小笠原 克(おがさわら まさる、1931年9月3日 - 19… 小笠原 克(おがさわら まさる、1931年9月3日 - 1999年12月9日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家。 北海道小樽市生まれ。北海道大学文学部卒。同大学院を経て、1961年藤女子大学助教授、のち教授。1962年、大炊絶の筆名で「私小説論の成立をめぐって」で第5回群像新人文学賞評論部門受賞。同年より『位置』を主宰、1968年、沢田誠一らとともに『北方文芸』を創刊、長く編集長の座にあった。伊藤整、小林多喜二など北海道出身の文学者のほか、野間宏など戦後文学を研究。1974年、北海道文化賞奨励賞受賞。藤女子大学教授在任中に、小樽文学館長を兼務(『小林多喜二とその周圏』著者紹介)。両職共に在任中に逝去。
山口 昌男(やまぐち まさお、1931年〈昭和6年〉8月20… 山口 昌男(やまぐち まさお、1931年〈昭和6年〉8月20日 - 2013年〈平成25年〉3月10日)は、日本の教育者・文化人類学者。東京外国語大学名誉教授、文化功労者、瑞宝中綬章受勲。位階は正四位。 1931年、北海道美幌町で9人兄弟の次男として生まれた。美幌尋常小学校、旧制網走中学校を経て、新制網走高校(現・北海道網走南が丘高等学校)に進学。1950年3月に卒業し、同年4月に青山学院大学文学部第二部仏文科に進学。在学中には、展覧会と古書店に頻繁に巡った。青山学院大学には1学期のみ通い、1951年に東京大学教養学部文化二類に入学。同学年に作曲家となる三善晃、美学者となる宇波彰らがいた。また、東京大学駒場美術研究会では、磯崎新らと親交を結んだ。
牧口 準市(まきぐち じゅんいち、1931年(昭和6年)8月… 牧口 準市(まきぐち じゅんいち、1931年(昭和6年)8月20日 - 2024年(令和6年)8月28日)は、日本の弁護士。北海学園大学出身の生え抜き法曹の一人。札幌弁護士会所属。専門は、商事全般(商法・倒産法・民事再生法)と日本法制史(明治期北海道の司法制度)。在野で北海道の法制史を研究。弁護士法人成蹊総合法律事務所の所長を務めた。 北海道古宇郡泊村出身。1949年(昭和24年)札幌地方裁判所岩内支部に事務官として入所。1960年(昭和35年)北海学園大学経済学部2部中退。札幌地方裁判所書記官などを経て、司法試験に合格。1969年(昭和44年)弁護士登録。 1979年(昭和54年)札幌弁護士会副会長。
石森 史郎(いしもり ふみお、1931年〈昭和6年〉7月31… 石森 史郎(いしもり ふみお、1931年〈昭和6年〉7月31日 - 2025年〈令和7年〉6月9日)は、日本の脚本家。エ・ネスト所属。北海道羽幌町出身。 別名義に松宮瑩子などがあるほか、資料によっては石森史朗とも表記されている。漫画家の石ノ森章太郎は母方の従兄弟。 北海道留萌高等学校を経て、日本大学芸術学部を卒業した。日大在学中に執筆した『晩鐘』がシナリオ作家協会新人シナリオコンクールに入賞する。大学卒業後の1955年に近畿広告へ入社したが、脚本家を目指すため1959年に退社した。同年、テレビ『ママちょっと来て』で脚本家デビューする。 1963年に日活へ入社し、映画『噂の風来坊』から始まり、『私は泣かない』、『あゝひめゆりの塔』などを執筆。
石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は… 石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川商業高校から旭川鉄道管理局を経て、1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。同年退団。 1956年から1964年まで旭川協会に所属した。
山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 202… 山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 2026年3月13日)は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家。 『間違いだらけの少年H』などの共著者である山中典子は二番目の妻である。 北海道小樽市で8歳まで育った。父親の仕事の関係で神奈川県平塚市に転居するが、戦争中縁故疎開で再び小樽に戻った。1944年に旧制小樽中学校(現、北海道小樽潮陵高等学校)の面接試験を受けたとき、戦争の現状を問われて「負け戦です」と答え、付き添いの教師をうろたえさせる。彼としては苦戦しているという率直な気持ちを述べたつもりだった。付き添った教師は不合格をおそれたが、結局は合格した。 日本の敗戦が決まった際、当時まだ14歳ながら敗戦を天皇に詫びるため、真剣に自決しようと考え辞世の句まで練っていたが、友人から「連合艦隊司令長官や軍司令官でもないお前が、どうして自決など考えるのか」と呆れられ「それもそうだ」と我に返ったという。
近藤 潤子(こんどう じゅんこ、1931年7月14日 - )… 近藤 潤子(こんどう じゅんこ、1931年7月14日 - )は、日本の助産師、看護師、保健師、看護学者。学位は看護学修士。天使大学大学院助産研究科特任教授、聖路加国際大学名誉教授、札幌医科大学名誉教授。 聖路加看護大学看護学部教授、札幌医科大学保健医療学部教授、札幌医科大学保健医療学部学部長(初代)。天使女子短期大学衛生看護学科教授、天使女子短期大学学長、天使大学学長(初代)、天使大学大学院助産研究科研究科長(初代)、学校法人天使学園理事長などを歴任した。 北海道虻田郡倶知安町出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
井田 恵子(いだ けいこ、1931年(昭和6年)6月21日 … 井田 恵子(いだ けいこ、1931年(昭和6年)6月21日 - 1993年(平成5年)12月1日)は日本の弁護士。元日本弁護士連合会事務総長。北海道釧路市生まれ。 1954年北海道大学法学部卒。1956年同大学院法学研究科民法学専攻修了。1958年(昭和33年)弁護士登録。1968年(昭和43年)独立して弁護士事務所を開く。1970年専修大学法学部非常勤講師( - 1973年)。1975年日本弁護士連合会女性の権利委員会委員。1977年東京女子大学文理学部非常勤講師( - 1980年)。1982年(昭和57年)拘禁二法案反対運動組織を立ち上げる。1984年北海道大学法学部非常勤講師( - 1985年)。
我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )… 我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )は、日本の地方公務員、航空実業家。北海道副知事、北海道住宅供給公社理事長、北海道空港代表取締役社長、北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長などを歴任した。日本棋院普及功労賞受賞。瑞宝中綬章受章。 北海道札幌南高等学校を経て、1954年北海道大学経済学部卒業、北海道庁入庁。1972年開発調整部参事。1977年開発調整部次長。1980年上川支庁長。1983年開発調整部長。1987年北海道副知事。1991年北海道住宅供給公社理事長。1994年北海道空港代表取締役社長。2000年北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長、北海道観光連盟会長。
末永 照和(すえなが てるかず、1931年5月26日 - )… 末永 照和(すえなが てるかず、1931年5月26日 - )は、日本の美術史学者、桜美林大学名誉教授。国際美術評論家連盟会員。 北海道釧路市生まれ。東北大学文学部美学美術史学科卒業。『美術手帖』『みづゑ』などに執筆。桜美林大学教授、名誉教授、実践女子大学教授。2002年定年退職。 1984年「ジェームズ・アンソール」で芸術選奨新人賞受賞。2013年「評伝ジャン・デュビュッフェ アール・ブリュットの探求者」で第23回吉田秀和賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
空井健三(そらい けんぞう、1931年5月16日 - 200… 空井健三(そらい けんぞう、1931年5月16日 - 2007年3月31日)は、日本の心理学者。臨床心理学・犯罪心理学専攻。 北海道室蘭市生まれ。1954年東京大学文学部心理学科卒業。1964-65年科学技術庁長期在外研究員としてニューヨークの精神分析者養成所であるポストグラジュエイト・センター・フォア・メンタルヘルスに留学。1970年「麻薬嗜癖受刑者の人格研究」で東邦大学・医学博士。 千葉少年鑑別所、法務省矯正局、法務総合研究所、八王子医療刑務所を経て中京大学文学部教授。2002年定年退職。
吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 201… 吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 2013年4月7日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 ジャンプの名門北海道小樽潮陵高等学校で本格的にジャンプを始め、早稲田大学教育学部卒業後、同和鉱業で競技を続ける。冬季オリンピックに2回連続で出場した。 初出場の1952年オスロオリンピックでは36位タイ。旗手を務めた1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは1本目9位に付けたものの2本目18位で結局13位に終わった。 全日本スキー選手権を1953年第31回、1955年第33回、1958年第36回、1960年第38回と合計4回制している。
河原 敬(かわはら たかし、1931年(昭和6年)4月11日… 河原 敬(かわはら たかし、1931年(昭和6年)4月11日 - 2011年(平成23年)4月13日)は、日本の政治家。北海道歌志内市長(3期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 北海道芦別市出身。北海道歌志内高等学校卒。歌志内市役所に入り、企画開発、財政、総務の各課長、土地開発公社理事、助役などを歴任し、1992年、歌志内市長選挙に立候補し、現職の堀内日出男を破って当選した。1996年に無投票で再選。2000年も無投票で三選した。歌志内市長は2004年まで務めた。 死没日付をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された。
能登 和夫(のと かずお、1931年(昭和6年)3月24日 … 能登 和夫(のと かずお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1994年(平成6年)8月28日)は、日本の政治家。北海道三笠市長。位階は従六位。勲五等双光旭日章。 北海道三笠市出身。1948年(昭和23年)空知農業高等学校卒、北海道三笠高等学校定時制卒。 1948年(昭和23年)三笠町役場に入り、1954年(昭和29年)三笠高等学校の定時制に入学、勤労学生となる。三笠市教育長を経て、1983年(昭和58年)三笠市長に初当選。以後、連続2期務め、1991年(平成3年)に勇退。1994年死去。死没日付をもって従六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 200… 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家・編曲家・ピアニスト・タレントである。
弟子 シギ子(てし シギこ、1931年〈昭和6年〉3月10日… 弟子 シギ子(てし シギこ、1931年〈昭和6年〉3月10日 - 2024年〈令和6年〉4月1日)は、日本のアイヌ文化伝承者。阿寒アイヌ民族文化保存会で、結成当初から中心的な役割をはたし、古式舞踊の伝承・保存に尽力した。また、伝統楽器ムックリの名手として、日本国外の口琴大会への参加をはじめ、国際交流を通してアイヌ文化を世界に紹介されるなど、アイヌ文化の振興並びに普及啓発に寄与した。 北海道川上郡弟子屈村(現在の弟子屈町)屈斜路コタンで誕生した。アイヌの生まれながら、自身はすでにアイヌ語やアイヌの風習を禁じられていたが、親戚や周囲の人々のアイヌ語やサコロベ(英雄叙事詩)などのアイヌ文化に囲まれて育った。
鈴木広(鈴木廣、すずき ひろし、1931年3月6日 - 20… 鈴木広(鈴木廣、すずき ひろし、1931年3月6日 - 2014年11月13日)は、日本の社会学者、九州大学名誉教授。 北海道函館市出身。1958年東北大学大学院文学研究科博士課程満期退学、1961年「都市研究における基礎概念」で文学博士の学位を取得。1959年九州大学文学部助教授、教授となる。1995年定年退官、名誉教授、久留米大学教授を務め、2007年退任。日本都市社会学会会長を務めた。
宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日 - 200… 宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日 - 2006年6月17日)は、日本の男性俳優、声優。北海道函館市出身。 北海道函館市出身で、父は文部省に務めており、父の再婚相手の母は島根県松江市に在住しており、小学3年生まで松江市に過ごしていた。父が東京都に転勤になり、その後は東京都で過ごしていた。 当初は医学部を目指して慶應義塾大学といった大学の入学試験に受けたが、不合格になり、父に「じゃあ先生になれ」と言われて東京学芸大学に進学。旧制中学校時代から演劇を始め、当時同大学になかった演劇部を創設している。大学卒業後、半年間は母校だった小学校で教員として就職していたが、芝居がしたかったこともあり、親には猛反対されたが、退職する。
舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年… 舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年9月17日)は、日本の俳優。本名:舟橋 澄。新東宝映画での活躍をはじめ、テレビ時代劇『新選組血風録』『燃えよ剣』の近藤勇役としても知られる。 北海道帯広市生まれ。1948年、法政大学予科在学中に、東横映画(東映の前身)の第1回ニューフェイスに合格、大学を中退して入社し、『月光城の盗賊』でデビューした。退社後は文化放送のラジオドラマなどでキャリアを積む。 劇団ひばり座を経て1950年に、東映東京撮影所の大泉演劇協団に入り、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に出演する。1952年、佐分利信に見出され、佐分利監督による『人生劇場』において青成瓢吉役を演じて注目された。
布施豊正(ふせ とよまさ、1931年- )は、日本出身の、北… 布施豊正(ふせ とよまさ、1931年- )は、日本出身の、北米で活動した自殺学者、ヨーク大学名誉教授。 札幌生まれ。札幌第一高等学校(現札幌南高校)卒。1950年戦後初の占領軍によるアメリカ留学生選抜試験に合格し渡米。1954年ミズーリバレーカレッジ卒業後、1956年カリフォルニア大学バークレー校に進学、修士号取得。61年同大学にて博士号取得。アンティオク大学、コーネル大学客員教授。1968年ベトナム反戦運動の一環として他のアメリカ人反戦教授と共にカナダに移住。フランス語系のモントリオール大学に准教授として赴任。同年12月、ノーベル委員会による特別招待で川端康成のノーベル賞授賞式に参加。1972年ヨーク大学に正教授(自殺学)として迎えられる。
末岡 外美夫 (すえおか とみお、Tomio SUEOKA、… 末岡 外美夫 (すえおか とみお、Tomio SUEOKA、男性、1931年〈昭和6年〉 - 2002年〈平成14年〉)は、日本のアイヌの星の伝承の研究者、執筆者。アマチュア天文家。 著作に『アイヌの星』『人間達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』など。北海道旭川市生まれ。 北海道旭川市出身。アイヌの古老から伝承を採録し研究。野尻抱影に絶賛され、氏の改訂版『日本の星』に紹介されている。
川田 殖(かわだ しげる、1931年 - )は、日本の哲学者… 川田 殖(かわだ しげる、1931年 - )は、日本の哲学者、倫理学者。専門は古代ギリシア哲学。 1931年、北海道網走市で生まれた。国際基督教大学の第一期生として入学し、1957年に卒業。京都大学文学部哲学科に移り、在学時代は主としてエミール・ブルンナー、 神田盾夫、田中美知太郎の薫陶を受けた。1959年に卒業し、同大学大学院に進学。1964年に博士課程を満期退学した。 その後は母校の国際基督教大学助教授に就いた。大阪医科大学助教授を経て、山梨医科大学医学部教授となった。恵泉女学園学園長を経て、2000年から2005年まで日本聾話学校校長。
久保 良彦(くぼ よしひこ、1931年(昭和6年) - )は… 久保 良彦(くぼ よしひこ、1931年(昭和6年) - )は、日本の医師、医学者。旭川医科大学名誉教授、元学長。医学博士。専門は、外科学。特に、心臓血管外科及び胸部外科。 北海道勇払郡早来町(現安平町)生まれ。苫小牧高等学校(現北海道苫小牧東高等学校)卒業後、1956年(昭和31年)北海道大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。同医学部第2外科助手を経て、1976年旭川医科大学医学部講師。その後、同医学部助教授。1988年(昭和63年)旭川医科大学医学部教授。1995年(平成7年)同副学長。1997年(平成9年)旭川医科大学学長に就任。2003年(平成15年)旭川医科大学退官、名誉教授。
坂上 孝幸(さかうえ たかゆき、1931年 - )は、日本の… 坂上 孝幸(さかうえ たかゆき、1931年 - )は、日本の工学者。北海学園大学名誉教授。専門は土木工学、土質工学(地盤工学)。北海道滝川市出身。
宮下 健三(みやした けんぞう、1930年12月10日 - … 宮下 健三(みやした けんぞう、1930年12月10日 - )は、ドイツ文学者、宇都宮大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1953年北海道大学独文科卒。北大講師、1965年金沢大学助教授、1970年宇都宮大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。
越森 幸夫(こしもり ゆきお 1930年12月10日 - 2… 越森 幸夫(こしもり ゆきお 1930年12月10日 - 2005年2月28日)は、日本の政治家。奥尻町の町長。 北海道の奥尻町で生まれる。北海道函館工業高等学校を中退。その後、1959年4月に、奥尻町議会議員となり、4期を務めた。1967年から1975年まで町議会の副議長を務め、1975年に奥尻町長になり、2001年まで7期、22年間務めた。在職中の1993年に北海道南西沖地震に遭遇し、復興に尽力した。 2001年に発注工事において収賄および競売入札妨害をした容疑のため逮捕された。これを受け、2001年3月18日に、鴈原徹が町長になった。2004年に札幌高等裁判所で執行猶予付きの有罪判決を受けた。
児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 … 児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 - 2023年(令和5年)5月31日)は日本の実業家。第3代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。位階は従三位、旭日大綬章受章。 北海道深川市生まれ。北海道立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1953年北海道大学法経学部卒業。なお、ベストセラー作家の増田俊也は大学の後輩にあたる。日本電信電話公社入社。1980年職員局長。1983年総務理事。「電電公社始まって以来の乱暴者」と評されるほどの武闘派で知られ、郵政省の公社分割案に反対し、大学の後輩にあたる郵政省の五十嵐三津雄との折衝にあたるなどした。 日本電信電話公社民営化に尽力し、1985年に日本電信電話が設立されると常務に就任し、翌年の1986年には副社長に昇格。
阿部 政康(あべ まさやす、1930年(昭和5年)11月15… 阿部 政康(あべ まさやす、1930年(昭和5年)11月15日 - 2021年(令和3年)4月2日)は、日本の政治家。北海道伊達市長。 北海道静内郡静内町(現新ひだか町)出身。北海道庁立苫小牧工業学校卒業。 1948年(昭和23年)伊達町役場に奉職し、税務課長、農政課長、水道課長、総務課長、総務部長を経て、1983年(昭和58年)伊達市議会事務局長に就任。1987年(昭和62年)伊達市長に当選した。3期務めた。 2002年(平成14年)勲五等双光旭日章受章。 2021年(令和3年)4月2日、老衰のため死去、90歳。
三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也、1930年… 三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也、1930年〈昭和5年〉11月10日 - 1996年〈平成8年〉1月8日)は、北海道上磯郡上磯町峩朗(現在の北斗市)生まれ、函館市育ちの流行歌手。愛称は「みっちゃん」「ミッチー」。 民謡で鍛えた伸びやかな高音と絶妙のこぶし回しを持ち味に、昭和30年代の日本の歌謡界黄金期をリードし、数多くのミリオンセラーを連発。販売枚数は日本人で唯一、1億枚に達したとされている、昭和歌謡界を代表する男性歌手の一人。特に全盛期の昭和30年代前半は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの絶大な人気を誇った。 セメント会社の作業員だった父は三橋が3歳の誕生日前日に落盤事故で亡くなる。
桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] … 桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] - 2020年11月16日)は、日本の政治家。元札幌市長(在任1991年 - 2003年、3期)。 1931年(昭和6年)、北海道札幌市に生まれる。札幌市立山鼻小学校、北海道立札幌第二高等学校(現:北海道札幌西高等学校)卒業。北海道大学法経学部を卒業後、札幌市役所に就職。札幌市役所では、施設局市街地開発部長、総務局財政部長、北区長、企画調整局長、教育長を歴任。1983年6月、札幌市助役に着任。 1991年、自民党・社会党・公明党・民社党の推薦を得て、札幌市長選挙に立候補。共産党推薦候補などに大差をつけて当選。初の札幌生まれの市長となる。
中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日… 中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日)は、日本の俳優。本名は中村 正昭(なかむら まさあき)。北海道札幌市出身。妻は俳優座の女優・美苗。 北海道立札幌第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科を中退。 親友から「新劇を受けたらどうだ」と助言を受け、演劇の道を志す。 1952年に俳優座養成所に第4期生として入所。同期には仲代達矢・宇津井健・佐藤慶・佐藤允らがいる。なお、このうち佐藤允、仲代、中谷の3人は、後年岡本喜八監督作品の常連として喜八一家と呼ばれるようになり、佐藤慶も2本の岡本作品に出演している。舞台のみならず、映画・テレビで存在感のある脇役として活躍した。
三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 200… 三宅 和助(みやけ わすけ、1930年9月27日 - 2004年1月24日)は、北海道夕張郡由仁町出身の元外交官。外務省外務報道官、中近東アフリカ局長、駐シンガポール特命全権大使等を歴任。
浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北… 浅田 肇(あさだ はじめ、1930年9月21日 - )は、北海道岩見沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 北海高校から立教大学へ進学し、1951年に中退して国鉄スワローズへ入団 1953年に退団し、1956年から1962年まで電電北海道でプレーした。
平野 拓夫(ひらの たくお、Takuo Hirano、193… 平野 拓夫(ひらの たくお、Takuo Hirano、1930年9月15日 - 2025年4月23日)は1953年に東京藝術大学美術学部工芸科卒業後、特許庁審査官在職中にグッドデザイン商品選定(Gマーク)制度を提案、1957年の創設にて中心的役割を果たした。1970年には、株式会社平野拓夫デザイン設計事務所(現:平野デザイン設計)を設立。現在は名誉会長。また、金沢美術工芸大学、多摩美術大学、清華大学(北京)各校名誉教授、金沢工業大学客員教授など、デザインの教育機関にて要職を務めている。日本造船学会シップ・オブ・ザ・イヤー選定委員 1930年9月15日に北海道にて生まれ、北海道函館中部高校卒業後、東京芸術大学 美術学部工芸科へ進学。
鈴木 章(すずき あきら、1930年〈昭和5年〉9月12日 … 鈴木 章(すずき あきら、1930年〈昭和5年〉9月12日 - )は、日本の化学者。 理学博士(1960年)(学位論文「ヒドロフェナンスレン誘導体の合成」)。北海道大学名誉教授、倉敷芸術科学大学特別栄誉教授。日本学士院会員。2010年ノーベル化学賞受賞。文化功労者・文化勲章受章。 パラジウムを触媒とする、芳香族化合物の炭素同士を効率よく繋げる画期的な合成法を編み出し、1979年に「鈴木・宮浦カップリング」を発表、芳香族化合物の合成法の一つとしてしばしば用いられるようになった。 北海道勇払郡鵡川町(現・むかわ町)出身。北海道江別市在住、むかわ町特別名誉町民。 1930年(昭和5年)北海道鵡川村に生まれる。
三浦 清宏(みうら きよひろ、1930年9月10日 - )は… 三浦 清宏(みうら きよひろ、1930年9月10日 - )は、日本の小説家、心霊研究者、元明治大学理工学部教授。 北海道室蘭市に出生。東京大学文学部英文学科に進んだものの学生運動で休講続きの東大を嫌って21歳で中退し渡米、聴講を含めて3つの大学に通い、アメリカ・サンノゼ州立大学卒業後、アイオワ大学ポエトリー・ワークショップ修了。ヨーロッパを巡った後、1962年、31歳で帰国。1957-1958年、アイオワ時代に米国留学中の小島信夫と知り合い、帰国して半年小島と同居。 1967年から2001年まで、明治大学助教授、教授として英語を教える。1970年、『群像』に小説「立て、座れ、めしを食え、寝ろ」を発表する。
石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月… 石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月22日 - 2006年〈平成18年〉9月18日)は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、公明党委員長(第5代)、総務庁長官(第13・14代)、公明新党代表(初代)、新進党副党首、公明党最高顧問を歴任した。実兄は参議院議員を務めた石田次男。 北海道札幌市生まれ。旧制明治中学、明治大学商学部を卒業後、聖教新聞広告部に務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から立候補し、初当選(通算10期)。公明党臨時党大会で公明党副書記長に就任し、19年に渡り務める。 1986年12月、衆参同日選挙後に行われた公明党大会で公明党筆頭副委員長に就任する。
上野 修(うえの おさむ、1930年〈昭和5年〉8月19日 … 上野 修(うえの おさむ、1930年〈昭和5年〉8月19日 - 2002年〈平成14年〉6月30日)は、日本のラジオ番組のプロデューサー。 「ドン上野」の愛称で知られていた。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校、日本大学法学部卒業。 1952年、NHK札幌放送局入局。NHKを退局した後、1954年に当時開局して間もなかったニッポン放送へ入社、編成局庶務部(効果班)に配属され、1963年まで効果音製作を主に務める。 1963年に効果部から制作部へ異動、番組制作を手がけるようになり、ニッポン放送で『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』『夜のドラマハウス』『オールナイトニッポン』の4時間スペシャル生ラジオドラマなどを手がけ話題になる。
ギリヤーク尼ヶ崎(ギリヤークあまがさき、1930年8月18日… ギリヤーク尼ヶ崎(ギリヤークあまがさき、1930年8月18日 - )は、北海道函館市出身の日本の大道芸人、舞踏家、俳優。本名は尼ヶ崎 勝見(あまがさき かつみ)。芸名の由来は自身の風貌が樺太の少数民族であるギリヤーク(近年はニヴフと呼ばれる)に似ていることから。
沼澤 康一郎(ぬまざわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまざわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。 妻は国体に出場して最優秀選手を獲得したこともあるバスケットボール選手で、次男の沼澤尚はドラマー。 ルー・ゲーリッグに憧れ、野球選手を目指す。旧制函館中では4番・一塁手として活躍し、1946年には全道大会準決勝で帯広中を17-16という大乱戦の末に降すと、決勝でも沼澤が4長短打の活躍で札幌光星中を破り戦後初優勝を飾った。戦後初出場となった夏の甲子園でも初戦で山形中を降して戦後初勝利を挙げたが、準々決勝でエース平古場昭二を擁する浪華商に敗退。
沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。
鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 - … 鍵谷 幸信 (かぎや ゆきのぶ、 1930年7月26日 - 1989年1月16日)は、日本の英文学者・詩人・音楽評論家。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て慶應義塾大学文学部英文科卒。慶應義塾大学法学部助教授、教授。現代英米文学を専攻し、「エリオット詩集」「ウィリアムズ詩集」などの翻訳や研究書を発表。西脇順三郎門下の詩人で、西脇の全集編集にも携わる。 現代美術・現代音楽、ジャズにも造詣が深く、エッセイも多数執筆、「コーシンさん」の愛称で親しまれた[要出典]。
廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930年(昭和5年)7月1… 廣瀬 量平(ひろせ りょうへい、1930年(昭和5年)7月17日 - 2008年(平成20年)11月24日)は、日本の作曲家。 北海道函館市で、日魯漁業(現・マルハニチロ)に勤める父・理喜男と、レストラン五島軒店主の若山徳次郎の長女・柳の長男として生まれる。1943年(昭和18年)市立函館中学校(現市立函館高等学校)に入学するが、翌年父の転勤に伴い樺太豊原市へ引越し、樺太庁立豊原中学校に転入。1945年(昭和20年)3月函館に戻る。終戦後、北海道立札幌第一高等学校(現北海道札幌南高等学校)へ転校。1948年(昭和23年)、北海道大学予科文類に入学、この頃から作曲を始める。教育学部へ進み、1953年(昭和28年)に卒業後、上京。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2… 左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2012年2月10日)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。血液型はA型。本名は廣田 信夫(ひろた のぶお)。劇団中芸、東京芸術座、東京俳優生活協同組合を経て、最終所属はたむらプロ。舞台芸術学院卒業。 高校卒業後に兄を頼って上京。1955年に劇団中芸入団。1959年に東京芸術座が誕生すると団員の一人となる。東京芸術座の舞台やテレビ、映画で活躍した。1979年に京都市民映画祭でテレビ部門男優賞を受賞。 結束信二作品の常連的存在で、『忍びの者』から『燃えよ剣』までの全ての作品に出演していた。特にテレビ時代劇『用心棒』シリーズは、左右田のみ同じ品田万平役でシリーズ4作全て出演した。
早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2… 早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。 田中角栄の政務秘書を23年間務めた。「日本列島改造論」の名付け親でもある。秘書辞任後は、多くの著書を出版した。 北海道函館市恵比須町出身。生家は呉服屋を営み、旧制北海道庁立函館中学校・新制北海道立函館高等学校(現北海道函館中部高等学校)を卒業。浪人生活を経て1950年に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学。早大時代の友人に行天豊雄(後の財務官)がいる。 大学時代は学生運動にのめりこみ、一時日本共産党にも入党した。1955年に同大卒業。学生の頃からいずれは新聞記者になろうと思い、新聞社の入社試験を受けるが、朝日新聞は年齢制限で受けられず、読売新聞では最終面接の13人の中の1人に残るが、前歴が前歴だけに思想調査ではねられ、名も知らぬ新聞社だった東京タイムズに拾われた。
豊岡 豊(とよおか ゆたか、1930年5月29日 - 201… 豊岡 豊(とよおか ゆたか、1930年5月29日 - 2012年11月30日)は、日本のジャズミュージシャン、ビッグバンド豊岡豊とスイング・フェイスの指揮者・バンドマスターである。 所属はジョイナスエンターテインメントであった。 北海道登別市登別温泉出身。 15歳で終戦を迎え、故郷・登別温泉町の「登別グランドホテル」が米軍に接収され、豊岡はラジオ(FEN)で初めてジャズに接し、やがてダンスホールに入り浸る毎日を送るようになった。 旧制中学校卒業後に音楽界に入り、ドラマーとして演奏家の活動を開始。1年後に東京へ行き自らのジャズバンドを結成し、在日米軍キャンプ慰問や東京都内のクラブなどでの演奏活動を展開。
見澤 俊明(みさわ としあき、1930年4月30日 - 20… 見澤 俊明(みさわ としあき、1930年4月30日 - 2008年12月29日)は、日本の法学者。専門は労働法。東ドイツを中心とする社会主義圏の労働法を研究した。札幌学院大学名誉教授。 北海道夕張郡栗山町出身。北海道大学法経学部卒業後、北海道札幌星園高等学校教諭となる。1956年に北海道大学大学院法学研究科修士課程修了。 北海道札幌星園高等学校教諭、北海道札幌石山高等学校教諭を歴任し、1968年に札幌短期大学講師に就任。1969年、同短期大学助教授、1971年に教授となる。 1973年、京都大学法学部に国内留学し、片岡曻の元で研究した。1977年の札幌商科大学教授を経て、1980年にドイツ・ベルリン大学に留学。
渡辺 省一(わたなべ しょういち、渡邊 省一、1930年4月… 渡辺 省一(わたなべ しょういち、渡邊 省一、1930年4月21日 - 2000年9月29日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党に所属し、衆議院議員(6期)、科学技術庁長官(49代)、総理府原子力委員会委員長(49代)、北海道議会議員(4期)などを歴任した。前岩見沢市長で自由民主党所属の衆議院議員の渡辺孝一は長男。 北海道美唄市で生まれる。美唄市立美唄国民学校、岩見沢中学校(現:岩見沢東高校)、中央大学経済学部卒。衆議院議員・篠田弘作の秘書を経て、1963年から北海道議会議員(美唄市選出)を4期務めた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧北海道4区から自民党公認で立候補し初当選(同じ区で自由革新同友会新人高橋辰夫も当選)。
本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2… 本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2010年10月26日)は、日本の男性実業家、アニメーションプロデューサー。北海道室蘭市生まれ、小樽市育ち。日本アニメーション株式会社代表取締役社長。 1952年、中央大学法学部卒業。 1953年、学陽書房編集部。同年本橋電機社長。 1960年、聯合広告社代表。 1967年、小谷正一の紹介で日本万国博覧会電力館担当プロデューサー。 1972年、やはり小谷の奨めでズイヨー映像社長。 1975年、日本アニメーションを設立して代表取締役社長。 『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『赤毛のアン』などの作品で知られる〈世界名作劇場〉や、『未来少年コナン』『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『HUNTER×HUNTER』などのテレビアニメ製作を手がけた。