永見 勘太郎(ながみ かんたろう、1874年(明治7年)4月… 永見 勘太郎(ながみ かんたろう、1874年(明治7年)4月13日 - 1947年(昭和22年)3月6日)は、日本の政治家。中浜村長(第6代)、中浜村会議員、郡会議員。 第3代中浜村長永見林三郎の長男。 小篠津村(のち鳥取県境港市小篠津町)に永見林三郎の長男として生まれる。永見家は勘太郎の祖父清四郎が初代で、四国から藍玉を仕入れる仕事を始めるとともに、自家も紺屋を営んで一代で財を成したといわれる。 父林三郎が村長を退くと入れ替わりに村会に出、郡会議員も3期務めた。 村長在任中は不景気の最中で大篠津繭市場も倒産し、出資者の一人だった勘太郎もかなりの畑を失った。 昭和5年(1930年)にはついに農家更生村の指定を受けて、公益質屋や負債整理組合を発足させた。
森本 泉(もりもと いずみ、1873年(明治6年)4月13日… 森本 泉(もりもと いずみ、1873年(明治6年)4月13日 - 1956年(昭和31年)2月18日)は、日本の大蔵・内務官僚。官選山形県知事。 高知県土佐郡上街本町筋(現:高知市上町)で、旧高知藩士・森本安秀の長男として生まれる。1891年7月、高知県尋常中学校を卒業。1897年、慶應義塾大学部理財科を卒業。1901年11月、文官高等試験行政科試験に合格。大蔵省に入省し理財局に配属された。 以後、税関監視官、函館税関監視部長、税関事務官兼税務官、函館税務署長、大阪税関監視部長などを歴任。1910年5月20日、内務省に転じ長野県事務官に就任。以後、長野県警察部長、栃木県内務部長、富山県内務部長などを歴任。
下田 次郎(しもだ じろう、明治5年3月6日(1872年4月… 下田 次郎(しもだ じろう、明治5年3月6日(1872年4月13日) - 昭和13年(1938年)3月24日)は、日本の女子教育家。 1872年、広島県広島市上流川(現在の同市中区幟町付近)の生まれ。元広島浅野藩士多羅尾家に生まれるが1876年、陸軍少尉となっていた父が神風連の乱により熊本城内で戦死、幼少にして下田収蔵の養子となる。下田家も広島浅野藩の家臣の家系 。 広島県立中学(現・広島国泰寺高等学校)、第三高等中学校を経て1886年、帝国大学文科大学哲学科を卒業、引き続き大学院に入学して「教育の心理的基礎」について研究した。1899年女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授、1899年から1902年までイギリス、アメリカ、ドイツに留学。
鹿又 武三郎(かのまた たけさぶろう、明治3年3月13日(1… 鹿又 武三郎(かのまた たけさぶろう、明治3年3月13日(1870年4月13日) - 1933年(昭和8年))は、仙台市長。検事。弁護士。 仙台出身。1895年(明治28年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、判事検事登用試験に合格した。1898年(明治30年)、湯沢区裁判所検事となり、奈良地方裁判所検事、大阪地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事、富山地方裁判所検事正、名古屋控訴院検事、旭川地方裁判所検事正などを歴任した。 1919年(大正8年)、仙台市長に就任し、2期8年務めた。3期目を目指した1927年(昭和2年)8月の仙台市長選挙では、市会(市議会)投票において13票を獲得するも、15票を獲得した山口龍之助に及ばず落選した(当時の市長は公選ではなかった)。
神戸 次郎(かんべ じろう、旧暦 慶応4年4月13日(新暦 … 神戸 次郎(かんべ じろう、旧暦 慶応4年4月13日(新暦 1868年5月5日) - 1933年〈昭和8年〉9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功四級。陸士1期。現在の山形県鶴岡市出身。 旧暦 慶応4年4月13日、出羽国 庄内藩 近習頭取 神戸善十郎(諱:義方)の次男として、鶴岡城下(現・鶴岡市)に生れる。 1887年(明治20年)に陸軍士官学校に入校し、1890年(明治23年)7月26日に卒業した(陸士1期、歩兵科)、ちなみに 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を歩兵科47番/103名で卒業している。 1891年(明治24年)3月26日、陸軍少尉。
並木 和一(なみき かずいち/わいち、慶應2年2月28日〈1… 並木 和一(なみき かずいち/わいち、慶應2年2月28日〈1866年4月13日〉 - 1953年〈昭和28年〉12月7日)は、明治から大正時代の政治家、貴族院多額納税者議員、大地主。 並木衛七の長男として信濃国佐久郡野沢村(現・佐久市野沢)に生まれ、1883年(明治16年)12月、家督を相続する。上京し、鈴木松塘に漢籍を学び、帰郷して松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)に学ぶ。村会議員を1期、町会議員を4期、郡会議員を経て、1903年(明治36年)長野県会議員となり、さらに翌1904年(明治37年)長野県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任。議員を1911年(明治44年)9月28日まで7年1期務め、その間、請願委員、決算委員を歴任した。
勝俣 英吉郎(かつまた えいきちろう、1865年4月13日〈… 勝俣 英吉郎(かつまた えいきちろう、1865年4月13日〈慶応元年3月18日〉 - 1930年〈昭和5年〉4月7日)は、明治から昭和時代前期の政治家、医師。長野県上田市長。俳号・かつ丸。 信濃国上田城下の上田藩医の家に生まれる。1879年(明治12年)東京外国語学校でドイツ語を学び、1883年(明治16年)東京大学医学部別課に入学し、1887年(明治20年)帝国大学医学大学を卒業し、1888年(明治21年)家業の医院を継ぐ。 1891年(明治24年)信陽医学会を創立し、同会長を務める。日清・日露戦争では日本赤十字社救護医として従軍。1909年(明治42年)長野県会議員に当選し、立憲民政党支部長に就任した。
井上敬之助(いのうえ けいのすけ、元治2年3月18日(186… 井上敬之助(いのうえ けいのすけ、元治2年3月18日(1865年4月13日) - 昭和2年(1927年)8月10日)は、滋賀県会議長、衆議院議員を務めた明治・大正期の政治家。滋賀県政の大御所として当時知事が二人いると言われた。 近江甲賀郡石部村(現滋賀県湖南市石部)に、石部宿本陣小島金左衛門の八男として生まれ、幼名を家之助と称した。明治3年(1870年)に医師であり石灰製造所を経営していた井上敬祐の養子となり、同20年(1887年)には敬之助と改名した。 明治20年(1887年)大津自由党の創始者の一人酒井有の紹介で、自由党系の活動に参加した、明治23年(1890年)板垣退助が愛国公党を再興すると、井上は『特に県下の青壮年層に呼びかけて同党の主義綱領を宣伝した』とされる。
磯部 正春(いそべ まさはる、元治元年3月8日(1864年4… 磯部 正春(いそべ まさはる、元治元年3月8日(1864年4月13日) - 昭和3年(1928年)10月12日)は、日本の農商務官僚。錦鶏間祗候。旧名は百輔。 山口県出身。1890年(明治23年)、東京帝国大学法科大学を卒業。農商務試補、法制局試補、鉄道庁事務官、農商務省特許局審判官、農商務省参事官、同書記官、特許局長、農商務省鉱山局長を歴任した。1917年(大正6年)3月に退官し、同年6月21日に錦鶏間祗候となった。 その後、産業組合中央金庫監事を務めた。
内山 吉太(うちやま きちた、1862年4月13日(文久2年… 内山 吉太(うちやま きちた、1862年4月13日(文久2年3月15日 ) - 1935年(昭和10年)12月27日)は、日本の漁業家、政治家。衆議院議員(3期)。旧姓は金田。 越後国蒲原郡、のちの新潟県北蒲原郡南浜村(現新潟市北区)で里正・金田家に生まれ、慶応元年12月(1866年)同郷の内山タケの養子となる。漢学を修めた。1877年、函館に移り北海道、樺太で遠洋漁業を経営。1895年、サガレン(樺太)漁業組合総代に選出された。 また、北海道機械網(株)監査役、東洋捕鯨(株)取締役、函館商業倶楽部会頭などを務めた。 立憲政友会の結党に参画し、同函館支部創立委員、同支部幹事となる。1902年8月、第7回衆議院議員総選挙の北海道庁函館区において平出喜三郎と戦い落選。
村上 芳太郎(むらかみ よしたろう、1861年4月13日(文… 村上 芳太郎(むらかみ よしたろう、1861年4月13日(文久元年3月4日)- 1909年(明治42年)1月15日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、愛媛県越智郡今治町長。 伊予国越智郡今治中浜町(愛媛県越智郡今治中浜町、今治町を経て現今治市中浜町)で、商家に生まれた。漢学、法律学、経済学を修めた。 中浜町会議員、今治町会議員を務めた。1886年(明治19年)3月、愛媛県会議員に選出され、1894年(明治27年)9月まで在任。高須峯造の勧めで立憲改進党に所属した。1891年(明治24年)4月、今治町長に就任し1893年(明治26年)2月まで務めた。その他、連合町村会議員、所得税調査委員、学務委員などにも在任した。
清瀧 徳兵衛(きよたき とくべえ、1860年4月13日〈万延… 清瀧 徳兵衛(きよたき とくべえ、1860年4月13日〈万延元年3月23日〉 - 没年不明)は、日本の商人(青物商、乾物砂糖商)、資産家、実業家。池田実業銀行頭取。北摂信託副社長。摂池銀行、池田実業銀行、池田製氷各取締役。族籍は大阪府平民。 大阪府平民・清瀧徳兵衛の長男。1883年、家督を相続する。青物商や、乾物砂糖商を営み、傍ら池田実業銀行頭取のほか会社重役であった。大阪府在籍で、住所は豊能郡池田町(現池田市)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
松本 源太郎(まつもと げんたろう、安政6年3月11日(18… 松本 源太郎(まつもと げんたろう、安政6年3月11日(1859年4月13日) - 大正14年(1925年)10月29日)は、日本の教育者。宮中顧問官。
畠山 雄三(はたけやま ゆうぞう、1851年4月13日(嘉永… 畠山 雄三(はたけやま ゆうぞう、1851年4月13日(嘉永4年3月12日)- 1932年(昭和7年)1月24日)は、明治から昭和初期の農業指導者、政治家。衆議院議員、秋田県会議長。旧姓・長岐。 出羽国秋田郡七日市村(秋田県北秋田郡七日市村、鷹巣町を経て現北秋田市七日市)で、素封家・長岐家の三男として生まれた。1869年(明治2年)山本郡仁鮒村(響村、二ツ井町を経て現能代市)の地主・畠山藤左衛門の婿養子となる。1873年1月(明治5年12月)養父の死去に伴い家督を相続した。 1870年(明治3年)久保田藩御山守となる。仁鮒村副戸長、同戸長、第三大区書記役、秋田県勧業諮問会議員などを歴任。また自由民権運動に加わる。
後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日〈天… 後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日〈天保9年3月19日〉 - 1897年〈明治30年〉8月4日)は、日本の政治家、実業家。名は象次郎とも表記される。栄典は正二位勲一等伯爵。土佐三伯の1人(他に板垣退助、佐佐木高行)。 土佐藩士・後藤正晴(馬廻格・150石)の長男として高知城下片町に生まれる。母は大塚勝従の長女。幼名は保弥太(やすやた)。通称は良輔(りょうすけ)だったが、後に象二郎と改名。諱は正本(まさもと)、後に元曄(もとはる)。字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁など。雅号に暘谷、雲濤、光海、鷗公など。 板垣退助とは竹馬の友で互いに「いのす(猪之助=板垣の幼名)」と「やす(保弥太=後藤の幼名)」と呼び会う仲であった。
元田 直(もとだ なおし、1834年4月13日(天保5年3月… 元田 直(もとだ なおし、1834年4月13日(天保5年3月5日) - 1916年(大正5年)3月4日)は、日本の儒学者・法学者・法律家・教育者。東京代言人組合(現・東京弁護士会)会長、東京府尋常師範学校校長、東京法学社(現・法政大学)の創立者の一人。 1834年(天保5年)、豊後国杵築藩(現在の大分県杵築市)に儒学者元田竹渓の長子として生まれる。維新の際に、藩主の嫡子松平親貴に従って京都に上り、参与広沢真臣に知遇を得て内国事務局書記に任ぜられる。度会府判事に就任し、度会府廃止後に太政官に入り、太政官記録取調掛に任ぜられ、箕作麟祥とともにフランス民法を審議する。 1874年(明治7年)に東京神田に法学塾の「法律学舎」を開設し、フランス法を講授する。
手代木 史織(てしろぎ しおり、4月13日 - )は、日本の… 手代木 史織(てしろぎ しおり、4月13日 - )は、日本の漫画家。宮城県石巻市出身、宮城郡松島町育ち。現在は神奈川県在住[いつ?]。女性。秋田書店の雑誌を中心に活動している。 車田正美作品、特に『聖闘士星矢』の大ファンであり、それをきっかけに漫画家になることを志した。 1997年、エニックスゲームコミックチャレンジ賞入選。 1999年、ファンタジーアクション漫画「DIE-ディエ-」で第9回エニックス21世紀マンガ大賞入選。その後、天野こずえ、髙橋美由紀のアシスタントなどを経てデビュー。 『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて、2006年39号から2011年19号まで全223話の『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』を連載。