澤井 繁男(さわい しげお、1954年1月13日 - )は、… 澤井 繁男(さわい しげお、1954年1月13日 - )は、日本の作家、評論家、エッセイスト、イタリアルネサンス文学・文化研究家、元関西大学文学部教授、放送大学(大阪学習センター)非常勤講師。本名は茂夫。 公式サイト 澤井繁男 - オフィシャルホームページ 北海道札幌市生まれ。北海道札幌南高等学校から、東京外国語大学外国語学部イタリア語学科を卒業、京都大学大学院でイタリア文学を専攻。イタリア・ルネサンス思想の権威清水純一教授に師事。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。東京外国語大学時代、第19次『新思潮』に参加して小説を書いた。伊藤整・フォークナー・パヴェーゼに私淑。1999年、東京外国語大学論文博士(学術)取得。
加藤 千恵(かとう ちえ、1948年 - 2022年4月23… 加藤 千恵(かとう ちえ、1948年 - 2022年4月23日)は、洋菓子研究家。 北海道旭川市生まれ。青山学院女子短期大学卒業。 日本航空国際線フライトアテンダントとして各国を訪れる中で洋菓子や食器に魅せられる。日本航空退社後に本格的に製菓の勉強を始める。パリのル・コルドン・ブルー、エコール・ド・リッツエスコフィエ、ドイツのボルフェンビッテル国立製菓学校(ドイツ語版)などに学び、自由が丘の自宅でお菓子教室を主宰。また週末自宅を開放してのティールーム「フレッシュ・クリーム」の主宰でもある。 2022年4月の死去後、加藤が運営していた洋菓子教室を通じて、加藤が菓子作りを通して集めて使ってきた製菓道具や雑貨などのガレージセールが行われた。
好川 之範(よしかわ ゆきのり、1946年3月3日 - 20… 好川 之範(よしかわ ゆきのり、1946年3月3日 - 2020年7月29日)は、日本の歴史家、幕末史研究家。北海道出身。 会津藩士好川範之丞の玄孫であり、旧斗南藩領藤坂村(現青森県上北郡十和田市)村長好川範之助の曾孫。本名は、克美。 札幌市生まれ。札幌光星高等学校、駒澤大学経済学部卒業。札幌市役所に勤務し札幌市環境計画部長、札幌市教育文化会館館長、札幌市民芸術祭実行委員会事務局長を歴任。 幕末明治史研究を専門とする。日本ペンクラブ会員。日本文芸家協会会員。新選組友の会会員。北海道幕末維新史研究会副代表。 2020年5月に倒れ、7月29日に死去。
館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、… 館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、日本の小説家、官能小説家、雑学研究家、エッセイスト。日本文芸家クラブ会員、日本推理作家協会会員。 北海道稚内市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業。 フリーライター、週刊誌アンカーマン(週刊プレイボーイ、週刊明星など)、フリー編集者、日本版PLAYB0Y(月刊プレイボーイ)などで生計をたてる傍らSM小説を書き、蘭光生に認められ1975年雑誌デビュー。以後、官能小説界で活動。著書は190冊(2017年6月時点)。
谷口 克広(たにぐち かつひろ、1943年4月10日 - 2… 谷口 克広(たにぐち かつひろ、1943年4月10日 - 2021年11月24日)は、日本の歴史家・戦国史研究家。専門は戦国史。織田信長についての研究・著作を多数発表し、「信長研究の大家」「信長研究の第一人者」と評される。 1943年(昭和18年)4月10日、北海道室蘭市生まれ。北海道室蘭清水丘高等学校を経て、1966年(昭和41年)横浜国立大学教育学部卒業。 東京都内の中学校教員(浜川中学校、港南中学校教諭など)や横浜市役所職員として勤務しながら、在野の研究者として歴史研究と執筆活動を行った。 岐阜市信長資料集編集委員会委員を務めていた。 2021年11月24日、室蘭市内の病院で誤嚥性肺炎により死去した。
亀渕 昭信(かめぶち あきのぶ、1942年〈昭和17年〉3月… 亀渕 昭信(かめぶち あきのぶ、1942年〈昭和17年〉3月1日 - )は、日本のラジオ・ディスクジョッキー、ラジオパーソナリティ、ポピュラー音楽研究家。 元ニッポン放送代表取締役社長(1999年 - 2005年)。日本民間放送連盟顧問。 媒体によっては、異体字で「亀淵昭信」とも表記される。 愛称は「カメ」「カメちゃん」。ラジオ局の制作スタッフと出演者を兼任し、のちに役員・社長として経営にたずさわった。社長退任後、ラジオパーソナリティとしての活動を再開した。 ゴスペル歌手でボイストレーナーの亀渕友香は妹。 北海道夕張郡由仁町出身(ニッポン放送第2代社長鹿内信隆と同郷。亀渕は後に「由仁町ふるさと大使」を務める。
白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年1… 白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年10月4日)は、日本の民俗学者、浮世絵研究家、文筆家。とくに春画の発掘と研究で知られる。 北海道空知郡北村(現・岩見沢市)に生まれる。早稲田大学文学部を中退した。現代美術のプロデュースを始め、広く美術の企画・編集に従事する。国際浮世絵学会常任理事。2000年の『浮世絵春画を読む』以来、田中優子との協同作業で春画や近世遊里に関する著作が多い。田中の『芸者と遊び』は田中著となっているが、中に、半分は白倉が書いた、とある。1999年の田中の著書『張形 江戸をんなの性』でも資料蒐集など協力し、田中が共著を申し出たが固辞されたという。 『浮世絵春画を読む』で、タイモン・スクリーチの説に反論し「春画はポルノグラフィーではなく、純粋な芸術として評価すべき」と主張したが、ポルノグラフィーの定義が曖昧だと批判を受け、次の『江戸の春画』では、ポルノグラフィーかどうかには興味がない、と書いた。
見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、… 見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、日本の元アルペンスキー選手、スキー指導者、スキージャーナリスト、スキー技術研究家。 見谷スキースクール会長。国際スキージャーナリスト協会(AIJS)会員。 戦後北海道小樽市に移る。小樽潮陵高時代、全国高等学校スキー大会の大回転で優勝する。 卒業後、早稲田大学に進み、1959年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春に次いで2位となり、翌1960年のスコーバレーオリンピッの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で53位、大回転で33位となったが、回転では失格した。 1962年には、フランス・シャモニーで開催された世界選手権と、スイス・ヴィラールで開催されたユニバーシアードに出場し、世界選手権では回転で21位、大回転で28位、ユニバーシアードでは回転で3位に入賞した。
渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺… 渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺研究家、建築家。多摩美術大学名誉教授。農学博士。全国各地の水辺、運河、用水路の研究と水空間の計画・デザインに多く携わる。世田谷区在住。 1938年、北海道小樽市生まれ。その後愛媛県で育つ。 1965年に前橋工業短期大学(現前橋工科大学)を卒業後、日本大学理工学部に進学。1967年に同校建築学科を卒業し、内井昭蔵建築設計事務所に入所。 その後東京藝術大学大学院に進学し、1972年同大学院修士課程修了後、都市計画コンサルタント創造社に勤務及多摩美術大学専任講師。1992年、同大学教授。東京農工大学より農学博士授与。論文の題は「農業用水路の再生に関する多面利用形態と空間構造の研究」。
萩中 美枝(はぎなか みえ、1927年〈昭和2年〉8月7日 … 萩中 美枝(はぎなか みえ、1927年〈昭和2年〉8月7日 - 2021年〈令和3年〉4月4日 )は、アイヌ文化研究家。夫はアイヌ出身の言語学者である知里真志保。 北海道様似郡様似村に麹製造業・萩中与三治の長女として生まれる。庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)を卒業し、郷里の国民学校で2年間、助教諭として勤務する。1948年(昭和23年)の夏、様似町の友人の家で知里真志保を紹介され、いっしょにアポイ岳に登る。知里は萩中をアイヌ語やアイヌ文化の研究に導いた。 1956年(昭和31年)8月に、北海道大学文学部に勤務していた知里から求婚され、同年秋に結婚。自身は再婚(知里は再々婚)で、前夫は知里の弟子。
秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015… 秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015年4月11日)は、日本の歴史研究家。江戸時代の探検家・松浦武四郎研究の第一人者で、北海道紋別郡遠軽町丸瀬布地域(旧丸瀬布町)の郷土史研究や、丸瀬布地域の住民有志でつくる任意団体「山脈(やまなみ)文化協会」発行の地域新聞『山脈』の編集、北海道遺産選定の蒸気機関車「雨宮21号」の動態保存などにも貢献した。 1926年(大正15年)、北海道紋別郡遠軽村ムリイ(現・遠軽町丸瀬布武利)生まれ。1940年、東京市深川区(現・江東区)の材木店の養子となったあと、陸軍少年通信兵学校を修了したが、養子先の一家が東京大空襲で全滅したため、終戦後の復員にともない出身地の丸瀬布に戻り、丸瀬布郵便局に勤務した。
浅井 淑子(あざい よしこ、1917年7月4日 - 1980… 浅井 淑子(あざい よしこ、1917年7月4日 - 1980年1月4日)は、教育者、服飾研究家、学校法人浅井学園元学園長、専門学校北海道ドレスメーカー学院初代院長、北翔大学の前身にあたる北海道女子短期大学創立者。 北海道札幌市生まれ。叔父を頼って上京し、1934年、東京国華高等女学校卒業。その後、東京女子医学専門学校に合格するも、両親に反対されて女医の道を断念。生家の家事を手伝いながら学費を貯め、1937年再上京して、1939年杉野ドレスメーカー女学院師範科卒業。同年9月、洋裁教育を通じて女子の教養を高め、専門的技術修得によって女子に経済的独立の能力を習得させることを目的として、各種学校「北海ドレスメーカ一女学園」を創設した。
木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年)… 木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年)3月11日 - 2005年(平成17年)4月)は、農業家・教育者・アイヌ史研究家・編集者。館林藩の自由民権運動家・木呂子退蔵の孫。
加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年… 加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年)7月7日 - 1997年(平成9年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。 北海道上川郡当麻町出身。屯田兵・農業、加登川春吉の長男として生まれる。旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)を経て、1930年(昭和5年)7月、陸軍士官学校(42期)218名中を皇王族(恒德王・李鍵公)を除いて9番の成績で卒業し、同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第25連隊付となる。1938年(昭和13年)5月、陸軍大学校(50期)卒業後、戦車学校教官に就任した。 その後、北支那方面軍参謀を務め、太平洋戦争時には陸軍省軍務局軍事課員(予算班)、第2方面軍、第35軍、第13軍参謀としてニューギニアの戦い、レイテ島、インドシナ、中国を転戦し中佐で敗戦をむかえる。
岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年〈明治19年〉6月… 岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年〈明治19年〉6月11日 - 1948年〈昭和23年〉10月11日)は、日本の画家・漫画家・文筆家・仏教研究家。妻は歌人・小説家の岡本かの子。長男は芸術家の岡本太郎。 義弟(妹の夫)に洋画家の池部鈞がおり、甥は俳優の池部良。 津藩に仕えた儒学者、岡本安五郎の次男で書家の岡本可亭(本名:良信(喜信)、通称:竹二郎)と母・正の長男として北海道函館区汐見町に生まれる。東京・大手町の商工中学校から東京美術学校西洋画科に進学し、藤島武二に師事する。この時美校の同級生、中井金三の仲介で大貫カノ(岡本かの子)と知り合い、後に和田英作の媒酌で2人は結婚するが岡本家に受け入れられず、2人だけの新居を構えた。