大森 望(おおもり のぞみ、1961年2月2日 - )は、日… 大森 望(おおもり のぞみ、1961年2月2日 - )は、日本の翻訳家・書評家・評論家・アンソロジスト。SFを中心として活動する。本名は英保 未来(あぼ みくる)。 ペンネームは、少女マンガ家・清原なつのの作品『私の保健室へおいで…』の登場人物からで、元来は京都大学SF研究会時代の共同ペンネームだった。別ペンネームとしては森のぞみ、亀井甲介、矢沢翔等。ニックネームはワルモノ[要出典]。日本推理作家協会会員、本格ミステリ作家クラブ会員、変格ミステリ作家クラブ会員、日本SF作家クラブ会員。 高知県高知市出身。父母とも高知新聞の記者であり、共働き期間は両親の知人だった宮尾登美子に子守をしてもらったことがある。
木戸 克彦(きど かつひこ、1961年2月1日 - )は、大… 木戸 克彦(きど かつひこ、1961年2月1日 - )は、大阪府堺市西区出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者・評論家。2024年から阪神タイガース Womenの監督を務める。TW統括とプロスカウトを兼務。 堺リトルリーグ出身。小学6年時には堺市の小学6年生が集まって毎年行われている連合運動会でソフトボール投げに出場し、当時の最高記録を樹立。長らくその記録は破られなかった。その後破られ、今の最高記録は木戸ではない。『週刊ベースボール』の江夏豊の連載によれば、堺市立浜寺中学校出身の阿野鉱二・和田徹・木戸の元プロ野球選手3人を「浜寺の3選手」と呼び、野球界では有名な呼び名だと書いている。
椋木 宏(むくのき ひろし、1961年1月26日 - )は、… 椋木 宏(むくのき ひろし、1961年1月26日 - )は、競馬専門紙「競馬エイト」所属のトラックマン、競馬評論家。 島根県益田市出身。愛称は「椋(むく)さん」、「むっくん」。 益田競馬場の近くに住んでいたため、早くから競馬に興味を持つ。東京スポーツに掲載されていた募集記事を見て、同紙の系列の競馬専門紙「レースポ」に入社。美浦トレーニングセンターの北馬場担当のトラックマンとなる。しかし、1985年1月にレースポが廃刊となってしまう。当時即戦力の人材を求めていた「競馬エイト」のトラックマンらに誘われ、同年2月に同紙に移籍。エイトでは想定班として南馬場担当となり、また現在は想定班チーフ兼キャプテントラックマンでもある。
河津 聖恵(かわづ きよえ、1961年 - )は、日本の詩人… 河津 聖恵(かわづ きよえ、1961年 - )は、日本の詩人、評論家。 東京都生まれ。京都市在住。1979年東京都立国立高等学校、1984年京都大学文学部ドイツ文学科卒業。1985年、第23回現代詩手帖賞受賞。1998年『夏の終わり』で第9回歴程新鋭賞、2003年『アリア、この夜の裸体のために』で第53回H氏賞受賞。2013年、新藤凉子・三角みづ紀との連詩集『連詩 悪母島の魔術師』で第51回藤村記念歴程賞受賞。『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』発行人。2011年より季刊「環」にて「詩獣たち」連載中(2012年5月現在)。2021年、『「毒虫」詩論序説』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。2023年『綵歌』で現代詩人賞を受賞2023年度。
里見 清一(さとみ せいいち、1961年 - )は、日本の内… 里見 清一(さとみ せいいち、1961年 - )は、日本の内科医、評論家。 鳥取県生まれ。本名・國頭英夫。1980年、鳥取県立米子東高等学校卒業。1986年、東京大学医学部医学科卒業。大学病院内科および公立病院救命救急センターなどでの研修を経て、1991年から呼吸器内科とくに肺癌の診療に専門に従事。2001年、東京大学博士(医学)。三井記念病院呼吸器内科科長、国立がん研究センター中央病院内科、日本赤十字社医療センター化学療法科部長。専門は呼吸器内科学・臨床腫瘍学。 筆名は山崎豊子『白い巨塔』の登場人物から。テレビドラマ「白い巨塔」のアドバイザリーも務める。
西山 利佳(にしやま りか、1961年 - )は、日本の児童… 西山 利佳(にしやま りか、1961年 - )は、日本の児童文学評論家。児童文学研究者。青山学院大学コミュニティ人間科学部准教授。宮崎県高千穂町生まれ。 1980年に宮崎県立日南高等学校を卒業後、都留文科大学国文学科に学ぶ。大学3年時に日本児童文学者協会主催「夏のゼミナール」に参加し、以降、日本児童文学者協会有志による「児童文学評論研究会」に参加。1986年、東京学芸大学大学院教育学研究科国語教育専攻修士課程修了。1987年から城西大学附属城西中学校・高等学校、翌1988年からは日本児童教育専門学校で教鞭をとる。 青山学院女子短期大学子ども学科准教授を経て、2022年青山学院大学コミュニティ人間科学部コミュニティ人間科学科准教授。
小坂 洋右(こさか ようすけ、1961年 - )は、日本のジ… 小坂 洋右(こさか ようすけ、1961年 - )は、日本のジャーナリスト・紀行評論家。 北海道札幌市生まれ、旭川市育ち。北海道大学文学部卒。英オックスフォード大学ロイター・ファウンデーション・プログラム修了。アイヌ民族博物館学芸員などを経て北海道新聞記者、編集委員。 北海道庁公費乱用問題では、取材班のメンバーとして活躍し、新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。 2024年「アイヌの時空を旅する 奪われぬ魂」で和辻哲郎文化賞および斎藤茂太賞受賞。
上田 高弘(うえだ たかひろ、1961年 - )は、日本の美… 上田 高弘(うえだ たかひろ、1961年 - )は、日本の美術評論家、立命館大学教授。専門はモダニズム美術。 大阪市出身。東京造形大学造形学部中退、東京芸術大学美術学部卒、同大学院博士後期課程満期退学。代々木ゼミナール講師、東北芸術工科大学芸術学部助教授、立命館大学文学部教授。 当初は画家志望だったが、藤枝晃雄の影響で美術批評の道に進む。 立命館大学の指導学生に千早茜がいる。
春原 剛(すのはら つよし、1961年 - 2021年6月1… 春原 剛(すのはら つよし、1961年 - 2021年6月15日)は、日本のジャーナリスト、軍事評論家。 1961年、東京都生まれ。1983年、上智大学経済学部卒業、1983年4月、日本経済新聞社入社。米州編集総局ワシントン支局勤務、編集局国際部編集委員。米戦略国際問題研究所(CSIS)客員研究員など。2020年3月26日、日本経済新聞社 グローバルイベント事業担当専務執行役員 就任。 2021年6月15日、病気のため死去。60歳没。
大日方 欣一(おびなた きんいち、1960年12月5日 - … 大日方 欣一(おびなた きんいち、1960年12月5日 - )は、日本の写真評論家、フォトアーキビスト。 東京都生まれ。筑波大学比較文化学類を卒業し、その後同大学院修士を修了。在学中、クリエイティブハウスAKUAKUの活動に参加。 写真関係の執筆・展覧会企画等で活躍。 多摩美術大学映像演劇学科、武蔵野美術大学映像学科、日本写真芸術専門学校、桑沢デザイン研究所などで非常勤講師。武蔵野美術大学造形研究センター客員研究員として、大辻清司アーカイブの編纂事業にとりくむ。映像制作集団とどろきラボ主宰(「大辻清司フォトアーカイブ展」、「実験工房展」、「かたちとシミュレーション:北代省三の写真と実験」展、「新たな系譜学を求めて 跳躍/痕跡/身体」展・武智鉄二コーナー、「LOST "number" UPDATE」展などでの展示映像を制作)。
斎木 伸生(さいき のぶお、1960年(昭和35年)12月5… 斎木 伸生(さいき のぶお、1960年(昭和35年)12月5日 - )は、日本の国際政治学者、戦史研究家、国際政治評論家、軍事評論家。 専門は、ソ連・フィンランド関係およびフィンランドの安全保障政策[出典無効]。経済学士、法学修士。 東京都足立区出身。埼玉県立川越高校、早稲田大学政経学部卒業。同大学院法学研究科修士課程修了、博士課程中退。
佐伯 茂樹(さえき しげき、1960年11月26日 - 20… 佐伯 茂樹(さえき しげき、1960年11月26日 - 2019年8月1日)は日本の管楽器奏者、音楽評論家、楽器・古楽研究者。 1960年11月26日、東京に生まれる。12歳でトロンボーンとチェロを始め、早稲田大学在学中にトロンボーンを白石直之に師事。1986年、早稲田を卒業して東京芸術大学音楽科別科に入学、長濱幸雄にトロンボーンを学び、クラシカル・トロンボーンをシャルル・トゥートに師事。1989年東京芸大を卒業。東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ、クラシカル・プレイヤーズ東京、レ・ボレアード、ムジカ・ボエティカ、バッハ・コレギウム・ジャパンなどの国内の古楽オーケストラ、アンサンブルでアルトトロンボーンやオフィクレイドの古楽器とモダン楽器双方の演奏を行う。
矢野 吉彦(やの よしひこ、1960年10月21日 - )は… 矢野 吉彦(やの よしひこ、1960年10月21日 - )は、日本のアナウンサー、競馬評論家。 元文化放送アナウンサー(1983年 - 1988年)ののち、フリーアナウンサー。TCP Artist、TBSスパークル(社名がクリエイティブ・メディア・エージェンシー→キャスト・プラス=CMAだった2003年頃より)所属。 東京都出身。東京都立両国高等学校 を経て早稲田大学第一文学部 を卒業後、1983年に文化放送へ入社。主にプロ野球など スポーツ番組を担当。1989年よりフリーアナへ転身。主な実況担当競技は、競馬、プロ野球、アメリカンフットボール、Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)、ノルディックスキー複合。
福田 和也(ふくだ かずや、1960年(昭和35年)10月9… 福田 和也(ふくだ かずや、1960年(昭和35年)10月9日 - )は、日本の文芸評論家。慶應義塾大学環境情報学部教授。株式会社BSフジ番組審議会委員。
港 千尋(みなと ちひろ、1960年9月25日 - )は日本… 港 千尋(みなと ちひろ、1960年9月25日 - )は日本の写真家・写真評論家(著述家)。多摩美術大学美術学部情報デザイン学科教授。弟の港大尋はミュージシャン。 神奈川県藤沢市出身。「群衆」「移動」などをテーマに写真を撮りながら、多彩な評論を行う。2007年6〜11月、イタリアで行われたヴェネツィア・ビエンナーレでは、日本館コミッショナーを務めた。2014年8月1日には、あいちトリエンナーレ2016の芸術監督に就任した。 タスマニアの美術館、Museum of Old and New Art監修。 現代美術家のAKI INOMATA(多摩美術大学非常勤講師)の作品集『AKI INOMATA: Significant Otherness 生きものと私が出会うとき』に収録された寄稿文「スピーシーズのアトリエ」において、港はフェミニスト科学哲学者ダナ・ハラウェイの文章を引いているが、その日本語訳について高橋さきのによる既存の翻訳を使用しているにも関わらず元の翻訳者や書誌情報を明記しておらず、結果として翻訳者の著作権を侵害する盗用を行ったと報道された。
山城 むつみ(やましろ-、男性、1960年9月24日-)は日… 山城 むつみ(やましろ-、男性、1960年9月24日-)は日本の文芸評論家。本名山城康治。東海大学文化社会学部文芸創作学科教授。 大阪府生まれ。奈良県立郡山高等学校卒業。大阪外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。大学生時代には法橋和彦から教えを受ける。 「小林批評のクリティカル・ポイント」(『群像』1992年12月号)で第35回群像新人文学賞評論部門受賞。 1995年3月、最初の本『文学のプログラム』を刊行。 『文學界』2004年2月号より不定期連載「ドストエフスキー」を開始。「ドストエフスキー〔2〕」(2004年7月号)、「ドストエフスキー〔3〕」(2005年12月号)、「ドストエフスキー〔4〕」(2007年3月号)、「ドストエフスキー〔4〕承前」(2007年4月号)。
中川 右介(なかがわ ゆうすけ、1960年9月15日 - )… 中川 右介(なかがわ ゆうすけ、1960年9月15日 - )は、日本の評論家・編集者。元・出版社経営者。旧姓藤岡。東京都出身。 祖父・藤岡淳吉は日本共産党創立メンバーの一人で、脱党後は共生閣や聖紀書房、彰考書院などの出版社を経営した人物。その影響で、中川自身も小学生まで社会主義者だった。のち両親の離婚により、母方の姓となる。 早稲田大学第二文学部卒業後、父・藤岡啓介が創立した出版社アイピーシー(インタープレスから社名変更)の倒産の後始末をする過程で、自らの出版社アルファベータを創立。ドイツ、イタリア、米国など海外の出版社と提携して芸術家や文学者の評伝を出版。 アルファベータ代表取締役や『クラシックジャーナル』編集長を務める傍ら、自らもクラシック音楽関係の著書を執筆。
大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )… 大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、日本の歌人、文芸評論家。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、一般社団法人未来短歌会理事長・歌誌「未来」編集発行人・選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表、元皇學館大学講師。元津西高等学校教員。宮中歌会始選者。現津東高等学校教員。 三重県松阪市稲木町に生まれ、松阪市に在住。三重県立松阪高等学校卒業後、1979年4月、龍谷大学文学部哲学科に入学。大学院時代に、NHKの短歌番組をきっかけに作歌を始める。1985年3月、龍谷大学大学院文学研究科(哲学)を修了。翌1986年、未来短歌会に入会し、岡井隆に師事した。
篠原 常一郎(しのはら じょういちろう、1960年〈昭和35… 篠原 常一郎(しのはら じょういちろう、1960年〈昭和35年〉7月11日 - )は、日本のジャーナリスト、軍事・政治評論家、政治アドバイザー、動画配信者。元日本共産党専従(専従職員)。軍事評論家としては、古是 三春(ふるぜ みつはる、ミハイル・フルンゼから)の筆名を使用する。ロシア名は「フルンゼ・ミーシャ」だという。志波 耕治(しば こうじ)の名義で『月刊正論』への連載歴がある。 1960年、東京都で誕生した。中央大学附属高等学校卒業後、志望大学への現役合格に失敗し、家業である鋼材店の手伝い作業員をしながら、駿台予備校が開催する短期セミナーなどに参加する自宅浪人生となった。 1979年4月初め、日本民主青年同盟予備校班のオルグに応じ、民青千代田地区浪人班に加盟した後、1979年6月上旬に赤旗まつりで勧誘され「党員候補」となり、18歳で日本共産党に入党し、党千代田地区委員会予備校支部 (秘匿名称NB34支部) に所属した。
秋山 博康(あきやま ひろやす、1960年〈昭和35年〉7月… 秋山 博康(あきやま ひろやす、1960年〈昭和35年〉7月8日 - )は、日本のタレント、犯罪コメンテーター、犯罪評論家、元警察官、YouTuber、俳優。最終階級は警部(退職時、任警視)。愛称は「リーゼント刑事」。徳島県吉野川市(旧・麻植郡川島町)出身。ホリプロ所属。 1979年(昭和54年)、徳島県立川島高等学校卒業、徳島県巡査に任命。高校時代は柔道に打ち込んでいたほか、生徒会長も務めていたと自身のYoutubeチャンネルにて述懐している。交番勤務、機動隊を経て、1984年(昭和59年)、23歳の時に刑事として初配属される。殺人など重大犯罪を担当する徳島県警察本部捜査第一課、凶悪犯罪の最前線の所轄刑事課を中心に31年間刑事として捜査を担当。
和田 秀樹(わだ ひでき、1960年(昭和35年)6月7日 … 和田 秀樹(わだ ひでき、1960年(昭和35年)6月7日 - )は、大阪府出身の受験アドバイザー、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、教育思想家(受験競争重視思想)、臨床心理士、国際医療福祉大学大学院教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)、映画監督、小説家、管理栄養士。
森口 朗(もりぐち あきら、1960年6月1日 - )は、日… 森口 朗(もりぐち あきら、1960年6月1日 - )は、日本の教育評論家、元東京都職員。ハッピー・サイエンス・ユニバーシティのアソシエイト・プロフェッサー(准教授相当)。 1960年、大阪府生まれ。1984年、中央大学法学部を卒業。佛教大学大学院通信教育部教育学研究科修士課程を修了。東京都庁に入り、下水道局、衛生局に勤務。1995年に都内の小学校に転出。養護学校、都立高等学校を経て、2005年再び東京都庁に勤務。2016年、都庁を退職し教育改革の言論活動に専念する。 学者:藤田英典、内藤朝雄、森田洋司らのいじめ理論を基礎に『いじめの構造』を執筆し、特に内藤の理論をベースに独自の「スクールカースト」の概念を導入した。
藤原 直哉(ふじわら なおや、1960年〈昭和35年〉5月2… 藤原 直哉(ふじわら なおや、1960年〈昭和35年〉5月20日 - )は、経済アナリスト(経済評論家)。株式会社あえるば会長、認定非営利活動法人日本再生プログラム推進フォーラム理事長。 東京都生まれ。1983年、東京大学経済学部卒業。住友電気工業入社、電線ケーブルの海外輸出業務および企画部門に従事。1985年、経済企画庁経済研究所に出向、世界経済モデルを用いた短期経済予測・構造分析・計量経済分析の信頼性向上のための研究に従事。1987年、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券入社、投資戦略調査部で債券・株式の数理分析に従事。1993年、同じソロモン・ブラザーズ・アジア証券出身の松藤民輔と共に投資情報会社・株式会社牛之宮を設立、のち独立。
広瀬 和生(ひろせ かずお、1960年5月1日 - )は、… 広瀬 和生(ひろせ かずお、1960年5月1日 - )は、日本の雑誌編集者・音楽評論家、落語評論家、プロデューサー。 音楽雑誌BURRN!の2代目編集長である。
武内 伸(たけうち しん、1960年4月30日 - 2008… 武内 伸(たけうち しん、1960年4月30日 - 2008年7月13日)は、日本のラーメン評論家。神奈川県横浜市のフードテーマパーク・新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博と略)の元広報担当、日本ラーメン協会の元副理事長。福岡県鞍手郡(現宮若市)出身。「ラーメン王」のニックネームを持ち、ラーメンの道を究めるために日本全国で6000食以上ものラーメンを食べ歩いたことで知られる。「ラーメンは鶏ガラ、豚ガラ、(店主の)人柄の3ガラ」の名言を残す[3]。
宮永 正隆(みやなが まさたか、1960年4月23日 - )… 宮永 正隆(みやなが まさたか、1960年4月23日 - )は、日本の音楽評論家、ビートルズ評論家、ビートルズ大学学長および哲学部教授[要出典]、プロデューサー。石川県金沢市出身。 1983年3月、早稲田大学法学部卒業。 4年生の時、在校生に公募された「早稲田大学創立百周年記念 新応援歌作詞コンクール」で選出された。その作品は、早稲田大学創立百周年記念応援歌「いざ青春の命のしるし」(作曲・編曲:中村八大)として、現在も神宮球場で歌い継がれている。 1983年4月、集英社に入社し『りぼん』編集部に配属される。 1990年に集英社を退社。さくらももこトータルプロデューサーとして、テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』(1990年)では声優キャスティングや主題歌選定を行ない、脚本・アフレコ監修、初代オープニング主題歌「ゆめいっぱい」では歌詞の一部を補作[要出典]。
倉林 靖(くらばやし やすし、1960年4月15日- )は、… 倉林 靖(くらばやし やすし、1960年4月15日- )は、日本の美術評論家、音楽評論家。 群馬県生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。1986年、美術出版社主催「芸術評論」募集で第1席入選し、以後評論活動を開始。美術評論家連盟会員。現在、武蔵野美術大学、東海大学、東海大学大学院、専門学校桑沢デザイン研究所で非常勤講師。これまで、多摩美術大学、東京造形大学、京都芸術大学、和光大学、東京工科大学、文教大学の非常勤講師を歴任。日本の現代美術、芸術社会学、視覚伝達論、および芸術と社会、思想に関わる領域を専門とする。リコーダー奏者でもあり、大竹尚之に師事。 他、展覧会カタログ・パンフレットに多数執筆
稲田 和浩(いなだ かずひろ、1960年3月31日 - )は… 稲田 和浩(いなだ かずひろ、1960年3月31日 - )は、日本の演芸作家、落語評論家。 日本脚本家連盟、社団法人日本放送作家協会所属。民族芸能を守る会相談役。作者部屋(歌舞伎作家のこと)同人。 東京都品川区出身。日本大学芸術学部演劇学科卒業。タウン誌記者、コピーライターなどを経て、1986年頃より浪曲の台本を書き始める。それ以来、演芸(落語、講談、浪曲、漫才)の台本、邦楽(長唄、新内、琵琶など)の作詞、演劇の脚本、演出などを手がける。大西信行門下。 2004年、日本脚本家連盟、社団法人日本放送作家協会に入会。2019年には、初となる時代小説を上梓した。
佐飛 通俊(さび みちとし、1960年3月7日 -)は、日本… 佐飛 通俊(さび みちとし、1960年3月7日 -)は、日本の作家、文芸評論家。 福井県生まれ。中央大学文学部哲学科卒業。 1991年に「静かなるシステム」(『群像』1991年6月号所収)が第34回群像新人文学賞評論部門の優秀作に選ばれる。 2006年に『円環の孤独』で小説家デビュー。スポーツニッポン新聞社勤務。
潮 匡人(うしお まさと、1960年〈昭和35年〉3月 - … 潮 匡人(うしお まさと、1960年〈昭和35年〉3月 - )は、日本の評論家、軍事ジャーナリスト、航空自衛官。帝京大学短期大学人間文化学科准教授、防衛庁広報誌「日本の風」(通巻6号で休刊)編集長。 京都府立鴨沂高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業(在学中は雄弁会幹事長を務める)。同大学院法学研究科修士課程修了、TBSテレビ報道制作部契約社員を経て、1983年、航空自衛隊に入隊(防衛大学校27期相当)。 航空教育隊区隊長、第8航空団修理隊計器小隊長、第304飛行隊付幹部、航空中央業務隊付(市ヶ谷駐屯地、航空幕僚監部法務課)、航空総隊司令部(総務課法務班兼防衛課防衛1班)、防衛庁長官官房広報課(広報誌「セキュリタリアン」編集長)等を歴任。
浜田 邦裕(はまだ くにひろ、本名:濱田 邦裕、1960年(… 浜田 邦裕(はまだ くにひろ、本名:濱田 邦裕、1960年(昭和35年)2月28日 - )は、日本の建築家、建築評論家。 京都の大学教授。 マスターズオーケストラin京都【MOiK】オーナー・兼・常任指揮者。 オーボエ奏者、チェロ奏者。
二宮 清純(にのみや せいじゅん、1960年2月25日 - … 二宮 清純(にのみや せいじゅん、1960年2月25日 - )は、日本の評論家・スポーツジャーナリスト。 愛媛県八幡浜市出身。2000年よりスポーツの情報やコラムを配信し、講演やシンポジウムも手掛ける事業会社、株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役社長。明治大学大学院博士後期課程修了・学術博士(Ph.D.)。広島大学特別招聘教授、大正大学地域構想研究所 客員教授、認定NPO法人健康都市活動支援機構理事、スカパーJSATグループ番組審議会委員、全国外国人雇用協会評議会評議員、一般社団法人高千穂あまてらす鉄道総合研究所理事、伊予観光大使(いよかん大使)なども務める。なお、「せいじゅん」はペンネームであり、本名は「きよすみ」と読む。
石堂 藍(いしどう らん、1960年1月29日 - )は、日… 石堂 藍(いしどう らん、1960年1月29日 - )は、日本の書評家、文芸評論家、フリー編集者。幻想文学の評論を中心に活躍する。本名、川島徳絵。
倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –… 倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –)は、日本の小説家・評論家・俳人・翻訳家。 環境経済学者の倉阪秀史は実弟。名字を「倉坂」と誤記されることが多い。 三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。三重県立上野高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。早稲田大学大学院日本文学専攻中退。 早稲田大学時代は「幻想文学会」に所属し、東雅夫、浅羽通明らと知り合う。東がのちに創刊した雑誌『幻想文学』には、レビュー等を大量に寄稿する。また、「幻想文学会」の分科会として「幻想短歌会」を主宰した。 大学事務員として就職したもののフリーライターを志望して退職する。しかし生計が成り立たず印刷会社に入社、文字校正係として11年間勤務の後、退職。
西村 徳文(にしむら のりふみ、1960年1月9日 - )は… 西村 徳文(にしむら のりふみ、1960年1月9日 - )は、宮崎県串間市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投両打)・監督・コーチ、野球解説者・評論家。吉本興業所属。 千葉ロッテマリーンズとオリックス・バファローズの両球団で監督とコーチを務めた。現役時代のニックネームは「走る将軍」。 幼少期の西村は、地元・串間の方言で「おちゃかろ」と言われるほどのイタズラ好きな子供だったという。串間市立有明小学校には野球部が存在しなかったため、兄とキャッチボールで遊び、串間市立福島中学校に進学してから本格的に野球を始めている。中学まではそれほど俊足ではなかったが、走り幅跳びでは裸足で6m以上跳んだ。 中学生から野球の練習に励み、1974年には主将を務めて、当時宮崎県中学校体育連盟主催の県大会の会場となる完成直後の宮崎市営球場のこけら落としの試合に逆転勝利したのを皮切りに5勝してこの大会で優勝している。
中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら や… 中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら やすとも〉、1960年〈昭和35年〉1月1日 - )は、日本のコラムニストで編集者、アイドル評論家。 三重県志摩市出身。おたくという語の生みの親。ペンネームは、中森明菜からとったものである。 中学卒業後、三重県立明野高等学校に入学するも一年の夏休み明けに自主退学。その後、東京の大学に進学していた5歳年上の兄を頼って上京し、東京の高校へと進学する。最終学歴は明治大学付属中野高等学校中退と自称している。 1982年7月、ミニコミ誌ブームの中で、エンドウユイチ(=遠藤諭)達と共に、サブカルチャー総合ミニコミ誌の『東京おとなクラブ』(東京こどもクラブのもじり)を創刊。
磯部 晃人(いそべ あきと、1960年 - )は新潟県出身の… 磯部 晃人(いそべ あきと、1960年 - )は新潟県出身のフジテレビプロデューサー、柔道評論家。 新潟県立新潟高等学校を経て青山学院大学文学部史学科卒。 フジテレビではスポーツ局でK-1を企画し初代番組担当となる。事業局へ異動後、K-1やPRIDEの事業プロデューサーを務める。2007年世界柔道選手権大会ではフジテレビの公式サイトでの連載コラム「柔説」を担当した。現在はスポーツ局デスク。 『ゴング格闘技』Fight Squareの柔道コラムは、「教えて!教授」(松原隆一郎)、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也)とともに、同誌の柔道看板連載のひとつとなっている。
兵頭 二十八(ひょうどう にそはち、本名: 斉藤 浩、196… 兵頭 二十八(ひょうどう にそはち、本名: 斉藤 浩、1960年 - )は、日本の軍事評論家、軍学者、退職自衛官。最終階級は陸士長。学位は修士(工学)(東京工業大学)。 長野県長野市出身。1979年、長野県長野吉田高等学校普通科卒業。1982年、陸上自衛隊東部方面隊に任期制・二等陸士で入隊。北部方面隊第2師団第2戦車連隊本部管理中隊に配属。1984年3月、1任期満了除隊。除隊時階級陸士長。 同年4月、神奈川大学外国語学部英語英文科に入学。1988年3月、同卒業。神奈川大学在学中に江藤淳(当時東京工業大学教授)の著作に感動。江藤に手紙を書き、直々に電話を貰う。以後、幾度かの文通を経て江藤の元を訪ね知遇を得る。
河村 康彦(かわむら やすひこ、1960年 - )は、日本の… 河村 康彦(かわむら やすひこ、1960年 - )は、日本の自動車評論家。 工学院大学機械工学科卒業。自動車雑誌「モーターファン」(三栄書房)の編集部員を経て、1985年にフリーランスとなった。 日本カー・オブ・ザ・イヤー(2007-2008他)選考委員、世界・カー・オブ・ザ・イヤー(2007年他)選考委員、インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー選考委員などを歴任。ドイツ車が大好きであり、ポルシェ・ケイマンを所有する(2019年時点)。 文章の特徴として、タイヤ及びホイールを称して「シューズ」と表記する傾向がある。
海上 知明(うなかみ ともあき、1960年 - )は、日本の… 海上 知明(うなかみ ともあき、1960年 - )は、日本の評論家、日本戦略研究フォーラム研究員。 日本経済大学大学院政策科学研究所特任教授。茨城県生まれ。中央大学経済学部卒。企業勤務。2002年、「環境思想の体系と史的分析 : 多様化するエコロジー思想」で国士舘大学博士(経済学)を取得。戦略研究学会古戦史研究部会代表、孫子経営塾理事、環境戦略研究会代表。東京海洋大学、芝浦工業大学など複数の大学で非常勤講師を務めている。 元日本経済大学教授。元水木しげる公認ファンクラブ会員。父は土浦市役所総務部長、生活環境部長を務めた海上勘四郎。
郡司 勇(ぐんじ いさむ、1960年 - )は、日本の建築士… 郡司 勇(ぐんじ いさむ、1960年 - )は、日本の建築士(一級建築士)、温泉評論家。全日本温泉研究会会長。 東京理科大学卒業。学生時代の趣味であるオフロードバイクを乗っていた時代から温泉巡りを始める。 TVチャンピオンの「全国温泉通選手権」で第3回大会から第5回大会まで3連覇を成し遂げ、温泉評論家としての活動をスタートさせた。主な活動として、温泉評論本の執筆および評論文の寄稿、サイトの運営、講演などを行っている。 2010年10月、『究極の温泉【伝統建築篇】』をアーキメディア社から出版した。 得技は利き湯で、飲泉により温泉地をほぼ特定できる。泉質はツルツル、ヌルヌルする温泉が好み。
安岡 定子(やすおか さだこ、1960年 - )は、日本の道… 安岡 定子(やすおか さだこ、1960年 - )は、日本の道徳評論家。安岡正篤の孫。 東京都生まれ。安岡正篤の次男・正泰の長女。二松學舍大学文学部中国文学科卒業。「銀座寺子屋こども論語塾」、「斯文会・湯島 聖堂こども論語塾」などを開く。
小林 裕彦(こばやし やすひこ、1960年 - )は、日本の… 小林 裕彦(こばやし やすひこ、1960年 - )は、日本の弁護士、ローカルタレント、温泉評論家である。岡山大学法務研究科の非常勤講師で、小林裕彦法律事務所の代表を務める。 1960年に大阪府大阪市で生まれる。 1984年に一橋大学法学部を卒業し、労働省に入省。1989年に司法試験に合格し、1992年に岡山弁護士会に登録する(第44期)。 2005年、岡山弁護士会の副会長を1年間務める。 2015年に岡山大学法務研究科の非常勤講師となる。2024年11月現在も現職。 2019年、岡山弁護士会の会長を1年間務める。 大阪市生まれ。岡山県岡山市北区に、自身の名を冠した小林裕彦法律事務所を構える。 秘湯巡りが趣味。
内田 洋一(うちだ よういち、1960年 - )は、日本のジ… 内田 洋一(うちだ よういち、1960年 - )は、日本のジャーナリスト、演劇評論家。 東京生まれ。1983年早稲田大学政治経済学部卒、日本経済新聞に入る。社会部を経て1984年より文化部、1993-1995年大阪本社勤務を経て東京本社文化部編集委員。多摩美術大学非常勤講師。日本の現代演劇についての著作がある。2025年末に日本経済新聞を退社しフリーの演劇評論家となる
田中雅志(たなか まさし、1960年- )は、日本の美術評論… 田中雅志(たなか まさし、1960年- )は、日本の美術評論家、翻訳家。東京都出身。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。西洋のエロティック美術、文学の翻訳・評論を行う。
丸田 一(まるた はじめ 、1960年 - )は、日本の評論… 丸田 一(まるた はじめ 、1960年 - )は、日本の評論家、放送大学非常勤講師。専門は、情報社会学 、地域情報化研究。埼玉県さいたま市(旧浦和市)出身。 早稲田大学高等学院、早稲田大学理工学部建築学科卒業。大成建設株式会社、三和総合研究所主任研究員、UFJ総合研究所主席研究員、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター教授(主幹研究員)・副所長などを経て現職。シンクタンク時代の地域研究に基づいて地域情報化研究を牽引するとともに、独特の情報社会分析を行う。
合田 直弘(ごうだ なおひろ、1959年12月27日 - )… 合田 直弘(ごうだ なおひろ、1959年12月27日 - )は、日本の海外競馬評論家、解説者、レーシングジャーナリスト。東京都出身。 父親が競馬好きだったため、小さいころから週末に競馬中継をよく見ていた。中学受験を経て慶應義塾普通部(中学校)に進学すると馬術部に入部し、乗馬を始める。そのころに行った千葉新田牧場(閉鎖)や那須野牧場などにいた競走馬、雑誌『優駿』の記事、FENの放送などによって日本国外の競馬に興味を持ち始める(なお、千葉新田牧場の代表を務めた新田幸次郎は馬術部の同級生)。 慶應義塾高等学校を経て、1982年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、テレビ東京に入社。『土曜競馬中継』などの制作を担当した。
坂上 賢治 (さかうえ けんじ、1959年11月7日-) は… 坂上 賢治 (さかうえ けんじ、1959年11月7日-) は、大阪府出身の自動車評論家。 国内に於いて、繊維製品の一大産地である熊取町に生まれたことから、幼少期より化学・機械工学が身近にある生活を送る。大阪府立佐野工科高等学校から京都造形芸術大学を経て、1980年代は、京都を拠点に鈴鹿選手権等、関西圏の2輪ロードレースに出走する傍ら、生来の周辺環境から造詣が深い工業デザインに加え、グラフィックデザイナーとして活躍した。 1990年から、日刊自動車新聞社の取材記者を振り出しに、モータージャーナリズムの世界に進出した。同紙では特集紙面の編集主宰を主に、材料技術・デザイン・設計・生産・販売・整備・交通・モータースポーツと、幅広い領域での執筆活動を行う。
田村 藤夫(たむら ふじお、1959年10月24日 - )は… 田村 藤夫(たむら ふじお、1959年10月24日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。 習志野市立大久保小学校5年生の時に近所の少年野球チームに入り、その時から捕手を務める。習志野市立第二中学校野球部監督から、家の近くの習志野高校よりも関東一高を薦められて同校に進学。 関東第一高校では、エースとして2年次の1976年に秋季東京大会で準決勝に進むが、弓田鋭彦(早大 - 日本石油)・谷田部和彦(早大 - 拓銀)・川又米利らを擁する早実に敗れる。3年次の1977年には捕手へ転向し、夏の全国選手権東東京大会でも準々決勝へ進出するが、またも早実に大敗したため甲子園出場には届かなかった。
尾崎 真理子(おざき まりこ、1959年10月18日- )は… 尾崎 真理子(おざき まりこ、1959年10月18日- )は、日本の文芸評論家、元読売新聞文化部記者、元早稲田大学文化構想学部教授。 宮崎県宮崎市生まれ。青山学院大学文学部卒業後、文芸担当を志して読売新聞に入社。1992年より文化部記者として「文芸時評」欄をおよそ10年担当。作家へのインタビューにも定評がある。読売新聞東京本社文化部長(2016~17年)、2011年編集委員。2015年、『ひみつの王国 評伝石井桃子』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞、第34回新田次郎文学賞受賞、平成27年度宮崎県文化賞(芸術部門)受賞、2016年度日本記者クラブ賞受賞、第46回大宅壮一ノンフィクション賞候補。2020年読売新聞を退社し、早稲田大学文化構想学部教授。