多湖 輝(たご あきら、1926年2月25日 - 2016年… 多湖 輝(たご あきら、1926年2月25日 - 2016年3月6日)は、日本の心理学者。千葉大学名誉教授。元東京未来大学学長。代々木アニメーション学院名誉顧問。 多湖輝研究所所長、東京都「心の東京革命」推進協議会会長、特定非営利活動法人「0歳からの教育」推進協議会理事長、東京アマチュア・マジシアンズクラブ会長、日本創造学会名誉会長などを務めた。 スマトラ島生まれ。父は三井物産のシンガポール支店長だが、のち独立し、スマトラでゴム生産工場を始めた。 1929年:昭和恐慌で父の事業が失敗し、一家で日本に帰国、父は徳川義親の顧問となる。目白の徳川邸内の住宅に住み、北豊島郡高田町高田第五尋常小学校(現:豊島区立目白小学校)に学ぶ。
町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日… 町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日 - 2019年〈平成31年〉1月16日)は、日本の物理学者。専門は量子力学。理学博士(1959年)。京都大学名誉教授。 群馬県前橋市に生まれる。小学2年のときに千葉県へ移り、さらに東京へ転居。旧制武蔵高等学校を経て、1949年東京大学理学部物理学科卒、1959年理学博士。1952年広島大学講師、1955年立教大学助教授、1961年同教授、1966年京都大学理学部教授、1990年定年退官、名誉教授となる。1976年より日本学術会議員。
東 洋(あずま ひろし、1926年2月3日- 2016年12… 東 洋(あずま ひろし、1926年2月3日- 2016年12月13日)は、日本の心理学者。Ph.D(イリノイ大学・1960年)。東京生まれ。専門は、多岐にわたり日本における教育心理学・発達心理学・教育工学の分野に業績を残している。
佐戸 英三郎(さど えいさぶろう、1926年2月1日 - 2… 佐戸 英三郎(さど えいさぶろう、1926年2月1日 - 2018年3月25日)は、日本の法学者、商学者、会計学者、税理士、会計士補、司法書士。専門は税法原理論、会計監査、会計管理論、その他経営実務法務全般。山梨学院大学名誉教授。佐戸会計・法務事務所 元代表。税理士法人あんしん合同会計 元業務執行社員。 東京都八王子市出身。税法学を中心とした法学、会計監査や会計管理論を中心とした商学・会計学において、数多くの研究指導を行った。大学での活動のほか、税理士・会計士補(公認会計士有資格者・会計士補登録)・司法書士・社会保険労務士などとして、数多くの顧問先の指導・関係当局との折衝などを行い、死去する日まで現役で活動を行っていた。
西村 亨(にしむら とおる、1926年1月25日- )は、国… 西村 亨(にしむら とおる、1926年1月25日- )は、国文学・民俗学者、慶應義塾大学名誉教授。
田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 20… 田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 2015年2月16日)は日本の化学者、理学博士。東京工業大学名誉教授。文化功労者。専門は光化学。 東京工業大学教授、学長などを歴任。光イオン化質量分析法の開発や、分子の電子状態を精密に測定する分子光化学の先駆的な手法開発などで知られる、光化学のパイオニア。
森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4… 森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4月1日)は、日本の病理学者、東京大学名誉教授・元総長。元国立大学協会会長。元日本医学会会長。医学博士(1957年)。東京生まれ。2012年4月1日、肺炎のために、東京大学附属病院で死去。86歳没。叙従三位
佐田 登志夫(さた としお、1926年1月8日 - 2010… 佐田 登志夫(さた としお、1926年1月8日 - 2010年4月13日)は、日本の生産工学者。1996年「コンピューターモデルによる設計生産の総合化」(共同研究)で日本学士院賞を受賞。東京都出身。 父は内務省復興局勤務中に聖橋の橋梁設計に関わった土木設計者の佐田昌夫。息子は日本機械学会会長佐田豊 専門は生産加工学。機械磨耗、切削加工、研削加工、工作機械、フレキシブル生産システムなど広い分野で独創的な研究を行う。また、その成果は工作機械メーカや自動車メーカに導入され、生産設備の高精度化と自動化に直接結びつき、さらにコンピュータメーカと機械メーカからなる統合化設計生産システムのコンソーシアムを組織するなど、日本のものづくりをリードする。
清寺 眞(せいじ まこと、1926年 - 1982年9月30… 清寺 眞(せいじ まこと、1926年 - 1982年9月30日)は、日本の医学者、皮膚科医。東北大学教授。色素細胞が作るメラニン顆粒”melanosome"の発見とその命名者。悪性黒色腫の4番目の病型を世界に先駆けて、掌蹠・爪下・粘膜型(palmoplantal-subungal-mucosal type)” として提唱 (残念ながら現在 欧米で提唱された末端黒子型(acral lentiginous type) が汎用されている)。 1926年2月1日鎌倉にて生まれ、東京の誠之小学校、府中第五中学校、旧制都立高校を経て、1949年に東京大学を卒業、翌年東京大学医学部皮膚科に入局し、北村包彦教授に師事した。
星埜 禎男(ほしの さだお、1926年 - 2004年2月1… 星埜 禎男(ほしの さだお、1926年 - 2004年2月17日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。中性子回折・散乱研究が専門。 武蔵高等学校を卒業後、1948年3月、大阪大学理学部化学科を卒業。同年、大阪大学理学部副手。1949年4月、東京工業大学理学系助手。1959年4月、東京工業大学理工学部助教授。1960年5月、東京大学物性研究所助教授。1967年1月、同研究所教授。1987年3月に東京大学を定年退職し、同年、東京大学名誉教授となった。同年9月には筑波大学物理工学系教授に就任し、1990年3月に筑波大学を定年退職。 1958年、大阪大学理学博士。論文の題は「アルフア沃化銀の異常結晶構造の研究 」。
石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年〈大正14年〉12… 石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年〈大正14年〉12月3日 - 2018年〈平成30年〉7月6日)は、日本の免疫学者。医学博士。ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長。位階は従三位勲一等瑞宝章。文化勲章受章者。IgE抗体の発見者として知られる。 東京府生まれ。父は陸軍少将の石坂弘毅。叔父は元経団連会長石坂泰三。府立二中、旧制成蹊高等学校を経て、1948年、東京大学医学部卒業。 国立予防衛生研究所免疫血清室長、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部教授(京都大学医学部教授兼任)、 ラホイヤ・アレルギー免疫研究所所長、カリフォルニア大学内科教授、米国免疫学会会長等歴任。
中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)… 中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)10月13日 - 2017年(平成29年)8月26日)は、日本の哲学者、評論家、文学博士。明治大学名誉教授。 東大哲学科卒。卒業後、文化放送に就職するが、1955年から明大に勤務し、1964年に教授となった。 早くからフランス人文主義に関心をもち、パスカルやデカルトを研究し『パスカルとその時代』(1965年)を書く。一方、近代合理主義を厳しく批判し、感性や情念の正当な位置づけを試みて『感性の覚醒』(1975年)を著した。また人間存在を根源から回復させる方法として、人間の共通感覚を重視する『共通感覚論』(1979年)を執筆。現代日本を代表する国際的な哲学者の一人。
大村 政男(おおむら まさお、1925年10月4日 - 20… 大村 政男(おおむら まさお、1925年10月4日 - 2015年10月31日)は、日本の心理学者。文学博士(日本大学・論文博士・1982年)。日本大学名誉教授。2006年瑞宝中綬章受章。 東京府出身。日本大学第二高等学校、日本大学法文学部心理学科卒業、同大学院修士課程修了。1982年「顕現性不安の構造に関する研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。少年鑑別所にて鑑別技官を務めた後、日本大学文理学部教授、1996年定年、名誉教授。2006年瑞宝中綬章を叙勲。1995年 日本応用心理学会名誉会員、2000年 日本心理学会名誉会員。 血液型と性格の関係に懐疑的な立場で一連の論文や著作を発表した。
仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日… 仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日本の数学教育者、元埼玉大学教授。
上野 一郎(うえの いちろう、1925年5月24日 - 20… 上野 一郎(うえの いちろう、1925年5月24日 - 2015年12月27日)は、日本の教育者・経営学者で学校法人産業能率大学理事長および産能大学・産能短期大学の学長、学校法人産業能率大学最高顧問を務めた。「能率の父」と呼ばれる上野陽一の長男。また、日本における最初期の写真家で、「日本写真の開祖」として知られる上野彦馬は大伯父に当たる(一郎の祖父・幸馬の実兄が彦馬)。
石光 亨(いしみつ とおる、1925年5月17日 - 201… 石光 亨(いしみつ とおる、1925年5月17日 - 2013年6月15日)は、日本の地理学者(経済地理学)。神戸大学名誉教授。 1925年にメキシコのベラクルス州にて出生。1943年に麻布中学校、1945年に都立高等学校理科三類を卒業し、東京大学へ進学する。1949年に東京大学理学部地理学科を経て大学院へ進学し、1952年に後期課程を修了した。1952年にフルブライト交換留学生として渡米。1953年にミシガン大学天然資源学部大学院を修了する。同年にイェール大学天然資源学部招聘学生となり、1954年まで大学院で学んだ。 イェール大学大学院退学後に総理府資源調査会事務局へ就職し、1956年から科学技術庁資源局資源統計課で働く。
内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 202… 内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 2021年5月3日)は、日本の建築生産学者、建築家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。一級建築士資格所有。 東京都生まれ。内田祥三(建築構造学の大家で東京帝国大学学長を歴任)の二男。兄は、敗戦後まもなく夭逝した建築家内田祥文。 武蔵高等学校 (旧制)を卒業。東京帝国大学工学部建築学科卒業後、逓信省、電気通信省を経て、日本電信電話公社建築部(現・NTTファシリティーズ)に勤務。 1961年、東京大学工学博士。論文の題は「建築構法の分析と綜合の研究」。 東京大学助教授-教授-名誉教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学教授を歴任。1993年、日本建築学会会長。
稲垣 富士男(いながき ふじお、1925年2月12日 - )… 稲垣 富士男(いながき ふじお、1925年2月12日 - )は、日本の経営学者・会計学者。商学博士(論文博士・1969年)。青山学院大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 東京市(現江東区)出身。1942年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒、1945年陸軍経理学校卒、1947年中央大学商学部卒、同大学院商学研究科博士課程中退、1969年「連結財務諸表論 アメリカにおける発展を中心として」で、商学博士の学位を取得。 中央大学助教授、日本大学商学部助教授、青山学院大学経営学部教授。1993年定年、名誉教授。 2002年、勲三等旭日中綬章受章。
下村康正(しもむら やすまさ、1925年2月10日 - 20… 下村康正(しもむら やすまさ、1925年2月10日 - 2009年8月18日)は、日本の法学者。刑法学者。学位は、法学博士(中央大学)。元司法試験考査委員。中央大学名誉教授。東京都生まれ。 旧制巣鴨中学校卒業。1947年中央大学法学部卒業。恩師は草野豹一郎。1948年中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1963年中央大学通信教育部長に就く。1979年中央大学大学院法学研究科長・中央大学評議員に就任。1981年フランス・エクスマルセイユ第3大学客員教授(1982年まで)。1995年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第一東京弁護士会)。2002年、勲三等瑞宝章受章。
小倉 保己(おぐら やすみ、1925年(大正14年)- 20… 小倉 保己(おぐら やすみ、1925年(大正14年)- 2013年(平成25年)5月27日)は、日本の歯学者・医学者・薬理学者。専門は、歯科薬理学。医学博士(千葉大学・論文博士・1959年)。石巻専修大学第2代学長。東北大学名誉教授。学校法人専修大学元顧問。小倉隅仙の号で書家としても活動。 東京市浅草区にて出生。旧制・成蹊高等学校(理科甲類)卒業。 1946年千葉医科大学医学部卒業し、千葉医科大学医学部薬理学教室(小林龍男教授)助手。その後、パリ大学医学部留学(Jean CHEYMOL教授に師事)、千葉大学医学部講師、同大学腐敗研究所助教授を経て、東北大学歯学部教授。フグ毒研究の権威。同歯学部長を務めた後、1988年東北大学停年退官。
飯田 喜四郎(いいだ きしろう、1924年11月22日 - … 飯田 喜四郎(いいだ きしろう、1924年11月22日 - 2025年1月4日)は、日本の建築史家。専攻は、フランス建築史(中世ゴシック建築)・建築保存修復学。工学博士。名古屋大学名誉教授。博物館明治村館長、財団法人明治村副理事長。NPO法人歴史建築保存再生研究所理事。 日本における西洋建築史学の研究者としての著作、翻訳が多数あるほか、新宿御苑御休所、原爆ドーム等多くの保存修復事業の委員長を歴任した。 現在の東京都新宿区生まれ。松本高等学校理科甲類、東京大学第二工学部建築学科卒業。1953年から1956年にフランス留学、フランス文部省文化財保護事業部主任建築家事務所にて研鑽を積む。帰国後、宮内庁管理部勤務を経て、1963年、名古屋大学工学部助教授。
西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - … 西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - 2007年10月9日)は、日本の陸水学者。名古屋大学名誉教授。日本自然保護協会参与、日本陸水学会会長などを務めた。詩人で作詞家の西條八十は実父。童話作家の三井ふたばこは実姉。 1924年(大正13年)11月19日に東京都で生まれる。1937年(昭和12年)東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)に入学。1942年(昭和17年)に旧制松本高校理科甲類に入学し、湖沼学者でもあった向井正幸とともに木崎湖の透明度測定を行なったのをきっかけに、湖沼の研究に魅せられ湖沼学の道に進んだ。1945年(昭和20年)東京大学理学部地理学科に入学、湖沼学者の吉村信吉に師事して各地の湖沼調査を行なった。
西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - … 西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - 2007年10月9日)は日本の陸水学者。名古屋大学名誉教授。日本自然保護協会参与、日本陸水学会会長などを務めた。詩人、作詞家の西條八十は実父。童話作家の三井ふたばこは実姉。
長澤 敬之助(ながさわ けいのすけ、1924年10月26日 … 長澤 敬之助(ながさわ けいのすけ、1924年10月26日 - 2005年6月5日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・鉱物学。東京都生まれ。 旧制武蔵高等学校を経て、1948年東京大学理学部地質学科卒業。同年4月より1951年3月まで同大学院に在籍。1951年5月名古屋大学理学部講師となり、1954年助教授に昇進。1961年名古屋大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「新潟県三川鉱山の鉱化作用に関する研究」。1877年静岡大学理学部教授に就任。大学評議員・理学部長などを歴任し、1988年停年退職、名誉教授となる。その後、常葉学園浜松大学の教授となり、経営情報学部長・副学長を勤める。1984~1986年日本鉱物学会会長、1985~1986年日本粘土学会会長。
鈴木 忠義(すずき ただよし、1924年9月20日 - 20… 鈴木 忠義(すずき ただよし、1924年9月20日 - 2018年2月18日)は、日本の観光学者・景観学者。東京工業大学名誉教授。農学博士。観光資源評価委員会委員長 、河川リゾート研究会、日本観光研究学会初代会長。「当て塾」塾長、株式会社世田谷川場ふるさと公社社長を歴任。東京出身。 旧制東京府立第七中学校卒業後、一浪して弘前高等学校に進学。1949年東京大学第二工学部土木工学科卒業。星埜和に師事。その後観光地を研究しようと田村剛の助言に従い、東京大学大学院林学専攻に進学しようと加藤誠平を頼るが、加藤の提案により演習林職員に採用される。こうして1949年東京大学農学部付属演習林日雇、1950年同演習林助手。
梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1… 梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1995年3月25日)は、日本の理論物理学者。学位は、理学博士。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。坂田昌一の弟子の一人で、場の量子論で世界的に著名。 兄弟に、梅澤純夫(有機合成化学、抗生物質研究)、梅澤濱夫(抗生物質カナマイシン発見)、梅澤邦臣(科学技術事務次官)がいる。 北海道に生まれる。出身は東京都。開成中学(東京)卒業後、旧制武蔵高校を経て名古屋帝国大学工学部電気工学科に入学。大学3年生の時から、理学部の坂田昌一のところに出入りするようになり、物理学の研究者となった。1947年に大学を卒業し、引き続き大学院に進学し、1952年に博士課程を修了して理学博士号を取得した(学位論文「素粒子の相互作用の構造について」 )。
永井 陽之助(ながい ようのすけ、1924年9月9日 - 2… 永井 陽之助(ながい ようのすけ、1924年9月9日 - 2008年12月30日)は、日本の政治学者。学位は法学博士(北海道大学)、東京工業大学・青山学院大学名誉教授。戦後日本を代表するリアリズム国際政治学者として有名。 東京出身。旧制福島県立安積中学校(現・福島県立安積高等学校)を経て、1945年 第二高等学校文科乙類卒業、1950年 東京大学法学部政治学科卒業。 東京大学では堀豊彦に師事。当初は政治意識の研究など、政治学・政治理論研究にその重点を置いていたが、ハーヴァード大学での在外研究中にキューバ危機という米ソ二大国間のパワー・ポリティクスを目の当たりにし、強い衝撃を受ける。 一方で、依然として日本国内ではそのような権力政治的要素を等閑視し、イデオロギーに規定される形で国際問題についての硬直化した議論が行なわれていることに不満を感じたことから、国際政治に関する研究・評論を開始、『中央公論』1965年5月号に発表した「米国の戦争観と毛沢東の挑戦」で論壇にデビューする。
田村 學造(たむら がくぞう、1924年(大正13年)8月2… 田村 學造(たむら がくぞう、1924年(大正13年)8月20日 - 2002年(平成14年)12月14日)は日本の農芸化学者、微生物学者。農学博士、東京大学名誉教授、文化功労者。 父・憲造、母・要子の次男として生まれる。憲造は東京帝国大学医学部教授でカンフルやジギタリスといった強心剤の研究で知られており、親子2代で学士院賞を受賞し、学士院会員に推挙されている。兄・善蔵も東京大学薬学部教授という学者一族である。學造は成蹊高等学校を経て、東京帝国大学農学部農芸化学科に進学し、発酵学講座にて坂口謹一郎教授の指導を受ける。卒業後しばらく農林省水産試験場の嘱託をしていたが、1949年に坂口の下で助手に採用され、1959年には坂口の後任となった有馬啓教授のもとで助教授となった。
諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2… 諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2018年1月5日)は、日本の会計学者。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。2000年勲二等瑞宝章受章。 東京府生まれ。永田甚之助の三男。母方の祖父は尾高次郎、曾祖父は尾高惇忠と渋沢栄一。秩父セメント社長諸井貫一(遠戚にあたる)の婿養子となる。 武蔵高等学校卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、呉施設部宮崎地方施設事務所内務主任に就任。同年6月、海軍主計少尉に任官し佐世保施設部宮崎地方施設事務所内務主任となり終戦を迎えた。 1946年東京帝国大学経済学部商業科卒業、1950年東京大学経済学部助教授。
坂元 正一(さかもと しょういち、1924年(大正13年)1… 坂元 正一(さかもと しょういち、1924年(大正13年)1月20日-2006年(平成18年)12月28日)は、日本の産婦人科学者。医学博士(東京大学)。元東京大学医学部教授、東京大学名誉教授。勲二等瑞宝章受章。 東京都出身。神戸一中を経て、海軍兵学校を卒業(72期)。第二次世界大戦期は艦上爆撃機操縦員であった。 1950年(昭和25年)東京大学医学部卒。1956年(昭和31年)東大医学博士、東大助手。関東中央病院産婦人科部長、1963年東大医学部講師、1965年助教授、1970年教授となる。1984年定年退官、名誉教授、東京女子医科大学教授・母子総合医療センター所長、1992年埼玉医科大学教授。
宮地 裕(みやじ ゆたか、1924年1月14日- )は、日本… 宮地 裕(みやじ ゆたか、1924年1月14日- )は、日本の国語学者、大阪大学名誉教授。妻の宮地敦子(故人)も国語学者(元関西学院大学教授・龍谷大学名誉教授)。
加藤 勝康(かとう かつやす、1924年1月 - )は、日本… 加藤 勝康(かとう かつやす、1924年1月 - )は、日本の経営学者。東北大学名誉教授、元経営学史学会理事長。2004年瑞宝中綬章。
白山和久(しらやまかずひさ、1924年- )は、日本の建築構… 白山和久(しらやまかずひさ、1924年- )は、日本の建築構造学者。建築材料学者。筑波大学名誉教授(構造工学系)。日本学術振興会委員、建築研究所長、建築住宅国際機構会長など歴任。東京生まれ。 1947年、東京大学第二工学部建築学科卒業。1951年、旧建設省建築研究所入所。第二研究部に。1975年、建築研究所長就任。1977年、筑波大学構造工学系教授就任。1985年、退官。同年、工学院大学工学部教授。 主な著書に『建築施工技術ハンドブック』 (1979年)『建築新素材・新材料』(1991年)『気泡コンクリート』 (1964年)など。受賞歴にセメント協会論文賞、日本建築学会賞論文賞および大賞など。
福田 平(ふくだ たいら、1923年11月4日 - 2019… 福田 平(ふくだ たいら、1923年11月4日 - 2019年1月8日)は、日本の法学者。 専門は刑法学。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「違法性の錯誤」)。一橋大学名誉教授。2000年 勲二等瑞宝章受章。東京市麹町区(のち千代田区)出身。 その刑法学説は、師である団藤と同じく後期旧派に属するが、戦後ドイツの刑法学者ハンス・ヴェルツェルの刑法理論を日本に紹介し、行為論において、目的的行為論をとり、行為を主観客観の全体的構造をもつとした上で、違法性論において、行為無価値論にたった。 違法性の錯誤については、違法性の意識は故意とは無関係であるが、違法であると思わなかったことに相当の理由があれば責任を阻却するという厳格責任説をとる。
市川 平三郎(いちかわ へいざぶろう、1923年10月28日… 市川 平三郎(いちかわ へいざぶろう、1923年10月28日 - 2014年8月15日)は、日本の医学者。医学博士。専門は放射線医学。国立がんセンター名誉院長。東京都出身。
早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月… 早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月16日 - 1992年〈平成4年〉2月5日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)、素粒子物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は、高エネルギー天体物理学、宇宙論、赤外線天文学。愛媛県新居郡新居浜町(現・愛媛県新居浜市)出身。二男は同じく物理学者の早川尚男。 卒業研究に朝永ゼミに入ったことをきっかけに素粒子、宇宙線の研究を始める。卒業後友人の碓井恒丸(名古屋大学名誉教授)の紹介で気象台に勤めて素粒子論的宇宙線の研究を始める。初期の論文は素粒子論の応用の色彩が強かったが渡米後、本格的な宇宙線研究者になる。1953年にはγ線天文学の提唱、1955年には宇宙線の超新星起源説等を唱えた。
勝原 文夫(かつはら ふみお、1923年(大正12年)9月2… 勝原 文夫(かつはら ふみお、1923年(大正12年)9月20日 - 2017年(平成29年)4月24日[要出典])は、日本の風景学者、景観論者、農業経済学者、農学者、俳人。 東京府に生まれる。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)卒業後、1年の浪人を経て旧制東京府立高校に入学し、2年生のとき学徒出陣で輜重隊に入隊した。[要出典] 復学後に府立高校を卒業して[要出典]東京大学経済学部に進学し、農業経済学を専攻した。[要出典]1948年の大学卒業後、創立時の国立国会図書館調査局に入り、39年間在職して1987年に退職した。同年、農村風景論に関する著述活動により、第8回国立公園協会田村賞を受賞した。
掛下 栄一郎(かけした えいいちろう、1923年〈大正12年… 掛下 栄一郎(かけした えいいちろう、1923年〈大正12年〉9月13日 - 2011年〈平成23年〉8月6日)は、日本の哲学者、早稲田大学名誉教授。専門は哲学及び美学。 佐賀県大牟田市に生まれ、数ヶ月後に和歌山県和歌山市に移る。和歌山県立和歌山中学校を経て、1942年4月に第二早稲田高等学院文科に入学する。1943年12月、学徒出陣により大阪の高射砲隊に入隊し、満州にて幹部候補生としての教育を受ける。1946年1月、早稲田大学文学部哲学科(西洋哲学専修)に復学する。1947年10月に卒業した後、大学院において樫山欽四郎の指導を受け、また、早稲田大学図書館書記に嘱託される。 1949年4月、早稲田大学高等学院の助手となる。
内藤 謙(ないとう けん、1923年9月 - 2016年1月… 内藤 謙(ないとう けん、1923年9月 - 2016年1月17日)は、日本の法学者。専門は刑法。東京大学名誉教授、創価大学名誉教授。東京都出身。 行為無価値論の立場に立つ藤木英雄の夭折後、その後継教授として東京大学法学部に赴任。 学者は研究書で評価されるというが、教科書で評価された数少ない学者。雑誌「法学教室」の連載を単行本化した『刑法講義総論』シリーズが2002年に11年ぶりに刊行された『刑法講義総論(下)II』により完結した時は学界から喝采された。 刑法改正草案に対して、平野龍一、中山研一らと共に強力な反対の論陣を張ったことでも有名。 行為無価値論の立場にたつ団藤重光の門下生だが、行為無価値論ではなく平野龍一が主張した結果無価値論の立場に立ち、その理論をむしろ徹底させて主観的違法要素を否定する。
萬年 甫(まんねん はじめ、1923年5月23日 - 201… 萬年 甫(まんねん はじめ、1923年5月23日 - 2011年12月27日)は、日本の神経解剖学者。東京医科歯科大学医学部名誉教授。脳解剖学専攻。 千葉県出身。旧制府立高等学校を経て、1947年東京帝国大学医学部を卒業。1956年「脂質含有色素粒子の分布より見たる人脳の細胞構築に就いて」で東京大学医学博士。東大助教授をへて1963年に東京医科歯科大学教授となり、1989年に定年退官。 中枢神経系の神経細胞を研究。1983年藤原賞を受賞。1988年「猫脳ゴルジ染色図譜」(英文)を刊行した。弟の萬年徹(1930年- )は東大医学部名誉教授。弟子に岩田誠がいる。
染谷 恭次郎(そめや きょうじろう、1923年4月15日 -… 染谷 恭次郎(そめや きょうじろう、1923年4月15日 - 2000年1月3日)は、日本の会計学者。東京都出身。早稲田大学名誉教授。専門分野は財務会計であるが、管理会計・経営分析・原価計算・監査に関する書物や論文も多い。 早稲田大学商学部卒業。早稲田大学では佐藤孝一博士の下で会計学を学ぶ。1946年卒業後商学部助手に採用され、専任講師・助教授を経て1955年に教授。 1962年には商学博士の学位を授与される。早稲田大学教務部長・商学部長・早稲田大学大学院商学研究科委員長等を歴任。1984年に設立された国際会計研究学会では発起人を務め、初代会長となる。1985年から1988年にかけて日本会計研究学会の会長等を務めるなど、日本における会計学の発展に貢献した。
永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月… 永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月4日 - 2000年 <平成12年> 3月17日)は、日本の教育社会学者。文部大臣(第95代)。位階は正三位。 戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。 東京に生まれる。東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)卒業。当時の同級生には哲学者の鶴見俊輔、中央公論社社長の嶋中鵬二、作家の中井英夫らがいる。東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制武蔵高校を経て、京都帝国大学文学部を卒業。京都大学人文科学研究所助手、米国へ留学し、1952年オハイオ州立大学で教育社会学のPh.D.を取得。
角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 20… 角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 2000年9月20日)は、日本の会計学者。 東京市小石川区(現東京都文京区)出身。1942年旧制日本大学第一商業学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。1949年明治大学商学科卒、1977年「営業費分析の研究」で経営学博士の学位を取得。明大経理研究所研究員、1957年明治大学経営学部専任講師、1960年助教授、1966年教授となる。1980-1982年経営学部長を務め、1993年定年、名誉教授。
世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 199… 世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 1998年9月25日)は、日本の政治家、医学者、学校法人理事長。位階は正三位。 日本大学第二高等学校卒業。1949年、日本大学医学部を卒業する。同大学に残り、同大医学部皮膚科学の教授に。1960年 日本大学 医学博士。論文の題は「紫斑性皮膚疾患の血液学的分布」。 1965年から父弘一のあとを継ぎ、2代目近畿大学総長・理事長を務める。 1967年に第31回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧和歌山2区から立候補し当選するが(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)、1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。
楠川 絢一(くすかわ けんいち、1923年 - 2015年6… 楠川 絢一(くすかわ けんいち、1923年 - 2015年6月30日)は日本の物理学者、理学博士。元旧・東京都立大学総長。 1936年に府立高等學校へ入学後、東京大学を卒業。1946年から同高等学校で教鞭を執る。1950年から東京都立大学へ移り、教授を務める。1981年~1985年に東京都立大学総長に就任した。1960年に論文「回転体の周りの音に近い流れについて」で東京大学(今井功博士)より理学博士を授与される。また公立大学協会会長、出入国管理政策懇談会座長のほか、府立高等学校同窓会理事長、東京都立大学附属高等学校の講師を務めるなど母校の発展に尽力した。叙正四位。
田中 正俊(たなか まさとし、1922年11月14日 - 2… 田中 正俊(たなか まさとし、1922年11月14日 - 2002年11月4日)は、中国史・東洋史学者。東京大学名誉教授。専門は中国近代史。 台湾・台南市生まれ。1940年東京府立第九中学校卒、1943年第一高等学校文科卒、10月東京帝国大学文学部東洋史学科入学。 1943年12月学徒出陣で敦賀歩兵連隊に入営、1944年9月航空兵に転じ、シンガポール第三航空軍へ向け大阪港を出港するが、10月空襲のためフィリピン戦線のマニラに上陸、12月再度シンガポールへ向かうが敵襲にあい台湾高雄港に避難、1945年3月台湾の第八航空師団に転属、台北松山飛行場に勤務、敗戦を迎え1946年2月和歌山県田辺港に帰還。
小林孝輔(こばやし たかすけ、1922年11月11日 - 2… 小林孝輔(こばやし たかすけ、1922年11月11日 - 2004年11月19日)は、日本の法学者。専門は、憲法学(日本憲法史・ドイツ憲法史)。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「近代ドイツ国法思想の史的研究」)。青山学院大学名誉教授。 大雲山金龍寺(調布市)住職の長男として、1922年に東京市神田区で誕生。旧制世田谷中学(現在の世田谷学園中学校・高等学校)で学び、僧籍を得た後に早稲田大学に進学。1944年早稲田大学法学部独法科卒業。兵役をへて1950年早稲田大学大学院(旧制)修了。 1950年立正大学経済学部講師。1951年青山学院大学経済学部講師、1953年青山学院大学経済学部助教授、1959年青山学院大学法学部教授、1969年青山学院大学法学部長。
高島 平蔵(たかしま へいぞう、1922年10月6日 - 2… 高島 平蔵(たかしま へいぞう、1922年10月6日 - 2009年8月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1970年)(学位論文『近代的物権制度の展開と構成』)。早稲田大学名誉教授。東京都生まれ。 物権法・担保物権法を中心に研究し、同分野では確固たる学問的地位を確立した。また、方法論としての民法解釈学についても大きな足跡を残し、早稲田大学法学部の最終講義では「民法解釈学について」というテーマで記念講義をした。法学教育にも熱心で、早稲田大学法学会傘下の学生研究サークル「民法研究会」を30年余りにわたって顧問として指導し、同会の主催する模擬裁判は早稲田大学法学部の伝統を築いた。
佐藤 巧(さとう たくみ、大正11年(1922年)9月20日… 佐藤 巧(さとう たくみ、大正11年(1922年)9月20日 - 平成30年(2018年)3月9日)は、日本の工学者、建築学者。東北大学名誉教授。 飯田須賀斯に師事する。専門は古建築学で、日本住宅および集落史、東北地方を中心とした中近世の古民家、社寺、城郭建築などの調査、保存研究で知られる。戦災で焼失した伊達政宗の霊廟瑞鳳殿の再建、仙台城復元計画なども業績の一部である。宮城県、山形県、岩手県、仙台市それぞれの文化財保護審議委員を長く務めた。
松前 健(まつまえ たけし、1922年(大正11年)9月5日… 松前 健(まつまえ たけし、1922年(大正11年)9月5日 - 2002年(平成14年)3月24日)は、日本の宗教学者、神話学者。天理大学教授、立命館大学教授、大阪成蹊女子短期大学教授、奈良大学教授。 都立高教諭・大学非常勤講師だった1960年に『日本神話の新研究』を刊行し、翌年日本宗教学会の姉崎正治記念賞を受賞。こうした初期の成果が三品彰英らに高く評価され、のち関西に拠点を移した。『日本神話の形成』(1970年)で文学博士号を取得して以降、天理大学をはじめ関西の各大学でそれぞれ教授をつとめた。 1922年、日本統治時代の朝鮮全羅南道木浦の栄町(日本人街)で貿易を営んでいた商家に生まれた。原籍は山口県熊毛郡室津村。