佐々木 洋一(ささき よういち、1952年3月31日 - )… 佐々木 洋一(ささき よういち、1952年3月31日 - )は、日本の詩人。 宮城県栗原郡栗駒町(現・栗原市)生まれ。1969年「詩人会議」新人賞佳作入選。1971年第一詩集『4と童と永遠に』刊。1972年詩誌「野音」創刊に参加。詩誌「方」同人、「詩人会議」に加入。1994年日本現代詩人会に加入。1996年日本詩人クラブに加入。1998年第27回壷井繁治賞受賞。宮城県芸術選奨受賞。1999年第1回白鳥省吾賞選考委員となる。2000年県芸術祭文芸賞受賞。2001年H氏賞選考委員となる。
末谷 真澄(すえたに ますみ、1951年〈昭和26年〉3月3… 末谷 真澄(すえたに ますみ、1951年〈昭和26年〉3月31日 - )は放送作家、脚本家。東京都出身。青山学院大学卒。 テレビやラジオの放送作家として活動したのち、『雨の旅人』(1992年)で小説家としてデビューし、その映画化作品『水の旅人 侍KIDS』(1993年)で自ら脚本を務めた。 ファンタジー性の強い作品を得意とする。米谷は、映像でしかできないものを考えた場合、ビジュアルが面白いものの方が良いと述べている。 『水の旅人 侍KIDS』をはじめ、石井竜也監督作品や平成モスラシリーズなど、エコロジーを題材とした作品を多く手掛けているが、末谷自身の思想ではなく、善悪の対立を作ることができる当時一番やりやすい題材であったと述べており、『ACRI』と『モスラ』では相反する内容を自覚的に書いている。
松村 友視(まつむら ともみ、1951年3月31日 - )は… 松村 友視(まつむら ともみ、1951年3月31日 - )は、日本近代文学研究者、慶應義塾大学名誉教授。 静岡県焼津市生まれ。1969年静岡県立静岡高等学校卒業。1974年慶應義塾大学経済学部卒業、1982年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学、1985年慶大文学部助手、1988年助教授、1998年教授。2014年日本近代文学会常務理事、2015年代表理事。同年慶大を定年退任、名誉教授。泉鏡花などを研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
饒村 曜(にょうむら よう、1951年〈昭和26年〉3月31… 饒村 曜(にょうむら よう、1951年〈昭和26年〉3月31日 - )は、日本の気象予報士、文筆家。 台風の進路予報で使われる予報円の開発者として知られる。 新潟県新潟市生まれ。新潟県立新潟高等学校を経て、1973年、新潟大学理学部物理学科卒業。気象庁に入り、予報課予報官、企画課調査官を経て、1995年の阪神・淡路大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、気象庁統計室補佐官、企画課技術開発調整官、海洋気象情報室長、福井・和歌山・静岡地方気象台長などを経て東京航空地方気象台長で退官。 気象予報士で減災コンサルタント。電気通信大学、青山学院大学、静岡大学において非常勤講師を勤め、2018年からは、ウェザーマップの予報センターで実務作業にも携わっている。
近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1… 近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1998年1月21日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督。スタジオジブリ所属。新潟県五泉市出身。妻はアニメーション色彩設計者の近藤浩子(旧名:山浦浩子)。1子あり。 高畑勲、宮崎駿両監督作品を1970年代から晩年までアニメーターとして支え続けた。 1995年の映画『耳をすませば』で初めて劇場用長編アニメーションの監督を務め、次代の日本のアニメーション、またスタジオジブリを担う作家として、演出面でも将来を嘱望されていたが、47歳で急死した。 メリハリのあるアクションから細やかな生活芝居まで手がける高い技術と、仕事に妥協を許さない姿勢、人々を見つめる温かな眼差しは、今なお後進のアニメーターに影響を与え続けている。
舘 ひろし(たち ひろし、1950年〈昭和25年〉3月31日… 舘 ひろし(たち ひろし、1950年〈昭和25年〉3月31日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター。本名、舘 廣(読み同じ)。愛知県出身。東映俳優センター、石原プロモーションを経て舘プロ所属。 愛知県名古屋市中区老松町生まれ。名古屋市立新栄小学校から名古屋市立白山中学校卒業。小学生のころは鈍臭かったため、当時は「どんくさ舘」と呼ばれていた。 愛知県立千種高等学校ではラグビー部の主将を務めた。医者になりたかったが勉強をろくにせず医大の試験に落ち、絵画が好きだったことから建築家になろうと決めた。二浪して千葉工業大学に入学。同大学の千種寮に入るがその厳しさに夜逃げし、学生の間で「夜逃げの四棟」と呼ばれる伝説となっている。
千葉マリア(ちば まりあ、1949年3月31日 - )は、日… 千葉マリア(ちば まりあ、1949年3月31日 - )は、日本の歌手・タレント。千葉県茂原市出身。本名:十枝みつ(とえだ みつ)。 1971年に「千葉マリヤ」としてシングル『薔薇の涙』でレコードデビューした。途中「千葉真利亜」名義を経て「千葉マリア」に改名し、現在に至る。 俳優の松方弘樹と愛人関係にあった際、松方との間の隠し子が報道されて、芸能界を実質追われた。また政治活動では2001年7月の第19回参議院議員通常選挙で自由連合公認の比例区で立候補したが落選している(得票数3736票)。組織委員会女性局次長を務めた。 現在は館山市に住み、女性専用依存症リハビリ施設及びハーブやさつまいもの栽培・加工・販売を行う株式会社チバマリアの代表を務めている。
古沢 憲司(古澤 憲司、ふるさわ けんじ、1948年3月31… 古沢 憲司(古澤 憲司、ふるさわ けんじ、1948年3月31日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
樽本 照雄(たるもと てるお、1948年3月31日 - )は… 樽本 照雄(たるもと てるお、1948年3月31日 - )は、日本の中国文学者。専門は清末小説。妻は中国文学者澤田瑞穂の娘。 広島県広島市生まれ。1970年大阪外国語大学外国語学部中国語学科卒業、1972年大阪外国語大学大学院修士課程修了、大阪経済大学教養部助手。1979年同助教授、1986年同教授。1996年第6回蘆北賞受賞、1999年第9回蘆北賞受賞。2002年、大阪経済大学人間科学部教授。2003年「初期商務印書館研究」で、大阪外国語大学・博士(言語文化学)。2011年に大阪経済大学を退職、同大学名誉教授。 1977年から「清末小説研究会」を主宰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
関 満博(せき みつひろ、1948年3月31日 - )は、日… 関 満博(せき みつひろ、1948年3月31日 - )は、日本の経営学者。元明星大学経済学部教授、一橋大学名誉教授。地域経済総合研究所評議員。専門は産業論、中小企業論、地域経済論。富山県小矢部市生まれ。 現場主義を標榜する。「日本の製造業が危ない…体系だった後継者育成をしなければならない」と、5年前からは全国の工業集積地などで私塾を展開。現在では13の都市・地域で塾が動いている。最新では茨城県の日立市・ひたちなか市の「ひたち立志塾」と東京都八王子市の「はちおうじ未来塾」(顧問)がある。関が塾頭などを務め、各地の塾で若手経営者にエールを送っている。 ゼミ指導学生に社会起業家の尾野寛明などがいる。
國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 -… 國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 - )は、千葉県市川市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は堀木 兼初(ほりき かねはつ)。176cm、110kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 少年時代から宮相撲に参加する相撲好きであった。1964年5月場所初土俵、1972年5月場所に十両昇進するも2勝13敗と大敗を喫し、翌場所に幕下陥落。十両在位はこの1場所に終わる。1975年9月場所限りで廃業。その後は、料理屋を経営した。
盧山 初雄(ろうやま はつお、帰化名:梅原 初雄〈うめはら … 盧山 初雄(ろうやま はつお、帰化名:梅原 初雄〈うめはら はつお〉、民族名:盧 初雄〈ノ・チョウン、朝: 노초웅、朝: 로초웅〉、1948年〈昭和23年〉3月31日 - )は、日本の武道家。極真空手道連盟 極真館の会長。段位は極真館空手道・範士九段。太氣至誠拳法・錬士七段。 極真空手界を代表する空手家の一人で、第5回全日本空手道選手権大会王者。現役時代は、下段回し蹴り、三日月蹴り、正拳突きを武器にし、「ローキックの盧山」とも呼ばれた。 埼玉県行田市大字谷郷出身。1963年(昭和38年)の高校1年の秋に大山道場へ通い始める。盧山は半年早く入門していた先輩の松永秀夫と神村榮一が同学年だったことから同期として接し振る舞う一方で、あとから入門した同学年の山崎照朝と添野義二に「先輩後輩を抜きにしてやっていかないか?」と言われても「1日でも1時間でも早く入門したほうが先輩だ」と譲らなかった。
坂井建(さかい たつ、1947年3月31日 - 2002年1… 坂井建(さかい たつ、1947年3月31日 - 2002年11月24日)は日本の大蔵官僚。名古屋国税局長、税務大学校長などを務めた。血液型はA型。神奈川県藤沢市鵠沼松が岡4丁目在住。趣味は俳句、ゴルフ。 北海道釧路市出身(父は北海道、母は山形県)。東京都立千歳丘高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を中退し、1971年4月 大蔵省入省(主計局調査課)。1976年7月 飯田税務署長。1990年7月5日 関東財務局総務部長。1992年7月7日 造幣局東京支局長。1994年7月1日 国税庁長官官房会計課長。1996年7月12日 広島国税局長。1998年7月1日 名古屋国税局長。
杉本 一文(すぎもと いちぶん、男性、1947年(昭和22年… 杉本 一文(すぎもと いちぶん、男性、1947年(昭和22年)3月31日 - )は日本のイラストレーター・銅版画家。福井県出身。 高校卒業後、浪人生活を経て専門学校「東京デザインカレッジ」に入学。卒業後同校のデザイン科で助手として勤務したが半年後グラフィックデザイン事務所に移り3年の勤務を経て、フリーのイラストレーターとして独立。主に、角川文庫の横溝正史作品シリーズの表紙を担当していたことで知られる。書籍を中心にイラストレーターとして活躍、50歳から銅版画家として活動を開始。海外でも高い評価を得る。作品の描写力は秀逸にして驚異的であり、特に光と影を操る画面構成に優れている。版画作品は現代のデューラー、レンブラントとも言われている。
富家 孝(ふけ たかし、1947年3月31日 - )は医師・… 富家 孝(ふけ たかし、1947年3月31日 - )は医師・ジャーナリスト。 大阪府北河内郡(現大阪市鶴見区)出身、大阪教育大学附属天王寺小学校から大阪教育大学附属天王寺高校を経て、1972年東京慈恵会医科大学卒業。 1975年から80年までふけ内科医院開業。1980年より医療法人富家会の初代理事長として首都圏に病院チェーンを次々に開設するも経営のつまずきから倒産。その経験から医療コンサルタントとして活動を開始する。 その後、日本女子体育大学助教授、早稲田大学講師。青山学院大学講師等を歴任。 ジャーナリストとして65冊以上の著作を発表しており、テレビやラジオ等マスコミへの露出も多い。 かつては日本ボクシングコミッションドクターを務め、新日本プロレスのリングドクターを40年以上務める。
山下 巌(やました いわお、1947年3月31日 - )は、… 山下 巌(やました いわお、1947年3月31日 - )は、日本の実業家。元ラオックス社長。中国の家電チェーン蘇寧電器への傘下入りを決め、業績が悪化していたラオックスの再建を図ったことで知られる。 熊本県生まれ。長崎市立梅香崎中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、長崎大学経済学部卒業。1969年に松下電器産業へ入社するがわずか一年で退社。1970年にナカウラへ入社し宣伝部長、営業部長を歴任。1988年に取締役、1997年に常務取締役営業本部長に就任。1998年にナカウラがラオックスの傘下に入ったことを受けて、2000年ラオックス入社。広報部長、執行役員広報IR室長を経て、2007年同社代表取締役社長に就任した。
大橋 正春(おおはし まさはる、1947年3月31日 - )… 大橋 正春(おおはし まさはる、1947年3月31日 - )は、日本の最高裁判所判事(2012年2月13日 - )、弁護士。東京都出身。
渡辺弘二(わたなべ こうじ、1947年3月31日 - )は、… 渡辺弘二(わたなべ こうじ、1947年3月31日 - )は、日本のファッションデザイナー。東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 父は銀座の「壱番館洋服店」創始者(渡辺實)。慶應義塾大学卒業後、渡欧。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業後、「ラシャース」にて修業。グラン・シュミエール(パリ)でデッサンを学び、1972年帰国。同年クチュールメゾンを設立。 国内外の皇族、各国大使夫人、政財界夫人、著名人に愛用者が多い。また、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾横浜初等部、富山国際大学付属高等学校、浜松学芸中学校・高等学校などの学校制服のデザインも手がけている。 吉善商会と契約し、「コージワタナベ スクールユニフォーム」を発表。
ジョー 小泉(ジョー こいずみ、本名:小山 義弘(こやま よ… ジョー 小泉(ジョー こいずみ、本名:小山 義弘(こやま よしひろ)、1947年3月31日 - )は、日本のボクシング評論家、ボクシングのマッチメーカー兼トレーナー、ボクシング番組解説者、ボクシング誌記者。兵庫県神戸市出身。国際ボクシング名誉の殿堂博物館、世界ボクシング殿堂入り。 ペンネームの由来は、小泉信三元慶大塾長の著書に感動したことと、フランツ・カフカの小説の主人公の名前から。 神戸市兵庫区西出町に生まれる。先祖は広島藩の御納戸役であったという。祖父も父もエンジニアで父は戦前、皇太子の近衛兵として東京に召集されたが、広島への原爆投下により実家が壊滅。広島に居た親族のほとんどが亡くなり、姉のいた神戸で途中下車しそのまま住みついた。
菅原 公一(すがわら きみかず、1947年3月31日 - )… 菅原 公一(すがわら きみかず、1947年3月31日 - )は、日本の経営者。北海道滝川市出身。 1970年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社した。2000年6月に取締役に就任し、2003年6月に常務を経て、2008年4月に社長に就任。2014年4月に会長に就任。 2012年6月にベルギーのレオポルド勲章コマンドール章を受章。
若林 清造(わかばやし せいぞう、1947年3月31日 - … 若林 清造(わかばやし せいぞう、1947年3月31日 - 2022年8月10日)は、日本の経営者。時事通信社社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1970年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に時事通信社に入社した。2004年に取締役に就任し、2005年6月に社長に就任。2008年6月に社長を退任。 2022年8月10日急性呼吸器不全のために死去。75歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
一矢(かずや、1947年3月31日 - )は、東京演芸協会及… 一矢(かずや、1947年3月31日 - )は、東京演芸協会及び落語芸術協会所属の漫談家。東京演芸協会では、現監事。本名∶中島 福雄。旧芸名は「仲一也」。 長野県飯田市出身。1973年牧野周一の紹介で、佐藤事務所の所属となり、模写漫談としてデビュー。また和田アキ子の司会者として5年間勤める。また、1982年6月19日お笑いスター誕生に西仁とのコンビVANVANで初出場を果たす。1週勝ち抜き。 現在は、相撲の呼び出しの衣装で相撲漫談を確立。また、1985年から1993年まで、読売ジャイアンツの選手のイベント司会者としても活躍した。 好田タクトのインターネットの番組、タクトの部屋の第1回目のゲストである。
福島 啓史郎(ふくしま けいしろう、1946年3月31日 -… 福島 啓史郎(ふくしま けいしろう、1946年3月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。山口県宇部市出身。
高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 202… 高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 2024年5月28日)は、日本の音楽ディレクター、音楽プロデューサー、経営者。血液型B型。 東京都大田区出身。祖父は実業家、父はマンドリン奏者の高久肇という家に育つ。明治学院大学経済学部卒業後、日本コロムビアに入社し、エイプリル・フールなどをプロデュース。1971年に、CBS・ソニーのEPIC班に移り、音楽ディレクターとして、ミッシェル・ポルナレフ、矢沢永吉、プロデューサーとして、南佳孝などを、次々にヒットさせる。その後、キティMME、ユニバーサル インターナショナル、ドリーミュージックなどの社長兼CEOを経て相談役。日本レコード協会監事。 2024年5月28日、夕暮れ前に78歳で永眠。
一井 眞比古(いちい まさひこ、 1945年3月31日 - … 一井 眞比古(いちい まさひこ、 1945年3月31日 - )は、日本の農学者。元香川大学学長。専攻は植物育種学。農学博士(京都大学、1984年)。大分県出身。2024年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
杉本 貴志(すぎもと たかし、1945年(昭和20年)3月3… 杉本 貴志(すぎもと たかし、1945年(昭和20年)3月31日 - 2018年(平成30年)4月5日)は、日本のインテリアデザイナー。デザイン事務所である株式会社スーパーポテト創業者。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科名誉教授。日本商環境デザイン協会名誉会員。 1945年3月31日に東京都中野で生まれる。 1968年に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業する。 1973年に株式会社スーパーポテトを設立し、代表取締役となる。1986年には株式会社春秋を設立して、こちらでも代表取締役に就任した。 1992年に武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授に就任した(2010年退任)。2012年に名誉教授となる。
久慈 義昭(くじ よしあき、1945年〈昭和20年〉3月31… 久慈 義昭(くじ よしあき、1945年〈昭和20年〉3月31日 - )は、日本の政治家。元岩手県久慈市長。 岩手県九戸郡侍浜村(現・久慈市)出身。1970年、獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒。同年、岩手放送に就職する。1979年、当時久慈市長であった父の久慈義巳が病死し、当時34歳であった長男の義昭が市長選に立候補、当選した。以後、6期にわたり久慈市長を務めたが、2003年の統一地方選で岩手県議5期の山内隆文に敗れた。 1991年1月、リトアニアに対するソ連の武力介入に対し、久慈市はゴルバチョフ大統領に抗議電報を送った。 その後、久慈市とクライペダ市の交流実績により、2003年2月にリトアニア共和国から久慈義昭市長(当時)にヴィータウタス大公将校十字勲章が授与された。
野田 正彰(のだ まさあき、1944年3月31日 - )は、… 野田 正彰(のだ まさあき、1944年3月31日 - )は、日本の精神科医、評論家、ノンフィクション作家。高知県出身。専攻分野は比較文化精神医学。精神病理学、文化人類学、社会学が重なる分野を研究。 パプアニューギニア、ソ連-ロシアにおける社会変動下の人々の精神病理学的研究。中国、ベトナム、東ヨーロッパにおける戦争加害者、戦争被害者の精神病理学的研究。日本の青少年、女性、中高年、老人の精神病理学的研究。災害救援学。庭園の文化論。園芸療法研究。 と批判している。この橋下の発言内容の記事に対し、光市事件の弁護団は、野田の依頼に応じ、野田が母体回帰説を唱えたとの事実、また母体回帰説を無実の根拠にしたとの事実はなく、橋下の発言内容の記事は事実に反した記載があるとの報告をしている。
西角 友宏(にしかど ともひろ、1944年3月31日 - )… 西角 友宏(にしかど ともひろ、1944年3月31日 - )は、日本のゲームデザイナー・ゲームクリエイター。株式会社タイトー アミューズメント開発部アドバイザー。株式会社ドリームス創業者・元会長。ゲーム保存協会名誉会員。 『スペースインベーダー』の生みの親として知られる。 大阪府岸和田市出身。東京電機大学工学部電気通信工学科卒業後、音響メーカーに就職。後に1969年にタイトーの子会社であるパシフィック工業に入社、吸収によりタイトーに移籍となっている。 元々、エレメカのエンジニアを務めていたが、『ポン』やCPUの存在を知った時「これからはゲームの度に部品を全て作り直すのでなく、集積回路のデータを書き換えるだけで、ゲームバランスの調整や新ゲームの作成が楽になる」というメリットを見抜いており、日本のアーケードビデオゲーム黎明期において、後述する傑作を何作も手がけた。
北村 光一(きたむら こういち、1944年3月31日 - )… 北村 光一(きたむら こういち、1944年3月31日 - )は、日本の実業家、木版仏画師。三菱アルミニウム代表取締役社長や、三菱原子燃料代表取締役社長を務めた。東京都美術館日本版画会展入賞。 東京都生まれ。1967年一橋大学社会学部卒業、三菱金属(現三菱マテリアル)入社、細倉鉱山労務管理担当配属。1998年三菱マテリアル取締役労働安全部長に昇格。同社常務執行役員人事部門長、副社長等を経て、2006年から三菱アルミニウム社長を務め、日本製箔との業務提携を行うなどした。2008年三菱原子燃料社長。 この間、木版仏画師としても活動し、2001年から2009年まで東京都美術館日本版画会展に8回入賞した。
入間田 宣夫(いるまだ のぶお、1942年3月31日 - )… 入間田 宣夫(いるまだ のぶお、1942年3月31日 - )は、日本の歴史学者、東北大学名誉教授。専門は、日本中世史。
円谷 文彦(つぶらや ふみひこ、1942年3月31日 - 2… 円谷 文彦(つぶらや ふみひこ、1942年3月31日 - 2005年2月8日)は、日本の男性俳優、声優。劇団青年座に所属していた。東京都出身。身長163cm。体重57kg。血液型はB型。
立木 正夫(たちき まさお、1941年3月31日 - 201… 立木 正夫(たちき まさお、1941年3月31日 - 2018年8月6日)は、日本の経営者。サントリー取締役を経て日本バレーボール協会第7代会長となる。地元の市政アドバイザーも務めた。岡山県高梁市出身。 1941年、岡山県高梁市生まれ。地元の岡山県立高梁高等学校を卒業後、東京大学へ入学。東大では、バレーボール部に所属していた。その後、1964年に東京大学法学部を卒業し、同年にサントリーに入社した。 サントリーでは、1987年に取締役に就任し、宣伝担当となった。1990年には、日本マーケティングジャーナルへ「マス広告への期待」と題して寄稿している。 1991年に常務を経て、2003年4月に専務に就任する。
宮崎 東洋(みやざき はるひろ、著作等では「みやざき・とうよ… 宮崎 東洋(みやざき はるひろ、著作等では「みやざき・とうよう」と称する、1941年3月31日 - )は、日本の医師・麻酔科医。疼痛(とうつう)学、麻酔一般、特に臨床疼痛学を専門とする。がん性疼痛の緩和や全身の慢性の痛みを解消するペインクリニックの第一人者。 高校時代から体操競技に才能を発揮し、同時に医学を志したことから順天堂大学医学部に入学。1965年、同医学部卒業。肉親ががん性疼痛に苦しんでいた姿に触れ、痛みを緩和するペインクリニックを専門とする。1993年、順天堂大学医学部麻酔科教授。日本ペインクリニック学会、日本疼痛学会、日本局所麻酔学会等で会長・理事などを歴任。退職後は順天堂大学名誉教授となり、東京都大手町の東京クリニック院長に就任。
岩本 繁(いわもと しげる、1941年3月31日 - 202… 岩本 繁(いわもと しげる、1941年3月31日 - 2022年3月5日)は、日本の公認会計士。アーサー・アンダーセン日本代表や、有限責任あずさ監査法人理事長、学校法人東京経済大学理事長等を務めた。 東京生まれ。1964年東京経済大学経済学部卒業。1965年12月より、尾澤修治が率いる公認会計士尾澤修治共同事務所にて勤務した。その後、尾澤が設立に参画した監査法人朝日会計社に勤務することになり、1971年10月に監査法人朝日会計社に入社した。 1976年公認会計士登録。1992年監査法人朝日新和会計社代表社員。1999年朝日監査法人理事長。アーサー・アンダーセン日本代表兼務を経て、2004年あずさ監査法人理事長。
中村 昇(なかむら のぼる、1941年3月31日 - )は、… 中村 昇(なかむら のぼる、1941年3月31日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。 富山県出身。1963年に入局。松山放送局や東京アナウンス室などで勤務していた。1976年7月27日、ロッキード事件の第1報を伝えた。
半田 百合子(はんだ ゆりこ、現姓:中島、1940年3月31… 半田 百合子(はんだ ゆりこ、現姓:中島、1940年3月31日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主力メンバー。 1940年(昭和15年)3月31日、栃木県宇都宮市大寛町に生まれる。 父の転勤により栃木県栃木市に転居し、栃木市立栃木南中学校でバレーボールを始めた。 栃木県立栃木女子高等学校時代は全く無名の選手だった。 高校卒業後、1958年に日紡(現・ユニチカ)に入社し、日紡東京で頭角を現し、日紡貝塚チームの大松博文に認められ、1959年11月に日紡貝塚チームに移籍する。 大松からの激しいしごき練習内容に「殺されそう」「もう辞めよう」と退部を申し入れながらも、大松からの慰留もあり最後までへこたれなかった。
高須賀 夫至子(たかすが ふじこ、1940年3月31日 - … 高須賀 夫至子(たかすが ふじこ、1940年3月31日 - )は、日本の女優。東京府出身。一時期、高須賀 不二子名義でも活動した。 トキワ松学園高等学校卒業。俳優座養成所11期生。俳優座研究生時代に映画『胎動期 私たちは天使じゃない』に主演。 劇団新人会、六芸社に所属していた。舞台の他、映画・テレビドラマにも数多く出演した。
三井 徹(みつい とおる、1940年3月31日 - 2023… 三井 徹(みつい とおる、1940年3月31日 - 2023年2月19日)は、日本の音楽学者、英文学者。金沢大学名誉教授。 佐賀県佐賀市生まれ。福井県小浜市育ち。1964年、九州大学大学院文学研究科修了。1967年、インディアナ大学大学院民俗学研究科博士課程中退。1964年から愛知大学勤務、1969年、金沢大学講師、助教授、教授。2005年、定年退官、名誉教授。 本来の専門は英文学だが、のちに日本のアカデミズムにおけるポピュラー音楽研究の第一人者となった。国際ポピュラー音楽学会会長(1993年 - 1997年)、日本ポピュラー音楽学会会長などを歴任。ケンブリッジ大学出版局発行の「ポピュラー・ミュージック」国際顧問編集者もつとめた。
会田 千衣子(あいだ ちえこ、1940年3月31日 - )は… 会田 千衣子(あいだ ちえこ、1940年3月31日 - )は、日本の詩人。 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。『三田詩人』、吉増剛造、岡田隆彦らの『ドラムカン』、『地球』同人。1963年『鳥の町』で室生犀星詩人賞、1977年『フェニックス』で現代詩女流賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
嵐 圭史(あらし けいし、1940年3月31日 - )は、日… 嵐 圭史(あらし けいし、1940年3月31日 - )は、日本の歌舞伎俳優。 東京都武蔵野市出身。屋号は豊嶋屋。本名、寺田勝之。 高祖父は二代目嵐璃珏、祖父は四代目嵐芳三郎、父は五代目嵐芳三郎、兄は六代目嵐芳三郎。弟は声優・舞台俳優の麦人。甥は六代目河原崎國太郎と七代目嵐芳三郎。妹は文学座の寺田路恵、シャンソン歌手の広瀬節子など芸能一家の出身。劇団前進座の座員たちが共に暮らす共同住宅で初めて生まれた赤ん坊であるという。 東京都立三鷹高等学校中退、俳優座養成所出身。 前進座の活動を中心としていたが、映画などの外部出演も多い。近年では、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』など。1985年に紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。
阿部 光子(あべ みつこ、1939年3月31日 - )は、日… 阿部 光子(あべ みつこ、1939年3月31日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。東京俳優生活協同組合所属。夫は俳優・声優の安田隆(1988年死別)。 1958年、東京都立新宿高等学校卒業。1959年、劇団東芸附属研究所に入所し、1960年に劇団員となる。1966年より東京俳優生活協同組合に所属。 趣味は手芸。特技は福島弁(会津弁)。ホールヘルパーの資格を持つ。
松岡 博(まつおか ひろし、1939年(昭和14年)3月31… 松岡 博(まつおか ひろし、1939年(昭和14年)3月31日 - 2013年(平成25年)7月25日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1987年)。大阪大学名誉教授。元大阪大学副学長。帝塚山大学学長・帝塚山大学国際ビジネス法務塾塾長を歴任。弁護士(大阪弁護士会、土居総合法律事務所)。大阪市人事委員会委員長。大阪市出身。 1957年、大阪府立清水谷高等学校卒業。1961年、大阪大学法学部卒業。専門は、国際私法・国際取引法。 1970年に大阪大学法学部助教授。1974年、米ハーバード・ロー・スクール客員研究員。1981年、大阪大学法学部教授。1987年、大阪大学より法学博士の学位を取得。
川名 大(かわな はじめ、1939年3月31日 - )は、日… 川名 大(かわな はじめ、1939年3月31日 - )は、日本の俳句研究者。 千葉県(現南房総市)生まれ。千葉県立安房高等学校、早稲田大学第一文学部卒、慶應義塾大学・東京大学両大学院修士課程にて近代俳句を専攻。三好行雄、高柳重信に学ぶ。東京都立三田高等学校教諭、聖光学院中学校・高等学校(横浜市)教諭、東京都公文書館史料編纂係などを歴任した。近代俳句の軌跡を俳句表現史の視点から構築。2022年、第22回現代俳句大賞受賞。
茅原 南龍(ちはら なんりゅう、1939年〈昭和14年〉3月… 茅原 南龍(ちはら なんりゅう、1939年〈昭和14年〉3月31日-)は、 沖縄県石垣市出身の書家。本名は茅原 善元(ちはら ぜんげん)。 石垣市役所1階 コミュニティールーム 2025年12月12日(水)~16日(日) 古酒泡盛「おもろ」は2017年10月27日発売(初回出荷分300本限定) (石垣空港・空港駐車場前銘板)門標の石材は、沖縄県最高峰の地元於茂登岳麓産を使用し、毛筆の持ち味を引き出す深彫加工を施している。※石垣空港ターミナル棟正面の黒色の毛筆看板は、同郷の書家 豊平峰雲作である。 第32回全国豊かな海づくり大会 美ら海おきなわ大会開催記念碑 2013年3月16日除幕 標語「魂」(こころ) を第69代横綱白鵬関と記者会見特設会場にて合作揮毫 「満員御礼」懸垂幕揮毫 大相撲沖縄場所実行委員会 冬巡業にて題字『魂』(こころ)を第69代横綱白鵬関とともに大揮毫(動画再生) 2015年8月25日(県庁1階特設記者会見場にて揮毫)記者会見で茅原南龍が題字「魂」と書く中、 最後の部分”ム”を白鵬関が担い、観衆見守る中、場所の安全と成功祈願を込め、勢いよくー点を打ち完成した 唯一無二の入魂の書作品である。
村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月3… 村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月31日 - )は、日本の女優・詩人。身長162cm、体重50kg。 東京都出身。本名は南日英子。父は精神医学者の村松常雄、母方の祖父は田部隆次。実兄は文芸評論家の村松剛。兄の友人三島由紀夫の弟子で演劇活動を引き継いでいる。再従兄弟に当たる夫の南日恒夫(日本テレビ勤務の技師)は南日恒太郎(英語教育者)の孫。娘に女優の村松えり。 東京市淀橋区西大久保(現・東京都新宿区大久保)で誕生。学者一家の家庭に生れ、父・村松常雄の書斎で『マザーグース』『ペロー童話集』などを読み聞かされて育つ。芝居好きの祖母は英子を歌舞伎に連れていくこともあった。 日本女子大学附属豊明小学校の10歳の頃、兄・村松剛の影響で詩に親しみ、毎年夏に避暑に行く信濃追分で兄から『立原道造詩集』を買ってもらったのをきっかけに、自身も詩を書いたりするようになる。
藤本 伸(ふじもと しん、1938年3月31日 - )は、山… 藤本 伸(ふじもと しん、1938年3月31日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 山口高校では内野手、控え投手として活躍。1954年秋季中国大会県予選決勝に進むが防府高に敗退。1955年春季中国大会県予選は準決勝で豊浦高を相手にリリーフで登板するが、9回サヨナラ負けを喫する。夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。高校同期に投手の舛井真喜人(南海)がいた。 1956年に読売ジャイアンツへ入団。1年目から控え内野手として一軍に定着。1961年には、移籍した土屋正孝の後継二塁手を塩原明、増田浩らと争う。翌1962年も遊撃手、二塁手として起用され64試合に先発出場するが、1963年には出場機会が減り、同年限りで引退。
篠原 重則(しのはら しげのり、1938年3月31日 - 2… 篠原 重則(しのはら しげのり、1938年3月31日 - 2010年7月16日)は、日本の地理学者。香川大学名誉教授。 愛媛県生まれ。1960年愛媛大学教育学部卒、愛媛県立津島高等学校教諭、愛媛県立宇和島南高等学校教諭、1977年愛媛県立松山北高等学校教諭、1988年愛媛県立東温高等学校教諭、1990年香川大学教育学部助教授、91年教授、2001年定年退官、松山大学教授。1990年「四国山地における集落の変貌過程に関する地理学的研究」で筑波大学理学博士。 2010年7月16日、急性腎盂腎炎により死去。72歳没。
豊田 昌倫(とよた まさのり、1938年3月31日 - )は… 豊田 昌倫(とよた まさのり、1938年3月31日 - )は、日本の英語学者、京都大学名誉教授、関西外国語大学名誉教授。専門は、英語文体論。 1938年、岡山県岡山市生まれ。岡山大学法文学部を卒業し、京都大学大学院へ進んだ。1964年、京都大学大学院博士課程を単位修得退学。1974年から1976年までロンドン大学に留学。 帰国後、大阪大学教養部助教授に着任。その後、京都大学教養部助教授となった。同大学文学部助教授となり、1993年に教授昇進。2004年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、関西外国語大学教授として教鞭をとり、退任後名誉教授となった。関西外国語大学国際文化研究所所長を歴任。
内藤 政武(ないとう まさたけ、1938年3月31日 - )… 内藤 政武(ないとう まさたけ、1938年3月31日 - )は、第26代学校法人学習院院長(2014年(平成26年) - 2020年(令和2年))。学習院名誉院長。 旧挙母藩主・子爵内藤家14代当主内藤政恒(旧延岡藩主内藤家の当主内藤政挙の末子)を父に持つ。母は中御門経恭三女の理子。母方の祖父は侯爵中御門経恭。祖母は三井高棟の長女慶子。元外務次官・駐米大使の栗山尚一は従兄弟。 初の学習院大学卒業の学習院長。『勢いのある学習院』を標榜し、国際社会科学部の新設に代表される数々の学習院改革に尽力した。 一般社団法人霞会館常務理事、公益社団法人日本ホッケー協会副会長、公益社団法人日本オリンピック委員会監事、一般財団法人日本スポーツマンクラブ財団理事、公益財団法人日本オリンピック委員会名誉委員などを歴任。