山浅 龍之介(やまあさ りゅうのすけ、2004年4月21日 … 山浅 龍之介(やまあさ りゅうのすけ、2004年4月21日 - )は、秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 由利本荘市立小友小学校2年時に「小友ジグザグ野球スポーツ少年団」で軟式野球を始めたことがきっかけで、将来のプロ(NPB)入りを志していた。 「小友ジグザグ」はかつて「学童野球の東北大会における常連」と呼ばれるほどの強豪チームであったが、由利本荘市の界隈で少子化が進んでいる影響で、山浅が入団した時点では6年生が対象の大会に3年生を出さざるを得ないほどにまで団員が減っていた。山浅の同期生がチームに1人しかいなかったこともあって、本人は3年時から、東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)が秋田市内で運営している「楽天イーグルスアカデミー ベースボールスクール」の秋田校にも通学。
工藤 泰成(くどう たいせい、2001年11月19日 - )… 工藤 泰成(くどう たいせい、2001年11月19日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。阪神タイガース所属。 秋田市立東小学校3年から野球を始め、能代市立能代第一中学校では投手と遊撃手でプレー。 中学校で野球を辞めるつもりであったが、野球好きな父の勧めもあり明桜高等学校でも野球部に入部。2年秋からベンチ入りし、3年春の東北大会では、準々決勝の対学校法人石川高等学校戦で7回1失点の投球、打っては逆転の2点適時打を放つ活躍で同校を14年ぶりの4強に導いた。夏の秋田県大会では秋田中央高等学校との決勝まで駒を進めるも、9回二死満塁で三振に倒れるなど好機を逸した末、延長戦で敗れ甲子園出場を逃した。
遠藤 成(えんどう じょう、2001年9月19日 - )は、… 遠藤 成(えんどう じょう、2001年9月19日 - )は、秋田県にかほ市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 にかほ市立平沢小3年で「平沢野球スポーツ少年団」に入団し野球を始め、にかほ市立仁賀保中学時代は「本荘由利リトルシニア」に所属。主に投手を務めた。 東海大相模高校に進学後、1年春からベンチ入り。秋季大会では完投勝利を記録、2年春の選抜大会でもリリーフ登板を経験した。2年夏には右手首を骨折した影響から一時ベンチ外となるも、同秋からは「二刀流」として3年春の県大会優勝・関東大会優勝などに貢献。背番号6で臨んだ3年夏の甲子園大会では初戦の近江戦に先発し7回1/3を投げて2安打8奪三振1失点(自責0)、自己最速タイの145km/hを記録するなど好投、打者としては2安打1盗塁の活躍でチームを勝利に導いた。
石塚 綜一郎(いしづか そういちろう、2001年6月7日 -… 石塚 綜一郎(いしづか そういちろう、2001年6月7日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 秋田市立岩見三内小学校3年生から軟式野球を始め、秋田市立岩見三内中学校では硬式野球クラブ「秋田南リトルシニア」に所属する。 岩手県北上市の岩手県立黒沢尻工業高等学校に進学。1年生の春から三塁手として出場し、2年生の秋にはチームの正捕手となる。甲子園には出場経験は無いが、3年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権岩手大会において同校36年ぶりのベスト4に進出する。準決勝の対花巻東高等学校戦において、先発投手として登板し、3番打者として1打点を挙げるも5対11で敗退した。
吉田 輝星(よしだ こうせい、2001年1月12日 - )は… 吉田 輝星(よしだ こうせい、2001年1月12日 - )は、秋田県潟上市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 潟上市立天王小学校3年から天王ヴィクトリーズで野球を始め、潟上市立天王中学校では軟式野球部に所属。 秋田県立金足農業高等学校に進学し、1年夏からベンチ入り。2年夏は県大会決勝で山口航輝、後にオリックス・バファローズでチームメイトとなる曽谷龍平擁する明桜高等学校に敗れて県準優勝。3年夏は主戦投手として力投し、秋田大会決勝では再び明桜と対戦。吉田が9回4安打11奪三振と快投を魅せ、2-0で勝利し県大会優勝。 吉田は秋田大会から夏の甲子園準決勝まで10試合連続完投勝利を挙げた。
杉澤 龍(すぎさわ りゅう、2000年6月2日 - )は、秋… 杉澤 龍(すぎさわ りゅう、2000年6月2日 - )は、秋田県鹿角郡小坂町出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 小坂町立小坂小学校で野球を始め、小坂町立小坂中学校在学時は硬式野球のクラブチームである大館リトルシニアでプレーしていた。 東北高等学校に進学し、1年春から遊撃手のレギュラーに定着。同年夏に1番打者として第98回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、1回戦で藤平尚真、石川達也、増田珠らを擁する横浜に敗れ、自身も無安打に終わった。以降は宮城県大会準優勝が最高成績で、甲子園大会出場はなし。3年夏は県大会4回戦で古川工業に敗れた。 東北福祉大学に進学後は外野手へ転向し、2年秋からレギュラーに定着した。
藤井 黎來(ふじい れいら、1999年9月17日 - )は、… 藤井 黎來(ふじい れいら、1999年9月17日 - )は、秋田県仙北郡美郷町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 美郷町立仙南東小学校2年時に野球を始め、6年生から投手。美郷町立美郷中学校では軟式野球部に所属。 秋田県立大曲工業高等学校では1年秋からベンチ入り、2年夏に第98回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦の花咲徳栄高校戦に先発も8回5失点、チームも1対6で敗れた。 3年夏に迎えた第99回全国高等学校野球選手権大会・秋田大会では3回戦の大曲農業高校戦でノーヒットノーランを達成。しかし準決勝で明桜高校に敗れ甲子園を逃す。 2017年10月26日に行われたドラフト会議にて広島東洋カープから育成ドラフト2位指名を受け、支度金300万円、年俸240万円(金額は推定)で合意して入団した。
佐藤 宏樹(さとう ひろき、1999年2月18日 - )は、… 佐藤 宏樹(さとう ひろき、1999年2月18日 - )は、秋田県大館市出身のプロ野球選手(投手)。くふうハヤテベンチャーズ静岡所属。NPBでは育成選手だった。 秋田県立大館鳳鳴高校では2年秋からエースとなるも、甲子園出場はなし。 慶應義塾大学環境情報学部にAO入試で進学。1年春からリーグ戦に登板。1年秋は9試合に登板し、3勝0敗、防御率1.03の成績で最優秀防御率のタイトルを獲得。2年次は肘痛のため春2試合のみの登板にとどまる。3年生の春から本格復帰し最高球速151kmを記録するも、その後は左肘痛に苦しみ、4年生の4月に左肘の神経移行とクリーニングの手術を受けた。 2020年10月26日のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト1巡目で指名された。
赤上 優人(あかがみ ゆうと、1999年2月10日 - )は… 赤上 優人(あかがみ ゆうと、1999年2月10日 - )は、秋田県仙北市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙北市立桧木内小学校3年時に桧木内ベアーズで野球を始める。桧木内中学校では軟式野球部に所属した。 秋田県立角館高等学校では、1年時に高校が第96回全国高等学校野球選手権大会に初出場したが自身は未出場だった。2年から遊撃手のレギュラーを獲得し、3年夏は秋田県大会準優勝。同期には、小木田敦也(TDK→オリックス)がいる。 東北公益文科大学では、当初は遊撃手であったが1年秋に投手に転向。転向直後から頭角を現し、2年夏には球速が最速150km/hを記録した。3年秋の南東北大学野球リーグ戦では4勝1敗、防御率1.11の成績を挙げ、最多勝とMVPを獲得した。
小木田 敦也(こぎた あつや、1998年10月10日 - )… 小木田 敦也(こぎた あつや、1998年10月10日 - )は、秋田県仙北市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 仙北市立角館小学校3年生のときに角館マックスで野球を始め、仙北市立角館中学校では軟式野球部に所属。 秋田県立角館高等学校では1年夏から内野手としてベンチ入りすると、チームは県大会を制し、春夏通じて創部初の甲子園大会となる第96回全国高等学校野球選手権大会に出場。正三塁手(背番号5)として八頭との初戦(2回戦)に先発出場したが無安打に終わり、チームも敗れた。その後は投手も兼任し、2年夏はエースナンバーを背負い、“二刀流”として注目を集めたが、能代との初戦に先発し、4失点を喫して敗退。
成田 翔(なりた かける、1998年2月3日 - )は、秋田… 成田 翔(なりた かける、1998年2月3日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 保戸野小学校4年生から野球をスタート。秋田東中学校では軟式野球部に所属していた。中学時代の同学年のチームメイトに石井大智がおり、それまでエースだった石井から、3年生のときにエースの座を奪っている。 秋田商業高等学校進学後は、1年の夏は控え投手として第95回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の富山第一高校戦にリリーフで登板し、2回を無失点3奪三振と結果を残した。2年の秋からエースとしてチームを引っ張り、3年の夏の秋田県大会では準々決勝の西目高校戦で9回16奪三振、続く秋田工業戦では9回14奪三振、そして決勝の秋田南高校戦では9回9奪三振完封、県大会は39回を投げ55奪三振の好投で甲子園出場を決めた。
石井 大智(いしい だいち、1997年7月29日 - )は、… 石井 大智(いしい だいち、1997年7月29日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 NPB史上唯一の高等専門学校卒業選手。 世界記録かつNPB記録となる50試合連続無失点記録、球団記録となる49イニング連続無失点記録保持者。 秋田市立旭川小学校3年で「旭川スポーツ少年団」に入団し野球を始める。秋田市立秋田東中学校時代は同校の軟式野球部に所属。2年時までエースだったが、3年時に同学年の成田翔がエースとなり、自身は内野手となる。 秋田工業高等専門学校に進学。元は中学で野球をやめる予定で、「工業系の仕事に進みたい」という理由で進学を選択した。専攻は環境都市工学だった。
相馬 里砂(そうま りさ、1996年12月8日 - )は、秋… 相馬 里砂(そうま りさ、1996年12月8日 - )は、秋田県出身の女子ソフトボール選手(捕手)。イタリア・セリエA1のメタルコ・タンデルス・カステルフランコ所属。 秋田県出身。由利高等学校、富士大学を経て、2019年に日本リーグ1部に所属するSGホールディングスギャラクシースターズに入団。4シーズンプレーして、2022年をもって退団。 2023年、イタリア・セリエA1のメタルコ・タンデルス・カステルフランコに移籍。同年に戸田中央メディックス埼玉からMKFボッラーテに移籍した江口未来子と共に、JDリーグから初めてイタリアリーグに挑戦した選手となった。 イタリア・セリエA1に移籍した初年度、2023年4月1日のシーズン開幕戦で相馬が所属するメタルコ・タンデルス・カステルフランコは江口未来子が所属するMKFボッラーテと対戦することになった。
進藤 拓也(しんどう たくや、1992年7月16日 - )は… 進藤 拓也(しんどう たくや、1992年7月16日 - )は、秋田県大仙市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 秋田・西仙北高等学校時代は無名だったが、3年夏の県大会で40イニング連続無失点の大会タイ記録を樹立するなど快投し、同校最高のベスト4に進出。 横浜商科大学へ進学した後、入部してすぐに肩を痛めたこともあり、在学中は3勝に留まったが、150 km/h超えの球速が注目された。 プロ志望届は提出せず、2015年にJR東日本に入社。1年目から主力として登板し、都市対抗野球では自己最速の153km/hを記録。しかしその後は課題である制球難に苦しみ、翌2016年5月にサイドスローに転向。球速こそは最速148km/hと下がったが、変わらぬ威力のあるストレートを武器に、2年目は救援を中心に登板した。
橋本 到(はしもと いたる、1990年4月28日 - )は、… 橋本 到(はしもと いたる、1990年4月28日 - )は、秋田県秋田市生まれ、宮城県仙台市育ちの元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツで三軍オフェンスコーチを務める。 小学校2年から鶴が森少年野球クラブで野球を始め、仙台市立鶴が丘中学校時代は東北シニアに所属(部活動は陸上)。2年時に投手兼中堅手として全国大会出場。 仙台育英高校では1年春からベンチ入りし、秋から中堅手としてレギュラーを獲得。2年春・夏、3年夏と甲子園に3度出場。3年夏は6打席連続ヒットを放つなど、甲子園通算で24打数12安打の高打率を残す。打撃に加え、俊足、強肩の走攻守3拍子が揃った選手として「みちのくのイチロー」の異名で呼ばれた。
石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 - )は、… 石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 旭北小4年生の時に野球を始めた。 金足農業高3年時の夏は秋田大会準々決勝で、後にプロでチームメイトとなる菊沢竜佑を擁する秋田高に0-2で敗退。甲子園出場経験はなし。 東北福祉大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟する野球部に入部する。1年秋から公式戦に登板する。2年時と3年時に全日本大学野球選手権大会、3年時に明治神宮野球大会に出場している。プロ志望届を提出したが指名漏れとなった。同期に阿部俊人がいる。 大学卒業後は、社会人野球のヤマハに入団。1年目から公式戦に出場。
菊沢 竜佑(きくさわ りゅうすけ、1988年5月16日 - … 菊沢 竜佑(きくさわ りゅうすけ、1988年5月16日 - )は、秋田県秋田市出身の出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校4年次に野球を始める。 秋田県立秋田高校時代は1年時からベンチ入りを果たすも、2年時に左大腿骨骨折の怪我を負う。3年時の夏の大会は主力投手として活躍、4試合に登板し準々決勝では後にスワローズでチームメイトとなる石山泰稚を擁する金足農業高校を破るも、準決勝で本荘高校に7回コールド負けを喫した。 高校卒業後は立教大学に進学。1年時からベンチ入りし、立教大学野球部が通算800勝を達成した試合での勝ち投手にもなった。3年時の夏に右肘の靱帯再建手術を受けたこともあり、4年間で通算14試合登板・勝ち星は1年生の時の1つだけに終わる。
佐藤 剛士 (さとう つよし、1986年5月16日 - )は… 佐藤 剛士 (さとう つよし、1986年5月16日 - )は、秋田県秋田市上新城出身の元プロ野球選手(投手)。 秋田商業高校では1年からベンチ入りし、3年春夏に甲子園出場。ダルビッシュ有、木村正太らと並び称され、東北ビッグ3とも呼ばれていた。なお、「肘や肩に負担をかけさせないように」という監督の方針から、高校時代まで試合で変化球はカーブしか投げなかったという。 2004年のドラフトで、最速150キロのストレートが評価され、1巡目で広島東洋カープに入団した。 2年目の2006年、一軍の先発が足りない事情から、当時、二軍の先発ローテーションだった佐藤に白羽の矢が立った。4月20日の横浜戦でプロ初登板初先発をするも、3回途中9失点で降板し敗戦投手となった。
木村 優太(きむら ゆうた、本名:木村 雄太(読み同じ)、1… 木村 優太(きむら ゆうた、本名:木村 雄太(読み同じ)、1985年5月21日 - )は、秋田県鹿角市出身のプロ野球選手(投手)。NPBでは、千葉ロッテマリーンズに在籍していた2013年から、木村 優太という登録名を用いている。
田村 彰啓(たむら あきひろ、1982年7月27日 - )は… 田村 彰啓(たむら あきひろ、1982年7月27日 - )は、秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 秋田商業では、1年から4番を打ち、県大会準優勝。2年秋は県大会決勝で秋田経法大付・攝津正の前に敗退し、東北大会では準々決勝で惜敗して選抜出場を逃した。3年次は主将として春の県大会決勝で摂津から本塁打を放ち優勝。夏の甲子園に出場するも初戦敗退。2000年のドラフト5位で広島東洋カープに入団。一軍出場がないまま、2005年に引退。その後、広島の二軍マネージャー補佐を務めた。
加藤 光教(かとう みつのり、1982年4月15日 - )は… 加藤 光教(かとう みつのり、1982年4月15日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 秋田経済法科大学附属高等学校(現・ノースアジア大学明桜高等学校)の3年時の2000年にはセンバツに出場(当時のエースは攝津正)。法政大学へ進学し、一年次の秋には一場靖弘に投げ勝つなど活躍。しかし三年次に右肩を痛め、その影響でドラフトにはかからなかった。 しかしプロへの夢をあきらめきれず、中日に打撃投手として入団し、2005年に改めて育成選手として契約を結んだ。 支配下選手登録されることがないまま、2007年10月31日に球団から戦力外通告を受け、引退。 その後、打撃投手や中日のスコアラーを務めた。
石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )… 石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 NPBフランチャイズ投手として史上初となる1年目から24年連続勝利を挙げている(2002年 - 2025年)。また、大卒の投手として史上初となる1年目から24年連続安打を記録している(2002年 - 2025年)。 秋田市立下新城小学校、秋田市立秋田北中学校卒。秋田商では2年夏の県大会は2番手投手でベスト4。秋からはエースとなり、3年春は東北大会で初戦(7回コールド)から2戦連続で完封したが準決勝は先発せずに2番手登板も敗戦。3年夏の甲子園に出場した(石川とバッテリーを組んだ、主将で捕手の太田直は現在の秋田商硬式野球部監督である)。
仁部 智(にべ さとし、1980年1月10日 - )は、秋田… 仁部 智(にべ さとし、1980年1月10日 - )は、秋田県由利本荘市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校より野球を始めるが中学時代までは控え投手兼外野手。当時同市郡内に全県優勝したチームがあり小学校時代には全県大会出場が阻まれたり、チームとしても個人としても殆ど無名の存在。秋田県立本荘高等学校で1年次には外野手でベンチ入りし、2年時よりエース投手として定着。後にプロ入りした石川雅規や藤田太陽、高卒時にニューヨーク・メッツと契約した後松重栄(大曲工業高等学校)とともに県内では注目される存在になった。関西遠征で大阪桐蔭と練習試合をした際に、好きな選手を3人やるから転校させるようにスカウトされた(当時の同校のエースは左腕の谷口悦司)。
藤田 太陽(ふじた たいよう、1979年11月1日 - )は… 藤田 太陽(ふじた たいよう、1979年11月1日 - )は、秋田県秋田市飯島出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 日本プロ野球(NPB)では、阪神タイガースに在籍していた2004年から2008年まで、名前のみの「太陽」を登録名に用いていた。2016年から、社会人野球チームのロキテクノベースボールクラブ(2020年からロキテクノ富山)に在籍。2020年シーズンまでコーチ兼任で現役生活を続けた後に、同年12月8日から2025年まで監督を務めた。 飯島小、飯島中卒。秋田県立新屋高等学校への進学後、外野手としてのプレーを経て、2年生の秋から本格的に投手へ転向。3年の夏の秋田大会では2回戦で敗退。
鎌田 祐哉(かまだ ゆうや、1978年11月30日 - )は… 鎌田 祐哉(かまだ ゆうや、1978年11月30日 - )は、秋田県秋田市下新城出身の元プロ野球選手(投手)。 秋田経法大附属高校3年時に、第78回全国選手権に出場。この時のエースは金沢博和(後にJTへ進む)で、鎌田は2番手だった。全国選手権では初戦で波佐見高校に敗れている。 卒業後は早稲田大学へ進学。2年の春にエース格となり、1999年の3年時、東京六大学野球春季リーグ戦では法大戦で1安打(走者)完封勝利するなど優勝に貢献しベストナインに選ばれる。大学選手権では初戦を完封し、決勝は先発したが秋田北中時代の1年後輩石川雅規(青学大)と投げ合い、4年の藤井秀悟が救援したが敗れた。また、1学年上の藤井秀悟とともに日米大学野球日本代表に選ばれた。
後藤 光尊(ごとう みつたか、1978年7月27日 - )は… 後藤 光尊(ごとう みつたか、1978年7月27日 - )は、 秋田県南秋田郡八郎潟町出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球指導者、野球解説者。 八郎潟町立八郎潟中学校時代は野球とラグビーを掛け持ちし、ラグビーでは県大会優勝経験がある。 秋田工業高等学校に1年からレギュラー確約条件にスカウトされたが、秋田県内有数の進学校である秋田高等学校に進学、3年時にエース投手として第68回選抜高等学校野球大会に出場する。 スポーツ推薦で法政大学に進学したが、上級生らによりいじめを受けて留年が確定し、そのまま大学を中退する。 その後、1997年に同じ秋田高校OBで川崎製鉄千葉野球部監督の齋藤正直に誘われて同野球部に練習生として参加し、1998年に入社。
小野 仁(おの ひとし、1976年8月23日 - )は、秋田… 小野 仁(おの ひとし、1976年8月23日 - )は、秋田県秋田市八橋出身の元プロ野球選手(投手)。左投右打。アトランタオリンピック野球の銀メダリスト。 秋田経法大付属高校2年時に、春夏連続で甲子園に出場したが、いずれも初戦敗退。第65回選抜大会では鳥取西戦で16安打を許し、7四死球を出したものの、逆に15三振を奪い、注目を集めた。3年時では春夏連続で甲子園に出場できなかった。1994年の世界選手権で高校生としては史上初の代表入りを果たす。左腕から150km/h近いストレートを武器に強豪キューバ戦にて1点リードされている6回の場面から登板しキューバの主軸のアントニオ・パチェコとオマール・リナレスに対して立て続けに三球三振を奪う等、超高校級の逸材といわれ、ドラフトでは最大の目玉として8球団が競合すると言われた。
村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は… 村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部 2軍マネージャー。 小学校4年から野球を始める。能代高時代は、3年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に出場、エースではないが1試合登板している。 東北福祉大では、1年上に門倉健、同期に山田貴志、1年下に山岡洋之らがいて、肩や肘などの故障に悩まされ登板機会はあまりなかったが、潜在能力を評価され1996年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスの指名を受け入団した。 しかし、プロ入り後も故障に苦しみ、二軍でも登板数は少なく、1999年に現役を引退。同じ年にダイエーから指名を受けた選手の中では唯一一軍出場がなかった。
中川 申也(なかがわ しんや、1973年6月30日 - )は… 中川 申也(なかがわ しんや、1973年6月30日 - )は、秋田県平鹿郡山内(現:横手市)出身の元プロ野球選手(投手)。 山内小学校の4年時から軟式野球を始めると、山内中学校の3年時に、軟式野球部のエースとして第54回秋田県全県少年野球大会で決勝に進出。チームは延長戦の末に0対1というスコアで敗れたものの、相手チームのエースだった斎藤幸治(後年に東芝へ入社)と共に秋田経法大学附属高校(現在のノースアジア大学明桜高校)へ進学した。 高校1年時(1989年)の夏に、秋田代表として第71回全国高校野球選手権本大会へ出場。背番号11の控え投手ながら、出雲商との初戦で先発を任されると、完封勝利を収めた。
阿部 茂樹(あべ しげき、1972年7月5日 - )は、秋田… 阿部 茂樹(あべ しげき、1972年7月5日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(捕手)。 現在は東京ヤクルトスワローズでスコアラーを務めている。 大潟村立大潟小学校5年で野球を始める。中学3年生の春に県大会優勝。秋田高校では1年生の5月から捕手で4番を打ち、2年春に甲子園に出場(初戦で北陸高校に4-1で敗退)。3年夏は県ベスト8止まり。高校通算本塁打15本(内公式戦10本)。 1990年ドラフト会議で読売ジャイアンツに4位指名され入団。 1997年に自由契約になった。 1998年にテストを経てヤクルトスワローズ入団。 1999年シーズン最終戦の9回表に代打としてプロ初出場。 2001年3月に現役引退。
佐々木 弥(ささき わたる、1972年4月29日 - )は、… 佐々木 弥(ささき わたる、1972年4月29日 - )は、秋田県由利郡大内町出身の社会人野球の元選手(内野手)。右投右打。 大内町立下川大内小学校(のち由利本荘市立)から大内中学校を経て、本荘高では甲子園の出場経験なし。 卒業後地元のTDKに入社。当時の社会人野球は金属バットを使用していたことから、高卒の佐々木にとって違和感なく打撃に取り組むことができ、比較的若いうちから試合に多く出場していた。 1990年代後半からはチームの主砲として4番に座り、自チームだけでなく他チームの補強選手としても都市対抗野球大会に出場している。 2006年シーズンから、経験を買われ、コーチ兼任内野手として登録されるようになった。
竹内 昌也(たけうち よしや、1971年5月25日 - )は… 竹内 昌也(たけうち よしや、1971年5月25日 - )は、秋田県由利郡象潟町(現:にかほ市)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学3年の時に野球を始める。 秋田県立本荘高等学校の2年時にエースとして夏の甲子園に出場。3年夏は県大会準決勝で敗退した。NTT東北では1992年の都市対抗野球予選で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成、本大会では補強選手として出場すると同年ドラフト2位で阪神タイガースに入団。 1995年にはチームが低迷する中でチーム唯一の10勝をあげる。9月7日のナゴヤ球場の中日戦で平田洋から通算で唯一の本塁打を打った。 1997年は途中まで規定イニング不足ながら、開幕から防御率3点前後に抑えておりいわゆる「隠れ」防御率1位だった[いつ?]が、結局防御率5位に終わった。
佐川 潔(さがわ きよし、1970年5月19日 - )は、秋… 佐川 潔(さがわ きよし、1970年5月19日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 金足農業高では2年秋の県大会ベスト4、3年春の県大会は準決勝で完封すると決勝は登板なく敗れたが東北大会は初戦に続いて準々決勝で先発完投したが惜敗。1988年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。 プロ1年目の1989年に、MLBのミネソタ・ツインズ傘下A級のバイセイリア・オークスに野球留学した。 1992年11月に、オリックス・ブルーウェーブにテスト入団にて移籍。1993年11月に、日本ハムファイターズに金銭トレード(テスト合格の後トレード成立)にて移籍。しかし、どの球団でも一軍登板のないまま、1995年10月に現役を引退した。
水沢 英樹(みずさわ ひでき、1969年5月9日 - )は、… 水沢 英樹(みずさわ ひでき、1969年5月9日 - )は、秋田県仙北郡田沢湖町(現:仙北市)出身の元プロ野球選手(投手)。 生保内小、生保内中を経て、秋田経法大附高時代は、2年春の東北大会決勝で完投するも同県の本荘高と引分けで同校優勝。秋も東北大会準々決勝で完投するも惜敗。1987年の3年次は春の東北大会で優勝し、夏の甲子園にも出場した。 1987年のプロ野球ドラフト会議において、広島東洋カープから4位指名を受け入団した。 一軍への昇格を果たせないまま1991年オフに現役を引退した。 引退後は、1992年から1997年まで西武ライオンズの打撃投手を務め、現在は編成部アマ担当(スカウト)として活動しており、北海道・東北地区を担当。
中嶋 聡(なかじま さとし、1969年3月27日 - )は、… 中嶋 聡(なかじま さとし、1969年3月27日 - )は、元プロ野球選手(捕手)・野球指導者。
足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は… 足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は、秋田県秋田市河辺戸島出身の元プロ野球選手(投手)。 父も叔父も兄も野球経験者という環境に生まれ、幼少の頃から野球少年となった。ドカベンの山田太郎に憧れて捕手になりたかったが、戸島小学校3年生の時に入った野球部の監督によってアンダースローの投手となっている。4年生で早くも公式戦に登板し、5年生の時にはチームを県大会準優勝に導くなど、下手から浮き上がる直球を武器に頭角をあらわした。 県内の強豪校である金足農業高に進み、1年夏にチームは選手権大会に出場。他校のアンダースロー投手対策のため、打撃投手としてレギュラーに帯同している。2年生でエースとなったが、チームの打撃力が弱かった事もあり再び甲子園に進む事はなかった。
川邉 忠義(かわべ ただよし、1968年4月30日 - )は… 川邉 忠義(かわべ ただよし、1968年4月30日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 1994年までの登録名は川辺 忠義(読み同じ)。 NPBにおける、史上初の人的補償選手。 小学4年の時に野球を始める。 秋田工業高時代は、3年次の1986年に夏の選手権に出場。3回戦の佐伯鶴城高戦で完投したが0-2で敗れた。高校の同級生に元ラグビー日本代表の吉田義人がいる。 高校卒業後、東北福祉大学からの熱心な勧誘もあったが、1987年に社会人野球の川崎製鉄千葉へ入社。1989年に全日本メンバーに選出、日本対キューバ野球選手権、IBAFインターコンチネンタルカップ、アジア野球選手権大会に出場した。
斉藤 満(さいとう みつる、1965年9月20日 - )は、… 斉藤 満(さいとう みつる、1965年9月20日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 金足農業高では3年夏に準決勝で能代商の近藤芳久に投げ勝ったが決勝で敗れた。1983年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから5位指名を受け入団。 尚、県大会準優勝を経験した1学年下のメンバーは翌春、夏の甲子園初出場を遂げて夏はベスト4まで進出した。 一軍出場機会がないまま、1985年シーズン限りで現役を引退。
水沢 薫(みずさわ かおる、1965年2月18日 - 201… 水沢 薫(みずさわ かおる、1965年2月18日 - 2014年1月10日)は、秋田県秋田市金足出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は140km/h台の速球とシュートを中心とする投球スタイルだった。 秋田商では3年夏に秋田県大会決勝で秋田経大付属に敗れるなど、全国大会への出場はなかった。素質を評価され、高校卒業後は社会人野球の河合楽器に進んでいる。1986年は都市対抗野球1回戦で完投勝利すると続くNTT北陸戦も先発したが補強の杉山孝一に2本塁打を浴びて敗れた。日本選手権では1回戦の対日本生命戦で田島俊雄に投げ勝つなど、ベスト8進出に貢献した。同年のドラフト会議で読売ジャイアンツ、阪神タイガース、ロッテオリオンズの3球団から2位で指名を受け、巨人が交渉権を獲得。
後藤 明美(ごとう あけみ、1965年2月12日 - )は、… 後藤 明美(ごとう あけみ、1965年2月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。 実家は農家で、家業を継ぐために進学した園芸科のある増田高から1982年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから6位指名を受け入団。 1985年と1986年は、MLB傘下の1A・サンノゼ・ビーズに野球留学した。一軍での登板がないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後は打撃投手に転身し、広報担当を経てファームディレクター補佐兼若獅子寮長兼メディカル統括。2022年現在は一軍用具チーフ。
石井 浩郎(いしい ひろお、1964年6月21日 - )は、… 石井 浩郎(いしい ひろお、1964年6月21日 - )は、日本の元プロ野球選手、政治家、実業家。自由民主党所属の参議院議員(3期)。 2010年、参議院議員選挙に自由民主党から立候補し、初当選。以降3回連続当選。秋田県南秋田郡八郎潟町出身。 八郎潟町立一日市小(6年生の時に統合して八郎潟町立八郎潟小学校となる)、八郎潟町立八郎潟中学校を卒業後、1980年に県内一の進学校であり、県内では野球強豪校でもある秋田県立秋田高等学校に進学。1年先輩に主将を務めた猿田和三がいた。1981年秋季東北大会に進み、東北高との1回戦で投手として先発、金子誠一と投げ合うがコールド負けを喫する。翌年夏も秋田大会で敗れ甲子園には出場できなかった。
松本 豊(まつもと ゆたか、1963年4月14日 - )は、… 松本 豊(まつもと ゆたか、1963年4月14日 - )は、 秋田県仙北郡角館町(現在の仙北市)出身の元プロ野球選手(投手)。 父親とのキャッチボールをきっかけに野球を始める。小学校では本来4年生からのところ、3年生から野球部に入部した。6年生のときに全県大会で準優勝。角館中学校では1年生から投手を務めた。 秋田経大附高時代は1年春からベンチ入りし、1981年に春夏連続で甲子園に出場。春の選抜では丸亀商業高、音重鎮のいた星稜高を降し準々決勝に進出するが、この大会に準優勝した印旛高の佐藤文男投手と投げ合い、延長10回で敗退。夏の選手権ではエース竹下浩二を擁する興南高、古溝克之のいた福島商業高を破り3回戦に進むが、志度商業高に延長10回サヨナラ負け。
森田 実(もりた みのる、1963年1月30日 - )は、秋… 森田 実(もりた みのる、1963年1月30日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(捕手)。 金足農業高では、小野和幸とバッテリーを組む。 高校卒業後、三井造船千葉に入社するが1年半で退社し、読売ジャイアンツの入団テストを受け合格。しかし、社会人野球に登録されたことのある選手で高卒の場合は3年間はプロ入りできない規定のため、入団には至らずに帰郷して建設会社で働く。 翌年も再びテストを受けて合格し、1983年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団。しかし、一軍公式戦への出場がないまま1989年に退団。
高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、… 高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。 秋田商業高校では甲子園に3回出場。2年生の時、背番号11ながらエースとして1979年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で永田利則のいた広島商に敗退。 1980年は春の選抜に出場。140km/h近い速球を投げ、1回戦では玄岡正充を擁する鹿児島商工を4安打1失点に抑え完投勝利した。チームにとって19年ぶりとなった準々決勝では帝京高の伊東昭光と投げ合い、5安打2失点で完投したものの0-2で敗れた。試合途中で右足に激痛が走り大会終了後に診察を受けたところ、親指付け根付近の骨が砕けていることが判明した。
小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、… 小野 和幸(おの かずゆき、1962年8月19日 - )は、秋田県秋田市金足出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 金足西小3年の時に野球を始め、北中から秋田県立金足農業高等学校に進み、1年秋からエースとなる。1979年秋季東北大会県予選決勝に進出、秋田商の高山郁夫と投げ合うが敗退、本大会には進めなかった。翌1980年の夏の甲子園県予選では、準決勝まで進むが能代高に敗れる。高校では同期の森田実(巨人)とバッテリーを組んだ。 複数球団が注目し、社会人野球への進路を決めていたなか同年ドラフト外で西武ライオンズへ入団。1年目に二軍で当時リーグ記録の15勝で最多勝、1983年にも受賞。1984年に最優秀防御率を獲得。
工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - 201… 工藤 幹夫(くどう みきお、1960年9月30日 - 2016年5月13日)は、秋田県本荘市(現:由利本荘市)出身のプロ野球選手(投手、内野手)。 本荘市立小友小学校卒。本荘市立本荘南中学校時代には軟式野球で東北大会で優勝。当時のチームメイトには村岡敏英がいる。 秋田県立本荘高等学校では、エースとして1977年秋季東北大会に進むが、1回戦で黒沢尻工業高に敗退。翌1978年夏の甲子園県予選で決勝に進出し能代高と対戦するが、2-3で惜敗し甲子園出場を逸する。甲子園出場経験はなかったものの逸材として注目され、読売ジャイアンツ(巨人)も獲得意欲を示していた。 1978年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。
佐藤 秀明(さとう ひであき、1960年〈昭和35年〉5月2… 佐藤 秀明(さとう ひであき、1960年〈昭和35年〉5月23日 - 2007年〈平成19年〉3月17日)は、秋田県秋田市土崎港出身の元プロ野球選手(投手)。 秋田市立港北小学校、秋田市立土崎中学校卒。秋田市立高等学校(現:秋田県立秋田中央高等学校)から1979年に東洋大学へ進学。東都大学リーグでは、最上級生となった1982年春季リーグで、1年下のエース仁村徹とともに投手陣を支え優勝を果たす。続く全日本大学選手権決勝で、4年田中富生投手や木戸克彦捕手らの法政大学に僅差で敗れ準優勝。リーグ通算30試合に登板し5勝3敗。大学同期に後に阪神でもチームメイトとなる外野手の大野久、杉本泰彦捕手(のち東洋大監督)らがいた。
齋藤 正直(さいとう まさなお、1960年4月3日 - )は… 齋藤 正直(さいとう まさなお、1960年4月3日 - )は、秋田県由利郡象潟町(現・にかほ市)出身の野球指導者。 6歳年上の兄の影響で野球を始める。友達を誘い、秋田市内の八橋に所在する日吉八幡神社近辺の空き地で野球を楽しんだ。通学していた秋田市立旭北小学校や秋田市立山王中学校の野球チームに所属していた。 秋田高校では、強打の左打者として1年時よりレギュラー。高校在学中の3年間で甲子園大会などの全国大会出場は叶わなかった。 進学した東都大学野球の専修大学では1年の春季リーグから四番を担う。リーグでは3年と4年の秋にそれぞれ優勝し、ベストナインにも2度選出されている。1981年の明治神宮野球大会では準優勝の成績を修める。
武藤 一邦(むとう かずくに、1959年1月20日 - )は… 武藤 一邦(むとう かずくに、1959年1月20日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 大曲市立大曲中学校卒業。秋田商高では2年生の時、四番打者、一塁手として1975年の夏の甲子園に出場。同期の山岡政志投手(日本石油に進む)を擁し、3回戦に進出するが磐城高に敗退した。翌1976年にも中堅手として夏の甲子園に連続出場するが、2回戦で福家雅明、鈴木康友のいた天理高に延長12回サヨナラ負け。 同年に南海のドラフト1位指名を受け、当時の野村克也兼任監督が秋田まで訪れたが、進学希望のため拒否し法政大(法政短大から法大進学)に進学。東京六大学野球リーグでは、3年生の1979年秋季リーグで打率.440を記録し首位打者となる。
鷲谷 亘(わしや わたる、1956年9月7日 - )は元プロ… 鷲谷 亘(わしや わたる、1956年9月7日 - )は元プロ野球審判員。秋田県由利本荘市出身。審判員袖番号は29(1988年初採用から1996年引退まで、現在は2年目の水落朋大)。