新井 量大(あらい かずお〔本名及び旧芸名:新井 和夫、旧芸… 新井 量大(あらい かずお〔本名及び旧芸名:新井 和夫、旧芸名:新井 一夫〕、1932年9月9日 - )は、東京都出身の日本の俳優。身長164 cm。体重62 kg。 早稲田大学文学部卒業。1948年、劇団ともだち座入団。1952年に劇団が解散した後、舞台芸術学院に入学。それをきっかけにデビュー。1955年、劇団演出劇場に入団し、1958年に退団。かつては東京俳優生活協同組合、東京演劇アンサンブル、希楽星に所属していた。 特技は書道、ギター。趣味は陶芸、釣り。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松山 照夫(まつやま てるお、本名:同じ、1932年9月8日… 松山 照夫(まつやま てるお、本名:同じ、1932年9月8日 - )は日本の俳優。北海道深川市出身。北海道深川西高等学校卒業。特技は囲碁(4段)。 1955年、舞台芸術学院卒業後、劇団中芸に入団。初舞台は『松川事件』の赤間役。1956年、今井正監督の『真昼の暗黒』での犯人役で映画界にデビュー。以降も舞台を中心に、各社の映画作品に味のあるバイプレイヤーとして出演。1958年に風船ぐるーぷを結成。その後は東京俳優生活協同組合、東京演劇アンサンブル(旧 - 劇団三期会)、独立企画に所属していた。1970年代からはテレビドラマに活躍の比重を置き、時代劇や刑事アクションドラマのチンピラヤクザなど、江幡高志にも通じる小悪党的な悪役を様々に演じた。
小川 安三(、1932年〈昭和7年〉9月6日 - 没年不明)… 小川 安三(、1932年〈昭和7年〉9月6日 - 没年不明)は、日本の元俳優、映画プロデューサー。埼玉県飯能市出身。 東宝の専属俳優。ふくよかな丸顔と小心的な表情が特徴。 ジャンルを問わず数多くの映画に出演。1980年のテレビドラマ『わが首相のベット ガン回廊の朝II』では、風貌がそっくり、と言うこともあって、大平正芳を演じた。 俳優引退後は映画製作会社「小川企画」を設立し、1993年、映画『虹の橋』では藤本賞・特別賞を受賞した。
小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11… 小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11日 - 2021年〈令和3年〉5月30日)は、日本の作曲家、作詞家、俳優、タレント。 日本作詞作曲家協会(J-scat)理事、大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯で6,000曲以上を残した。1976年に「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。 妹はイラストレーターの川村みづえ。次男は元俳優・元学習塾講師の小林朝夫。従甥(母・塩子の兄の孫)に経済学者の有賀敏之がいる。 東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ、杉並区堀ノ内で育った。父方の祖父は新潟で病院を経営していた医師、父は逓信省の官僚、母は新築地劇団の元女優で、小林を産むまで劇団に所属していた。
川野 耕司(かわの こうじ、1932年7月27日 - )は、… 川野 耕司(かわの こうじ、1932年7月27日 - )は、日本の俳優、声優。本名・旧芸名は川野 孝司。群馬県出身。 身長173cm→172cm。体重63kg→69kg。 日本大学芸術学部卒業。 1952年、劇団ぶどうの会入会。劇団白鳥座設立、劇団造形を経て、エヌ・エー・シー、東企画に所属していた。 1970年代後半より高崎 良三に改名。 趣味はスキー、水泳。
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17… 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の政治家、小説家、作詞家、タレント、テレビ司会者、俳優、放送作家、映画監督、歌手。位階は正四位。 参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)等を歴任した。 テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『いじわるばあさん』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞するなど、多才の人として知られ、「超マルチタレント」と呼ばれた。
小鹿 番(こじか ばん、1932年〈昭和7年〉6月18日 -… 小鹿 番(こじか ばん、1932年〈昭和7年〉6月18日 - 2004年〈平成16年〉4月29日)は、日本の俳優。東京市出身。本名及び旧芸名は小鹿敦。主に舞台俳優として活躍した。 浅草・合羽橋に生まれる。中学生の頃は将来画家になろうとしていたが、大宮高校時代に演劇部に入ったことで演劇に夢中になり、演劇の道を志す。明治大学文学部演劇学科卒。劇団青春座、女優座、舞台工房、アトリエ座などの劇団を転々とした後、1957年、劇団東宝現代劇に1期生として入団。1964年、交通事故で入院した八波むと志の代役として、『マイ・フェア・レディ』のアルフレッド・ドゥーリトル役で評判になる。 1993年の『ゆずり葉』で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。
杉 幸彦(すぎ ゆきひこ、1932年6月12日 - 1998… 杉 幸彦(すぎ ゆきひこ、1932年6月12日 - 1998年8月12日)は、日本の元俳優。福岡県福岡市地行東町出身。本名同じ。 俳優・杉狂児の四男。1941年、世田谷区立松沢小学校在学中、島耕二監督映画『次郎物語』の主人公で映画デビュー、この作品では主人公次郎役を幸彦と実兄・杉裕之の二人で演じる。映画の前半では幸彦が演じ、後半を裕之が演じた。1942年、東宝に入社し『翼の凱歌』などに出演するが、その後はしばらくまで学業に専念する。 中学、高校は明星学園を卒業、1955年に明治大学文学部演劇科を卒業したのち再び俳優を志す。同年5月、日活に入社しアクション映画に多数出演。1962年、日活を退社してフリーとなりテレビなどに出演する。
佐原 健二(さはら けんじ、本名:加藤 正好(かとう まさよ… 佐原 健二(さはら けんじ、本名:加藤 正好(かとう まさよし)、1932年(昭和7年)5月14日 - )は、日本の俳優。佐原プロモーション社長。
鶴見 丈二(つるみ じょうじ、1932年5月8日 - )は、… 鶴見 丈二(つるみ じょうじ、1932年5月8日 - )は、日本の俳優。千葉県市川市出身。本名は増田 清貴。日本舞踏家でもあり、水木歌紅の門下。 慶應義塾高等部卒業。1954年、第8期大映ニューフェイスに合格し、大映演技研究所を経て大映に入社。1955年に『弾痕街』でデビュー。
岩下 浩(いわした ひろし、1932年4月29日 - )は、… 岩下 浩(いわした ひろし、1932年4月29日 - )は、東京都出身の俳優。東京都立広尾高等学校、青山学院大学卒。劇団民藝所属。かつては水品演劇研究所、劇団青芸、日活に所属していた。
海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は… 海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は、日本の芸人・俳優・声優。本名は海野 教麿(うんの きょうまろ)。旧名:海野かつお。東京府東京市(現・東京都区部)出身。 代々浅草区育ちで、実家は仁丹塔の傍のお好み焼き屋。来店する芸人に幼少時より可愛がられ、1944年の大映作品『五重塔』に子役で初出演。 戦後コメディアンを志し、日本大学第一高等学校を休学してムーランルージュ新宿座で演出見習として働き始めた途端に閉館の憂き目に遭い、同高に復学して卒業。東京吉本のシミキン一座に入り、浅草花月劇場のストリップの幕間コントで初舞台を踏んだ。 その後は脱線トリオ一門に移り、浅草フランス座をホームグラウンドに活動した。
川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 200… 川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 2006年6月24日)は、日本の俳優、声優。愛知県豊橋市出身。 悪役俳優として知られ、特に時代劇での悪代官役で著名であった。 1945年、豊橋市立八町小学校卒業。同年に豊橋空襲で自宅を失う。 終戦後、通学する愛知県立豊橋中学校が新学制度により、愛知県立豊橋時習館高等学校となる。在学中は美術部に在籍しており、演劇部のため書き割りを描いてた際に「役者が足りないからちょっとやってみて」と言われたことがきっかけで俳優を目指す。1951年に高校を卒業し上京、舞台芸術学院本科に入学する。 卒業後は劇団青俳へ入所。『反応工程』『モンセラ』などの舞台に立つ傍らで、1956年公開の映画『道』に「河井信旺」名義で映画初出演を果たした。
三谷 昇(みたに のぼる、1932年〈昭和7年〉4月9日 -… 三谷 昇(みたに のぼる、1932年〈昭和7年〉4月9日 - 2023年〈令和5年〉1月15日)は、日本の俳優・声優、芸術家。 広島県立福山葦陽高等学校卒業。「文学座」や「劇団雲」を経て、「演劇集団 円」に所属していた。特技は広島弁。 高校時代から演劇活動を開始。1951年に高校を卒業後、画家を志望して東京藝術大学を受験するが失敗。郷里に帰るのが嫌で文学座に裏方として入団した。4年後、役者へと転身した。 絵心は晩年まで持ち続け、舞台でピエロを演じた経験から「役者は道化」と思い定め、ピエロを描いた「道化石」を共演者らに送ったり、新美南吉の童話『いつのことだかどこのことだか』を紙芝居化したり、公演先でスケッチしたりしており、没後には遺作展も開かれた。
露口 茂(つゆぐち しげる、1932年〈昭和7年〉4月8日 … 露口 茂(つゆぐち しげる、1932年〈昭和7年〉4月8日 - 2025年〈令和7年〉4月28日)は、日本の俳優。東京府東京市生まれ、愛媛県松山市育ち。 現在の東京都で生まれるが、太平洋戦争の影響で両親の故郷である愛媛県松山市に疎開し、同所で育つ。愛媛県立松山東高等学校卒業。一学年下には俳優・映画監督の伊丹十三や作家の大江健三郎がいる。高校時代は水泳、陸上やラグビー(ポジションはウイング)もやり、バスケットボール部で国体代表候補になるほどの腕前であった。愛媛大学文理学部人文学科甲(文学課程英語・英文学専攻)に通いながら、NHK松山放送劇団の劇団員として主にラジオドラマ(オーディオドラマ)などで活動した。
今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、… 今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、日本の俳優。本名およびデビュー時の芸名:今井 俊一、旧芸名:今井 俊二。 神奈川県鎌倉市出身。明治大学卒業。田中事務所、グループ71、西村事務所に所属していた。 1955年、知人の勧めで、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。同期には高倉健、五味龍太郎、丘さとみなどがいる。『野郎ども表へ出ろ』に出演して俳優デビューを果たす。大部屋俳優としての役柄を経て、『吠えろ岸壁』への出演後、『皮ジャン・ブルース』ではより大きな役を与えられた。1962年に東映を退社して以降はフリーランスとなった。もともとは二枚目のスター候補であり、温厚な青年なども演じていたが、今井健二名義で『続・女番外地』出演して以降は悪役をメインに演じるようになった。
園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は… 園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は、日本の元俳優。テレビドラマへの出演を通じ、孤独と哀愁をたたえたマスクで多くの女性を魅了した。 東京市浅草生まれ。本名・永井之弘。1950年(昭和25年)、東京都立工芸高等学校木材工芸科を卒業して新東宝美術部に入り、映画装置の助手を務める。1953年(昭和28年)に劇団青俳の国民文化研究所演劇科に入り、1954年(昭和29年)青俳に入団、テレビ番組に初出演し、1957年(昭和32年)からNHK『刑事部屋物語』、日本テレビ『見事な娘』などに出演。1958年(昭和33年)、青俳を退団、フリーとなってNHK『事件記者』に山崎記者の役で出演、人気を集める。
井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013… 井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013年11月21日)は、日本の人形劇俳優、演出家である。東京都新宿区出身。血液型はO型。 『できるかな』(NHK教育、1970年 - 1990年)にて、操演するキャラクター「ゴン太くん」を務め上げた。
森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17… 森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17日 - 1989年〈平成元年〉12月11日)は、日本の俳優、男性声優。本名同じ。 満洲国哈爾浜市出身。明治大学英文学科卒業。 第二次世界大戦まで満洲国で過ごし、戦後は広島県に引き揚げて広島県立呉三津田高等学校を卒業。 明治大学入学後は、のちに俳優となる金内吉男たちと演劇活動を行い、大学卒業後の1952年に東京演技研究所に入所。その後は、劇団現代派、劇団中芸を経て1961年に劇団演劇座に所属する。東京芸術座、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、劇団四季、タドポール企画、プロダクションエム・スリー、モリヤマ企画、エムワイ企画、MOU企画、大沢事務所にも所属していた。
和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日… 和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日 - 1981年〈昭和56年〉1月18日)は、日本の声優、俳優。東京府日本橋区(現:東京都中央区)出身。東京俳優生活協同組合に所属していた。 東京府日本橋区(現:東京都中央区)で誕生。 日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1954年、ドラマグループ二十一世紀参加。劇団新芸設立を経て、一時的に芸能界から離れていたが復帰。1957年、金星プロ所属、1959年、PTC芸能部所属、東京俳優生活協同組合、笹の会、文芸プロを経て、再び東京俳優生活協同組合に所属していた。 『ジ・アニメ』で連載されていた『勝田久の声優入門』にあるニュースによると、1981年当時は、体調が悪かったものの、同年1月17日夕刻まで、CM録音に奮戦して、帰宅後に胸の苦しみを訴えて直ちに入院。
谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、19… 谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、1932年〈昭和7年〉2月22日 - 2010年〈平成22年〉9月11日)は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。 東京府荏原郡東調布町(現・東京都大田区田園調布)出身・三鷹市大沢に居住していた。渡辺プロダクション所属。中央大学経済学部中退、中央大学学員会三鷹支部会員。日本トロンボーン協会名誉会員。 写真家の吉田ルイ子は従妹にあたる。長男の渡部泰裕は映像ディレクター。 会社員の渡部四郎の長男として生まれる。祖父の渡部競一は福島県会津若松市出身で、現在の東京工業大学の前身の東京職工学校を卒業後、技師となり横須賀海軍工廠製造所や日本製鋼などに勤めたのち芝区(現在の東京都港区)三田四国町で鋼材を扱う成工商会を経営した。
岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は… 岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。東京俳優生活協同組合所属。北海道深川市出身。リーディングドラマの会・伽羅主宰(をはり万造・森うたうと共同主宰)。
岩本 弘司(、1932年〈昭和7年〉2月9日 - 没年不明)… 岩本 弘司(、1932年〈昭和7年〉2月9日 - 没年不明)は、日本の元俳優。本名:岩本 弘(いわもと ひろし)。京都府出身。明治大学卒業。 父が新東宝の殺陣師であった関係から、自らも東宝に脇役専門のBホーム枠で入社。俳優業とともに時代劇のほかアクション映画の殺陣師としても活躍、最終的には本数契約制のAホームに移る。 さっぱりした人柄で年齢を問わず多くの人から人気があり、「弘チン」の愛称で親しまれていた。東宝で助監督を務めた梶田興治によれば、岩本はバーの店員役が多かったことから「バーテンダー専門俳優」とあだ名されていたという。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「男性的で精悍な役柄に持ち味を発揮」と評している。
伊藤 正博(いとう まさひろ、1932年2月6日 - )は、… 伊藤 正博(いとう まさひろ、1932年2月6日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。 日本大学芸術学部卒業。かつては、劇団宗芸、東京映画、タレントエージェント、劇団東芸、プロダクション・エムスリー、希楽星に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
渡辺 高光(わたなべ たかみつ、1932年2月2日 - )は… 渡辺 高光(わたなべ たかみつ、1932年2月2日 - )は、日本の元俳優・殺陣師。本名、渡部 高璋。 東京府出身。学習院大学卒業。 日活出身。新東宝などで脇役として活動したのち、1964年にテレビドラマ『戦国群盗伝』で知り合った日本大学の「殺陣同志会」メンバー・きくち英一らと「ジャパン・ファイティング・アクターズ(JFA)」を創設し、俳優・殺陣師として活動する。やがてメンバー間での意見の相違からJFAは解散し、その後は中村プロダクションに所属。芸名を「大沢 萬之价」(おおさわ まんのすけ)に改め、1980年代前半まで多くの映画・テレビドラマに出演していた。 特技は空手(初段)・乗馬。 『宇宙猿人ゴリ』(のちに『スペクトルマン』に改題)で共演した成川哲夫は、渡辺は九州地方の出身であるが、『スペクトルマン』の劇中のような九州訛りはなかったと記している。
佐藤 功一(、1932年〈昭和7年〉1月18日 - )は、日… 佐藤 功一(、1932年〈昭和7年〉1月18日 - )は、日本の俳優。東京都出身。早稲田大学卒業。身長174センチメートル。 1953年11月、大学在学中に帝国劇場へ入団。1955年、帝劇のシネラマ設置に伴い、東宝の専属俳優となる。 クレジットされる作品は少数だが、1950年代から1970年代まで活動していた。東宝の俳優であった中島春雄によれば、東宝が専属制度を廃止したのちに佐藤は清水良二らとともに養鶏会社へ転職したという。
藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 199… 藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 1997年8月29日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。 朝鮮・平安北道平壌府(現:朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市)に生まれる。 朝鮮鉄道の社員だった父に従って朝鮮半島を転々と移り住むが、釜山で終戦を迎え、三重県四日市市に引き揚げる。中学に編入後、三重県立神戸高等学校に進学するも、四日市市馳出に戻り三重県立四日市高等学校を卒業。浪人生活を経て東京大学に入学し、文学部仏文科に進む。在学中に演劇に熱中し、俳優座養成所に第5期生として入所する。同期に平幹二朗がいる。 1955年、大学卒業とともに日活に入社。助監督として舛田利雄、蔵原惟繕らにつく。
三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭… 三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭和7年〉1月10日 - 2017年〈平成29年〉4月23日)は、日本の落語家、俳優、日蓮宗僧侶。本名は中澤 信夫であるが、出家後の資料では中澤 圓法(円法)としている場合がほとんどである。出囃子は「二ツ巴」。定紋は片喰。 生年については1932年説と1929年説があり、落語協会公式サイト では1932年1月10日となっている。これに対して1929年説は「空襲で役所が焼け、戸籍を再度届け出た際に家族が間違え、戸籍上3歳若くなったためである」としている。一般的には1929年説が通っているともされていたが、4代目圓歌によれば、3代目の通夜が終わった後、飲み屋で会った岩倉鉄道学校の卒業生が1931年生まれで圓歌のことを「1年後輩」と言ったこと、かつて手伝いに来ていた圓歌の母に1929年生まれが正しいのか聞いたところ「そんなに早く産んだ覚えはない」と言われたことに加え、1929年説は5代目春風亭柳朝との確執の末に出てきたものだという。
内藤 綱男(ないとう つなお、1932年 - )は、日本の画… 内藤 綱男(ないとう つなお、1932年 - )は、日本の画家、元俳優。山梨県出身。 明治大学卒業後、大映に入社。大映京都撮影所、西岡プロ、エヌ・エー・シー所属を経て、画家に転向。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
野村 浩三(、1931年〈昭和6年〉12月22日 - 201… 野村 浩三(、1931年〈昭和6年〉12月22日 - 2010年〈平成22年〉1月12日)は、日本の俳優。本名は尾棹 一浩(おさお かずひろ / おざお かずひろ)。旧芸名は野村 明司()。 東京府北豊島郡練馬町(のちの東京都練馬区)出身。明治大学商学部卒業。 劇団俳優座第3期生。同期には愛川欽也、渡辺美佐子、江幡高志、塚本信夫、穂積隆信、本郷淳などがいる。 1953年、『落葉日記』で映画デビュー。1954年、俳優座養成所卒業。藤本プロ所属。本名でデビューののち、1955年の松竹入社の際に野村浩三に改名。 1958年に東宝に移籍。同年公開の東宝特撮映画『大怪獣バラン』(本多猪四郎監督)で生物学者・魚崎健二役で主演。
小島 慶四郎(こじま けいしろう、1931年12月19日 -… 小島 慶四郎(こじま けいしろう、1931年12月19日 - 2019年12月23日)は、日本の喜劇俳優。大阪府堺市浜寺生まれ。松竹新喜劇の主要メンバーとして活躍していた。 父親は銀行員であったため、少年時代は各地を転々とした。 北海道北見柏陽高等学校から関西大学文学部新聞学科に進学するが、演劇にのめり込み、在学中の1953年、かもめ座に入団。 その2年後、劇団新春座に移り、大学を中退。 1960年、2代目渋谷天外に誘われて松竹新喜劇に入団。独特の容貌と、看板役者の藤山寛美とは違う「アホぶり」で人気を博す一方、市井や底辺に生きる人間の哀しみや切なさも演じきっていた。 1966年の藤山の退団・復帰の際には行動をともにし、以降の新喜劇黄金時代に貢献。
髙田 次郎(たかだ じろう、1931年12月10日 - )は… 髙田 次郎(たかだ じろう、1931年12月10日 - )は、日本の喜劇俳優。 兵庫県神戸市出身。松竹新喜劇所属。 兵庫県神戸市に生まれる。立命館大学卒業後、「神戸道化座」、「松竹新春座」を経て、1957年「松竹家庭劇」旗揚げに参加する。1967年から、松竹芸能に席をおき、テレビドラマを中心に活動する。 その後、花登筺主宰の「劇団喜劇」を経て、1982年から「松竹新喜劇」に所属して舞台を中心に活動中。2014年には食道癌を患い、7月に出演予定だった新橋演舞場公演を降板したが、同年9月の大阪松竹座公演「道頓堀パラダイス」で復帰している。2018年、第44回菊田一夫演劇賞特別賞を受賞した。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8… 杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8日 - 2011年〈平成23年〉9月21日)は、日本の俳優。フリーランス。血液型はB型 愛知県岡崎市に、杉浦仙次郎の次男として生まれる。兄に康雄、弟に俊也、2人の妹がいる。祖父は実業家の3代目杉浦銀蔵。従兄は数学者で東京大学名誉教授の杉浦光夫で、父の兄である英一の次男。戦争末期、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。1945年、学徒動員により日清紡績美合工場に送られ、終戦まで飛行機を作る毎日を送る。 1946年春、当時岡崎中学校で教鞭を執っていた画家の山本鍬太郎が演劇部を設立すると、すぐに入部。1948年4月の学制改革により愛知県立岡崎北高等学校に移る。
勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1… 勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。本名・奥村 利夫(おくむら としお)。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された。
浜田 雄史(はまだ ゆうし、1931年11月25日 - 20… 浜田 雄史(はまだ ゆうし、1931年11月25日 - 2011年11月14日)は、日本の俳優。本名は奥村俊雄。晩年は鳥プロに所属していた。姉は松竹の女優、牧千草。 京都に生まれる。同志社大学の出身。進藤健二の紹介で大映京都の助監督の試験を受けるが、1954年(昭和29年)俳優として入社。芸名は父親の名前(浜吉)から取ったという。 1954年(昭和29年)『花の白虎隊』でデビュー(ノンクレジット)。同作では主演の市川雷蔵を始め、勝新太郎、花柳武始などの新人俳優が同時デビューしている(勝新太郎の本名は、奇しくも浜田の本名と読みが全く同じ「奥村利夫」。1931年11月29日生まれと、生年月日も浜田と近い)。
坂本 由英(さかもと よしえ、1931年11月13日 - 1… 坂本 由英(さかもと よしえ、1931年11月13日 - 1998年10月2日)は、日本の俳優。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部演劇科卒業 。1950年に劇団近代座に入団 。その後はダテ企画に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉… いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉3月20日)は、日本の男性コメディアン、ミュージシャン(ベーシスト)、俳優、司会者。「ザ・ドリフターズ」の3代目リーダー。東京市本所区中之郷横川町(現在の東京都墨田区東駒形)出身。本名は碇矢 長一(いかりや ちょういち)。後年は俳優としても活動した。 愛称は「長さん」。ドリフ時代初期は芸名を「いかり矢 長介」としていた。ドリフ映画で使われる呼び名は「ゴリラ」「下唇」。身長175.2cm。 東京府東京市本所区中之郷横川町(現・東京都墨田区東駒形)生まれ。渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに所属し、没後もイザワオフィス所属扱いとなっている。
宇津井 健(うつい けん、1931年(昭和6年)10月24日… 宇津井 健(うつい けん、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)3月14日)は、日本の俳優である。身長173cm、血液型はA型。東京府東京市深川区出身。(現在の東京都江東区出身)
福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月2… 福田 善之(ふくだ よしゆき、1931年〈昭和6年〉10月21日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優。本名、鴻巣 泰三。
石井 光三(いしい みつぞう、1931年〈昭和6年〉10月1… 石井 光三(いしい みつぞう、1931年〈昭和6年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉1月6日)は、東京府出身の俳優・タレント・芸能プロモーターである。 自分の名前を冠した芸能事務所・石井光三オフィスの社長・会長を務め、テレビ出演等では石井社長として親しまれた。 生まれは東京であるが、主に大阪で育ち、その為話す言葉は大阪弁である。大阪産業大学附属高等学校を卒業。1939年に子役としてJO京都撮影所(旧東宝京都)に入所。1946年、東横映画京都第1期ニューフェイスとなる。 1952年からは漫才作者の秋田實が主宰する宝塚新芸座に在籍していたが、1963年にタレント引退。松竹芸能社員として裏方に転身。
中村 靖之介(なかむら せいのすけ、1931年10月13日 … 中村 靖之介(なかむら せいのすけ、1931年10月13日 - )は、日本の俳優、声優。北海道出身。プロ・フィット(声のみ)所属。
中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本… 中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本の元俳優。兵庫県姫路市出身。日本大学芸術学部卒業。 1950年に演劇で活動していたところを千葉泰樹や藤本眞澄に認められ、千葉の監督作品『山のかなたに』(藤本プロ・新東宝)でデビューする。 1954年に東宝と専属契約し、千葉の監督作品に常連として出演するほか、岡本喜八、谷口千吉、本多猪四郎、須川栄三らの各監督にも多く起用され、特撮、時代劇、戦争映画などジャンルを問わずに出演する。コミカルな演技でバイブレイヤーとして活躍し、東宝の映画に数多く出演するなか、テレビドラマにも出演し、活動の幅を広げていった。 1970年代に入り、東宝俳優専属システムの崩壊を経て数多くの専属俳優が引退する中、中山もそれに伴って引退し、映画界から姿を消した。
浦野 光(うらの ひかる、1931年9月22日 - 2018… 浦野 光(うらの ひかる、1931年9月22日 - 2018年5月2日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。神奈川県出身。 神奈川県小田原市で育ち、父親の仕事の都合で東京府(現:東京都)、三重県四日市市と移り住む。 早稲田大学商学部を経て、設立されたばかりの中部日本放送放送劇団に応募した。一度は落選するが、1953年(昭和28年)春、二期生の募集に再度応募し合格した。養成期間を経て、ナレーションでデビュー後、3年でラジオ東京放送劇団に移籍した。吹き替えの仕事を開始した後、フリーとなり、タレントエージェント、シナリオ文芸協会、グループだいこん、セブンセンター、クリエイティブオフィスZなどに所属した。
林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 200… 林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 2008年2月6日)は、日本の俳優。京都府京都市伏見区出身。慶應義塾大学文学部卒業。本名は長谷川 寿(はせがわ ひさし)。父は俳優の長谷川一夫。女優の長谷川季子、長谷川稀世は妹。妻は上田吉二郎の養女。 1937年、大阪歌舞伎座で初舞台、同年に父・一夫主演の映画『土屋主悦』で映画デビューした。大学卒業後は大映に入社し、『新・平家物語』、『赤胴鈴之助』シリーズなど数多くの映画に出演。1960年に大映を退社し、1962年、東宝に移った。以降は東宝歌舞伎にレギュラー出演するなど、舞台を中心に活躍した。他に杉良太郎などの舞台に客演した。 2008年2月6日、心不全のため死去、76歳だった。
小林 恭治(こばやし きょうじ、1931年9月3日 - 20… 小林 恭治(こばやし きょうじ、1931年9月3日 - 2007年3月8日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京都出身。息子は広告写真家の小林恵介、娘はニュースキャスターの小栗泉。従甥にはライターの竹熊健太郎がいる。 代表作に『おそ松くん(第1作)』(イヤミ)、『ひょっこりひょうたん島』(マシンガン・ダンディ)、『巨人の星』(ナレーション)などがある。 中学時代、文化祭で中野重治の詩を読んだところ快感で、学校の教師が「読むということがいかにも面白いか」というのを植え付けたという。それが一生の仕事のようなものになったため、1990年にはその教師をありがたく思っていると話している。 高校時代に詩の朗読研究会に参加し、詩の朗読の勉強を始める。
八奈見 乗児(やなみ じょうじ、本名:白土 繁満(しらと し… 八奈見 乗児(やなみ じょうじ、本名:白土 繁満(しらと しげみつ)、1931年8月30日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。2016年現在は青二プロダクションに所属している。東京府(現:東京都)生まれ、福岡県育ち。血液型はA型。
八代目 市川 雷蔵(はちだいめ いちかわ らいぞう、1931… 八代目 市川 雷蔵(はちだいめ いちかわ らいぞう、1931年(昭和6年)8月29日 - 1969年(昭和44年)7月17日)は、歌舞伎役者・日本の俳優。出生名は亀崎 章雄(かめざき あきお)。後に本名を竹内 嘉男(たけうち よしお)、さらに太田 吉哉(おおた よしや)に改名した。
伊達 弘(だて ひろし、1931年8月22日 - 2021年… 伊達 弘(だて ひろし、1931年8月22日 - 2021年11月20日)は、日本の俳優、殺陣師。本名:和田 弘。 京都府出身。同志社大学中退。ダテ企画に所属していた。 1954年、東映ニューフェイス2期生としてデビュー。 俳優として活動以外にキャスティングマネージャーとしても活動している。 身長168cm。体重67kg。血液型AB型。 趣味はゴルフ、歌唱、博打。特技は日本舞踊、殺陣(指導)、カーアクション、乗馬、手本引、盃の指導。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 20… 北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 2021年5月4日)は、日本の俳優、声優。本名・武井 和雄。埼玉県出身。 法政大学中退。劇団十三人座、八田元夫演出研究所、銀座プロダクション、天知茂が設立したA&Aプロダクション(後にアマチプロゼに改称)などを経て北斗七星所属。山村聰に師事していた経験もある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
二見 忠男(ふたみ ただお、1931年〈昭和6年〉7月21日… 二見 忠男(ふたみ ただお、1931年〈昭和6年〉7月21日 - 1994年〈平成6年〉8月1日)は日本の俳優、声優。本名同じ。 東京都出身。早稲田大学卒業。テアトル・エコーに所属していた。 大学卒業後、1957年2月、グループかささぎに所属。1958年3月にテアトル・エコーに入団。味わい深い脇役としてテレビドラマ、舞台、映画、アニメなどで活躍。特に『仮面の忍者 赤影』では飄逸な忍者を一人二役で演じた。 1970年代、1980年代には『太陽にほえろ!』をはじめ、東宝・NTV系のアクションドラマの悪役としてもお馴染みの存在だった。 テアトル・エコー退団後はオールススタッフへ移籍。舞台『いずみたくミュージカル・俺たちは天使じゃない』を最後に、1994年8月1日、肺癌のため死去。