渡部 潤一(わたなべ じゅんいち、1960年12月28日 -… 渡部 潤一(わたなべ じゅんいち、1960年12月28日 - )は、日本の天文学者。専門は太陽系天文学。学位は、理学博士(東京大学・1988年)。自然科学研究機構国立天文台特任(上席)教授。総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻教授。福島県会津若松市生まれ。 父は渡部賢蔵、妻はサイエンスライターの渡部好恵。間に1男1女あり。長女は全国ヘルプマークオリパラプロジェクト supporterとして活動している。
小川 幸代(おがわ さちよ、1949年4月 - )は、日本の… 小川 幸代(おがわ さちよ、1949年4月 - )は、日本の国文学者、歴史学者。長岡大学教授。専門は古事記研究、および近世の南山城、女性史の研究など。 福島県会津若松市出身。1975年に國學院大學文学部文学科を卒業の後、國學院大學日本文化研究所勤務を経て、1975年から船橋女子高等学校、1976年から潤徳女子高等学校で非常勤講師をつとめるかたわら、國學院大學で書道科の教員免許を取得し、また朝日カルチャーセンターで古文書を学ぶ。1980年、東京大学経済学部文書室に勤務して近世文書の整理研究を行い、1999年から長岡短期大学助教授、2001年から長岡大学助教授(2007年、准教授)、2008年から教授。
高橋 誠一郎(たかはし せいいちろう、1949年 - )は、… 高橋 誠一郎(たかはし せいいちろう、1949年 - )は、日本のロシア文学者、文芸評論家。 福島県二本松市生まれ。1975年東海大学文学部卒業。1979年同大学院文学研究科文明研究専攻修士課程修了。1983年東海大学外国語教育センター助教授、教授。2013年退職。
勝倉 壽一(勝倉 寿一、かつくら としかず、1944年(昭和… 勝倉 壽一(勝倉 寿一、かつくら としかず、1944年(昭和19年)1月28日 - )は、日本文学者、福島大学名誉教授、東北文教大学教授。古典から現代まではば広く日本文学を研究。 福島県いわき市生まれ。1967年東北大学文学部国文科卒、70年同大学院文学研究科修士課程修了。1967年東北大学文学部助手、1970年山形女子短期大学講師、73年助教授、1978年愛媛大学教養部助教授、1984年福島大学教育学部助教授、88年教授、1993年「上田秋成の古典学と文芸に関する研究」で東北大学博士(文学)。2009年福島大を定年退任、名誉教授、東北文教大学教授。 2022年、瑞宝中綬章受章。
安達 忠夫(あだち ただお、1944年 - )は、日本のドイ… 安達 忠夫(あだち ただお、1944年 - )は、日本のドイツ文学者。埼玉大学名誉教授。
駒木 敏(こまき さとし、1942年11月1日 - )は、日… 駒木 敏(こまき さとし、1942年11月1日 - )は、日本の国文学者。専門は古代歌謡、万葉和歌。同志社大学名誉教授。 福島県生まれ。1961年福島県立白河高等学校卒、1965年同志社大学文学部国文科卒、1968年同大学大学院修士課程修了。1972年聖徳学園岐阜教育大学専任講師、1976年阪南大学商学部助教授、1979年同志社大学文学部専任講師、1981年同助教授、1987年同教授。2013年定年退職、名誉教授。
福田 晃(ふくだ あきら、1932年1月26日 - 2022… 福田 晃(ふくだ あきら、1932年1月26日 - 2022年1月9日)は、日本の国文学者・民俗学者。専門は説話文学。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1985年)(学位論文「神道集説話の成立」)。立命館大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1950年3月に福島県立会津工業高等学校を卒業後、5年間の社会人生活を経て、1955年4月に國學院大學文学部に入学する。入学当初は、国語の教員をしながら小説を書く生活を送りたい、と考えていたため近現代文学を志し、当時同大学英文科で教鞭を採っていた丸谷才一と親交を深める。ただし、丸谷は近現代文学を専攻することをよしとせず、同大学の中でも教学条件が整っている古典文学を専攻するように勧めたことで、その後の進路を決めた。
金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は… 金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は、日本の国文学者、宮城教育大学名誉教授。 福島市生まれ。本籍・仙台市。海軍兵学校在学。1950年東北大学文学部国文科卒業。同大学院博士課程中退、宮城県第二女子高等学校教諭、宮城県仙台第一高等学校教諭、東北大学講師、宮城教育大学助教授、教授、図書館長をへて92年定年退官、名誉教授、山形女子短期大学教授。近世俳諧、特に『奥の細道』が専門。
小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日… 小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日 - )は、日本のフランス文学者。 福島県福島市生まれ。1956年東京教育大学卒、58年同大学院修士課程修了、1966年同助教授、1977年筑波大学助教授、大妻女子大学短期大学部教授。
三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 201… 三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 2013年12月30日)は、日本の英文学者。 東京文理科大学卒、慶應義塾大学経済学部助教授、教授、1985年創価大学教授、2000年退任。英語教科書を多く書いたほか翻訳も行った。妻は三浦富美子。2013年(平成25年)12月30日午後3時29分、スキルス性胃がんのため鎌倉市内の病院で死去。最晩年に至るまで健康であったが、平成25年の11月になって体調不良を訴えて鎌倉市内の病院に入院し、そのまま亡くなった。無宗教を信条としたため戒名などはなく、鎌倉霊園にある墓には「三浦新市」とだけ記されている。
工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 -… 工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 - 2008年7月9日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。本名は、工藤 精一(くどう せいいち)。日本ロシア文学会会員。 福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)卒業。ハルピン学院卒業。日ソ文化交流機関講師、関西大学教授等を務めた。 数多くのロシア文学・ロシア語文献を翻訳した。
北小路 健(きたこうじ けん、1913年1月25日 - 19… 北小路 健(きたこうじ けん、1913年1月25日 - 1991年10月22日)は、国文学者、古文書学者。本名は渡部 栄(わたなべ さかえ)。 1913年、福島県会津若松市生まれ。両親ともに教師。父親の転勤に従い渡満し、大連春日小学校、 大連一中を経て1931年に東京高等師範学校文科第二部国漢科(1934年東京文理科大学国文科に転入)に入学。能勢朝次、山岸徳平らに師事して「源氏物語」研究を志す。父の死後、父に世話になったという人から家宝だという古書の『源氏物語』54冊を贈呈され、それが従一位麗子本源氏物語であることを発見し、これを論文にした。 1937年、東京文理科大学国文科を卒業。召集されたものの、病のため除隊となり、満州で中学教師として勤める傍ら研究を続けた。
鎌田 正(かまた ただし、1911年(明治44年)1月7日 … 鎌田 正(かまた ただし、1911年(明治44年)1月7日 - 2008年(平成12年)6月13日)は、日本の漢文学者。
新城 和一(しんじょう わいち、1891年(明治24年)5月… 新城 和一(しんじょう わいち、1891年(明治24年)5月15日 - 1952年(昭和27年)4月7日)は、日本の文学者。未来社に参加した詩人で、『白樺』同人でもあった。ドストエフスキー、バルザック、ロマン・ロランなどロシア文学、フランス文学の諸作品を翻訳した翻訳家でもあり、『真理の光』を著すなど評論家としても活動した。法政大学教授。真城倭一はペンネーム。 福島県出身で、会津中学、一高 第一部丁類を経て1915年(大正4年)に東京帝国大学仏文科を卒業。豊島与志雄は、高校、大学とも専攻を同じくした同級生であった。一高時代から創作活動を始め、三木露風の未来社に詩「狂気」などを発表。露風系詩人として知られるようになる。
斎藤 勇(さいとう たけし、1887年2月3日 - 1982… 斎藤 勇(さいとう たけし、1887年2月3日 - 1982年7月4日)は、日本の英文学者。位階は正三位。 文化功労者、日本学士院会員。日本英文学会第3代会長(1938年 - 1941年)。東京女子大学学長(1948年 - 1954年)。東京帝国大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授。文学博士。孫に惨殺された(斎藤勇東大名誉教授惨殺事件)。 福島県伊達郡富野村(現伊達市梁川町)に農家の長男として生まれる。旧制福島中学校(現福島県立福島高等学校)を経て、1905年、旧制第二高等学校(現東北大学)に入学。1908年、第二高等学校卒業後、東京帝国大学文科大学(英吉利文学専修)に入学。 1911年、東京帝国大学卒業、恩賜の銀時計を受ける。
新城 新蔵(しんじょう しんぞう、1873年(明治6年)8月… 新城 新蔵(しんじょう しんぞう、1873年(明治6年)8月20日 - 1938年(昭和13年)8月1日)は、日本の天文学者・中国学者、理学博士、京都帝国大学第8代総長・名誉教授。専門は宇宙物理学および中国古代暦術。戦前の中国天文学研究の権威であった。 福島県会津若松の造り酒屋に六男として生まれる。若松中学校(現福島県立安積高等学校)、第二高等中学校を経て帝国大学理科大学物理学科を1895年に卒業。大学院に進学し、1897年陸軍砲工学校教授に就任。 1900年京都帝国大学理工科助教授となる。その後ドイツのゲッティンゲン大学に留学し天文学を学び、帰国後に教授となる。留学中の1906年(明治39年)9月、万国測地学協会総会中央局から案内を受け、ハンガリー国ブダペストにて開催された第15回万国測地学協会総会に陪席。