矢畑 智裕(やはた としひろ、1980年5月29日 - )は… 矢畑 智裕(やはた としひろ、1980年5月29日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 鹿島アントラーズのユースを経て1999年にトップチームに昇格。2000年はベガルタ仙台に期限付き移籍、翌年完全移籍。2004年、水戸ホーリーホックに移籍 2005年7月から北信越社会人リーグ2部、松本山雅FCに移籍、不動のセンターバックとして活躍した。2008年シーズン限りで引退、松本山雅FCユースアカデミーコーチに就任。
須田 興輔(すだ こうすけ、1980年2月4日 - )は、茨… 須田 興輔(すだ こうすけ、1980年2月4日 - )は、茨城県古河市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。日本体育大学卒業。 2003年に水戸ホーリーホックの練習生として加入。そして翌年にトップ選手として登録された。かつてFWだったことから、水戸では一時期チーム得点王となっていたこともある。2005年7月8日の湘南戦ではフリーキックを直接決め、チームを逆転勝利に導くなどの活躍を見せた。また、背番号がかつて社長と呼ばれていた木澤正徳の2番を受け継いでいることから、社長の遺伝子を継ぐ男と呼ばれていた。 2006年に水戸を退団、湘南ベルマーレに移籍。 2007年には群馬県社会人リーグ1部(当時)の図南SC群馬(現:tonan前橋)に移籍。
曽ヶ端 準(そがはた ひとし、1979年8月2日 - )は、… 曽ヶ端 準(そがはた ひとし、1979年8月2日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。 現役時代は鹿島アントラーズ一筋でプレーした。2002 FIFAワールドカップのメンバー。 1998年に鹿島アントラーズにアカデミーからトップチーム昇格の形で入団(同期入団は小笠原満男、中田浩二、本山雅志、山口武士、中村祥朗)。2001年、当時の正GK高桑大二朗に替わり、レギュラーに定着。以後、正GKとして活躍していた。 2012年3月31日のJ1第4節・横浜M戦でクラブ公式戦通算最多出場(475試合)、8月18日のリーグ・浦和戦でリーグ戦クラブ最多出場(360試合)、同月25日のリーグ・新潟戦でクラブ公式戦通算500試合をそれぞれ達成した。
桜井 繁(さくらい しげる、1979年6月29日 - )は、… 桜井 繁(さくらい しげる、1979年6月29日 - )は、茨城県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 2002年、駒澤大学からモンテディオ山形に入団。2年目の2003年に、NEC時代から長年レギュラーを務めてきた鈴木克美を抑えて正GKを獲得。それ以降チームの正GKとして活躍。2004年にはJ1への昇格争いをするまでチームを牽引する。しかし、2006年になると柏レイソルからレンタル移籍してきた清水健太にポジションを奪われてしまう。 2007年、ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍。当初は阿部謙作と鶴田達也に次ぐ3番手であったが、2008年に正GKの座を奪い取り開幕からスタメンで出場。持ち前の安定した守備で活躍。
吉原 慎也(よしはら しんや、1978年4月19日 - )は… 吉原 慎也(よしはら しんや、1978年4月19日 - )は、茨城県出身の元プロサッカー選手、事業家。現役時のポジションはゴールキーパー。妻は囲碁女流棋士の吉原由香里。 9歳でサッカーを始める。小学生時代は日立市内の少年サッカークラブに、中学生時代は通学先のサッカー部に在籍した。 1994年、県立日立工業高校に進学。1年次よりレギュラーとして試合に出場した。1996年にはU-18日本代表候補に選出される。 高校卒業後、横浜マリノスに入団したが日本代表の守護神でもある川口能活の壁に阻まれ出場機会に恵まれず、1999年、J2のアルビレックス新潟に期限付き移籍した。3月14日の川崎フロンターレとの開幕戦でJリーグ公式戦に初出場すると、ビックセーブを連発し、J2参加元年のアルビレックス新潟の開幕7連勝の立役者となる。
本間 幸司(ほんま こうじ、1977年4月27日 - )は、… 本間 幸司(ほんま こうじ、1977年4月27日 - )は、茨城県日立市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。水戸ホーリーホックゼネラルマネージャー (GM) 。 J2リーグ最多出場記録保持者(2025シーズン終了時点)。実妹はバレーボール、ビーチバレーボール、ビーチテニス選手の本間江梨。 水戸短期大学附属高等学校から1996年に浦和レッズに加入。出場機会に恵まれず、1999年7月に当時日本フットボールリーグ (JFL) 所属の水戸ホーリーホックに移籍した。 2011年10月23日、J2第32節・ロアッソ熊本戦で、史上3人目のJ2通算400試合出場を達成した。GKの記録達成、また初出場から現在まで単一クラブでの記録達成は史上初。
市川 友也(いちかわ ともや、1976年12月12日 - )… 市川 友也(いちかわ ともや、1976年12月12日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。現在は鹿島アントラーズユースのGKコーチを務めている。 鹿島アントラーズユースチームから初めてトップチームに昇格した選手。だが、出場機会に恵まれず、1試合も出場しなかった。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
鈴木 隆行(すずき たかゆき、1976年〈昭和51年〉6月5… 鈴木 隆行(すずき たかゆき、1976年〈昭和51年〉6月5日 - )は、茨城県日立市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 夫人はモデルの橋本優子。 日立市立泉丘中学校卒業後、茨城県立日立工業高等学校では1年から国体に出場、2年の頃には地元のJリーグクラブ・鹿島アントラーズに声をかけられるほど注目されていた。3年でも中田英寿らと共にカテゴリー別の日本代表にも選出されるなど全国区の選手だった。しかし、日立工高にはサッカーを教えることのできる指導者はおらず、監督は鈴木に練習メニューを作らせていた。後に鈴木は「(鹿島加入まで)まともにサッカーを習ったことがなかった」、「ただ遊んでいただけでした」 と振り返る。
鏑木 享(かぶらぎ とおる、1976年4月18日 - )は、… 鏑木 享(かぶらぎ とおる、1976年4月18日 - )は、茨城県東茨城郡美野里町 (現 小美玉市)出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学校2年生の時にサッカーを始める。1992年に水戸短期大学付属高校に入学し、2年生・3年生時に全国高校選手権に出場。1995年、国士舘大学に進学し、サッカー部に所属。同期には熱田眞、金沢浄、小林稔、齋藤誠一、富永英明らがおり、在部中の4年間に関東大学リーグ1部で3度、インカレで2度の優勝を果たした。1998年には新たに参入したJFLで活躍し、同リーグに所属する東京ガスサッカー部監督大熊清の推薦を受けてオールスター戦に出場。この試合で2アシストと結果を残し、プロの舞台でも通用するという手応えを掴んだ。
北島 義生(きたじま よしお、1975年10月29日 - )… 北島 義生(きたじま よしお、1975年10月29日 - )は、茨城県常総市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 学生時代は部活ではなくクラブチームでサッカーをしていた。高校卒業後はトステムに入社。同社で働きながら、県リーグのトステムSCでサッカーを続けた。当時トステムSCの指導にあたっていた元中国代表選手のつてで、中国の広東クラブへと渡り、ここで念願のプロサッカー選手となった。 1997年にJFLの大分トリニティ(現在の大分トリニータ)を経て、1998年に水戸ホーリーホックに加入。1999年のJ2元年はヴァンフォーレ甲府にレンタル移籍するもの、翌2000年から再び水戸ホーリーホックで活躍し、2006年から湘南ベルマーレに移籍することが発表された。
天野 賢一(あまの けんいち、1975年4月3日 - )は、… 天野 賢一(あまの けんいち、1975年4月3日 - )は、茨城県古河市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 茨城県立古河第一高等学校を卒業後、筑波大学に進学。蹴球部に所属し、同大学の大学院に進む中、コーチも務めた。同期には和多田充寿など。 2000年より、Jリーグ・FC東京に入り、普及部・育成部で中学生以下の年代の指導を担当した。2004年にはFC東京U-15むさしの監督に就任。新規に発足されたチームで初代監督を務めた。 2008年より浦和レッズへ転入し、ユースチームでのコーチを務める。2011年には、堀孝史ユース監督のトップチーム監督就任に伴い、自身も初となるプロチームでのコーチを務めることになった。
磯山 和司(いそやま かずし、1975年1月8日 - )は、… 磯山 和司(いそやま かずし、1975年1月8日 - )は、茨城県下妻市出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。 仙台、大塚製薬、大宮などで活躍したあと、2005年限りで水戸ホーリーホックから戦力外通告を受け、2006年から日本フットボールリーグのアルテ高崎でプレーし、2007シーズン終了後に引退。引退後は大宮アルディージャU-12のコーチに就任。2012年からは同クラブ育成部コーチに就任し、東洋大学コーチとして派遣されている。
八代 敏(やしろ さとし、1974年12月10日 - )は、… 八代 敏(やしろ さとし、1974年12月10日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 古河第一高校を卒業後、1993年にプリマハムFC土浦(後の水戸ホーリーホック)に入団。1999年には日本フットボールリーグで3位となり、J2リーグ昇格を決めた。しかし、J2での試合出場は1試合にとどまり、シーズン終了後に退団した。
小澤 英明(おざわ ひであき、1974年3月17日 - )は… 小澤 英明(おざわ ひであき、1974年3月17日 - )は、茨城県行方市(旧・行方郡北浦町)出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 北浦中学校2年生の時に全国中学校体育大会に出場した。水戸短大附属高校卒業後は地元の鹿島アントラーズに入団。古川昌明の前に出場機会に恵まれなかったが、1994年11月にJリーグ出場初出場。無失点勝利に貢献した。アトランタオリンピックに臨むU-23日本代表で監督を務める西野朗からは体格の良さや向上心を買われ、同代表候補の川口能活とポジションを争っていたが、椎間板ヘルニアの悪化により代表を辞退した。 1997年、腰の手術を勧める鹿島のスタッフと対立しシーズン途中に自主退団。
岩崎 勇二(いわさき ゆうじ、1972年6月18日 - )は… 岩崎 勇二(いわさき ゆうじ、1972年6月18日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 古河第一高校を卒業後の1991年、日本サッカーリーグの東日本JR古河サッカークラブ(後のジェフユナイテッド市原)に加入。JR古河時代、市原時代を含めてトップチームでの出場機会はなかった。その後、プリマハム土浦でプレーした後に引退した。 1992年から母校の古河第一高校でコーチを務めるなどサッカー指導者として活動し、2007年から育成年代のサッカークラブ・FC古河の代表兼監督を務めている。このほか、茨城県クラブユース連盟の理事や理事長、関東クラブユースサッカー連盟理事などの役職を歴任している。
野口 裕司(のぐち ひろし、1972年2月25日 - )は、… 野口 裕司(のぐち ひろし、1972年2月25日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1994年に当時ジャパンフットボールリーグ所属の京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団。1996年のJリーグ昇格を経て、2002年オフに解雇されるまでの9シーズン、FWからDFまで様々なポジションをこなすオールラウンダーとしてプレイ。入れ替わりの激しいチームにあって数少ない生え抜き選手ということで、サポーターからは「ミスター・サンガ」と呼ばれた。2003年、大宮アルディージャに移籍し、同年引退。 2004年から京都の普及育成部スタッフを務め、2008年に京都の強化部スカウトに就任。
渡辺 卓(わたなべ たく、1971年11月9日 - )は、茨… 渡辺 卓(わたなべ たく、1971年11月9日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 2023年 -アカデミーダイレクター・ ラインメール青森FCU-15・U-13
眞中 靖夫(まなか やすお、1971年1月31日 - )は、… 眞中 靖夫(まなか やすお、1971年1月31日 - )は、茨城県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。兄の眞中幹夫も元サッカー選手であり、兄弟サッカー選手であった。 スーパーサブとして活躍し、Jリーグの1点目からの最短ハットトリック記録保持者である(2分42秒で達成)。 現役引退後はセレッソ大阪でスクールコーチを務め、2012年に大阪学芸高校女子サッカー部監督に就任。 2016年12月10日、2017年からなでしこリーグ2部のコノミヤ・スペランツァ大阪高槻の監督に就任することが発表された。2017年10月、監督を退任。 2018年2月、ラインメール青森FCのアカデミーダイレクターに就任。 2020年、境トリニタスの監督に就任。
入井 和久(いりい かずひさ、1970年10月18日 - )… 入井 和久(いりい かずひさ、1970年10月18日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。現役時のポジションは主にディフェンダー(サイドバック)。1995年にJ1リーグに昇格した柏レイソルに移籍。しかし、まだ出場機会は多くなく、1996年に日本フットボールリーグのブランメル仙台に移籍。1997年シーズン終了後に引退した。 茨城県立日立工業高等学校を卒業後、1989/90シーズンに本田技研工業へ加入する。1992年、本田技研工業サッカー部のプロ化見送りを受け、監督の宮本征勝、ヘッドコーチの関塚隆、主力選手の黒崎久志、長谷川祥之、本田泰人、内藤就行、千葉修とともに、設立されたばかりの鹿島アントラーズに移籍した。
川澄 和弘(かわすみ かずひろ、1970年10月5日 - )… 川澄 和弘(かわすみ かずひろ、1970年10月5日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 古河第一高校3年時の高校総体では準優勝に貢献し、優秀選手に選出された。 筑波大学を経て、1993年に日本プロサッカーリーグの清水エスパルスに加入。その後、藤枝ブルックスを経て水戸ホーリーホックでプレーし、1998年シーズンまで在籍した。 引退後はサッカー指導者となり、水戸のコーチを経て流通経済大学でコーチを務めている。このほか、2017年にはユニバーシアード日本代表、2018年にはJFL選抜のコーチを務めている。
古矢 武士(ふるや たけし、1970年7月16日 - )は、… 古矢 武士(ふるや たけし、1970年7月16日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 高校卒業後よりブラジルに渡り、3つのクラブでプレーした。1992年より横河電機サッカー部に入部し、選手兼任コーチに就任。2003年から2006年まで横河武蔵野FCの監督を務め、2007年から2008年まで横河武蔵野FCのGMを務めた。また、2008年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した。 2009年から大宮アルディージャの強化育成部強化部長に就任し、2013年を以て退任した。その後、東京経済大学サッカー部のコーチを経て、2014年5月よりベガルタ仙台の強化部長補佐に就任した。2015年2月より強化部長に就任し、2017年を以て退任した。
橋本 雄二(はしもと ゆうじ、1970年5月13日 - )は… 橋本 雄二(はしもと ゆうじ、1970年5月13日 - )は、茨城県日立市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 東海大学時代はユニバーシアード代表にも選出され、1993年から6年間、プロサッカー選手としてガンバ大阪、サガン鳥栖でプレー。引退後は指導者の道に進み、2004年にバンディオンセ加古川(旧名:セントラル神戸)の監督に就任し、2005年と2006年に関西リーグ1部連覇へと導いた。 2007年に佐川印刷SCの監督に就任。2008年に加古川の強化部長、2009年から監督に就任したが、加古川の経営難の責任を取る形で監督を退任した。 2017年よりレイジェンド滋賀FCの監督兼U-15テクニカルアドバイザーに就任した。
木澤 正徳(きざわ まさのり、1969年6月2日 - )は、… 木澤 正徳(きざわ まさのり、1969年6月2日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。ポジションはDF(右サイドバック)。 スピードを武器とする右サイドバックで、古河や市原で活躍。セレッソではレギュラーだったが、クロスの精度が課題だった。
眞中 幹夫(まなか みきお、1969年5月22日 - )は、… 眞中 幹夫(まなか みきお、1969年5月22日 - )は、茨城県坂東市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。同じく元サッカー選手の眞中靖夫は実弟。 茨城大学卒業後の1992年、テストを受けてジェフユナイテッド市原に加入。5シーズン在籍し、Jリーグで101試合に出場した。 1997年、ジャパンフットボールリーグ(JFL)のブランメル仙台に移籍。1998年、大宮アルディージャに移籍。 現役引退を考えていたところ、市原時代のチームメイトであるピエール・リトバルスキーに誘われ、彼が監督を務める横浜FCに加入。1999年から2シーズン連続で日本フットボールリーグ(JFL)に優勝し、2000年のJFLではベストイレブンに選出された。
宮島 一代(みやじま かずしろ、1967年12月17日 - … 宮島 一代(みやじま かずしろ、1967年12月17日 - )は茨城県下妻市出身の元サッカー審判員(元国際副審)。現在は日本サッカー協会 (JFA)審判マネジャー、審判委員会副委員長。 下妻市立下妻中学校、茨城県立下妻第一高等学校から茨城大学教育学部数学科卒業。本業は数学教師で、小学校から高校まで赴任した経験を持ち、各赴任先でサッカー部の監督を務めた。ベストリザルトは県ベスト4。下妻市立千代川中学校では学年主任、最後の赴任先となった常総市立鬼怒中学校では教務主任を務めた。 1998年12月に1級審判員として登録され、1999年にJリーグ副審デビュー。2005年より国際副審登録。2008年よりAFCエリート審判員。
浅野 哲也(あさの てつや、1967年2月23日 - )は、… 浅野 哲也(あさの てつや、1967年2月23日 - )は、茨城県鹿島郡鉾田町(現:鉾田市)出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者・指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。 1985年、茨城県立鉾田第一高等学校を卒業しトヨタ自動車に就職。当初は社内の同好会であるトヨタ蹴球団に所属していたがここでのプレーが認められ、1987年に社内で紹介され日本サッカーリーグのトヨタ自動車サッカー部に加入した。1991年には日本代表にも選出された。 1993年にはトヨタ自動車サッカー部を母体として発足した名古屋グランパスエイトに所属し、Jリーグに出場。途中、1994年に導入されたレンタル移籍制度によって同年途中から浦和レッドダイヤモンズに移籍し、レギュラー獲得する。
大金 直樹(おおがね なおき、1966年12月13日 - )… 大金 直樹(おおがね なおき、1966年12月13日 - )は、日本の実業家、元サッカー選手。 茨城県日立市出身。1982年に茨城県立日立第一高等学校へ進学し、2年生、3年生時には茨城県選抜として国体出場。2期下に東海林毅。1985年に筑波大学へ進学し、4年生時の1988年には関東大学リーグ及び総理大臣杯で優勝。 1989年に大学を卒業し、東京ガスへ入社。社員選手として同社サッカー部(現FC東京)に入部した。ポジションは主にボランチ。1990年に大熊清、川勝良一、小林伸樹らと関東リーグ及び全国地域リーグ決勝大会で優勝を果たし、翌年からは日本リーグ及びジャパンフットボールリーグでプレーを続けた。主将を任されていたが1994年のリーグ第6節東芝戦で前十字靭帯を断裂。
園部 勉(そのべ つとむ、1958年3月29日 - )は茨城… 園部 勉(そのべ つとむ、1958年3月29日 - )は茨城県出身の元サッカー選手。 フジタ工業などに所属し、日本代表としても、国際Aマッチ7試合に出場した。
秋田 浩一(あきた こういち、英語: Koichi Akit… 秋田 浩一(あきた こういち、英語: Koichi Akita、1955年9月2日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者、体育学者。駒澤大学体育会サッカー部監督、駒澤大学教授。関東大学サッカー連盟副会長。 茨城県日立市出身。茨城県立水戸商業高等学校、駒澤大学卒業。その後、体育の教員資格を取得するため国士舘大学に編入学し、1981年3月卒業(体育学、学士)。国士舘大で2年間学びながらサッカーも続け、U23日本代表監督の山本昌邦や元日本代表の柱谷幸一らとも一緒にプレー。1979年の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで国士舘大は初優勝した。ポジションは高校大学ともセンターフォワード(CF)。1982年、駒澤大学に助手として採用され、サッカー部コーチとなる。
濱口 和明(はまぐち かずあき、1954年5月17日 - )… 濱口 和明(はまぐち かずあき、1954年5月17日 - )は、日本出身のサッカー選手・指導者・審判員。ポジションはフォワード(右ウイング)。 大学2年時に当時日本サッカーリーグ(JSL)2部の読売クラブ(現東京ヴェルディ)に加入。1978年のJSL1部昇格に貢献し、1985年に引退するまで13年間所属した。JSL1部での通算記録は50試合出場8得点3アシスト。 引退後は読売クラブおよびヴェルディ川崎でトップチームや下部組織のコーチを歴任。1996年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得した。 審判員としても活動した。1989年に1級審判に昇格し、日本サッカーリーグおよびJリーグで10年以上にわたり線審および副審を務めた。
宮本 征勝(みやもと まさかつ、1938年7月4日 - 20… 宮本 征勝(みやもと まさかつ、1938年7月4日 - 2002年5月7日)は、茨城県日立市出身のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。サッカー日本代表として44試合に出場し、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した。 茨城県立日立第一高等学校でサッカーを始め、1956年の第35回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝し、得点王および最優秀選手に選出された。 1957年、早稲田大学第二商学部に入学。在学中は早稲田大学ア式蹴球部に所属し、在学中の1958年にサッカー日本代表に選出され、同年12月の香港代表戦で初出場した。 大学卒業後、1961年から長沼健や大学の先輩・八重樫茂生ら代表選手の揃った古河電気工業サッカー部(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団した。
鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は… 鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手(DF)・サッカー監督。 日立市立多賀中学校を経て進学した日立一高では3年次の1955年、神奈川国体・高校の部に出場して3位入賞を果たした。 高校卒業後の1956年に中央大学へ進学し、2年次の1957年からはレギュラーとなる。同年には天皇杯に中大クラブ(学生・OBの混合チーム)のMFとして出場し、決勝で実業団の強豪・東洋工業を破って優勝。3年次の1958年1月に開催された大学選手権でも優勝し、同年12月には川淵三郎・宮本征勝らと共に日本代表デビュー。香港戦で初出場を果して以来、的確で冷静な判断力とカバーリングを武器に代表守備陣の中枢を成した。
小川 志保 は、茨城県鹿嶋市出身の女子サッカー選手。レノファ… 小川 志保 は、茨城県鹿嶋市出身の女子サッカー選手。レノファ山口FCレディース所属。ポジションはフォワード。