銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は… 銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は、日本の女性詩人、随筆家、作詞家、写真家。 1960年、宮崎県えびの市に生まれる。えびの市立真幸小学校、えびの市立真幸中学校、宮崎県立小林高等学校、埼玉大学教養学部を卒業。 1982年に作詞家として活動を開始し、翌1983年に沢田研二の「晴れのちBLUE BOY」を作詞した。その後も大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」「ゴーゴーヘブン」や、2011年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲「僕が守る」 などを作詞した。また、山本みき子・山元みき子(やまもと みきこ)名義で太田裕美に歌詞を提供している。 1985年に第1詩集『黄昏国』を河出書房新社より刊行。
沖野 豊(おきの ゆたか、1960年 - )は、日本の写真家… 沖野 豊(おきの ゆたか、1960年 - )は、日本の写真家。 京都府京都市出身。大阪芸術大学写真学科卒業。1987年に勤めていた写真通信社(株オリオン)を退社、1988年から写真家としての活動に入る。日本写真家協会会員。日本写真協会会員。タイ王国バンコクレンマイ写真教室主宰。フジアカデミーX講師、NHK講師、他。写真作品は京都の神社仏閣で光と影を活かした印象的な作品。作風としては「無駄な色、無駄な線の排除」「シンプル」を追求する。また日本国内や海外でもその作風を貫く。近年はタイのバンコクでも精力的に撮影している。日本ではTS(サードステージ)の事務所代表。写真撮影と写真教室(TS)運営、管理、講演もこなしている。
菅原 一剛(すがわら いちごう、1960年 - )は日本の写… 菅原 一剛(すがわら いちごう、1960年 - )は日本の写真家。神奈川県鎌倉市出身。 大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。 フランスの『ELLE』誌でデビューし、かずかずの広告写真を手がけてきた写真家。2004年には作品がフランスの国立図書館のパーマネント・コレクションに選ばれる。数多く開催された個展では、滝やランドスケープをモティーフとした神秘的、幻想的なシリーズを発表。また「BEAMS×PORTER×ICHIGO SUGAWARA」というトリプルネームでのカメラ用トートバッグ「PHOTOTE」やBEAMS-Tシャツ製作など広告写真の分野のみならず、ジャンルを縦断した活躍を展開。撮影監督をつとめた映画「青い魚」は1996年ベルリン国際映画祭にて正式招待作品として上映された。
村上 心(むらかみ しん、SHIN MURAKAMI、196… 村上 心(むらかみ しん、SHIN MURAKAMI、1960年 - )は、大阪府出身の建築家、写真家、ハイパー・スペース・クリエーター。椙山女学園大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮澤 正明(みやざわ まさあき、1960年 - )は、日本の… 宮澤 正明(みやざわ まさあき、1960年 - )は、日本の写真家である。 日本大学芸術学部写真学科卒業。卒業時に日本大学芸術学会奨励賞。85 年に赤外線フィルムを使用した処女作「夢十夜」でニューヨークICPインフィニティアワード新人賞。2014年伊勢市観光ポスターにて日本観光ポスターコンクール総務大臣賞。 特に神社仏閣にも関わりが深く、2005年伊勢神宮第62 回式年遷宮の正式記録写真家として活動を開始、2013 年10月に行われた遷御の儀までの間に6万点に及ぶ作品を奉納し、写真集も数多く出版する。その他出雲大社大遷宮、阿修羅像で有名な奈良興福寺、春日大社第60回式年造替など全国の神社仏閣を50社寺以上撮影。
寺田 裕一(てらだ ひろかず、1960年 - )は、日本の鉄… 寺田 裕一(てらだ ひろかず、1960年 - )は、日本の鉄道研究家、鉄道写真家、会社員。京阪電気鉄道勤務。 兵庫県姫路市出身。京都府京田辺市在住。 1960年(昭和35年)、兵庫県姫路市にて生まれる。1979年(昭和54年)、兵庫県立姫路西高等学校を卒業後に上京し、慶應義塾大学商学部に入学。同学部では藤井弥太郎研究会の一員として、交通経済学を専攻していた。 1983年(昭和58年)、同校同学部を卒業し近畿に戻り、京阪電気鉄道に入社する。14年後の1997年(平成9年)に京阪友の会に出向し、同社の取締役を務める。その後京阪電気鉄道に戻り、流通開発部課長を歴任。その後京阪カードに出向し、同社常務取締役を務め現在は同社代表取締役社長である。
屋鋪 要(やしき かなめ、1959年6月11日 - )は、大… 屋鋪 要(やしき かなめ、1959年6月11日 - )は、大阪府生まれ兵庫県川西市出身の元プロ野球選手(外野手)で、現在は鉄道文化人・鉄道写真家、少年野球・大学野球のコーチである。
吉村朗(よしむら あきら、1959年(昭和34年)6月3日 … 吉村朗(よしむら あきら、1959年(昭和34年)6月3日 - 2012年(平成24年)6月2日)は、日本の写真家。 1959年6月3日、福岡県門司市(現・北九州市門司区)にて、吉村弘と保子(旧姓・浅尾)の第一子(長男)として生まれる。本名は吉村晃(1991年頃、朗に改名[通称])。1978年3月、福岡県立門司高等学校卒業。同年4月、日本大学芸術学部写真学科入学。1982年3月、同卒業。同年4月、東京綜合写真専門学校研究科入学。1984年3月、同卒業。1980年代半ばより、都市のスナップ写真家として脚光を浴び、その後、歴史的事象を追った諸作品を発表して注目を集める。2012年6月2日、北九州市門司区にて逝去。
米原 康正(よねはら やすまさ、1959年5月20日 - )… 米原 康正(よねはら やすまさ、1959年5月20日 - )は、日本の雑誌編集者・写真家・アーティスト。熊本県出身。愛称は「ヨネちゃん」。 インスタントカメラ(チェキ)を主機材とした女性ポートレート写真で国際的に知名度を持ち、雑誌『egg』『アウフォト』『smart girls』など1990年代以降の東京ガールズカルチャーを象徴する媒体の創刊・編集に携わった。中国版SNS「新浪微博(Weibo)」のフォロワー数は280万人(2022年時点)に達し、日本人アーティストとして異例の中華圏での影響力を持つ。 熊本県出身。学習院大学を卒業後、出版業界でのキャリアをスタートさせ、1990年代から2000年代にかけて東京のストリートカルチャー、特に若い女性の文化・ファッションを中心としたメディアの第一線で活動した。
小池清通(こいけ きよみち、1959年4月4日 - )は、ア… 小池清通(こいけ きよみち、1959年4月4日 - )は、アメリカ合衆国在住の日本人写真家。コロラド州デンバーを中心に米国中西部、西部の大自然を写真を通して捉えメッセージを送っている。 静岡県浜松市生まれ。高校卒業後の就職を断念し、一浪を経て愛知大学へ進学。卒業後1983年春渡米永住。地元日系人社会に助けられながら旅行業を営みコロラドの魅力を紹介する。2001年9月同時多発テロ事件を契機に写真家として活動を開始。2007年にプロ写真家デビューした自然愛好家。2011年4月公益社団法人 日本写真家協会正会員入会。恵まれたアメリカ西部ロッキー山脈、コロラドプラトー(コロラド高原)地域の大自然とのつながりを求めて撮影活動を続ける。
李 朋彦(이 붕언、1959年4月1日 - )は、在日韓国人… 李 朋彦(이 붕언、1959年4月1日 - )は、在日韓国人の写真家(在日三世)。 大阪市出身。19歳のときに大韓民国籍となる。 1979年に日本写真専門学校を卒業。卒業後の1980年から3年にわたり韓国国内で撮影をおこない、1983年に最初の個展を開いた際に、本名を宣言した。1985年からはフリーランスとなっている。 2005年には、3年半にわたって在日一世90人を尋ね、その人生を振り返った写真集『在日一世』を刊行。2010年に自らのルーツを探った旅行記『たぶん僕はいま、母国の土を踏んでいる。』を刊行した。
阿部 薫(あべ かおる、1959年1月11日 - )は、日本… 阿部 薫(あべ かおる、1959年1月11日 - )は、日本のドラマー、スタジオ・ミュージシャン、写真家。東京都港区新橋出身。男性。妻はキーボードプレイヤーの広本葉子。 3歳まで父の働く新橋の会社兼寮で暮らし、後に神奈川県へ移住。父はクラシックギターを弾いていたこともあり、クラシックのレコードが耳に入って音楽に親しむ環境にて育つ。 父親の影響でギターを弾くようになり、中学3年生の頃、テレビでエルビス・プレスリーのハワイの衛星中継を観て、ロニー・タットに影響を受け、友人宅にあったドラムセットに初めて触れ、幼い頃からベンチャーズやモンキーズ、プレスリーのレコードを聴きながら、菜箸を持って鍋や鍋蓋を叩くまねをしていたせいか無難に叩けた。
河合 蘭(かわい らん、1959年-)は日本のジャーナリスト… 河合 蘭(かわい らん、1959年-)は日本のジャーナリスト、評論家、写真家。 単行本・新聞・テレビ・ラジオ・雑誌に妊娠・出産全般・不妊治療・少子化問題・産科医療問題などの著作やコメントをする。ハイリスク妊娠、早産、帝王切開が増加し医療体制が危機的状況にある中で女性と社会のあり方を追求している。2016年『出生前診断-出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』で「科学ジャーナリスト賞2016」受賞。[1]東京医科歯科大学・聖路加国際大学・日本赤十字社助産師学校の非常勤講師。All Aboutのガイド。 写真家としては、おもに出産施設の医療者、家族、新生児を被写体としている。1980年代には宝島、スウィングジャーナル、ミュージックマガジン等で音楽家、作家などを撮っていた[2]。
梶山正(かじやまただし、1959年 - )は、日本の写真家で… 梶山正(かじやまただし、1959年 - )は、日本の写真家である。長崎県出身。福岡県宗像市育ち。福岡県立宗像高等学校卒業。 少年時代は虫が大好きで、暗記するほど昆虫図鑑ばかりを眺めていたり、昆虫の標本をたくさん作っていた。 高校在学中に山岳部に所属していた。 18歳の時、実家がある福岡からバイクを走らせて、大学に通い始めた友人の新生活を見に京都を訪ねる。友人は山岳部に入っており、梶山も山岳部室に通っては、部員たちと一緒に登山のトレーニングに励んだ。周りにインド旅行から帰ってきたばかりの先輩がいて、彼からインドの魅力を毎日のように聞かされる。福岡の大学に戻ることが無意味に思え、大学を辞める。 その後大阪で正社員として就職。
安島 太佳由(やすじま たかよし、1959年 - )は日本の… 安島 太佳由(やすじま たかよし、1959年 - )は日本の写真家。戦跡取材で若い世代に戦争の記憶を語り継いでいく。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
神蔵 美子(かみくら よしこ、1959年 - )は、日本の写… 神蔵 美子(かみくら よしこ、1959年 - )は、日本の写真家。 慶應義塾大学文学部国文学専攻卒業。女装した著名人の写真集「たまゆら」や、自身と末井昭、坪内祐三との三角関係を撮った写真集「たまもの」で知られる。前夫の坪内と別れ、末井と再婚した。「たまもの」は第1回新潮ドキュメント賞候補作。 兄は実業家の神蔵孝之。父は映画関係に従事しており、早くから兄妹ともにビジュアルやアートに触れながら育った。 寺山修司の天井桟敷を密着取材し、後にニューヨークに渡り、写真家の元でフォトグラファーとしてのアイデンティティーを確立する。帰国後、数々の個展を開いたほか、写真集を出版した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
Sammy(サミー、田中正文、1959年 - )は、日本の写… Sammy(サミー、田中正文、1959年 - )は、日本の写真家。 水中写真を中心に活動。近年は沈没船の撮影に注力。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
堀 明(ほり あきら、1959年(昭和34年)-)は日本の写… 堀 明(ほり あきら、1959年(昭和34年)-)は日本の写真家、作家、動物学研究家。 1959年(昭和34年)、京都府網野町に生まれる。法政大学法学部を卒業後、大手塾講師などを経て、写真家・作家に転進する。動物(特に犬とトラ)の研究家としても活動する。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
楢橋 朝子(ならはし あさこ、1959年 - )は写真家。ア… 楢橋 朝子(ならはし あさこ、1959年 - )は写真家。アートという雰囲気が漂う独特の作風と、写真の枠にこだわらない活動で知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松村 昭宏(まつむら あきひろ、1959年 - )は、日本の… 松村 昭宏(まつむら あきひろ、1959年 - )は、日本の写真家。 東京都東村山市生まれ。高校卒業後、専門学校東京ビジュアルアーツ・アカデミー(旧・東京写真専門学校)に進学した。1982年に同校を卒業し、在学中に原宿のスタジオを経て写真家・有田泰而に師事した。1983年より写真家として活動を開始した。 1989年から1991年にかけて34カ国を巡り、各地で人々のポートレートを撮影した。これらの作品は「Human Bonds」をテーマとする写真集『EVERY PEOPLE, EVERY ONE』として1993年に第三書館から刊行された。同書にはアポロ9号の宇宙飛行士ラッセル・シュウェイカートが解説を寄せた。
徳山 喜雄(とくやま よしお、1958年12月 - )は、日… 徳山 喜雄(とくやま よしお、1958年12月 - )は、日本の写真家、ジャーナリスト、大学教授。 兵庫県尼崎市生まれ。関西大学第一高等学校、関西大学法学部卒業。朝日新聞に入り、写真部次長、『AERA』フォトディレクター、朝日新聞社記事審査室幹事。ベルリンの壁崩壊など一連の東欧革命やロシア・旧ソ連諸国の解体、中国、北朝鮮など旧共産圏を数多く取材。1996年『苦悩するロシア』でRM文学賞、1998年日本新聞協会賞受賞。2016年朝日新聞退社。現在、立正大学文学部教授(ジャーナリズム論、写真論)。
三好和義(みよし かずよし、1958年11月8日 - )は、… 三好和義(みよし かずよし、1958年11月8日 - )は、日本の写真家。 徳島県徳島市出身。徳島県立城北高等学校、東海大学文学部広報学科卒業。 ・2009年4月8日-4月16日 「極楽園」(和光ホール) ・2010年1月7日-1月23日 「京都の御所と離宮」(和光・並木ホール) ・2010年1月14日-1月30日 「京都の御所と離宮」(和光ホール) ・2011年9月30日-10月6日 「帝のまなざし」(富士フォトサロン大阪) ・2011年11月18日-12月1日 「世界遺産 小笠原」(エプサイト) ・2013年11月13日-11月18日 「伊勢神宮 式年遷宮」(和光ホール) ・2014年4月4日-4月17日 「富士山」(エプサイト) ・2015年1月28日-2月8日 「室生寺」(和光ホール) ・2015年4月8日-4月21日 「永遠の楽園 沖縄」(銀座ニコンサロン) ・2015年5月14日-5月20日 「永遠の楽園 沖縄」(大阪ニコンサロン) ・2016年4月15日-5月12日 「楽園の跡 軍艦島」(エプサイト) ・2016年10月19日-10月25日 「日本の世界遺産」(三越日本橋店 中央ホール) ・2017年7月25日-8月13日 「印度眩光」(ニコンプラザ新宿THE GALLERY) ・2017年8月21日-9月8日 「印度眩光」(ニコンプラザ大阪THE GALLERY) ・2018年7月3日-7月13日 「天平の楽園 東大寺と正倉院」(東大寺本坊) ・2020年8月20日-9月7日 「日本の楽園島」(ニコンプラザ東京THE GALLERY) ・2020年10月30日-11月18日 「日本の楽園島」(ニコンプラザ大阪THE GALLERY) ・2021年10月1日-10月27日 「世界の楽園 奄美 沖縄」(エプサイトギャラリー)
外山 ひとみ(とやま ひとみ、1958年9月1日 - 201… 外山 ひとみ(とやま ひとみ、1958年9月1日 - 2014年6月1日 )は、日本の女性写真家、ジャーナリスト。 静岡県富士市出身。1979年、写真集『家』によりフリーランスのカメラマンとしてデビュー。1998年、『MISS・ダンディ』(男として生きる女性たち)で、ドキュメンタリー写真大賞・人物ルポ部門賞を受賞した。全国の刑務所を訪問し、刑務所・受刑者・刑務官について取材した功績に対し2010年、法務省から感謝状を受けた。 1977年、静岡県立吉原高等学校卒業。高校2年、写真クラブに入って写真を撮り始めた。富士山九合目から写した「富士のご来光」(カラー)が富士市教育委員会主催の市展・写真・高校の部で市長賞を受賞した。
沼澤 茂美(ぬまざわ しげみ、1958年4月30日 - )は… 沼澤 茂美(ぬまざわ しげみ、1958年4月30日 - )は、日本の男性天体写真家・天文イラストレーター。 新潟県村上市(旧・岩船郡神林村)出身。東京デザインアカデミー建築士科及びパース専門課程卒業。建築設計事務所勤務を経て1980年に新潟郵便貯金会館プラネタリウムに入る。1984年独立して日本プラネタリウムラボラトリー(略称:JPL)を設立。天文、宇宙のイラストや天体写真の撮影を手がけている。沼澤の著書は多いが、その大半はJPLのメンバーである脇屋奈々代との共著である。
永井 守(ながい まもる、1958年1月25日- )は、日本… 永井 守(ながい まもる、1958年1月25日- )は、日本の写真家。鹿児島県西之表市出身、馬毛島生まれ。2人の子供の父親。 幼年期を種子島、青年期を大阪府北河内で過ごす。 1980年1月、大阪より上京、同年3月アートセンタースタジオ入社。1981年 アートセンタースタジオ退社。スタジオ時代から磯辺重美、河野千年、立木三郎、長末正忠、山岸伸などのアシスタントを経て、フリーカメラマンとして独立。1981年、アシスタントをしつつ、東京原宿の歩行者天国にて、ローラー・一世風靡を撮り始める。仕事としてはファッション、物、タレント、全てのジャンルにとらわれない写真家として活動を始める。当時、最年少の年鑑入りファッション・カメラマンとなる。
奥田 基之(おくだ もとゆき、1958年 - )は、日本の写… 奥田 基之(おくだ もとゆき、1958年 - )は、日本の写真家。大阪府出身。 大阪芸術大学写真学科卒業。登山によって出合った風景の印象をとどめるために写真を始め、その後写真表現の魅力に惹かれ写真家の道を歩む。表現の原点を追究する風景写真家。 大阪芸術大学写真学科准教授、日本写真芸術学会理事、日本写真家協会会員、日本写真協会会員、
石田 昌隆(いしだ まさたか、1958年 - )は、日本の写… 石田 昌隆(いしだ まさたか、1958年 - )は、日本の写真家である。世界各国の様々なミュージシャンの写真を撮り続けている。音楽評論家でもある。 千葉県市川市出身。千葉大学工学部画像工学科卒。レゲエ、ヒップホップ、R&B、ロック、アフリカ音楽、中南米音楽、アラブ音楽などのミュージシャンの写真を撮り、その音楽の生まれる現地にも行っている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。
小川 重雄(おがわ しげお、1958年 - )は建築写真家で… 小川 重雄(おがわ しげお、1958年 - )は建築写真家である。 日本大学芸術学部写真学科卒業。大学時代、渡辺義雄の勧めで、建築写真家を志す。1986年に株式会社新建築社に写真部員として入社。1991年、新建築社にて写真部長となる。その後、独立し小川重雄写真事務所を開設。法政大学、武蔵野美術大学、東京大学、日本大学、早稲田大学などで教鞭を執る。当時まだ日本で有名でなかったピーター・ズントーの建築を撮影した作品集【a+u1998年2月号臨時増刊:Peter Zumthor作品集】は、ピーター・ズントー本人に認められるほどの作品集であり現時点(2017年)でプレミア価格で取引されている。 東京都台東区根岸に生まれる。
橋本 雅司(はしもと まさし、1958年 - )は、日本の写… 橋本 雅司(はしもと まさし、1958年 - )は、日本の写真家。 1977年、日本大学第一高等学校卒業後、1981年、日本大学芸術学部写真学科を卒業。報道写真家の三木淳に師事。1983年、篠山紀信事務所で3年間勤務したのち独立。有限会社ハブロック代表を務める。1980年代からワニブックスをはじめ多数の出版社の写真集を撮っている。
福田 祥洲(ふくだ しょうしゅう、1958年 - )は日本の… 福田 祥洲(ふくだ しょうしゅう、1958年 - )は日本の書家、写真家、現代美術作家。京都府生まれ。 6歳から書を学ぶ。立命館大学文学部在学中に書家としてデビュー。その後、書道界のありかたに疑問を抱き、所属する全ての会派を脱会した。1990年には「中国国際書法篆刻芸術博覧会」書法部門グランプリに輝くなど、国際的な活躍でも注目される書道家。「祥洲 Art-Office」を設立。古典から現代アートまで、ジャンルを超えて精力的に発表を続ける実力派書家として知られている。近年は「福田祥洲」の表記から「祥洲」のみで活動している。 デジタル処理を施したデザイン書道の先駆者としても知られ、商標(トレードマーク)などのデザインも手掛ける。
畠山 直哉(はたけやま なおや、1958年 - )は、日本の… 畠山 直哉(はたけやま なおや、1958年 - )は、日本の写真家。日本芸術院会員、東京芸術大学⼤学院映像研究科メディア映像専攻教授。 岩手県陸前高田市出身。1976年岩手県立大船渡高等学校卒業、1981年筑波大学芸術専門学群総合造形コース卒業。1984年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修士課程修了。大学では大辻清司に師事。大学卒業後は東京に移り活動を続ける。 生家の近くに大規模な石灰石鉱山があったことから、高校時代からこれらの採掘現場や工場現場の様子を油絵として描いていた。大学卒業後、岩手をはじめ日本各地を回り石灰石鉱山の現場や石灰工場、発破の瞬間、または都会の建築群や地下水路などを撮影するようになった。
毛利 甚八(もうり じんぱち、1958年 - 2015年11… 毛利 甚八(もうり じんぱち、1958年 - 2015年11月21日)は、長崎県佐世保市出身の著作家・劇画原作者・写真家。本名、毛利 卓哉(もうり たくや)。 長崎県立佐世保西高等学校より日本大学芸術学部に進学。同校卒業後、数多くの雑誌のライターを経て、1986年から魚戸おさむ画の『家栽の人』の原作を手掛けた。 2001年に大分県へ住まいを移し、2003年より中津少年学院で篤志面接委員を務める。 2011年より雑誌『G2』でルポルタージュを発表する。2012年より『サンデー毎日』で連載の漫画『のぞみ』の原作を担当する。 2015年11月21日、食道がんのため大分県豊後高田市の自宅で死去した。満57歳没。
森園 みるく(もりぞの みるく、英: Milk Morizo… 森園 みるく(もりぞの みるく、英: Milk Morizono 、1957年12月25日 - )は、日本の漫画家、写真家。山口県徳山市(現・周南市)出身。本名:溝口 比呂子。 『アナザー・パートナー』に収録Rachel Matt Thorn 代表作は『キアラ』(原作:桐野夏生)、『ほんとうに怖い童話』(原作:村崎百郎)など。
高松 大典(たかまつ だいすけ、1957年6月9日 - )は… 高松 大典(たかまつ だいすけ、1957年6月9日 - )は、日本の鉄道写真家である。日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。京都府在住。 1980年、大阪芸術大学芸術学部芸術計画学科映像・音響コース卒業。大阪市内のコマーシャルスタジオのスタッフカメラマンを経て、1988年6月フリーとなり、高松大典写真事務所を設立。 関西の鉄道会社の広報、広告の写真を担当の他、鉄道、旅行などの雑誌で活躍中。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柳沢 雅彦(やなぎさわ まさひこ 、1957年5月25日 -… 柳沢 雅彦(やなぎさわ まさひこ 、1957年5月25日 - )は、日本の写真家。岐阜県高山市 出身。 公益社団法人日本写真家協会(JPS)、国際スポーツプレス協会(AIPS)会員。 1957年 5月25日、岐阜県高山市生まれ。 1981年 下関市立大学経済学部を首席で卒業、中日新聞社に記者として入社。 1988年 7年半の新聞記者生活にピリオドを打ち、フリーランスの写真家宣言。 1989年 ソウル五輪を取材したスポーツ写真集『美しき強者たち』(光村印刷)を発表。 1990年 オリンピック、世界選手権、ワールドカップなどスポーツの国際舞台を撮影した写真集『挑戦者の肖像』(東京新聞出版局)を発表。
山田 一仁(やまだ かずひと、1957年(昭和32年)1月1… 山田 一仁(やまだ かずひと、1957年(昭和32年)1月1日 - )は、日本の写真家。岐阜県岐阜市生まれ。プレミアリーグの撮影ライセンスを日本人フリーランスカメラマンとして唯一保有。J2FC岐阜のオフィシャルフォトグラファー。
須田 慎太郎(すだ しんたろう、1957年 - )は、日本の… 須田 慎太郎(すだ しんたろう、1957年 - )は、日本の写真家。千葉県出身。日本大学芸術学部写真学科卒業。 日本大学在学中に教授に就任した報道写真家の三木淳に師事する。 歌舞伎町の潜入取材を試みた際には、新宿ゴールデン街でバーを経営する奥山彰彦に依頼し、バーの店員として雇ってもらっていた。その後、歌舞伎町の繁華街で隠し撮りするなどして取材していたが、それに気づいたヤクザに脅され、フィルムを渡すように凄まれた。咄嗟に未撮影のフィルムを渡したが、すぐに見抜かれてヤクザに追いかけられたため、働いていたバー「奥亭」の所在する新宿ゴールデン街に逃げ込むといったトラブルにも見舞われている。
冴木 一馬(さえき かずま、昭和32年(1957年) - )… 冴木 一馬(さえき かずま、昭和32年(1957年) - )は、日本の花火写真家、研究家。花火師の免許を取得している。 山形県鶴岡市出身。現在[いつ?]、大阪在住。専門学校卒業後、アパレル会社へ就職。その後、フリーカメラマンとして独立。写真への興味は専門学校時代に同じ寮にいた友人の影響だと語っている。 韓国の民主化運動の取材では肩から提げていたカメラバッグを銃弾が貫通したという話が残っている。 事件や事故の現場を中心に担当していた中、1987年に大阪の天神祭で花火を記録したことをきっかけとして花火への興味を持つようになった。今日では、ハナビストを自称している。ハナビストは写真家以上の活動として肩書きを考えていた当時、コラムニストやエコノミストなどの横文字職業が流行していたのを機に「ハナビスト」と自分で考えたと伝えられている。
岡部 好(おかべ こう、1957年 - ) は、日本の写真家… 岡部 好(おかべ こう、1957年 - ) は、日本の写真家。特にロック、ワールドミュージックを中心とした音楽写真を撮影している。 1957年東京都足立区に生まれる。 中学生のとき、部員不足で廃部になりかけていた写真部にクラスメートのたっての頼みで入部したことをきっかけに、モノクローム写真の面白さにとりつかれ、また音楽も好きであったことから、関東第一高等学校[要出典]在学中の頃から、都内のライブハウスなどで親しくなったアマチュアバンドの写真などを撮り始める。 20歳で、フォーク・デュオ『古井戸』を被写体とした写真集『Fluid』発表。その少し前から、仲井戸麗市(CHABO)の誘いにより、当時、渋谷のライブハウス『屋根裏』を拠点に活動していたRCサクセションの撮影を始める。
上田 義彦(うえだ よしひこ、1957年 - )は日本の写真… 上田 義彦(うえだ よしひこ、1957年 - )は日本の写真家、映画監督。2014年4月から2025年3月まで、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科教授。 兵庫県出身。1979年ビジュアルアーツ専門学校・大阪校卒業。1979 - 81年にかけ写真家の福田匡伸、有田泰而に師事。1982年に独立。主な仕事はサントリーのウーロン茶、伊右衛門、無印良品、資生堂、日本郵政グループ、NTTdocomo、UNIQLO、TOYOTA、Canon、の広告など。これまで日本写真協会 作家賞、東京ADC賞最高賞、ニューヨークADC賞、朝日広告賞など数多くの様々な賞を受賞。2025年に神奈川県立近代美術館葉山にて40年の大規模個展「いつも世界は遠く、」を開催。
六田 知弘(むだ ともひろ、1956年12月6日 - )は、… 六田 知弘(むだ ともひろ、1956年12月6日 - )は、日本の写真家。奈良県御所市出身。 1956年奈良県御所市生まれ。1980年早稲田大学卒業。1982年からヒマラヤのシェルパの村に暮らしながら撮影。1988年に写真展「ひかりの素足―シェルパ」を開催して以降、「自然や宇宙との根元的なつながり」を遠くに探りながら、ロマネスク美術、仏教遺跡、石、仏像、古美術品、風景、自然、建築物、人物など、さまざまな事象を対象に撮影し、写真展や写真集で発表。
梅本 隆(うめもと たかし、1956年9月22日[要出典] … 梅本 隆(うめもと たかし、1956年9月22日[要出典] - )は、奈良県御所市生まれの日本の写真家である。 1975年3月に奈良県立畝傍高等学校を[要出典]、1979年3月に大阪芸術大学写真学科を卒業した。1979年3月に株式会社ナニワ商会へ入社、1992年1月に退社した。同年より写真店「カメラのバンビ」を営業しながら、フリーランスの写真家として、奥吉野地方の撮影を続け、東京、大阪、京都、奈良等、各地で写真展を開催し、作品を発表する。2024年より、生まれ故郷・御所市の撮影に取り組む[要出典]。
森田 正美(もりた まさみ、1956年7月27日 - )は、… 森田 正美(もりた まさみ、1956年7月27日 - )は、愛知県名古屋市出身の写真家。男性。名城大学卒業。主な被写体はスポーツプレーヤーで、特に体操やフィギュアスケート等の、華麗さを競うスポーツを得意とする。 1995年より、会社勤務の傍らスポーツ写真を撮り始める。1998年からは、年1回のペースで個展を開催。徐々に、撮影した写真が雑誌等に使用されるようになり、カメラマンとして認められるようになる。2005年にプロカメラマンとして活動を開始する。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
後藤田 三朗(ごとうだ みつお、1956年7月5日 - 20… 後藤田 三朗(ごとうだ みつお、1956年7月5日 - 2012年4月1日)は、日本の写真家、「手話の日」の提唱者。 岡山県倉敷市出身。3歳のとき薬禍(薬害)により聾唖となる。1980年多摩芸術学園写真科(現 多摩美術大学芸術部写真科)卒業。1983年に町のスナップ写真を集めた初個展「写真機無音」を東京、名古屋、大阪、広島、岡山で開催。1989年には写真集『盗と夢と写・1977~1988』で第39回日本写真協会を受賞。 ユーモア&ウィットに富んだ表現と、トリミングを行わないフレーミングの正確さが後藤田作品の特徴である。国内外で個展多数。 自身が聾唖であることから手話の普及活動にも取り組んだ。『手話の日』(5月5日、手話は両手の5本の指を使うことから)の提唱者でもある。
中里 和人(なかざと かつひと、1956年4月18日 - )… 中里 和人(なかざと かつひと、1956年4月18日 - )は、日本の写真家。風景(ランドスケープ)を地誌的視点で撮影する。東京造形大学名誉教授。 1956年、三重県多気郡多気町で生まれる。1979年、法政大学文学部地理学科を卒業。1981年、写真家の北井一夫に師事。1984年からフリーカメラマンとして活動する。2006年、東京造形大学造形学部デザイン学科助教授。2009年、東京造形大学造形学部デザイン学科教授に就任。2000年頃から東京向島、青梅、富士吉田、那覇などの長屋、町工場、空き店舗、市場などのオルタナティブな空間で写真展・写真インスタレーション・ワークショップを多数開催する。写真表現を中心にしながら、街や地域との社会的な相互交流を実践している。
都築 響一(つづき きょういち、1956年1月31日 - )… 都築 響一(つづき きょういち、1956年1月31日 - )は、日本の写真家、編集者、ジャーナリスト。東京都出身。 麹町小学校、麹町中学校卒業。小・中ではジャーナリスト保坂展人と同級であった。高校卒業後、上智大学文学部英文学科(アメリカ文学専攻)へ進み、在学中から現代美術・デザイン分野でライター活動を開始、『POPEYE』の創刊にも携わった。卒業後はフリーランスの編集者として『POPEYE』『BRUTUS』(マガジンハウス)などで活躍する。その後、それまであまり被写体にされなかった東京の生活感あふれる居住空間を撮り『TOKYO STYLE』(京都書院、後に筑摩書房刊)としてまとめ、写真家として活動を始める。
大西義広(おおにし よしひろ、1956年1月27日 - )は… 大西義広(おおにし よしひろ、1956年1月27日 - )は、日本の写真家・版画家・アートディレクター。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吉岡 均(よしおか ひとし、1956年 - )は、北海道芦別… 吉岡 均(よしおか ひとし、1956年 - )は、北海道芦別市出身の広告写真家・写真作家。 1956年に北海道芦別市に生まれる。北海道芦別高等学校を卒業後、写真家を目指して上京し、写真を学習。卒業後、写真家・山田久米夫に師事。 広告代理店dentsuにてアシスタントフォトグラファーを経て、1991年に東京都で吉岡写真事務所を設立、広告写真撮影を主に活動。2007年9月、札幌市に事務所を移転。 広告写真撮影を軸に写真作家としての活動にも力を注ぎ、ライフワークの1つに、「ばんえい馬」を選んだ。2008年に撮影した、ばんえい写真を帯広競馬場にて2009年1月、札幌にて同年3月31日から4月5日まで、東京で同年7月に、同年9月には東川町に、11月には芦別市にて写真展を開催。
小松 ひとみ(こまつ ひとみ、1956年 - )は秋田県出身… 小松 ひとみ(こまつ ひとみ、1956年 - )は秋田県出身の写真家。北東北の自然を題材とした風景写真を中心に、風俗や文化など幅広く活動している。秋田県立角館南高等学校卒業。バスケットボール実業団出身というカメラマンとしては変わった経歴を持つ。
芳賀 日向(はが ひなた、1956年 - )は日本・世界の祭… 芳賀 日向(はが ひなた、1956年 - )は日本・世界の祭り写真家。 芳賀日向は長野県生まれ、父は芳賀日出男。成蹊大学法学部法律学科を卒業後、アメリカに留学し西イリノイ州立大学文化人類学科を卒業。大学時代にはヨット競技で「ファイアーボール級」(ディンギー) 全日本8位の経歴がある。 写真家として祭りや民族、文化をとらえ、47カ国超で取材する。公益社団法人日本写真家協会および日本旅行作家協会、写真文化協会、儀礼文化学会、全日本郷土芸能協会の会員である。修験者として芳賀陽晃名義の免許取得。現職は株式会社芳賀ライブラリー代表取締役社長である。 趣味は合気道四段、料理が得意で「鰺のなめろう」をよく作る。