黒井 和男(くろい かずお、1938年7月7日 - )は、日… 黒井 和男(くろい かずお、1938年7月7日 - )は、日本の映画プロデューサー。キネマ旬報社、角川映画の元社長、シネマ・インヴェストメントの元会長。黒井オフィス代表。 本名は土橋寿男。父親の土橋治重は、ジャーナリスト、詩人、作家。 日本大学藝術学部映画学科卒業後、株式会社興行通信社に入社した。映画の配給・興行に精通し、映画プロデューサー・コーディネーターなどで数多くの映画製作に携わる。 また、白井佳夫時代の『キネマ旬報』に業界記事の執筆を依頼され、本名では問題があると、白井の妻の名前にちなんで「黒井和男」というペンネームをつける。のち1973年ごろから、白井とのコンビ「ビアンコ・エ・ネーレ」で海外に行き、現地の映画情報を伝える記事を作る。
中島 銀兵(なかじま ぎんぺい、1938年〈昭和13年〉6月… 中島 銀兵(なかじま ぎんぺい、1938年〈昭和13年〉6月6日- 1996年〈平成8年〉2月23日)は、元日本テレビ放送網のプロデューサー・ディレクター。 富山県出身。富山県立福野高等学校、成城大学文芸学部卒業。1963年に日本テレビ入社。同期入社に小林完吾(南日本放送から移籍)、今村倫子、青尾幸、徳光和夫、細川知正(元日本テレビ取締役最高顧問)がいる。 テレビ業界を志望した理由は、学生時代に当時の人気番組『お笑い三人組』(NHK)を観覧して、番組制作に憧れたためだと言う。 念願叶い開始直後の『笑点』にADとして配属、漫才ブーム時も『お笑いスター誕生!!』など多数の漫才番組を担当、その後も一貫して演芸・お笑い番組の制作を手掛けた。
植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は… 植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は、日本のテレビプロデューサー・会社役員、伝記作家。 愛媛県松山市に生まれる。父植村清二は東洋史学者で、作家直木三十五の実弟。新潟県立新潟高等学校を経て1962年早稲田大学第一文学部史学科卒業、東映入社。 1964年テレビ東京入社。1994年同局常務取締役。1999年テレビ東京制作代表取締役社長を経て、DACグループ顧問、一般社団法人STEP理事。 2005年『直木三十五伝』で第19回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞受賞、2007年『歴史の教師植村清二』で第55回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
中村 敏夫(なかむら としお、1938年(昭和13年)2月1… 中村 敏夫(なかむら としお、1938年(昭和13年)2月18日 - 2015年(平成27年)5月26日)は、日本のプロデューサー。実業家。宮崎県出身。 1960年(昭和35年)立教大学文学部卒業後、松竹に入社。 フジプロダクションを経て、1980年(昭和55年)にフジテレビに入社。主にドラマの制作畑を歩み、国民的ドラマ『北の国から』や『オレゴンから愛』などをプロデュースした。制作室長、取締役(1997-2001)を歴任し、2001年(平成13年)に退職。フジクリエイティブコーポレーション副社長に転じ、北海道文化放送取締役(2006-)、フジアール取締役なども務めた。 2015年5月26日、急性肺炎のため死去。
徳増 俊郎(、1938年〈昭和13年〉2月14日 - )は日… 徳増 俊郎(、1938年〈昭和13年〉2月14日 - )は日本の映画プロデューサー。宮城県石巻市出身。東宝映画所属。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松下 武義(まつした たけよし、1938年2月10日 - )… 松下 武義(まつした たけよし、1938年2月10日 - )は日本の実業家、徳間書店代表取締役相談役、多摩大学大学院経営情報学研究科客員教授、元・加州住友銀行代表取締役会長、元・東京総合信用代表取締役社長、クオーク初代代表取締役会長、元・大映代表取締役社長、元・徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役会長。 1938年生まれ。富山県高岡市出身。高岡市立中田小学校、高岡市立中田中学校を経て、富山県立高岡高等学校にて学んだ。上京し、学習院大学の政経学部に入学し、1960年に卒業する。 大学卒業後、住友銀行に入行する。1985年に取締役となり、以降1988年に常務、1991年に専務に就任した。1992年、住友グループに属する信販会社である東京総合信用の社長に就任した。
楠部 三吉郎(くすべ さんきちろう、1938年1月1日 - … 楠部 三吉郎(くすべ さんきちろう、1938年1月1日 - 2020年3月20日)は、日本のアニメーションプロデューサー。シンエイ動画株式会社名誉会長・元代表取締役社長。旧・満洲国生まれ、群馬県沼田市出身。楠部大吉郎(Aプロダクション・シンエイ動画創業者、前代表取締役会長)は実兄、ライターの楠部工は甥、イラストレーターの楠部文は姪に当たる。 俳人だった父(楠部南崖)を関東軍将校が「取り巻き」の一人として旧満洲国に連れて行ったことから、自身も満洲で生まれ育つ。終戦とともに引き上げ、群馬県沼田市に居住した。群馬県立沼田高等学校から明治学院大学経済学部卒。楠部自身の記述では高校卒業後、酒問屋で1年半勤めてから受験して明治学院大に進んだものの、授業には全く出席せず、保持していた運転免許を生かしたアルバイトに明け暮れていたという。
赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本… 赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本テレビ放送網のプロデューサー、演出家。日企代表取締役会長。 千葉県出身。父親が新聞記者だったこともあって、早くからマスコミ業界を志望していた。 慶應義塾高等学校では安部譲二と同級生だった。 1962年3月に慶應義塾大学文学部仏文科を卒業し、同年4月に日本テレビ放送網株式会社に入社。芸能局音楽部に配属された。 1974年に日本テレビを独立して、番組制作会社・日企を設立する。
角谷 優(かくたに まさる、1938年(昭和13年) - )… 角谷 優(かくたに まさる、1938年(昭和13年) - )は、日本の映画プロデューサー。フジテレビジョン映画部長、ロサンゼルス支社長、フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル副社長などを務めた。 高校生から大学までを、池袋の名画座・人世坐系の文芸地下で働く。 1961年4月、早稲田大学卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。報道担当アナウンサーとして『FNNテレビ朝刊』などを担当。映画好きを活かして自ら志願して、同年10月から映画劇場の『テレビ名画座』で同僚の辻川一徳アナウンサーとともに資料集めと原稿執筆、選曲をしてテレビ初の映画解説者を行った。他に『話題の映画』という映画情報番組も制作。
高木 浩志(たかぎ ひろゆき、1938年 - 2022年11… 高木 浩志(たかぎ ひろゆき、1938年 - 2022年11月17日)は、日本の文楽研究家、テレビプロデューサー。 鹿児島県生まれ。1961年大阪府立大学経済学部卒、NHKに入り、プロデューサーを2000年まで務める。2006年大阪市文化功労者。2014年文楽劇場30周年を期に功労に対し感謝状を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 20… 横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 2011年1月8日)は、日本の元テレビプロデューサー。通称「オジン」。フジテレビプロデューサーを経て、吉本興業東京本社代表、専務取締役東京本部本部長などを歴任。鎌倉女子大学児童学部教授を経て、晩年はフリーの立場で活動した。群馬県出身。実父は元朝日新聞千葉支局長の横澤陸郎。
草野 浩二(くさの こうじ、1937年11月20日 - 20… 草野 浩二(くさの こうじ、1937年11月20日 - 2025年10月17日)は、日本の音楽プロデューサー・ディレクター。 東京府出身で、暁星学園を経て早稲田大学第一商学部を1960年3月に卒業する。 1960年4月に東京芝浦電気へ入社してレコード事業部制作部ディレクターとなり、坂本九の「悲しき六十才」を手掛け初仕事で初ヒット作品を輩出する。以来1960年代初期はカバーポップスの全盛時代を作り、1970年代は邦楽ポップスの黄金時代を築いた。 東芝EMI退社後はファンハウスを経てフリーランスの音楽プロデューサーとして活動し、コンピレーション・アルバム監修、コンサートプロデュース、新人育成などを手掛ける。
中本 逸郎(なかもと いつろう、1937年9月17日 - … 中本 逸郎(なかもと いつろう、1937年9月17日 - 2023年2月24日)は、日本のテレビプロデューサー、実業家。サンケイビル社長を務めた。東京都出身。 1961年に東京大学文学部経済学科を卒業し、同年にフジテレビジョンに入社した。 フジテレビでは制作部門に所属し、『大空港』などの作品を手掛けた。 1991年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1999年6月に専務を歴任。 1998年6月にサンケイビル監査役に就任し、2000年6月には社長に就任。 2009年6月から2012年6月までに会長を務めた。2001年6月から2012年6月までに産業経済新聞社監査役も務めた。 1フジテレビジョン、ニッポン放送、ポニーキャニオンなどを傘下に持つフジサンケイグループを統括する認定放送持株会社。
林 春生(はやし はるお、1937年8月18日 - 1995… 林 春生(はやし はるお、1937年8月18日 - 1995年2月28日)は、日本の作詞家、テレビプロデューサー。 本名:林良三。島根県大田市出身。 テレビ番組制作の際は本名の「林良三」を、作詞家としての活動の際はペンネームである「林春生」を使用していた。 作曲家すぎやまこういちの妹と結婚し、すぎやまは義兄に当たる。 島根県立邇摩高等学校から島根県立松江高等学校(現:島根県立松江北高等学校)に転校し卒業後、1956年、法政大学文学部に入学。 在学中にニッポン放送でアルバイトをしながら、1960年、卒業と同時にフジテレビに入社。 フジテレビでは『ザ・ヒットパレード』『新春かくし芸大会』『ミュージックフェア』『リブ・ヤング!』等の番組でディレクター・プロデューサーとして活動した。
阿部 征司(あべ せいじ、1937年〈昭和12年〉8月1日 … 阿部 征司(あべ せいじ、1937年〈昭和12年〉8月1日 - 2012年〈平成24年〉12月29日)は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・作詞家。秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)出身。早稲田大学教育学部社会学科卒業。東映でテレビ番組制作や映画製作に携わった。 作詞家としてのペンネームは中瀬当一、田中守。脚本家としてのペンネームとしては、東映プロデューサーの平山亨との共同筆名「海堂肇」がある[要出典]。 1937年(昭和12年)8月1日、秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)において、阿部重吉とハツエの二男として生まれた。阿部家は映画館の花輪劇場の経営者だった。実家が映画館だったこともあり、幼い頃から映画業界を志した。
宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月… 宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月27日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、日本のテレビプロデューサー・実業家、元ラジオパーソナリティー、社会運動家、音楽家。 東京都新宿区出身。東京教育大学附属高等学校(現:筑波大学附属高等学校)卒、1962年(昭和37年)慶應義塾大学商学部卒。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団に所属し副指揮者を務める。2025年(令和7年)現在埼玉県入間市に在住していた。 1962年(昭和37年)日本テレビ放送網株式会社入社、芸能局音楽班配属。教育・音楽番組を制作。宮島が最も気に入っている番組は幼児教育番組『カリキュラマシーン』だという。
吉津 正(よしづ ただし、1937年(昭和12年)6月12日… 吉津 正(よしづ ただし、1937年(昭和12年)6月12日 - 1984年(昭和59年)9月24日)は、テレビ朝日のプロデューサー。中国生まれ。 1958年(昭和33年)早稲田大学演劇科を卒業後、東映に入社。卒業論文のテーマは「映画とテレビの共存共栄」。当時の東映社長大川博に、「君、これからはテレビの時代になるよ」と言われたことが忘れられないと語る。 1963年(昭和38年)日本教育テレビに出向する(のち移籍)。しかし、結核を患い、1年間の闘病を余儀なくされる。サラリーマンにとって、病気はマイナス。特に体が資本といわれるテレビ業界では、大きな病気というのは致命的でもある。吉津の場合も結核の治療期間が、彼にある種の挫折感を与えたのは確かだった。
堀川 とんこう(ほりかわ とんこう、本名・堀川 敦厚(ほりか… 堀川 とんこう(ほりかわ とんこう、本名・堀川 敦厚(ほりかわ あつたか)。1937年5月24日 - 2020年3月28日)は、日本のテレビドラマのプロデューサー・演出家ならびに映画監督である。群馬県吾妻郡中之条町出身。妻は脚本家、ノンフィクション作家の高木凛。エッセイスト・イラストレーターの中山庸子は従妹である。 群馬県吾妻郡の中之条町立中之条中学校から群馬県立高崎高等学校に進学。その後、東京大学に入学し文学部英文科へ進む。また、第84代内閣総理大臣の小渕恵三とは小、中学校時代同級生で幼馴染であった。中之条を離れ大学は違ったが、学生時代は山手線の中で時の話題や文学を語り合った。友としての親交は小渕が亡くなるまで続いていた。
康 芳夫(こう よしお、1937年5月15日 - )は、東京… 康 芳夫(こう よしお、1937年5月15日 - )は、東京都出身のプロデューサー。自称「虚業家」。また、「伝説のプロデューサー」という異名でも知られる。 東京大学卒業。
淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022… 淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022年7月31日)は、新聞記者、イベントプロデューサー、作家。 京都府出身。父は文芸同人誌「青空」同人、フランス文学者淀野隆三。京都府立桃山高等学校から慶應義塾大学文学部に進学し社会学専攻(1961年卒業)。産業経済新聞社社会部勤務。1964年東京オリンピックの取材、川端康成ノーベル賞受賞特派員などに従事した後1969年同社退社。1970年から万国博覧会等のプロデューサーとして活動。元電通総研客員研究員。NPO法人亜州友好協会の理事であり、上海万博開幕1000日まえの発行雑誌(2007年8月創刊)として、2か月刊日本PR雑誌の編集、執筆を担当。
藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )… 藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、ニュースキャスター、テレビプロデューサー。東京府(のちの東京都)出身。学習院大学政経学部卒業。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社。1963年11月1日、アナウンサーの報道局への大量異動が行われ、同ニュース部に配属。1965年12月よりニュース取材部へ配属。1967年11月15日より、アナウンサー研修室設置に伴い報道局ラジオニュース部勤務兼アナウンサー研修室付となった。アナウンサーとしては、主にニュースを担当。 1970年7月にテレビ本部報道局ラジオニュース部配属となる。以降、1972年11月よりテレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1974年3月より報道局編集部兼解説室委員、1986年7月より政経部に在籍し、その間報道記者・ニュースキャスター(1975年より)を務めた。
西村 嘉郎(にしむら よしお、1937年〈昭和12年〉3月1… 西村 嘉郎(にしむら よしお、1937年〈昭和12年〉3月1日 - 2022年〈令和4年〉12月2日)は、日本のテレビプロデューサー。朝日放送グループホールディングス常勤特別顧問。 朝日放送(ABC、現:朝日放送グループHD)の常務取締役、代表取締役社長、取締役相談役等を歴任した。 名前の読みを「にしむら よしろう」とする資料もある。 大阪府大阪市生まれ。兵庫県立西宮高等学校を卒業後、約1年郵便局へ務めた後、朝日新聞社の調査部で勤務しながら関西大学(以下、関大)文学部(二部)哲学科に在学した。 1958年4月に関大在学のままABCへ入社(関大は、入社後の1960年に卒業)。1964年より運動部(後のスポーツ局)へ配属され、1970年11月にテレビの制作部署へ異動し1995年3月までの間、視聴者参加型番組や演芸番組の制作に携わった。
山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年〈昭和12年〉2月… 山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年〈昭和12年〉2月20日 - 2024年〈令和6年〉9月30日)は、日本の似顔絵作家、風刺漫画家、イラストレーター、笑芸プロデューサー。タレントや話題の人物を現代の世相に合致させた作風が特徴とされる。東京市目黒区出身。 1937年、東京府東京市(※現在は東京都特別区区域)目黒区生まれ。四人兄弟の二男。父は目黒駅の助役をしていたが、生後4ヶ月で父を亡くし、貧しい母子家庭で苦労して育つ。母は目黒駅の売店(現キヨスク)で23年間働いた。戦争中の1943年、親類のいた三重県伊勢市に疎開したが地元の子供たちからいじめを受ける。戦後に東京目黒へ戻る。三木鶏郎に傾倒し、冗談工房への参加を夢見る。
上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのう… 上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのうえ ひでお、1937年1月10日 - 2025年7月13日)は、日本の実業家・芸能プロデューサー。 福岡県北九州市に出生。福岡県立八幡中央高等学校を卒業後関西大学文学部に進学するが、次第に音楽活動に傾倒し中退した。4・9・1(フォー・ナイン・エース)を結成して東北、北海道を巡業し、1966年には芸能プロデューサーに転向した。 芸能プロデューサーとしては4・9・1のボーカリストとしてジョー山中をスカウトしたのを皮切りに小山ルミ、吉沢京子、西城秀樹、安西マリア、田口久美、舘ひろし、川島なお美などを次々と発掘した。1960年代後半から1980年代初頭にかけて芸能界に重きをなした。
篠原 茂(しのはら しげる、1937年(昭和12年) - )… 篠原 茂(しのはら しげる、1937年(昭和12年) - )は、日本の映画プロデューサー、脚本家。脚本家名は「しのだとみお」。 1937年(昭和12年)生まれ。青山学院大学卒業後、映画会社東映を経て松竹に入社。「松竹テレビ部」の方で、テレビドラマの製作に就く。 1970年(昭和45年)、年末に梅津製作本部長から頼まれ、ピー・プロダクションへ出向。製作主任として、フジテレビの特撮番組『宇宙猿人ゴリ』の第4話「ラー 地球人をさぐる」から制作スタッフとして参加する。 1971年(昭和46年)、3月から松竹テレビ部に戻りピー・プロダクションから離れるが、今度はフジテレビプロデューサーの別所孝治と鷺巣富雄(うしおそうじ)両者から頼まれ、7月から再び『宇宙猿人ゴリ』の現場に復帰した。
飯塚 恆雄(恒雄、いいづか つねお、1937年 - )は日本… 飯塚 恆雄(恒雄、いいづか つねお、1937年 - )は日本の音楽プロデューサー、音楽評論家、作家、随筆家。日本エッセイスト・クラブ会員。ピースフラッグ代表取締役。 1937年、茨城県結城郡(現常総市)生まれ。 1960年、日本大学芸術学部卒業後、日本コロムビアに入社。音楽ディレクター、音楽プロデューサーとして数々の楽曲・アルバムを制作。 日本コロムビア在籍時、「白い色は恋人の色」「フランシーヌの場合」「白い蝶のサンバ」(デノンレーベル)、角川映画「野性の証明」「復活の日」「戦国自衛隊」主題歌などの楽曲プロデュースを担当した。 ディレクター・プロデューサーとして担当した歌手は伊東ゆかり、財津和夫、町田義人、ピチカート・ファイヴ、LOUDNESS、THE YELLOW MONKEYなど。
小西 良太郎(こにし りょうたろう、1936年10月20日 … 小西 良太郎(こにし りょうたろう、1936年10月20日 - 2023年5月13日)は、日本の音楽プロデューサー、音楽評論家。東京都葛飾区堀切生まれ。 第二次世界大戦中に疎開した茨城県で育つ。茨城県立水海道第一高等学校を卒業後、1958年にスポーツニッポン新聞社に入社。1963年に音楽担当記者となり、後に文化部長、運動部長、取締役編集局長、常務取締役を務め、2000年に退社した。 スポーツニッポン在籍中から音楽プロデューサー、評論家として活動。主なプロデュース作品として、「舟唄」、「雨の慕情」(八代亜紀)、「夜桜お七」(坂本冬美)、「傘ん中」、「北物語」、「アカシア挽歌」、アルバム「おんなの絵本」ほか(五木ひろし)、永井裕子の全作品などがある。
籏野 義文(はたの よしふみ、1936年10月13日 - 1… 籏野 義文(はたの よしふみ、1936年10月13日 - 1995年2月28日)は日本のアニメプロデューサー。「籏」の字が一般にはあまり使用されないため、担当した作品のテロップ等では「旗野義文」と表記されることも多かった。 東京都出身。血液型はAB型。青山学院大学卒業後、1959年に東映入社。1961年8月に東映動画に出向し、アニメ草創期から数多くの東映テレビアニメの企画・プロデューサーを務めた。代表作に『狼少年ケン』をはじめ、『サイボーグ009』、『パタリロ!』、『聖闘士星矢』など多数。『SLAM DUNK』放映中の1995年2月28日、口腔底上皮癌のため死去。享年58。籏野の死去後のプロデューサーはシリーズディレクターの西沢信孝が兼任という形で引き継いだ。
白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月… 白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月11日 - )は、日本の実業家、テレビドラマのプロデューサー。ビーエスフジ(BSフジ)社長、鹿児島テレビ放送副社長を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。 1962年(昭和37年)東京大学卒業後、フジテレビジョン入社。編成局に勤務し、『鉄腕アトム』 『鉄人28号』 『夜のヒットスタジオ』 『北の国から』 など数多くのヒット番組の編成・企画・プロデュースに携わる。 1981年(昭和56年)10月9日、『北の国から』の第1話が放映される。初回視聴率16.4%、最終回は21.0%を獲得した。視聴者からの反響は絶大で、以後20年間で8本のスペシャルが放送される国民的ドラマとなった。
小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は… 小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は、日本の元映画監督・プロデューサー。主に特撮テレビドラマ作品を手がける。東映に所属していた。株式会社自由メディア代表。 1952年 東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)卒業。1955年 東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。1960年 日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。 佐伯清に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わる。最初に助監督としてついた作品は片岡千恵蔵主演の『二発目は地獄行きだぜ』(1960年1月27日公開)、デビュー作品は1966年のテレビドラマ『刑事さん』。その後、労働組合の幹部になったことから2年ほど労働を禁じられていたが、労使交渉により復帰し、吉川進プロデューサーの招きにより、1978年の『スパイダーマン』より特撮作品の演出に進出。
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 198… 梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。身長180cm、体重85kg。空手五段、柔道二段(1983年7月28日の自己申告)。 1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、いわゆる「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。
牧口 雄二 (まきぐち ゆうじ、1936年6月29日 - 2… 牧口 雄二 (まきぐち ゆうじ、1936年6月29日 - 2021年12月5日) は、日本のテレビ・映画監督、プロデューサー。東京都板橋区出身。 東京都立九段高等学校を経て慶應義塾大学文学部を卒業後、1960年(昭和35年)に東映株式会社に入社。以来、京都に在住し、東映京都で山下耕作・中島貞夫作品の助監督を経る。 1975年(昭和50年)に東映ポルノ『玉割り人ゆき』で監督デビュー。『玉割り人ゆき』を当時の東映社長・岡田茂から、叙情とエログロの合わせ、その技を高く評価され、以降『五月みどりのかまきり夫人の告白』などの監督作品を発表した。 1977年の鰐淵晴子主演の話題作『らしゃめん』を最後に劇場映画を離れ、テレビドラマ「暴れん坊将軍」シリーズ、「柳生一族の陰謀」「影の軍団」シリーズ、「長七郎江戸日記」などのプロデューサー・監督業を中心に活動。
萩原 敏雄(はぎわら としお、1936年(昭和11年)5月1… 萩原 敏雄(はぎわら としお、1936年(昭和11年)5月18日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。日本テレビ社長、日本テレビフットボールクラブ会長兼社長を務めた。 萩原雄祐・結子夫妻の三男として東京府(現・東京都)に生まれる。 慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学文学部を卒業。俳優の早川保と川口浩は慶應高校の同級生。早川とは慶大でも同期であった。 文学青年だった萩原は、出版社を志し、新潮社の最終面接まで行った。だが、萩原には日本テレビにコネがあった。新潮社の最終面接で「あなたは合格したら間違いなく入社しますね?」という問いに正直に答えた。日本テレビが採ってくれるといえば、そちらに入らざるを得ないと、。
堀 長文(ほり ながふみ、1936年4月29日 - 2015… 堀 長文(ほり ながふみ、1936年4月29日 - 2015年11月7日)は、日本の元演出家・プロデューサー。元東映東京撮影所所属。香川県出身。早稲田大学卒業。企画会社堀屋ほり長の社長としてドキュメンタリー番組の制作に携わっていた。おいはファニメーション社長のゲン・フクナガ。 大学を卒業後、1961年に東映東京撮影所に入社。主に深作欣二に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わるが、監督としてはあまり作品にタッチできなかった。主な助監督作品に『刑事くん』『ジャイアントロボ』など。1971年放映『キイハンター』の一編にて監督デビュー。その後、『Gメン'75』で助監督兼監督を務めたり、大正製薬の『リポビタンD』のテレビコマーシャル演出などに携わるが、1983年よりプロデューサーの鈴木武幸からの招きで、スーパー戦隊シリーズの『科学戦隊ダイナマン』より特撮作品の演出を担当。
今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 … 今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 - )は、日本の演出家、プロデューサー、脚本家、実業家。文化功労者。 株式会社東京放送での勤務を経て、株式会社テレビマンユニオン取締役、武蔵野美術大学造形学部教授などを歴任した。 秋田県河辺郡仁井田村(のちの秋田市)出身。4歳から高校卒業まで北海道夕張市で育つ。今野の小学生時代は終戦直後の混乱期で、教育も大きな変遷の時を迎えていた。特にレコードを使用した国語の授業や、誰かが読んだ詩を皆んなでリフレインしたりする全く新しい形式による教育を自著、今野勉のテレビズム宣言においてこう回想している。『ア、人生っていうのは、相当自由にやって許されるんだなっていうのが突然わかった。
若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年〈昭和11年〉4月1… 若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年〈昭和11年〉4月1日 - 2012年〈平成24年〉10月17日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。宮城県出身。本名は伊藤孝(いとう たかし)。 宮城県遠田郡涌谷町出身。父親は馬喰で獣医師をしていたが大酒飲みで、孝は幼いときからこの父に反抗しながら育った。農業高校二年時中退、家出し上京。職人見習いや新聞配達、新宿安田組の大幹部だったヤクザ(荒木恷)の下働きなどを経験。1957年、チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、拘置所に拘禁され執行猶予付の判決を受ける(その時の経験により後に監督デビュー作の『甘い罠』は“警官を殺すために映画監督になった”と豪語した通りに警官殺しの映画になっている)。
伊地智 啓(いじち けい、1936年2月8日 - 2020年… 伊地智 啓(いじち けい、1936年2月8日 - 2020年4月2日)は、日本の映画プロデューサー。これまでに100本以上の作品を手がけた。 2015年から多摩市議会議員(社民党)を務める伊地智恭子は娘。 1936年2月8日、兵庫県に生まれる。早稲田大学文学部を卒業。1960年、日活撮影所助監督部に入社する。1971年にプロデューサーへ転身したのち、1977年に同社を退社する。 セントラル・アーツを経て、1978年、長谷川和彦監督のために設立されたキティ・フィルムに、「映画のプロがいないから」と長谷川に引っ張り込まれて参加。長谷川監督の『太陽を盗んだ男』や相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』を手がけ、以降も『あぶない刑事』など数多くヒット作を連発する。
橋本 幸治(はしもと こうじ、1936年1月21日 - 20… 橋本 幸治(はしもと こうじ、1936年1月21日 - 2005年1月9日)は日本の映画プロデューサー、元映画監督、東宝映画常務取締役。栃木県足利市出身。
鷲尾 金弥(わしお きんや、1936年 - )は、日本の園芸… 鷲尾 金弥(わしお きんや、1936年 - )は、日本の園芸プロデューサー。技術士建設部門(都市および地方計画)を保持している。 1959年、大阪府立大学農学部園芸学科を卒業し1960年から大阪府立大学助手となる。 1974年にアメリカ合衆国に渡り、現地でWashioアソシエイツ有限会社を設立する[要出典]。1980年に帰国し、荒木造園設計事務所取締役企画部長となる。 1990年に鷲尾アソシエイツを設立して独立する。同年の国際花と緑の博覧会ではプロデューサーを担当し、『国際花と緑の博覧会 花博植栽管理記録集成』の作成委員会代表を務めた。 以後、日本国外での園芸系博覧会(オランダ国際園芸博覧会フロリアート92、ドイツ国際庭園博覧会IGA93)で、日本国政府(農林水産省)の出展総合プロデューサーを担当した。
吉川 斌(よしかわ あきら、1936年 - )は、日本のテレ… 吉川 斌(よしかわ あきら、1936年 - )は、日本のテレビプロデューサー。 日本テレビに在籍し、同局にて1970年代までに多くのテレビドラマを、1970年代後半はすべてのテレビアニメを企画・プロデュースした。 テレビドラマでは、石立鉄男主演・ユニオン映画制作による一連のシリーズを手掛けた。 1975年以降は同局のテレビアニメを一任され、『ガンバの冒険』『元祖天才バカボン』『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』などを企画した。 『ルパン三世』では、音楽に石立主演のドラマで縁があった大野雄二を抜擢したほか、石川五ェ門役、峰不二子役の変更を要望し井上真樹夫、増山江威子を起用するなど、後続のシリーズにも影響を与えた。
齋藤 太朗(さいとう たかお、1936年 - )は、日本のテ… 齋藤 太朗(さいとう たかお、1936年 - )は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター。東京都出身。 日本テレビエグゼクティブディレクター、日本テレビエンタープライズ(後の日テレイベンツ)専務取締役などを歴任し、日テレイベンツが運営する日テレ学院で映像クリエイタークラスの講師を務める。 成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部卒業。 1958年、大学を卒業後日本テレビに入社。大学在学中から同局でアルバイトしており、そのまま居ついた格好になったという。以後音楽・バラエティ番組を中心にディレクターとして数多くの番組を手がけたほか、『カリキュラマシーン』では番組のカリキュラムの説明などを行う「ギニョさん」としてテレビ出演も果たしている。
熊谷 富夫(くまがい とみお、1936年 - 2014年6月… 熊谷 富夫(くまがい とみお、1936年 - 2014年6月22日)は、NHK大阪放送局演芸番組プロデューサー。大阪府枚方市出身。 実子は同じ「上方演芸会」を手がける熊谷岳志。 大阪府立住吉高等学校、関西学院大学経済学部卒。日本放送協会(NHK)入局後は、主に演芸番組、特に上方演芸の番組制作に携わり、「浪速→上方演芸会」、「お父さんはお人好し」「東西浪曲大会・浪曲特選」などの番組ディレクター・プロデューサーとして活躍した。晩期はNHK大阪の関連法人であるNHKきんきメディアプラン(現・NHKプラネット近畿支社)に移る。 その他日本笑い学会副会長、大阪21世紀協会「大阪文化祭」審査委員、文化庁芸術祭審査委員などを歴任。
原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年… 原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年12月14日)は、日本の映画プロデューサー、実業家。 トップクラフト代表取締役社長、株式会社スタジオジブリ常務取締役、株式会社スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を経て、早稲田大学入学。在学中に、しとうきねお、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らとともに早稲田大学漫画研究会を創設。「漫画サンデー」に4コマ漫画を描く。漫画家の道は断念し、1959年に大学を卒業すると同時に東映動画に入社。 企画制作の仕事をし、1965年のテレビアニメ『宇宙パトロールホッパ』を始めとして、『ひみつのアッコちゃん』『魔法のマコちゃん』『さるとびエッちゃん』等少女向けテレビアニメの製作を担当。
小田 久榮門(小田 久栄門、おだ きゅうえもん、1935年(… 小田 久榮門(小田 久栄門、おだ きゅうえもん、1935年(昭和10年)11月28日 - 2014年(平成26年)10月30日)は、日本のテレビプロデューサー。テレビ朝日取締役編成局長、テレビ朝日映像、ビーエス朝日で社長等を務めた。 当時同局に在籍していた皇達也と共に、テレ朝の天皇の異名で知られた。 新潟県朝日村(現:村上市)で生まれる。故郷で教師になろうと専修大学に入学。ところが叔父がTBSに勤めていた関係で、大学3年のときからTBSでアルバイトするようになり、テレビの仕事が面白くなって、日本教育テレビ(NETテレビ。後のテレビ朝日)開局の前年の11月に契約社員として入社し、翌年3月に正式入社となり、教養部に籍を置いた。
酒井 政利(さかい まさとし、1935年〈昭和10年〉11月… 酒井 政利(さかい まさとし、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2021年〈令和3年〉7月16日)は、日本の音楽プロデューサー・メディアプロデューサー。酒井プロデュースオフィス代表取締役社長。日本ストリートダンス協会非常勤理事。国立国会図書館典拠データ検索・提供サービスによれば、1938年生まれと書かれた。 和歌山県有田市生まれ。父は建築設計事務所を営み、母は専業主婦。8人兄弟の末っ子であった。母は幼い政利を連れて酒井家に後妻として嫁いだ。 和歌山県立箕島高等学校、立教大学文学部卒業。大学卒業後、映画製作を志し松竹に入社するもまもなく退社し、その後日本コロムビア、CBS・ソニーレコードの音楽プロデューサーとして数多くのミュージシャンを発掘、育成する。
村木 良彦(むらき よしひこ、1935年(昭和10年)11月… 村木 良彦(むらき よしひこ、1935年(昭和10年)11月15日 - 2008年(平成20年)1月21日)は、日本のメディアプロデューサー、実業家。テレビマンユニオン社長。東京国際大学国際関係学部教授。宮城県仙台市出身。東京大学文学部卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 -… 九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 - 2014年4月30日)は、日本の女優、演劇、映画プロデューサー。東京都麻布出身。女優時代の芸名は九条映子(九條映子)。本名:寺山 映子(てらやま えいこ)。1963年から1970年まで寺山修司と婚姻関係にあった。
吉川 進(よしかわ すすむ、1935年10月13日 - )は… 吉川 進(よしかわ すすむ、1935年10月13日 - )は、東映の元プロデューサー。東京都出身。
都築 忠彦(つづき ただひこ、1935年10月4日 - )は… 都築 忠彦(つづき ただひこ、1935年10月4日 - )は、日本のテレビプロデューサー。元日本テレビプロデューサー。愛知県出身。 日本テレビホールディングスのグループ企業である「NTVヨーロッパ」社長、顧問を歴任した。 『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の生みの親で、同番組には1978年の第1回から1991年の第14回まで携わった。 名古屋市立菊里高等学校を経て東京大学経済学部卒業後、1961年に日本テレビ入社。 担当した『11PM』の社会派名企画「巨泉・考える」シリーズの成功で注目される(1972年に第9回ギャラクシー賞・放送批評家賞を受賞)。 1977年に日本テレビ開局25周年記念番組の社内コンペがあり、都築は考えるシリーズの一つであった「世界の福祉特集」を下敷きとして企画化し、日本テレビに提案したところ、採用された。
白井 荘也(しらい そうや、1935年9月4日 - 2018… 白井 荘也(しらい そうや、1935年9月4日 - 2018年3月)は元日本テレビ放送網のディレクター、プロデューサー。元日本テレビエンタープライズ常務取締役。元オフィスG (野口五郎プロダクション)社長。元桐朋学園芸術短期大学ステージ・クリエイト専攻教授。 成蹊大学政治経済学部卒業後、1959年日本テレビ放送網株式会社芸能局音楽部に入社し、音楽と笑いを融合させた番組を多数作り上げた。1960年代〜1970年代に『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』、『ドリフターズ大作戦』、『カックラキン大放送!!』など、高視聴率の音楽番組を製作。その傍ら視聴者公開の特撮番組『突撃! ヒューマン!!』を手がける。