川口 容資(かわぐち ようすけ、1987年7月9日 - )は… 川口 容資(かわぐち ようすけ、1987年7月9日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年時に地元の金池少年野球団で軟式野球を始める。大分市立上野ヶ丘中学校から主に投手を務める。 楊志館高等学校時代は、3年時に全国高校野球選手権大会・大分県大会で竹田高校に敗れ2回戦で敗退、甲子園出場はならなかった。 2005年、同年のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから高校生ドラフト5巡目で指名され入団。全12球団で最後の指名選手となった。 入寮後の新人合同自主トレでは、連日ブルペンに入り40球ほどを投げ込みキャンプイン。ルーキーイヤーの2006年はシーズン途中のフォーム修正や、度重なる怪我などで登板の機会がないまま終わるが、フェニックスリーグにて初登板・初ホールド。
枡田 慎太郎(ますだ しんたろう、1987年7月8日 - )… 枡田 慎太郎(ますだ しんたろう、1987年7月8日 - )は、京都府京都市伏見区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。
靍岡 賢二郎(つるおか けんじろう、1987年7月7日 - … 靍岡 賢二郎(つるおか けんじろう、1987年7月7日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。右投右打。 苗字の「靍」(「雨かんむり」に「隹」と「鳥」)は環境依存文字であるため、一部Webサイトにおいては常用漢字である「鶴」に置き換えた「鶴岡」、平仮名に置き換えた「つる岡」やカタカナに置き換えた「ツル岡」の表記も用いられる。「雨かんむり」に「鶴」を書いた「靏岡」は誤り。 春日部共栄高校時代は強肩強打の捕手として知られ、3年時に主将兼4番打者として夏の埼玉県大会の決勝戦進出に貢献。決勝戦では2年生エース投手の木村文和を擁する埼玉栄高校と対戦、1対4と3点リードされた9回表二死満塁の場面で、2ストライクと追い込まれながら同点打となる走者一掃の3点適時三塁打を木村から放った。
雨宮 敬(あめみや たかし、1987年7月6日 - )は、山… 雨宮 敬(あめみや たかし、1987年7月6日 - )は、山梨県東八代郡石和町(現:笛吹市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 山梨学院大附高時代は、1年時の秋からエースとなる。3年時の夏は、山梨県予選決勝で日本航空高に3-13で敗れ準優勝。甲子園出場は果たせなかった。 高校卒業後は、関甲新学生野球連盟に加盟する山梨学院大学に進学。1年時の春からリーグ戦に登板。3年時の春、作新学院大学戦でノーヒットノーランを達成。4年時は、同年から監督に就任した元プロ野球選手の高橋一三の元でプレーした。プロ志望届を提出したが、指名漏れとなった。 大学卒業後は、独立リーグであるBCリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。
江村 将也(えむら まさや、1987年7月5日 - )は、広… 江村 将也(えむら まさや、1987年7月5日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。実弟は千葉ロッテマリーンズコーチの江村直也。 福山市立常金中学校から栃木県の佐野日大高に進み、3年時の夏は背番号1を背負うも登板機会はなく、チームは栃木県予選2回戦で國學院栃木高に敗退した。甲子園出場経験はなし。1学年下に澤村拓一、2学年下に金伏ウーゴがいる。 日本大学に進学すると東都大学野球連盟に加盟する野球部に入部する。3年時の秋からリーグ戦に登板。同期に十亀剣がいる。 大学卒業後は、広島の社会人野球・ワイテックに入団。1年目の2010年から公式戦に登板し、3年目の2012年、第83回都市対抗野球大会に伯和ビクトリーズの補強選手として出場。
麻生 知史(あそう ともふみ、1987年6月28日 - )は… 麻生 知史(あそう ともふみ、1987年6月28日 - )は、神奈川県伊勢原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
山村 裕也(やまむら ひろや、1987年6月24日 - )は… 山村 裕也(やまむら ひろや、1987年6月24日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は18(2016年までは56)。父は元プロ野球選手、元プロ野球審判員の山村達也。元プロ野球選手であり、現役時代のポジションは捕手。 八木学園高等学校時代は高校通算34本塁打、強肩強打の捕手として活躍。高校卒業後は大阪商業大学に進む。大阪商業大学硬式野球部時代は関西六大学リーグで4回ベストナインに選出され、NPBドラフト指名候補と目されるも、指名はかなわなかった。 2010年2月には、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結ぶと発表されたが頓挫し、同年四国・九州アイランドリーグ(2011年より四国アイランドリーグplus)の徳島インディゴソックスに入団。
田中 靖洋(たなか やすひろ、1987年6月21日 - )は… 田中 靖洋(たなか やすひろ、1987年6月21日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 実兄の田中良平も元プロ野球選手で、靖洋の前に投手としてロッテに所属していた。 高校生までは捕手を中心に内外野すべてをこなしていたが、高校2年生の時に本格的に投手に転向した。3年生時に石川県選抜チームのメンバーに選ばれ、日米親善試合に出場した。夏の甲子園・石川大会の1回戦に県立加賀高校の五番・投手として出場したが、同校はこの試合で敗退した。 2005年10月3日に行われたプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから高校生ドラフト4位指名を受け入団。 2006年、ルーキーイヤーの一軍登板は無く、イースタン・リーグでも1試合に登板したのみであった。
齊藤 悠葵(さいとう ゆうき、1987年6月20日 - )は… 齊藤 悠葵(さいとう ゆうき、1987年6月20日 - )は、福井県吉田郡永平寺町出身の元プロ野球選手(投手)。
比屋根 渉(ひやね わたる、1987年6月20日 - )は、… 比屋根 渉(ひやね わたる、1987年6月20日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手)。
野上 亮磨(のがみ りょうま、1987年6月15日 - )は… 野上 亮磨(のがみ りょうま、1987年6月15日 - )は、福岡県太宰府市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、2024年から読売ジャイアンツ三軍投手コーチを務める。 妻は元モーニング娘。のメンバーでタレントの石川梨華。 太宰府市立太宰府西中学校時代はフレッシュリーグの筑紫エンデバーズに所属。中学の1学年後輩に大石達也がいる。高校は当時の硬式野球部の監督から誘いを受けた神村学園高等部へ進学。同校3年次の2005年春、第77回選抜大会に出場し、準優勝投手となる。3年夏は鹿児島大会決勝にて樟南高校と対戦し、前田大和に同点適時打を打たれ、4-5で惜敗したが選抜大会の活躍で一躍プロのスカウトも注目する存在となり、プロ志望届を提出したが指名はなく、日産自動車に入社。
加登脇 卓真(かどわき たくま、1987年6月12日 - )… 加登脇 卓真(かどわき たくま、1987年6月12日 - )は、京都府城陽市出身の元プロ野球選手(投手、内野手)。現在は警察官として勤める。 中学時代はボーイズで全国制覇後、高校は京都から北海道の北照高校へ野球留学。1年からレギュラーに定着し、投打の両面で活躍した。高校通算36本塁打を記録。甲子園出場はならなかったが、3年の夏の南北海道大会決勝で、当時2年生だった駒大苫小牧高校の田中将大からホームランを放つ。 同年、超高級左腕と評された辻内崇伸と共に、投手として高校生ドラフト3位で読売ジャイアンツ(以下、巨人)に入団。しかし、一軍での出場のないまま、2008年(平成20年)10月1日に巨人から戦力外通告を受けた。
高堀 和也(たかほり かずや、1987年6月11日 - )は… 高堀 和也(たかほり かずや、1987年6月11日 - )は、富山県南砺市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 富山県南砺市(井波)出身。砺波工業高校を卒業後、三菱自動車岡崎に入る。所属部署は試作部の試作工務課。 伸びしろと将来性を考慮され、2009年プロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから4位指名を受け、11月12日に契約金5000万円、年俸1000万円(いずれも推定)で仮契約した。 2012年、9月に一軍初登板。主に先発投手が早々に降板した時のロングリリーフや大量リード、ビハインド時などの起用となった。9月5日の北海道日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)で1点ビハインド時に登板し、無失点に抑えると直ぐ後の味方の攻撃で逆転、試合に勝利したためプロ初勝利を挙げた。
水野 祐希(みずの ゆうき、1987年6月9日 - )は、愛… 水野 祐希(みずの ゆうき、1987年6月9日 - )は、愛知県春日井市出身の元プロ野球選手(捕手)。
小島 脩平(こじま しゅうへい、1987年6月5日 - )は… 小島 脩平(こじま しゅうへい、1987年6月5日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 桐生第一高等学校時代は、2年時に第76回選抜高等学校野球大会・第86回全国高等学校野球選手権大会に出場している(どちらも初戦敗退)。3年時の夏は、群馬大会準決勝で敗退。当時のチームメイトに松井雅人がいる。 高校卒業後は、東都大学野球連盟に加盟する東洋大学に進学。1年時の春からリーグ戦に出場し、2年時の春からレギュラーを獲得。4年時には主将に就任すると、春には打率.385をマークして首位打者を獲得し、同年の第37回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、二塁手と指名打者として出場した。
相沢 晋(あいざわ すすむ、1987年6月3日 - )は、新… 相沢 晋(あいざわ すすむ、1987年6月3日 - )は、新潟県西蒲原郡岩室村 (現在の新潟市西蒲区)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校4年の時に野球を始め、岩室中学校から新潟県立巻高等学校に進学。2年の秋から投手となり、先輩からはスライダーを教わった。3年時にはチームのエースとなり、同年の新潟県大会では、新潟明訓高等学校戦で12回2/3を投げたが、最後はサヨナラ負けを喫した。甲子園出場経験は無し。 その後、石巻専修大学に進学し宮城県石巻市に移住。2年の秋には、JR東日本東北時代の攝津正よりカーブとシンカーを教わった。4年春の南東北大学リーグでは、全11試合に先発し8勝の成績でMVPを獲得、最多勝、ベストナインも受賞。
二神 一人(ふたがみ かずひと、1987年6月3日 - )は… 二神 一人(ふたがみ かずひと、1987年6月3日 - )は、高知県幡多郡大月町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
黒羽根 利規(くろばね としき、1987年6月2日 - )は… 黒羽根 利規(くろばね としき、1987年6月2日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は横浜DeNAベイスターズに所属。
春田 剛(はるた つよし、1987年5月31日 - )は、茨… 春田 剛(はるた つよし、1987年5月31日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、高校野球指導者。 小学3年で野球を始める。 水戸短期大学附属高等学校(現・水戸啓明高等学校)に進学。甲子園には縁がなかったものの、地元では飛びぬけた存在だった。高校入学後の1年春から4番を任され、通算本塁打は44本。プロ8球団が注目した。また、140km近い速球を投げ、左腕クローザーとして投手も兼任した。 その後、2005年の高校生ドラフトで中日ドラゴンズから3巡目で指名され、入団。 2006年は高卒新人ながら二軍で打率.241、チーム最多の7本塁打と活躍した。 落合監督曰く「ライトには孝介が居るから」との理由で2007年から一塁手へコンバートされ、内野手登録となった。
角中 勝也(かくなか かつや、1987年5月25日 - )は… 角中 勝也(かくなか かつや、1987年5月25日 - )は、石川県七尾市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。
梶山 和洋(かじやま かずひろ、1987年5月12日 - )… 梶山 和洋(かじやま かずひろ、1987年5月12日 - )は、岡山県倉敷市出身の日本の高校野球指導者。 倉敷商業高校時代は、主将を務めるも2005年夏は岡山県大会で3回戦敗退。 高校卒業後は松山大学に進学し、野球を継続しながら教員免許を取得。 大学卒業後の2010年から母校の倉敷商業高校の講師を務め、岡山県内の岡山御津高校、市立玉野商業高校等でも教鞭を執り、野球の指導にあたる。 2017年に教員、野球部コーチとして再度倉敷商業高校に赴任。2019年夏からは32歳にして監督に就任。その年の秋の中国大会において同校初の優勝をし、第50回明治神宮野球大会に出場。翌2020年春開催の第92回選抜高等学校野球大会出場を決めるも、新型コロナウイルスの大流行により同大会が中止となり、同年夏開催の代替大会・2020年甲子園高校野球交流試合に出場。
加藤 政義(かとう まさよし、1987年4月28日 - )は… 加藤 政義(かとう まさよし、1987年4月28日 - )は、宮城県仙台市太白区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 金剛沢小学校1年から軟式野球を始め投手、遊撃手を経験。西多賀中学校2年夏には仙台東部シニアで全国8強。東北高校に進学後は1年生にしてレギュラーを掴み、甲子園初出場。2003年夏の第85回選手権大会に六番・三塁手として出場し準優勝を経験した。3回戦の平安高校戦ではサヨナラ安打を打った。以後、卒業までに甲子園には春1、夏3の計4回出場した。高校時代は女子プロゴルファーの有村智恵とクラスメートだった。 九州国際大学に進学しても1年春季リーグからレギュラーを獲り、3年春季には初のベストナインに選ばれ、秋季リーグからは主将を務める。
増田 里絵(ますだ りえ、1987年4月27日 - )は、兵… 増田 里絵(ますだ りえ、1987年4月27日 - )は、兵庫県姫路市出身の元女子プロ野球選手(内野手)。 赤穂高時代は、バドミントン部に所属。高校1年時には、兵庫県ベスト8に入り、全国大会にも出場。 小さい頃から野球が好きで、阪神タイガース鳥谷敬内野手に憧れ地元で草野球を始める。関西独立リーグに加盟していた明石レッドソルジャーズの試合を見に行った際に、選手の家族らを通して北川公一監督に硬式野球への思いを伝え、練習生としてチームに入団することが許された。当時勤めていた会社を辞め、23歳にして本格的に野球を始めた。2010年9月12日、支配下登録され、吉田えりに続く2人目の男性と同一チームでプレーする女性プロ野球選手となった。
吉田 利一(よしだ としかず, 1987年4月27日 - )… 吉田 利一(よしだ としかず, 1987年4月27日 - )は奈良県大和郡山市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)。
鶴 直人(つる なおと、1987年4月25日 - )は、大阪… 鶴 直人(つる なおと、1987年4月25日 - )は、大阪府寝屋川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。
片山 博視(かたやま ひろし、1987年4月19日 - )は… 片山 博視(かたやま ひろし、1987年4月19日 - )は、兵庫県三原郡三原町市(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(投手・内野手・外野手、育成選手)。左投左打。
田沢 由哉(たざわ ゆうや、1987年4月17日 - )は、… 田沢 由哉(たざわ ゆうや、1987年4月17日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 旭川大高に入学すると、1年生にして早くも甲子園の舞台で登板し141km/hという速球を投げて注目された。 2005年夏、旭川商高に北北海道大会旭川地区代表決定戦で敗れ、甲子園出場を逃した。同年のドラフトで西武ライオンズに3巡目に指名され、投手として入団。 2006年は2軍で7試合に投げて防御率6.63、2007年は15試合に投げて防御率8.29、30四球、被本塁打8本とまだまだ荒削りなピッチングであった。 2009年シーズン終了後に内野手へ転向した。 2010年はファームで主に三塁手、外野手として出場するも打率.108と結果を残せず10月1日、球団から戦力外通告を受けた。
赤堀 大智(あかほり だいち、1987年4月13日 - )は… 赤堀 大智(あかほり だいち、1987年4月13日 - )は、静岡県掛川市出身の元プロ野球選手(外野手)。
小石 博孝(こいし ひろたか、1987年4月13日 - )は… 小石 博孝(こいし ひろたか、1987年4月13日 - )は、大分県速見郡日出町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
末永 仁志(すえなが まさし、1987年4月10日 - )は… 末永 仁志(すえなが まさし、1987年4月10日 - )は、奈良県奈良市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 2004年3月に家庭の事情で山口県の宇部鴻城高校から南京都高校に転校。 2005年プロ野球ドラフト会議において千葉ロッテマリーンズより高校生ドラフト3巡目で指名された。南京都高校出身のプロ野球選手は斉藤和巳(1995年ダイエー1位)以来2人目で、斉藤と同じ背番号66を着けた。 2006年のファーム日本選手権において、打線の振るわなかったチーム内において投球内容が評価され、優秀選手賞を獲得した。 2008年オフ、一度も一軍に昇格することなく球団から戦力外通告を受ける。 2009年、関西独立リーグの神戸9クルーズへ入団。
鈴木 将光(すずき まさみつ、1987年4月8日 - )は、… 鈴木 将光(すずき まさみつ、1987年4月8日 - )は、富山県富山市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
小野 淳平(おの じゅんぺい、1987年4月5日 - )は、… 小野 淳平(おの じゅんぺい、1987年4月5日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。
寺田 哲也(てらだ てつや、1987年4月2日 - )は、栃… 寺田 哲也(てらだ てつや、1987年4月2日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代から野球を始め、中学生の時には所属チームが第19回全国少年軟式野球大会に出場している。小学生では投手、中学生時代は野手であった。 作新学院高進学後は再び投手となる。高校時代は3年生時に関東大会で優勝したが、甲子園大会には出場できなかった(2年生時の第76回選抜高等学校野球大会に作新学院高校は出場したが、寺田が登板する機会はなかった)。 作新学院大学に進学後は、4年生時に社会人野球のJR東日本東北や東京ガスの練習に参加したことを契機に球速が向上した。大学野球部コーチの紹介で新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの入団テストを受けて合格し、2010年のシーズンより加入した。
豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は… 豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校5年生の時に「小作田ベスターズ」で野球を始め、八潮中学校時代は「八潮シニア」でプレーした。浦和学院高等学校では1年生時の夏にベンチ入りし、チームは1年生時と3年生時に全国高等学校野球選手権大会に出場、自身は通算で2試合2/3回を投げ防御率0.00だった。 上武大学4年生の時、関甲新学生野球・春季リーグで5勝を挙げ最多勝を受賞した。この年、チームは第57回全日本大学野球選手権大会に出場。大学通算成績は12試合74回を投げ9勝2敗、防御率1.82。 TDKでは1年目から都市対抗、日本選手権に登板。
金丸 将也(かねまる まさや、1987年3月19日 - )は… 金丸 将也(かねまる まさや、1987年3月19日 - )は、宮崎県宮崎郡清武町(現:宮崎市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督。左投左打。 小学4年生から野球を始め、中学野球部を経て、佐土原高の野球部に入る。監督から体力不足を指摘され、走り込みに徹底して取り組んだ。3年夏の県大会では全試合に登板し、同高初の甲子園大会出場に貢献。本戦でも初戦で競り勝ち、チームに甲子園初勝利をもたらした。 その後、中部大学に進学。大学1年からリーグ戦に登板するも球速も130km/h前後であり、2年秋には左肩を故障。しかしこの故障を機に1日5食を課し10kg以上の増量を行い球速も140km/h台に上昇、大学4年時には先発投手として中部大初の全国大会進出の原動力となる。
國保 陽平(こくぼ ようへい、1987年3月14日 - )は… 國保 陽平(こくぼ ようへい、1987年3月14日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。元・岩手県立大船渡高等学校野球部監督。現在は盛岡白百合学園高等学校教諭、同校男子硬式野球部監督。 岩手県立盛岡第一高校、筑波大学体育専門学群を卒業。大学時代の同級生に坪井俊樹がいる。 社会人クラブチーム「Tsukuba Club」を経て、2010年にアリゾナサマーリーグに参加。同年、アメリカ独立リーグのゴールデンベースボールリーグに所属するティフアナ・シマロンズ(英語版)と契約。25試合に出場し、打率.254(59打数15安打)、2本塁打、7打点の成績を残すも、同年限りで退団。 帰国後に体育教師として岩手県立花巻農業高校に赴任。
鵜久森 淳志(うぐもり あつし、1987年2月1日 - )は… 鵜久森 淳志(うぐもり あつし、1987年2月1日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)。 小学4年時に野球を始め、中学時代はボーイズリーグの松山クラブへ所属し、本塁打は打っていない。当時は投手だったが、済美高校への進学後に外野手へ転向した。 高校3年時の2004年には、「4番・左翼手」として春夏連続で阪神甲子園球場の全国大会に出場。いずれもチーム史上初めての出場だったが、春の選抜大会優勝・夏の全国選手権大会準優勝に貢献した。また、春の選抜大会で2本、夏の全国選手権大会で3本の本塁打を放つなど、在学中には対外試合で通算47本塁打を記録した。ちなみに、同級生の高橋勇丞は3年時の主将で、上記の選抜大会にはクリーンアップを組んでいる。
庄司 龍二(しょうじ りゅうじ、1987年2月1日 - )は… 庄司 龍二(しょうじ りゅうじ、1987年2月1日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手(捕手)、大阪府警警察官。
岩田 慎司(いわた しんじ、1987年1月27日 - )は、… 岩田 慎司(いわた しんじ、1987年1月27日 - )は、元プロ野球選手(投手)。岐阜県岐阜市出身。
岩見 優輝(いわみ ゆうき、1987年1月25日 - )は、… 岩見 優輝(いわみ ゆうき、1987年1月25日 - )は、大阪府門真市出身の元プロ野球選手(投手)。
仲澤 広基(なかざわ ひろき、1987年1月22日 - )は… 仲澤 広基(なかざわ ひろき、1987年1月22日 - )は、山梨県中巨摩郡竜王町(現:甲斐市)出身の元プロ野球選手(内野手)。
縞田 拓弥(しまだ たくや、1987年1月22日 - )は、… 縞田 拓弥(しまだ たくや、1987年1月22日 - )は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。
陽 岱鋼(よう だいかん/ヤン・ダイガン(Ya'ng Da'… 陽 岱鋼(よう だいかん/ヤン・ダイガン(Ya'ng Da'i-Ka-ng)、1987年1月17日 - )は、読売ジャイアンツに所属する台湾(中華民国)・台東県台東市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
岸 敬祐(きし けいすけ、1987年1月16日 - )は、兵… 岸 敬祐(きし けいすけ、1987年1月16日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
大野 奨太(おおの しょうた、1987年1月13日 - )は… 大野 奨太(おおの しょうた、1987年1月13日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投右打。 北海道日本ハムファイターズ投手の宮西尚生は、互いの夫人が双子姉妹のため義兄弟にあたる。 大垣市立荒崎小学校時代は岐阜県の荒崎野球少年団に所属し、捕手・投手・三塁手をこなす。大垣市立西部中学校時代は西濃ボーイズで三塁手としてプレーし、岐阜県選抜にも選ばれた。中学時代の夢は県内屈指の名門校である県立岐阜商業高校でプレーすることだったが、岐阜県選抜のメンバーの多くが同校に進学を考えるなか、あえて岐阜総合学園高校に進学した。 高校時代は1年生の夏から三塁手のレギュラーに定着。秋にチームの正捕手が肩を壊したため捕手へ転向した。
佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )… 佐々木 孝介(ささき こうすけ、1987年1月10日 - )は、北海道余市郡余市町出身の元アマチュア野球選手・現アマチュア野球指導者。 駒澤大学附属苫小牧高等学校では1年生時の秋から内野手のレギュラーとなり、2年生時の春に第75回選抜高等学校野球大会、夏に第85回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年生時の夏に主将として、第86回全国高等学校野球選手権大会で北海道勢初となる優勝を果たす。自身も決勝戦で7回の勝ち越し二塁打を含む3安打を記録するなど、同大会打率.429(21打数9安打)を記録。 高校卒業後は駒澤大学へ進学し、3年生時から学生コーチに転身。大学卒業後は駒澤大学附属苫小牧高等学校のコーチを経て、2009年7月31日に駒澤大学附属苫小牧高等学校の監督への就任が同校から発表された。
巽 真悟(たつみ しんご、1987年1月10日 - )は、和… 巽 真悟(たつみ しんご、1987年1月10日 - )は、和歌山県東牟婁郡古座川町出身の元プロ野球選手(投手)。
松田 光(まつだ ひかる、1986年12月17日 - )は、… 松田 光(まつだ ひかる、1986年12月17日 - )は、千葉県四街道市出身の男子ソフトボール選手(投手)。二刀流選手。背番号20。右投右打。男子ソフトボール日本代表。 第16回世界男子ソフトボール選手権銀メダリスト。京都産業大学出身。現役時代は平林金属所属(主将)。 近所に住む従兄弟の影響で1年生からソフトボールを始めた。チームの桜ヶ丘ファイターズでは後にルネサスエレクトロニクス高崎でプレーする大久保美紗がいた。5年生の時に関東大会に出場した。しかし、セカンドを守っていた松田は小フライを落球し、チームは敗れた。助っ人で全国大会に出場したが、チームは敗れている。 中学校では男子部にソフトボール部がなく、軟式野球部に入部する。
山崎 憲晴(やまざき のりはる、1986年12月13日 - … 山崎 憲晴(やまざき のりはる、1986年12月13日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は阪神タイガースの二軍内野守備走塁コーチ。所属事務所はトラロックエンターテインメント。 小学校3年生から野球を始め、富士シニアでプレーしていた。 埼玉栄高等学校時代には、2年時の秋季関東大会でベスト8まで進んだことが最高成績で、春夏ともに阪神甲子園球場の全国大会へ出場できなかった。その一方で、2学年先輩に星野真澄、2学年後輩に木村文紀がいた。 横浜商科大学への進学後は、1年時の春からレギュラーに定着。職人肌の守備とシュアな打撃が評価され、2・3年と大学日本代表に選出された。
神保 貴宏(じんぼ たかひろ、1986年12月9日 - )は… 神保 貴宏(じんぼ たかひろ、1986年12月9日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 苫小牧市立沼ノ端小学校3年時に、「沼ノ端スポーツ少年団」で野球を始める。苫小牧市立沼ノ端中学校時代は、軟式で投手・捕手として全道大会ベスト8に進出。 北海道栄高時代は、2年時の夏、3年時の夏の南北海道予選決勝でいずれも駒大苫小牧高に敗れ準優勝。 高校卒業後は、関甲新学生野球連盟に加盟する平成国際大学に進学。2年時から中堅手のレギュラーに定着するも、全国大会出場への出場経験は無し。2学年先輩に、牧田和久がいる。 大学卒業後は、兵庫県の社会人クラブチームの強豪トータル阪神に入団。