としてマスコミのバッシングを受けたが、その後大学時代から太り気味だった体を見事にシェイプアップし、本来の鋭いキレを取り戻し日本代表へ復帰。
新井 昭夫(あらい あきお、1972年 - )は、日本のラグ… 新井 昭夫(あらい あきお、1972年 - )は、日本のラグビー指導者。2021年から本庄第一高校ラグビー部の監督を務めている。 熊谷工業高校、日本体育大学を経て、三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入社。熊谷工業高校時代、主将を務めて第70回大会での花園優勝に貢献。 現役引退後、埼玉の中学校教員・寄居中学校ラグビー部監督を経て2021年、本庄第一高校ラグビー部の監督に就任。
黒田 弘則(くろだ ひろのり、1971年9月11日 - )は… 黒田 弘則(くろだ ひろのり、1971年9月11日 - )は、日本のラグビー指導者。現在札幌山の手高校ラグビー部の監督を務めている。 釜石南高校、国士舘大学、国士舘大学のコーチを経て、札幌山の手高校ラグビー部のコーチに就任。 2022年、監督に昇格。
元木 由記雄(もとき ゆきお、1971年8月27日 - )は… 元木 由記雄(もとき ゆきお、1971年8月27日 - )は、大阪府東大阪市英田出身の元ラグビー選手。
杉本 誠二郎(すぎもと せいじろう、1971年6月25日 -… 杉本 誠二郎(すぎもと せいじろう、1971年6月25日 - )は、日本のラグビー指導者。 啓光学園高校、大阪体育大学、日本IBMを経て、1999年、啓光学園高校ラグビー部コーチに就任し、2004年、記虎敏和の後を受けて監督に就任。同年度に戦後最多となる高校ラグビー4連覇に貢献。 2013年、常翔啓光学園高校ラグビー部監督を辞任。 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJラグビー/Pラグビー)。
浜辺 和(はまべ かず、1971年5月31日 - )は、日本… 浜辺 和(はまべ かず、1971年5月31日 - )は、日本の元ラグビー選手。 羽咋工業高校卒業後、1990年、近鉄(現・花園近鉄ライナーズ)に加入。 1996年6月9日に行われたパシフィック・リム選手権カナダ戦で日本代表初キャップを獲得した。 2008年、近鉄ライナーズを退団した
伊藤剛臣(いとう たけおみ、1971年4月11日 - )は、… 伊藤剛臣(いとう たけおみ、1971年4月11日 - )は、日本のラグビー選手。釜石シーウェイブス所属。
清水 秀司(しみず しゅうじ、1971年3月22日 - )は… 清水 秀司(しみず しゅうじ、1971年3月22日 - )は、日本の元ラグビー選手。 ラグビーを始めたきっかけは太っていたことから。 1989年、旭野高校卒業後、明治大学に入学する。 1992年、明治大学ラグビー部の副将に就任した。 1993年、明治大学卒業後、神戸製鋼(現・神戸製鋼コベルコスティーラーズ)に加入。 2008年、現役を引退した。
永友 洋司(ながとも ようじ、1971年3月14日 - )は… 永友 洋司(ながとも ようじ、1971年3月14日 - )は 日本の元ラグビー選手、指導者。現在ジャパンラグビーリーグワン横浜キヤノンイーグルスのGMを務めている。2024年6月1日から、日本ラグビーフットボール協会所属で15人制男子日本代表のチームディレクターに就任。 都城高校入学後にラグビーを始める。兄がラグビーをやっていたこと、1985年の日本代表vsフランス代表を見て、同じ宮崎県出身の小西義光が活躍しているのに触発されたことが、ラグビーを始めたきっかけだった。高校入学後はめきめきと実力を発揮し、1987年全国高校ラグビー選手権ではベスト4 まで進出した。この活躍が認められ、高校日本代表に選出された。
本間 篤史(ほんま あつし、1971年2月3日 - )は、北… 本間 篤史(ほんま あつし、1971年2月3日 - )は、北海道札幌市出身の車いすカーリング選手、車いすラグビー選手。かつてはモーグル選手として活躍していたが、大怪我を負った後、パラスポーツ競技に取り組んだ。 北海道札幌工業高等学校時代はアルペンスキー選手だったが高校卒業後、アサヒビールに入社した1989年からモーグル選手に転向した。 1998年長野オリンピックの指定強化選手にもなったが、同年3月、スキー滑走中に転倒し、頸椎損傷、第7頸骨粉砕骨折、第5,6頸骨ヒビの大怪我を負い、首から下が不自由になり車椅子生活を余儀なくされる。 2000年春にアサヒビールの社業に復帰。 大怪我からの復帰以降はパラスポーツに取り組み、チェアスキー、車いすラグビー、車いすカーリングなどに挑戦。
澤木 賢一(さわき けんいち、1971年1月19日 - )は… 澤木 賢一(さわき けんいち、1971年1月19日 - )は、日本のラグビー指導者。現在秋田工業高校ラグビー部の監督を務めている。 秋田工業高校、日本体育大学を経て、秋田ノーザンブレッツに入る。 現役引退後は秋田工業高校ラグビー部のコーチを経て、2023年、監督に昇格。
瀬川 智広(せがわ ともひろ、1970年10月21日 - )… 瀬川 智広(せがわ ともひろ、1970年10月21日 - )は、日本のラグビー指導者、摂南大学スポーツ振興センター准教授、同ラグビー部監督。元ラグビー選手。 高校からラグビーを始めた。 1989年、明石西高校卒業後、大阪体育大学に入る。 1993年、大阪体育大学卒業後、東芝府中ラグビー部(現・東芝ブレイブルーパス)に加入。 2000年、東芝府中ラグビー部のコーチに就任。 2007年、東芝ブレイブルーパスの監督に就任。 2011年、東芝ブレイブルーパスの監督を退任。 2012年、7人制日本代表のヘッドコーチに就任。 2016年8月ヘッドコーチとしてリオ五輪男子7人制代表を率い、プール戦で強豪のケニア、ニュージーランドを破る快挙を達成。
藤原 幹治(ふじわら かんじ、1970年9月25日 - )は… 藤原 幹治(ふじわら かんじ、1970年9月25日 - )は、日本のラグビー指導者。現在敦賀工業高校ラグビー部の監督を務めている。 中学までは野球をやっていて高校からラグビーを始めた。 神戸高校、京都教育大学を経て、1995年、川西明峰高校ラグビー部監督に就任。2007年、敦賀工業高校ラグビー部の監督に就任。 2023年、監督として第103回全国高等学校ラグビーフットボール大会にて花園常連校若狭東と共に学校の統廃合以外で合同チームでの花園出場を経験した。 2021年に敦賀工業高校ラグビー部は部員数ゼロとなるもどの部活にも所属していなかった生徒を誘って何とかラグビー部を維持した。
中村 航(なかむら こう、1970年6月16日 - )は、日… 中村 航(なかむら こう、1970年6月16日 - )は、日本の整体師、元ラグビー選手。旧名『井沢航』。 相模台工業高校、リコー、大東文化大学、東京ガスを経て、1998年、三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に加入。なお大東文化大学時代、主将を務めた。 1995年2月11日に行われたトンガ戦で日本代表初キャップを獲得した。 現役を引退後、2008年、あさか整骨院開業。
石井 龍司(いしい りゅうじ、1970年5月13日 - )は… 石井 龍司(いしい りゅうじ、1970年5月13日 - )は、日本のラグビー指導者。 三好高校卒業後、トヨタ自動車(現・トヨタヴェルブリッツ)に加入。 1999年8月20日に行われたパシフィック・リム選手権スペイン戦で日本代表初キャップを獲得した。 2004年、現役を引退後、トヨタ自動車ヴェルブリッツのFWコーチを経て、2007年、トヨタ自動車ヴェルブリッツの監督就任。 2010年、トヨタ自動車ヴェルブリッツの監督を退任した。
松田 努(まつだ つとむ、1970年4月30日 - )は、日… 松田 努(まつだ つとむ、1970年4月30日 - )は、日本の元ラグビー選手。 草加高校でラグビーを始め、関東学院大学進学後にナンバー8からフルバックに転向。トレードマークの長髪をなびかせながら大股のストライドでピッチを駆け抜けるランニングで学生時代より注目を浴びる。 大学卒業後に東芝府中へ入社。1996年からは当時の監督向井昭吾の「PからGO」の戦術のもと、日本選手権3連覇を達成するなどチームの中心選手となった。 日本代表には大学在学中のラグビーワールドカップ1991メンバーにも選出されるも、出場機会はなかった。1992年の香港戦で初キャップを獲得。その後日本代表の正FBに定着し、ラグビーワールドカップ1995、ラグビーワールドカップ1999、ラグビーワールドカップ2003に3大会連続出場した。
戸田 京介(とだ きょうすけ、1970年4月5日 - )は、… 戸田 京介(とだ きょうすけ、1970年4月5日 - )は、日本のラグビーレフリー(審判員)。レフリーと兼任で岐阜県高校教諭。現在は県教育委員会に出向(以前は、岐阜北高校の教諭も務めていた)。岐阜県出身。 岐阜大学時代、当初はサッカー部に入っていたが、部長兼監督であった松岡敏男に勧誘され2年生時からラグビー部に入部する。卒業後、レフリーを始める。 2003年9月21日、トップリーグ初年度第2節の近鉄ライナーズ対セコムラガッツにてトップリーグでのレフリーを初担当。 2021年5月9日、トップリーグ最終年のプレーオフトーナメント準々決勝のクボタスピアーズ対神戸製鋼コベルコスティーラーズを最後に、トップグレードのレフリーを引退した。
小村 淳(こむら あつし、1970年3月17日 - )は、北… 小村 淳(こむら あつし、1970年3月17日 - )は、北海道亀田郡七飯町出身の元ラグビー選手・現ラグビー指導者。 函館有斗高では1年時にラグビーを始め、安本文康の指導を受ける。2年時に全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園)出場、高校日本代表入りし主将を務めた。 明治大では全国大学ラグビー選手権大会(大学選手権)で1年生からレギュラーで1・3・4年生で優勝、4年生で主将で明治大初の大学選手権2連覇。大学日本代表入りしU19とU23で出場。 神戸製鋼では日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)優勝4度、1996〜1998年主将、日本代表入りし4キャップ。 現役引退後は、多くのチームでヘッドコーチやフォワードコーチを務める。
平池 三記(ひらいけ みき、1969年9月15日 - )は、… 平池 三記(ひらいけ みき、1969年9月15日 - )は、日本のラグビー指導者。前・常翔学園高校ラグビー部監督。香川県出身。 坂出高校、大阪教育大学を経て、一般企業に就職。1999年、大阪工業大学高校(現:常翔学園高校)の数学教師になって2001年、大阪工業大学高校ラグビー部副部長に就任。 2022年9月、部員の不祥事に伴う野上友一監督兼部長の引責辞任を受けて常翔学園高校ラグビー部監督および部長に就任。同年、女性監督として初の花園指揮となったが、初戦(Bシードで、2回戦から登場)で尾道高校に敗戦。 2023年度は、選抜大会でベスト4に進出も、5月の府総体では秋の花園予選Aシード獲得圏の3位以内に入れず、第3地区Bシードで迎えた花園予選決勝にてAシードの東海大大阪仰星高校に敗戦し、この試合をもって監督を退いた(部長職は継続)。
相良 南海夫(さがら なみお、1969年8月14日 - )は… 相良 南海夫(さがら なみお、1969年8月14日 - )は、日本のラグビー指導者。 早稲田大学高等学院、早稲田大学を経て、1992年、三菱重工相模原(現・三菱重工相模原ダイナボアーズ)に加入。なお早稲田大学時代、ラグビー部主将を務めた。 2000年、三菱重工相模原の監督就任。8年間務めた 2018年、早稲田大学の監督に就任。 2020年、監督として大学選手権で早稲田11年ぶりの優勝を果たす。翌2021年、早稲田大学監督を退任。
東 考三(ひがし こうぞう 1969年8月4日 -)は日本の… 東 考三(ひがし こうぞう 1969年8月4日 -)は日本の元ラグビー選手、元自衛官(陸上自衛隊)で、現在はNTTドコモレッドハリケーンズのFWコーチ。鹿児島電子工業高等学校(現鹿児島情報高等学校)卒。トップリーグのNECグリーンロケッツに所属していた。2010年度から2011年度までは鹿児島情報高等学校ラグビー部顧問。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島電子工業高等学校(現在の鹿児島情報高校)在学時代は野球部の主将であった。卒業後陸上自衛隊に入隊。千葉県習志野市の習志野駐屯地に団本部を置く第1空挺団落下傘部隊に所属。 訓練でラグビーと出会い、千葉県代表に選抜され国民体育大会に出場、その際にNECグリーンロケッツの監督の目に留まり1997年に入団。
藤井 雄一郎(ふじい ゆういちろう、1969年5月28日 -… 藤井 雄一郎(ふじい ゆういちろう、1969年5月28日 - )は、日本の元ラグビー選手で、トップリーグ福岡サニックスブルースの部長兼監督。現役時代のポジションはセンター(CTB)、ウィング(WTB)。
吉田義人(よしだ よしひと、1969年2月16日 - )は、… 吉田義人(よしだ よしひと、1969年2月16日 - )は、日本の元ラグビー選手、ラグビー指導者。 小学3年生からラグビーを始め、男鹿東中時代に東日本中学生大会優勝。秋田工業高校では1年時からレギュラーとなり(名門チームの歴史においては、野球部と掛け持ちしていた落合博満にもできなかった偉業)。高校3年夏には高校日本代表としてニュージーランドに遠征。高校ニュージーランド代表とも対戦した。 早くから各大学のスカウトが目に留め、本人の将来が体育教師志望という事もあり日体大に進学が決まりかけていたが、明治大学のセレクター(明治大学ラグビー部選手選抜委員)が日体大側を拝み倒して明大進学が決まった。北島忠治監督は吉田を明治のラグビー練習場・八幡山グラウンドで一目見て「これは将来の日本を背負う逸材だ」と見抜いた。
中村 直人(なかむら なおと、1969年1月18日 - )は… 中村 直人(なかむら なおと、1969年1月18日 - )は、日本の実業家、元ラグビー選手。競技引退後は、祖父が創業した酒類販売店「なおかつ」の代表取締役社長を務めている。 洛北高校(同期にサッカー選手・指導者の曺貴裁がいる)、同志社大学を経て、1991年、サントリー(現:東京サントリーサンゴリアス)に加入。 1998年5月3日に行われたパシフィック・リム選手権カナダ戦で日本代表初キャップを獲得した。 2002年、現役を引退した。 その後サントリーサンゴリアス、キヤノンイーグルスのコーチを経て、2013年、同志社高校のヘッドコーチ就任。
木村 賢一(きむら けんいち、1968年12月29日 - )… 木村 賢一(きむら けんいち、1968年12月29日 - )は、日本の元ラグビー選手。 大阪体育大学卒業後、1991年、トヨタ自動車(現・トヨタヴェルブリッツ)に加入。 1996年6月9日に行われたパシフィック・リム選手権カナダ戦で日本代表初キャップを獲得した。 太田治 - 木村賢一 - 藤田剛 - 薫田真広 - 田倉政憲 - 高橋一彰 -林敏之 - 大八木淳史 - エケロマ・ルアイウヒ - 梶原宏之 - 中島修二- 宮本勝文 - 大内寛文 -シナリ・ラトゥ 村田亙 - 堀越正巳 - 松尾勝博 -青木忍 - 吉田義人 - 平尾誠二 - 朽木英次 - 増保輝則 - 元木由記雄 - 松田努- 細川隆弘 - 前田達也 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。
羽根田 智也(はねだ ともや、1968年12月21日 - )… 羽根田 智也(はねだ ともや、1968年12月21日 - )は、日本のラグビー指導者。 関西大倉高校、龍谷大学を経て、1991年、ワールドに加入。 1995年2月11日に行われたトンガ戦で日本代表初キャップを獲得した。 現役を引退後、2020年、龍谷大学のコーチに就任。
堀越正己(ほりこし まさみ、1968年11月27日- )は、… 堀越正己(ほりこし まさみ、1968年11月27日- )は、日本の元ラグビー選手・指導者である。元早稲田大学ラグビー蹴球部、元神戸製鋼コベルコスティーラーズ選手。現在は立正大学ラグビー部監督。埼玉県熊谷市出身。選手時代のポジションはスクラムハーフ (SH)。 中学時代までは野球に熱中しプロ野球選手を目指していたが、背の低さのため断念すると、先輩の勧めもあって県下のラグビー強豪校だった熊谷工業高校に進学。1年時からスクラムハーフを務めると、全国高校大会では控え選手としてベスト4。2年時には埼玉県選抜に選ばれ国民体育大会で初優勝、全国高校大会ではベスト4。3年時には高校日本代表に選出されニュージーランド遠征に参加、全国高校大会では準優勝を経験した。
丹羽 政彦(にわ まさひこ、1968年11月23日 - )は… 丹羽 政彦(にわ まさひこ、1968年11月23日 - )は、日本のラグビー指導者、元ラグビー選手。北海道苫前郡苫前町生まれ。現役時代のポジションはウィング(WTB)。 元明治大学ラグビー部監督。現在、北海道ラグビーフットボール協会W杯準備委員会委員長。 羽幌高校時代、北海道遠征に来ていた北島忠治(明治大学ラグビー部監督)に見出され、明治大学に進学。 明大4年時には大学選手権優勝に貢献した。大学の同期である吉田義人とは、バックスで名コンビであった。 大学卒業後は清水建設に入社。関東社会人リーグで2度の優勝を経験し主将も務めた。 2013年に吉田義人の後任として明治大学ラグビー部の監督に就任し、2017年度まで監督を務めた。
成田 仁(なりた じん、1968年10月30日 - )は、日… 成田 仁(なりた じん、1968年10月30日 - )は、日本のラグビー指導者。現在上武大学ラグビー部の監督を務めている。現役時代のポジションはスクラムハーフ(SH)。 東農大二高校、国士舘大学を経て、1991年、明和県央高校ラグビー部のコーチに就任。1999年、監督に昇格。26年間務めた。 2025年、同年創設の上武大学ラグビー部の監督に就任。
小口 耕平(おぐち こうへい、1968年10月6日 - )は… 小口 耕平(おぐち こうへい、1968年10月6日 - )は、日本の実業家、元ラグビー選手。丸昌エンターテインメントの代表取締役を務めている。 大東大一高校、大東文化大学、伊勢丹を経て、リコー(現・リコーブラックラムズ東京)に加入。なお大東文化大学時代、主将を務めた。 1997年6月7日に行われたパシフィック・リム選手権アメリカ合衆国戦で日本代表初キャップを獲得した。 2006年、現役を引退して丸昌の代表取締役に就任。
横田 典之(よこた のりゆき、1968年3月8日 - )は、… 横田 典之(よこた のりゆき、1968年3月8日 - )は、日本のラグビー指導者。現在熊谷高校ラグビー部の監督を務めている。 高校からラグビーを始めた。 熊谷工業高校、日本体育大学を経て、吉見高校の教師になる。なお日本体育大学時代、主将を務めた。 2000年、深谷高校ラグビー部の監督に就任。18年監督を務めて花園9度出場。後の日本代表山沢拓也ら選手を数多く育て上げた。 2018年、熊谷高校ラグビー部の監督に就任。
青木 忍(あおき しのぶ、1968年1月26日 - )は、日… 青木 忍(あおき しのぶ、1968年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手及び元ラグビー監督。 大東大一高校時代、1985年度の全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝を経験。1986年に大東文化大学(以下、大東大)に入学し、1年次よりレギュラーの座を掴む。そして同年度の第23回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)において、同じく1年生だったシナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアのトンガからの留学生らとともに、早稲田大学(以下、早大)を決勝で破って、大東大の初優勝に貢献。 1988年度の第25回大学選手権では、明治大学と、決勝で12-12の引き分けながらも2度目の大学日本一を経験。
村田 亙(むらた わたる、1968年(昭和43年)1月25日… 村田 亙(むらた わたる、1968年(昭和43年)1月25日 - )は日本の元ラグビー選手、現専修大学監督。
藤原 秀之(ふじわら ひでゆき、1968年1月10日 - )… 藤原 秀之(ふじわら ひでゆき、1968年1月10日 - )は、日本のラグビー指導者。現在桐蔭学園高校ラグビー部監督を務めている。 高校からラグビーを始めた 大東大一高校卒業後、日本体育大学に入る。なお大東一高校時代、花園優勝経験。 日本体育大学卒業後、1990年、桐蔭学園高校のラグビー部コーチに就任。 2002年、監督に就任。2011年、監督として花園初優勝を経験。
今泉 清(いまいずみ きよし、1967年9月13日 - )は… 今泉 清(いまいずみ きよし、1967年9月13日 - )は、大分県大分市出身の日本の元ラグビー選手。天衣無縫ともいえるプレーぶりから、多くのファンの支持を集めた。 東京都世田谷区生まれ。1971年に大分県に移り、6歳でラグビーを始める。一浪を経て入学した大分県立大分舞鶴高校では、2年生の時に飛騨誠(後に明治大学で副主将を務め、神戸製鋼で活躍)を擁する大分水産高校に敗れて全国高校ラグビー大会出場を逃す屈辱を味わうも、ナンバー8、フランカーとして活躍。早稲田大学進学後、木本建治監督によりウィング(WTB)にコンバートされ、その後フルバック(FB)に転向し、早稲田を代表する選手として活躍した。 ゴールキックを蹴る際には、一歩、二歩とゆっくり後進する歩調に合わせて、スタンドから「1、2、3、4、5!」と掛け声がかかり、それが競技場全体を包む空気となった。
原田 隆司(はらだ たかし、1967年7月27日 - )は、… 原田 隆司(はらだ たかし、1967年7月27日 - )は、日本の元ラグビーレフリー(審判員)。現在ジャパンラグビーリーグワン三重Honda HEATのアドバイザーを務めている。 北野高校、大阪教育大学を経て、小学校の教員を続けながら1991年からレフリーを始める。 なおトップリーグでは2003-2004シーズン第1節のワールドファイティングブル対ヤマハ発動機にてアシスタントレフリーでトップリーグでのレフリー初担当。 2008年 試合中にプレイヤーにタックルされ、右膝前十字靭帯を断裂。3年間に渡るリハビリを経て、2012年に復帰。 2012年 試合中に、再度、左膝前十字靭帯を断裂。その後3年間に渡るリハビリの間、大阪・関西の若手レフリーの育成に貢献。
清宮 克幸(きよみや かつゆき、1967年7月17日 - )… 清宮 克幸(きよみや かつゆき、1967年7月17日 - )は、大阪市福島区出身の元ラグビー選手で、早稲田大学ラグビー蹴球部の元監督。トップリーグヤマハ発動機ジュビロの監督。現役時代のポジションはナンバーエイト、フランカー。長男は清宮幸太郎。
加藤 尋久(かとう ひろなが、1967年6月16日 - )は… 加藤 尋久(かとう ひろなが、1967年6月16日 - )は、埼玉県出身の元ラグビー選手、ラグビー指導者。ポジションはSO(スタンドオフ)、CTB(センター)。 現在は東京都世田谷区用賀にあるトレーニングサロン「エウレカ」の代表としてパーソナルトレーニングを中心に行なっている。 ・ブルテリアを2匹(ブンタとバナナ)飼っている 熊谷工業でラグビーを始める。スタンドオフとして全国大会4強2回。 1986年、明治大学に入学。2年生の時には伝説の「雪の早明戦」に出場した。 1990年、神戸製鋼に入社、同社ラグビー部(現神戸製鋼コベルコスティーラーズ)に入部しV3~V7の5年間在籍。日本代表ではアルゼンチン遠征でキャップ2。
細川 隆弘(ほそかわ たかひろ、1967年4月1日 - )は… 細川 隆弘(ほそかわ たかひろ、1967年4月1日 - )は、日本の元ラグビー選手。
大内 寛文(おおうち ひろふみ、1966年11月17日 - … 大内 寛文(おおうち ひろふみ、1966年11月17日 - )は、日本の元ラグビー選手で、現在は住職。また、龍谷大学ラグビー部元監督。 広島県竹原市に所在する浄土真宗本願寺派 日照山 長善寺が実家。 竹原高校を経て、リコーに進む。1990年10月27日に行われた韓国戦が日本代表としての初キャップ。以後通算5キャップを獲得した。 1991年、リコーを一旦退職し実家を継ぐために必要な浄土真宗の僧侶の資格を得る目的で、龍谷大学短期大学部に入学し、龍谷大学ラグビー部に入部した。当時の同チームは関西大学リーグのAリーグに上がったばかりの頃だったが、大内の加入が刺激となり、1993年度以降、6年連続で全国大学選手権の出場を果たすことになる。