今村 ねずみ(いまむら ねずみ、1958年(昭和33年)6月… 今村 ねずみ(いまむら ねずみ、1958年(昭和33年)6月11日 - )は、日本の俳優、演出家。THE CONVOYの主宰者。本名、今村昌宏。 高校卒業後に上京し、夢の遊眠社に2年程在籍ののちタップダンサー募集の広告で応募したところ見事合格、赤坂のTap Tipsに入る。1985年4月から半年間、2代目いいとも青年隊を務める。Tap Tipsでタップダンサー兼ウェイターとして、1日3回のステージを年間300日など厳しい修行をこなす。そこで定休日の日曜日に店長に頼み、そのときの従業員だった仲間と自分のショーを開催したのが「THE CONVOY SHOW」の始まりとなる。1986年瀬下尚人、石坂勇らと正式にTHE CONVOYを立ち上げ、主宰者となる。
鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ、1958年6月11日 - )… 鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ、1958年6月11日 - )は、日本のドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家、多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師。 富山県氷見市生まれ。富山県立氷見高等学校、早稲田大学第二文学部卒業。大学時代は早稲田大学探検部に所属。男友達の自主映画を手伝ううちに、ドキュメンタリー映画作家を志望する。 大学卒業後、「グループ現代」「岩波映画」等の契約助監督を経て、バリ島を舞台とした自主制作監督作品「スエチャおじさん バリ/夢/うつつ」により、1991年文化庁芸術家海外派遣助成金を受け、カナダ国立映画製作所へ渡る。その後ニューヨークでメディア・アクティビスト集団「ペーパー・タイガー・テレビ」に参加。
中本 茂樹(なかもと しげき、1957年6月11日 - )は… 中本 茂樹(なかもと しげき、1957年6月11日 - )は、徳島県美馬市出身の元プロ野球選手(投手)。
宮島 昌克(みやじま まさかつ、1956年〈昭和31年〉6月… 宮島 昌克(みやじま まさかつ、1956年〈昭和31年〉6月11日 - )は、日本の工学者。金沢大学名誉教授。専門は地震工学、ライフライン地震工学、上水道防災学。 石川県金沢市出身。1979年 金沢大学工学部建設学科卒業。1981年、同大学院修士課程修了。京都大学大学院工学研究科博士課程修了。1983年の日本海中部地震以降の国内のほとんどの被害地震と14か国にわたる海外の地震被害調査に従事。 2014年9月 兵庫県尼崎市にあるクボタ鉄管研究部で金沢大学、ロサンゼルス市水道電気局、クボタによる『日米断層横断共同研究』を実施。大型実験装置を用いた横ズレ断層実験などを行った。 2019年1月 大阪北部地震において被災した大阪広域水道企業団と報告書に対する意見交換。
坂下 英明(さかした ひであき、1955年(昭和30年)6月… 坂下 英明(さかした ひであき、1955年(昭和30年)6月11日 - )は、日本の歯科医師で、明海大学名誉教授。日本有病者歯科医療学会理事長を務める。 1980年に城西歯科大学(現・明海大学歯学部)を卒業後、1984年に金沢大学大学院を修了して医学博士号を取得した。 1985年より金沢大学医学部歯科口腔外科学の講師を務めたのち、1986年から石川県立中央病院で歯科口腔外科医長に就任する(1998年より歯科口腔外科部長)。 1999年に母校の明海大学歯学部口腔外科学第2講座教授]となり、教職に復帰した(講座は2005年に「病態診断治療学講座口腔顎顔面外科学第2分野」に名称変更)。また2005年からは、朝日大学歯学部の客員教授も兼務した。
寺尾 次郎(てらお じろう、1955年6月11日 - 201… 寺尾 次郎(てらお じろう、1955年6月11日 - 2018年6月6日)は、日本の映画字幕を中心とした翻訳家、元ミュージシャンである。シュガー・ベイブメンバー、映画美学校講師を歴任。映画翻訳家協会会員。 東京都大田区生まれ。祖父は元郵政大臣の寺尾豊、兄の寺尾宏明は数学者。慶應義塾大学卒業。 1974年(昭和49年)に学生時代の佐野元春のバンド「バックレーン元春セクション」にベーシストとして加入。翌1975年(昭和50年)にはハイ・ファイ・セットのバックバンドに在籍、同バンドに後から参加した伊藤銀次や上原裕と共に活動する。同時期、リズムセクションの強化を考えていた山下達郎からシュガー・ベイブへの誘いを受け、同年3月より伊藤・上原と共にメンバーとなる。
石井 喜三郎(いしい きさぶろう、1955年6月11日 - … 石井 喜三郎(いしい きさぶろう、1955年6月11日 - )は、日本の国土交通官僚。国土交通審議官、駐ルーマニア特命全権大使、自転車駐車場整備センター理事長をへて都市計画協会の会長、HSホールディングス取締役、TSUCHIYA取締役。ルーマニア国家功労勲章大十字ランク、瑞宝重光章受章。 岐阜県出身。灘高等学校を経て、1979年東京大学法学部卒業、建設省入省。1980年オックスフォード大学留学、建設省近畿地方建設局路政課長、岐阜県都市計画課長、国土庁広報室長、金融再生委員会事務局総務課企画官、2001年国土交通省住宅局住宅政策課長、2003年国土交通省都市局都市計画課長、2004年国土交通省都市局まちづくり推進課長、2005年国土交通省国土計画局総務課長、2006年国土交通省政策課長、都市再生機構理事、内閣官房TPP政府対策本部内閣審議官、国土交通省都市局長、政策研究大学院大学教授、国土交通審議官等を経て、2015年から2018年まで駐ルーマニア特命全権大使を務め、日ルーマニア関係への貢献から、2019年に在日ルーマニア大使館においてルーマニア国家功労勲章大十字ランクを受章した。
松山 澄寛(まつやま すみひろ、1955年(昭和30年)6月… 松山 澄寛(まつやま すみひろ、1955年(昭和30年)6月11日 - 2024年7月24日)は、日本の実業家。鹿児島銀行代表取締役頭取兼九州フィナンシャルグループ代表取締役会長。 鹿児島県鹿屋市出身。広島大学政治経済学部卒後に鹿児島銀行に入行。総合企画部長や市場金融部長、武町支店長などを経て、2005年に同行の取締役に就任する。2011年には代表取締役専務に、2011年には代表取締役副頭取に就任した。 2019年6月に鹿児島銀行頭取と九州フィナンシャルグループ代表取締役会長への就任した。 2024年6月に鹿児島銀行頭取と九州FG会長を退任し、鹿児島銀行相談役に退く。 2024年7月24日午後0時58分、間質性肺炎のため鹿児島市内の病院で死去。
秋田 道夫(あきた みちお、1953年6月11日 - )プロ… 秋田 道夫(あきた みちお、1953年6月11日 - )プロダクトデザイナー 大阪府吹田市生まれ。1977年、愛知県立芸術大学美術学部デザイン科工業デザイン専攻卒業。同年、第26回毎日ID賞特選一席受賞。ケンウッド、ソニーで製品デザインを担当。1988年からフリーランスとして活動を続ける。 LED薄型信号機、六本木ヒルズ・虎ノ門ヒルズセキュリティゲート、交通系ICカードチャージ機などの公共機器を手がけた。 受賞歴:1995年度・1999年度・2005年度・2014年度グッドデザイン賞。2011年、第9回国際陶磁器美濃ファクトリー部門銀賞、2011年、2018年、IF Design Award 、2018年、DFA アジアデザインアワード 銀賞、2019年、Red Dot Design Award Best of The Best、2020年、German Design AwardのGold(最優秀賞)。
大谷 卓男(おおたに たくお、1953年6月11日 - )は… 大谷 卓男(おおたに たくお、1953年6月11日 - )は、日本の企業家。勲等は旭日小綬章。テーオーシー社長。星製薬株式会社代表取締役。学校法人星薬科大学理事長。株式会社ハーフ・センチュリー・モア取締役。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
塚本 修(つかもと おさむ、1953年6月11日 - )は、… 塚本 修(つかもと おさむ、1953年6月11日 - )は、日本の経済産業技官。経済産業省大臣官房技術総括審議官や、経済産業省地域経済産業審議官、慶應義塾大学招聘教授、東京大学客員教授、東京理科大学特命教授等を歴任した。 熊本県下益城郡城南町(現熊本市南区)碇生まれ。1977年九州大学工学部卒業、通商産業省入省。2003年経済産業省大臣官房審議官(地域経済産業グループ・資源エネルギー庁担当)。2002年慶應義塾大学理工学部招聘教授。2004年経済産業省製造産業局次長。2006年経済産業省大臣官房技術総括審議官、東京大学国際・産学官共同センター客員教授。2008年経済産業省関東経済産業局長、東京大学生産技術研究所客員教授。
柳平 千代一(やなぎだいら ちよかず、1953年(昭和28年… 柳平 千代一(やなぎだいら ちよかず、1953年(昭和28年)6月11日 - )は、日本の政治家。元長野県茅野市長(3期)、元長野県議会議員(1期)。 長野県茅野市出身。1972年(昭和47年)3月、諏訪清陵高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、慶應義塾大学経済学部卒業。同年、茅野市に戻り総合食品会社の経営に当たる。 2003年(平成3年)4月の長野県議会議員選挙に無所属で出馬し初当選。 2007年(平成19年)4月22日に行われた茅野市長選挙に出馬。日本共産党推薦の牛山晴一との一騎討ちを制し初当選を果たした(柳平:16,577票、牛山:12,674票)。投票率は67.50%だった。4月30日、市長就任。
兒玉 和夫(児玉 和夫、こだま かずお、1953年(昭和28… 兒玉 和夫(児玉 和夫、こだま かずお、1953年(昭和28年)6月11日 - )は、日本の外交官。外務報道官、外務省研修所長を経て、2013年から経済協力開発機構日本政府代表部特命全権大使、2016年から欧州連合日本政府代表特命全権大使。 2012年9月27日国際連合総会の一般討論演説で、尖閣諸島国有化に関し楊潔篪中華人民共和国外交部長が日本を非難したことに対し、尖閣諸島は日本の領土であるとの答弁を行い、中国の李保東国連大使と論戦を行った。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
町田 豊(まちだ ゆたか、1952年6月11日 - )は、日… 町田 豊(まちだ ゆたか、1952年6月11日 - )は、日本の実業家。群馬県出身。 1975年、関東学院大学工学部を卒業し、同年3月大和設備工事へ入社。2009年6月ヤマト取締役就任、2011年3月ヤマト常務執行役員就任。2013年6月ヤマト専務取締役就任、2015年6月ヤマト副社長就任、2016年6月株式会社ヤマト代表取締役社長就任。同年12月、株式会社サイエイヤマト代表取締役社長も兼任。2017年5月株式会社埼玉ヤマト代表取締役社長を兼任。社長就任後、高砂熱学工業との業務及び資本提携に成功する。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岩田 美津子(いわた みつこ、1952年6月11日-)は、特… 岩田 美津子(いわた みつこ、1952年6月11日-)は、特定非営利活動法人てんやく絵本ふれあい文庫代表。視覚障害当事者として子どもに絵本を読みきかせることができるよう、絵本に点字シートを貼った点訳絵本を開発、普及した。 福岡県若松市(現在の北九州市若松区)に、宮本家の三女として生まれる。生まれつき視覚に障害があった。1959年に、福岡県立北九州盲学校(現福岡県立北九州視覚特別支援学校)の小学部に入学し、学校が自宅から遠いため近隣の施設で寮生活を送る。中学部、高等部本科と進学して行く中で全盲となる。その後、1973年には理療科専攻科を卒業しマッサージ師として北九州市の病院に就職するが、翌年退職し、大阪で日本ライトハウス職業生活訓練センターに入所する。
内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は… 内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は、日本の技術者、実業家。日本ケミコン株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長だった。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、1975年宇都宮大学工学部工業化学科卒業。部活動では自動車部に所属した。1977年宇都宮大学大学院工学研究科工業化学専攻修士課程修了、日本ケミカルコンデンサー入社。1997年KDK新潟工場長。2001年日本ケミコン取締役。2002年日本ケミコン材料事業部本部長。2003年から日本ケミコン代表取締役社長を務め、研究開発への投資を進めるなどした。2019年日本ケミコン代表取締役会長。2021年6月、退任。
森村 泰昌(もりむら やすまさ、1951年6月11日 - )… 森村 泰昌(もりむら やすまさ、1951年6月11日 - )は、日本の現代芸術家。 大阪市生まれ。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科修了。大阪市在住。 1985年にゴッホの《包帯をしてパイプをくわえた自画像》(1889年)に扮する自身が扮したセルフポートレイト写真《肖像・ゴッホ》(1985年)を発表。初めて展覧会評が美術雑誌に載り実質的なデビューを果たす。 1989年にはベニスビエンナーレ/アペルト88に選出され国際的にもデビューを果たし、その後も一貫して「自画像的作品」をテーマに、セルフポートレートの手法で作品を作り続け、国内外で展覧会を開催している。 主な作品には「西洋美術史になった私」シリーズ、「日本美術史になった私」シリーズの他、ハリウッドなどの映画女優に扮した「女優になった私」シリーズや、20世紀をテーマにした「なにものかへのレクイエム」などがある。
長沢 琴枝(ながさわ ことえ、 1950年6月11日 - )… 長沢 琴枝(ながさわ ことえ、 1950年6月11日 - )は、元女性フィギュアスケート選手で、現役引退後はフィギュアスケートコーチ。1972年札幌オリンピックペア日本代表。パートナーは長久保裕。
初代大谷 桂三(おおたに けいぞう、1950年(昭和25年)… 初代大谷 桂三(おおたに けいぞう、1950年(昭和25年)6月11日 – )は、歌舞伎役者。屋号は十字屋。定紋は巴の二重丸。本名は井上 敬三(いのうえ けいぞう)。東京銀座生まれ。青山学院高等部卒業。兄は六代目尾上松助、甥は二代目尾上松也、姪は春本由香(新派)、長男は大谷龍生。 新派の春本泰男の三男として生まれる。母は女流清元節の清元延はる寿、上の兄は六代目尾上松助、二番目の兄は清元節三味線方の清元邦寿。 昭和31年 (1956年) 1月、新橋演舞場『雨乞妻』の倅与太郎で初舞台を踏む。その後二代目尾上松緑の部屋子となり、昭和34年 (1959年) 2月、初代尾上松也を襲名した。十一代目市川團十郎襲名披露「鏡獅子」に後の九代目市川團蔵と共に胡蝶を舞う、名子役であった。
尾身 茂(おみ しげる、1949年(昭和24年)6月11日 … 尾身 茂(おみ しげる、1949年(昭和24年)6月11日 - )は、日本の医師、医学博士。地域医療・感染症・国際保健などが専門。現在、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)理事長、厚生労働省顧問、名誉世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局長、自治医科大学名誉教授、NPO法人「全世代」代表理事。東京都在住。東京都出身。
倉持 治夫(くらもち はるお、1949年6月11日 - )は… 倉持 治夫(くらもち はるお、1949年6月11日 - )は、日本の実業家。大同生命保険取締役社長や、同社取締役会長、大阪商工会議所副会頭を務めた。 大阪府出身。1973年大阪市立大学商学部卒業、大同生命保険入社。「営業のエース」とされ、営業企画部長、業務部長を経て、1998年取締役に昇格。2001年常務取締役。2004年代表取締役社長。2010年取締役会長。2010年から2014年まで有恒会会長。2010年から2017年まで大阪商工会議所副会頭。
イーグル佐藤(イーグルさとう、本名:佐藤 哲夫、 1949年… イーグル佐藤(イーグルさとう、本名:佐藤 哲夫、 1949年6月11日 - )は、東京都品川区出身の元プロボクサー。元日本スーパーライト級チャンピオン。野口ジム所属。アマのエリートからプロに転じ、強打とビッグマウスで知られた。 野口ジム主催のベビーボクシング出身。アマで活躍、59勝4敗の成績を残し、1969年6月プロデビュー。 デビュー戦は引分け、その後4連勝を飾るが、6戦目で初の黒星。8戦目では元日本王者の窪倉和嘉に5回KOで敗れる。その後は快進撃、1971年1月15日、開行憲を判定で破り日本スーパーライト級獲得。その後は開行憲との再戦で初防衛を果たし、ノンタイトルでフェル・ペトランザ、南久雄の両強豪を破るなど気を吐いたが、1972年2月13日、二度目の防衛戦で東海林博に判定で敗れ王座を失った。
上田 文雄(うえだ ふみお、1948年6月11日 - 202… 上田 文雄(うえだ ふみお、1948年6月11日 - 2025年9月18日)は、日本の政治家、弁護士。北海道札幌市長(第9代・3期)、札幌弁護士会副会長を務めた。 北海道中川郡幕別町生まれ。父は保守系の幕別町議会議員であった。幕別町立幕別中学校、北海道帯広三条高等学校、中央大学法学部卒業。 1975年、26歳で司法試験に合格し、司法修習第30期を修了。1978年。、弁護士登録し、道央法律事務所に所属する(当時の同僚に後の北海道知事・衆議院議長となる横路孝弘がいる。1983年北海道知事選挙では横路の勝手連に参加した)。「全国中学校一斉学力調査」を阻止しようとした反対派が公務執行妨害罪などに問われた旭川学力テスト事件の弁護も担当した。
戸所 隆(とどころ たかし、1948年〈昭和23年〉6月11… 戸所 隆(とどころ たかし、1948年〈昭和23年〉6月11日 - )は、日本の地理学者、高崎経済大学名誉教授。第36代日本地理学会会長(2016年 - 2017年)。群馬県前橋市総社町出身。
ちあき 哲也(ちあき てつや、本名:小林 千明(こばやし ち… ちあき 哲也(ちあき てつや、本名:小林 千明(こばやし ちあき)、1948年6月11日 - 2015年5月10日)は、神奈川県藤沢市出身の作詞家。別名:千明 哲也(ちあき てつや)。 関東学院大学卒業後、浜口庫之助に師事。作品を認められ、作詞家デビュー。在学中に「女の旅路」(歌:いとのりかずこ)を作ったことはあったが、1972年(昭和47年)の「黄色い麦わら帽子」(歌:松崎しげる)がデビュー作。 2007年に『吾亦紅』(歌:すぎもとまさと)で日本レコード大賞作詞賞を受賞。2008年に第16回スポニチ文化芸術大賞優秀賞を受賞。 2013年7月17日 ちあき哲也・杉本眞人コンビ作品集CD『すぎもとまさと Meets ちあき哲也』発売。
大槻 正(おおつき ただし、1948年6月11日 - )は、… 大槻 正(おおつき ただし、1948年6月11日 - )は、日本の研究者。京都府生まれ。AIBOの開発、事業化の責任者として有名。 1972年に静岡大学工学部電気工学科卒業後、ソニー入社。カラーテレビの選局システムの開発等に従事。 1994年には株式会社ナムコ(現バンダイナムコゲームス)に転職して3次元CGの研究開発した。 1997年ソニーに復帰。復帰後はエンターテインメントロボット開発・事業化の責任者としてエンターテインメントロボットAIBOの開発、商品化に従事。 2003年にスミダコーポレーション、2006年にニコンに移る。ニコンでは映像カンパニーのプロジェクトリーダーとして、ヘッドマウントディスプレイ「MediaPort UP」や、静止画共有サービス「myPictureTown」などを手がけた。
神宮 敏男(じんぐう としお、1948年〈昭和23年〉6月1… 神宮 敏男(じんぐう としお、1948年〈昭和23年〉6月11日 - )は、昭和時代の日本のフェンシング選手。1970年代の日本のトップ選手として活躍した。 群馬県安中市高別当に生まれる。私立新町高等学校を経て専修大学に学ぶ。1971年(昭和46年)佐田建設に入社。その後保険会社に勤務[要出典]。 全日本学生選手権優勝、全日本選手権優勝などの実績をあげ、1976年モントリオールオリンピックの日本代表に選出された。1974年(昭和49年)テヘランで開催されたアジア競技大会で優勝を飾る。体力的にも恵まれ、抜群の集中力を武器にしていた[要出典]。 前橋フェンシングスクールを主宰し、1988年ソウルオリンピック代表の出野晴信(英語版)を輩出した。
加藤 繁秋(かとう しげあき、1947年〈昭和22年〉6月1… 加藤 繁秋(かとう しげあき、1947年〈昭和22年〉6月11日 - 2022年〈令和4年〉8月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。 香川県出身。1966年香川県立丸亀高等学校卒業。高松郵便局勤務の後、社青同中央部副委員長、日本社会党香川県政策審議会事務局長を経て、日本社会党県組織部長。1990年の総選挙で旧香川2区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 その後1996年の総選挙、1998年の参院選、2000年の総選挙、2003年の総選挙と続けて社会民主党から立候補したが、全て落選した。 2022年8月17日、膵臓がんのため、死去。75歳没。
鳥谷 元(とりや はじめ、1947年6月11日 - )は、福… 鳥谷 元(とりや はじめ、1947年6月11日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 築上中部高校(現:青豊高校)時代は、福岡県大会で飯塚商と延長36回戦った事もある。 1965年の第1回プロ野球ドラフト会議において、中日ドラゴンズからドラフト11位で指名され入団した。 速球が武器の本格派で、同年のドラフト1位指名の豊永隆盛とともに成長が期待された。1967年に1軍で4試合に登板した。 1968年オフに広島東洋カープへ移籍するが、1軍での登板は無く、1972年限りで現役を引退した。 タフで故障の少ない選手で、カーブに切れがあり、コントロールもよく、思い切りのいいピッチングをみせるが、むきになるところがあった。
4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 … 4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 - 1984年1月31日)は、大阪府大阪市出身の上方噺家。本名: 山田 昇(やまだ のぼる)。出囃子は『たぬき』。
中江 昌彦(なかえ まさひこ、1947年6月11日- )は、… 中江 昌彦(なかえ まさひこ、1947年6月11日- )は、翻訳家。 東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒。トリオ・レコードのレコード・ディレクターを経て、翻訳を始める。ブレット・イーストン・エリスなど小説のほか、ロック関係の翻訳が多い。 母は中江泰子、祖母は料理研究家の中江百合、女優の東山千栄子は大伯母。
妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 20… 妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 2015年6月26日)は、日本の洋画家。生命と宇宙の神秘をテーマに、動植物をモチーフとした幻想絵画の世界観を描く。作品の主な表現技法として、油彩・テンペラを用いている。宮城県塩竈市出身。 1971年 上智大学文学部社会学科卒業。 1972年 東京芸術学園卒業。 1973年 独立展入選。 1975年 ブロードウェイ新人展新人賞第一席受賞、同ギャラリーと契約。太陽美術展銅賞受賞。 1976年 フランス国際展国際賞受賞。ル・サロン交流展選抜。ブロードウェイギャラリーにて個展。太陽美術展銀賞受賞。太陽美術協会会員。 1977年 第一回日洋展入選。ル・サロン展銅賞受賞。
井上 保廣(いのうえ やすひろ、1947年(昭和22年)6月… 井上 保廣(いのうえ やすひろ、1947年(昭和22年)6月11日 - 2019年(令和元年)10月22日)は、日本の政治家、福岡県太宰府市長(2期)。 福岡県出身。福岡大学法学部卒。太宰府市役所に入り、助役となり、2007年の太宰府市長選挙に立候補し、初当選する。2011年に再選。2015年の選挙では元市議の芦刈茂に敗れた。
仁田 義雄(にった よしお、1946年6月11日 - )は、… 仁田 義雄(にった よしお、1946年6月11日 - )は、日本の日本語学者。学位は、文学博士(大阪大学・論文博士・1991年)(学位論文「語彙論的統語論」)。大阪大学名誉教授。定年後関西外国語大学教授。日本語文法学会初代会長。日本語学会会長を歴任。 大阪府茨木市生まれ。1971年神戸大学文学部国文科卒、1975年東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得中退。大阪女子大学助教授、大阪大学文学部助教授、大阪外国語大学教授、2007年大阪大学大学院言語文化研究科言語社会専攻教授。1991年「語彙論的統語論」で大阪大学より文学博士の学位を取得。2012年定年、名誉教授、関西外国語大学教授。
圓増 治之(えんぞう はるゆき、1945年6月11日 - )… 圓増 治之(えんぞう はるゆき、1945年6月11日 - )は、日本の哲学者。愛媛大学名誉教授。専門は近世西洋哲学。 兵庫県多紀郡城北村(現丹波篠山市)で出生。 1964年、灘高等学校卒業。1968年、京都大学文学部哲学科卒業。1972年、京都大学大学院文学研究科修士課程哲学専攻修了。1975年、京都大学大学院博士課程哲学専攻単位取得満期退学。 1984年、長野大学産業社会学部専任講師。1987年、長野大学産業社会学部助教授、1992年、教授。長野大学時代、『長野大学30年誌』(1997年、長野学園刊)の編纂に編纂委員長として従事。1999年、愛媛大学法文学部教授。2006年、大阪大学より博士(文学)を授与される。
愛 まち子(あい まちこ、1944年6月11日 - )は、日… 愛 まち子(あい まちこ、1944年6月11日 - )は、日本の女優、歌手。本名:渡辺 伸子。 東京都赤坂区(現:港区南青山)出身。上野高等学園音楽科、上野学園大学卒。趣味は旅行。テイチクレコードなどを経て、東宝に所属していた。
粟屋 憲太郎(あわや けんたろう、1944年6月11日 - … 粟屋 憲太郎(あわや けんたろう、1944年6月11日 - )は、日本の歴史学者。専門は、日本現代史、とくに東京裁判の研究で知られる。
西永 良成(にしなが よしなり、1944年6月11日 - )… 西永 良成(にしなが よしなり、1944年6月11日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家。専門は、20世紀フランス文学を軸としたフランス現代思想研究。東京外国語大学名誉教授。 富山県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。ソルボンヌ大学に留学。東京外国語大学助教授、教授。2008年定年退職、名誉教授となり、パリ国際大学都市日本館館長。
村山 士郎(むらやま しろう、1944年6月11日 - )は… 村山 士郎(むらやま しろう、1944年6月11日 - )は、日本の教育学者。専門は教育社会学。大東文化大学名誉教授。 山形県東根市出身。1977年東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。1983年「ロシア革命と教育革命」で東京大学より教育学博士の学位を取得。大東文化大学助教授、教授。2015年退任。日本作文の会常任委員会副委員長。教育科学研究会常任委員。
水谷英明(みずたに ひであき、1943年6月11日 - 19… 水谷英明(みずたに ひであき、1943年6月11日 - 1990年7月)は日本の大蔵官僚。証券局業務課長などを歴任。 東京都出身。東京都立新宿高等学校、東京大学法学部卒業。1967年 大蔵省入省(国際金融局総務課)。1972年7月 行橋税務署長。その後は主計局主計官補佐(通商産業第三係主査)などを務める。1983年6月 名古屋国税局直税部長。1984年6月 大臣官房企画官兼理財局総務課公共債特別調査室長兼理財局国庫課兼理財局国債課。1985年6月 総務庁人事局参事官。1987年7月 主計局主計官(地方財政、補助金、大蔵担当)。1989年6月 証券局業務課長。1990年7月 名古屋市中区錦1丁目の交差点で20代の男が運転する車に衝突し、死去。
和泉 節子(いずみ せつこ、本名:山脇 節子、1942年6月… 和泉 節子(いずみ せつこ、本名:山脇 節子、1942年6月11日 - )は、和泉元彌の母。狂言プロデューサー、和泉宗家代表取締役、和泉流宗家宗家会理事長、和泉宗家後援会理事長、和泉流宗家記念館理事長。マスコミに付けられた通称は「セッチー」。 岐阜県大垣市出身。父は鉄工会社を経営する二代目社長。母の実家は造り酒屋を営む大地主であった。大垣市立の小学校・中学校に学ぶ。中学3年の3学期を前に、金城学院中学校の欠員補充に合格し編入し卒業。金城学院高等学校、金城学院大学短期大学部卒業。 元・大垣藩家老家の紹介による見合いで狂言和泉流19世宗家和泉元秀に嫁ぐ。挙式の媒酌人はかつて和泉宗家を召抱えていた尾張徳川家の19代当主で、元・華族(侯爵・貴族院議員)の徳川義親である。
下山 治久(しもやま はるひさ、1942年6月11日 - 2… 下山 治久(しもやま はるひさ、1942年6月11日 - 2017年5月2日 )は、日本の歴史家。法政大学・聖心女子大学で非常勤講師を務めた。 東京市(現世田谷区)生まれ。 1968年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。新人物往来社勤務ののち、角川文化振興財団で『角川日本地名大辞典』の編集に従事し、その後東京都中央区教育委員会調査指導員を務め、神奈川県綾瀬市編集委員、津久井町史中世史部会員などを歴任した。その間、1969年には杉山博、萩原竜夫とともに発起人となって後北条氏研究会(現在の戦国史研究会の前身)を起ち上げ、その初代事務局長を務めた。 2017年5月2日死去。享年74。
山田 作衛(やまだ さくえ、1941年6月11日 - )は、… 山田 作衛(やまだ さくえ、1941年6月11日 - )は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。国際リニアコライダーの物理研究責任者。元KEK素粒子原子核研究所所長。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1964年東京大学理学部物理学科卒業。1969年、同大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。東京大学理学部助教授を経て、東京大学原子核研究所教授。小柴昌俊のもとで電子・陽電子衝突実験に従事。長年、DESY研究所の国際実験、HERAに貢献してきた。2007年より、国際リニアコライダーの物理研究責任者を担当している。2022年、瑞宝中綬章受章。
利島 康司(としま こうじ、1941年6月11日 - 202… 利島 康司(としま こうじ、1941年6月11日 - 2025年7月17日)は、日本の経営者。安川電機社長、会長を務めた。福岡県出身。 福岡県立小倉高校を経て、1964年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に安川電機製作所(のちの安川電機)に入社した。1992年9月に理事に就任。1995年にロボット事業部長に就任し、年間15億円の赤字をだすロボット事業部を黒字に変えた。取締役、常務、専務を経て、2004年3月に社長に就任した。2010年6月に会長に就任した。2013年6月に特別顧問に就任し、2023年に退任。 社外では、在九州フィンランド名誉領事館名誉領事、一般社団法人日本ロボット工業会会長、北九州商工会議所会頭、福岡県行政改革審議会会長などを務める。
五野井隆史(ごのい たかし、1941年6月11日- )は、日… 五野井隆史(ごのい たかし、1941年6月11日- )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。キリシタン史を専門とする。北海道幌泉郡えりも町生まれ。長男は政治学者の五野井郁夫。 五野井貞蔵・ミチの四男として北海道に生まれる。1965年(昭和40年)上智大学文学部卒業。1971年(昭和46年)上智大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。同年4月、東京大学史料編纂所に入る。1974年(昭和49年)2月より文部省在外研究員として2年間、ポルトガル・スペイン・イタリアに派遣される。1982年(昭和57年)4月、東京大学助教授。1987年(昭和62年)、学位論文「徳川初期キリシタン研究」により九州大学より文学博士の学位を取得。
熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 202… 熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 2024年9月21日)は、日本のポプリ研究家、エッセイスト。夫は映画監督の熊井啓。 日本にポプリを紹介し、1980年代前半に起きたブームの火付け役。現在でもポプリの研究においての第一人者。実妹のハーブ研究家の桐原春子とともにハーブなどの香草にも造詣が深い。愛猫家として、猫に関するエッセイも多い。日本ペンクラブ会員。
延吉 正清(のぶよし まさきよ、1940年〈昭和15年〉6月… 延吉 正清(のぶよし まさきよ、1940年〈昭和15年〉6月11日 - )は、日本の医師。前小倉記念病院院長、京都大学医学部循環器内科臨床教授、日本心血管インターベンション学会名誉理事長。 福岡県北九州市小倉南区出身。福岡県立小倉高等学校卒業後、京都大学医学部卒業。1974年より社会保険小倉記念病院内科に勤務。 1981年に心臓のカテーテル治療(血管内治療)を日本で初めて行った医師として知られる。普通の医師ならカテーテルを心臓まで送るのに数分かかるが、延吉は同様の処置を10秒ほどで行うため、通常であれば1時間かかる治療を10分程度で済ませることができるという。 多い時は1日に20件以上、年間3,000件に上る心臓カテーテル治療を行い、これまでに5万人以上もの心臓疾患の患者を救ったことから「心臓カテーテルの神様」と呼ばれる。
徳光 彰二(とくみつ しょうじ、1940年6月11日 - 2… 徳光 彰二(とくみつ しょうじ、1940年6月11日 - 2023年2月24日)は、日本の実業家、銀行家。元中京テレビ放送代表取締役社長、会長、東海銀行(現・三菱UFJ銀行)会長。 兵庫県出身。1964年に東京大学法学部を卒業し、同年に東海銀行に入行、副社長を務めたのち1998年に藤和不動産(現・三菱地所レジデンス)に代表取締役社長として出向。1999年に副頭取として東海銀行に復帰。2000年東海銀行取締役会長。2002年より中京テレビ放送代表取締役副社長、2003年より代表取締役社長に就任。2004年UFJセントラルリース監査役。2007年三菱UFJリース監査役。2013年から2019年までは中京テレビ放送代表取締役会長。
上草 義輝(うえくさ よしてる、1939年6月11日 - )… 上草 義輝(うえくさ よしてる、1939年6月11日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。特定非営利活動法人農林漁業支援機構理事長。 北海道留萌郡小平町生まれ。留萌市立潮静小学校、札幌市立一条中学校、北海道札幌南高等学校を経て、早稲田大学政治政経学部経済学科卒業。大野伴睦、中川一郎の秘書を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で北海道2区から立候補し、初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。以後、連続5期。 当選後は自由革新同友会に属したが、中川の死後、中曽根派に移籍(中曽根派の代替わり後は渡辺派に所属)。
山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2… 山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2010年9月12日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。東京都江東区出身。東京都立両国高等学校卒業、東京大学教育学部教育心理学科卒業。劇団黒テント所属。妻は女優の稲葉良子。 5人兄弟の長男。父親は自営業だが、太平洋戦争終戦を境に事業がうまくいかなくなって仕事・住居ともに転々としていた。大学では演劇研究会に所属。大学在学中より芝居の執筆を開始。大学卒業後は時事通信社に入社し、運動部記者としてアマチュアスポーツを3年間担当。1967年に「六月劇場」の結成参加のため時事通信社を退職。その後六月劇場を経て、1968年に黒テントの前身である「演劇センター68」に参加。