櫻井 ユウヤ(さくらい ゆうや、2007年6月30日 - )… 櫻井 ユウヤ(さくらい ゆうや、2007年6月30日 - )は、栃木県那須塩原市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 那須塩原市立稲村小学校では2年時に稲村クラブで野球を始め、6年時は主将で内野手。那須塩原市立黒磯北中学校では2年時まで日光ヤングSwallowsで投手兼捕手としてプレー。チーム解散に伴い、3年時は同中の軟式野球部でプレーした。 昌平高等学校では1年春から三塁の定位置をつかみ、夏の大会で2試合連続ホームランを含む打率.364(22打数8安打)、2本塁打、7打点の成績を残した。同年秋から四番・三塁手を任されチームを牽引。2年夏の県大会では打率.458(24打数11安打)、6打点を記録するも、決勝の花咲徳栄戦でチームが敗れ甲子園進出を逃した。
堀江 正太郎(ほりえ しょうたろう、2006年10月8日 -… 堀江 正太郎(ほりえ しょうたろう、2006年10月8日 - )は、東京都中央区出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 文星芸術大学附属高等学校では2年夏の第105回全国高等学校野球選手権大会に控え投手として出場し、2試合に登板した。3年夏はエースとなり、栃木大会1回戦で19奪三振を記録して完封勝利。同大会における1試合19奪三振は、江川卓に次ぐ歴代2位の記録だった。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから育成2位指名を受けた。11月20日に支度金290万円、年俸360万円で仮契約した。背番号は014。 2025年は開幕を三軍で迎え、プロアマ交流戦に登板するなどして経験を積んだ。
大塚 瑠晏(おおつか るあん、2003年10月26日 - )… 大塚 瑠晏(おおつか るあん、2003年10月26日 - )は、栃木県栃木市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 栃木県鹿沼市生まれで栃木市出身.鹿沼市立永野小学校1年時からあわのボーイズで軟式野球を始め、小学4年時に地元の少年団が合併するのを機に兄が所属する小山ボーイズに加入したが当時の自宅は後述の店の近くで、練習場までは栃木駅までバスで約40分、電車を2駅乗り、駅から自転車で30分。乗り換え時間を含めると片道2時間超であった。帰りは寝過ごして桐生駅まで行ったこともあるが、両親はあえて迎えに行かず駅員さんに帰る方法を聞きなさいと諭した。小5年のとき、兄の高校進学のため、一家で栃木市内に転居し栃木南小に転入、栃木南中卒業。
中沢 匠磨(なかざわ たくま、2003年8月6日 - )は、… 中沢 匠磨(なかざわ たくま、2003年8月6日 - )は、栃木県下都賀郡野木町出身のプロ野球選手(投手)。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 白鴎大学足利高等学校時代は1年生の秋から救援で活躍した。 白鷗大学に進学し、2年生の春からベンチ入り。2年時秋のリーグ戦第6節・関学戦で初先発し、6回4安打、3奪三振2失点の粘投で初勝利を収める。 2025年のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスに育成3位指名された。 最速150キロの力強いストレートと鋭く落ちるスプリットが武器の右腕。2025年8月の巨人三軍との試合では、2回無失点の投球を披露した。
石田 隼都(いした はやと、2003年4月5日 - )は、栃… 石田 隼都(いした はやと、2003年4月5日 - )は、栃木県真岡市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 真岡市立真岡小学校で軟式野球を始め、真岡市立真岡中学校では硬式野球のクラブチームである真岡ボーイズに所属。3年時にNOMOベースボールクラブのジュニアオールジャパンに選出された。 東海大学付属相模高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。2学年上に遠藤成、1学年上に山村崇嘉、西川僚祐、同級生に小島大河がいた。同年夏の第101回全国高等学校野球選手権大会に出場し、中京学院大中京との3回戦で大会初登板・初先発して5回1失点と好投したが、自身の降板後にチームが逆転を許し敗れた。
仲三 優太(なかみ ゆうた、本名:仲三河 優太〈なかみがわ … 仲三 優太(なかみ ゆうた、本名:仲三河 優太〈なかみがわ ゆうた〉、2002年10月22日 - )は、栃木県栃木市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校2年生から大平東クラブで軟式野球を始める。栃木市立大平中学校時代は小山ボーイズでは投手としてジャイアンツカップで準優勝に貢献し、U-15ワールドカップに出場した。U-15日本代表のチームメイトには後に西武で同期入団となる山村崇嘉がいた。 大阪桐蔭高等学校では投手として入部し、1年からベンチ入り。次期エース候補としても期待されていたが1年夏から右肩痛に悩まされ、3年から外野手となる。3年春には第92回選抜高等学校野球大会への出場が決まっていたが、新型コロナウイルスの影響で大会が中止となった。
長島 幸佑(ながしま こうすけ、2002年7月5日 - )は… 長島 幸佑(ながしま こうすけ、2002年7月5日 - )は、栃木県塩谷郡氏家町(現:さくら市)出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 さくら市立氏家中学校時代は硬式野球の『栃木さくらボーイズ』でプレーした。 佐野日本大学高校では2年夏ごろから球速が大幅に向上し、2年秋はエースナンバーを背負い、県大会では自己最速の143km/hを計測したが、青藍泰斗との準決勝で敗退。その後は新型コロナウイルスの影響で部活動の自粛を余儀なくされ、寮を離れて自宅で過ごすよう指示され、自主練習の時間を十分に確保するのも難しい状況で、本人は「環境のせいにしてはいけない。自分の甘さが出てしまって、努力が足りなかった」と当時を振り返り、3年時の球速は140km/h前後で停滞した。
石川 慧亮(いしかわ けいすけ、2002年5月1日 - )は… 石川 慧亮(いしかわ けいすけ、2002年5月1日 - )は、東京都板橋区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、マルハン北日本カンパニー硬式野球部に所属している。 兄は中日ドラゴンズ投手の石川翔。 板橋区立北野小学校1年時に梶山レッドスターズで野球を始め、板橋区立赤塚第一中学校時代は志村ボーイズに所属し、主に投手兼中堅手としてプレーした。 高校は兄である翔と同じ青藍泰斗高等学校へ進学。1年時の春からベンチ入りし、2年時秋の栃木県大会では優勝を経験。3年時8月に開催されたプロ志望高校生合同練習会では、木製バットを使用し、フリー打撃で2本の柵越えを記録した。 2020年のNPBドラフトでは指名漏れを経験するも、早期のNPB入りを目指すためBCリーグのトライアウトを受け栃木ゴールデンブレーブスの特別合格選手となり、練習生として仮契約を結んだ。
大山 凌(おおやま りょう、2002年3月27日 - )は、… 大山 凌(おおやま りょう、2002年3月27日 - )は、栃木県下野市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校2年生のときに野球を始め、下野市市立南河内中学校では硬式野球の『下野リトルシニア』に所属。3年時には全国優勝を経験した。 白鷗大足利高校では2年秋から背番号1を付けたが、3年夏は栃木大会1回戦で黒羽に敗れた。甲子園出場経験はなく、高校時代の最速は142km/hであった。 東日本国際大学へ進学するも、1年春のリーグ戦は新型コロナウイルスの影響で開催中止。1年秋から登板したが、2年春はチーム内の集団感染で出場辞退となった。ただ、2年秋は防御率0.36・奪三振率9.59、3年春は防御率0.35・奪三振率10.38と圧倒的な数字を残し、6月の全日本大学選手権に出場。
石井 巧(いしい たくみ、2002年3月2日 - )は、栃木… 石井 巧(いしい たくみ、2002年3月2日 - )は、栃木県那須郡小川町(現:那珂川町)出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。兄は埼玉西武ライオンズに所属する石井一成。 小川南小学校1年生のときに小川那珂クラブで野球を始める。小川中学校では軟式野球部に所属し、遊撃手としてプレーした。[要出典] 兄の母校である作新学院高校へ進学し、1年春からベンチ入り、2年春から遊撃のレギュラーを務めた。2年夏の甲子園では1回戦で敗退したものの、同年秋の栃木大会で準優勝を果たし、関東大会にも出場(1回戦敗退)。3年春の栃木大会でベスト8入りを果たした。3年夏は主将として、チームを牽引し、甲子園でベスト8に進出した。
関 桃子(せき ももこ、2001年11月6日 - )は、新潟… 関 桃子(せき ももこ、2001年11月6日 - )は、新潟県出身の元女子プロ野球選手。作新学院高等学校卒。ポジションは内野手。血液型AB型。 2020年、レイアに入団。同年は選手減少により、試合開催時には愛知ディオーネの選手として活動する。 2021年4月2日、自身のインスタグラムにて昨シーズン限りで女子プロ野球を退団したことを発表。
益子 京右(ましこ きょうすけ、2000年12月27日 - … 益子 京右(ましこ きょうすけ、2000年12月27日 - )は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小学校1年生のときに野球を始め、4年生で明保学童野球部に入る。女手一つで育ててくれた母が幼いころからキャッチボール相手だった。宇都宮市立宝木中学校時代は軟式野球部に所属。 青藍泰斗高校では1年秋から正捕手。石川翔は1年先輩に当たる。3年時は4番、主将としてチームを引っ張り、春の県大会は2本塁打、7打点の活躍で準優勝し、優秀選手に選ばれた。夏の県大会は準決勝で敗退し甲子園出場を逃すも、地肩の強さをアピールし、打撃では高校通算で23本塁打を記録した。 2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議にて横浜DeNAベイスターズから5位指名を受けた。
大川 茉由(おおかわ まゆ、2000年3月10日 - )は、… 大川 茉由(おおかわ まゆ、2000年3月10日 - )は、栃木県佐野市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。ホンダリヴェルタ所属。ソフトボール日本代表。 兄の影響で9歳からソフトボールを始める。埼玉県の花咲徳栄高等学校を卒業後、東京女子体育大学に進学。大学時代は主将を務めた。 2022年、JDリーグのホンダリヴェルタに入団。ルーキーイヤーからレギュラーに定着して27試合に出場すると、打率.282(東地区14位)の成績を残し、同地区の新人賞(野手)を受賞した。 2024年3月、日本代表に初選出された。 ホンダリヴェルタでは主にファーストを守っている。右足を大きく上げる一本足打法を特徴としている。
北浦 竜次(きたうら りゅうじ、2000年1月12日 - )… 北浦 竜次(きたうら りゅうじ、2000年1月12日 - )は、栃木県黒磯市(現:那須塩原市)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 幼少期は右投げだったが小学2年で軟式野球を始めた際、国体出場経験のある母親(ソフトボールの元埼玉県代表)に勧められ、左投げに転向した。中学時代は地元の硬式野球ボーイズリーグのチームである大田原ボーイズに所属し、投手兼外野手としてプレーした。[要出典] 白鷗大学足利高校入学後は1年秋からベンチ入りを果たした。2年秋は「4番・投手兼左翼手」として出場し、県3位で関東大会にも進出した。3年春は県大会で優勝した。[要出典]3年夏は準々決勝で文星芸大附高校に破れチームはベスト8止まり、甲子園出場はならなかった。
石川 翔(いしかわ しょう、1999年12月14日 - )は… 石川 翔(いしかわ しょう、1999年12月14日 - )は、東京都板橋区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。 弟は栃木ゴールデンブレーブスでプレーした石川慧亮。 小学3年生の時に徳丸原パンダースで外野手として野球を始め、小学校5年生から中学校1年夏まで東板橋リトルリーグで投手兼外野手としてプレーした。中学1年夏からは中学校卒業まで板橋シニアで投手兼外野手としてプレーした。当時、投手としてはチームでも2、3番手と言うレベルだった。中学時代に右膝の分離症の手術を受け、以後高校卒業に至るまで怪我に悩まされることとなる。 高校は練習環境が整っているとしてセレクションを経て栃木県にある青藍泰斗高校に入学。
中山 誠吾(なかやま せいご、1999年5月9日 - )は、… 中山 誠吾(なかやま せいご、1999年5月9日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 宇都宮市立田原西小学校2年生のときに西サンライズで軟式野球を始め、小学校4年生から中学生までは栃木ヤングベースボールクラブに所属。小学生時代には陸上競技でも活躍し、小学校5年、6年時に宇都宮市の大会の走幅跳で2連覇を達成している。 青藍泰斗高等学校では1年秋から遊撃手のレギュラーを掴む。2年春には栃木県大会で準優勝し、母校の6年ぶりの関東大会出場に貢献した。甲子園出場経験は無い。 白鷗大学に進学すると1年春からベンチ入り。2年春から一塁手のレギュラーに定着すると、同年秋から4番打者を務め、11打点で最多打点を獲得。
入江 大生(いりえ たいせい、1998年8月26日 - )は… 入江 大生(いりえ たいせい、1998年8月26日 - )は、栃木県日光市(旧 今市市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小学3年生のときに軟式野球チームの今市レイダースに入り投手を始める。日光市立今市中学校在学時に県央宇都宮ボーイズに所属。3年夏には投手兼外野手で全国大会ベスト8。 中学卒業後は作新学院高等学校に入学。今井達也と同学年のチームメイトになる。1年秋からベンチ入り。2年夏には夏の甲子園大会に背番号「11」としてメンバー入りし、3回戦九州国際大付戦で1イニングを無失点に抑える。3年夏には第98回全国高等学校野球選手権大会に一塁手、打順は3番もしくは4番として出場。
今井 達也(いまい たつや、1998年5月9日 - )は、栃… 今井 達也(いまい たつや、1998年5月9日 - )は、栃木県鹿沼市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのヒューストン・アストロズ所属。 小学1年から野球を始め、鹿沼市立西中学校時代はクラブチームの鹿沼レッドソックスに所属し、全国野球大会に出場した。 中学卒業後は作新学院高等学校に進学。2年夏は栃木大会で背番号「11」でベンチ入りし、準決勝の白鷗大学足利戦に先発するも、四球と大下誠一郎の右前安打でピンチを招き、二死一・三塁からライトスタンドへの同点3点本塁打を打たれ、1回3安打2四死球3失点で降板した。國學院栃木との決勝戦では6回からリリーフ登板したものの制球が定まらず、相手打者に対して頭部死球を与えるなど、1回1/3を1安打4四死球で降板した。
出井 敏博(いでい としひろ、1997年4月29日 - )は… 出井 敏博(いでい としひろ、1997年4月29日 - )は、栃木県小山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手だった。 小学校3年生より野球を始め、5年生から投手を務めるようになる。小中学校時代はエースとして活躍し、進学した埼玉栄高校でも、1年生秋からエースナンバーを背負った。高校卒業後は神奈川大学に進学。しかし、硬式野球部では周りの選手のレベルの高さに圧倒され、野球を辞めようと何度も考えるようになった。それでも踏みとどまり、主にリリーフでの起用で大学時代を過ごした。 2019年10月17日に行われたドラフト会議において埼玉西武ライオンズから育成ドラフト1位で指名され、11月21日に支度金350万円、年俸400万円にて入団合意した。
藤吉 優(ふじよし まさる、1996年8月7日 - )は、中… 藤吉 優(ふじよし まさる、1996年8月7日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投げ左打ち。福岡県那珂川町出身。
田嶋 大樹(たじま だいき、1996年8月3日 - )は、栃… 田嶋 大樹(たじま だいき、1996年8月3日 - )は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 父親の影響を受け、小学校から宝木ファイターズで軟式野球を始め、6年時にエースとして県大会で優勝をする。中学校では硬式野球の鹿沼ボーイズに所属し、3年に世界大会に出場した。 佐野日本大学高等学校では1年夏からベンチ入りして、1年秋から背番号11ながら主戦を任され秋・春連続で関東大会進出。2年秋から背番号1を背負い、2年秋の関東大会では淺間大基・髙濱祐仁を擁する横浜高校を破り関東大会ベスト4に進出し、選抜出場を決める。3年春の選抜大会に出場すると、1回戦の鎮西戦で完封勝利。
笹沼 菜奈(ささぬま なな、1996年1月26日 - )は、… 笹沼 菜奈(ささぬま なな、1996年1月26日 - )は、栃木県矢板市出身の元女子プロ野球選手(投手)。 埼玉栄高等学校、平成国際大学卒。 2014年と2016年、「マドンナジャパン」に選出される。 2017年の入団テストを経て愛知ディオーネに入団。 2020年12月28日、自身のTwitterで女子プロ野球から退団することを発表した。 2021年からは東海NEXUSに所属することが発表された。 50m走は8秒0、遠投80m。最速126㎞のストレートが武器。
石井 一成(いしい かずなり、1994年5月6日 - )は、… 石井 一成(いしい かずなり、1994年5月6日 - )は、栃木県那須郡小川町(現:那珂川町)出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。弟は東京ヤクルトスワローズに所属する石井巧。 小川那珂クラブで軟式野球を始める。小川中学校時代には軟式野球部に所属していた。 作新学院高校では1年秋からレギュラー。2年夏、3年春夏と3季連続で甲子園に出場し、2年時の夏の甲子園ではベスト4、3年生の夏の甲子園ではベスト8。3年生で主将を務める。 早稲田大学スポーツ科学部に進学。 野球部では1年春からリーグ戦出場。3年春に遊撃手でベストナインに選出。4年時は主将を務める。リーグ通算80試合に出場、237打数68安打、打率.287、6本塁打、33打点、10盗塁、ベストナイン1回。
星 知弥(ほし ともや、1994年4月15日 - )は、栃木… 星 知弥(ほし ともや、1994年4月15日 - )は、栃木県那須郡那珂川町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 高校時代からプロスカウトから注目されたが、プロ志望をせずに明治大学へと進み、硬式野球部に入部した。1年春のリーグ戦で154km/hを計測した。大学通算成績は、46試合に登板し、4勝5敗、防御率2.59。ちなみに1年先輩に高山俊や坂本誠志郎、同級生に柳裕也や佐野恵太などがいる。 2016年10月20日に行われたドラフト会議で東京ヤクルトスワローズからドラフト2位指名を受けた。そして2016年12月1日、契約金7000万円、年俸1200万円で仮契約した。背番号は24。
弓削 隼人(ゆげ はやと、1994年4月6日 - )は、栃木… 弓削 隼人(ゆげ はやと、1994年4月6日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 身長は193cmで、2021年に阿部剣友に抜かれるまではNPBの日本人左腕投手で歴代最長身であった。 実家では祖父から2代にわたってラーメン店を経営。佐野市立吉水小学校で野球を始め、佐野市立田沼東中学校時代は佐野シニアに所属。佐野日本大学高校に進学すると2年春からベンチ入りし、3年春からはエースを務めたが、甲子園球場の全国大会とは無縁であった。野球部の2年後輩に田嶋大樹がいる。 日本大学への進学後は肩や肘の故障もあり、入学から2年間での公式戦登板はわずか1試合のみであった。4年になると頭角を現し、4年秋では初の完封勝利を挙げるなど2勝0敗・防御率1.93という好成績で敢闘賞を受賞し、チーム25季ぶり(2004年春以来)となる東都大学1部リーグ優勝に貢献した。
柿原 翔樹(かきはら しょうき、1993年4月23日 - )… 柿原 翔樹(かきはら しょうき、1993年4月23日 - )は、福岡県筑紫郡那珂川町出身の元プロ野球選手(内野手)。
松崎 啄也(まつざき たくや、1992年1月20日 - )は… 松崎 啄也(まつざき たくや、1992年1月20日 - )は、栃木県鹿沼市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)。 鹿沼市立菊沢東小学校の2年次より菊東スポーツで野球を始め、鹿沼市立北中学校に在学時は鹿沼ボーイズに所属した。 作新学院高等学校では3年次の夏に4番として活躍し、第91回全国高等学校野球選手権大会に同高は31年ぶりの甲子園出場を果たした。同大会の1回戦で長野日大に敗れるものの、4番捕手で先発出場して、3安打1打点の成績を残した。 作新学院大学に進学後、日本製紙石巻に入社した。捕手として所属していたが、2015年は主に一塁手での出場が多かった。 2015年10月22日、ドラフト会議において読売ジャイアンツに8位指名を受けて入団。
梅野 隆太郎(うめの りゅうたろう、1991年6月17日 -… 梅野 隆太郎(うめの りゅうたろう、1991年6月17日 - )は、阪神タイガースに所属する福岡県筑紫郡那珂川町出身のプロ野球選手(捕手)。阪神入団後の愛称は「梅ちゃん」。
板倉 寛樹(いたくら ひろき、1990年9月8日 - )は、… 板倉 寛樹(いたくら ひろき、1990年9月8日 - )は、栃木県栃木市出身の日本のプロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投左打。日米の複数の独立リーグ球団でプレーした。 佐野日本大学高等学校を経て日本大学に進むが、中退した。2010年にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)のトライアウトを受験し、信濃グランセローズから12月のリーグドラフトで指名を受ける。 2011年は43試合に出場して打率.271の成績だった。翌2012年のシーズン開幕後に信濃を退団、5月21日に同じリーグの富山サンダーバーズ(現・富山GRNサンダーバーズ)に入団した。 2013年シーズン開幕前にアメリカ合衆国のテキサス・ウィンターリーグでテキサス・サンダー(英語版)に派遣され、首位打者を獲得した。
佐藤 祥万(さとう しょうま、1989年8月18日 - )は… 佐藤 祥万(さとう しょうま、1989年8月18日 - )は、栃木県日光市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学3年生の時に少年野球の所野ブラックパンサーズで野球を始める。最初は外野手だったが、監督に出した年賀状にピッチャーをやりたいと書いて、以来ポジションは投手一筋。日光東中では軟式野球部に所属し、4番打者兼投手として栃木県大会に出場。進学した文星芸大附高校では1年生の夏季県大会からベンチ入り。 2年次の夏季県大会では背番号10の2番手投手として出場。4回戦では宇都宮清陵を相手に5回参考記録ながら完全試合を達成。チームを甲子園出場に導いた。第88回全国高等学校野球選手権大会では初戦でダース・ローマシュ匡、上田剛史を擁する関西に逆転勝ち。
高島 知美(たかしま ともみ、1988年5月2日 - )は、… 高島 知美(たかしま ともみ、1988年5月2日 - )は、日本の女子野球選手。栃木県佐野市出身。野球日本女子代表に3年連続で選出。ポジションは捕手。平成国際大学女子野球部の元主将。 3歳の頃から野球を始める。小中学校時代は地元のクラブチームで活躍した。しかし男子との体力差を何度も感じたことなどもあって高校進学後は野球を続けることを諦めかけていたが、そんな彼女を見抜いた花咲徳栄高等学校女子野球部監督の濱本光治は「一度、花咲徳栄の試合を見に来なさい」と書いたはがきを送り、それに誘われて試合を観に行き、そこで目にした「楽しむ野球」に魅了されたことがきっかけで、花咲徳栄に入学して女子野球部に入部、3年生時に全国高校女子野球大会に出場、初優勝に大きく貢献する。
澤村 拓一(さわむら ひろかず、1988年4月3日 - )は… 澤村 拓一(さわむら ひろかず、1988年4月3日 - )は、栃木県栃木市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 投手として読売ジャイアンツでは4度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献。個人ではNPBで最多セーブ投手の個人タイトルを1度獲得した他、新人王を獲得している。 メディアによっては新字体の沢村 拓一の表記も見られる。 小学2年時に野球を始め、6年から投手を務める。この頃から自己主張が強かったという。栃木市立東陽中学校でも野球部に所属して県大会に出場。佐野日大高校時代は3番手投手として夏を迎え、登板機会がないまま栃木大会決勝で敗退。高校の先輩で、中央大学OBでもある会田有志の勧めもあって中央大学硬式野球部を受験した。
相澤 寿聡(あいざわ としあき、1987年12月14日 - … 相澤 寿聡(あいざわ としあき、1987年12月14日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 栃木県足利市で、4人兄弟の3番目(兄・姉・妹)として生まれる。4歳の時に父親を亡くし、母子家庭で育つ。小学校1年から野球を始める。 中学校の時に左利きであることを生かし、投手に転向。初登板で無安打無得点の快投をした。高校進学時、数校の誘いの中から群馬県の太田市立商業高校を選び、足利市の自宅から通学。朝5時半には家を出て、夜10時すぎに帰宅する毎日だった。 太田市商ではエースとして活躍し3年夏は決勝まで勝ち進むが前橋商業に敗退し甲子園出場はならなかった。同期に細谷圭がいる。 2005年の高校生ドラフト4巡目で広島東洋カープから指名され、契約金2,000万円、年俸450万円(推定)で契約を結んだ。
笹沼 明広(ささぬま あきひろ、1987年7月17日 - )… 笹沼 明広(ささぬま あきひろ、1987年7月17日 - )は、栃木県矢板市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 矢板市立矢板中学校時代は、軟式野球部に所属。 作新学院高時代は、2年時の春に第76回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の岡山城東高戦では、6番・右翼手としてスタメン起用されるも0-3で敗退。3年時は主に一塁手として起用され、春は関東地区高等学校野球大会で同校32年振りの優勝を達成。夏は、栃木大会ベスト8で敗退した。 高校卒業後は、関甲新学生野球連盟に加盟する作新学院大学に進学し、捕手としてプレー。1年時から中軸を務める。3年時の秋に指名打者、4年時の春に捕手としてベストナインに選出されている。
寺田 哲也(てらだ てつや、1987年4月2日 - )は、栃… 寺田 哲也(てらだ てつや、1987年4月2日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代から野球を始め、中学生の時には所属チームが第19回全国少年軟式野球大会に出場している。小学生では投手、中学生時代は野手であった。 作新学院高進学後は再び投手となる。高校時代は3年生時に関東大会で優勝したが、甲子園大会には出場できなかった(2年生時の第76回選抜高等学校野球大会に作新学院高校は出場したが、寺田が登板する機会はなかった)。 作新学院大学に進学後は、4年生時に社会人野球のJR東日本東北や東京ガスの練習に参加したことを契機に球速が向上した。大学野球部コーチの紹介で新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの入団テストを受けて合格し、2010年のシーズンより加入した。
久米 勇紀(くめ ゆうき、1985年9月10日 - )は、日… 久米 勇紀(くめ ゆうき、1985年9月10日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。栃木県足利市出身。 栃木県足利市出身。桐生第一高等学校時代は、主将・二塁手として2003年の第85回全国高等学校野球選手権大会に出場し、ベスト4に貢献。高校時代は俊足と堅実な守りや球捌きのよさをセールスポイントとした内野手だった。 明治大学入学後投手に転向。1年次の春季リーグ戦で東京六大学野球リーグ戦優勝を経験した(この時久米は試合には出場していない)。 同年秋の開幕戦(対東京大学)に救援で初登板を果たし好投するが、松家卓弘に完封負けを喫した苦い試合だった。4年次(2007年)には古川祐樹(巨人)、水田裕(東邦ガス)、白石守(三菱重工名古屋)と合わせて「明大カルテット」または「M4」と呼ばれた強力投手陣を形成した。
関口 雄大(せきぐち ゆうた、1985年8月26日 - )は… 関口 雄大(せきぐち ゆうた、1985年8月26日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(外野手)。
石川 俊介(いしかわ しゅんすけ、1985年8月12日 - … 石川 俊介(いしかわ しゅんすけ、1985年8月12日 - )は、栃木県安蘇郡葛生町(現:佐野市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 葛生町立会沢小学校4年時に、会沢学童クラブで野球を始めた。男女あわせて総勢15人の弱小チームで大差がついても泣きながら投げ、当時バッテリーを組んでいた捕手は石川の速球を捕るだけで手が痛くなり大変だったと語っている。その後、葛生町立葛生中学校から葛生高校に進学して高校2年時に本格的に投手へ転向。 高校卒業後は関甲新学生野球連盟所属の上武大学ビジネス情報学部へ進学。4年時の2007年に大学選手権2回戦で6回コールド完封したものの、準々決勝では救援登板で満塁ホームランを浴びて敗れ、ベスト8に留まった。
岡田 幸文(おかだ よしふみ、1984年7月6日 - )は、… 岡田 幸文(おかだ よしふみ、1984年7月6日 - )は、栃木県塩谷郡高根沢町出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。左投左打。 2011年にはリーグ新記録となる「外野手のシーズン連続守備機会無失策」359を樹立したことにより、特別表彰を受けた。一方、プロ入り以来本塁打が無く、2014年には初打席以来1773打席連続本塁打無しの新記録を達成し、2018年に現役を引退するまで全2501打席で無本塁打だった。 作新学院高等部では、2年夏は「1番・中堅手」として栃木県予選に出場。同大会の決勝で会田有志(のち巨人)擁する佐野日大高校に敗れる。2年秋から主将を務め、俊足の一番打者として活躍。チームは秋季県大会で準優勝、春季県大会では優勝したものの、本命として迎えた3年夏の栃木県予選では4回戦で那須拓陽高に0対2で敗れ、甲子園出場はならなかった。
長井 功一(ながい こういち、1984年5月14日 - )は… 長井 功一(ながい こういち、1984年5月14日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は2。栃木県出身。 栃木県立宇都宮商業高等学校、日本大学卒業。 2007年は独立リーグ・BCリーグの審判員として活動。2009年1月1日にパシフィック・リーグ審判員となる。同期入局の芦原英智とともに、BCリーグ経験者初のNPB審判員採用者となった。 2013年9月10日のヤクルト対広島第20回戦(明治神宮野球場)で三塁塁審として一軍初出場。 2020年10月18日のDeNA対巨人第20回戦(横浜スタジアム)の2回無死一・二塁の場面にて、巨人の大城卓三が放った二塁への小フライを二塁手のネフタリ・ソトがグラブに当てて落球。
金澤 岳(かなざわ たけし、1984年5月5日 - )は、栃… 金澤 岳(かなざわ たけし、1984年5月5日 - )は、栃木県大田原市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。現在は千葉ロッテマリーンズの二軍バッテリーコーチ。 矢板中央高等学校では2年秋から4番を打ち通算35本塁打。3年夏の県大会ベスト4が最高で、甲子園出場はなかった。 2002年11月20日に行われたドラフト会議では、千葉ロッテマリーンズから6位指名を受け、入団した。背番号は62。 2007年は、二軍で71試合に出場。打率.280の好成績を残し、二軍のレギュラーを確保した。 2008年は、一軍の正捕手である里崎智也、第三捕手である田中雅彦が2人とも故障で戦線離脱した影響で一軍昇格。5月9日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でその里崎・田中の穴を埋めていた橋本将までもが、初回のクロスプレーでホセ・フェルナンデスにタックルを受けて負傷退場したため、2回表にプロ6年目にしてプロ初出場を果たした。
小針 崇宏(こばり たかひろ、1983年6月22日 - )は… 小針 崇宏(こばり たかひろ、1983年6月22日 - )は、栃木県宇都宮市出身の野球指導者。作新学院高等学校保健体育科教諭。 1983年宇都宮市生まれ。 4歳年上の兄が野球をやっていた影響で、小学2年生のときから野球を始めた。宇都宮市立陽西中学校でも野球部に所属。 作新学院高等部2年時であった2000年春に第72回選抜高等学校野球大会に内野手として出場し、チームはベスト8進出。3年時は主将に就任したが、夏の大会は県予選決勝で敗退した。 高校卒業後の2002年4月より筑波大学体育専門学群へ進学。大学でも野球部に入り、入学直後の春に怪我した先輩の代役で試合に出場し注目されたことによって、1年からレギュラーとなった。
染谷 美佳(そめや みか、1983年6月2日 - )は、ブラ… 染谷 美佳(そめや みか、1983年6月2日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の日本国籍の女子ソフトボール選手(投手)・指導者。元ソフトボール日本代表。 ブラジル・サンパウロ州アチバイアで出生。12歳でソフトボールを始め、1999年の世界ジュニア選手権にブラジル代表として出場した経歴を持つ。 ブラジルから単身でソフトボール技倆向上を目指して来日し、白鷗大学足利高等学校で学ぶ。高校卒業後にデンソーに入団し、投手として活躍。 2008年、ソフトボール日本代表として北京オリンピックに出場し、1次リーグ最終戦のカナダ戦にリリーフ登板した。日本代表の金メダル獲得により紫綬褒章受章。 2012年の世界選手権(カナダ)にも日本代表として出場。
寺内 崇幸(てらうち たかゆき、1983年5月27日 - )… 寺内 崇幸(てらうち たかゆき、1983年5月27日 - )は、栃木県栃木市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、プロ野球コーチ。右投右打。現在は東京ヤクルトスワローズで内野守備走塁コーチを務める。 栃木県立栃木工業高等学校からJR東日本入り。都市対抗野球大会ではJR東日本硬式野球部の4強入りに貢献、インターコンチネンタル杯では日本代表入り。 2006年の大学生・社会人ドラフト会議において読売ジャイアンツから6巡目指名を受け入団。背番号は「69」。 2007年の春季キャンプで、金刃憲人・上野貴久・円谷英俊と共に、球団としては4年ぶりの新人一軍スタート。開幕後は二軍で経験を積む。 2008年から、背番号を2006年まで大西崇之が背負った「00」に変更。
飯原 誉士(いいはら やすし、1983年4月26日 - )は… 飯原 誉士(いいはら やすし、1983年4月26日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。栃木県小山市出身。
髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )… 髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )は、栃木県小山市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークスコーチ。 小山市立大谷東小学校では2年生時に1歳上の兄とともに雨ケ谷学童に所属して軟式野球を始め、三塁手だった。小山市立大谷中学校でも軟式野球部に所属し三塁を守った。 小山北桜高校へ進学すると強肩を買われて捕手に転向。投手だった兄と兄弟バッテリーを組んだ。甲子園への出場はなかったが、2年春に同校最高成績となる県大会ベスト4に進出するなどチームを牽引した。 高校卒後はプロ野球選手を目指し、富士重工業に進んだ。1年目は原因不明の左膝痛に悩まされ、後に腰痛も併発し、公式戦に1試合も出場しないまま2年目の12月に退社。
髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )… 髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )は、栃木県小山市出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、… 大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手(内野手)。 足利市立小俣小学校で野球を始め、足利市大会で優勝。足利市立小俣小学校では県大会に出場した。群馬県立前橋工業高等学校に進学後は2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で三上真司、東出輝裕を擁する敦賀気比高等学校に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で川口知哉の平安高等学校に敗退。甲子園通算31打数9安打.290を記録。 在学中は大型内野手として高校通算20本塁打を記録。また高校日本選抜にも選ばれるなど、ドラフト指名も噂されたが東北福祉大学に進学することとなった。 同大学では1年春からレギュラーとして活躍し、その年には日米大学野球代表にも選出された。
増淵 まり子(ますぶち まりこ、1980年1月24日 - )… 増淵 まり子(ますぶち まりこ、1980年1月24日 - )は、栃木県出身の女子ソフトボール選手(投手)・指導者。2000年シドニーオリンピック銀メダリスト。淑徳大学教育学部こども教育学科助教。 東京女子体育大学卒業。現在は東京女子体育大学ソフトボール部監督。
山田 美葉(やまだ みよう、1976年9月11日 - )は、… 山田 美葉(やまだ みよう、1976年9月11日 - )は、千葉県出身(育ちは群馬県太田市)の女子ソフトボール選手(捕手・内野手(三塁手))。元日立高崎所属。2000年シドニーオリンピック銀メダリスト。本名は千葉美葉。 父親が野球をしていた影響でソフトボールを始める。幼い頃から毎日欠かさず素振りを100回していた。 足利学園高校(3年生時に白鷗大学足利高校に校名変更)を卒業後、宇津木妙子監督が指揮する日立高崎に入団。パンチ力のある打撃に加え、強肩、柔軟な配球で数々の優勝に貢献。 2000年シドニーオリンピックでは、打率.348・本塁打1・二塁打1とチームトップの成績を収め、銀メダル獲得に貢献。 現在は主婦の傍ら、髙山樹里とソフトボール教室を開いている。