二代目 京山 幸枝若(きょうやま こうしわか、1954年4月… 二代目 京山 幸枝若(きょうやま こうしわか、1954年4月1日 - )は浪曲師。本名∶福本 一光。吉本興業所属、浪曲親友協会会長、重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)。 兵庫県姫路市出身。初代京山幸枝若と浪曲で三味線の伴奏をする曲師との間に出来た子。母である曲師側に引き取られ、興行会社を経営していた曲師の夫が父親代わりとなり育てられた。 学生時代の半ばはフォークソングに熱中。浪曲には見向きもしなかったが、友人が持ってきた初代京山幸枝若が口演しているレコードを聞き感動して浪曲の道を志した。デビューした当時から(やはり親子なので)名人幸枝若と声・容姿がソックリな事から人気は上がっていった。しかし、ある日母親から自分の父親が義理の父親であり、本当の父親は自分憧れている幸枝若である事を告げられた。
渡邉 芳樹(わたなべ よしき、1953年〈昭和28年〉4月1… 渡邉 芳樹(わたなべ よしき、1953年〈昭和28年〉4月1日 - )は、日本の厚生・厚生労働官僚。 北海道岩見沢市出身。北海道岩見沢東高等学校を経て、1971年、東京大学に入学。 1975年(昭和50年)3月、東京大学法学部を卒業。同年4月、厚生省に入省。老人保健医療対策本部事務局を経て、1984年(昭和59年)、外務省に出向。在スウェーデン日本国大使館書記官を務めた。厚生省復帰後は、厚生省大臣官房総務課課長補佐、同政策課課長補佐、保険局医療課保険医療企画調査室長、厚生省大臣官房広報室長、保険局保険課長、高齢者介護対策本部事務局次長、内閣官房内閣審議官、児童家庭局家庭福祉課長、保険局国民健康保険課長、保険局総務課長などを歴任。
石渡 明(いしわたり あきら、1953年4月1日 - )は、… 石渡 明(いしわたり あきら、1953年4月1日 - )は、日本の地質学者。勲等は瑞宝重光章。専門は地質学・岩石学。東北大学教授を経て、環境省原子力規制委員会委員。米国地質学会フェロー、元日本地質学会会長。オフィオライト研究などで著名。日本学術会議連携会員。 神奈川県鎌倉市生まれ。東京都狛江市出身。狛江市の小学校・中学校を経て、志望していた都立高校の入学試験に不合格となったため追加募集を行っていた東京都立神代高等学校に進学し、1971年卒業。高校では柔道部を経て、2年次から地学部に所属。国立旧一期校理学部の入学試験に不合格となったため、1971年国立旧二期校であった横浜国立大学教育学部地学教室入学。
道休 誠一郎 (どうきゅう せいいちろう、1953年4月1日… 道休 誠一郎 (どうきゅう せいいちろう、1953年4月1日 - 2026年2月3日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。タレントの紗栄子は姪にあたる。 宮崎県宮崎市生まれ。宮崎県立宮崎南高等学校、上智大学外国語学部卒業。上智大卒業後はコロンビア大学国際公共政策大学院修士課程に留学。1979年(昭和54年)、シティバンクに就職。1982年から野村證券に勤務。2003年、JICAからインドネシア財務省に派遣される。 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で宮崎2区から出馬。自由民主党の江藤拓に敗れるも、比例九州ブロックで復活し、初当選した。道休の当選により、2005年の第44回衆議院議員総選挙で米沢隆が落選して以来、4年ぶりに民主党が宮崎県で議席を獲得した。
佐々木 豊成(ささき とよなり、1953年〈昭和28年〉4月… 佐々木 豊成(ささき とよなり、1953年〈昭和28年〉4月1日 - )は、日本の元大蔵・財務官僚。国税庁次長、財務省理財局長、内閣官房副長官補(内政担当)、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)兼内閣官房TPP政府対策本部国内調整総括官などを歴任した。財務省退官後、一般社団法人生命保険協会代表理事副会長、ウシオ電機株式会社取締役。佐賀県出身。 佐賀県出身。ラ・サール高等学校卒業。父親の「医者になるよりも、国のために何か大きな仕事に就いたほうがいい」という言葉の影響で弁護士及び国家公務員を目指し、東京大学法学部に進学。大学在学中、司法試験及び国家公務員採用上級甲種試験の両方に合格。
日比野 勤(ひびの つとむ、1953年4月1日 - )は、日… 日比野 勤(ひびの つとむ、1953年4月1日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。東京大学名誉教授。国法学を主たる研究対象とする。芦部信喜門下。 政治学者の御厨貴とは駒場の同窓生。指導教授は芦部信喜である。 東京大学法学部では、憲法第一部(人権分野)、第二部(統治機構)と国法学の授業を担当。国法学の演習を持つこともある。 精神科医の土居健郎に私淑しており、国法学説に精神医学の知見を導入することを試みている。 ドイツ国法学の議論を取り上げる論文のほか、日本の省庁再編に関する論考をいくつか発表している。 憲法・国法学の講義では戦前の憲法書を薦め、戦前憲法学説の解説をすることが多い。 助手論文ではR・スメントの所謂「実質的憲法理論」を対象とした。
大野 恒太郎(おおの こうたろう、1952年4月1日 - )… 大野 恒太郎(おおの こうたろう、1952年4月1日 - )は、日本の検察官、弁護士、実業家。法務事務次官、東京高等検察庁検事長、検事総長等を歴任。またイオン取締役兼指名委員、小松製作所や伊藤忠商事の監査役を務める。 東京都生まれ。1970年、東京都立富士高等学校卒業。1974年 東京大学法学部卒業、司法修習、(1978年ハーバード・ロー・スクールLL.M(法学修士))。 1976年検事任官、東京地方検察庁検事。ハーバード大学留学を経て、1982年法務省刑事局付、1987年大阪地方検察庁検事、1989年東京地方検察庁検事、1994年法務省刑事局参事官、1996年法務省大臣官房参事官、1998年法務省刑事局総務課長、2000年東京地方検察庁総務部長、2001年内閣官房司法制度改革推進本部事務局次長、2004年宇都宮地方検察庁検事正、2005年最高検察庁総務部長、2007年法務省刑事局長、2009年法務事務次官等を経て、2011年8月仙台高等検察庁検事長。
海原 純子(うみはら じゅんこ、1952年4月1日 - )は… 海原 純子(うみはら じゅんこ、1952年4月1日 - )は、日本の医学者(医学博士)・医師、随筆家、歌手。神奈川県横浜市出身。 実家は横浜市内の耳鼻科医院。小学5年生の頃に母の意向で横浜雙葉学園に編入。しかし「お嬢様」ばかりの雰囲気になじめず、孤独感を感じる中で、早く自立したいという思いが強くなった。その後、医師を目指して東京慈恵会医科大学に進学。父が病気になったこともあり、19歳から24歳まで新宿のクラブで専属歌手活動をして生活費を捻出し、1976年、同大学を卒業。クラブでドラマの主題歌の歌手を探している、音楽ディレクターと出会い結婚。 同大内科、病理学講師を経て、1984年、東京都港区南青山に「海原メディカルクリニック」を開業。
河口 洋一郎(かわぐち よういちろう、1952年4月1日 -… 河口 洋一郎(かわぐち よういちろう、1952年4月1日 - )は、日本のコンピュータグラフィックスアーティスト、東京大学名誉教授、デジタルコンテンツ協会会長。文化功労者。 1952年、鹿児島県種子島に生まれる。西之表市大崎出身。1970年、旧鹿児島県立種子島高等学校卒業。 1976年に九州芸術工科大学画像設計学科を卒業し、1978年に東京教育大学大学院を修了する。 1979年よりSIGGRAPHに参加するようになり、1982年にSIGGRAPHで河口が発表した自己増殖する造形理論である「グロースモデル(The GROWTH Model)」は世界中から集まったコンピュータ・グラフィックス関係者に絶賛されることになった。
大塚 進弘(おおつか のぶひろ、1952年〈昭和27年〉4月… 大塚 進弘(おおつか のぶひろ、1952年〈昭和27年〉4月1日 - )は、日本の政治家。福岡県直方市長(2期)。 福岡県直方市中泉生まれ。直方市立中泉小学校、直方市立直方第一中学校、福岡県立鞍手高等学校卒業。1974年(昭和49年)3月、九州工業大学工学部卒業。民間会社に勤務。 1978年(昭和53年)5月、直方市役所に採用される。総合政策部長などを歴任。2011年(平成23年)6月1日、副市長に就任。2015年(平成27年)4月26日、退職。中小企業診断士の資格を持つ。 2018年(平成30年)11月21日、任期満了に伴う直方市長選挙に立候補する意向を表明した。 2019年(平成31年)4月21日に行われた市長選に自由民主党・国民民主党の推薦を得て立候補。
中井 隆夫(なかい たかお、1952年4月1日 - )は、日… 中井 隆夫(なかい たかお、1952年4月1日 - )は、日本の経営者。東洋製罐グループホールディングス社長、会長を務めた。 大阪府出身。1975年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に東洋製罐に入社した。2005年に取締役に就任し、2013年に副社長を経て、2014年6月に社長に就任。2018年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
バズソー 山辺(バズソー やまべ、1952年4月1日 - )… バズソー 山辺(バズソー やまべ、1952年4月1日 - )は、日本のプロボクサー。本名は山辺 信二(やまべ しんじ)。茨城県水戸市出身。元日本ライト級王者。 1971年、田辺ジム練習生時にハワイ州へ渡り、同年6月22日、ハワイ州ホノルルでプロデビュー。 1973年5月11日、船橋ジム所属として日本デビュー戦で村上広行と対戦し、2回KO勝ち。 1973年7月2日、日本での2戦目で日本ライト級王者高山将孝に挑戦し、10回判定勝ちで王座を獲得した。 1974年2月18日、高山将孝と再戦し、9回KO負けで王座から陥落した。 その後は再度ハワイを主戦場にした。 1976年4月1日、31戦目で世界王座初挑戦。
小野塚 喜明(おのづか よしあき、1951年4月1日 - … 小野塚 喜明(おのづか よしあき、1951年4月1日 - )は、日本の稲作篤農家(魚沼コシヒカリ)。「農林漁業体験民宿の活用及び人材育成によるグリーン・ツーリズム推進のカリスマ」として、観光庁認定観光カリスマ。地域活性化伝道師(内閣府地方創生推進室)。
古今亭 菊丸(ここんてい きくまる、1951年4月1日 - … 古今亭 菊丸(ここんてい きくまる、1951年4月1日 - )は、広島県呉市出身の落語家。落語協会所属。出囃子は『勧進帳』。紋は『鬼蔦』。 崇徳高等学校卒業。広島修道大学在学中の1975年11月に二代目古今亭圓菊に入門、古今亭志ん八と共に楽屋入りし菊助と名乗る。翌年3月に広島修道大学商学部商業学科を卒業し、11月に池袋演芸場にて『たらちね』で初高座。 1980年6月、古今亭志ん八、古今亭菊松、金原亭駒平と共に二ツ目昇進、菊之助を襲名。 1990年3月に林家しん平、林家錦平、橘家半蔵とともに真打昇進。菊丸に改名。 趣味∶ハワイ旅行、ゴルフ。お気に入りのアロハシャツがユニクロでも買えることに気づいてショックを受けているらしい。
小川 誠子(おがわ ともこ、1951年4月1日 - 2019… 小川 誠子(おがわ ともこ、1951年4月1日 - 2019年11月15日)は、日本の囲碁棋士。日本棋院所属。木谷實九段門下。夫は俳優の山本圭。 福井県福井市生まれ、愛知県名古屋市育ち。精華学園高等学校卒業。 6歳で碁を覚え、小学4年の頃から酒井利雄八段の紹介で日本棋院中部総本部に通う。1965年、14歳時に全日本女流アマチュア囲碁選手権大会で優勝。「おかっぱ本因坊」と話題になり、これを機会に1966年1月に木谷實の内弟子となり18歳でプロ棋士になった。 1970年入段、71年二段、74年三段、75年四段、92年五段、95年六段。2008年、杉内寿子に次ぐ女流2人目の500勝達成。 1977年、指導碁を通じて知り合った俳優の山本圭と結婚。
上田 成之助(うえだ せいのすけ、1950年4月1日 -)は… 上田 成之助(うえだ せいのすけ、1950年4月1日 -)は日本の実業家。京阪電気鉄道相談役。京福電気鉄道会長、相談役。滋賀県出身。
こせん(こせん、本名:いわさき まさひろ、1950年4月1日… こせん(こせん、本名:いわさき まさひろ、1950年4月1日 - )は、フリーのラジオパーソナリティ。 元KBS京都ディレクター。元郵便局長。大阪府出身。別名「岩崎正美」 既婚、1女あり。京都府在住。血液型A型。75.8kg(2019年9月時点)。喫煙者。 大阪市北区天神橋筋で生まれる。同志社香里高等学校、同志社大学法学部法律学科卒業(68年度生)。 ⅮSB「同志社学生放送局」を経て、アナウンサー採用試験を受け、近畿放送(現京都放送)に入社し、ラジオ番組のディレクターとして活動。鈴木美智子、やしきたかじん、笑福亭鶴瓶、島田紳助、板東英二などの番組を担当。宝塚歌劇団57期生(高校の時)、ピンク・ピクルスと交際。
西本 勝子(にしもと かつこ、1950年4月1日 - 202… 西本 勝子(にしもと かつこ、1950年4月1日 - 2025年2月2日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。 高知県高岡郡日高村出身。高知学芸高等学校、獨協大学法学部を卒業後、西本建設(廃業)の代表取締役社長、日高村議会議員を経て、2005年の第44回衆議院議員総選挙に比例四国ブロックから立候補。名簿順位14位と下位だったが、四国のほぼ全ての自民党重複候補が小選挙区当選したため、初当選した。番町政策研究所(高村派)所属。 2006年の自由民主党総裁選挙では安倍晋三を支持した。 2007年6月14日、ワシントン・ポストに掲載されたアメリカ合衆国下院121号決議の全面撤回を求める歴史事実委員会名義の全面広告「THE FACTS」に賛同者として名を連ねた。
星田 良子(ほしだ よしこ、1949年(昭和24年)4月1日… 星田 良子(ほしだ よしこ、1949年(昭和24年)4月1日 - )は、日本のテレビドラマプロデューサー、演出家。共同テレビ部長待遇ゼネラルディレクターを務めた。 永田雅一大映社長の側近の一人として活躍した星田陽次郎の子として東京都に生まれる。 聖心女子大学文学部国文学科を卒業する前に、父親の姿を見てきたせいか、どうしても芸能界でモノ作りをして生きていきたい気持ちが強くなり、まず映画界に入ろうとした。しかし、星田の卒業した1972年には映画会社はどこも新入社員を採用せず、新東宝社長だった大蔵貢の紹介でTBSの石井ふく子プロデューサーと知り合い、『東芝日曜劇場』の演出助手のアルバイトを始めた。台本配り、弁当渡し、クルマの手配と何でもやった。
絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 - )は、日本の… 絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 - )は、日本の文芸評論家。本名は菅秀実。元近畿大学国際人文科学研究所教授。 妻は詩人で自然美容法研究家の筏丸けいこ(本名・菅圭子)。埼玉県坂戸市在住。 新潟県小千谷市出身。小千谷市立東小千谷中学校、新潟県立長岡高等学校卒業。代々木ゼミナール(世田谷寮)を経て、1969年学習院大学文学部哲学科に入学(後に中退)。 「日本読書新聞」編集長、「杼」編集員。1978年4月からサンリオ出版部アシスタント・エディターを務めたが、組合闘争のため、同年10月6日に解雇される。 コーネル大学客員研究員(1990年9月から1年間)、日本ジャーナリスト専門学校専任講師(1998年3月迄)を経て、2002年より近畿大学国際人文科学研究所教授、2015年定年。
高橋 実(たかはし みのる、1949年4月1日 - )は、日… 高橋 実(たかはし みのる、1949年4月1日 - )は、日本の学者。名古屋工業大学学長を経て、愛知産業大学学長。専門は、セラミックスプロセッシング、粉体工学、応用レオロジー。
玉井 和博(たまい かずひろ、1949年4月1日 - )は、… 玉井 和博(たまい かずひろ、1949年4月1日 - )は、日本の実業家、教育者。株式会社ホテル京急元代表取締役社長、ホテルパシフィック東京元総支配人、立教大学観光学部元特任教授、大妻女子大学特任教授。 1949年4月1日生まれ。1971年3月、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。同年4月、京急興業株式会社(現・京急不動産株式会社)入社。 1993年9月、株式会社ホテル京急出向。2001年6月、ホテルグランパシフィックメリディアン取締役副総支配人兼営業統括部長。 2004年6月、ホテルパシフィック東京取締役副総支配人、兼総支配人室長、兼営業企画部長。2005年6月、株式会社楼蘭代表取締役社長兼務。
加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1… 加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月16日)は、日本の文芸評論家、早稲田大学名誉教授。講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員。 『「アメリカ」の影』(1985年)で注目される。文学、政治、歴史認識と広く戦後日本の社会を独自の視点で考察。著書に『敗戦後論』(1997年)、『日本の無思想』(1999年)、『言葉の降る日』(2016年)、『敗者の想像力』(2017年)などがある。 山形県山形市出身。山形県立山形東高等学校を経て、1972年東京大学文学部仏文学科を卒業。1985年に『アメリカの影』でデビューする。 雑誌『思想の科学』に1980年代からかかわり、第八次『思想の科学』(1993-1996)の編集委員をつとめた。
元木 洋介(もとき ようすけ、1948年〈昭和23年〉4月1… 元木 洋介(もとき ようすけ、1948年〈昭和23年〉4月1日 - )は日本の政治家。元山形県最上郡鮭川村長(5期)。 新庄北高等学校農業科卒業。鮭川村商工会長や全国商工会青年部連合会副会長を歴任。1999年に鮭川村議会議員に初当選し、鮭川村議会総務常任委員長などを務めた。 2006年(平成18年)に鮭川村長に初当選、平成22年に再選、平成26年に三選、平成30年に四選、令和4年に五選。 2026年(令和8年)3月22日投開票の鮭川村村長で、元村役場職員かつ元村議会議員の西野桂一と一騎打ちとなり、落選した。 ※当日有権者数:3,112人 最終投票率:79.98%(前回比:-0.46pts)
山梨 俊夫(やまなし としお、1948年4月1日 - )は、… 山梨 俊夫(やまなし としお、1948年4月1日 - )は、日本の美術史家、国立国際美術館館長。日本とフランスの近現代美術を主な専門領域とし、数多くの展覧会企画を担当する。 神奈川県横浜市生まれ。1972年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1976年神奈川県立近代美術館学芸課勤務、1992年同館学芸課長、2002年副館長、2004年館長。定年後も非常勤館長として勤務。2011年国立国際美術館館長。2013年全国美術館会議副会長。2017年『風景画考』で平成28年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
山本 善政(やまもと よしまさ、1948年4月1日 - )は… 山本 善政(やまもと よしまさ、1948年4月1日 - )は、日本の実業家。株式会社ハードオフコーポレーション創業者で、同社代表取締役会長。日本フランチャイズチェーン協会会長や、日本リユース業協会会長、新潟経済同友会代表幹事等も歴任した。 新潟県中条町(現・ 胎内市)生まれ。1966年新潟県立中条高等学校卒業。1970年拓殖大学商学部卒業。1972年新潟県新発田市でサウンド北越(のちのハードオフコーポレーション)を設立。1993年に古物商に業態変更し、1995年にはハードオフコーポレーションに商号変更を行った。2005年に東京証券取引所市場第一部に上場とした。2007年まで代表取締役社長を務めたのち、代表取締役会長に就任。
小泉 親司(こいずみ ちかし、1948年4月1日 - )は日… 小泉 親司(こいずみ ちかし、1948年4月1日 - )は日本の政治家。参議院議員を1期務めた。日本共産党中央委員会・基地対策委員会責任者。日本平和委員会常任理事。 栃木県出身。千葉大学を卒業後、しんぶん赤旗ワシントン支局長などを経て、1996年の衆院選で比例東京ブロックから立候補するも落選。1998年の参院選で比例区から立候補し初当選。当選1回。 雑誌「前衛」や「労働運動」などに自衛隊問題の論説を寄稿するなど防衛問題に精通しており、議員時代も有事法制の整備を巡り当局と対峙した。
森 博嗣(もり ひろつぐ、1948年4月1日 - )は、日本… 森 博嗣(もり ひろつぐ、1948年4月1日 - )は、日本の実業家。元NTN代表取締役社長。 三重県桑名市出身。1971年同志社大学経済学部経済学科卒業、東洋ベアリング製造(現:NTN)入社。2003年取締役産機商品本部長。2005年常務取締役営業部門担当兼自動車商品本部長。2006年専務取締役営業部門管掌。2007年6月代表取締役専務営業部門、人事部門、調達部門及びインド・西アジア地区管掌。2008年代表取締役副社長。2009年代表取締役社長。2011年相談役。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
アサダ二世(あさだにせい、1948年4月1日 - )は、落語… アサダ二世(あさだにせい、1948年4月1日 - )は、落語協会に所属する奇術師。出囃子は『新たぬき』。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
梅津 順一(うめつ じゅんいち、1947年4月1日 - )は… 梅津 順一(うめつ じゅんいち、1947年4月1日 - )は、日本の経済学者。第14代青山学院院長。博士(経済学)(東京大学)。青山学院大学総合文化政策学部教授。山形県上山市生まれ。
成田 清(なりた きよし、1947年4月1日 - )は、日本… 成田 清(なりた きよし、1947年4月1日 - )は、日本の弁護士(成田・長谷川法律事務所)。元愛知県弁護士会会長。愛知県名古屋市出身。日本弁護士連合会副会長、中部弁護士会連合会理事長等を歴任し、1999年から始まった司法制度改革においては、制度設計に関わった。
山本 明彦(やまもと あきひこ、1947年4月1日 - )は… 山本 明彦(やまもと あきひこ、1947年4月1日 - )は、日本の政治家。元自由民主党所属の衆議院議員(3期)。 財政政策や金融政策に詳しく、経済産業大臣政務官(第2次小泉改造内閣)、自由民主党金融専任部会長・財務金融部会長、内閣府副大臣(金融、行政改革、公務員制度改革、拉致問題等担当)(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、愛知県議会議員などを歴任した。 義祖父・山本一二は豊橋市議会議長・愛知県議会議員。義父・山本寛開は愛知県議会議員。 愛知県宝飯郡一宮町(現・豊川市)出身。愛知県立時習館高等学校卒業。1969年3月、名古屋大学工学部建築学科卒業。同年4月、株式会社フジタに就職。一級建築士などの資格を持つ。
乾 龍介(いぬい りゅうすけ、1947年〈昭和22年〉4月1… 乾 龍介(いぬい りゅうすけ、1947年〈昭和22年〉4月1日 - )は元朝日放送(ABC)の社員・役員。アナウンス部長、役員室長などを歴任。定年退職後は同社顧問、フリーアナウンサー。 京都府綴喜郡八幡町(現・八幡市)生まれ。その後大阪府大阪市旭区に転居し、大阪府立旭高等学校、大阪教育大学卒業後、1969年朝日放送入社。中学校・高等学校数学の教員免許を所有。大学時代は放送研究会に所属。特技は映画鑑賞、試写室でたとえ寝てもいびきをかかないこと。好きな言葉は「上善は水の如し」。 20代はアナウンサーとして主にラジオ番組で活躍。深夜放送「ABCヤングリクエスト」などを担当。また1972年(昭和47年)のラジオ送信所増力の際には「1010カーくりげ」と称して、新たに朝日放送ラジオのサービスエリアに入った北陸地方などを自動車で回り、各地から取材レポートを入れる企画を一週間にわたって担当した。
今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は… 今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は、日本の外科医的建築家、日本を代表する構造家の一人、構造エンジニア、構造デザイナー、構造設計家、構造的建築家。 広島県尾道市生まれ。1962年に三原工業高等学校付属中学校、1965年に三原工業高等学校機械科を卒業し1969年日本大学理工学部建築学科を卒業。大学時代は坪井善勝研究室に所属。その後東京大学生産技術研究所川股研究室、渡辺邦夫擁する構造設計集団(S.D.G)を経て1978年に構造設計事務所T.I.S. & PARTNERSを設立。 職業能力開発大学校(現・職業能力開発総合大学校)、武蔵野美術大学、女子美術大学、明治大学、東海大学、近畿大学、京都工芸繊維大学非常勤講師を経て、2000年から東京電機大学工学部建築学科教授。
和田 一也(わだ かずや、1947年4月1日- )は、日本の… 和田 一也(わだ かずや、1947年4月1日- )は、日本の実業家。東京都出身。ニフティ株式会社常任顧問・元代表取締役社長。 東京都出身。1971年、上智大学法学部法律学科卒業後、同年4月、富士通株式会社に入社。同社経営執行役兼流通・情報営業本部副本部長、経営執行役兼社会基盤ソリューションビジネスグループ副グループ長兼情報メディア事業本部長等を歴任。 その後、2006年、ニフティ株式会社代表取締役副社長兼経営執行役副社長に就任。2007年、同社代表取締役社長兼執行役員社長に就任。2009年、同社代表取締役社長兼執行役員社長から退任し、同社常任顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
小林 正則(こばやし まさのり、1947年4月1日 - 20… 小林 正則(こばやし まさのり、1947年4月1日 - 2020年4月12日)は、日本の実業家。株式会社プリンスホテル元社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西田 恒夫(にしだ つねお、1947年〈昭和22年〉4月1日… 西田 恒夫(にしだ つねお、1947年〈昭和22年〉4月1日 - )は、日本の外交官。2010年6月から2013年6月まで、国連大使。 東京都出身。1969年(昭和44年)外務公務員採用上級試験に合格。 2005年(平成17年)8月、外務省事務方のナンバー3である政務担当外務審議官に就任するが北朝鮮政策をめぐり慎重論を唱えたことと、安倍晋三首相らを批判したことで事実上更迭され、2007年(平成19年)1月 カナダ大使に任命された。 2010年(平成22年)6月、高須幸雄国連大使の後任に任命された。着任後の8月25日、会見で日本の常任理事国入りも視野に入れた国連安保理改革と、国連を舞台に北朝鮮問題の解決について努力することを表明した。
持田 農夫男(もちだ のぶお、1947年4月1日- )は、… 持田 農夫男(もちだ のぶお、1947年4月1日- )は、日本の経営者。日立金属社長、会長を務めた。埼玉県出身。 1970年に東京大学工学部工業化学科を卒業し、同年に日立金属に入社した。2002年10月に執行役員に就任し、2005年6月に常務に就任し、2006年6月には社長に昇格した。2010年4月から2014年4月までに会長を務めた。
寒川 旭(さんがわ あきら、1947年4月1日 - )は、日… 寒川 旭(さんがわ あきら、1947年4月1日 - )は、日本の地震考古学者。 香川県高松市生まれ。1973年東北大学理学部地質学科卒、1979年同大学院博士課程修了、「西南日本中央部の第四紀における地殻運動と地形発達」で理学博士。通産省工業技術院地質調査所、独立行政法人産業技術総合研究所研究員を経て、客員研究員。地震考古学を提唱。遺跡に刻まれた地震痕跡を用いて地震の歴史を研究してきた。
吉田 一平(よしだ いっぺい、かずひら、1946年4月1日 … 吉田 一平(よしだ いっぺい、かずひら、1946年4月1日 - )は、日本の政治家。前愛知県長久手市長。元長久手町長(1期)、学校法人吉田学園元理事長、社会福祉法人「愛知たいようの杜」元理事長。 愛知県長久手村(後の長久手市)に生まれる。父親は、当時、長久手村役場職員で、後に長久手町長を務めた吉田一男[要出典]。1964年、愛知県立愛知商業高等学校を卒業し、独立系商社である岡谷鋼機に入社し、以降15年間勤務するが、過労から椎間板ヘルニアを患い1979年に退職した。 退職した吉田は、自治会、消防団などの地域活動に深く関わるようになった。 1981年に学校法人吉田学園を設立して、理事長となり、愛知たいよう幼稚園の経営にあたり、次いで1986年に社会福祉法人愛知たいようの杜を設立して、理事長となり、翌1987年に特別養護老人ホームとショートステイ施設を開設した。
藤原 正司(ふじわら まさし、1946年4月1日 ‐ 201… 藤原 正司(ふじわら まさし、1946年4月1日 ‐ 2018年9月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。比例区選出。兵庫県出身。 兵庫県立姫路工業高等学校卒業後、関西電力入社。同社労組本部執行委員長、日本労働組合総連合会大阪府連合会副会長を経て、2001年、第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で立候補し、初当選。 2008年4月9日、参議院本会議で、日本銀行次期副総裁人事の渡辺博史副総裁案に対し、党方針に反して賛成票を投じ、厳重注意処分を受けた。 2011年3月11日の東日本大震災後、「半年もたてば、世論も変わるわ。日本は農林水産業だけでは食べていけない。震災後、原発を減らせという評論家が増えたが、産業・経済はどうなる。
太田 直道(おおた なおみち、1946年4月1日 - )は、… 太田 直道(おおた なおみち、1946年4月1日 - )は、日本の哲学者、宮城教育大学名誉教授。 大阪府生まれ。1969年京都大学文学部哲学科卒業。1975年名古屋大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、名古屋大学文学部助手、宮城教育大学講師、助教授、教授。2004年「カント反省的判断論の研究」で名大文学博士。2011年定年退任、名誉教授。
八百板 洋子(やおいた ようこ、1946年〈昭和21年〉4月… 八百板 洋子(やおいた ようこ、1946年〈昭和21年〉4月1日 - 2025年〈令和7年〉2月18日)は、日本の翻訳家、児童文学作家。 福島県伊達郡飯野町(現・福島市)に生まれる。父は日本社会党の参議院議員を務めた八百板正。結婚後の本姓(夫姓)は折方。 1968年中央大学文学部国文科卒業後、1970年ブルガリアのソフィア大学大学院に留学。1976年『ふたつの情念()』で第13回日本翻訳文化賞特別賞・翻訳功労賞、1996年『吸血鬼の花よめ』で第33回日本翻訳文化賞を受賞。1999年の『ソフィアの白いばら』で第47回産経児童出版文化賞推薦作、第48回日本エッセイストクラブ賞受賞。2011年、ブルガリア共和国文化省より文化功労賞が授与される。
小幡 政人(おばた まさと、1945年4月1日 - )は日本… 小幡 政人(おばた まさと、1945年4月1日 - )は日本の元運輸・国土交通官僚。国土交通事務次官、鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事長を務めた。茨城県土浦市出身。
横川 賢次(よこかわ けんじ、1945年4月1日 - )は、… 横川 賢次(よこかわ けんじ、1945年4月1日 - )は、埼玉県出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 熊谷高等学校を経て、立教大学に入学する。 大学卒業後に、社会人野球のサッポロビールで俊足強打の外野手として活躍した。 1985年春から1995年までに母校の立教大学の監督を務め、1989年の秋季リーグでチームを23年ぶりの優勝に導いた。長嶋一茂、矢作公一、川村丈夫、広池浩司らを指導した。また次男は甲子園出場を経験して野球部に入部、監督を退いた翌年に主将を務めた。
金築 誠志(かねつき せいし、1945年(昭和20年)4月1… 金築 誠志(かねつき せいし、1945年(昭和20年)4月1日 - )は、日本の裁判官。大阪高等裁判所長官を経て2009年1月26日より2015年3月31日まで最高裁判所判事を務め、退官後日本法律家協会会長及びJR東日本監査役に就任。
吉良 敬三(きら けいぞう、1945年4月1日 - )は、日… 吉良 敬三(きら けいぞう、1945年4月1日 - )は、日本の映像作家、アニメーター。香川県観音寺市出身。 アニメーション制作会社、株式会社スリー・ディ代表。「きらけいぞう」名義で活動することもある。 1968年、多摩美術大学日本画科卒業後、鈴木伸一、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫らが設立したアニメーション制作会社「スタジオ・ゼロ」に入社。 1970年12月に解散が決まり、一旦はフリーとなるが、翌1971年10月、赤塚にスカウトされるかたちでフジオ・プロのグループ企業「不二アートフィルム」の設立に参加。 コマーシャルやNHKの音楽番組『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』、フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』などのための実験的アニメーションやキャラクターデザインに携わる。
鹿嶋 敬(かしま たかし、1945年4月1日 - )は、日本… 鹿嶋 敬(かしま たかし、1945年4月1日 - )は、日本の社会学者・元ジャーナリスト。専門は、女性労働、男女共同参画、ジェンダー論、家族社会学、ワーク・ライフ・バランス論、マスコミュニケーション論など。日本経済新聞記者として長く男女雇用機会均等法の制定など「女性と労働」問題などを追及したが、定年を機に研究者に転身し、2005年から実践女子大学人間社会学部教授を務めた。2015年に同大学を定年退職後は、一般財団法人女性労働協会会長としてファミリーサポート事業の展開や女性の活躍推進などに力を注ぐ。 男女共同参画社会の形成にも尽力し、2005年9月~2017年3月まで政府の重要政策会議である男女共同参画会議議員。
片岡 正志(かたおか まさし、1945年4月1日 - )は、… 片岡 正志(かたおか まさし、1945年4月1日 - )は、日本の実業家。元関西テレビ放送株式会社代表取締役社長、現同社相談役。 兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。1967年4月、関西テレビ放送入社。2007年4月4日、関西テレビが製作した情報番組『発掘!あるある大事典II』の捏造問題で当時の社長だった千草宗一郎が辞任し、後任として代表取締役社長に就任したが 、民放連復帰を機に経営陣を刷新する狙いから退任した。なお、片岡の後任には福井澄郎が就任した。
和波 孝禧(わなみ たかよし、1945年4月1日 - )は、… 和波 孝禧(わなみ たかよし、1945年4月1日 - )は、東京生まれのヴァイオリニストである。桐朋学園大学卒業。祖父は海軍中将で、山本五十六と同期の和波豊一である。 生来の全盲であったが、4歳からヴァイオリンを始め、辻吉之助、鷲見三郎、江藤俊哉に師事。1954年、9歳の時、第6回全日本盲学生音楽コンクールで第1位特賞を受賞。1958年、中学校2年生の時、第12回全日本学生音楽コンクール全国大会中学生の部で第1位を受賞した。1959年、14歳の時に山本富士子の弟役として大映映画「いつか来た道」に出演した。1962年、第31回日本音楽コンクールで第1位、特賞を受賞。1963年、斎藤秀雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団のソリストとしてデビューした。