板倉 雄一郎(いたくら ゆういちろう、1963年12月26日… 板倉 雄一郎(いたくら ゆういちろう、1963年12月26日 - )は、日本の経営コンサルタント、経済評論家、著述家。 福島県立福島高等学校卒業。上智大学理工学部中退。 1984年2月にゲームソフト開発会社の株式会社ザップを、山名学らの協力を得て設立する。1984年に約8万9,000の加入電話が不通となった「世田谷電話局火災事故」の際に板倉の電話が混線し、同じく混線に遭遇した数人と同時に会話ができた事をヒントに、通信アプリケーションサービス会社の国際ボイスリンク株式会社を1989年12月に設立し、1990年6月から電話会議サービス開始。1991年6月、出資者との経営上の対立から国際ボイスリンクを退社し、国際ボイスリンクのサービスを発展させた、株式会社ハイパーネットを設立した。
上月 良祐(こうづき りょうすけ、1962年12月26日 -… 上月 良祐(こうづき りょうすけ、1962年12月26日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。自由民主党所属の参議院議員(3期)、自由民主党副幹事長兼参議院副幹事長。 経済産業副大臣兼内閣府副大臣、農林水産大臣政務官、参議院農林水産委員長、自由民主党農林部会長、茨城県副知事を歴任。 兵庫県神戸市出身。灘中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。1987年、自治省入省。1991年7月、財政局交付税課主査に就任。1992年4月、鹿児島県 学事文書課長に就任。1998年、内閣官房中央省庁等改革推進本部事務局参事官補佐に就任。2002年7月、総理官邸 内閣官房副長官秘書官に就任。 2005年4月、茨城県総務部長に就任。
辻 陽(つじ よう、1962年12月26日 - )は、日本の… 辻 陽(つじ よう、1962年12月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家。東京都新宿区出身。インスパイア・ホールディングス所属。 幼少より日本現代音楽協会会員作曲家・中山義徳にピアノを師事。ピアノに留まらず広範囲に音楽を学び、東京芸術大学音楽学部楽理科卒業後、秋元康主宰「SOLD OUT」で作・編曲家として活動。オノ・ヨーコ主演「Homeless」サントラなどの作品を発表する。JASRAC正会員。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
中尾 剛久(なかお たけひさ、1962年〈昭和37年〉12月… 中尾 剛久(なかお たけひさ、1962年〈昭和37年〉12月26日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。第50代舞鶴地方総監、第45代佐世保地方総監。防大29期。 鹿児島県出身。防衛大学校を第29期卒業し、海上自衛隊に入隊。職種は後方支援(経理・補給職域)。入隊後は主に海上幕僚監部や地方総監部等で勤務したのち、海上自衛隊第4術科学校長、海上幕僚監部装備計画部長等の要職を歴任し、2017年(平成29年)12月から第50代舞鶴地方総監を務め、2019年(令和元年)8月23日、第45代佐世保地方総監に任命された。
仁村 徹(にむら とおる、1961年12月26日 - )は、… 仁村 徹(にむら とおる、1961年12月26日 - )は、埼玉県川越市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、投手)、プロ野球指導者。 実兄は元プロ野球選手の仁村薫で、現役時代は中日ドラゴンズで一緒にプレーした経験がある(当時、スコアボードなどには「仁村兄(=薫)」「仁村弟(=徹)」と表記されていた)。 上尾高校では、右下手投げのエースとして活躍。1979年春季関東大会決勝に進み、銚子商に惜敗するが好投手として注目される。同年夏の甲子園に出場。1回戦で浪商と対戦、9回二死まで2-0とリードしながら勝利目前で牛島和彦に同点2ランを打たれ、延長11回敗北。このときの試合は今も甲子園史上に残る名試合として語り継がれている。
長吉 秀夫(ながよし ひでお、1961年12月26日 - )… 長吉 秀夫(ながよし ひでお、1961年12月26日 - )は、日本の舞台制作者、著作家。 東京都出身。明治大学付属中野高等学校、明治大学政治経済学部卒業。幼少より江戸葛西囃子を習得し、祭り文化への興味を深めていく。 大学在学中より、舞台制作者として、内外の民俗音楽・舞踊やロックと出会い、全国津々浦々をツアーする日々が続く。その傍ら、ジャマイカやインド、ニューヨーク、ツバルなどを訪れながら、大麻やドラッグ、精神世界、ストリート・カルチャー(英語版)などに中心にした執筆を行い、現在に至る。 著書「ドラッグの品格」が茨城県を含む府県にて有害図書指定されたことに対して、2015年に茨城県に対し取消しを求める訴訟を起こした。
川原 和久(かわはら かずひさ、1961年〈昭和36年〉12… 川原 和久(かわはら かずひさ、1961年〈昭和36年〉12月26日 - )は、日本の俳優、声優。劇団ショーマ所属。所属事務所はナッポスユナイテッド。福岡県北九州市八幡西区(出生当時は八幡市)出身。北九州市立熊西中学校、福岡県立八幡南高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業。身長183cm。体重68kg。 劇団ショーマの看板俳優として、多数の舞台に出演。近年は他劇団への客演や、プロデュース公演のほか、映画、テレビドラマ、アニメなど幅広く活躍している。 テレビ朝日系ドラマ『相棒』では、2時間ドラマ時代・連続ドラマ時代を含めて、全シリーズで警視庁刑事部捜査一課7係巡査部長・伊丹憲一役として出演し、悪を許さない正義漢・熱血漢あふれる刑事役を演じる。
新藤 悦子(しんどう えつこ、1961年12月26日 - )… 新藤 悦子(しんどう えつこ、1961年12月26日 - )は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家、ファンタジー小説家。 豊橋ふるさと大使(2003年2月より)。 1961年、愛知県豊橋市に生まれる。愛知県立豊橋南高等学校を経て、津田塾大学学芸学部国際関係学科を卒業。 在学中から中近東に関心を持ち、トルコ、エジプトを旅行。1985年から1986年にかけてトルコ、イランを遊学する。トルコのカッパドキア地方ギョレメ村にて、現地の女性の手ほどきを得て絨毯を織り上げる。この時の体験をもとに綴った初の書き下ろし『エツコとハリメ 二人で織ったトルコ絨毯の物語』(情報センター出版局)で作家デビュー。 1987年、ソビエト連邦領中央アジアからトルコへと遊牧民の軌跡を追い、『羊飼いの口笛が聴こえる 遊牧民の世界』として出版。
エスパー伊東(エスパーいとう、本名:伊東 万寿男〈いとう ま… エスパー伊東(エスパーいとう、本名:伊東 万寿男〈いとう ますお〉、1960年〈昭和35年〉12月26日 - 2024年〈令和6年〉1月16日)は、日本のお笑いタレント、画家。熊本県阿蘇郡南小国町出身(公式プロフィールでは東京都出身)。 上半身裸に黒スパッツ姿がトレードマークである。 自らを「高能力者」「高能力パフォーマー」と称して、体育会系の学生が先輩に強要されてやる様な怪しい芸を実行し、失敗しては笑いを取っている天然ボケキャラクターである。口下手のため、ソロではイジられ役に徹している。 顔だけ外に出して、ボストンバッグ等の中に全身を入れたまま登場することが多い。「高能力」を披露する際のテーマ曲は『バロック・ホウダウン』(いわゆる「エレクトリカルパレード」のテーマ)。
粥川 宏 (かゆかわ ひろし、1960年12月26日 - … 粥川 宏 (かゆかわ ひろし、1960年12月26日 - )は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車東日本プロジェクトDプロジェクトリーダー。 愛知県出身。1984年名古屋大学卒業、トヨタ自動車入社。入社後はボデー設計部に配属され、セルシオの開発に携わった。スープラを担当後、東富士研究所へ異動し、アルミを使った環境対応小型軽量車の先行開発に従事。2001年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカー・ES3(イーエスキュービック)の開発にも参加。その後はボディー計画室長としてプラットフォームの開発を指陣。その傍らで、愛知万博i-unit開発に参画。2006年に製品企画室へ異動し、チーフエンジニアとしてプリウスα、2代目シエンタ、ジャパンタクシーの開発を担当した。
高槻真裕(たかつき まさひろ・1960年12月26日 - )… 高槻真裕(たかつき まさひろ・1960年12月26日 - )、作詞家、作曲家、編曲家、演奏家、音楽プロデューサー。社団法人日本音楽著作権協会会員。 大分県佐伯市出身。Black Tie Circuit Inc. 代表。Moon Cycle Records 代表。 学生時代よりアントニン・ドヴォルザーク、モデスト・ムソルグスキー、エクトル・ベルリオーズ等のクラシック音楽に傾倒。ゲオルク・ショルティに憧れ指揮者を目指す傍ら、精力的にロックバンド活動を展開。 1986年に発表した自主制作アルバム『女と男のアンソロジー』がきっかけとなり、翌年上京。初めて作品を提供した男闘呼組の1stスタジオ・アルバム『男闘呼組』が1988年日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。
八木 弘和(やぎ ひろかず、1959年12月26日 - )は… 八木 弘和(やぎ ひろかず、1959年12月26日 - )は、日本の元スキージャンプ競技選手である。北海道小樽市出身。北照高等学校卒業。現役時代は北海道拓殖銀行(たくぎん)に所属。父親の八木博は1977年から全日本スキー連盟のジャンプ・ヘッドコーチを務めた。 1970年代後半より1980年代前半に、レークプラシッドオリンピックで4位になった秋元正博とともに日本スキージャンプチームの中心選手として活躍した。1979年-1980年のシーズンに新設されたスキージャンプ・ワールドカップで優勝1回(2位、3位各1回)。シーズン総合4位となった。 1980年のレークプラシッドオリンピックでは、当時の70m級ジャンプで1回目87.0m、2回目83.5mと安定したジャンプで、マンフレート・デッケルトと同点で銀メダルを獲得した。
林 郁(はやし かおる、1959年12月26日 - )は、日… 林 郁(はやし かおる、1959年12月26日 - )は、日本の実業家。デジタルガレージ創業者・代表取締役兼社長執行役員グループCEO、DGフィナンシャルテクノロジー取締役会長、カカクコム取締役会長。 北海道斜里郡小清水町生まれ。東京都国立市で育つ。東洋大学社会学部応用社会学科卒業。マスコミュニケーション学を専攻。1983年に広告・編集制作会社のフロムガレージを設立。その後デザイン会社のクリエイティブガレージ、マルチメディアソフト制作のスタジオガレージを設立し、3社グループとなる。1995年に3社グループと、日本初の個人ホームページ「富ヶ谷」を作ったエコシスを合併し、伊藤穰一とデジタルガレージを共同創業、代表取締役に就任。
鹿毛 康司(かげ こうじ、1959年12月26日 - )は、… 鹿毛 康司(かげ こうじ、1959年12月26日 - )は、日本のマーケター、クリエイティブ・ディレクター、CM監督、プランニング、コピーライター、作詞・作曲家。『株式会社かげこうじ事務所』代表、『グロービス経営大学院大学』教授、『筑紫女学園大学』客員教授、『日経クロストレンド』アドバイザリーボードメンバー、『Ad-tech』東京ボードメンバー、『エステー株式会社』コミュニケーションアドバイザー。別名、特命宣伝部長 高田鳥場(たかだのとりば)。早稲田大学商学部卒業、ドレクセル大学修了(MBA)。 福岡県飯塚市生まれ。福岡県立嘉穂高等学校から二浪を経て早稲田大学商学部に進学。2年次に広告論の亀井昭宏ゼミに入り、アマチュアバンドの活動にも励んだ。
阪谷 綾子(さかたに あやこ、1959年12月26日 - )… 阪谷 綾子(さかたに あやこ、1959年12月26日 - )は、日本の教育者、学校法人興譲館理事長、公益財団法人備中館理事長。 父は阪谷芳直、祖父は阪谷希一。大叔父は阪谷俊作。曾祖父は阪谷芳郎、三島彌太郎。曾祖母は阪谷琴子。高祖父は阪谷朗廬、渋沢栄一、三島通庸。 1959年に阪谷芳直の四女として東京都で生まれる。芳直の曽祖父は渋沢栄一であり、綾子は栄一の玄孫となる。 慶應義塾幼稚舎より慶應義塾に学び、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、外資系ホテル、銀行等の勤務を経て、2014年に阪谷家ゆかりの学校法人興譲館の理事長に就任した。また、公益財団法人備中館理事長にも就任している。高祖父の渋沢栄一や曽祖父母の阪谷芳郎・琴子夫妻に関する講演も多数行っている。
平野 義和(ひらの よしかず、1959年12月26日 - )… 平野 義和(ひらの よしかず、1959年12月26日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京都府中市出生、板橋区出身。シグマ・セブン所属。 東京都府中市で誕生し、その後、板橋区に転居。 板橋区立三園小学校を経て板橋区立赤塚第二中学校に進学後、テニス部に所属して関東大会に出場して3位を取る。 高校時代はあまり学業にもはげまず、遊び歩いており両親の間でゴタゴタが絶えなかったようであったという。 東京都立志村高等学校卒業後、俳協付属養成所に入所することを決意したことからアルバイトをして金を貯めて同養成所に入所。 その頃、両親は離婚している。 同養成所卒業後、東京俳優生活協同組合に所属し、声優としての活動を始める。
小林 大 (こばやし まさる、英: Masaru Kobay… 小林 大 (こばやし まさる、英: Masaru Kobayashi、1959年12月26日 - ) は、茨城県水戸市出身の元モーターサイクル・ロードレースライダー。1984年、85年全日本ロードレース選手権250ccクラスチャンピオン。 1984年にホンダワークスチームであるHRCと契約、84年、85年と全日本ロードレース250ccクラスタイトルを獲得。1989年に引退。1990年から92年までカップヌードル・ホンダチームの監督を務めた後、ヘリコプターのパイロットを目指す。ライセンス取得後雄飛航空のパイロットとなる。2004年6月、山形空港において操縦するヘリコプターが墜落、同乗のカメラマンが死亡し、自らも脊髄損傷の重傷を負って下半身不随となる。
グレート義太夫(グレートぎだゆう、1958年〈昭和33年〉1… グレート義太夫(グレートぎだゆう、1958年〈昭和33年〉12月26日 - )は、日本のお笑いタレント、ミュージシャン。本名は鈴木 正之(すずき まさゆき)。株式会社TAP所属。 東京都板橋区出身。私立京華高校卒業、亜細亜大学中退。 元小結の國登國生は叔父にあたる。 大学時代、音楽系サークルでドラマーとして活動しているうちに、プロミュージシャンを目指すようになる。バンド『雷神』を組み、アマチュアとして活動していた。 『ビートたけしのオールナイトニッポン』のリスナーであった義太夫は、ビートたけしのファンとなり弟子志願をするが、その際ドラムが特技であることを披瀝し、当時のたけしのバックバンド『シークレット・ポリス』に加入することになった。
原田 美枝子(はらだ みえこ、1958年〈昭和33年〉12月… 原田 美枝子(はらだ みえこ、1958年〈昭和33年〉12月26日 - )は、日本の女優。舞プロモーション所属。 夫は俳優の石橋凌。一男二女の母。長女はシンガーソングライターの優河、次女は女優の石橋静河。2人の上に息子がいる。 東京都豊島区出身。幼少期から成人するまでは母が住み込みで管理人をしていた東京都豊島区南大塚2丁目のマンション稲和マンション 1階。(現在は取り壊されアーバンビュー新大塚プラタナス通りというマンションに建て替っている)の管理人室に住んでいた。この管理人室には風呂が無く銭湯に行ったり、母と仲の良い真上の2階に住む住人宅の風呂を借りていたりしていた。先輩で役者友達だった佐藤佑介が ちょくちょく遊びに来ていて 当時17歳で免許を持たない美枝子はノーヘルで原付バイクのDAXでマンション前の路上で乗る練習をしたりしていた。
蔡 安邦(さい あんぽう、TSAI An-Pang、台湾語:… 蔡 安邦(さい あんぽう、TSAI An-Pang、台湾語: Tshuà An-pang、1958年12月26日 - 2019年5月25日)は、日本で活躍した台湾の物理学者。東北大学教授。専門は準結晶。 台湾雲林県北港鎮生まれ。台北工業専科学校(現:国立台北科技大学)卒業後、現地のホンダ系列企業に就職し、エンジンの鋳造部門で働く。研修のため大阪に2週間滞在したことを機に、勤務を続けながら夜間制の日本語学校に2年通った。その後、秋田大学鉱山学部2学年に編入し、1985年に卒業。 1994年、「準結晶に関する研究」で日本IBM科学賞を受賞。 2011年に準結晶の発見によりノーベル化学賞を受賞したダニエル・シュヒトマンの発表文には蔡の論文が5編引用されており、受賞に大きく貢献した証となった。
中山 貴美子(なかやま きみこ 1958年12月26日 - … 中山 貴美子(なかやま きみこ 1958年12月26日 - )は、日本の元女優。 福岡県大牟田市出身。実家は寺院で、父親はその住職。1977年の「ミス・ヤング・インターナショナル」で「ミス水着」に選出され、これがきっかけで芸能界デビュー。香蘭女子短期大学在学中から福岡でモデルとして本格的に活動開始、雑誌やポスターなどで活動。 1980年秋に上京。1981年春、映画『窓からローマが見える』のオーディションで883人の中から主演に選ばれ、これを機にモデルを辞めて女優一本での活動を開始する。 公表していたサイズは身長162cm、B80cm、W56cm、H83cm(1982年当時)。 娘(次女)はタレントのあびる優。
風丸 良彦(かざまる よしひこ、1958年12月26日 - … 風丸 良彦(かざまる よしひこ、1958年12月26日 - )は、日本のアメリカ文学者、文芸評論家、盛岡大学文学部英語文化学科教授。 東京都新宿区出身。上智大学外国語学部英語学科卒業。現代アメリカ文学を専門とするが、村上春樹の研究も行っている。
竹村 典彦(たけむら のりひこ、1958年12月26日 - … 竹村 典彦(たけむら のりひこ、1958年12月26日 - )は、日本の実業家。第2代プロントコーポレーション代表取締役社長。 奈良県出身。同志社香里高校を経て、1981年同志社大学法学部卒業、サントリー入社、亀戸での営業に配属。その後吉本隆彦とともに社内でミュープランニングアンドオペレーターズを設立。同社取締役、専務、副社長を経て、サントリーなどが設立したプロントコーポレーションに移った。2005年から同社代表取締役社長を務めて、頻繁に現場に足を運びながら経営をし、既存店強化や新規店舗の出店を進めた。
新井 瑞穂(あらい みずほ、1957年12月26日 - )は… 新井 瑞穂(あらい みずほ、1957年12月26日 - )は、日本のフリーアナウンサー。埼玉県出身。フェリス女学院短期大学卒業。
田口 雅弘(たぐち まさひろ、1956年12月26日 - )… 田口 雅弘(たぐち まさひろ、1956年12月26日 - )は、日本の経済学者。環太平洋大学経済経営学部教授。岡山大学名誉教授。専門は、現代ポーランド経済史、ポーランド経済政策論、体制転換論。娘は社会起業家の田口愛。ワルシャワ中央計画統計大学財政統計学部国民経済計画学科卒。 1978年、ポーランド政府給費留学生として渡航する。留学中に、独立自主管理労働組合「連帯」運動や、ヤルゼルスキ政権による戒厳令を経験した。1984年、ワルシャワ中央計画統計大学(SGPiS:現在のワルシャワ経済大学)で経済学修士の学位を取得し卒業する。1988年、京都大学大学院博士課程後期単位取得退学。 同年より1990年まで、日本学術振興会特別研究員として東京大学社会科学研究所に所属した。
阪口 伸六(さかぐち しんろく、1956年12月26日 - … 阪口 伸六(さかぐち しんろく、1956年12月26日 - )は、日本の政治家、大阪府高石市長(4期)。元高石市議会議員。
三村 亨(みむら とおる、1955年12月26日 - )は、… 三村 亨(みむら とおる、1955年12月26日 - )は、日本の財務官僚、弁護士。財務省近畿財務局長や、防衛省人事教育局長、防衛研究所所長、防衛審議官、損保ジャパン日本興亜総合研究所理事長などを歴任した。 岡山県出身。1979年 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。証券局、1981年-1983年ケンブリッジ大学経済学部留学、大臣官房秘書課財務官室調査主任。1985年7月 国際金融局総務課長補佐(企画調整・渉外)。1986年7月 左京税務署長。大臣官房文書課長補佐(審査)、大臣官房秘書課財務官室長、財務省主計局主計官(防衛担当)、理財局国債課長、理財局国債企画課長、理財局財政投融資総括課長、福岡財務支局長、大臣官房審議官(理財局担当)等を経て、2010年 金融庁総務企画局審議官兼公認会計士・監査審査会事務局長。
日沢 伸哉(ひざわ のぶや、1954年12月26日 - 20… 日沢 伸哉(ひざわ のぶや、1954年12月26日 - 2009年10月8日)は、岩手県出身の日本の放送作家・作家。 岩手県立盛岡第一高等学校卒業後、関西に来て劇場通いを始める、そこで知り合った桂文福と出会い楽屋に出入りするようになる。創作落語にたずさわり、文福の紹介で月亭八方の紹介を受け放送作家となり、人気番組『クイズ!紳助くん』『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ制作)の構成を手がけるほか、『上方落語をきく会』(朝日放送ラジオ制作)、『日曜落語 〜なみはや亭〜』(朝日放送ラジオ制作)などの演芸番組の構成を手がける。2006年には「CDブック 栄光の上方落語」(角川書店)を上梓。尚2007年10月31日には「なつかしの昭和爆笑漫才 〜天国の笑星〜」を上梓、2008年には「CDブック 栄光の上方漫才」発売、10月29日には「五代目 桂文枝」を上梓。
菊地 恭一(きくち きょういち、1954年12月26日 - … 菊地 恭一(きくち きょういち、1954年12月26日 - )は、茨城県稲敷郡江戸崎町(現・稲敷市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ右打ち。 東洋大牛久高では、1972年夏の県大会を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進む。先発投手として銚子商業高の根本隆と投げ合うが惜敗した。 高校卒業後は、社会人野球の東芝に入社した。都市対抗野球に出場し、社会人ベストナインにも2度選出される。1978年の都市対抗野球では3本塁打を放ち、チームの優勝に貢献した。同年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから2位指名を受けるが入団を拒否し、チームに残留した。この時の3位指名が落合博満だったが、社会人時代は東芝府中所属だった落合よりも菊地の方が評価が高かった。
紅 晴美(くれない はるみ、1953年12月26日 - )は… 紅 晴美(くれない はるみ、1953年12月26日 - )は、福島県出身の日本の女性歌手。 福島県いわき市出身。4人兄弟の末っ子。炭鉱町で育ったが、炭鉱の閉鎖後は厳しい生活を送る。演歌界では珍しい「シンガー・ソングライター」でもあり、作詞・作曲を行う。2002年からは福島で、2010年からは東京でもレギュラーのラジオ番組を担当。
相澤 浩(あいざわ ひろし、1953年12月26日 - )は… 相澤 浩(あいざわ ひろし、1953年12月26日 - )は、日本の医師。 旭川医科大学卒業後、東京医科歯科大学産婦人科学教室で、産婦人科医となるが、1987年5月より東京慈恵会医科大学皮膚科学教室に移り、皮膚科に転科、ニキビとホルモンの関係について研究し、1992年7月に医学博士の学位を取得。東京慈恵会医科大学病院にニキビ外来を設立し、大人ニキビのホルモン療法を始める。1999年7月、東京都調布市に相澤皮フ科クリニックを開業し、現在に至る。
五十嵐 洋(いがらし ひろし、1953年12月26日 - )… 五十嵐 洋(いがらし ひろし、1953年12月26日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ギタリスト、ソングライター・編曲家。 石川県金沢市出身。金沢美術工芸大学商業デザイン科中退。愛称は、イガちゃん。実弟は、音楽評論家の五十嵐正。 中学時代、アメリカのロックやフォークのカウンター・カルチャーにショックを受け、ギターを持って歌い始める。石川県立金沢二水高等学校時代に、PPMスタイルのバンド活動を開始。ジョン・レノンを真似て美大へ進学するが中退。ジェームス・テイラー、キャロル・キング、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングらに憧れてアマチュアバンド活動を続けながら、地元金沢で作編曲やラジオ番組制作に携わる。
馬瀬 紀夫(ませ のりお、1953年12月26日 - )は、… 馬瀬 紀夫(ませ のりお、1953年12月26日 - )は、日本の実業家。ハーゲンダッツジャパン株式会社代表取締役社長を経て、同社取締役会長。 三重県津市出身。三重県立津高等学校を経て、1976年大阪大学経済学部卒業、サントリー入社。2005年に取締役に昇格し、以降健康食品や海外事業などを担当した。2009年サントリーホールディングス執行役員。 2011年からハーゲンダッツジャパン代表取締役社長を務め、新商品の展開や、基幹商品「ミニカップ」の供給能力強化のための設備投資などを進めた。2018年ハーゲンダッツジャパン取締役会長。
勝津 正男(かつ まさお、1952年12月26日 - )は、… 勝津 正男(かつ まさお、1952年12月26日 - )は、フリーアナウンサー、元KRY山口放送所属のアナウンサー、KRYではアナウンス部長やラジオ局長を歴任したが、2011年3月31日をもって退職した。 山口県下関市出身。1960年代後半の深夜放送ブームの頃に中学生、高校生時代を過ごしたということで、全国あちこちの番組にはがきを送ったりリクエストの電話をかけたりしていたラジオ少年だったという。 大阪経済大学経営学部を卒業後、1975年から2011年3月31日までアナウンサーとして山口放送に在籍。現在はフリー。
車 邦秀(くるま くにひで、1951年12月26日 - )は… 車 邦秀(くるま くにひで、1951年12月26日 - )は、日本の殺陣師・俳優。 長崎県出身。幼少の頃、チャンバラ作品が好きで棒きれでチャンバラごっこをしていた。中高でアクション作品に触れ、独学でバク転等をしていた。長崎県立猶興館高等学校卒業後上京し、1971年9月、若駒冒険グループ(以下、若駒)の入社試験を受験して合格したため入社する。 若駒入社後、『天下堂々』に「斬られ役」として出演し、数十回斬られる。それが『天下堂々』で擬闘指導を務めていた林邦史朗の目に留まり、『おこれ!男だ』の殺陣師に抜擢される。時代劇、現代劇で殺陣師を務める。 1991年より全日本刀道連盟の副主席師範をつとめ、2016年からは主席師範となる。
神出 元一(じんで げんいち、1951年12月26日 - )… 神出 元一(じんで げんいち、1951年12月26日 - )は、日本の実業家。全国農業協同組合連合会代表理事理事長を務めた。 大分県宇佐市院内町生まれ。大分県立四日市高等学校(現大分県立宇佐高等学校)を経て、1975年熊本大学法文学部法学科卒業、全国農業協同組合連合会入会。2001年本所事業改革推進部次長。2002年本所事業改革推進部長。2003年本所事業改革・システム推進部長。2005年常務理事に昇格。2011年から代表理事専務を務め、小泉進次郎自由民主党政務調査会農林部会長との間で農業改革の交渉にあたるなどした。2017年からは代表理事理事長を務め、自由民主党が推し進めた農協改革への対応として、肥料価格引き下げなどを行った。
室瀬 和美(むろせ かずみ、1950年(昭和25年)12月2… 室瀬 和美(むろせ かずみ、1950年(昭和25年)12月26日 - )は、日本の男性漆芸家。蒔絵の重要無形文化財保持者(人間国宝)。東京都出身。父は同じく漆芸家の室瀬春二。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
音無 美紀子(おとなし みきこ、本名:村井 美紀子、1949… 音無 美紀子(おとなし みきこ、本名:村井 美紀子、1949年〈昭和24年〉12月26日 - )は、日本の女優。所属事務所はオフィスのいり。 東京都出身。夫は俳優・声優の村井國夫、妹は元女優の音無真喜子。 服飾業を営む両親の6人姉妹の四女として生まれる。 頌栄女子学院高等学校卒業。在学中の1966年に幼なじみの地井武男の勧めで劇団若草に入団。1967年、『これが青春だ』最終回でデビュー。続けて『でっかい青春』ではレギュラーとなる。 1971年、『お登勢』の主演に抜擢される。TBSホームドラマに数多く起用され、石井ふく子および橋田壽賀子作品の常連役者(石井組)として活躍。 1975年、村井國夫と結婚。
横山 修二(よこやま しゅうじ、1949年12月26日 - … 横山 修二(よこやま しゅうじ、1949年12月26日 - )は、日本の経営者。サンテレビジョン社長を務めた。大阪府出身。 1972年に京都大学経済学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社した。2006年に取締役に就任し、2009年6月には常務に就任。2009年6月から2014年6月までにサンテレビジョン社長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
柴田 昌弘(しばた まさひろ、1949年12月26日 - )… 柴田 昌弘(しばた まさひろ、1949年12月26日 - )は、日本の元漫画家。 妻は漫画家の市川ジュン。2015年より京都精華大学ストーリーマンガコース教員。 三重県松阪市出身。成蹊大学卒業。 「別冊マーガレット」(集英社)1973年6月号に掲載された「白薔薇の散る海」でデビュー(投稿3作目)。投稿時代より鈴木光明主宰の「三日月会」に入会した縁で仲間となった和田慎二のアシスタントをデビュー後に一時期務める。少女漫画にメカニックやハードなSF・サスペンスの要素を大いに取り込み、人気を博した。少年漫画を経て、青年漫画を中心に活動していた。代表作に『紅い牙 ブルーソネット』など。 浅香晶原作の「スーパー★ノバ」シリーズなどライトノベルの挿絵も複数担当している。
渡辺 秀樹(わたなべ ひでき、1948年12月26日 - )… 渡辺 秀樹(わたなべ ひでき、1948年12月26日 - )は、日本の家族社会学者、慶應義塾大学名誉教授、帝京大学教授。 新潟県糸魚川市出身。1967年新潟県立糸魚川高等学校卒業、1968年東京大学理科二類入学、1972年東京大学教育学部教育学科教育社会学コース卒業、1978年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部社会学科助手、1983年電気通信大学助教授、1990年慶應義塾大学文学部助教授、1995年教授。2014年定年退任、名誉教授、帝京大学文学部教授。2010-13年日本家族社会学会会長。日本学術会議連携会員。
浦 雅春(うら まさはる、1948年12月26日 - 202… 浦 雅春(うら まさはる、1948年12月26日 - 2023年7月19日)は、日本のロシア文学者、東京大学名誉教授。 大阪府生まれ。大阪府立旭高等学校卒、1971年神戸市外国語大学外国語学部ロシア語科卒業。1983年、早稲田大学露文科大学院博士課程中退。1987年東京工業大学助教授。1994年東京大学教養学部助教授、1996年教授。2013年定年退任、東京大学名誉教授。 2023年7月19日に脳出血のため東京都八王子市の病院で死去、74歳没。
釜 和明(かま かずあき、1948年12月26日 - )は、… 釜 和明(かま かずあき、1948年12月26日 - )は、日本の経営者。IHI社長を務めた。長崎県北高来郡森山村(現在の諫早市)出身。 長崎西高校を経て、1971年に東京大学経済学部を卒業し、同年に石川島播磨重工業に入社。2005年6月に取締役常務執行役員、2007年4月に代表取締役社長兼最高経営執行責任者に就任。2012年4月から2016年4月までに会長を務めた。
大河原 邦男(おおかわら くにお、1947年12月26日 -… 大河原 邦男(おおかわら くにお、1947年12月26日 - )は、日本のメカニックデザイナー。日本のメカニックデザイナーの草分け的存在で、『機動戦士ガンダム』に登場するモビルスーツのデザインで知られる。 東京都稲城市出身。息子はアニメーターの大河原烈[要出典]。 日本のアニメーション作品で初のメカニック専門のデザイナー。代表作は『科学忍者隊ガッチャマン』、『ヤッターマン』をはじめとするタイムボカンシリーズ、『機動戦士ガンダム』とそのシリーズ、『装甲騎兵ボトムズ』、『勇者王ガオガイガー』を含む勇者シリーズなど多数。特に『機動戦士ガンダム』が起こした大ブームにより、自身の名前と「メカニックデザイナー」という職種が社会に認知された。
森池 日佐子(もりいけ ひさこ、1947年12月26日 - … 森池 日佐子(もりいけ ひさこ、1947年12月26日 - 2024年8月20日)は、日本のオペラ歌手、声楽家。武庫川女子大学名誉教授。ヴォイスアーツ元代表。香川県出身。 オペラではカルメン役を好み、幾度となく演じた。女性学への造詣が深く、女性学的な視点からオペラを再解釈した公演をたびたびおこなった。 教育者としてもその功績は大きく、多くの音楽家を世に輩出した。NPO法人ヴォイス・アーツを立ち上げ、多くの音楽家に活躍の場を提供するとともに、西宮市における音楽文化の普及に努めた。 「カルメンは語ることができるのか」『ジェンダー学を学ぶ人のために』(2000年、世界思想社) この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
首くくり栲象(くびくくりたくぞう、1947年12月26日 -… 首くくり栲象(くびくくりたくぞう、1947年12月26日 - 2018年3月31日)は、日本のパフォーマー、アクショニスト、俳優。本名は古沢 守。旧芸名は古沢 宅、古澤 宅、古澤 栲。群馬県安中市出身。 高校卒業後、演劇を目指して18歳で上京。風倉匠、松澤宥、高松次郎らの薫陶を受け、ハプニング等のパフォーマンスを行う。 1969年より「首吊り」のパフォーマンスを開始。1971年には天井桟敷館にて、首吊りパフォーマンスを用いた作品『a'』を発表した。しかし首吊りパフォーマンスは体への負担が大きく、後年再開するまで20年ほど行わない時期があった。 1997年、50歳を目前にして「毎日首吊りをする」ことを決意。
近江 友介(おうみ ゆうすけ、1946年12月26日 - )… 近江 友介(おうみ ゆうすけ、1946年12月26日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションはFW(左ウイング)。 都内の小学校入学後すぐに群馬県前橋市に転居。小学4年生のときに埼玉県浦和市(現さいたま市)に転居した。浦和市立高等学校3年次に主将として日高憲敬や鈴木保らと共に1965年度の高校選手権優勝に貢献。法政大学を経て1970年に日立製作所に入部。同年に日本代表に選出され、1970年のアジア競技大会など、国際Aマッチ5試合に出場した。
尾崎 英外(おざき ひでと、1945年12月26日 - )は… 尾崎 英外(おざき ひでと、1945年12月26日 - )は、日本の実業家。初代トヨタファイナンシャルサービス代表取締役社長を経て、あいおいニッセイ同和損害保険代表取締役会長。
十市 勉(といち つとむ、1945年12月26日 - )は、… 十市 勉(といち つとむ、1945年12月26日 - )は、日本エネルギー経済研究所顧問、多摩大学経営情報学部客員教授。理学博士。専門はエネルギー、地球環境問題。大阪府出身。 原発再稼動を推進している。関西電力監査役として原発立地に絡む森山栄治元部落解放同盟福井県連合会書記長からの金品受領問題を知りながら報告しなかったとし、関西電力の調査で善管注意義務違反を指摘されたが、損害賠償請求は見送られた。
水島 宜典(みずしま よしのり、1945年12月26日 - … 水島 宜典(みずしま よしのり、1945年12月26日 - )は、日本の実業家。 アマノ株式会社元代表取締役専務。平成22年よりアマノビジネスソリューションズ株式会社 代表取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。