荒川 強啓(あらかわ きょうけい、1946年5月16日 - … 荒川 強啓(あらかわ きょうけい、1946年5月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ。オフィス・トゥー・ワン所属。元山形放送アナウンサー。 北海道札幌市出身。仙台高等学校、東北学院大学法学部法律学科卒業。フジテレビ、地元の北海道放送(HBC)、山形放送(YBC)を受験した結果、YBCのみ合格。 大学卒業後の1969年4月、YBCにアナウンサーとして入社。1975年には、才能を持つ地方のDJを発掘する『飛び出せ!全国DJ諸君』でDJ賞を受賞。1982年に同社退社後、フリーアナウンサーへ転身、当初はフジテレビで活躍していた。 1985年に自身の番組を持つも1年で打ち切りにする上層部のやり方に腹を立て、その後はTBS(テレビ・ラジオ)で活躍するようになる。
田岡 明(たおか あきら、1946年5月11日 - )は、山… 田岡 明(たおか あきら、1946年5月11日 - )は、山形テレビ(YTS)の元アナウンサー。北海道美唄市出身。東洋大学卒業後、1970年の山形テレビ開局と共に入社。退社後はデジサポ山形にて顧問を務めた。 (以上は田岡がアナウンス部在籍当時の部下) この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
勝浦 修(かつうら おさむ、1946年5月8日 - )は、将… 勝浦 修(かつうら おさむ、1946年5月8日 - )は、将棋棋士、九段。2011年、引退。渡辺東一名誉九段門下。棋士番号は96。北海道紋別市出身。竜王戦1組4期、順位戦A級7期在籍。
玄武 満(げんぶ みつる、1946年5月4日 - )は、北海… 玄武 満(げんぶ みつる、1946年5月4日 - )は、北海道芦別市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士、現タレント。本名は栗原 満(くりはら みつる)。最高位は東十両7枚目(1973年5月場所)。身長175cm、体重123kg。得意技は右四つ、寄り、押し。 高校2年の時に知人から立浪部屋所属の大島親方(元前頭・若浪)を紹介され、再三の勧誘の結果入門を決意。高校を中退し立浪部屋に入門。1964年3月場所で初土俵を踏んだ。1973年1月場所には十両に昇進。取的時代に赤塚不二夫の智遇を得ていて、新十両に際し赤塚からバカボンのパパの絵を用いた化粧廻しを贈られて評判になった。現在では漫画のキャラクターを化粧廻しのデザインにしている力士は少なくなく、戦闘竜が『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公である両津勘吉を描いた化粧廻しを使用していたことがよく知られ、戦闘竜がその走りとされることが多いが、玄武はそれ以前の事例に当たるため、玄武はキャラクター物の化粧廻しを使用したパイオニアといえる。
岩崎 紘昌(いわさき ひろまさ、1946年5月3日 - )は… 岩崎 紘昌(いわさき ひろまさ、1946年5月3日 - )は、西洋アンティーク評論家、アンティークショップ店長。血液型A型。 北海道出身。北海道札幌南高等学校、中央大学法学部卒。 学生時代、ヨーロッパ・中近東など世界75カ国を旅行し、アンティークの魅力に取り付かれる。卒業後の1972年、アンティークショップを都内に開店、西洋アンティークの輸入販売業を始め、現在に至る。日本における西洋アンティーク研究の第一人者でもあり、著書も多い。また、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」のレギュラー鑑定士としてもお馴染みだった。 息子は珈琲抽出師の岩崎泰三。長女にスウェーデンで北欧雑貨ディット・ダット」やYouTubeチャンネル「Nord-Labo 北欧研究室」を運営するダールマン容子がいる。
山本 鉄弥(やまもと てつや、1946年4月26日 - 20… 山本 鉄弥(やまもと てつや、1946年4月26日 - 2007年1月26日)は、北海道亀田郡椴法華村出身のアマチュア野球指導者。鹿部町立鹿部中学校の監督として元プロ野球選手の盛田幸妃・元社会人野球選手の工藤寿・上野将吾・森広泰昌・競輪選手の菊地圭尚を指導し、北海道知内高等学校の監督として同校を町立高校として史上初めてセンバツ第65回大会出場に導いた。 北海道教育大学卒業後の1969年に中学校教員となり、鹿部町立鹿部中学校に赴任。高校・大学での野球経験はないながらも監督を務め、全国中学校軟式野球大会へと導く。 その後は高校教員に転じて1989年に北海道知内高等学校に赴任し、監督に就任。1990年春季北海道大会函館支部予選で初優勝を果たし、1991年秋季北海道大会函館支部予選まで6季連続支部優勝を果たす。
十勝 花子(とかち はなこ、本名:加藤 恵子、旧姓:佐藤、1… 十勝 花子(とかち はなこ、本名:加藤 恵子、旧姓:佐藤、1946年〈昭和21年〉4月25日 - 2016年〈平成28年〉8月21日)は、北海道河東郡上士幌町出身の日本の女優・タレント。愛称は「トカチン」。一女あり。 上士幌町立上士幌中学校時代は文芸部の部長を務める。北海道帯広三条高等学校商業科卒業(演劇部に所属)。 1965年に日本クラウンのコンクールに挑戦し、2位に入選。審査員だった作詞家の星野哲郎に声をかけられ、1966年にシングル曲『人生一本』で歌手デビュー。後にコロムビア・トップ唯一の女弟子となる。 『なんたって18歳!』ではイジワルな先輩・島田花江役で出演し、当たり役を得る。この役の延長線上にあるコミカルな敵役、脇役で人気を博し、70年代前半のテレビドラマでは引っ張りだこであった。
椿原 紀昭(つばきばら のりあき、1946年4月22日 - … 椿原 紀昭(つばきばら のりあき、1946年4月22日 - )は、日本の政治家。元北海道夕張郡栗山町長(3期)。旭日双光章受章。現参議院議員、元衆議院議員の鈴木宗男とは親友。
小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - … 小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - 2004年10月4日)は日本の文芸評論家。北海道増毛郡増毛町出身。 中学卒業後に集団就職で上京し蒲田の町工場で働くも、父の死を挟み進学を志して、その年に帰郷。北海道増毛高等学校を経て、法政大学文学部日本文学科卒業。1975年、同大学院修士課程修了。小田切秀雄に師事。 大学院在学中から「週刊読書人」の編纂に携わり、1986年退職。その後、法政大学や日本ジャーナリスト専門学校などで教鞭を取る。1995年、『終焉からの問い』で第3回ながらみ書房出版賞受賞。評論は小説だけに限らず、短歌、俳句も積極的に対象とした。 2004年、肺がんのため東京都立川市の病院で死去。
上村 邦夫(かみむら くにお、1946年3月18日 - 20… 上村 邦夫(かみむら くにお、1946年3月18日 - 2004年6月25日)は、囲碁の棋士。北海道北見市出身。日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。 タイトルには恵まれなかったが、高木祥一、石田章とともに「無冠の三強」と呼ばれた。
好川 之範(よしかわ ゆきのり、1946年3月3日 - 20… 好川 之範(よしかわ ゆきのり、1946年3月3日 - 2020年7月29日)は、日本の歴史家、幕末史研究家。北海道出身。 会津藩士好川範之丞の玄孫であり、旧斗南藩領藤坂村(現青森県上北郡十和田市)村長好川範之助の曾孫。本名は、克美。 札幌市生まれ。札幌光星高等学校、駒澤大学経済学部卒業。札幌市役所に勤務し札幌市環境計画部長、札幌市教育文化会館館長、札幌市民芸術祭実行委員会事務局長を歴任。 幕末明治史研究を専門とする。日本ペンクラブ会員。日本文芸家協会会員。新選組友の会会員。北海道幕末維新史研究会副代表。 2020年5月に倒れ、7月29日に死去。
坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日… 坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日 - )は、北海道釧路市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は福本 文一(ふくもと ぶんいち)。175cm、112kg。最高位は西十両12枚目。得意技は突き、押し、諸差し、寄り。 若い頃から柔道、相撲と盛んに行った。また四股名は相部屋で同郷の大吉田(のちの乾龍初太郎)とともに知人作家に付けてもらったもの。1961年5月場所初土俵、1972年11月場所に十両昇進するも、在位はこの1場所に終わる。1973年11月場所限りで引退。引退後は料理屋を経営。
中島 正一(なかじま しょういち 、1946年〈昭和21年〉… 中島 正一(なかじま しょういち 、1946年〈昭和21年〉2月13日 - 1991年〈平成3年〉1月?)は、日本の海洋冒険家、水泳指導者。北海道福島町出身。 津軽海峡を単独で泳いで渡った初めての人物。世界の21海峡を泳破し、遠泳への認識を世間に広げた。 1946年2月13日、津軽海峡に面する松前郡福島町に生まれる。中学・高校時代は相撲部に所属し、大相撲力士を目指した。しかし体が小さく、角界に進むことは断念した。 国士舘大学へ進学後、水泳に転向した。 大学3年生だった1967年(昭和42年)8月27日、津軽海峡の横断に挑戦した。北海道最南端にある福島町の白神岬を出発し、南へ約19.6km対岸にある青森県の龍飛岬を目指した。
杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は… 杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 北海道小樽潮陵高等学校→早稲田大学→国鉄北海道 1968年グルノーブルオリンピックの代表に選ばれたものの、競技では補欠に回り出場しなかった。
当銀 秀崇(とうぎん ひでたか、1946年2月1日 - )は… 当銀 秀崇(とうぎん ひでたか、1946年2月1日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(外野手)。 札幌商業高校では1年生の時、背番号14の控え選手ながら1961年の夏の甲子園に出場。1回戦で大社高の若月宏之投手(立大-全大丸)に抑えられ1-9で大敗。 1962年はエースとして秋季北海道大会決勝に進むが、北海高の吉沢勝と投げ合い完封負け、春の選抜出場を逸する。 1963年春季北海道大会決勝でも北海高に敗退。同年夏も南北海道予選で敗れ、甲子園には届かなかった。 卒業後は駒澤大学へ進学。東都大学野球リーグでは1年生からレギュラー外野手となり、1964年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも、高校の先輩である盛田昌彦投手(北海道拓殖銀行)を擁し、決勝で早大を破り優勝。
田代 和生(たしろ かずい、女性、1946年1月25日- )… 田代 和生(たしろ かずい、女性、1946年1月25日- )は、日本の歴史学者。専門は近世の日朝関係史。慶應義塾大学名誉教授。紫綬褒章受章者。文化功労者。日本学士院会員。 北海道札幌市出身。1968年中央大学文学部卒、同大学院修士課程修了、慶應義塾大学大学院博士課程満期退学。 1979年「近世日朝通交貿易史の研究」で、中央大学より文学博士の学位を取得。慶應義塾大学経済学部助教授、1981年博士論文を公刊したものにより日経・経済図書文化賞、1982年に義塾賞受賞、1988年慶大教授、1989年同大文学部教授、1993 - 1997年には国際日本文化研究センター運営評議員、2011年慶應義塾大学を定年退任、名誉教授。
鈴木康司(すずき こうじ、1946年1月19日 - )は日本… 鈴木康司(すずき こうじ、1946年1月19日 - )は日本の大蔵官僚、弁護士。血液型はB型。 北海道小樽市出身(父母も北海道)。北海道小樽潮陵高等学校、東京大学法学部卒業。1968年4月 大蔵省入省(国有財産局総務課)。同年6月 理財局国有財産総括課。1973年7月 潮来税務署長。1995年6月20日 関東財務局長。1996年1月5日 退官。1997年1月 (株)内外政策研究会代表。2002年に弁護士登録。2015年6月 越後交通(株)社外取締役。
平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は… 平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は、日本の実業家。小僧com取締役会長。群馬県みなかみ町在住。株式会社ライブドアホールディングス代表取締役社長、弥生株式会社代表取締役会長、株式会社セシール取締役、小僧com代表取締役会長などを歴任した。 1946年1月6日北海道函館市で生まれ、埼玉県立大宮高等学校を卒業して早稲田大学第二文学部を中退し、1973年にアメリカン大学コミュニケーション学部ジャーナリズム学科を卒業した。在学中に読売新聞ワシントン支局でアルバイト勤務して渡邉恒雄と知り合う。 1973年ソニー株式会社、1973年から1978年ソニーコーポレーション・アメリカ、1978年から1983年ソニー本社海外事業部、1983年から1986年ソニーPC事業部、1986年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン、1986年から1990年パブリッシングディレクター、1990年から1992年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン副社長、1992年株式会社IDGコミュニケーションズジャパン代表取締役社長、1998年AOLジャパン株式会社代表取締役社長America Online, Inc.副社長、2000年インテュイット日本法人株式会社代表取締役社長兼CEO インテュイット副社長。
石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日… 石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日本の実業家。東海東京フィナンシャル・ホールディングス代表取締役社長、東海東京証券代表取締役会長。元中部経済同友会代表幹事。 北海道函館市で船員の子として生まれる。北海道函館中部高等学校を経て、1968年小樽商科大学商学部卒業、東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行、内田橋支店配属。1980年加州東海銀行出向。1987年国際財務開発室長。1992年欧州東海銀行頭取。1994年東海銀行取締役。1996年東海銀行常務取締役。1998年東海投信投資顧問取締役社長。2001年欧州東海銀行会長。2002年UFJインターナショナル会長。2003年UFJインターナショナル社長。
伊吹 吾郎(いぶき ごろう、1946年1月2日 - )は、日… 伊吹 吾郎(いぶき ごろう、1946年1月2日 - )は、日本の俳優・タレント・司会者。本名:伊吹 勝敏。北海道爾志郡熊石村出身。身長175cm、血液型O型。北海道釧路工業高等学校卒業、国士舘大学工学部中退。長男は伊吹康太郎。孫はプロボクサーの伊吹遼平(娘の息子)。2025年8月1日からテンダープロに所属。 1965年に日本映画テレビ演劇学院に入所、1966年第7期生東宝ニューフェイス入り、東宝俳優養成所に入所。1968年にフリーとなり、テレビドラマ『さむらい』でデビュー。 1969年、テレビ時代劇『無用ノ介』のオーディションを受け、主役に抜擢される。作者のさいとうたかをは伊吹について「風貌があまりに劇画的」だったと語っている。
乾龍 初太郎(けんりゅう はつたろう、1946年1月2日 -… 乾龍 初太郎(けんりゅう はつたろう、1946年1月2日 - )は、二所ノ関部屋、押尾川部屋に所属した元力士。引退後は世話人に就任した。本名は吉田 初太郎(よしだ はつたろう)。現在の北海道北見市出身。181cm、110kg。最高位は西十両5枚目。得意技は押し、寄り、内掛け。 1964年3月場所に初土俵。1974年1月場所に十両昇進、1976年に押尾川部屋独立の際に移籍する。1978年3月場所限りで引退し、以後世話人に転じた。押尾川部屋閉鎖の際に、尾車部屋に移籍した。2011年1月停年退職。
槇 大輔 (まき だいすけ、1946年1月1日 - )は、日… 槇 大輔 (まき だいすけ、1946年1月1日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。北海道出身。シグマ・セブン所属。 小学生の時に担任の教師をあだ名で呼んで叱られ、物置に閉じ込められる。その時に発生した洞爺丸台風でNHKの台風情報を聴いていた父が「こういう情報を伝える仕事ってありがたいな。もし、おまえの声がラジオから流れてきたら嬉しいなぁ。」と言っており、「名誉挽回を図るにはこれしかない!」と勝手に思い込んでナレーターを志す。 函館ラ・サール高等学校、学習院大学経済学部卒業。 かつては東京俳優生活協同組合に所属し、1988年にシグマ・セブン創立に参加。2006年までシグマ・セブンの取締役を務めた。
大西 重成(おおにし しげなり、1946年 - )は日本のイ… 大西 重成(おおにし しげなり、1946年 - )は日本のイラストレーター、造形作家。北海道津別町出身。 1972年よりイラストレーターとして活躍。1979年にはハービー・ハンコック「Feets, Don't Fail Me Now」や坂本龍一「サマー・ナーヴス」のレコードジャケットのデザインを手がける。また、1990年から1995年までモスバーガー小冊子「モスモス」の表紙や本文イラストを担当し、一部は発行数が80万部に達した。その他、『ひらけ!ポンキッキ』のオープニングタイトルなど数多くのデザインを手がけている。 2001年津別町相生に私設美術館、シゲチャンランドを開設、廃材を素材とした作品を展示している。
木下 大門(きのした だいもん、1946年 - )は、日本の… 木下 大門(きのした だいもん、1946年 - )は、日本のイラストレーターで、昭和時代終期から活躍する浮世絵師。 1946年、北海道弟子屈町生まれ。弟子屈高校を卒業後、18歳の時に上京して、20歳で独立「もんあみ」というペンネームでイラストレーターとして活躍していた。その後、1980年、中国北京にある栄宝斎という木版画工房を見学、浮世絵師として立つ決意を固めた。明治以来80年の間途絶えていたが、江戸時代の先人の浮世絵作品から錦絵の型を独学し、勝川春章、勝川春英ら勝川派の絵を踏襲、伝統的浮世絵作品を制作した。1985年1月の新・両国国技館落成時にはそのこけら落とし初日前日、当時の相撲博物館館長で元武蔵川理事長の市川さんの「錦絵は相撲に相応しいので復活したい」という一声で相撲浮世絵の復興を願って筆を持つこととなり、財団法人日本相撲協会の認可を得て大相撲錦絵の絵師として版元の京都版画院と提携、多くの作品を展開している。
鴫原 正世(しぎはら まさよ、1946年 - )は、日本の教… 鴫原 正世(しぎはら まさよ、1946年 - )は、日本の教育者。 光塩学園女子短期大学の学長である。管理栄養士の肩書きをもっている。北海道網走市出身。
東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) … 東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) - )は、日本の実業家。東原興産代表取締役社長、札幌ばんけい代表取締役社長、太陽育成会理事長。 北海道深川市生まれ。札幌光星高等学校を経て、1966年(昭和41年)札幌短期大学商学科卒業。当初はトランペット奏者を志していたが、22歳のときに父が急逝し、家業の土建業を継ぐ。しかし結局会社は2年後に倒産してしまい、昼間はダンプカーの運転手、夜はススキノでトランペットを吹き、夜中にまたダンプカーで土砂運びという生活を30代後半まで続けた。 1988年(昭和63年)パチンコ産業の太陽グループ代表取締役社長・太陽流通代表取締役社長。1994年(平成6年)東原興産代表取締役社長。
魚井一由(うおい かずよし、1946年(昭和21年) - 2… 魚井一由(うおい かずよし、1946年(昭和21年) - 2008年(平成20年)[要出典])は日本の言語研究者。法廷通訳人。 北海道函館市生まれ。函館ラ・サール高等学校卒業。大阪外国語大学卒業。先生と呼ばれることを特に嫌っていて、親しく関わっていた人たちは「魚井ちゃん」「うーさん」と呼んでいた。 北海道滝川市にある國學院大學北海道短期大学部等でアイヌ語の教鞭をとった。他に大阪外国語大学、北海道教育大学旭川校等でもアイヌ語、アイヌ文化の指導を行っていた。旭川医科大学ではロシア語担当講師でもあった。旭川市博物館のアイヌ語辞書編纂担当嘱託でもあった。 1991年頃、旭川市内で「言葉の門」という英語塾を開いていた。
田村 政志(たむら まさし、1946年または1947年 - … 田村 政志(たむら まさし、1946年または1947年 - )は、日本の自治・総務官僚、地方公務員。北海道副知事、自治大学校長、総務省行政評価局長を歴任。瑞宝中綬章受章。 函館ラ・サール高校卒業、自治省入省、財政局財政課理事官、1988年 (昭和63年) 9月 同課企画官、1989年 (平成元年) 8月 山梨県庁に出向し総務部長、自治省に帰任し財政局交付税課長、1994年7月 北海道庁に出向し片木淳の後任として総務部長、1995年5月 鈴木弘泰の後任として林陽とともに北海道副知事。道東高速鉄道代表取締役社長を兼務。1997年6月 丸山達男と真田俊一を後任として林とともに副知事を辞職。自治省に帰任し大臣官房参事官を経て財政局地方債課長、1998年1月 財政局財政課長、1999年8月 国土庁に出向し長官官房審議官(防災局担当)。
向田 直範(むかいだ なおのり、1946年 - )は、日本の… 向田 直範(むかいだ なおのり、1946年 - )は、日本の法学者。弁護士。専門は、消費者法・経済法。北海学園大学名誉教授。小樽市出身。 小樽緑稜高校、1970年小樽商科大学商学部卒業。1973年北海道大学大学院法学研究科修士課程修了、1976年北海道大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学(指導教授:丹宗暁信)。 1976年北海学園大学法学部講師に就任。1979年同法学部助教授。1989年同法学部教授。2002年同学生部長。2008年同法学部長。2015年北海学園大学定年退職。同名誉教授。 2015年弁護士登録。同大学院法学研究科非常勤講師・同法科大学院非常勤講師(「消費者と法」担当、2019年まで)。
中原 准一(なかはら じゅんいち、1946年 - )は、日本… 中原 准一(なかはら じゅんいち、1946年 - )は、日本の農業経済学者。農学博士(北海道大学)。専門は、農業経済学、農業市場論。札幌大谷大学特任教授。北海道富良野市出身。 1964年北海道富良野高等学校卒業。1968年弘前大学文理学部卒業。1973年(昭和48年)北海道大学大学院農学研究科博士課程修了(恩師:川村琢)。同年、酪農学園大学酪農学部助手。1974年(昭和49年)酪農学園大学酪農学部農業経済学科講師。その後、1984年に酪農学園大学酪農学部農業経済学科助教授。1991年同酪農学部教授。1992年デンマーク王立獣医農業大学に留学。1998年酪農学園大学環境システム学部開設に伴い経営環境学科教授。
岩佐 茂(いわさ しげる、1946年 - )は、日本の哲学者… 岩佐 茂(いわさ しげる、1946年 - )は、日本の哲学者。一橋大学名誉教授。専門は社会哲学、環境思想。マルクス主義、ヘーゲル哲学等の研究を行い、日本科学者会議事務局長、『日本の科学者』編集委員長、マルクス研究会共同代表等を務めた。 北海道旭川市生まれ。1969年北海道教育大学旭川分校卒業、1971年北海道大学大学院文学研究科修士課程修了、文学修士。1973年同博士課程中退、同大学文学部助手、1977年北見工業大学講師、1979年同助教授、1989年一橋大学社会学部教授、1996年一橋大学大学院言語社会研究科教授、2000年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻教授(社会文化研究(社会哲学))、2010年定年退職、一橋大学名誉教授。
高田 純(たかだ まこと、1946年 - )は、日本の哲学者… 高田 純(たかだ まこと、1946年 - )は、日本の哲学者。札幌大学外国語学部名誉教授。専門は哲学・環境倫理学・社会思想。 北海道旭川市生まれ。1970年北海道大学文学部哲学科卒業。1975年北海道大学大学院文学研究科(哲学専攻)博士課程単位修得。1999年「実践と相互人格性 : ドイツ観念論における承認論の展開」で文学博士(北海道大学)。帯広畜産大学助教授を経て、1987年札幌大学教授。2017年札幌大学名誉教授。2018年旭川大学教授。 2017年に宮田和保の呼びかけで設立されたJR北海道研究会のメンバー。
田中 宏(たなか ひろし、1946年 - )は、日本の弁護士… 田中 宏(たなか ひろし、1946年 - )は、日本の弁護士。北海道大学大学院法学研究科特任教授や、札幌弁護士会会長、北海道弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会副会長等を務めた。 北海道小樽市生まれ。1971年北海道大学法学部卒業。1972年旧司法試験合格。1975年弁護士登録。2001年札幌弁護士会会長。2002年北海道弁護士会連合会理事長。2004年日本弁護士連合会副会長、北海道大学大学院法学研究科特任教授。2005年北海道紛争調整委員会会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山口 真史(やまぐち まさふみ、1946年 - )は、日本の… 山口 真史(やまぐち まさふみ、1946年 - )は、日本の太陽光発電の研究者。工学博士。豊田工業大学教授などを経て、同名誉教授、東京大学客員教授等を兼務。 1946年 北海道岩見沢市生まれ。 1968年、北海道大学工学部電子工学科卒、日本電信電話公社(現NTT)入社。 1978年、北海道大学工学博士。 1986年、NTT茨城電気通信研究所エネルギー部品研究室長。 1988年、NTT光エレクトロニクス研究所光機能素子研究グループリーダー。 1994年、豊田工業大学大学院工学研究科主担当教授。 2000年、宇宙航空研究開発機構客員教授。 2001年、立教大学非常勤講師。 2003年、大阪府立大学客員教授。
有田 謙二(ありた けんじ、1946年 - )は、日本のチェ… 有田 謙二(ありた けんじ、1946年 - )は、日本のチェスプレーヤー。 北海道空知郡滝川町(現・北海道滝川市)生まれ。1967年にチェスを始めた。 1970年に西ドイツのジーゲンで開催された第19回チェス・オリンピアードと1974年にフランスのニースで開催された第21回チェス・オリンピアードに日本代表選手として出場した。ジーゲン・チェス・オリンピアードでは2勝2引き分け7敗、ニース・チェス・オリンピアードでは4勝3引き分け4敗。1975年の関東チャンピオン。1976年から1980年にかけて河出書房新社から刊行された『チェス・マスター・ブックス』シリーズでは全6冊中3冊を著し、1冊の翻訳を担当した。
岡部 恒治(おかべ つねはる、1946年 - )は、日本の数… 岡部 恒治(おかべ つねはる、1946年 - )は、日本の数学者。埼玉大学経済学部教授を経て、同大名誉教授。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校を経て、1969年、東京大学理学部数学科卒業。東京大学大学院修士課程修了。 日本数学協会副会長、日本数学会教育委員会委員長などを歴任。パナソニックセンターのリスーピアの数学部門の監修も務めている。 『分数ができない大学生』(西村和雄・戸瀬信之と共編著)は有名。
伊福部 達(いふくべ とおる、1946年(昭和21年) - … 伊福部 達(いふくべ とおる、1946年(昭和21年) - )は日本の工学者。東京大学名誉教授。音響学と電子工学・医療工学の境界分野で活躍している。北海道沙流郡平取町出身。作曲家の伊福部昭は叔父にあたる。
貝澤 耕一(かいざわ こういち、1946年 - )は、NPO… 貝澤 耕一(かいざわ こういち、1946年 - )は、NPO法人 ナショナルトラスト チコロナイ理事長 1946年に生まれる。父親は、平取町議会議員も務めた貝澤正である。北海道日高支庁沙流郡平取町二風谷出身。 地元の小学校、中学校、高校に通い、酪農学園大学短期大学部に進学する。 父親より、二風谷にある農地を受け継ぎ、農業を営む。シケレペ農場を経営している。萱野茂や貝澤正と共に、二風谷ダム建設反対運動に取り組む。平取アイヌ文化保存会の事務局長に就任している。1992年3月2日の貝澤正の死去後、二風谷ダム建設差し止め訴訟の原告となる。1997年3月27日、二風谷ダムの撤去という主張をはねたものの、裁判費用は国と北海道収用委員会が負担する内容の、札幌地方裁判所の判決が実現する。
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 … 松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - 2017年11月23日)は、日本の画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 北海道北見市に生まれた。本名読み・おさふみ。北海道札幌西高等学校時代の教諭に菱川善夫がいた。東京藝術大学美術学部卒業。その後、同大学院に学んだ。 美術史家としては、今村紫紅など近代の日本画家を研究した。1983年、青梅市立美術館の開設準備に携わり、副館長などを経て2009年の退職まで務めた。並行して、実作や評論を行った。 短歌を大野誠夫に学び、歌誌「作風」を編集。1984年、大野の死により「作風」を退会。その後は無所属だった。また、句集や詩集の著作もある。
末永 進(すえなが すすむ、1945年12月8日 - )は、… 末永 進(すえなが すすむ、1945年12月8日 - )は、日本の裁判官、検察官。釧路地方裁判所長や、札幌高等裁判所部総括判事を務めた。瑞宝重光章受章。 北海道函館市松風町の時計屋の長男として生まれる。函館ラ・サール高等学校を経て、中央大学法学部在学中の1968年に旧司法試験合格。1969年中央大学法学部卒業。1971年裁判官任官、札幌地方裁判所判事補。法務省札幌法務局訟務検事、釧路地方裁判所網走支部判事、横浜地方裁判所部総括判事等を経て、2001年釧路地方裁判所所長、釧路家庭裁判所所長。2004年札幌高等裁判所民事第2部部総括判事。2016年秋の叙勲で瑞宝重光章受章。
アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1… アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1945年11月18日 – )は、アイヌ人実業家・作曲家・作詞家。別名はサンニョアイノ(考える人)、愛称はポンニー(小さな木の人)という。 「アト゚イ」は、「アトゥイ」と書くこともできるが、本人は「ト゚」を使った表記を一貫して使っている。 1945年(昭和20年)、北海道釧路支庁白糠町生まれ。アイヌ人が多く住む集落で育ち、アイヌ人のアイデンティティを持つ。母はアイヌ人、父は非アイヌ人だがアト゚イ出生前に姿を消した。小学生の頃には漁船に下働きとして乗り組み、櫓のこぎ方もそこで覚えた。アイヌの出自のために和人の子供から差別を受けることに我慢できず、小学校に通うのをやめた。
谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - … 谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - )は、北海道札幌市中央区出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。 北海高では2年次の1962年、中堅手として甲子園に春夏連続で出場。春の選抜では1回戦で御所工に敗退するが、夏の選手権では準々決勝に進み、伊藤久敏投手を擁する久留米商と対戦。先発した3年生エース松谷栄司が5回に負傷退場し、同期の吉沢秀和が急遽リリーフするが、9回に3点を取られ逆転負け。他のチームメートに1年上の中村之保遊撃手がいた。 3年次の1963年には春の選抜で吉沢の好投もあって準決勝に進み、優勝候補の早実にサヨナラ勝ち。決勝では下関商の池永正明に抑えられ0-10で大敗するが、初めて準優勝旗が津軽海峡を越えることとなった。
佐々木 憲昭(ささき けんしょう、1945年11月11日 -… 佐々木 憲昭(ささき けんしょう、1945年11月11日 - )は日本の政治家。日本共産党に所属し、衆議院議員を6期務めた。
嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020… 嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020年10月19日)は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。騎手時代はオークス通算5勝など牝馬限定競走で顕著な実績を残し、「牝馬の嶋田」「オークス男」等と称された。元騎手・元調教師の嶋田潤は実弟、元騎手の嶋田高宏は甥。 騎手の嶋田純次との血縁関係はない。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であった。嶋田は男3人女7人の10人兄弟で、上から5番目の三男として産まれる。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、3歳から馬に跨がっており、揺りかご代わりにした馬の背で寝ていて泥田に落ちたこともあった。
山中 燁子(やまなか あきこ、1945年11月6日 - )は… 山中 燁子(やまなか あきこ、1945年11月6日 - )は、日本の政治家、国際政治学教授。外務省世界津波の日特別大使。英国ケンブリッジ大学客員教授。自由民主党所属の元衆議院議員、元外務大臣政務官。旧姓野辺地(のべち)。北海道小樽市出身。夫は弁護士。
若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1945年10月26日 … 若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1945年10月26日 - 2017年2月23日)は、北海道夕張市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は千葉 重幸(ちば しげゆき)。最高位は西前頭6枚目(1967年11月場所)。現役時代の体格は177cm、88kg。得意手は左四つ、出し投げ、掬い投げ、足癖。 実家は豆腐屋で、11人兄弟姉妹の末っ子として誕生。父親は重幸が1歳の誕生日を迎える前に急逝し、母親とも、14歳の時に死に別れている。 兄や姉達は夕張炭鉱で働いていたが、中学生の頃力士になりたいと志望し、親代わりの長兄の強い反対を押し切って1960年に上京。同郷の元横綱・吉葉山が率いる宮城野部屋へ入門した。
キートン 山田(キートン やまだ、1945年10月25日 -… キートン 山田(キートン やまだ、1945年10月25日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーターである。北海道三笠市(幌内地区)出身。リマックス所属。身長176cm。血液型はA型。本名及び旧芸名は山田 俊司(やまだ しゅんじ)。
成田 賢(なりた けん、1945年10月22日 - 2018… 成田 賢(なりた けん、1945年10月22日 - 2018年11月13日)は、日本の音楽家、歌手。本名は成田 慶一。 2歳の時に満洲から博多(福岡県前原市)へ引き揚げし、5歳の時に父が他界し母方の実家がある北海道札幌市に移る。 北海道札幌北高等学校に入学し、バンド活動を始める。ある時、ジャズ喫茶で歌っていたところを大阪のバンドから加入の誘いを受けたことがきっかけで、歌手になる道を選ぶ。その後単身関西へと移り、「成田賢一」の芸名でバンド「ケーパーズ」に所属。ライブハウスでの音楽活動に加え吉本新喜劇の舞台で芝居も経験する。 その後、東京のバンド「ダークホース」での活動を経て、札幌で石間秀樹と共に「ザ・ジャローズ」を結成し活動。
中田 茂男(なかた しげお、1945年10月16日 - )は… 中田 茂男(なかた しげお、1945年10月16日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手、元陸上自衛官。 メキシコオリンピックレスリングフリースタイル・フライ級金メダリスト。
田岡 克介(たおか かつすけ、1945年10月11日 - )… 田岡 克介(たおか かつすけ、1945年10月11日 - )は、日本の政治家。北海道石狩市元市長(5期)。 北海道石狩郡石狩町(現石狩市)出身。北海高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、國學院大學文学部卒業。同年4月、石狩町役場に就職。1978年(昭和53年)4月、同町民生部課長。1980年(昭和55年)6月、同町総務部参事。途中、石狩湾新港管理組合課長に出向し、1995年(平成7年)に同町企画調整部長を経て、1996年(平成8年)3月、石狩町助役就任。1996年市制に移行後も、石狩市助役として斉藤英二市長を支えた。 斉藤市長が急病で倒れ辞職。1999年(平成11年)6月27日に行われた石狩市長選挙に出馬し、初当選。