下山進(しもやま すすむ、1962年(昭和37年)- )は、… 下山進(しもやま すすむ、1962年(昭和37年)- )は、日本の編集者、ノンフィクション作家。 東京都生まれ。1986年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、文藝春秋に入社。1993年コロンビア大学ジャーナリズムスクール国際報道上級課程修了。 一貫してノンフィクション畑を歩き、河北新報社『河北新報のいちばん長い日』、ケン・オーレッタ『グーグル秘録』、船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』、ジリアン・テット『サイロ・エフェクト』などを手がけた。 2018年4月から、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授、上智大学文学部新聞学科非常勤講師を務める。 2019年3月、文藝春秋を退社。
原口 正宏(はらぐち まさひろ、1962年 - )は、東京都… 原口 正宏(はらぐち まさひろ、1962年 - )は、東京都出身の男性フリーライター、編集者、アニメーション研究家。 東京工芸大学講師、東映アニメーション研究所講師、日本アニメーション協会会員、日本アニメーション学会会員、リスト制作委員会代表。通称データ原口。妻はイラストレーターの道原しょう子。 1980年代より日本の商業テレビアニメーションの歴史の研究の第一人者として活躍する。作品のクレジット確認に加え、現存する資料の確認、スタッフへの取材などを通じて、商業アニメの基礎資料の発掘と整備に尽力。 1979年に戸山高校漫画研究部で自主制作セルアニメを作成。1981年に早稲田大学第一文学部に入学して早稲田大学アニメーション同好会に所属し、在学中に「リスト制作委員会」を開始して1983年から1985年までのテレビアニメのスタッフなど放映の記録をまとめた同人誌である「リスト '83 」と「リスト '84 」を刊行した。
内田 和浩(うちだ かずひろ、1962年 - )は、日本のフ… 内田 和浩(うちだ かずひろ、1962年 - )は、日本のフリーライター、編集者。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立松陽高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。新人物往来社、雄山閣勤務を経て、2002年よりフリーライター、編集者。1995年「シルクロードのペンフレンド」でJTB旅行記賞佳作受賞。 旅行記や仏教芸術に関する著書を多数書いている。
三津田 信三(みつだ しんぞう、1962年〈昭和37年〉- … 三津田 信三(みつだ しんぞう、1962年〈昭和37年〉- )は、日本の小説家・元編集者。 2010年、『水魑の如き沈むもの』で第10回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞する。 奈良県生まれ。1962年生まれ。Googleのナレッジパネルに1978年8月25日生まれとあるが、著者自身が『わざと忌み家を建てて棲む』(中央公論新社)の本文中で否定している。高野山大学文学部人文学科国文学専攻卒業。編集者として出版社での勤務経験がある。編集者としての主な企画には、「ワールド・ミステリー・ツアー13」シリーズ、「日本怪奇幻想紀行」シリーズ、ホラージャパネスク叢書などがある。2001年、『ホラー作家の棲む家』で小説家デビューを果たす。
金沢 克彦(かなざわ かつひこ、1961年12月13日 - … 金沢 克彦(かなざわ かつひこ、1961年12月13日 - )は、プロレス・格闘技ライター、編集者。北海道帯広市出身。青山学院大学経営学部卒業。 週刊ゴング編集部時代はGK(ゴング金沢)と呼ばれ、現在もその呼称で呼ばれることが多い。眼鏡と長髪が特徴。 1986年に新大阪新聞社へ入社し、東京支社で同社発行の週刊ファイト編集部記者となる。1989年に日本スポーツ出版社へと引き抜かれ入社、同社発行の週刊ゴング編集部入り。週刊ゴング編集部時代は担当の新日本プロレス贔屓の筆で知られた。当時、新日本プロレスの現場責任者であり、マスコミとは一線を画していた長州力に食い込んで信頼関係を築き、数々の単独インタビューの機会を得た。
赤田 祐一(あかた ゆういち、1961年11月29日 - )… 赤田 祐一(あかた ゆういち、1961年11月29日 - )は、日本のライター、編集者。 東京都生まれ、O型。『磯野家の謎』『バトル・ロワイアル』といった100万部を超えるベストセラーを手掛け、『Quick Japan』『あかまつ』『団塊パンチ』といった雑誌を立ち上げた編集者として知られる。1960年代から現在に至るまでの日本国内外のポップカルチャーに対する造詣が深い。 小学生時代は手塚治虫に熱中する。中学生時代には、カウンターカルチャー誌『ローリングストーン日本版』(鉄腕アトムが表紙になったこともある)に掲載されていた石上三登志の連載「手塚治虫の奇妙な世界」を読み漁り、石上が『SFマガジン』で連載していた「SFファンシー・フリー」などをきっかけにSFに興味を持つ。
谷川 貞治(たにかわ さだはる、1961年9月27日 - )… 谷川 貞治(たにかわ さだはる、1961年9月27日 - )は、日本の格闘技プロモーター、プロデューサー、元雑誌編集者、元スポーツライター。イベント興行会社FEG社長、元K-1イベントプロデューサー。愛知県名古屋市出身。 名古屋市立八王子中学校、愛知県立旭丘高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。中学、高校とハンドボールに打ち込み、主将を務めた。大学時代には、アメリカンフットボールで活躍した。 大学卒業後、ベースボール・マガジン社入社、空手専門誌『近代空手』編集部に配属。『格闘技通信』には創刊号から記事を執筆し、所属していた『近代空手』が『格闘技通信』に合併されたのに伴い、1987年から正式に同編集部へ配属され、1990年から2代目編集長に就任した。
七北 数人(ななきた かずと、1961年9月23日 - )は… 七北 数人(ななきた かずと、1961年9月23日 - )は、日本の文芸評論家、小説家、編集者である。愛知県名古屋市出身。 名古屋市生まれ。大阪大学文学部を卒業後、出版社勤務を経て、独立する。1990年ごろより、文芸評論を発表、書籍等の編集をする。 小説家坂口安吾に関わり、1997年から2000年まで『坂口安吾全集』決定版の編集に携わる。2000年から安吾を偲ぶ「安吾忌」の事務局を木村立哉らとつとめる(安吾忌は2016年以降は、坂口家主催となるが2024年まで世話人として残る)。 2002年、『評伝坂口安吾 魂の事件簿』を上梓、「こんなに面白くスリリングな評伝読んだことがない!」と安原顕から絶賛され、この年の本ベスト3に安原(本の雑誌)と井口時男(東京新聞)が選定。
吉崎 宏人(よしざき ひろと、1961年5月21日 - )は… 吉崎 宏人(よしざき ひろと、1961年5月21日 - )は日本の劇作家・演出家、編集者。「吉崎ひろと」名義もあり。 福岡県京都郡生まれ。東京都世田谷区、日野市、兵庫県神戸市と転居し、高校は兵庫県立伊川谷高等学校を卒業。同級生に脚本家の薩川昭夫がいた。1981年、早稲田大学社会科学部入学。早稲田大学アナウンス研究会に所属し、同級生には歌人の俵万智がいた。卒業後、大ファンだったつかこうへいに出版社の編集者として原稿依頼に行き、その際俵を引き合わせたところ、つかから、「万智が脚本を書いて、オマエ(吉崎)が演出しろ」と言われ、「はいはい」と二つ返事で請けて演出家デビューが決まった。 1994年4月★☆北区つかこうへい劇団劇作家・演出家コースの1期生となり、1996年に退団。
木村 浩一郎 (きむら こういちろう、1961年〈昭和36年… 木村 浩一郎 (きむら こういちろう、1961年〈昭和36年〉4月17日 - )は、日本の編集者、リーダーズノート出版代表、YouTuber。自称マルチクリエイター。 福岡県北九州市門司区生まれ。高校卒業後に上京して吉祥寺の高級クラブ「ルナ・武蔵野」にバーテンダーとして勤務。1982年高知大学の経済学部に入学、在学中に土佐出版社に勤務する。2度目の上京後は、朝日新聞社広告局外注先の編集プロダクションに勤務して、著名人の紹介記事などを担当。PR会社に転職後、1999年にリーダーズノートを設立。以後、学術書や報道関係の書籍を出版する少人数の出版社を25年間経営している。
八巻 和弘(やまき かずひろ、1961年4月1日 - )は、… 八巻 和弘(やまき かずひろ、1961年4月1日 - )は、小学館の漫画編集者。東京都出身。 神奈川県立厚木高等学校、早稲田大学卒業。『ヤングサンデー』、『週刊少年サンデー』、『ビッグコミックスピリッツ』などの担当を経て、『ビッグコミックスペリオール』の副編集長となる。 土田世紀の漫画『編集王』の主人公・カンパチのモデルと言われているほか、『おごってジャンケン隊』『社長DEジャンケン隊』(現代洋子)では作中に実名で登場し、作者の現代共々ジャンケンで何度も敗北して自腹を切らされる。『おごってジャンケン隊』では、アイドルは西村知美が好きで、ミュージシャンでは藤井尚之が好きだということを明かした。原秀則の作品『冬物語』では名字だけではあるが八巻という酒癖の悪い東大生が登場する。
市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は… 市川 哲史(いちかわ てつし、1961年3月16日 - )は、日本の音楽評論家、編集者、ラジオパーソナリティ、大学非常勤講師。岡山県津山市出身。O型。 大学浪人中の1980年から13年間、『ロッキング・オン』の雑誌を中心に洋邦問わず音楽評論活動を続ける。 当時、硬派な雑誌であった『ROCKIN'ON JAPAN』にX・BUCK-TICKといった後にヴィジュアル系と呼ばれるようなバンドを積極的に取り上げる。アーティストとの呑みの場をレポートをしたコラム「市川哲史の酒呑み日記」も連載した。 1993年に独立して10月に『音楽と人』を創刊するが、社長と編集長を同時に務めていた1998年に自律神経失調症とうつ病を発症して失踪し自殺未遂を起こす。
烏丸 哲也(からすまる てつや、1961年<昭和36年>3月… 烏丸 哲也(からすまる てつや、1961年<昭和36年>3月12日 - )は、日本の音楽編集者、コラムニスト、元プロギタリスト。現在は大型音楽フェス「LuckyFes」会長、およびJMN統括編集長を務める。音楽情報ウェブサイト「BARKS」の創業者であり、24年間にわたり初代編集長を務めた。1980年代にはロックバンド「T.V.」のギタリストとしても活動していた。 1961年、鹿児島県鹿屋市に生まれる。家族構成は両親と姉が1人。父親は海上自衛隊の自衛官であり、当時は鹿屋基地に勤務していた。 自衛官である父親の転勤に伴い、幼少期から10代半ばにかけて2〜3年単位で日本全国の自衛隊基地周辺を転々とする生活を送った。
石黒 謙吾(いしぐろ けんご、1961年2月15日 - )は… 石黒 謙吾(いしぐろ けんご、1961年2月15日 - )は、日本の著述家・編集者。
浜村 弘一(はまむら ひろかず、1961年2月8日 - )は… 浜村 弘一(はまむら ひろかず、1961年2月8日 - )は日本の実業家、編集者。
小宮 紳一(1961年 - )は、日本の実業家、編集者。 東… 小宮 紳一(1961年 - )は、日本の実業家、編集者。 東京都生まれ。青山学院大学大学院国際マネジメント研究科を修了。1988年、ソフトバンクに入社。パソコン雑誌、インターネット雑誌の編集長、インターネットビジネス、 モバイルビジネス、シニア系ビジネスの事業責任者を務めた。2005年 アイティメディア執行役員となる。2008年にはオーマイニュース代表取締役社長に就任した。 パソコン、インターネット、携帯電話の黎明期から発展まで実際に関わっており、特にメディアビジネスやネット等を利用した新しいマーケティング手法に対して知識と経験を備えている。 また、シニア世代の知見の活用を目的に生涯学習普及協会を設立し、代表理事に就任するとともに、シニア向けスマートフォンの開発など商品開発を手がける。
烏兎沼 佳代(うとぬま かよ、1961年 - )は、日本の編… 烏兎沼 佳代(うとぬま かよ、1961年 - )は、日本の編集者、ふろく研究家。 山形県生まれ。駒澤大学卒業。高校教諭、台湾での日本語教師を経て、文春ネスコで10年勤務。編集者として「教科書でおぼえた名詩」、「the座」(井上ひさし・こまつ座)、「新版 向田邦子全集」(文藝春秋)、「向田邦子シナリオ集」「井上ひさし短編中編小説集成」(岩波書店)、帝国ホテル ハウスマガジン「IMPERIAL」などに関わる。文学フリマにも出店を重ね、新ジャンル「オチ決め小説」(最後の一行が同じで全く違うストーリーが楽しめるショートショート)を発表しつづける。東京・自由が丘で夫が営むロックバー BAR CLAPTON (2012年開業)のママ、ジャズヴォーカリスト。
中村 昭典(なかむら あきのり、1961年 - )は、日本の… 中村 昭典(なかむら あきのり、1961年 - )は、日本の経営学者、編集者。愛知県出身。 『とらば~ゆ』エリア版編集長、『リクルートブック』エリア版編集長。 愛知産業大学経営学部准教授、キャリアセンター長、名古屋大学大学院工学研究科准教授、コミュニケーションデザイン室長などを経て、名古屋経済大学経営学部教授、副学長。専門はパブリック・リレーションズ、インターナル・コミュニケーションならびに雇用、人材育成、キャリアデザイン。
マーガレット(東京都出身、1961年生まれ)は、日本の雑誌編… マーガレット(東京都出身、1961年生まれ)は、日本の雑誌編集者、ドラァグクイーン、実業家。 和光大学卒業後、原宿の美容室「SASHU」を経営する渡辺サブロオの元でメイクアップの仕事に携わる。雑誌『CUTiE』での連載を契機に、ゲイ雑誌『Badi』に編集長代行(スーパーバイザー)として参画した。並行して、ドラァグクイーンとしても活動。同業者らからは、(同程度の経歴を持つ関西のドラァグクイーンである「西の魔女」シモーヌ深雪と並んで)「東の魔女」とも畏敬される。文筆業やアロマオイルの輸入販売事業の経営を経て、2016年11月に、1万冊にも及ぶLGBT関連の蔵書より500冊から600冊を精選して閲覧に供する喫茶店「オカマルト」を新宿二丁目にて開業した。
ササキバラ・ゴウ(1961年 - )は、日本の漫画編集者、漫… ササキバラ・ゴウ(1961年 - )は、日本の漫画編集者、漫画・アニメ評論家・研究者。 秋田県出身。本名は佐々木 果(ささき みのる)。大学教員として、あるいは学術シンポジウムなどに出席する際には本名で活動している。 早稲田大学第一文学部哲学科卒業。1985年、徳間書店に入社。『月刊少年キャプテン』編集部で島本和彦の『逆境ナイン』などを担当。『アニメージュ』などでライターも行っていた。徳間書店時代に担当していた作家は島本和彦、Moo.念平、松本嵩春、陽気婢、田沼雄一郎など。 1992年から『月刊少年キャプテン』編集長を務めた後、1995年に退職。フリー編集者となり、松本嵩春『アガルタ』の担当編集も務めた。
田山 三樹(たやま みき、本名同じ、男性、1961年 - )… 田山 三樹(たやま みき、本名同じ、男性、1961年 - )は日本の音楽ライター、漫画編集者である。編集者として活動する傍ら、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)に特化した書籍を編著作として発表。近年はYME(イエロー・マジック・エディター)なる肩書きを自称している。関わる音楽ジャンルは主に1980年代初頭のテクノポップである。 宝島社発行の『音楽誌が書かないJポップ批評30 YMO&アーリー80's大全』の執筆者プロフィールによれば、1961年生まれとの記載がある。 高校教師(父親は後に東京都立新宿高等学校校長を務める)を両親に、3つ違いの兄と東京都目黒区で育つ。目黒区内の中学を卒業後、東京都立目黒高等学校へ進学、1浪後、上智大学に学ぶ。
村崎 百郎(むらさき ひゃくろう、本名:黒田 一郎、1961… 村崎 百郎(むらさき ひゃくろう、本名:黒田 一郎、1961年 - 2010年7月23日)は、日本の鬼畜系・電波系ライター、編集者、翻訳家、漫画原作者。妻は漫画家の森園みるく。 生まれつき「電波」を受信する特異体質であると自称し、狂気に満ちた特異なキャラクターと豊富な知識で書かれる秀逸かつ猟奇的な文章で「鬼畜系」の地位を築き「電波系」という言葉を定着させた。 村崎百郎は『月刊漫画ガロ』(青林堂)1993年10月号の特集「夜、因果者の夜」で特殊漫画家の根本敬によるゴミ漁りのインタビューで「村崎百郎」としてメディアに初登場。その後、世紀末の鬼畜ブーム・悪趣味ブームにおいて「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ことを目的に1995年より「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日本一ゲスで下品なライター活動を始めると宣言。
中村 公彦(なかむら きみひこ、1961年 - 2026年4… 中村 公彦(なかむら きみひこ、1961年 - 2026年4月26日)は、日本の編集者。COMITIA実行委員会会長、全国同人誌即売会連絡会世話人、『ぱふ』編集長、日本漫画家協会理事を歴任した。 東京都出身で、成蹊大学卒業。1988年から1993年までの間、『ぱふ』の編集長を務めた。COMITIAの設立に携わり、1985年から2022年11月まで実行委員会代表を務める。 2013年に児童ポルノ禁止法の改正案が検討されていた際は、規制対象に創作物を含めないよう当時政調会長を務めていた高市早苗に陳情した。2024年にコミティア実行委員会が第28回手塚治虫文化賞特別賞を受賞した際は、浜離宮朝日ホールで開かれた贈呈式に出席し、会長としてスピーチを行った。
佐藤 敦紀(さとう あつき、1961年 - )は、日本のVF… 佐藤 敦紀(さとう あつき、1961年 - )は、日本のVFXスーパーバイザー、特撮監督、映像編集者。元Motor/lieZ所属。株式会社TMA1代表取締役。 静岡県出身。早稲田大学第二文学部卒。 大学在学中の1981年からスタジオディーンにて3年間演出助手として勤務。1988年にIMAGICA特撮映像部にて5年間モーションオペレーターを務める。その後しばらくはフリーで活動した後『アヴァロン』への参加を機に2001年よりMotor/lieZに所属。 2011年10月27日、「VFX-JAPANキックオフミーティング」ではパネルディスカッションに登壇した。 2013年2月23日、VFX-JAPANアワード 2013の「CM、博展映像部門」を受賞。
朝廣 佳子(あさひろ よしこ、1960年9月26日 - )は… 朝廣 佳子(あさひろ よしこ、1960年9月26日 - )は、日本の編集者。奈良県の総合情報サイト「奈良っこ」および月刊情報誌「yomiっこ」編集長。 1960年、岡山県倉敷市生まれ。岡山県立児島高等学校、関西大学卒業。1993年、株式会社読売奈良ライフ代表取締役。1999年、奈良青年会議所第40代理事長、「カウントダウン2000 in NARA」実行委員長及び「なら燈花会」実行委員長。2000年、「なら燈花会の会」会長。観光カリスマ。 2017年の奈良市長選挙に自由民主党推薦で出馬するも、現職の仲川げんに敗れ、次点の山下真(元生駒市長)にも大きく引き離されて3位に終わった。 奈良市では、1988年(平成元年)より来訪者数20万人規模のイベント「ならまつり」が毎年8月に実施されてきたが、1998年(平成10年)に奈良市市制100周年を迎えるにあたり、さらに観光客を誘致できるイベントの開催について検討するため「祭りを考える会」が発足、朝廣は、この考える会の立ち上げ当初から参画していた。
中川 右介(なかがわ ゆうすけ、1960年9月15日 - )… 中川 右介(なかがわ ゆうすけ、1960年9月15日 - )は、日本の評論家・編集者。元・出版社経営者。旧姓藤岡。東京都出身。 祖父・藤岡淳吉は日本共産党創立メンバーの一人で、脱党後は共生閣や聖紀書房、彰考書院などの出版社を経営した人物。その影響で、中川自身も小学生まで社会主義者だった。のち両親の離婚により、母方の姓となる。 早稲田大学第二文学部卒業後、父・藤岡啓介が創立した出版社アイピーシー(インタープレスから社名変更)の倒産の後始末をする過程で、自らの出版社アルファベータを創立。ドイツ、イタリア、米国など海外の出版社と提携して芸術家や文学者の評伝を出版。 アルファベータ代表取締役や『クラシックジャーナル』編集長を務める傍ら、自らもクラシック音楽関係の著書を執筆。
月本 裕(つきもと ゆたか、1960年9月8日 - 2008… 月本 裕(つきもと ゆたか、1960年9月8日 - 2008年1月9日)は、日本の作家、編集者。 東京都文京区出身。武蔵中学校・高等学校卒業。上智大学外国語学部ロシア語学科中退。漫画研究会に所属。法政大学文学部日本文学科中退。在学中より、マガジンハウスの『BRUTUS』や、『ガリバー』などの雑誌で編集者として活躍した後、作家活動を開始する。 1985年、栗本慎一郎の『鉄の処女』(光文社)で、人物紹介を担当、赤裸々な筆致で名を馳せる。単独著書としては、1986年に『「東京時代」は、永遠です。―だから、勇気を出して無責任!』(光文社)でデビュー。 1989年、小説「キャッチ」(「今日もクジラは元気だよ」)で第1回坊っちゃん文学賞大賞を受賞。
田北 浩章(たきた ひろあき、1960年(昭和35年)8月1… 田北 浩章(たきた ひろあき、1960年(昭和35年)8月16日 - )は、日本の編集者、実業家。 株式会社東洋経済新報社代表取締役社長。 大分県杵築市出身。大分県立杵築高等学校(31回生)卒業。1984年(昭和59年)慶應義塾大学経済学部を卒業し、東洋経済新報社入社。建設、医薬、証券、機械などの産業記者、『オール投資』『週刊東洋経済』の編集部を経て、1999年(平成11年)『ベンチャークラブ』編集長、2002年(平成14年)『週刊東洋経済』副編集長、2005年(平成17年)『会社四季報』編集長、2007年(平成19年)第1編集局次長兼証券部長、2008年(平成20年)企業情報部長を歴任。 2011年(平成23年)取締役、2020年(令和2年)専務。
青山 正明(あおやま まさあき、1960年6月27日 - 2… 青山 正明(あおやま まさあき、1960年6月27日 - 2001年6月17日)は、日本の編集者、ライター。東京公司代表。鬼畜系ムック『危ない1号』初代編集長。本名は大塚 雅美(おおつか まさみ)。 大学在学中に「突然変異」を創刊以降も、ロリータ雑誌、音楽情報誌、ビデオ雑誌、スカトロ雑誌、成人向け漫画雑誌、株式情報専門誌、海外旅行雑誌、高校生向けの学習雑誌など様々な雑誌編集に携わりながら、マイナー一筋のライター稼業に従事。 ドラッグ、ロリコン、スカトロ、フリークスからカルトムービー、テクノ、オカルト、辺境音楽、異端思想、精神世界まで幅広くアングラシーンを論ずる鬼畜系文筆家の草分け的存在。1980年代から1990年代にかけてのサブカルチャーに与えた影響は大きく、生前より稀代の天才編集者と謳われた。
長薗 安浩(ながぞの やすひろ、1960年6月10日 - )… 長薗 安浩(ながぞの やすひろ、1960年6月10日 - )は、日本の小説家、編集者。日本ペンクラブ会員。大正大学特命教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
広瀬 和生(ひろせ かずお、1960年5月1日 - )は、… 広瀬 和生(ひろせ かずお、1960年5月1日 - )は、日本の雑誌編集者・音楽評論家、落語評論家、プロデューサー。 音楽雑誌BURRN!の2代目編集長である。
柳澤 健(やなぎさわ たけし、1960年(昭和35年)3月2… 柳澤 健(やなぎさわ たけし、1960年(昭和35年)3月25日 - )は、日本の編集者、ノンフィクションライター。 東京都出身。慶應義塾大学法学部卒。在学中には漫画専門誌『ぱふ』に関わる。 空調機メーカー勤務を経て、1984年に文藝春秋に入社。大学時代は遊んでばかりで、月刊『文藝春秋』や『週刊文春』はもちろん、芥川賞や直木賞の受賞作さえ読んでいなかったし、文藝春秋を作ったのが作家の菊池寛であることすら知らなかった。 入社後、配属されたのが白石勝編集長体制の『週刊文春』。特集班の下っ端にいながら、田中康夫の連載「トーキョー大沈入」の担当を命じられる。 写真週刊誌『Emma』では、花田紀凱デスクの下で、何本も皇室記事を書いたが、取材したことは1度しかなかった。
関谷 幸一(せきや こういち、1960年2月14日 – )は… 関谷 幸一(せきや こういち、1960年2月14日 – )は日本の編集者、実業家。東京都出身。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
石堂 藍(いしどう らん、1960年1月29日 - )は、日… 石堂 藍(いしどう らん、1960年1月29日 - )は、日本の書評家、文芸評論家、フリー編集者。幻想文学の評論を中心に活躍する。本名、川島徳絵。
中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら や… 中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら やすとも〉、1960年〈昭和35年〉1月1日 - )は、日本のコラムニストで編集者、アイドル評論家。 三重県志摩市出身。おたくという語の生みの親。ペンネームは、中森明菜からとったものである。 中学卒業後、三重県立明野高等学校に入学するも一年の夏休み明けに自主退学。その後、東京の大学に進学していた5歳年上の兄を頼って上京し、東京の高校へと進学する。最終学歴は明治大学付属中野高等学校中退と自称している。 1982年7月、ミニコミ誌ブームの中で、エンドウユイチ(=遠藤諭)達と共に、サブカルチャー総合ミニコミ誌の『東京おとなクラブ』(東京こどもクラブのもじり)を創刊。
本山 嗣朗(もとやま しろう、1960年 - )は、日本の元… 本山 嗣朗(もとやま しろう、1960年 - )は、日本の元雑誌記者、編集者、著作家、僧侶。週刊パーゴルフ副編集長、日本ジャーナリスト専門学校講師を歴任。新潟県十日町市の福聚山長命寺住職。 新潟県松代町(現十日町市)出身。駒澤大学卒業。 月刊誌の出版社を経て、学習研究社の週刊パーゴルフ編集部に配属。1985年から編集記者としてプロツアーを中心にゴルフ界を取材。のちに週刊・月刊パーゴルフ副編集長となる。1996年、学習研究社を退社。 以降、旅行誌の編集長を務めながらフリーの編集記者として活動する。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
澤村 修治(さわむら しゅうじ、1960年 - )は、日本の… 澤村 修治(さわむら しゅうじ、1960年 - )は、日本の編集者、人文学者。本名、横手拓治。松蔭大学教授。 東京生まれ。千葉大学人文学部卒業後、牧野武朗に編集を学ぶ。中央公論社・中央公論新社などで37年にわたり編集者を務め、中公新書ラクレや中公選書の創刊編集長を担当した。 中央公論新社を定年退社後、淑徳大学教授。2025年、同校を定年退任し現職。また、思想誌『ひらく』編集委員長を務める。2022年「唐木順三 あめつちとともに」で博士(文学)〔千葉大学〕。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
阿部 亙英(あべ ひろひで、1960年 - )は、日本の映画… 阿部 亙英(あべ ひろひで、1960年 - )は、日本の映画編集者。 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)編集コースを卒業。フリーランスとして編集助手を経たのち1987年に編集者となる。2009‐2020年 日本映画学校にて講師・日本映画大学にて専任教授として後進の育成に務めた。
斎藤 真理子(さいとう まりこ、1960年 - )は、日本の… 斎藤 真理子(さいとう まりこ、1960年 - )は、日本の韓国語翻訳者、著述家、編集者。 新潟県新潟市生まれ。明治大学文学部卒業。父は新潟大学名誉教授の物理学者で、宮沢賢治の研究者としても知られる斎藤文一。姉は文芸評論家の斎藤美奈子。 1980年から朝鮮語を学び始め、1991年からソウル延世大学語学堂に留学する。出版社勤務を経て、2015年にパク・ミンギュ『カステラ』で第1回日本翻訳大賞受賞。2020年に韓国文学翻訳院の第18回韓国文学翻訳賞文化体育観光部長官賞を受賞。2025年にハン・ガン『別れを告げない』で第76回読売文学賞(研究・翻訳部門)を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
石田 汗太(いしだ かんた、1960年〈昭和35年〉- )は… 石田 汗太(いしだ かんた、1960年〈昭和35年〉- )は、日本の新聞記者、編集者。読売新聞編集委員。 東京都東村山市出身。桐朋高校、早稲田大学を卒業後、1984年に読売新聞社に入社。岐阜支局を経て、文化部に移り、4コマ漫画の編集として『コボちゃん』(植田まさし/朝刊)『サンワリ君』(鈴木義司/夕刊)を担当した。1995年5月からは読売新聞月曜朝刊でパソコン通信の電子会議室を利用した「マルチ読書」を開始する。文芸は元より、マンガ、アニメにも造詣が深く、同じ読売新聞記者の福田淳と同人誌を作りコミックマーケットにも参加した。福田とは共同で「OTAKUニッポン」の編集も担当した。 2009年から読売新聞傘下の中央公論新社に移り、中央公論新社文庫統括本部長などを担当、学術系の文庫を出版している5社共同キャンペーンの「チチカカコ」(ちくま学芸文庫、中公文庫、角川ソフィア文庫、河出文庫、講談社学術文庫)にも関わる。
堀切 和雅(ほりきり かずまさ、1960年 - )は、日本の… 堀切 和雅(ほりきり かずまさ、1960年 - )は、日本の編集者、作家、エッセイスト。 1979年、インディーズバンド「スーパースランプ」創設時のコアメンバーの一人。1984年、劇団「月夜果実店」を結成。作・演出者として、2002年までに22回の公演を行う(『演劇に何ができるのか?』妹尾伸子、嶽本あゆ美、堀切和雅、アルファベータブックス、2017年による[要ページ番号])
中川 六平(なかがわ ろっペい、1960年 - )は、日本の… 中川 六平(なかがわ ろっペい、1960年 - )は、日本のライター、編集者。 新潟生まれ。同志社大学卒業。大学時代からべ平連活動に参加。在学中、哲学者・鶴見俊輔と出会う。 ベ平連の活動の中から、1972年2月25日、山口県岩国市にて反戦喫茶店「ほびっと」を開店。なお、店名はJ・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』に由来し、開店前の企画段階で、相談をしていた反戦米兵が提案した。同年6月5日「銃刀法違反」の容疑で家宅捜索をうける。同年8月7日、家宅捜索に対して、広島地方裁判所に国家賠償請求の訴状を提出。1973年9月17日、「ほびっと」の経営を他のメンバーに託して、京都にもどり大学に復学。1974年、同志社大学卒業。
飯窪 成幸(いいくぼ まさゆき、1959年(昭和34年)9月… 飯窪 成幸(いいくぼ まさゆき、1959年(昭和34年)9月7日 - )は、日本の編集者、実業家。 株式会社文藝春秋社長。 東京都出身。イイクボ副社長やイイクボ石油販売社長を務めた飯窪幸照の長男として生まれる。祖父はイイクボ社長で全国鉄筋業協同組合連合会(現:全国鉄筋工事業協会)初代会長を務めた飯窪幸長(1971年(昭和46年)11月に勲五等瑞宝章受章)。 1982年(昭和57年)に慶應義塾大学文学部国文科を卒業し、文藝春秋入社。入社後は営業局営業部、第一編集局週刊文春編集部、出版局第五出版部、第二出版局第一部勤務を経て、2003年(平成15年)月刊文藝春秋局文藝春秋編集長、2009年(平成21年)文春新書局次長兼文春新書部長、2011年(平成23年)ノンフィクション局長、2013年(平成25年)取締役ノンフィクション局長、2014年(平成26年)国際局長を兼務。
中島 かずき(なかしま かずき、1959年8月19日 - )… 中島 かずき(なかしま かずき、1959年8月19日 - )は、日本の脚本家、劇作家、小説家、編集者。劇団☆新感線の座付作家。福岡県田川市出身。1978年、福岡県立田川高等学校卒業。1982年、立教大学文学部心理学科卒業。初期のペンネームはかずき 悠大。 立教大学在学中は漫画研究会に所属した。 2010年8月20日付で退社するまでは双葉社の会社員で、脚本家・作家業はその傍らに行っていた。双葉社在籍中は『漫画アクション』『ルパン三世officialマガジン』などの編集者を務めた。漫画家の臼井儀人とは初期作品の編集を担当した縁で交流を深めるようになり、2002年には『クレヨンしんちゃん』劇場映画10作目を記念して『クレヨンしんちゃん映画大全』を企画・出版した。
久保 雅一(くぼ まさかず、1959年7月25日 - )は、… 久保 雅一(くぼ まさかず、1959年7月25日 - )は、日本のプロデューサー、漫画編集者。北海道出身。 株式会社area358 代表取締役社長/プロデューサー、一般社団法人日本知財学会副会長/理事、声の保護と多言語化協会(VIDA)代表理事、東京工業大学(現・東京科学大学)非常勤講師、電気通信大学客員研究員、北京電影学院 客座教授、NEXT FILM INSTITUTE 副院長。 元株式会社小学館取締役(国際メディア事業局担当)、元株式会社小学館集英社プロダクション常務取締役、前株式会社小学館ミュージック&デジタル エンタテイメント代表取締役社長、元よしもとデジタルエンタテインメント取締役。
松本隆一(まつもと りゅういち、1959年6月 - )は、コ… 松本隆一(まつもと りゅういち、1959年6月 - )は、コンピュータゲームのライター、編集者。ライターとしての筆名は「ステルス松本」が有名。ほかに「マッチー」「松本大王」「松PP」など。 日本獣医畜産大学卒業後、製薬会社勤務を経てアスキーに入社、ログイン編集部に配属される。以来、「女性経験に乏しい」「軍事オタク」といった個性と、独自のギャグセンスで人気ライターの一人となる。1992年からはギャグコーナー「バカチン市国」も担当し、そのセンスをいかんなく発揮していた。 同誌の副編集長を最後に、アスキーを退社。アメリカ・カリフォルニア州の大学に留学し、コンピュータ・サイエンスを学びながら、自虐的な留学レポートを寄稿するなど、ライター活動も並行させていた。
米原 康正(よねはら やすまさ、1959年5月20日 - )… 米原 康正(よねはら やすまさ、1959年5月20日 - )は、日本の雑誌編集者・写真家・アーティスト。熊本県出身。愛称は「ヨネちゃん」。 インスタントカメラ(チェキ)を主機材とした女性ポートレート写真で国際的に知名度を持ち、雑誌『egg』『アウフォト』『smart girls』など1990年代以降の東京ガールズカルチャーを象徴する媒体の創刊・編集に携わった。中国版SNS「新浪微博(Weibo)」のフォロワー数は280万人(2022年時点)に達し、日本人アーティストとして異例の中華圏での影響力を持つ。 熊本県出身。学習院大学を卒業後、出版業界でのキャリアをスタートさせ、1990年代から2000年代にかけて東京のストリートカルチャー、特に若い女性の文化・ファッションを中心としたメディアの第一線で活動した。
石田 雅彦(いしだ まさひこ、1959年5月13日 - )は… 石田 雅彦(いしだ まさひこ、1959年5月13日 - )は、日本の著作家、科学ジャーナリスト、編集者。 医科学修士(MMSc)。後期博士課程満期退学(横浜市立大学大学院医学研究科)。大学(法政大学)卒業後、株式会社近代映画社入社。1990年(平成2)年2月、雑誌『カテゴリーフォーミュラF3000』(リイド社、1992年休刊)編集長。1990年(平成2)年4月、テレビ東京系『クルマ探偵団』レギュラー・メインキャスター(1991年3月まで)。1994年(平成6)年からフジテレビ系番組『料理の鉄人』シリーズ(扶桑社)の単行本企画制作に携わる。2006年(平成18)年3月、雑誌『韓国ドラマ通信』(ソフトバンク・クリエイティブ)編集長(2008年1月まで)。
増井 修(ますい おさむ 1959年3月11日 - )は日本… 増井 修(ますい おさむ 1959年3月11日 - )は日本の編集者、音楽評論家、音楽ジャーナリスト、音楽エッセイスト。漫画に対する造詣も深く、漫画評論の著作も発表している。 新潟県柏崎市(旧西山町)出身。新潟県立柏崎高等学校卒業、新潟大学法学部中退。 『rockin'on』1979年10月号に投稿した原稿が初掲載される。1980年1月号の初の社員公募に応募、倍率200倍を突破しロッキング・オン入社。1985年、青山レコーディング・スクールにて講師を務める。1992年にロッキング・オン社取締役就任。 1990年5月号から1997年5月号まで『rockin'on』編集長。1997年3月には編集長として、雑誌『buzz』を創刊、vol.2で『rockin'on』と同時に編集長を引退。
加藤 哲也(かとう てつや、1959年2月20日 - )は、… 加藤 哲也(かとう てつや、1959年2月20日 - )は、日本の自動車評論家、雑誌編集者、実業家。2010年より株式会社カーグラフィック代表取締役社長。2023年より日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会実行委員長。 1959年(昭和34年)、東京都生まれ。玉川大学文学部芸術学科演劇専攻卒業。映画監督のベルナルド・ベルトルッチに憧れ、大学時代には演劇を学んだ。大学卒業後はテレビ番組制作会社に勤務、ADなどを務めるも挫折し、1985年、出版社である二玄社に入社した。自動車雑誌・『カーグラフィック』(二玄社)に配属され、1995年に同誌副編集長、2000年には同誌編集長に就任した。2007年、姉妹誌であった自動車雑誌『NAVI』に編集長として異動、2010年、同誌廃刊の直前に退任した。