阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1… 阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1月10日)は、日本の詩人、美学者、英文学者である。北海道大学の名誉教授を務めた。 阿部保は山形県に生まれた。成蹊高等学校を経て、1933年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業した。その後、聖橋高等工学校講師、日本大学講師、成蹊高等学校教授、大倉経済専門学校教授、東京経済大学教授を歴任し、1951年に北海道大学文学部教授に就任、1974年に定年退官した。退官後は東京経済大学非常勤講師を務めた。 専門は美学である。旧制高校在学中より自ら詩作を行い、第3次『椎の木』同人として百田宗治に師事した。また、エドガー・アラン・ポー、ウィリアム・ブレイクなど英語詩人の研究、翻訳も行った。
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高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13… 高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13日 - 1987年(昭和62年)1月10日)は、日本の近代文学者。成城大学名誉教授。 早稲田大学、お茶の水女子大学などの非常勤講師も務めた。耽美派や芥川龍之介などの研究で知られる。多くの研究書と啓蒙書、3冊の受験参考書がある。 1960年(昭和35年)9月に新塔社で刊行された『新釈 現代文』は、現代文を読むための「たった一つのこと」だけを説いた高校生、大学受験生向けの本である。約20数年間、現代国語の受験参考書としてベストセラーとなった。「たった一つのこと」とは、文脈を追跡するための「内面的運動感覚」である。論旨の展開を追跡する論理感覚とでもいうものであった。
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岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 197… 岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 1977年12月7日)は、日本の英語学者、英文学者。ロバート・ルイス・スティーヴンソン研究の日本における第一人者で、スティーヴンソン・クラブの日本人唯一の会員。 横浜生まれ。祖父の岩田幸吉は中区石川町で質店を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校卒業。1932年(昭和7年)、東京外国語学校英語部文科卒業。横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)教諭、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授を経て、1943年(昭和18年)に東京商科大学(現一橋大学)講師、翌年に教授。1971年(昭和46年)に定年を前に退職。一橋文芸顧問を務めた。 横浜高等女学校では中島敦の同僚で、中島の「光と風と夢」に対するスティーヴンソンの手紙の影響を論じたりしている。
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八木 毅(やぎ つよし、1910年4月16日生まれ)は、英文… 八木 毅(やぎ つよし、1910年4月16日生まれ)は、英文学者、俳人。 愛媛県生まれ。松山中学校、松山高等学校卒、1934年東京帝国大学文学部英文科卒。外務省嘱託、世界経済調査会主事、1946年明治大学文学部教授、1981年定年。俳句は1933年臼田亜浪に師事し「石楠」に拠る。1981年から『河原』に参加、俳号は八木絵馬。
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白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006… 白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市出身。 1923年、福井市の順化尋常小学校(現・福井市順化小学校)を卒業後、大阪市に移り弁護士・広瀬徳蔵(大阪府会議員を経て立憲民政党代議士)の事務所に住み込みで勤務しながら、成器商業学校夜間部(現・大阪学芸高等学校)に通う。この時期に廣瀬の蔵書を読み漁り漢籍に親しみ独学していった。1930年、京阪商業学校(現・大阪府立芦間高等学校)卒業。 立命館大学専門学部国漢科(夜間)を1936年に卒業。在学中より立命館中学校教諭も務め、1941年には立命館大学法文学部漢文学科に入学。
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河合 亨(かわい とおる、1910年3月31日 - 1993… 河合 亨(かわい とおる、1910年3月31日 - 1993年10月14日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 東京生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。早稲田大学教授を務め、1980年定年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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竹谷 長二郎(たけたに ちょうじろう、1910年3月16日 … 竹谷 長二郎(たけたに ちょうじろう、1910年3月16日 - 2012年2月28日)は、日本の漢文学者。 東京出身。1931年東洋大学専門部倫理学東洋文学専攻卒。書道を吉田苞竹に、漢詩を仁賀保香城に学ぶ。旧制中学勤務をへて、東京都立日比谷高等学校漢文・国語教師を務めた。1970年退職。江戸時代の文人画家を研究した。
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一柳 寿一(ひとつやなぎ じゅいち、1910年3月1日 - … 一柳 寿一(ひとつやなぎ じゅいち、1910年3月1日 - 1998年7月14日)は日本の天文学者。 長野県出身。昭和6年(1931年)東京帝国大学理学部天文学科卒業。同10年(1935年)東北帝国大学理学部講師、同12年(1937年)助教授、同25年(1950年)東北大学教授、同48年(1973年)定年退官。日本天文学会理事長も務めた。 著書に「量子物理学と天文学」などがある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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越智 文雄(おち ふみお、1910年2月25日 - 2003… 越智 文雄(おち ふみお、1910年2月25日 - 2003年1月26日)は、日本の英文学者。元同志社女子大学学長。17世紀イングランドの詩人ジョン・ミルトンを専門とし、日本ミルトン・センター(後に日本ミルトン協会)の設立者、初代代表者。愛媛県出身、広島生まれ。同志社大学英文科卒業(1934年)。1960年、文学博士。 平井正穂は、越智の1953年の著作『ミルトン研究』を日本におけるミルトン研究史の「一つ重要な指標」と評価した。 孫の越智敏裕は弁護士・上智大学教授・小説家。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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白木 茂(しらき しげる、1910年2月19日 - 1977… 白木 茂(しらき しげる、1910年2月19日 - 1977年8月5日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 青森県三戸郡向村(現在の南部町)生まれ。日本大学英文科卒業。戦前は大久保康雄の翻訳工房に参加。田中西二郎、中村能三らと下訳を担当し翻訳工場と呼ばれた。 英米児童文学の紹介で数多くの翻訳、編著を刊行、日本児童文芸家協会常任理事、少年文芸作家クラブ初代会長として大衆的児童文学の育成に努めた。国際アンデルセン賞国内選考委員などを歴任。 『児童文学辞典』(共編、東京堂出版、1970)がある。欧米の少年向けSF「少年少女世界科学冒険全集」(講談社、1956)の企画者で、自らもイーラム『少年火星探検隊』を訳した。
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野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 200… 野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 2001年2月4日)は、日本のイタリア文学者・イタリア語学者。京都大学名誉教授。
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内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英… 内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英文学者。 京都府出身。第三高等学校卒、1935年京都帝国大学文学部英文科卒。陸軍中尉。1962年「Henry Fieldingの小説The life of Mr. Jonathan Wild, the great(1743)における諷刺の研究」で京都大学文学博士。第三高等学校教授、大阪市立大学助教授、教授、1966年東海大学文学部教授、文学部長、81年定年退任、名誉教授。十八世紀英文学研究会を組織した。
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武者小路 実光(むしゃこうじ さねみつ、1910年1月5日 … 武者小路 実光(むしゃこうじ さねみつ、1910年1月5日 - 1995年4月29日)は、フランス文学者。東京大学名誉教授。 子爵武者小路公共の長男として東京に生まれる。1916年、学習院初等科に入学。1932年東京帝国大学仏文科卒。東京大学教養学部助教授、教授、1971年定年退官、獨協大学教授。1987年東京大学名誉教授。 異母弟に武者小路公秀、叔父に武者小路実篤、祖父に武者小路実世、外祖父に毛利元徳がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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滝山季乃(瀧山季乃、たきやま すえの、女性、1910年1月4… 滝山季乃(瀧山季乃、たきやま すえの、女性、1910年1月4日-1993年4月9日)は、英文学者。文学博士(同志社女子大学・1983年)。 1910年(明治34年)大阪府生まれ。1934年(昭和9年)同志社大学英文科卒。主婦をしたのち、第二次世界大戦後同志社女子大学助教授、同大学家政学部教授。1983年(昭和58年)「ハーデイの小説研究」で同志社女子大学より文学博士の学位を取得。80年定年、名誉教授。詩人のトマス・ハーディの著作の翻訳、研究が専門分野。
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大礒 義雄(おおいそ よしお、1910年1月3日 - 201… 大礒 義雄(おおいそ よしお、1910年1月3日 - 2015年)は、日本の国文学者。 東京市本郷区本郷生まれ。実は明治42年12月12日生まれだが届けが遅れて戸籍上は明治43年1月3日生まれになったという。1922年元町小学校、1927年東京府立第五中学校卒業、1年間浪人して1928年静岡高等学校文科甲類に入学。1931年東京帝国大学文学部国文科入学、志田義秀に師事する。1934年3月卒業するが不況下で就職口がなく、9月群馬県立渋川中学校に就職、1938年、新設の東京府立第十一高等女学校に移る。1944年6月愛知第二師範学校に移り、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授、1976年定年退官。名誉教授となり、愛知大学教授を務める。
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山本 捨三(やまもと すてぞう、1910年〈明治43年〉- … 山本 捨三(やまもと すてぞう、1910年〈明治43年〉- 没年不明)は、国文学者。熊本女子大学名誉教授。 滋賀県生まれ。1935年(昭和10年)京都帝国大学文学部国文科卒。関西学院大学助教授、相愛女子短期大学教授、熊本女子大学教授、名誉教授、大谷女子大学教授。
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南波浩(なんば ひろし、1910年-2000年6月29日)は… 南波浩(なんば ひろし、1910年-2000年6月29日)は、国文学者、同志社大学名誉教授。 京都府生まれ。京都帝国大学大学院修了。同志社大学助教授、教授、1981年定年退任、名誉教授、梅花女子大学教授。
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清水 重道(しみず しげみち、1909年〈明治42年〉12月… 清水 重道(しみず しげみち、1909年〈明治42年〉12月14日 - 1958年〈昭和33年〉4月23日)は、日本の国文学者・詩人・作家・歌人。 東京生まれ。東京高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝國大學文學部國文學科卒業。“非常に秀才だった”という。 1935年(昭和10年)『沙羅』を作詞。1936年(昭和11年)信時潔が独唱曲として歌曲集『沙羅』を発表。(発表時、清水27歳、信時49歳) 大學卒業後、岡崎師範学校、東京高等学校教授をへて、1943年(昭和18年) 東京音楽學校教授・文部省嘱託 となる。(昭和20年まで) 1945年(昭和20年)北海道第三師範学校(学芸大学)・旭川分校着任。
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野間 光辰(のま こうしん、1909年11月7日 - 198… 野間 光辰(のま こうしん、1909年11月7日 - 1987年4月30日)は、日本の国文学者。号は般庵。京都大学名誉教授。専門は近世日本文学で、井原西鶴研究の第一人者。 大阪府出身。旧制浪速高等学校を経て、1933年、京都帝国大学国文科卒業。藤井乙男に師事。1949年、京都大学助教授となり、1951年、教授に昇任した。 1973年、定年退官し名誉教授、皇學館大学教授を1983年まで務めた。1981年勲二等瑞宝章受章。1987年4月30日叙正四位。 1974年、藤本箕山の『色道大鏡』を刊行した。実証的な学風で知られ、井原西鶴や近松門左衛門や曲亭馬琴の研究においても成果を残している。終生、羽織はかま姿で教壇に立ち、文人の風格を漂わせる名物教授だった。
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松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 19… 松村 博司(まつむら ひろじ、1909年11月5日 - 1990年10月30日)は、日本の国文学者。名古屋大学名誉教授。文学博士。1958年、日本学士院賞受賞。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校、静岡高等学校 (旧制)文科丙類を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。1957年「栄花物語の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 1933年から1938年まで、母校の静岡中学で教鞭を執った(国漢)。山形高等学校教授、第八高等学校教授、名古屋大学文学部助教授を経て、1959年、同教授。1973年、定年退官、名誉教授。南山大学教授。1980年、南山大学退職。1958年、「栄花物語の研究」で日本学士院賞受賞。
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曽沢 太吉(曾澤太吉、そざわ たきち、1909年10月17日… 曽沢 太吉(曾澤太吉、そざわ たきち、1909年10月17日 - 1996年2月13日)は、国文学者。中古・中世文学が専門。 長野県上高井郡小山村(現須坂市)生まれ。旧制須坂中学(長野県須坂高等学校)を経て、1933年京都帝国大学文学部国文科卒。旧制大阪府立市岡中学、池田中学などの旧制中学校教諭を経て、1943年大東亜錬成院錬成官、1944年長岡工業専門学校教授、1947年奈良女子高等師範学校教授、1950年奈良女子大学教授、1963年文学部長、1971年学長。1977年定年退官、名誉教授、摂南大学国際言語文化学部教授。仏教美術協会理事長。文化庁平城宮跡保存整備委員会委員などを歴任した。
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次田 真幸(つぎた まさき、1909年(明治42年)10月1… 次田 真幸(つぎた まさき、1909年(明治42年)10月13日 - 1983年(昭和58年)11月15日)は、上代日本文学者。 妻・万貴は、文学博士田中義能の四女。弟次田香澄は中世日本文学者。 東京小石川に生まれる。父の次田潤は国文学者で、その長男。父の転勤にしたがい鹿児島、釜山、伊勢、鹿児島、佐賀、東京と移転、水戸高等学校(旧制)卒、1933年東京帝国大学文学部国文科卒。 1937年第四高等学校教授、40年第二高等学校教授、43年東京女子高等師範学校教授、49年お茶の水女子大学助教授、53年教授、75年定年退官、名誉教授、幾徳工業大学教授。80年退職。没後正四位。
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太田 三郎(おおた さぶろう、1909年10月10日 - 1… 太田 三郎(おおた さぶろう、1909年10月10日 - 1976年10月11日)は、日本の英文学者・比較文学者。 1909年(明治42年)10月10日、朝鮮・釜山に生まれた。 1934年(昭和9年)に東北帝国大学法文学部英語英文科を卒業した。太平洋戦争後に東京工業大学助教授に就任し、その後教授に就任した。1948年(昭和23年)には中島健蔵、福田陸太郎とともに日本比較文学会を設立、幹事を務め、国際比較文学会に出席した。1966年(昭和41年)に千葉大学教授に就任し、1973年(昭和48年)に定年退官した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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関根 慶子(せきね よしこ、1909年10月4日 - 199… 関根 慶子(せきね よしこ、1909年10月4日 - 1998年9月12日)は、日本の国文学者。文学博士(東京教育大学・論文博士・1962年)。お茶の水女子大学名誉教授。 国文学者・関根正直の娘で、仏文学者の関根秀雄は実兄、旧約聖書学者の関根正雄は実弟。経済学者の関根友彦や、倫理学者関根清三は甥。 東京生まれ。1927年、内村鑑三の聖書講義を聞いて入信し、1930年、塚本虎二の丸の内聖書研究会の会員となる。1931年、東京女子高等師範学校卒、1939年、東京文理科大学国文科卒業、副手となる。1940年、実践女子専門学校教授。1949年、お茶の水女子大学専任講師、1953年、助教授。1962年、「中古私家集の研究」で東京教育大学文学博士。
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本野 亨一(もとの こういち、1909年9月19日 - 19… 本野 亨一(もとの こういち、1909年9月19日 - 1993年5月28日)は、日本のドイツ文学者である 東京出身。1934年京都帝国大学文学部独文科卒。立命館大学教授を退職後は、1976年から1980年まで甲南女子大学教授。フランツ・カフカを専攻し、最初に作品を訳・刊行した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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井上 究一郎(いのうえ きゅういちろう、1909年9月14日… 井上 究一郎(いのうえ きゅういちろう、1909年9月14日 - 1999年1月23日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、エッセイスト。東京大学名誉教授。本名・九一郎。マルセル・プルースト研究の第一人者であり、『失われた時を求めて』の個人全訳で知られる。 大阪府出身。東京帝国大学フランス文学科卒業。1949年、東京大学教養学部助教授。1953年、フランス渡航中の森有正が辞表を出したため、その代わりとして文学部仏文科助教授、61年教授。70年定年退官後は武蔵大学教授。1999年1月23日に心肺不全のため、89歳で死去した。娘の金沢公子もフランス文学者で、その子(井上の孫)金沢英之は、国文学者である。
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太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 19… 太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 1996年11月15日)は、昭和・平成期の歌人、漢文学者、法政大学名誉教授。専門は中国詩学。文学博士。歌誌『潮音』主宰。妻(後妻)は歌人の太田絢子。青丘の娘は京都大学国語国文科卒の木村雅子(生母は満喜子)で『潮音』現主宰。 長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)生まれ。本名・兵三郎(ひょうざぶろう)。太田水穂の兄・嘉曾次の三男で、父の没後に水穂・四賀光子夫妻の養子となる。当初は漢詩の創作から始まり、1928年(昭和3年)水穂の歌誌『潮音』に入会。旧制武蔵高等学校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部中国文学科卒。東大大学院をへて文部省国民精神文化研究所所員。
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田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 200… 田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 2002年4月17日)は、日本の国文学者・国語学者・教育者。学位は、文学博士(國學院大学・1961年)。國學院大学名誉教授、元国学院女子短期大学初代学長。三重県亀山市生まれ。東京都育ち。田邊正男とも表記される。 国語学者として中学校・高等学校の多くの国語教科書・古文教科書・指導要領の策定に関わった この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
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山口 正(やまぐち ただし、1909年(明治42年)8月26… 山口 正(やまぐち ただし、1909年(明治42年)8月26日 - 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の国文学者。茨城大学名誉教授。上代文学、特に『万葉集』が専門だが、作文教育にも関わった。 鹿児島県加治木(現・姶良市加治木町)生まれ。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を経て、1930年3月第七高等学校造士館 (旧制)文科卒業。1933年東京帝国大学文学部国文科卒業。海城中学校(現・海城高等学校)教諭、1936年長野県飯田中学校(現・長野県飯田高等学校)教諭、釜山高等女学校教諭、水戸高等学校教授、茨城大学文理学部助教授、教養部教授、1975年定年退官、名誉教授。2000年5月26日、虚血性心不全のため死去。
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祐田 善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13… 祐田 善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13日 - 1973年(昭和48年)8月23日)は、日本の国文学者、浄瑠璃・歌舞伎研究者。 1909年(明治42年)、大阪府大阪市東区北久宝寺町で生まれた。1928年(昭和3年)に大阪府立今宮中学校を卒業し、第三高等学校文科乙類へ入学。1932年、同校を卒業後、京都帝国大学文学部文学科国語学国文科専攻に進んだ。1936年に卒業し、同大学大学院に進学。 京都大学に在籍のまま、1938年に天理図書館嘱託となる。これに合わせて、この頃天理市に居を移した。翌1939年2月に天理図書館司書を退職。1941年3月に京都帝国大学大学院を修了し、1942年4月から天理中学校嘱託に就職した。
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小川 和夫(おがわ かずお、1909年8月10日 - 199… 小川 和夫(おがわ かずお、1909年8月10日 - 1994年3月26日)は、日本の英文学者。元NHK職員。 東京市浅草区(現・東京都台東区)生まれ。水戸高等学校文科乙類を経て、1935年に東京帝国大学文学部英文科を卒業。 翌1936年に当時社団法人だったNHKにアナウンサーとして入局。戦前のNHKは軍の宣伝機関であったこともあり、今日のような分業制はとられておらず、報道記者も兼ねていた。戦後の改革で報道専業となり、外信部(現在の国際部)に配属。1961年ロンドン支局長、1962年ヨーロッパ総局長、1965年報道局長、1967年解説委員室主幹。 記者勤務の傍ら、イギリス・ロマン派の文学を研究、翻訳を行った。
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和田 徹三(わだ てつぞう、1909年(明治42年)8月4日… 和田 徹三(わだ てつぞう、1909年(明治42年)8月4日 - 1999年6月27日)は日本の詩人・英文学者。北海道余市町出身。小樽高等商業学校卒。龍木煌(たつき あきら)のペンネームを持つ。 北海道薬科大学教授をつとめ英語を教える傍ら、詩人として活動。1930年頃伊藤整と同時に百田宗治主催の「椎の木」に参加し、文学活動に専念する。英詩の翻訳(ハーバート・リードの研究者としての実績)からモダニズムへと変貌。1997年「湾」で和田自身が《「湾」を形而上詩の研究とと実作の場にしよう》という沢村光博の提案を受け、私は《長編形而上詩の実験作品を連載することにした。》と述べている。また1970年頃《沢村光博はカソリシズムとコミュニズムの結合を企てていたし、私は親鸞思想へ激しく傾斜していった。
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相沢 博(あいざわ ひろし、1909年(明治42年)8月4日… 相沢 博(あいざわ ひろし、1909年(明治42年)8月4日 - 1992年(平成4年)12月7日)は、ドイツ文学・比較文学者。 宮城県生まれ。1933年東京帝国大学独文科卒。同大学院を経て、戦後東京大学教養学部教授、1970年定年退官、青山学院大学教授。1980年退職。専門はドイツ伝承文学。
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勝見 勝(かつみ まさる、1909年7月18日 - 1983… 勝見 勝(かつみ まさる、1909年7月18日 - 1983年11月10日)は、日本の美術評論家、フランス文学者。 東京都出身。東京帝国大学文学部美学科卒業。同大学院に学ぶ。 日本デザイン学会設立委員。1959年、『グラフィックデザイン』を創刊。東京オリンピックのデザイン専門委員会委員長として、幅広くデザインディレクターも務めた。。初期はフランス文学の翻訳を行った。 1983年、東京都内の仕事場で死去。享年74歳。 勝見の葬儀の香典は「勝見勝著作集」の刊行と、「勝見勝賞」の制定にあてられた。
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稲田 定雄(いなだ さだお、1909年7月1日 - 1993… 稲田 定雄(いなだ さだお、1909年7月1日 - 1993年12月17日)は、日本のロシア文学者、歌人、作家。 福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。1934年大阪外国語学校ロシア語科卒。日本ロシア文学会理事。国鉄門司鉄道局勤務、実業之世界社および日露通信社の記者、陸軍航空通信学校教官などの経歴を有する。 交通新聞に私小説的な作品である『或る女の横顔』を連載。姉妹編として短編集『妻の体温』がある。また「創作」(若山牧水が創始者)に参加した歌人でもあり、昭和万葉集に作品が収められている。
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朝倉 季雄(あさくら すえお、1909年6月29日 - 20… 朝倉 季雄(あさくら すえお、1909年6月29日 - 2001年4月11日)は、日本の文学研究者、フランス語学者・フランス文学者。 東京生まれ。1922年 東京私立暁星小学校卒業。1927年東京私立暁星中学校卒業、1931年官立東京高等学校文科丙類卒業、1934年 東京帝国大学文学部仏蘭西文学科卒業。母校・暁星小学校の教師となる。1946年日本大学三島予科教授、1949年茨城大学助教授、1953年東京大学教養学部助教授。1959年9月よりNHK教育で始まったテレビフランス語講座の講師となる(1962年まで)。1961年東大教授、1970年定年退官、中央大学経済学部教授。1987年東京大学名誉教授。
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阿部 喜三男(あべ きみお、1909年6月16日 - 197… 阿部 喜三男(あべ きみお、1909年6月16日 - 1970年11月22日)は、日本の国文学者。近世俳諧が専門。 1933年、東京帝国大学文学部国文科卒。台北第一中学校教諭、東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)教諭、海軍教授。戦後は明治大学政治経済学部助教授、教授。在職中に61歳で死去。小躯斗酒も辞さないほどの酒好きだった。
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久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - … 久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - 2012年9月23日)は、日本の国文学者。学位は文学博士(東北大学・1962年)(学位論文「古今和歌集成立論」)。愛知大学第9代学長。勲二等瑞宝章。 愛知県渥美郡牟呂吉田村高州(現・愛知県豊橋市高洲町)生まれ。第一高等学校を経て、1934年に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1938年に同大学院を退学。福岡女子専門学校教授。応召先のシンガポールで捕虜となる。 1946年に復員し、愛知大学予科教授、1949年に愛知大学教授、1970年に文学部長、愛知大学理事、1972年に学長および理事長を歴任。1984年に退任、名誉教授、勲二等瑞宝章、1985年に中華人民共和国南開大学名誉教授。
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藤井 清(ふじい きよし、1909年4月17日 - 1998… 藤井 清(ふじい きよし、1909年4月17日 - 1998年10月6日)は、日本の歌人・国文学者。 福井県鯖江市生まれ。1939年広島文理科大学史学科卒。仙台の宮城県立第一高等女学校(現在の宮城県宮城第一高等学校)をふりだしに、宇都宮、福井など各地の高校、大学で教え、1969年退職。 1932年『国民文学』に入会し、松村英一に師事する。のち編集委員・選者。1978年「高樹会」会員となり、合同歌集「高樹」に参加。千代國一編集の歌誌「国民文学」の選者を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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吉田 幸一(よしだ こういち、1909年4月12日 - 20… 吉田 幸一(よしだ こういち、1909年4月12日 - 2003年1月9日)は、日本の国文学者、書誌学者、出版人、古典籍蒐集家。東洋大学名誉教授。 学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1961年)(学位論文『和泉式部日記の基礎研究』)。日本古典文学の叢書「古典文庫」を個人事業として編纂・発行したことなどで知られる。 1909年(明治42年)4月12日、静岡県静岡市に生まれる。1930年(昭和5年)4月東洋大学文学部国文学科入学、1933年(昭和8年)7月卒業。並行して東京外国語学校支那語専修科(夜間)で中国語を学ぶ。吉田は恩師として藤村作と久松潜一の名を挙げている。 会社勤務、小学校代用教員を経て、1939年(昭和14年)4月、静岡県立浜松商業学校・同工業学校嘱託(中国語担当)。
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川副国基(かわぞえ くにき、1909年3月18日―1979年… 川副国基(かわぞえ くにき、1909年3月18日―1979年)は、日本近代文学者、早稲田大学名誉教授。 長崎県生まれ。早稲田大学国文科卒。早稲田大学教授。78年定年退任。
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土橋 寛(つちはし ゆたか、1909年2月27日 - 199… 土橋 寛(つちはし ゆたか、1909年2月27日 - 1998年6月11日)は、日本の国文学者、万葉学者、同志社大学名誉教授。『万葉集』や記紀歌謡など、古代和歌を専門とした。 長崎県生まれ。京都帝国大学文学部文学科国文学専攻卒業、立命館大学予科教授、立命館短期大学教授、奈良学芸大学教授を経て、1962年に同志社大学教授。1978年に『万葉開眼』で毎日出版文化賞受賞。1979年に定年退職、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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野島 正城(のじま まさなり、1909年2月21日- 199… 野島 正城(のじま まさなり、1909年2月21日- 1997年12月2日)は、日本のドイツ文学者。 大分県生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒、東京大学教養学部教授、1969年定年となり明治大学教授を務めた。ドイツ文学、特にシラー、トーマス・マンを訳した。
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佐佐木 治綱(ささき はるつな、1909年2月20日 - 1… 佐佐木 治綱(ささき はるつな、1909年2月20日 - 1959年10月8日)は、昭和期の歌人、国文学者。 佐佐木信綱の三男として東京に生まれる。東京高等師範学校附属中学校、旧制第八高等学校を経て、1935年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。父と斎藤瀏に師事し、1940年「鶯」を創刊。1944年「心の花」と合併し、1952年から編集責任者。白百合短期大学教授。中世和歌、特に玉葉和歌集・風雅和歌集を専門とした。1959年、転落事故により急逝。父よりも早い死であった。 妻の佐佐木由幾(旧姓・鈴木、理化学研究所研究員鈴木庸生の次女)も歌人。長男は歌人の佐佐木幸綱。孫に佐佐木頼綱、佐佐木定綱。
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大塚 幸男(おおつか ゆきお、1909年2月18日 - 19… 大塚 幸男(おおつか ゆきお、1909年2月18日 - 1992年9月9日)は、日本のフランス文学者、比較文学者。福岡大学名誉教授。 佐賀県佐賀市生まれ。1933年九州帝国大学仏文科卒、1957年パリに遊学。のち福岡大学教授。アナトール・フランスなど近代フランス文学専攻、比較文学会でも活躍し、著書・翻訳は多数ある。 漫画家の小林よしのりは教え子の一人。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - … 柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - 1998年7月27日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、東北大学名誉教授。
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富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2… 富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2003年2月10日)は、日本のドイツ文学者・比較文学者、東京大学名誉教授。 1909年、東京で生まれた。父・富士川游は医師で医学史家。神奈川県立湘南中学校、旧制広島高等学校を経て、東京帝国大学に進学。1932年に卒業。戦前、戦中は雑誌『四季』、『批評』などに寄稿。 1936年、第六高等学校講師となり岡山に住んだ。1938年、長男富士川義之が誕生。1943年、佐賀高等学校教授を命じられた。 1946年、九州帝国大学講師に就いた。1949年に新制発足した東京大学教養学部助教授となり、1956年に教授昇格。大学ではドイツ文学、比較文学を講じ、1961年からは比較文学比較文化研究室主任教授を務めた。
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菊盛 英夫(きくもり ひでお、1909年2月14日 - 20… 菊盛 英夫(きくもり ひでお、1909年2月14日 - 2001年12月12日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、映画・文芸評論家、翻訳家。中央大学教授を歴任。 富山県富山市生まれ。1933年東京帝国大学独文科卒業。1980年まで中央大学教授。 多くの著書、翻訳があり、トーマス・マンを専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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井上 宗次(いのうえ そうじ、1909年2月11日 - 19… 井上 宗次(いのうえ そうじ、1909年2月11日 - 1997年10月9日)は、日本の英文学者、翻訳家。大阪府立大学名誉教授。 京都帝国大学文学部英文学科卒業、京都帝国大学大学院文学研究科英文学専攻博士課程修了。和歌山大学教授を経て大阪府立大学教授、定年により名誉教授、神戸学院大学教授。ユージン・オニールなどを訳した。 1997年、急性心筋梗塞のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
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古川 久(ふるかわ ひさし、1909年(明治42年)2月2日… 古川 久(ふるかわ ひさし、1909年(明治42年)2月2日 - 1994年(平成6年)8月15日)は、日本の国文学者。東京女子大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。東北帝国大学国文科卒、松本高等学校教授、宇都宮大学助教授、東京女子大学教授、68年定年退任、名誉教授、東京農業大学教授、武蔵野女子大学教授。52-81年法政大学能楽研究所兼任所員。能楽・狂言を主として研究。ほか、師の小宮豊隆を助けて戦後の岩波書店『漱石全集』の編纂に携わり、漱石研究も行った。墓所は多磨霊園
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