松崎 真人(まつざき まこと、1964年8月1日 - )は、… 松崎 真人(まつざき まこと、1964年8月1日 - )は、北海道札幌市北区篠路出身のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティー。
8月1日生まれ:418人
松崎 真人(まつざき まこと、1964年8月1日 - )は、… 松崎 真人(まつざき まこと、1964年8月1日 - )は、北海道札幌市北区篠路出身のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティー。
石原 条(いしはら じょう、1964年〈昭和39年〉8月1日… 石原 条(いしはら じょう、1964年〈昭和39年〉8月1日 - )は、日本の政治家。元群馬県みどり市長(3期)、元群馬県議会議員(4期)。 1964年(昭和39年)、群馬県山田郡大間々町大間々(現・みどり市大間々町大間々)に生まれる。1983年(昭和58年)群馬県立桐生高等学校を卒業。法政大学法学部法律学科で内田健三に政治学を学び政治家を志し、衆議院議員・中島源太郎の事務所でアルバイトをし、1987年(昭和62年)大学を卒業すると中島の事務所で秘書として勤務。 1991年(平成3年)に群馬県議会議員に立候補するも落選。中島の死を受けて尾身幸次衆議院議員の地元秘書となる。1991年の選挙で敗れた須藤利雄の死去に伴う1994年(平成6年)1月の群馬県議会議員補欠選挙で初当選。
永野 彰子(ながの あきこ、1964年8月1日 - )は、南… 永野 彰子(ながの あきこ、1964年8月1日 - )は、南海放送アナウンサー。愛媛県出身。南海放送グループの株式会社RNBコーポレーション代表取締役社長も務める。 愛媛県立松山南高等学校、松山商科大学(現・松山大学)経営学部経営学科卒業後、1988年南海放送に入社。 一時期、永野あきこと彰子を平仮名表記にしていたことがあった。その理由は、社内でも彰子を『影子』と書き間違われたりすることがあったためだからという。その『影子』は現在、RNBの公式ブログのタイトルにもなっている。 大学生時代は落語研究会に所属しており、当時の高座名は「可愛家なっぱ」(本人曰く、当時はまだ「瑞々しかった」ということから)。
桑野 和泉(くわの いずみ、1964年8月1日 - )は、大… 桑野 和泉(くわの いずみ、1964年8月1日 - )は、大分県由布市の由布院温泉で旅館由布院玉の湯を経営する実業家。株式会社玉の湯代表取締役社長。由布院温泉観光協会会長。 由布院玉の湯を経営する溝口薫平の長女として生まれる。大分県立大分雄城台高等学校、清泉女子大学文学部を卒業。都内のホテルに勤務した後、帰郷。結婚後、夫の転勤に伴い1990年に再び上京するが、1992年に湯布院に戻り、由布院玉の湯に勤務。1995年に専務となり、2003年に三代目社長となる。 2005年には社団法人ツーリズムおおいたの初代会長となり、2007年からは由布院温泉観光協会会長を務めるなど、旅館の経営にとどまらず、地域の観光振興に大きな役割を果たしている。
高橋 修(たかはし おさむ、1964年8月1日 - )は、日… 高橋 修(たかはし おさむ、1964年8月1日 - )は、日本の日本史学者。茨城大学教授。 埼玉県熊谷市生まれ。1987年立命館大学文学部卒。1990年神戸大学大学院博士後期課程文化学研究科地域文化論中退、2000年「中世武士団と地域社会」で文学博士の学位を取得。1990年和歌山県立博物館学芸員、2001年茨城大学助教授、2007年准教授、教授。
渡邊 十絲子(わたなべ としこ、1964年8月1日 - )は… 渡邊 十絲子(わたなべ としこ、1964年8月1日 - )は、日本の詩人。東京都生まれ。早稲田大学文学部文芸専修卒業。鈴木志郎康のゼミで詩を書き始め、卒業制作の処女詩集『Fの残響』で小野梓記念芸術賞を受賞した。主婦と詩人を兼業する「兼業詩人」、「生涯一競艇客」を標榜する。競艇ファンとして、岩佐なをらとともに、同人誌『確定!!』を発行した。競艇専門誌の競艇マクール誌上で、コラム「天下御免の競艇客」を連載する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
田中 理佐(たなか りさ、1963年〈昭和38年〉8月1日 … 田中 理佐(たなか りさ、1963年〈昭和38年〉8月1日 - )は、日本の元女優、タレントで1980年代に活動した。現在の本名は、石原 里紗(いしはら りさ)。 東京都出身。父親は証券会社役職。聖心女子学院、立教英国学院を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 小学校2年生から12年間をヨーロッパで過ごした帰国子女である。大学在学中からテレビ出演を始めて1986年(昭和61年)にテレビドラマ 『朝の夢』(TBS) で主演し、石原伸晃と結婚して2男1女をもうけた。 1963年(昭和38年)に荻窪の衛生病院で生まれる。聖心女子学院附属幼稚園から聖心女子学院初等科へ入学し、7歳の1971年(昭和46年)に父親の転勤でイギリスへ転居した。
津村 潔(つむら きよし、1963年8月1日 - )は、新潟… 津村 潔(つむら きよし、1963年8月1日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 1976年、調布リトルリーグの一員として世界選手権に出場、対西ドイツ戦にて完全試合を達成している。当時は同チームの後輩・荒木大輔より優れた投手だったと後に高校、プロでも同僚となる武田一浩が証言している。 明大中野高から、1982年にドラフト外で日本ハムファイターズに入団。1年目は打撃投手などを務め、1983年から選手登録されたが一軍公式戦に出場がないまま、1985年10月に現役を引退。 引退後は、そのまま打撃投手となる。現在は、退団し都内在住の映像制作・企画・出版関連の会社員。出身の調布リトルシニアでコーチを務める。
近藤 誠一(こんどう せいいち、1963年8月1日 - )は… 近藤 誠一(こんどう せいいち、1963年8月1日 - )は競技麻雀のプロ雀士。最高位戦日本プロ麻雀協会副代表。Mリーグでは2022-23シーズンまでセガサミーフェニックスに選手として所属し、2023-24シーズンからは同チームの監督を務める。愛称は「夢芝居」「大魔神の系譜」「せいちゃん」「不死鳥のお父ちゃん」「銭湯民族」。 兵庫県尼崎市出身。兵庫県立鳴尾高等学校を経て、静岡大学工学部電気工学科(応用数学講座)に進む。大学時代から麻雀に親しみ、卒業後は一旦ユニリーバ・ジャパンに就職するが、1988年に学生時代から憧れの金子正輝と麻雀を打ちたいと最高位のプロ試験を受けるものの不合格。一旦麻雀から離れ、佐鳴学院(現:佐鳴予備校)の数学講師を務める。
若田光一(わかた こういち、Koichi Wakata、19… 若田光一(わかた こういち、Koichi Wakata、1963年(昭和38年)8月1日 - )は、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属する宇宙飛行士。博士(工学)。菊池寛賞受賞者(2014年)。
新井 史人(あらい ふみひと、1963年8月1日 - )は、… 新井 史人(あらい ふみひと、1963年8月1日 - )は、日本の工学者。東京大学大学院工学系研究科教授。専門はロボット工学。博士(工学)(名古屋大学・1993年)。
橋詰 功(はしづめ いさお、1963年8月1日 - )は、日… 橋詰 功(はしづめ いさお、1963年8月1日 - )は、日本のアメリカンフットボール指導者。 立命館大学卒業。現役時代はWRだった。 1994年に立命館大学パンサーズコーチに就任。2000年、米国のアメフト強豪校オクラホマ大学Soonersに留学。帰国後、立命館大学パンサーズのライスボウルの2003年・2004年の2連覇にコーチとして貢献した。2008年から立命館宇治高等学校、2014年から立命館守山高等学校でコーチを務めた。 2018年7月、日本大学フェニックスの悪質タックル問題に端を発した騒動で、日大監督の公募に応募し、日大フェニックスの監督に就任した。2021年8月、3年契約が終了し、退任。
永竿 哲哉(ながさお てつや、1962年8月1日 - )は、… 永竿 哲哉(ながさお てつや、1962年8月1日 - )は、日本の実業家。初代福岡国際空港代表取締役社長。 福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校、福岡大学附属大濠高校を経て、1986年九州大学経済学部卒業、西日本鉄道入社。2001年西日本鉄道都市開発事業本部流通レジャー事業部営業担当課長。2007年西日本鉄道都市開発事業本部企画開発部長。2010年西日本鉄道都市開発事業本部商業レジャー事業部長。2012年西日本鉄道広報室長。2015年西日本鉄道総務広報部長。2016年西日本鉄道執行役員事業創造本部副本部長兼事業開発部長。2017年福岡エアポートホールディングス株式会社代表取締役専務取締役。2018年西日本鉄道上席グループ理事。
坂口 卓(さかぐち たかし、1962年〈昭和37年〉8月1日… 坂口 卓(さかぐち たかし、1962年〈昭和37年〉8月1日 - )は、日本の労働・厚生労働官僚。 京都府京都市出身。洛星中学校・高等学校を経て、1985年(昭和60年)3月、大阪大学法学部を卒業。 1984年(昭和59年)10月、国家公務員採用上級試験(甲種・法律)に合格し、翌年4月、労働省に入省。 婦人局婦人福祉課課長補佐、職業安定局庶務課課長補佐、労働基準局賃金時間部労働時間課課長補佐、労働基準局監督課中央労働基準監察監督官、職業安定局雇用政策課長補佐、厚生労働省大臣官房総務課国会連絡室長、職業安定局業務指導課若年者雇用対策企画官、職業安定局総務課公共職業安定所運営企画室長、職業安定局需給調整事業課長、労働基準局安全衛生部計画課長、職業安定局雇用保険課長、厚生労働省大臣官房参事官(会計担当)、厚生労働省大臣官房総務課長などを歴任。
田辺 一乃(たなべ かずの、1962年8月1日 - )は、講… 田辺 一乃(たなべ かずの、1962年8月1日 - )は、講談協会に所属する講談師。本名∶菊入 和子。 2004年9月、田辺一鶴に入門。2006年5月、前座となり「一乃」を名乗る。「一乃」の名は「一人前の講談師の数のうちに入るように」という願いと、当時大河ドラマでやっていた山内一豊から師匠一鶴が命名した。 2010年2月に二ツ目昇進するが、4月に師匠の田辺一鶴が逝去したことに伴い田辺一邑門下へ移籍。 2019年4月、真打昇進。
正希 光(まさき ひかる、1962年8月1日 - )は、芸能… 正希 光(まさき ひかる、1962年8月1日 - )は、芸能プロダクション「たむらプロ」所属の元俳優、プロデューサー。芸名は「正希光」(丹波哲郎命名)だが、プロデューサー業では本名を名乗っている。本名は小林正希だが、「小林正季」と改名していた時期もあった。 静岡県静岡市(旧清水市)出身。静岡県立清水東高等学校を経て筑波大学を卒業し、中学校・高等学校教諭免許を持つ。 韓流ブームの時は、韓国と日本の有名タレントのプロモーションを専門とし、多くのタレントの売り出しに係わっていた。また、地域再生や組織再生の実績も多い。俳優・タレント養成所講師・企業の人材育成講師・プロデューサーなど幅広い活動をしている。
内山 りゅう(うちやま りゅう、1962年8月1日 - )は… 内山 りゅう(うちやま りゅう、1962年8月1日 - )は、日本の水中写真家であり、“水”に関わる生き物とその環境の撮影をライフワークとしている。とくに淡水に棲む生き物に力を入れており、その写真は様々な図鑑などで使われている。 1962年、東京都に生まれる。東海大学海洋学部水産学科卒業後、「生き物」に関わって生きていけるということで生物写真家の道へ。 1999年に和歌山県白浜町に移住し、水を取り巻く環境にカメラを向け、創作活動を続けている。 2018年、『さかなのたまご』で産経児童出版文化賞JR賞。
バリトン伊藤( - いとう、本名:伊藤 浩秋(いとう ひろあ… バリトン伊藤( - いとう、本名:伊藤 浩秋(いとう ひろあき)、1961年8月1日 - )は、秋田県・本荘市(現・由利本荘市)出身のローカルタレント、ラジオパーソナリティ。本名でも活動している。 主に秋田県のテレビ、ラジオ番組への出演やイベントの司会を行い、秋田弁での喋りで人気を得る(本人によると、本職は洋裁業とのこと)。秋田弁を買われて映画「釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!?」にもゲスト出演した。
吉野 裕之(よしの ひろゆき、1961年8月1日 - )は… 吉野 裕之(よしの ひろゆき、1961年8月1日 - )は、日本のプログラムオフィサー、歌人、俳人。堂号は空蝉庵。歌人の髙橋みずほは妻。同じく歌人の髙橋俊人は妻の祖父。植物育種学者の高橋成人は妻の父。 神奈川県横浜市根岸生まれ。横浜国立大学教育学部附属横浜小学校、同中学校、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校を経て、九州大学農学部卒業、同大学院農学研究科修士課程修了。大学、大学院では木材化学を専攻。 ハウジングアンドコミュニティ財団チーフ・プログラム・オフィサー、長谷工総合研究所主任研究員などを経て、フリーのプログラムオフィサー。この間、住まい・まちづくり活動推進協議会事務局長、住まい・まちづくり担い手支援機構理事などを兼務。
吉見 宏(よしみ ひろし、1961年8月1日 - 2023年… 吉見 宏(よしみ ひろし、1961年8月1日 - 2023年1月2日)は、日本の会計学者。博士(経営学)。専門は公会計、監査論。長崎県出身。 長崎県長崎市生まれ。長崎県立長崎東高校、九州大学経済学部経営学科卒業。1987年同大学院経済学研究科経営学専攻修士課程修了。1990年同大学院経済学研究科経営学専攻博士後期課程単位取得退学。 1990年日本学術振興会特別研究員。1991年北海道大学経済学部講師。同経済学部助教授を経て、2000年北海道大学大学院経済学研究科助教授。2004年同大学院経済学研究科教授。その後、北海道大学会計専門職大学院教授。2012年北海道大学大学院経済学研究科長。2016年より北海道大学副学長。
山崎 泰(やまざき たい、1961年8月1日 - )は、日本… 山崎 泰(やまざき たい、1961年8月1日 - )は、日本の政治家、実業家、税理士。
津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年… 津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年7月20日)は、山口県都濃郡南陽町(後に新南陽市を経て、現:周南市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「ツネ」「炎のストッパー」。旧名「恒美」(読み同じ)。 山口県都濃郡南陽町(現:周南市)の山間部・和田地区(旧和田村)出身。南陽工高では、1年時からエース投手として活躍していた。 1978年の第50回選抜高等学校野球大会に出場、準々決勝に進むが福井商に敗退。同年の第60回全国高等学校野球選手権大会では2回戦まで駒を進めるが天理高に0-1で惜敗。 卒業後は防府市に本拠を置いていた社会人野球の協和発酵に入社。 1981年の都市対抗に電電中国の補強選手として出場。
獸木 野生(けものぎ やせい、1960年8月1日 - )は、… 獸木 野生(けものぎ やせい、1960年8月1日 - )は、日本の漫画家。2000年に筆名を伸たまきから改名。ナチュラリスト。 東京都豊島区出身。千代田学園漫画科卒業。取材のためオーストラリアに移住したこともある。1983年、『月刊ウィングス』(新書館)に掲載の『お豆の半分』(『PALM』シリーズ)でデビュー。 大河的で壮大なストーリーに、シリアスなドラマからギャグ・ファンタジー・SF・サイコスリラー等の要素を盛り込み、独自の世界観を構築している。登場人物に関しては、基本的にスター・システムを採用している。そのため、同一のキャラクターが複数のシリーズや短編作品に、名前や設定・人格を変えて出演する(容姿は原則として共通)。
塚本 昭一 (つかもと しょういち、英: Shoichi T… 塚本 昭一 (つかもと しょういち、英: Shoichi Tsukamoto、1960年8月1日 - ) は、石川県出身の元オートバイ・ロードレーサー。1992年の全日本ロードレース選手権 TT F1クラスチャンピオン。 2輪レースキャリアはサーキットではなく、高校2年生の時にモトクロスで開始した。初期はヤマハ・YZ250に乗っていたが、1979年にホンダ・CR125Rを購入。しかしこのマシンにトラブルが発生し、急遽借りたカワサキ・KX125が自分の走りに合っていたことから、以後カワサキとともに歩むレース人生となった。ノービスで優勝を経験しジュニアライセンスに昇格、1982年までカワサキのライダーとして「チームグリーン」よりモトクロスに参戦していたが、足の靭帯損傷を負い、後遺症を心配したチーム監督より引退を勧められ、一度モータースポーツから離れる。
大友 良英(おおとも よしひで、1959年〈昭和34年〉8月… 大友 良英(おおとも よしひで、1959年〈昭和34年〉8月1日 - )は、日本のギタリスト、ノイズ、フリー・ジャズ、ターンテーブル奏者、前衛音楽、即興音楽、パンク・ロック演奏者、作曲家、テレビ・映画音楽家、プロデューサー。 神奈川県横浜市生まれ。 9歳まで横浜市で過ごし、その後高校卒業までの10代を福島市で過ごす。若いうちからジャズ喫茶に入り浸り、阿部薫、高柳昌行などのフリー・ジャズに衝撃を受ける。 1977年に福島県立福島高等学校卒業後、明治大学文学部二部文学部文芸学科に入学。大学在学中から高柳昌行の生徒兼付き人として数年間下積みを続けるも、1986年末に高柳との関係がこじれギターにも挫折したため、高柳のもとを飛び出した。
山口 悟(やまぐち さとし、1959年8月1日 - )は、日… 山口 悟(やまぐち さとし、1959年8月1日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはGK。 大分県立大分工業高等学校3年次に全国高等学校サッカー選手権大会に出場。卒業後の1978年に日本サッカーリーグ1部の三菱重工業サッカー部へ入部すると、日本ユース代表に選出され、1979年の1979 FIFAワールドユース選手権日本大会のメンバーに選ばれたが、試合出場機会は与えられなかった。 日本代表としては、川淵三郎監督が若手選手を積極的に採用する方針もあって1981年2月の東南アジア遠征で招集され、同月19日のシンガポール戦で代表デビューを飾った。 しかしながら所属する三菱重工では、同じポジションに当時の日本代表正GKである田口光久が在籍していた為、ポジション獲得には至らず、田口が現役を引退した1984年には背番号1を与えられたが、三菱養和SC出身の園部晃久とのポジション争いに敗れ、ポジションを獲得することは出来なかった。
中西 徹(なかにし とおる、1958年8月1日 - )は、日… 中西 徹(なかにし とおる、1958年8月1日 - )は、日本の経済学者。専門分野は、開発経済学・慣習経済論・地域研究(フィリピン)。特にフィリピン都市貧困地区の諸問題に関する著作が多い。学位は、経済学博士(東京大学)。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。 国際大学国際関係学研究科助手、北海道大学経済学部助教授、東京大学経済学部助教授、東京大学教養学部助教授を経て現職。東京都生まれ。 スラム経済の研究で著名であり、今でこそスラム研究は盛んになりつつあるが、国内で初めて参与観察法によって発展途上地域のスラムに立ち入り、現地の経済活動を分析した人物である。その成果は博士論文をもとにした『スラムの経済学』(東京大学出版会、1991年)に表された。
宮下 一郎(みやした いちろう、1958年8月1日 - )は… 宮下 一郎(みやした いちろう、1958年8月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、財務副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)。父は元厚生大臣の宮下創平。
上柳 昌彦(うえやなぎ まさひこ、本名:同じ、1957年〈昭… 上柳 昌彦(うえやなぎ まさひこ、本名:同じ、1957年〈昭和32年〉8月1日 - )は、フリーアナウンサーでニッポン放送元アナウンサー。ミックスゾーン所属。愛称は「うえちゃん」。防災パーソナリティ(同局における地震情報のアナウンス担当)指定を受けた一人。ファッションデザイナーの石津謙介と歌手、タレントのファーストサマーウイカは遠戚にあたる。 大阪府大東市出身。父親が転勤族であったため少年期は転居を繰り返し、群馬県高崎市(1歳)→兵庫県高砂市(幼稚園)→金沢市(小2)→高砂市(小2)→横浜市神奈川区(小4)→東京都→神奈川県小田原市(中1)→東京(中2)→鎌倉市と転々とした後、東京都に定住した。
星野 光弘(ほしの みつひろ、1957年(昭和32年)8月1… 星野 光弘(ほしの みつひろ、1957年(昭和32年)8月1日 - )は、日本の政治家。埼玉県富士見市長(3期)。元埼玉県議会議員(2期)、元富士見市議会議員(3期)。 埼玉県入間郡富士見村(現・富士見市)生まれ。富士見町立関沢小学校、富士見市立本郷中学校、日本大学豊山高等学校、日本大学経済学部産業経営学科卒業。不動産販売会社勤務を経て、父親の経営する会社に入社。東入間青年会議所理事長、日本青年会議所理事(委員長)を務めた。衆議院議員の中野英幸は従兄弟にあたる。 2001年(平成13年)、富士見市議会議員に初当選。2011年(平成23年)、埼玉県議会議員選挙に無所属で出馬し初当選。2015年(平成27年)に行われた県議選は自由民主党公認で再選した。
加藤 好男(かとう よしお、1957年8月1日 - )は埼玉… 加藤 好男(かとう よしお、1957年8月1日 - )は埼玉県浦和市(現、さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
福居 賢悟(ふくい けんご、1957年8月1日 - )は、日… 福居 賢悟(ふくい けんご、1957年8月1日 - )は、日本の実業家。東京建物不動産販売株式会社社長執行役員。元東京建物株式会社代表取締役副社長執行役員社長補佐。日本パーキング会長。 長崎県出身。1982年に横浜国立大学経済学部を卒業後、東京建物株式会社に入社。2011年取締役、2019年取締役専務執行役員を経て、2021年1月に東京建物不動産販売株式会社社長執行役員に就任した。2022年には、東京建物株式会社代表取締役副社長執行役員社長補佐に就任し退任後、2023年より日本パーキング会長にも就任した。
濱野 圭司(はまの けいじ、1956年8月1日 - )は、大… 濱野 圭司(はまの けいじ、1956年8月1日 - )は、大阪府出身のフリーアナウンサー。 立命館大学法学部2年次の1977年に初めて競馬場を訪れ、そこで初めて見たレースに魅了されたことで「競馬に関する仕事に就きたい」という意識が高まったという。 卒業後の1980年に近畿放送へ入社し、土曜・日曜競馬中継のメイン実況アナウンサーとして数多くの名勝負に立ち会う。日曜競馬中継内では14時台に「濱野圭司のデータは語る」のコーナーも設けられており、現在も出演中のOBCドラマティック競馬でもデータを重視した重賞予想を披露している。 1994年に退社した後は、関西でフリーアナウンサーとして活動。競馬はもとより、プロ野球、高校野球、ラグビー、サッカーなどのスポーツ実況も担当している。
原 秀章(はら ひであき、1956年8月1日 - )は、日本… 原 秀章(はら ひであき、1956年8月1日 - )は、日本の競泳選手。専門はバタフライ。1976年モントリオールオリンピック・1980年モスクワオリンピック日本代表。元100m・200mバタフライ日本記録保持者。 横浜市立大綱中学校、尾道高校、早稲田大学卒業。 1973年世界水泳選手権で100mバタフライで日本タイ記録となる58秒00を出し、予選9位に入るも決勝進出はならなかった。 1974年のアジア競技大会では100mバタフライで優勝、200mバタフライで2位、400mメドレーリレーで優勝を果たした。 1975年世界水泳選手権では100mバタフライの予選で57秒43の日本新記録を出し、決勝に進出する。
古屋 英夫(ふるや ひでお、1955年8月1日 - )は、千… 古屋 英夫(ふるや ひでお、1955年8月1日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 現役時代は日本ハムファイターズの主力選手として活躍。小柄ながらがっしりした体格で、長打力を持ち合わせていたことからボンバーという愛称で知られた。 富津市で漁師の家庭に生まれる。小学校3年生の時に肋骨にカリエスが見つかって摘出手術を行ない、回復のため父親の勧めで野球を始めた。優れた野球の才能を見せて6年生の頃から中学の練習にも参加し、天羽中学に進むと投手で四番打者を務めている。 複数の高校野球部から誘いを受け、木更津中央高校に進学。高校でも1年生の秋からエース、四番打者となる。1972年夏の甲子園県予選では2回戦で成東高の鈴木孝政と投げ合い、4-5で惜敗。
南雲 吉則(なぐも よしのり、1955年8月1日 - )は、… 南雲 吉則(なぐも よしのり、1955年8月1日 - )は、日本の医師。博士(医学)。乳腺専門医。身長173cm、体重61kg。群馬県北群馬郡吉岡町出身。 実家は江戸時代から続く群馬の薬問屋で、曾祖父の代から医家に変わった。父は日本の美容外科の草分けとして知られる南雲吉和。姉は歯科医師でタレントの佐藤由紀子。井伏鱒二の『本日休診』のモデルである南雲今朝雄は大叔父。子息や甥も医師。 森村学園初等科、駒場東邦中学校・高等学校を経て、東京慈恵会医科大学医学部を卒業。東京女子医科大学形成外科、癌研究会付属病院外科、慈恵医大学第一外科乳腺外来医長を経て、乳房専門のナグモクリニックを開業。 慈恵医大、近畿大学の非常勤講師、韓国東亞医科大学、中国大連医科大学の客員教授。
頼近 美津子(よりちか みつこ、1955年〈昭和30年〉8月… 頼近 美津子(よりちか みつこ、1955年〈昭和30年〉8月1日 - 2009年〈平成21年〉5月17日)は、日本の女性アナウンサー。本名、鹿内 キャサリーン 美津子(しかない キャサリーン みつこ)。旧姓、頼近(よりちか)。 広島県安芸郡府中町出身。広島大学附属高等学校、東京外国語大学卒業。身長162cm。 テレビアナウンサーとして最初はNHKに勤務し、後にフジテレビに転じた。また、後年にはコンサート・プランナー、司会、女優としても活動した。フジサンケイグループ創業家に嫁いだ玉の輿婚でも知られ、結婚後の姓で「鹿内 美津子」とも名乗った。 NHKからフジテレビに転身し、その後にはフジサンケイグループ創業家に嫁ぐなど多くの話題を提供、このような経歴はその後にタレント化した「女子アナ」の元祖ともいわれる。
吉田 憲司(よしだ けんじ、1955年8月1日- )は、日本… 吉田 憲司(よしだ けんじ、1955年8月1日- )は、日本の文化人類学者。国立民族学博物館名誉教授・元館長、総合研究大学院大学名誉教授。 1955年、京都府京都市で生まれた。京都大学文学部哲学科で学び、1977年に卒業。大阪大学大学院文学研究科に進み、1989年に博士課程を修了した。終了時に提出した学位論文は『チェワ社会における仮面と変身信仰の研究』で、学術博士号を取得。 1987年、大阪大学文学部助手に採用された。1988年、国立民族学博物館助手に転じた。1993年に助教授、2000年に教授昇格。2015年に国立民族学博物館副館長に就任。2017年に館長となった。2025年3月末をもって、定年退官。
東條 有伸(とうじょう ありのぶ、1955年8月1日 - )… 東條 有伸(とうじょう ありのぶ、1955年8月1日 - )は、日本の医学者、血液内科医。東京大学名誉教授。東京大学医科学研究所附属病院長を経て、東京科学大学副学長。 千葉県成田市出身。1974年開成高等学校卒業。1981年東京医科歯科大学(現東京科学大学)医学部卒業、東京医科歯科大学医学部附属病院(現東京科学大学病院)研修医。1982年横浜赤十字病院内科医師。1983年東京医科歯科大学医学部附属病院第一内科医員。1988年東京大学大学院医学系研究科第一臨床医学専攻修了、医学博士。1987年日本学術振興会がん特別研究員。 1988年東京大学医科学研究所附属病院助手。1991年東京大学医科学研究所助手。
渡部 悦和(わたなべ よしかず、1955年(昭和30年)8月… 渡部 悦和(わたなべ よしかず、1955年(昭和30年)8月1日 - )は、日本の元陸上自衛官。第36代東部方面総監。 愛媛県出身。愛媛県立松山東高等学校を経て、1978年(昭和53年)3月に東京大学工学部電気工学科を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第28普通科連隊長兼函館駐屯地司令、自衛隊東京地方連絡部長、防衛研究所副所長、第2師団長、陸上幕僚副長等の要職を経て、第36代東部方面総監を最後に退職。退職後は富士通システム統合研究所長、ハーバード大学アジアセンター・シニアフェロー、日本安全保障戦略研究所上席研究員。
佐藤 博文(さとう ひろふみ、1954年8月1日 - )は、… 佐藤 博文(さとう ひろふみ、1954年8月1日 - )は、日本の弁護士。元札幌弁護士会副会長、北海道弁護士会連合会憲法委員会事務局長。 北海道十勝総合振興局更別村で、畑作専業農家の長男として生まれる。帯広柏葉高校に進学し、生徒会長として制服自由化を実現する。その後、北海道大学に進み教育学部(教育制度研究室)を卒業。卒業後、独学で司法試験の勉強を始め、1985年司法試験合格。1988年4月札幌弁護士会に登録し、北海道合同法律事務所で弁護士活動を開始。2002年札幌弁護士会副会長。北海道弁護士会連合会憲法委員会事務局長。 北海道議会議員の道見重信(自民党、札幌市北区選出)は母方の叔父、同じ田村龍二(民主党、胆振選出)は父方の大叔父にあたる。
松本 吉郎(まつもと きちろう、1954年8月1日 - )は… 松本 吉郎(まつもと きちろう、1954年8月1日 - )は、日本の医師。学位は医学士(浜松医科大学・1980年)。 第21代日本医師会会長。群馬医療福祉大学看護学部・臨床教授(非常勤)。山口県生まれ、東京都育ち。 2022年5月、前任の中川俊男(松本は中川執行部では常任理事)が1期のみで再選出馬を断念したことを受け、所属している埼玉県医師会などにより次期日本医師会会長選挙に擁立され、立候補を表明。6月25日に行われた会長選挙では、同じく立候補した大阪府医師会所属で日本医師会副会長の松原謙二を破り、次期会長に当選した。 2024年6月22日に行われた会長選挙では前回に続いて立候補した松原を破り再選した。
佐々木 稔納(ささき としのり、1954年(昭和29年)8月… 佐々木 稔納(ささき としのり、1954年(昭和29年)8月1日 - )は、日本の政治家。元京都府南丹市長(3期)。 京都府園部町出身。1977年(昭和52年)3月、同志社大学法学部法律学科卒業。同年4月、参議院事務局に就職。1982年(昭和57年)1月に退職すると、当時京都府副知事を務めていた同郷の野中広務の秘書となる。1988年(昭和63年)からは野中の公設秘書となる。2001年(平成13年)11月、退職。同年12月、園部町の収入役に就任。2005年(平成17年)12月、収入役を辞任。 2006年(平成18年)1月1日、園部町、八木町、日吉町、美山町の4町が合併して南丹市が誕生。 野中広務の実弟で園部町長の野中一二三は当初、初代市長への意欲を見せていたが引退を表明。
前 績行(まえ いさゆき、1953年8月1日 - )は、日本… 前 績行(まえ いさゆき、1953年8月1日 - )は、日本の実業家でダイトロン(ダイトエレクトロン)株式会社代表取締役。 和歌山県出身。大阪工業大学工学部卒業後、1978年4月 ダイトエレクトロン株式会社に入社する。 以後、 取締役(2001年3月)、上席執行役員(2003年4月)、常務取締役(2009年4月)を経て、2011年3月に代表取締役社長に就任した。 2013年3月より最高執行役員を兼務し、2017年1月にダイトエレクトロン社M&Sカンパニー プレジデントとなる。
魚住 裕一郎(うおずみ ゆういちろう、1952年〈昭和27年… 魚住 裕一郎(うおずみ ゆういちろう、1952年〈昭和27年〉8月1日 ‐ )は、日本の政治家、弁護士。中央選挙管理会委員。 参議院議員(4期)、総務副大臣(第1次安倍改造内閣)、参議院法務委員長、公明党参議院国会対策委員長、公明党選挙対策委員長、公明党参議院会長、公明党顧問などを歴任した。 1952年、和歌山県で生まれる。家族は両親と姉の4人家族だった。1955年、家族と共に東京都新宿区に上京。のちに中野区に引っ越した。新宿区立落合第五小学校、中野区立第十一中学校を経て、創価高等学校を卒業。1977年、東京大学法学部を卒業。1980年、27歳で司法試験合格。1983年、司法修習35期を経て東京弁護士会に弁護士登録。
重枝 豊英(しげえだ とよえい、1952年8月1日 - )は… 重枝 豊英(しげえだ とよえい、1952年8月1日 - )は、日本の外交官。フランクフルト総領事や、ホノルル総領事を経て、第3代駐リトアニア特命全権大使を務めた。2019年退官。 鹿児島県出身。神奈川県立湘南高等学校を経て、1977年中央大学法学部卒業。1981年外務省入省。オーストリア、スイス、エジプトでの大使館勤務、大臣官房査察室長、通産省生活産業局関連産業課長、経済産業省大臣官房参事官(環境担当)、領事移住部旅券課長を経て、2004年在ウィーン国際機関日本政府代表部参事官。同公使や、フランクフルト総領事、ホノルル総領事を経て、2015年から駐リトアニア特命全権大使を務め、2017年には所得に対する租税に関する二重課税の除去並びに脱税及び租税回避の防止のための日本国とリトアニア共和国との間の条約(日・リトアニア租税条約)の署名を行った。
菅生 隆之(すごう たかゆき、1952年8月1日 - )は、… 菅生 隆之(すごう たかゆき、1952年8月1日 - )は、日本の男性俳優、声優。文学座所属。千葉県出身。
田中 真理(たなか まり、1951年〈昭和26年〉8月1日 … 田中 真理(たなか まり、1951年〈昭和26年〉8月1日 - )は、日本の女優。東京都目黒区出身。初期には田中マリ名義で活動していた時期がある。身長166cm(1975年7月)。 実家は目黒区内の薬局。父親の高橋宇一朗は秋田県横手市の崇念寺住職・高橋義雄とロシア人妻の二男。ヴィクトル・スタルヒンの後妻の高橋久仁恵は伯母。中学2年生の時に「劇団こじか」に入団。 高校在学中の1967年、スカウトされて日活に入社。1969年、田中マリの名で『女番長 仁義破り』にて映画デビュー。最初の契約は1年間だったということで、契約切れの後は日活を離れたが、高校卒業後、日活と再契約して田中真理となり、テレビにも進出。
広岡 守穂(廣岡 守穂、ひろおか もりほ、1951年8月1日… 広岡 守穂(廣岡 守穂、ひろおか もりほ、1951年8月1日 - )は、日本の政治学者、評論家、中央大学名誉教授。 石川県金沢市生まれ。1978年、東京大学法学部卒業。東大在学中は坂本義和(国際政治学)、篠原一(ヨーロッパ政治史・歴史政治学)の薫陶を受けた。21歳で学生結婚した。1978年、中央大学法学部助手、1983年助教授、1990年教授。2022年、中央大学定年退職。現在、世田谷市民大学運営委員・講師。 研究者としては日本政治思想史専攻としてスタートし、助手時代は同じく1978年に中央大学法学部に着任した家永三郎(東京教育大学名誉教授)の下で助手論文を執筆した。1986年の著書『豊かさのパラドックス』以降、現代日本の社会現象に関心を広げ、男女共同参画、NPO、子育てなどさまざまな分野で発言している。
七条 明(七條 明、しちじょう あきら、1951年8月1日 … 七条 明(七條 明、しちじょう あきら、1951年8月1日 - )は、日本の政治家。 徳島県板野郡上板町長(1期)、内閣府副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、財務大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、衆議院法務委員長、衆議院議員(5期)、徳島県議会議員(4期)を務めた。 徳島県板野郡上板町生まれ。徳島県立阿波高等学校、東京農業大学農学部醸造学科卒業。大学卒業後は酒造会社やその関連会社の役員を務める。 1981年、徳島県議会議員選挙に出馬し、初当選。県議を4期務め、県議時代の同僚議員に、後に徳島2区で議席を争う山口俊一がいた。1993年、県議を4期目の任期途中で辞職。第40回衆議院議員総選挙に徳島県全県区から自由民主党公認で出馬し、地元である板野郡での大量得票により、日本社会党前職の仙谷由人を僅差で下して最下位で当選した(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・岸田文雄・塩崎恭久・根本匠・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗らがいる)。