神谷 操(かみや みさお、1986年 - )は、画家、作曲家… 神谷 操(かみや みさお、1986年 - )は、画家、作曲家(シンセサイザー音楽)、映像作家 (ビデオシンセサイザー)。 栃木県宇都宮市生まれ。油絵から映像作品、音楽(作曲/シンセサイザー)まで様々な分野において活動。 2014年に自らのニューエイジ・ミュージックのCDをリリースするため自主レーベルとして株式会社シャトーブランを設立。定期的に地元宇都宮市で個展を開いている。 音楽制作においては、アナログモジュラーシンセサイザーの音響合成理論を基盤とし、ソフトウェア環境における自由度の高いパッチングを用いた制作スタイルを確立している。 神谷は音楽制作と並行して、ビデオシンセサイザーを用いた映像表現を追求している。
西形 彩(にしかた あや、1984年〈昭和59年〉10月17… 西形 彩(にしかた あや、1984年〈昭和59年〉10月17日 - )は、日本の現代美術家、ポップアーティスト、染織画家、伝統工芸士。 以前はアーティスト名、西形 彩庵(にしかた さいあん)として活動していたが、現在は本名を使用している。 1984年(昭和59年)生まれ。栃木県足利市出身。 にしかた染織工房を営む染織画家の父・西形行庵と、洋裁師の母・西形敏子の次女として誕生。 伝統工芸士である両親の元、幼少から手織り、手染め、手描きの伝統技法を学ぶ。白鴎大学足利高等学校を卒業後、ニューヨーク・パリ・ロンドン・ベネチアに渡り、染織アートを研修。染織画家として才覚を発揮し、手染め・手描きといった伝統工芸を現代的に解釈しアパレルに取り入れた自身のヤングカジュアルブランド「-saian-彩庵」をスタート。
小林 剛(こばやし ごう、1976年8月23日 - )は、栃… 小林 剛(こばやし ごう、1976年8月23日 - )は、栃木県小山市出身の画家、現代美術家。 ギリシャ・ローマ神話の英雄や女神をモチーフとした歴史画・神話画・寓意画などの作品を制作。現代的な作品も制作している。 1994年、作新学院高等学校(当時は作新学院高等部)美術デザイン科を卒業後渡仏。2002年、フランス外務省カーサ・ヴェラスケス賞受賞。 同年、ブリュッセル王立芸術アカデミー(Académie royale des beaux-arts de Bruxelles )壁画科マスター修了時に、ベルギー国際議会場買い上げ。在学時より王立アカデミーで講師として教鞭をとっていた。 ルーアン美術学校でDNAP(フランス国家造形芸術免状)を取得後、2004年にパリ国立高等美術学校(École nationale supérieure des beaux-arts)卒業。
藤川 千景(ふじかわ ちかげ、1971年4月1日 - )は、… 藤川 千景(ふじかわ ちかげ、1971年4月1日 - )は、日本の元舞台女優、元画家、元画商。栃木県栃木市出身。 自身の身体を表現の軸として、ノンジャンルでの活動を行う。舞台女優としての表現のみならず、身体に水性ペンキをかぶり自身を筆としたパフォーマンスと映像からスタートし、女性のさがや様々な女性に内在している心情を多様な表現で行うコラボ作品制作など、主に女性の存在を元にした活動をライフワークとしている。
岸野 香(きしの かおり、1966年 - )は、日本の日本画… 岸野 香(きしの かおり、1966年 - )は、日本の日本画家。 1966年栃木県日光市生まれ。1985年栃木県立鹿沼高等学校卒業。1989年女子美術大学芸術学部絵画科日本画専攻卒業。1992年東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術日本画修了。 東京芸術大学美術学部日本画専攻助手、文星芸術大学美術学部美術学科日本画専攻助教授を経て、2008年4月より女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻准教授、2015年より同教授。日本美術院同人。 再興第94回(2009年)、第95回(2010年)日本美術院賞<大観賞>を受賞。
丸山 浩司(まるやま ひろし、1953年7月12日 - )は… 丸山 浩司(まるやま ひろし、1953年7月12日 - )は、日本の版画家(木版画)、美術教育研究者。多摩美術大学教授。 栃木県足利市出身。多摩美術大学在学中に吹田文明に師事し、木版画を始める。その後、東京芸術大学大学院に進学し野田哲也・中林忠良に師事、更に木版画研究を進める。その後、福島大学にて教員養成の仕事に従事し、教科書編集や鑑賞教育、現代美術研究を通して美術教育研究にも力を注ぐ。当初は生まれ故郷の足利にて友禅染めの色彩(渡良瀬川の友禅流し)に魅了され鮮やかな色彩による作品を手掛け、単行本の表紙やテレビドラマのセットに利用されるなど、社会的評価が高かったが、現在はモノクロームを基調にした静謐な作品が多い。
安藤 勇寿(あんどう ゆうじ、1951年5月14日 - )は… 安藤 勇寿(あんどう ゆうじ、1951年5月14日 - )は、日本の画家。「少年の日」をテーマに油性色鉛筆で作品を描いている。 31歳の頃より、「少年の日」と名付けたテーマで何気ない季節の中での日常を描き続けている。その「少年の日」という言葉の思いをつづった文がある。 このテーマである「少年の日」の作品の数々は、すべて油性色鉛筆で描かれている。大きさは13号作品が中心であるが、畳5枚サイズもある「泣きむし」や、畳2枚大の「つながり」、畳3枚大の「花びらの画用紙」等々、特大作品も数多く描いている。愛用の油性色鉛筆は、ファーバーカステル(Faber-Castell)社のポリクロモス(Polychromos)油性色鉛筆。
柄澤 齊(からさわ ひとし、1950年9月6日 - )は、日… 柄澤 齊(からさわ ひとし、1950年9月6日 - )は、日本の版画家、画家。 栃木県日光市に生まれる。1974年、創形美術学校研究科版画課程終了。日和崎尊夫に木口木版を師事、現代木口木版画の第一人者として活躍するかたわら、オリジナルコラージュ、ボックスオブジェなども手がけ、2008年以降は絵画作品を中心に制作している。 書籍の装丁として『堀田善衛全集』(筑摩書房1993年)、『ネルヴァル全集』(筑摩書房1997年)など。 書籍の装画として辻邦夫『西行花伝』(新潮社1995年)、『矢川澄子作品集成』(書肆山田1998年)、『決定版三島由紀夫全集』(新潮社2001年)などがある。 1993年、印刷と出版の工房「梓丁室」(していしつ)を開設、十九世紀の活版印刷機アルビオンプレスを用いたオリジナル版画集、詩画集、挿絵本なとの制作と発行を始める。
真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日… 真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日本の政治家、洋画家、教員。栃木県野木町長(5期)。栃木県初の女性首長である。 栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)生まれ。5歳より宇都宮市で育った。宇都宮大学教育学部附属小学校、宇都宮大学教育学部附属中学校、栃木県立宇都宮女子高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。同年に安宅賞を受賞した。1974年(昭和49年)、東京芸術大学大学院修士課程修了。 1975年(昭和50年)より県立高等学校美術科の教師の職に就く。また洋画家としてこれまでに個展を30回開催した。2002年(平成14年)12月、土曜美術社出版販売から共作で絵本を出版。
松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月2… 松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月29日 - 2012年(平成24年)11月15日)は日本画家、教育者。栃木県佐野市生まれ。日本美術院理事。 宇都宮大学教育学部美術科卒業。高等学校美術教諭を経て、今野忠一に師事。宇都宮文星短期大学特任教授を経て、1999年(平成11年)から2002年(平成14年)まで文星芸術大学教授。後、特任教授。1993年(平成5年)4月から東北芸術工科大学芸術学部美術科助教授、1996年(平成8年)4月から同教授。2006年(平成18年)4月から2011年(平成23年)3月まで同学長。同年4月から名誉学長となっていた。 2012年(平成24年)11月15日に呼吸不全のため死去。
五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、… 五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、1937年2月18日 - )は、前衛美術出身、フランス在住の画家。 栃木県宇都宮市に生まれる。教師であった両親の下で、幼少時より絵を描き始める。栃木県立石橋高等学校に進み、社会科教諭・大島清次に出会う。後に栃木県立美術館および世田谷美術館の館長となる大島は、当時の社会状況や現代思想について、ことあるごとに生徒たちに語って聞かせていた。社会の実相を見つめる目、美術への志向がこうして養われていく。 蕨画塾(埼玉県蕨市)に入り、彫刻を長谷秀雄に、絵画を寺内萬次郎、金子徳衛に学ぶ。同じ頃彫刻家・石井鶴三に出会ってその芸術観に感動し、東京芸術大学彫刻科の石井教室を目指して数度の受験に臨むが入学は叶わず、最後に合格通知を受け取った埼玉大学教育学部の美術科に入学することとなった。
田中一村(たなか いっそん、1908年7月22日 - 197… 田中一村(たなか いっそん、1908年7月22日 - 1977年9月11日)は、日本画家である。奄美大島の自然を愛し、その植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描いた。本名は田中孝。
刑部 人(おさかべ じん、1906年5月5日 - 1978年… 刑部 人(おさかべ じん、1906年5月5日 - 1978年3月8日)は、日本の洋画家。 栃木県下都賀郡家中村(現在の栃木市都賀町家中)に生まれる。東京府立一中時代には、同期に高見順や長沼弘毅がいた。同校在学中、高見順らと廻覧雑誌を創刊する。 1922年(大正11年)から川端画学校に通い、1924年(大正13年)に東京美術学校西洋学科に入学。東京美術学校在学中に和田英作に師事し、帝展に初入選した。 1929年(昭和4年)に東京美術学校西洋学科卒業。1943年に新文展で無鑑査となる。さらに1946年、1947年には出品作品が日展特選となった。 画家として順調なスタートを切ったが、ヨーロッパ各地で起こっていたフォーヴィズム、キュビズムをはじめとする新しい芸術運動の波のなかで、他の多くの画家たち同様に一時的なスランプに陥る。
鈴木 賢二(すずき けんじ、1906年1月 - 1987年1… 鈴木 賢二(すずき けんじ、1906年1月 - 1987年11月15日)は、栃木県出身の版画家、彫刻家。
牧島 如鳩(まきしま にょきゅう、明治25年(1892年)6… 牧島 如鳩(まきしま にょきゅう、明治25年(1892年)6月25日 - 昭和50年1975年)12月31日)は、栃木県出身の画家で、日本ハリストス正教会の自給伝道者。本名は省三(せいぞう)、聖名はパウェル・ペートロイチ。若いころの号は朝陽、1926年(昭和元年)頃から如鳩、1962年(昭和37年)からは如九と名乗った。伝道の傍らイコンも手がける一方、観音や達磨など仏画や日本の八百万神のみならず、両者を習合した仏耶一如とも言える独特の絵を描いた。 1892年、栃木県梁田郡御厨村字上渋垂(現在の足利市上渋垂町)に、南画家で正教徒の牧島百祿の長男として生まれる。百祿は地元の日本画家・田崎草雲の弟子でもあった。
石川 寒巌(いしかわ かんがん、1890年(明治 23年)2… 石川 寒巌(いしかわ かんがん、1890年(明治 23年)2月11日 - 1936年(昭和11年)3月25日)は、大正-昭和時代前期の日本画家。本名は石川寅寿。 1890年(明治 23年)2月11日栃木県那須郡黒羽町大字北野上(現:栃木県大田原市北野上)石川渉・カネ夫妻の次男として生まれる。本名の虎寿は、干支にちなんでいる。黒羽尋常小学校、大田原中学校を卒業後、1909年(明治42年)に19歳で上京、郵便局員として働くかたわら太平洋画会研究所に通って洋画を学び、その一方で佐竹永邨に日本画を習う。1910年(明治43年)肺炎を患い、夏の徴兵検査に不合格。1911年(明治44年)帰郷・結婚し、代用教員として勤務するかたわら、頃から西那須野の雲照寺に参禅し、釈戒光の感化を受け、「寒巌」の道号を与えられる。
清水 登之(しみず とし、1887年(明治20年)1月1日 … 清水 登之(しみず とし、1887年(明治20年)1月1日 - 1945年(昭和20年)12月7日)は、栃木県出身の画家。 栃木県下都賀郡国府村大字大塚(現・栃木市大塚町)で、清水藤十郎・ムラ夫妻の長男として生まれる。弟は東亜同文書院教授や外交官となった清水董三。(旧制)栃木県立栃木中学校から陸軍士官学校への進学を志し成城学校に転校。1906年に同校を卒業するも陸軍士官学校への受験に失敗し、翌年には単身アメリカ合衆国へ渡航する。暫くはシアトルで肉体労働に従事するが、1912年にオランダ人画家フォッコ・タダマが同地で開いていた画塾に入門した(同時期、洋画家の田中保や石垣栄太郎もここで学んでいる)。
川島 理一郎(かわしま りいちろう、1886年3月9日 - … 川島 理一郎(かわしま りいちろう、1886年3月9日 - 1971年10月6日)は、日本の洋画家。栃木県足利市出身。 1886年3月9日、栃木県足利市に生まれる。1890年、祖父母と共に東京へ転居。 1905年、アメリカへ渡り、ワシントンのコーコラン美術学校に入学、1910年に同校卒業。なお、同校在学中の1906年にはニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザインへ特待生として学び、褒状を得ている。 1911年にはフランスへ渡って、まずはパリのアカデミー・ジュリアンへ、その後アカデミー・コラロッシに学ぶ。翌1912年にサロン・ドートンヌで入選した。この時期、フランス当地のフォーヴィスム、キュビスムの新運動隆盛に刺激を受け、藤田嗣治、パブロ・ピカソなどと交友を結んだ。
小杉 放庵(こすぎ ほうあん、1881年(明治14年)12月… 小杉 放庵(こすぎ ほうあん、1881年(明治14年)12月30日 - 1964年(昭和39年)4月16日)は、明治・大正・昭和時代の洋画家・日本画家・歌人・随筆家。本名は国太郎、別号に未醒、放菴。 長男は東洋美術研究者の小杉一雄で、放庵の著作を多数編纂している。二男はインダストリアルデザイナーの小杉二郎。俳優の小杉義男は甥。 栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)に二荒山神社の神官・富三郎の子として生まれる。父は国学者でもあり、1893年(明治26年)から1897年(明治30年)にかけては日光町長も務めていた。 1896年(明治29年)から日光在住の洋画家・五百城文哉の内弟子となるが、五百城に無断で出奔、上京して白馬会洋画研究所に入る。
信田 一風(のぶた いっぷう、明治14年(1881年) - … 信田 一風(のぶた いっぷう、明治14年(1881年) - 昭和18年(1943年)、本名:信田直四郎)は、明治〜昭和時代の日本画家。 明治14年、栃木県根本(真岡市)の漢方医者の二男として生まれる。漢学を東台村の随光寺の覚菩姉に師事するも、塾内にては専ら絵筆を振り破門(当時13歳)。その後、画工矢橋夫箔の門に入り、花、鳥、山水、人物、と師法を学び、明治29年の秋、東京の鳥越に住する。その後、容斎派の松本楓湖に師事。帝展(現日展)等にも出品。特に人物画を得意とし、歴史画、仏画の百観音なども得意とする。明治39年と43年に福島地方にて画会を開く。昭和に入り、南千住の石浜神社に「天照大神」「猿田彦大神天孫降臨の画」を奉納。
関谷 雲崖(せきや うんがい、1880年(明治 13年)- … 関谷 雲崖(せきや うんがい、1880年(明治 13年)- 1968年(昭和43年))は、大正-昭和時代の日本画家。 1880年(明治 13年)栃木県那須郡黒羽町河原(現:栃木県大田原市河原)に生まれる。日本南画界の大家である小室翠雲に師事。文展入選3回、帝展入選4回など活躍し、1929年(昭和4年)には日本南画院院友となった。同じく日本画家の横山大観と交流があった。息子は画家の関谷陽(1902-1988)。
荒井 寛方(あらい かんぽう、明治11年(1878年)8月1… 荒井 寛方(あらい かんぽう、明治11年(1878年)8月15日 - 昭和20年(1945年)4月16日)は、近代の日本画家。本名は寛十郎。栃木県塩谷郡氏家町(現在のさくら市)生まれ。院展同人。 紋所や提灯の上絵を描く家に生まれる。父・藤吉は素雲と号し、瀧和亭に師事して南画を学んでいた。明治32年(1899年)瀧和亭の勧めで水野年方に入門、歴史画・風俗画を学ぶ。翌年、年方から「寛方」の号を与えられ、同門の四天王の一人と称される。明治34年(1901年)第10回日本絵画協会共進会に風俗画「温和」を出品し、2等褒状を受け、以後同会で受賞を重ねる。翌35年(1902年)国華社へ入社、同社出版の古美術雑誌『国華』で掲載する木製複製図版用に、仏画模写の仕事を通じて画家として修練を積んだ。
田口 米作(たぐち べいさく、元治元年4月6日 (1864年… 田口 米作(たぐち べいさく、元治元年4月6日 (1864年5月11日) - 明治36年(1903年)1月18日)は、明治時代の版画家、浮世絵師。 小林清親の門人。姓は田口、名は米作。桜川と号す。元治元年(1864年)4月6日、下野国(現・栃木県)都賀郡野田村(現・足利市)に生まれる。明治6年(1873年)上京し、初めは中村晩山に師事、後に明治14年(1881年)頃小林清親に入門する。父親は芝西久保で米屋を営んだ。明治24年(1891年)、清親が赤坂桧町に開設になった東京絵画学校の教授となって絵手本を提供した際、米作自身は井上委山とともに助教授を務めている。明治28年(1895年)に芝桜川町に移転している。
小堀 鞆音(こぼり ともと、1864年3月26日(文久4年2… 小堀 鞆音(こぼり ともと、1864年3月26日(文久4年2月19日) - 1931年(昭和6年)10月1日)は、日本画家、故実家。東京美術学校助教授、文展審査員、帝室技芸員などを務めた。 下野国安蘇郡旗川村小中村(現・栃木県佐野市)で、農業を営む須藤惣兵衛の三男として生まれた。本名は桂三郎。父惣兵衛は、農業のかたわら晏齋と号し、近隣から幟の武者絵なども依頼された。長兄の勝三は長じて桂雲と号し、南画系の山水画を描いた。 15歳頃から父や兄から画事を学ぶ。初めは狩野派を学び、次いで歴史人物画から大和絵にすすむ。同時期、私塾で国学・漢学を学んだ。1883年に小堀菊次郎の養子となり家督を相続する。1884年、川崎千虎に土佐派の絵と有職故実を学ぶ。