福原 定吉(ふくはら さだきち、1889年(明治22年)9月… 福原 定吉(ふくはら さだきち、1889年(明治22年)9月6日 ‐ 1980年(昭和55年)4月24日)は、日本の政治家。秋田県大曲町(現・大仙市)の町長を経て、合併後の大曲市の初代市長を務めた。位階は従五位。 福原寅吉の長男。父・寅吉は本来は福原家を継ぐはずだったが、複雑な事情から、福辺内(当時の須和町)に分家となり、1888年(明治18年)に商店を開いた。 大正元年の「仙北郡案内」によると、五十(いさば)集商に大坂久治、福原寅吉、伊勢多郎八、最上正吉と印刷されている。 1933年(昭和8年)に、仙北酒造株式会社を買い取り、12月には酒の免許を取得し、翌1934年(昭和9年)から個人経営として、黒松金福(のちの福原酒販)を始めた。
竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年(明治20年)9月… 竹内 平吉(たけうち へいきち、1887年(明治20年)9月6日 - 1972年(昭和47年)4月14日)は、日本の作曲家、指揮者、チェロ奏者。帝国劇場附属洋楽部の初代楽長、宝塚少女歌劇作曲家、指揮者。 静岡県出身。1906年(明治39年)、静岡県立静岡中学校卒業。東京音楽学校卒業。チェロをハインリヒ・ヴェルクマイスターに、音楽理論をアウグスト・ユンケルに学ぶ。1911年(明治44年)に新設された帝国劇場附属洋楽部の初代楽長として迎えられ、チェリスト、専任指揮者としてジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーとともに創成期のオペラ指導に尽力。1923年(大正12年)に起きた関東大震災を機に宝塚少女歌劇に移り、指揮者を務める。
小林 卯三郎(こばやし うさぶろう、1887年(明治20年)… 小林 卯三郎(こばやし うさぶろう、1887年(明治20年)9月6日 ‐ 1981年(昭和56年)11月2日)は、日本の教育者、盲学校創設者、点字出版社編集者、社会事業家である。視覚障害当事者として視覚特別支援教育に尽力し、奈良県視覚障害者教育の始祖と称される。 1887年(明治20年)、兵庫県朝来郡生野町(現在の朝来市)の商家に生まれる。1891年(明治24年)前後、4歳あるいは5歳で失明。琴三絃を習う。1899年(明治32年)、12歳で叔母の勧めにより京都市立盲唖院入学。按摩・マッサージ技術、中等普通科科目を習得した。1907年(明治40年)3月、京都市立盲唖院を卒業し、同年4月から東京盲唖学校教員練習科入学。
池田 大伍(いけだ だいご、1885年(明治18年)9月6日… 池田 大伍(いけだ だいご、1885年(明治18年)9月6日 - 1942年(昭和17年)1月8日)は、歌舞伎の劇作家、劇評家、翻訳家。甥は池田弥三郎。 池田鉸三郎・乃婦の次男に生まれた。家は幕末から続く銀座の天ぷら屋「天金」で、兄が金太郎、本人の幼名が銀次郎だった。1891年から私塾の鍋町小学校に通い、公立の麹町小学校を卒業した。その後商工中学を経て、1907年早稲田大学英文科を卒業した。東京毎日新聞の劇評を2年書いた後、1911年(明治44年)、坪内逍遙らの文芸協会の演芸主事となった。1913年(大正2年)の文芸協会解散後は、東儀鉄笛・土肥春曙らと劇団「無名会」を組織し、翌1914年、第一作『滝口時頼』を上演した。
西村 伊作(にしむら いさく、1884年(明治17年)9月6… 西村 伊作(にしむら いさく、1884年(明治17年)9月6日 - 1963年(昭和38年)2月11日)は、日本の教育者、実業家。文化学院の創立者としても知られる。大正、昭和を代表する、建築家、画家、陶芸家、詩人、生活文化研究家。奈良県吉野郡下北山村で山林業、材木商を営む資産家で北山銀行の大株主兼取締役、紀和索道会社取締役。 和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)出身。豪商の父・大石余平、母・ふゆのあいだに長男として誕生。弟に大石眞子(次男)、大石七分(三男)がおり、三兄弟の名は敬虔なクリスチャンであった父親が、聖書に登場するイサク(伊作)、マルコ(眞子)、スティーブン(七分)にちなんで名付けた(伊作自身は生涯無宗教であった)。
郡場 寛(こおりば かん、Kwan Koriba、1882年… 郡場 寛(こおりば かん、Kwan Koriba、1882年(明治15年)9月6日 - 1957年(昭和32年)12月15日)は、日本の植物生理生態学者。理学博士。旧姓白戸。 青森市浪打新町(現:栄町)にて津軽藩士の家に生まれる。父直世は酸ヶ湯温泉の開発者で、同地で温泉宿を経営。母フミ(旧姓三上)は薬草を中心に八甲田山の植物を採取して標本を作り、全国の大学や研究機関に送った功績がある。 1900年、青森県第一中学校(現在の青森県立弘前高等学校)を卒業。同年、旧津軽藩時代の旧姓郡場に改姓。第二高等学校を経て、1907年、東京帝国大学理科大学植物学科卒業。同大学院で三好学に師事し、生長現象と外部環境の関連など植物生理学の研究を行う。
林 頼三郎(はやし らいざぶろう、1878年〈明治11年〉9… 林 頼三郎(はやし らいざぶろう、1878年〈明治11年〉9月6日 - 1958年〈昭和33年〉5月7日)は、日本の刑法学者。検事総長・大審院院長・司法大臣を歴任した。旧姓・三輪。現在の埼玉県行田市出身。 三輪礼三の四男として生まれた。父は忍藩の御典医だったが、製粉業に失敗し、貧しい生活を強いられた。忍高等小学校在学中、父が病気となり、途中、北埼玉郡役所給仕となる。家計を助ける傍ら、出勤前早朝に恩師の自宅で英語を学ぶ努力家であり、16歳のときにその人物を見込まれ、政治家で北埼玉郡長林有章の養子となる。同年、林郡長の友人である高橋捨六弁護士の書生をしながら、東京法学院(中央大学の前身)に進学した。
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年(明治10年)9月6日… 漢那 憲和(かんな けんわ、1877年(明治10年)9月6日 - 1950年(昭和25年)7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。衆議院議員、平沼内閣内務政務次官。最終階級は海軍少将。海軍兵学校27期卒。沖縄県出身。 大正年間に当時の皇太子(昭和天皇)の欧州遊学の際、御召艦「香取」の艦長を務めた事で知られる。退役後は地元の沖縄県から選出され、衆議院議員となった。戦前最後の沖縄県選出議員の一人である。 1877年(明治10年)、漢那憲慎・オトの長男として琉球国那覇西村(現・沖縄県那覇市西)に生まれる。先祖は福州との貿易に従事していた。 1892年(明治25年)、沖縄県尋常中学校(後の沖縄県立第一中学校、現在の沖縄県立首里高等学校)に入学。
永田 亀作(ながた かめさく、1875年(明治9年)9月6日… 永田 亀作(ながた かめさく、1875年(明治9年)9月6日 – 没年不詳)は、日本の内務官僚。神戸市助役。 静岡県榛原郡菅山村(現在の牧之原市)出身。第一高等学校を経て、1902年(明治35年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、大学院に進んだ。翌年11月、文官高等試験行政科試験に合格。千葉県立千葉中学校教諭、青森県視学官、同事務官、同警察部長、福岡県事務官、沖縄県事務官、同内務部長、岩手県内務部長を歴任し、1919年(大正8年)に休職となった。 その後、1921年(大正10年)から神戸市助役を務めた。
諸戸 北郎(もろと きたお、1873年(明治6年)9月6日 … 諸戸 北郎(もろと きたお、1873年(明治6年)9月6日 - 1951年(昭和26年)11月1日)は、日本の砂防工学者、林学博士。東京帝国大学農学部林学科林学第四講座初代の砂防担当教授、東京帝国大学農学部長、東京帝国大学名誉教授。尚、人物事典等のフリガナに「きたろう」と記されているが、正式名は「きたお」である。 日本の近代砂防および後の森林水文学の第一人者として、研究、教育、技術指導に尽力し、その礎を築き、砂防の発展に多くの業績を残した。 三重県桑名郡桑名町(現桑名市)で、父・諸戸清三、母・むらの長男として生まれた。親族に実業家、林業家の諸戸清六がいる。 1898年(明治31年)東京帝国大学農科大学林学科卒業後、大学院に進み、我国深山の利用法並びに治水事業と森林の関係について研究した。
河上 清吉(かわかみ せいきち、1869年9月6日(明治2年… 河上 清吉(かわかみ せいきち、1869年9月6日(明治2年8月1日) - 1936年(昭和11年)6月16日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 越前福井藩領、越前国丹生郡国見村(現・福井県福井市国見町)出身。1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業。 任官後、日清戦争・日露戦争に従軍。さらに、1914年(大正3年)8月に盛岡連隊区司令官を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍歩兵大佐・歩兵第35連隊長(第9師団 歩兵第31旅団)に任官しシベリア出兵に出征した。 その後、1921年(大正10年)7月に陸軍少将・歩兵第36旅団長を経て、1924年(大正13年)2月4日に待命、同月26日に予備役に編入した。
久米 良作(くめ りょうさく、慶応4年7月20日(1868年… 久米 良作(くめ りょうさく、慶応4年7月20日(1868年9月6日) - 昭和9年(1934年)2月9日)は、日本の実業家。東京瓦斯社長。 武蔵国児玉郡児玉(現埼玉県本庄市)出身。久米六右衞門の長男。久米彌太郞の従兄。1891年(明治24年)東京法學院(後の中央大学)を卒業する。1896年(明治29年)、家督を相続する。前名松太郞を改める。1897年(明治30年)日本鉄道会社取締役、1898年(明治31年)理事委員として東北本線、高崎線、常磐線などの鉄道拡張に尽力した。1906年(明治39年)副社長となり、鉄道国有法施行に向けた移管手続きに当たった。東京瓦斯に移った後、1910年(明治43年)副社長、1914年(大正3年)社長となった。
東 奭五郎(ひがし せきごろう、慶応元年7月17日〈1865… 東 奭五郎(ひがし せきごろう、慶応元年7月17日〈1865年9月6日〉 - 1947年〈昭和22年〉12月3日)は、日本の会計学者。"Skyscraper" に摩天楼という訳語を与えた人物という説がある。 1865年、長崎県西彼杵郡三重村の士族東太郞兵衞の四男として生まれた。 1888年、東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、函館商業学校の教諭となった。その後長崎商業学校や熊本商業学校の教諭、母校東京高等商業学校附属商業教員養成所主任や神戸高等商業学校(現神戸大学)の教授を務めた。1916年に教授を辞任し、会計事務所を開き、商業実踐や簿記学研究のためにイギリスやアメリカに留学した。アカウンティングの訳語として会計学をあてるべきと主張し、鹿野清次郎と論争したことでも知られる。
五代目 清元 延寿太夫(延壽太夫、ごだいめ きよもと えんじ… 五代目 清元 延寿太夫(延壽太夫、ごだいめ きよもと えんじゅたゆう、文久2年8月13日〈1862年9月6日〉 - 1943年〈昭和18年〉5月22日)は、浄瑠璃太夫。本名は斎藤→岡村庄吉。東京都墨田区本所出身。 『残菊物語』のモデルになった、二代目尾上菊之助は実弟。実子が四代目栄寿太夫。孫が六代目清元延寿太夫。
大野 亀三郎(おおの かめさぶろう、1861年9月6日(文久… 大野 亀三郎(おおの かめさぶろう、1861年9月6日(文久元年8月2日) - 1914年(大正3年)4月7日)は、明治から大正時代の政治家。実業家。銀行家。衆議院議員。 美濃国、のちの岐阜県稲葉郡岩村(現岐阜市)で、農業・大野八右衛門の長男として生まれる。1880年(明治13年)岐阜県立中学校を首席で卒業する。 岐阜県会議員となる。ほか、北海道開拓事業に関わり、興業銀行取締役、岐阜移民重役、蘇東銀行、北海道馬匹奨励、釜山埋築各監査役、日本興業銀行設立委員を務めた。 1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では岐阜県第1区から出馬し当選。その後、第3回総選挙から第11回総選挙まで連続10回当選した。
松岡 長康(まつおか ながやす、1856年9月6日(安政3年… 松岡 長康(まつおか ながやす、1856年9月6日(安政3年8月8日) - 1908年(明治41年)4月26日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 肥後国八代郡高田村(現・熊本県八代市)の地主の家に生まれる。漢学を学ぶ。農業と商業を営み、学区取締、熊本県会議員、熊本県御用掛、県収税属、八代郡所得税調査委員となる。日清戦争後の1895年、台湾総督府雲林支庁長、同法院雲林支部審判官、台中県支庁書記官となり、従七位に叙せられる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において熊本5区から自由党公認で立候補して当選する。同年8月の第6回衆議院議員総選挙で再選。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。
小田 知周(おだ ともちか、1851年9月6日(嘉永4年8月… 小田 知周(おだ ともちか、1851年9月6日(嘉永4年8月11日)- 1919年(大正8年)7月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・十河。 讃岐国香川郡宮脇村(香川県香川郡宮脇村を経て現高松市)で十河憲武の子として生まれ、9歳で伯父・小田辰右衛門の養嗣子となる。高松藩校弘道館で学ぶ。 高松市会議員、同参事会員、愛媛県会議員、香川県会議員、高松商業会議所会頭、高松市長を歴任する。また、高松商業銀行取締役、高松電気軌道、香川新報各(株)社長となる。 1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙において高松市選挙区から無所属で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年(大正4年)第12回総選挙には立候補しなかった。
中沼 了三(なかぬま りょうぞう、 1816年9月6日(文化… 中沼 了三(なかぬま りょうぞう、 1816年9月6日(文化13年8月15日)- 1896年(明治29年)5月1日)は隠岐国周吉郡中村(現在の島根県隠岐の島町中村)出身の儒学者。名は之舜。了三は通称。字は魯仲。号は葵園(きえん)。贈正五位。 文化13年8月15日(1816年9月6日)隠岐国(島根県隠岐の島)で医師の中沼養碩、母テツの三男として生まれる。天保6年(1835年)京都に上り、山崎闇斎の流れを汲む崎門学派浅見絅斎の学統である鈴木遺音(恕平)の門下として儒学を学んだ。天保14年(1843年)、鈴木遺音の没後に葵園浅見安正の学統を承け、京都で開塾。学習院講師、孝明天皇の侍講となる。門人には西郷従道、桐野利秋、川村純義、千葉貞幹、松田重助らがあり、中沼塾は薩摩藩士が多く、竹村東野門下でもあった中岡慎太郎も西郷隆盛との接触を図り入門している。
安澤 千草(やすざわ ちぐさ、9月6日 - )は日本の女優、… 安澤 千草(やすざわ ちぐさ、9月6日 - )は日本の女優、東京都出身。ナイロン100℃所属。ダックスープ所属。血液型AB型。
結愛 かれん(ゆい かれん、9月6日- )は、宝塚歌劇団月組… 結愛 かれん(ゆい かれん、9月6日- )は、宝塚歌劇団月組に所属する娘役。
ゆい かれん(9月6日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団月… ゆい かれん(9月6日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団月組の娘役スター。 愛知県名古屋市、聖霊中学校出身。身長163 cm。血液型AB型。愛称は「ゆい」、「かれん」、「ゆーゆ」。 宝塚歌劇団時代の芸名は結愛 かれん(ゆい かれん)。 現役時代のあだ名は「俺たちのゆい」。 所属事務所はアービング。 2013年、宝塚音楽学校入学。 2015年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に101期生として入団。入団時の成績は13番。月組公演「1789」で結愛かれんとして初舞台。その後、月組に配属。 2017年の「All for One」で新人公演初ヒロイン。ルイ14世を演じる。101期から初のヒロイン誕生となった。
輝月 ゆうま(きづき ゆうま、9月6日 - )は、宝塚歌劇団… 輝月 ゆうま(きづき ゆうま、9月6日 - )は、宝塚歌劇団専科に所属する男役。 兵庫県神戸市、甲南女子高等学校出身。身長177cm。愛称は「ゆうま」、「ぽん」。 2007年、宝塚音楽学校入学。 2009年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に95期生として入団。入団時の成績は21番。宙組公演「薔薇に降る雨/Amour それは…」で初舞台。その後、月組に配属。 下級生時代から渋い役柄を多く演じ、硬軟自在な演技と歌声で活躍。 2021年8月16日付で専科へと異動。 専科異動後は各組に特別出演を続け、ミュージカル作品に多く出演している。
近藤 公美(こんどう ひとみ、9月6日 - )は、エフエム徳… 近藤 公美(こんどう ひとみ、9月6日 - )は、エフエム徳島のアナウンサー。徳島県板野郡出身。血液型はO型。関西大学社会学部卒業。 関西大学在学中はKBC関西大学放送研究会に所属し、第26回NHK全国大学放送コンテストのDJ部門で準優勝しアナウンス部門で3位に入賞する。大学卒業後、2011年までエフエム京都(KYOTO AIR LOUNGE)でリポーターを務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。