大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )… 大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )は、日本の作家、ノンフィクション作家。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。本名・小山玲子。妹に女優の大森暁美、弟に数学者の大森英樹がいる。1955年東北大学法学部卒業。NHKに入り、教育局テレビディレクター。62年結婚して退社。1972年「黎まやこ」名義「五月にー」で文學界新人賞受賞、1981年「大河の一滴」で読売「女性ヒューマンドキュメンタリー」大賞を受賞した。受賞作は夫の連れ子だった脳性まひの義理の息子を描いたもの。
水島 弘(みずしま ひろし、1932年9月11日 - 200… 水島 弘(みずしま ひろし、1932年9月11日 - 2005年6月19日)は、日本の俳優。劇団四季創設期のメンバーのひとり。宮城県仙台市生まれ。東京都出身。本名は水島 弘道(みずしま ひろみち)。 東京都立石神井高等学校、東京大学文学部仏文科卒業。 大学在学中にフランス演劇に魅せられたことから、劇団四季の結成に参加。 声優として参加した『大鉄人17』では、感情の無い巨大コンピューターであるブレインを、気品のあるバリトンで演じきった。 1993年の『オペラ座の怪人』を最後に病気療養に入り、2005年6月19日に肺炎のため、死去。 父親の岡本一(まこと)は、山口県出身で東京帝国大学卒業後、鉄道省入省、のちに西武鉄道の幹部となり堤康次郎に仕えたが、1950年に妻と8人の子を残して脳出血で54歳で死去。
守屋 洋(もりや ひろし、1932年5月19日 - )は、日… 守屋 洋(もりや ひろし、1932年5月19日 - )は、日本の中国文学者。SBI大学院大学教授。 宮城県気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校、東京都立大学 (1949-2011)卒業、同大学院中国文学科修士課程修了。中国古典の翻訳、またこれに基づくビジネス書を多く執筆。SBI大学院大学経営管理研究科教授。中国文化評論家の守屋淳は子。みなと気仙沼大使。
八島 俊章(やしま としあき、1932年(昭和7年)4月24… 八島 俊章(やしま としあき、1932年(昭和7年)4月24日 - )は、日本の実業家。元東北電力代表取締役社長。元日本電気協会会長。女川原子力発電所の設立に力を尽くしたことで知られる。宮城県出身。 宮城県出身。宮城県白石高等学校卒業。 1955年、東北大学工学部を卒業し東北電力に入社。敦賀発電所の建設に携わり、女川原子力発電所1号機の建設に関する調査を監督した。1993年、東北電力副社長に就任するも4ヶ月後に社長に昇格。1998年、藍綬褒章を受章。電気事業連合会の副会長も務める。2001年に会長に就任。会長退任後は相談役に就任し、相談役退任した後は特別顧問に就任。 2004年、MEMSパークコンソーシアム設置に際し、発起人となる。
フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月… フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月18日 - 2008年〈平成20年〉10月27日)は日本のムード歌謡歌手である。 本名は永井 清人(ながい きよと)。「魅惑の低音」と称された独特の豊かな低音を武器に、師である作曲家の吉田正(吉メロ)とともに都会的でジャズテイスト溢れるムード歌謡のジャンルを切り開き、数多くのヒット曲を世に送った。 宮城県大崎市出身。幼少時に父を亡くし、芝居小屋を経営する母に育てられる。幼少時から歌手に強い憧れがあり、旧制宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒業後の昭和26年ごろに東京へ出て就職していた兄を頼り上京し、進駐軍のキャンプ地でのトレーラー運転手、アルバイト生活を送る。
佐藤 力(さとう ちから、1932年3月14日 - 2025… 佐藤 力(さとう ちから、1932年3月14日 - 2025年2月17日)は、日本の応用物理学者・実業家。慶應義塾大学名誉教授。パデュー大学元教授。学位は博士。 1932年、宮城県仙台市生まれ。幼い頃から父(後述)に憧れて研究者を目指すようになる。宮城県仙台第二高等学校を卒業後、東京大学理科I類に入学。東京大学大学院を卒業後、慶應義塾大学にて研究者となる。同大学の助手、助教授、パデュー大学客員教授を経て、1967年に35歳で慶應義塾大学教授に就任。軍用、航空宇宙、携帯電話やwi-fiなど今日において幅広く利用されているスペクトラム拡散通信方式の研究、開発に尽力した。 1997年に慶應義塾大学を退官し名誉教授の称号を授与される。
袖井 林二郎(そでい りんじろう、1932年3月9日 - 2… 袖井 林二郎(そでい りんじろう、1932年3月9日 - 2025年2月10日)は、日本の国際政治学者、評論家。法政大学名誉教授。専門は、戦後日米関係史、国際政治史、アメリカ政治論。 宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)出身。占領期研究の第一人者。戦後史関係資料を広範に探索してきたことで知られている。妻は社会学者の袖井孝子。
細谷 洋一(ほそや よういち、1932年2月28日 - 19… 細谷 洋一(ほそや よういち、1932年2月28日 - 1996年2月14日)は、日本のジャーナリスト。 宮城県仙台市出身。父は生理学者の細谷雄二。慶應義塾大学文学部卒。産経新聞社会部記者を経て、夕刊フジ報道部長、同編集長、産経新聞編集局長、日本工業新聞社長を務める。1966年、産経新聞東京本社社会部記者時代に、先天性心臓病などに苦しむ子供たちを救うための基金である『あけみちゃん基金』の創設に尽力。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三塚 武男(みつか たけお、1932年 - 2011年3月1… 三塚 武男(みつか たけお、1932年 - 2011年3月12日)は、日本の社会福祉学者。同志社大学名誉教授、熊本学園大学教授。社会福祉学の分野においての研究で地域社会における福祉制度の在り方を問い地域住民が積極的に参加し自治を促進する方法を探る研究をしてきた。 1932年(昭和7年)宮城県に生まれる。1950年(昭和25年)に宮城県古川高等学校卒業後、同志社大学に進学、大学では社会福祉学を学び、地域社会の福祉制度に関する専門的な知識を学んだ。同志社大学文学研究科の教授として、社会福祉学を専門に教育活動を行い、地域福祉や住民自治に関する研究を重ねた。福祉学の理論だけではなく、実践的な問題解決にも重点を置いて研究を進め、地域社会での実践的な福祉制度の改善に貢献してきた。
佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 - 200… 佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 - 2005年3月21日)は、宮城県刈田郡白石町(現・白石市)出身(台湾台南市桶盤浅生まれ)のプロ野球選手(内野手, 外野手)・コーチ・監督・スカウト、解説者。 現役時は躍動感溢れるプレーで人気を集め、「バンビ」の愛称で知られた。 子息に元早稲田大学助監督、現城西国際大学監督の佐藤孝治がいる。 台湾で繊維業を営んでいた両親の末子として生まれる。 台南一中に進学するが、日本の敗戦により、両親の故郷である白石町に引き揚げ、白石高校に編入。入学後に創部されたばかりで部員を探していた野球部の勧誘を受け、引き揚げの際に野球部だった兄が病死していたため、兄の後を継ごうという思いから野球部に入部した。
菅原 雅(すがわら まさし、1931年(昭和6年)8月3日 … 菅原 雅(すがわら まさし、1931年(昭和6年)8月3日 - 2021年(令和3年)9月9日)は、日本の政治家。宮城県気仙沼市長(5期)。 気仙沼市の蔵元、創業1912年の造り酒屋「男山本店」を営む家庭に生まれる。宮城県気仙沼高等学校、早稲田大学卒業。 最晩年まで同社の取締役であった。 1973年、気仙沼市長に当選。93年まで5期20年間つとめる。 1991年 石井亨仙台市長が全国市長会の会長選に出た際、川井貞一白石市長と共に尽力。 2001年、勲四等旭日小綬章受章。 市長退任後は、1994年6月、気仙沼市観光協会会長に就任。2007年3月末まで7期13年務めた。 2021年9月9日、肺塞栓症で死去。
赤羽 淑(あかはね しゅく、1931年6月18日 - 202… 赤羽 淑(あかはね しゅく、1931年6月18日 - 2021年)は、国文学者。学位は、文学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「藤原定家の歌風」)。ノートルダム清心女子大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。東北大学大学院博士課程中退。1981年「藤原定家の歌風」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。ノートルダム清心女子大学助教授、教授、2005年定年退任。
日下 睦男(くさか むつお、1931年(昭和6年)4月26日… 日下 睦男(くさか むつお、1931年(昭和6年)4月26日 - 2026年(令和8年)5月15日)は、日本の銀行家。仙台銀行頭取を務めた。 宮城県白石市出身。1955年、東北学院大学卒業後、振興相互銀行に入行。企画部次長、平、石巻支店長を歴任。 1982年2月、普通銀行に転換し仙台銀行に改称。1983年6月、取締役に選任され、本店営業部長委嘱。 1989年6月、常務取締役・推進部長委嘱。1990年8月、取締役副頭取・業務本部副本部長委嘱。1993年5月、取締役頭取・業務本部長委嘱。 頭取時代には、多額の不良債権を抱える同じ仙台市に本店を置く徳陽シティ銀行が経営破綻。日下は仙台銀行が営業譲渡で受け皿金融機関の中核となる決断をし、宮城県内55店(うち19店は建物も)分の営業権や預金、行員152人を引き受けた。
重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2… 重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2020年10月1日)は、日本の工学者。東京理科大学名誉教授。東京理科大学学長補佐や、諏訪東京理科大学初代学長を務めた。藍綬褒章受章。 重倉珉祐(東北大学名誉教授)長男として、1931年仙台市に生まれる。東北大学工学部建築学科、同大学院博士課程を経て小野田セメント中央研究所に7年間勤務、東京理科大学に転じ助教授、39歳で教授となる。 建築学科主任、理工学部長、理工学研究科長、火災科学研究所長、学長補佐などの要職を歴任した。1998年東京理科大学諏訪短期大学を四年制大学に転換するため学長として赴任、転換後、諏訪東京理科大学学長を務めた。専門は建築材料学。
栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8… 栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8日 - 1997年〈平成9年〉9月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期、民社党)。 本籍宮城県仙台市。千葉県、現在の市川市で元陸軍主計大佐の長男として生まれる。東京府立第六中学校から疎開のため栃木県立宇都宮中学校に転校。学徒勤労動員により戦闘機の生産に従事した。戦後に仙台に移り、宮城県仙台第二中学校を経て、1954年(昭和29年)東北大学法学部を卒業した。 1954年日産自動車に入り吉原工場に配属された。日産自動車労働組合(日産労組)に入り吉原支部青年部の結成に尽力。1964年(昭和39年)日産労組情宣部長、1965年(昭和40年)同副組合長になる。
本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 … 本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 - 2001年(平成13年)7月7日)は、日本の銀行家。北都銀行副会長、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業後、日本銀行に入行。 1980年には、秋田相互銀行に移り常務、専務を歴任。副社長時代には、普銀転換の陣頭指揮にあたり、1990年には、プロパーや創業者家系の多い秋田県の金融界では異色の存在、日銀出身者として秋田あけぼの銀行頭取に就任した。頭取在任時は、第三次オンラインシステムを鳥取銀行、沖縄海邦銀行と共同開発にあたったほか、羽後銀行との合併を成功裡にまとめあげた。 1993年の北都銀行発足後には、副会長に就任。
菅野 昭彦(かんの てるひこ、1930年12月7日 - 19… 菅野 昭彦(かんの てるひこ、1930年12月7日 - 1974年12月12日)は、日本の脚本家、歌人。 宮城県仙台市出身。1945年、短歌雑誌のぬはり社に入り、菊池知勇に師事した。1953年東京大学文学部国文学科卒業。 脚本家として、松竹配給の映画やテレビドラマを多数手掛けた。 1974年12月12日、脳溢血のため死去。44歳没。 ※『ユートピア』以外松竹配給作品
飯沼 勇義(いいぬま ゆうぎ、1930年(昭和5年)11月 … 飯沼 勇義(いいぬま ゆうぎ、1930年(昭和5年)11月 - )は、宮城県仙台市出身の日本の歴史研究家者、郷土史家。 昭和26年3月、東北大学宮城師範学校卒業。仙台市内の公立学校の教員を14年間勤めた後、東北大学教育学部の研究生、民間企業勤務、幼稚園長などを経て独立した研究生活に入る。 教員時代から歴史の研究を続け、津波以外にも古代東北の製鉄、牡蠣殻を使った肥料の開発(特許第4105184号フルボ酸鉄を含む)など、その研究範囲は多岐にわたる。東日本大震災を16年も前から警告してきたことで、注目を集める。 3・11の際には、自らの学説を実証すべく、以前より仙台湾の海岸線に住まいを構え、自説通り被災した。
安田 養次郎(やすだ ようじろう、1930年(昭和5年)10… 安田 養次郎(やすだ ようじろう、1930年(昭和5年)10月16日 - 2022年(令和4年)2月15日)は、日本の政治家。東京都三鷹市長(3期)。名誉三鷹市民。 宮城県仙台市出身。東北大学教育学部卒。三鷹市役所に入り、建設部、企画部、総務部の各部長を経て、収入役、助役を務める。1991年の三鷹市長選挙に立候補して当選、3期務める。2003年に市長を引退。自身の後継者に東京工科大学教授の清原慶子を指名した。2022年2月15日死去、91歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
鈴木 大吉(すずき だいきち、1930年〈昭和5年〉9月5日… 鈴木 大吉(すずき だいきち、1930年〈昭和5年〉9月5日 - 2023年〈令和5年〉3月29日)は、日本の実業家、ITコンサルタント。日本団体生命(現、アクサ生命保険)の副社長等を歴任した。 宮城県遠田郡小牛田町(現:美里町)出身。旧制中学校の宮城県古川中学校(現:宮城県古川高等学校)、旧制山形高等学校を経て、1953年(昭和28年)に東京大学法学部を卒業。同年に日本団体生命へ入社した。 同社では本店第二営業部長、営業推進部長を経て1974年(昭和49年)5月に取締役に就任した。その後、常務取締役、専務取締役を経て1994年(平成6年)7月6日に副社長に就任し、翌年に副社長を退任した。 副社長退任後の1995年(平成7年)9月、「ビジネス情報ネット」を設立。
佐々木 宏幹(ささき こうかん、本名・宏幹=ひろもと 193… 佐々木 宏幹(ささき こうかん、本名・宏幹=ひろもと 1930年5月17日 - 2024年2月26日)は、日本の宗教人類学者。駒澤大学名誉教授。専門は宗教人類学・宗教文化論。シャーマニズム研究の第一人者。 1930年、宮城県気仙沼市で生まれた。宮城県気仙沼高等学校を卒業し、駒澤大学文学部英米文学科に進学。1955年に卒業し、旧・東京都立大学大学院に進んだ。1965年、博士課程を修了[8]。 1962年、大学院博士課程進学と同時に駒澤大学講師となった。1967年、駒澤大学助教授に昇格。1973年に同教授昇格。1981年、学位論文『シャーマニズムの宗教人類学的研究』を筑波大学に提出して文学博士号を取得。
松本 亨(まつもと とおる、1930年5月11日 - 199… 松本 亨(まつもと とおる、1930年5月11日 - 1997年1月7日)は、経済評論家・元日刊投資新聞社社長。株式に関する書籍多数[要説明]。 宮城県仙台市出身。法政大学卒業。 バブル時代、株価予想で人気を得た。日刊ゲンダイに株式についての連載コーナーを持っていた。ファミコン用ソフト『松本亨の株式必勝学』『松本亨の株式必勝学II』のモデルとなり、監修を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
三浦 澄能(みうら すみよし)(1930年〈昭和5年〉3月3… 三浦 澄能(みうら すみよし)(1930年〈昭和5年〉3月31日-)は、日本の実業家。1993年から1996年まで住友電設で社長として在任していた。
浅野 晃(あさの あきら、1930年3月20日 - )は、日… 浅野 晃(あさの あきら、1930年3月20日 - )は、日本文学者、共立女子大学名誉教授。近世散文、特に井原西鶴を専門とした。 仙台市生まれ。1953年東北大学文学部国文学科卒業、1958年京都大学大学院文学研究科仏文科博士課程満期退学。立正大学文学部講師、助教授、共立女子大学助教授、教授、2000年定年退任、名誉教授。
西澤 泰二(にしざわ たいじ、1930年2月8日 - ) は… 西澤 泰二(にしざわ たいじ、1930年2月8日 - ) は、日本の金属工学者。東北大学名誉教授。元日本金属学会会長。元日本鉄鋼協会副会長。西澤潤一第17代東北大学総長は兄。 兄に西澤潤一。旧制宮城県仙台第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)を経て、1952年旧制東北大学工学部金属工学科卒業。伊達宗行は旧制中学校時代の友人。1957年東北大学大学院特別研究奨学生修了、東北大学工学部金属工学科助手。1960年 東北大学工学部金属材料工学科助教授。1962年東北大学工学博士。1964年から1966年までスウェーデン王立工科大学客員研究員として在外研究に従事。1969年東北大学工学部材料物性学科教授に昇格。
京極 昭(きょうごく あきら、1930年2月5日 - 202… 京極 昭(きょうごく あきら、1930年2月5日 - 2021年5月22日)は、ベガルタ仙台社長。 古川高等学校、東北大学英文学科を卒業後、河北新報社にて報道部長、編集局長、専務取締役を歴任。報道部長時代には連載企画「植物人間」で1973年度日本新聞協会賞(編集部門)を受賞した。1999年にベガルタ仙台の運営会社「東北ハンドレッド」の代表取締役社長に就任。2003年12月、チームのJ2降格を受けて引責辞任。
白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年1… 白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年10月22日)は、日本生まれの画家であり、独立美術協会の審査員を務めた経歴を持つ。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身。戦後の日本美術界において独自の画風を確立し、数々の展覧会で評価された。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の出身、宮城県古川高等学校を卒業後東京芸術大学(旧東京美術学校)に進学。大学では日本画と洋画の基礎を学びながら、美術史に関心を深めた。在学中に樋口加六、海老原喜之助ら日本の美術界の著名な画家に師事。これにより白鳥は、フランスの巨匠アンリ・ルソーや藤田嗣治(レオナール・フジタ)の影響を受けた芸術潮流を間接的に受け継ぐこととなった。
福岡 克也(ふくおか かつや、1930年 - )は、日本の林… 福岡 克也(ふくおか かつや、1930年 - )は、日本の林業経済学者、環境学者、立正大学名誉教授。
伊達 宗行(だて むねゆき、1929年11月1日 - 202… 伊達 宗行(だて むねゆき、1929年11月1日 - 2023年2月27日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校、1952年東北大学理学部卒業、1955年同大学院理学研究科物理専攻中退。1961年「塩化コバルトの反強磁性共鳴吸收」で大阪大学理学博士。東北大学金属材料研究所、1959年大阪大学理学部助教授、教授、学部長、1993年定年退官、名誉教授。日本物理学会会長、日本原子力研究所先端基礎研究センター長。 伊達氏庶流大條氏本家(明治時代に伊達に復姓)の第20代当主。父は宮城師範学校教授の伊達宗雄。お笑い芸人伊達みきお(サンドウィッチマン)の父の又従兄弟(はとこ)にあたる。
小野寺 久幸(おのでら ひさゆき、1929年5月18日 - … 小野寺 久幸(おのでら ひさゆき、1929年5月18日 - 2011年3月1日)は、日本の文化財(仏像)修理技師、東大寺大仏師。 宮城県本吉郡本吉町(現・気仙沼市)出身。本吉郡小泉高等尋常小学校卒業。 1951年、神奈川県鎌倉市覚園寺における重要文化財の木造薬師如来および日光菩薩・月光菩薩の各坐像の保存修理を行い、その仏像修理の力量を知らしめた。 1954年に東京国立博物館文化財修理室に勤務、翌年、財団法人美術院国宝修理所に就職する。 1975年に同修理所所長・西村公朝の指名を受け、第六代所長兼常務理事に就任。以後、国宝・重要文化財の彫刻作品の修理に専従するとともに、現場において後進の育成に努めた。
佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19… 佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19日 - 2010年(平成22年)1月25日)は、日本の民俗学者、昔話採集家。 宮城県中田町(現登米市)出身。旧制宮城県佐沼高等学校、東洋大学文学部哲学科卒業。 社会科担当の高校教師を務めていた1957年より昔話をカセットテープに録音し収集する活動を開始した。集めた昔話は東北地方を中心に1万話を超え、著書は高校教師時代の1966年(昭和41年)11月の自費出版による『酒の三太郎』が最初で、50冊を超える。1992年、昔話の保護に取り組んだ業績が認められ、吉川英治文化賞を受賞した。 2010年1月25日、肺炎により宮城県塩竈市の病院で亡くなった。
水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年… 水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年6月27日)は、日本の作詞家。 1929年2月3日、宮城県仙台市出身。本名は安倍亮一。 早稲田大学理工学部在学中より音楽業界に入り、1958年に平尾昌章が歌った『星は何でも知っている』で作詞家としてデビュー。 その後、読売新聞社に記者として入社。東京本社文化部記者として音楽関係の記事や評論を書きながら、一方では作詞家として数々の作品を世に送り出す。 1989年頃まで読売新聞に在職しており、その後フリーの音楽評論家となった。 2015年6月27日、大腸癌のため死去。86歳没。 水島は洋楽曲の訳詞、和製ポップス、演歌、グループ・サウンズまでジャンルを問わない創作活動を行っていた。
松本 慶蔵(まつもと けいぞう、1929年1月15日 - 2… 松本 慶蔵(まつもと けいぞう、1929年1月15日 - 2023年10月2日)は、日本の医学者であり、感染症学・熱帯医学の専門家。長崎大学熱帯医学研究所名誉教授であり、長崎大学医学部附属病院の熱研内科科長も務めた。特に呼吸器感染症や結核の研究において多大な貢献を果たし、日本の熱帯医学発展に寄与した。1991年に紫綬褒章を受章。 1929年(昭和4年)、宮城県大崎市に生まれる。戦時中は海軍兵学校に入り、長崎県佐世保の針尾島にいた。戦後、1947年(昭和22年)に旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)卒業。第二高等学校を経て東北大学医学部に進学し、東北大学医学部大学院内科系を修了した。その後は同大学第一内科学教室で研究を開始した。
後藤 勝彦(ごとう かつひこ、1929年 - 2016年)は… 後藤 勝彦(ごとう かつひこ、1929年 - 2016年)は日本の考古学者。
速浪 武夫(はやなみ たけお、1928年10月9日 -没年不… 速浪 武夫(はやなみ たけお、1928年10月9日 -没年不明 )は、宮城県本吉郡(現:気仙沼市)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士、国際プロレス団、アジアプロレス所属の元プロレスラー。本名は佐山 武雄(さやま たけお)。大相撲時代の四股名は速浪 武夫(はやなみ たけお)。最高位は西十両14枚目。身長175cm、体重82kg。プロレスラー時代は身長177cm、体重93kg。得意技は右四つ、下手投げ。 勤労奉仕先の工場で横綱・照國に素質を見出されて伊勢ヶ濱部屋に入門し、1944年11月場所に本名の速浪の四股名で初土俵を踏んだ。終戦直後に一旦は廃業して連合軍の関連業務に就いたが、十分に飯が食えない状況になったので、詫びを入れて復帰した。
菅野 喜八郎(かんの きはちろう、1928年10月3日 - … 菅野 喜八郎(かんの きはちろう、1928年10月3日 - 2007年7月13日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東北大学・1970年)(学位論文「憲法改正限界論についての若干の考察」)。東北大学名誉教授。宮城県仙台市生まれ。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
泉 治典(いずみ はるのり、1928年9月16日 - 201… 泉 治典(いずみ はるのり、1928年9月16日 - 2011年6月1日)は、日本の哲学・聖書研究者。東洋大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。旧・東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。東洋大学講師、助教授、教授、1992年定年退任、名誉教授。はじめ実存哲学を研究し、のち聖書、アウグスティヌスなどを研究する。
伊野上 のぼる(いのうえ のぼる、1928年8月7日 - 2… 伊野上 のぼる(いのうえ のぼる、1928年8月7日 - 2011年7月9日)は、昭和時代後期日本の作詞家。本名は井上 三夫(いのうえ みつお)。 別名義に乗田 まさみ (正美)、井上 浩志ほか。 1928年(昭和3年)、宮城県刈田郡宮村(現在の蔵王町遠刈田温泉)に7人兄弟の末子として生まれる。少年の頃より本が好きで、文芸雑誌に「井上蔵王」という名で投稿することもあったという。 のちに作詞家の石本美由起に師事。代表作に北原謙二『ふるさとのはなしをしよう』やCMソング『かに道楽』がある。『ふるさとのはなしをしよう』は落語家の立川談志が最も好んだ歌のひとつとされ、談志一門の集まりでは最後にこの歌をみんなで合唱したという。
白鳥 信一(しらとり しんいち、1928年6月28日 - 2… 白鳥 信一(しらとり しんいち、1928年6月28日 - 2001年8月22日)は日本の映画監督である。妻はスクリプターの白鳥あかね。 1928年6月28日、東京市本郷区に生まれる。仙台第一中学校、第二高等学校を経て1952年、東京大学文学部国文科を卒業。1954年、制作を再開した日活撮影所助監督部に入り、再開第一作『国定忠治』にサード助監督としてつく。以後、川島雄三、井上梅次、堀池清、西河克己の下で働く。とくに西河克己監督作品には『伊豆の踊子』『赤い蕾と白い花』など多数つき『何処へ』では挿入歌「こいちや節」の作詞まで手掛けた。1966年からは日活製作のテレビドラマを多数演出。この間、日活がロマンポルノに路線を転向したため、劇場映画の監督デビューは1973年の『団地妻 女の匂い』となった。
青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日… 青木 和夫(あおき かずお、1928年(昭和3年)1月25日 - 2019年(令和元年)5月4日)は、日本の政治家、実業家。石巻ガス創業者で、同社代表取締役社長を経て、石巻市長を務めた。位階は従五位。 宮城県雄勝町(現石巻市)生まれ。石巻町立石巻商業学校(現宮城県石巻商業高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1952年(昭和27年)一橋大学を卒業後、同年三井船舶入社。三井船舶の出入り業者に東京ガスがいたことなどで都市ガスの時代が来ることを予感し、1959年(昭和34年)に石巻ガスを創業して同社代表取締役社長に就任。1967年(昭和42年)石巻青年会議所理事長。 1972年(昭和47年)石巻市長に初当選。
佐々木 欽三(ささき きんぞう、1928年 - )は、NHK… 佐々木 欽三(ささき きんぞう、1928年 - )は、NHKプロデューサー、広報事業局長。 宮城県大崎市生まれ。宮城県古川高等学校、東北大学文学部哲学科卒業。NHKに入局。 「新日本紀行」、「日本の素顔」など多くのドキュメンタリーを制作。とりわけ志賀直哉、三島由紀夫、荒木貞夫、スカルノなど、昭和史の人びととの接点が多かった。人事本部主幹、広報事業局長を務めた。
長谷部 楽爾(はせべ がくじ、1928年 - )は、日本の陶… 長谷部 楽爾(はせべ がくじ、1928年 - )は、日本の陶磁器研究家。父は人類学者の長谷部言人。 仙台市生まれ。1948年私立武蔵高等学校卒業後、1953年東京大学文学部美学美術史卒。 1954年、文化財保護委員会美術工芸課。1958年、東京国立博物館学芸部工芸課。のち東洋課長、学芸部長、次長を経て、1988年、退官。文化財保護審議会専門委員、恵泉女学園大学教授、東京国立博物館名誉館員、日本貿易陶磁研究会会長。
三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 … 三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 - 2004年〈平成16年〉4月25日)は、日本の政治家、獣医師。 衆議院議員(10期)、運輸大臣(第57代)、通商産業大臣(第48代)、外務大臣(第111代)、大蔵大臣(第102代)、衆議院議院運営委員長(第44代)、自由民主党政務調査会長(第35代・38代)、自由民主党幹事長(第31代)、自由民主党税制調査会長(第22代)を歴任。正三位旭日大綬章。血液型O型。 宮城県遠田郡北浦村(小牛田町を経て美里町)で、男6人、女8人の14人兄弟の7番目として誕生。宮城県立小牛田農林学校(現宮城県小牛田農林高等学校)、東京高等獣医学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。
中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月… 中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月17日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。位階は正五位。 宮城県志田郡古川町(旧・古川市、現・大崎市古川)出身。小牛田農林高等学校、1948年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。1967年、古川市議会議員に当選し、議長も務める。1988年の古川市長選挙に立候補したが千坂侃雄に敗れ、落選した。1992年の市長選挙に再び立候補して現職の千坂侃雄を破って当選した。1996年の市長選挙でも再選。2000年の市長選挙では元市議会議長の佐々木謙次に敗れた。 2019年3月5日、老衰のため死去、91歳。
小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1… 小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1976年8月9日)は、日本の作曲家。宮城県石巻市出身。 父は俳優・映画監督の小杉勇。同じ伊福部昭門下の作曲家山内正は義兄(妻の兄)にあたる。 当初は獣医師を志望し、東京府立第十五中学校を経て麻布獣医専門学校(現 麻布大学)に進んだが、1949年、東京音楽学校作曲科に入学。池内友次郎に対位法と和声学を、伊福部昭に作曲と管弦楽法を学ぶ。 1952年、『六つの管楽器の為のコンチェルト』で第21回毎日音楽コンクール室内楽作曲部門第1位入賞を果たす。 東京音楽学校との方針の違いから辞任した伊福部を追って中退、多くの門下生と共に伊福部のアシスタントを務める。
板橋 興宗 (いたばし こうしゅう、1927年(昭和2年)5… 板橋 興宗 (いたばし こうしゅう、1927年(昭和2年)5月20日 - 2020年(令和2年)7月5日)は、日本の曹洞宗の僧侶。大本山總持寺貫首(獨住第二十三世、閑月即眞禅師、雲海興宗大和尚)、曹洞宗管長。總持寺祖院住職。大乗寺七十世。瑞洞院二十六世。御誕生寺三世中興。宮城県多賀城市出身。 1927年(昭和2年)、宮城県多賀城市の農家の長男に生まれる。海軍による買い上げに遭い、塩竈市に移住。旧制仙台第一中学校を経て1944年(昭和19年)に海軍兵学校76期舞鶴分校機関科に入校。敗戦後、栄養失調により肋膜炎で入院。退院後、仙台工業専門学校に入るも退学し、1949年(昭和24年)に新制東北大学文学部宗教学科に第1期生として進学、石津照璽に師事。
小田嶋 成和(おだしま しげよし、1927年3月18日 - … 小田嶋 成和(おだしま しげよし、1927年3月18日 - 1980年2月7日)は、日本の病理学者、専門は実験腫瘍学、特に化学物質による発がん研究。宮城県仙台市出身。倫理学者・白井成允の三男。 日本癌学会理事、日本病理学会評議員、日本食品衛生学会評議員、厚生省中央薬事審議会委員、食品衛生調査会委員などを歴任。
千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日… 千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日 - 2017年(平成29年) 2月28日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(1期)。位階は正六位。旭日双光章。 宮城県大崎市志田郡古川町(のち古川市→大崎市古川)出身。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒。国民学校教諭を務め、1946年、古川町役場に入る。財政、秘書、商工、都市計画課長のほか、古川青年会議所理事長、古川市体育協会理事などを歴任した。その後、古川市収入役となり、1988年の古川市長選挙に立候補し、元市議会議長の中川俊一を破って当選した。4年後の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した中川俊一に敗れた。
中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉11月25日)は、日本の元男子フェンシング選手。元日本フェンシング協会会長。宮城県出身。 1927年1月17日、宮城県栗原郡若柳町にて誕生。宮城県築館中学校(現在の宮城県築館高等学校)に進学した。中嶋は走ることが子供の頃から好きであったため、中学校では陸上部へ入部する。中学校卒業後は明治大学へと入学。明治大学にて友人にフェンシングを誘われ当日明治大学にコーチをしていた森寅雄から「足が良いし、反射神経も中々良いぞ」と褒められ、その後本格的にフェンシング選手へとなった。明治大学に在学中チームの中心選手として活躍後、東北フェンシング連盟会長、日本フェンシング協会副会長などを経て、1999年から2002年に日本フェンシング協会会長を務めた。
西山 良雄(にしやま よしお、1927年 - )は、日本の英… 西山 良雄(にしやま よしお、1927年 - )は、日本の英文学者、東北学院大学名誉教授。 宮城県石巻市出身。東北大学文学部英文科卒、同大学院博士課程中退、東北学院大学助教授、教授を務め、1998年定年、名誉教授。1991年「憂鬱の時代 文豪ジョン・ダンの軌跡」で東北学院大学文学博士。