舘鼻 則孝(たてはな のりたか、Noritaka Tateh… 舘鼻 則孝(たてはな のりたか、Noritaka Tatehana、1985年6月14日 - )は日本の現代美術家。東京生まれ。 1985年、東京生まれ。歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれ鎌倉で育つ。シュタイナー教育に基づく人形作家である母親の影響で幼少期から手でものをつくることを覚える。東京藝術大学染織専攻。遊女に関する文化研究とともに日本の古典的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄を制作。現代美術アーティストとして、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも取り組む。作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館など、世界の著名な美術館に収蔵された。
マコ・プリンシパル(Mako Principal、1984年… マコ・プリンシパル(Mako Principal、1984年5月26日 - )は、日本の現代美術家、アイドルである。本名は、渡辺真子。愛称はマコプリ。 父は映画・ドラマ・アニメ等の音楽やさだまさしの編曲者として知られる渡辺俊幸。祖父は特撮・アニメの作曲家で知られる渡辺宙明。曽祖父は実業家の渡辺俊雄。弟はナレーター・声優の渡辺眞伍。 東京都出身。田園調布雙葉小学校附属幼稚園・田園調布雙葉小学校・田園調布雙葉中学校・高等学校卒業。2008年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。2011年東京藝術大学大学院美術研究科版画専攻修了。 2013年から芸術家アイドルユニット『ナマコプリ』として音楽活動も開始。
大成 哲(おおなり てつ、Tets Ohnari 1980年… 大成 哲(おおなり てつ、Tets Ohnari 1980年6月30日 - )は、日本の彫刻家、現代美術家である。 東京都八王子市出身。2004年、日本大学芸術学部を卒業。同年東京芸術大学大学院入学。2005年、チェコ政府奨学金を取得しチェコ・プラハへ留学。プラハ美術アカデミー(AVU)とプラハ工芸美術大学(VSUP)に各1年ずつ在籍。2008年、東京芸術大学大学院修士課程を修了。2022年、ヤン・エヴァンゲリスタ・プルキニェ大学(UJEP)芸術デザイン学部 ビジュアルコミュニケーション学科の博士号を取得。 東京とチェコに滞在し、ガラス、石、木などを用いて彫刻、インスタレーションを制作している。
境 貴雄(さかい たかお、1978年10月8日 - )は、日… 境 貴雄(さかい たかお、1978年10月8日 - )は、日本の現代美術家、写真家、タレントである。芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント (株式会社BBE)」所属。横浜美術大学講師。 東京都渋谷区出身。1991年、渋谷区立広尾小学校を卒業。1994年、渋谷区立広尾中学校を卒業。1997年、東京都立羽田高等学校美術コースを卒業。2005年、東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業。2007年、同大学院美術研究科修士課程デザイン専攻を修了。2007年より小豆を顔に付けて髭に見立てたファッション『AZURER (アズラー)』のディレクターを務めている。 東京藝術大学に在学中より和菓子や小豆を媒体とした作品を発表。
伊勢谷 友介(いせや ゆうすけ、1976年〈昭和51年〉5月… 伊勢谷 友介(いせや ゆうすけ、1976年〈昭和51年〉5月29日 - )は、日本の俳優、映画監督、美術家、実業家、リバースプロジェクト所属・同代表。「Loohcs」発起人。学生時代、ファッションモデルとしてデビューし、その後は主に俳優として活動している。 腕の良いテーラー(仕立て屋)を父として、父が53歳9か月の時の子として、東京都港区白金にて誕生。母子家庭で育つ。長年に渡り「東京都世田谷区出身」と本人は思い込んでおり、従来はそう公表されていたが、2018年6月、母から母子手帳を見せられたことにより、その詳細な記述により世田谷区は本籍地で、実は港区白金出身であったと知ったことをInstagramで明かした。
ニイルセン(Nielsen、1971年8月4日 - )は日本… ニイルセン(Nielsen、1971年8月4日 - )は日本の美術家、イラストレーター。男性。 東京都福生市出身。高校卒業後、当時美術大学の存在を知らず、保育士のアルバイトをしていた。バイト先で「絵が上手いけど、美大に行こうと思わなかったの?」と言われ、初めて美術大学の存在を知る。その後、多摩美術大学に進学、ラーメンズと同級生となる。大学時代はラーメンズと同じ落語研究会(落研)に所属し、自身も芸を披露していた。大学時代、ニイルセンは学内で非常に人気があり注目を集めていた。当時はラーメンズの2人もこの人気にあやかり「ニイルセンズ」というコンビ名を名乗るほどであった。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。
岡田 裕子(おかだ ひろこ、1970年 - )は、日本の現代… 岡田 裕子(おかだ ひろこ、1970年 - )は、日本の現代美術家。 東京都生まれ。田園調布雙葉学園を経て、1993年(平成5年)に多摩美術大学を卒業し、翌年には同大学研究生を修了。2001年(平成13年)、現代美術家の会田誠と結婚。息子は会田寅次郎。 自らの実体験―恋愛、結婚、出産、子育てなど―を通したリアリティのある視点で、現代の社会へのメッセージ性の高い美術作品を制作。国内外の美術館、ギャラリー、オルタナティブスペース等にて展覧会多数。表現手法はビデオやインスタレーション、パフォーマンスなど多岐にわたる。 代表作として、恋人の別れを架空の日本文化で表現した「Sweet Memories-The kite of loves end」(1997年)。
沼田 識史(ぬまた さとし、1966年9月25日 - )は日… 沼田 識史(ぬまた さとし、1966年9月25日 - )は日本の現代美術家、画家。東京都北区西ヶ原出身。 本名は沼田 知直(ぬまた ともなお)。愛称は、ぬまりん。埼玉県立南稜高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。 1966年9月25日14時50分に、東京都北区西ヶ原で父・徹夫と母・周子(のりこ)との間に非嫡出子として生をうける。 父方の母親は、東京芸術大学音楽部の前身である東京音楽学校卒業で、母方の叔父が画家という中で幼少期を過ごす。幼年から少年時代に、初めて衝撃を受けた音楽は、カーペンターズが歌った『遥かなる影』やスティーヴィー・ワンダーの楽曲の『迷信』であったと沼田は答える。それからは絵を描くと同時に歌も唄うようになった。
浜田 涼(はまだりょう、1966年 - )は、日本の現代美術… 浜田 涼(はまだりょう、1966年 - )は、日本の現代美術家、洋画家。 東京都生まれ。女子美術大学付属高等学校、女子美術大学芸術学部絵画科洋画専攻卒業。多摩美術大学研究生を経て、2002年から2016年まで、女子美術大学洋画研究室非常勤講師。 2010年より、女子美術大学付属高等学校・中学校美術科専任教諭。 専門の洋画の他に、写真でも高い評価を受け、2016年に写真作品19点が東京都写真美術館に永久保存された。 storeroom浜田涼ウェブサイト
赤塚 りえ子(あかつか りえこ、1965年〈昭和40年〉3月… 赤塚 りえ子(あかつか りえこ、1965年〈昭和40年〉3月11日 - )は、元女優、現代美術家、フジオ・プロダクション社長。父は日本の漫画家の赤塚不二夫、祖父は軍人の赤塚藤七。
小沢 剛(おざわ つよし、1965年 - )は、日本の画家、… 小沢 剛(おざわ つよし、1965年 - )は、日本の画家、現代美術家。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授。アーティスト・グループ『昭和40年会』のメンバー。 「JIZONG」細見画廊(東京) 「Zizhiqu」[西京人]広東時代美術館 「Xijing Men Collaborative」H&Rブロック・アートスペース(カンサスシティ、アメリカ) 「コレクション展2012-I ビルヂング 美術という建築」広島市現代美術館 「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」(新潟) 「小沢剛:あなた誰かを好きなように、誰もが誰かを好き」豊田市美術館(愛知) 「光州ビエンナーレ2012」 「The World Portable Gallery Convention 2012」アイレベル・ギャラリー(ハリファックス、カナダ) 「ON THE PHOTOGRAPHY 小沢剛、志水児王、バク・スンウ」ミサシンギャラリー(東京) 「混浴温泉世界2012」大分県別府市内各所 「プロスペクト2」現代美術センター(ニューオリンズ) 「昭和40年会―ウィ・アー・ボーイズ!」クンストハーレ・デュッセルドルフ / National Cultural-Art and Museum Complex Mystetskyi Arsenal(キエフ、ウクライナ) 「Shifting Surfaces」[西京人]、アートソンジュ・ミュージアム(キョンジュ、韓国) 「Between Utopia and Dystopia」Museo Universitario arte contemporáneo(メキシコ) 「黄金町バザール2011」小串スタジオ(横浜、神奈川) 「藝大・台東・墨田観光アートプロジェクト:油絵茶屋再現」浅草寺(東京) 「Museum Show」Arnolfini(ブリストル、イギリス) 「会津・漆の芸術祭〜東北へのエール〜」井上一夫商店(会津若松、福島) 「あいちトリエンナーレ2010」[西京人]、あいち芸術文化センター(愛知) 「An Unexpected turn of events―チェン・シャオションと小沢剛」オサージュ・ギャラリー(上海 / 香港) 「胸さわぎの夏休み」福島県立美術館 「会津・漆の芸術祭」会津若松市、喜多方市、三島町、昭和村(福島) 「Tricksters Tricked」[西京人]、ヴァン・アベ美術館、アイントホーフェン(オランダ) 「メディア・シティ・ソウル2010」[西京人]、ソウル市立美術館 公開制作50 小沢剛「できるかな2010」、府中市美術館
大木 裕之(おおき ひろゆき、1964年3月23日 - 20… 大木 裕之(おおき ひろゆき、1964年3月23日 - 2025年10月14日)は、日本の映像作家、現代美術家、映画監督。 東京都東村山市に生まれる。桐朋高等学校、東京大学工学部建築学科卒業。イメージフォーラム付属映像研究所修了。 大学在学中より映画を制作し始め、現在まで数々の国際映画祭へ作品を出品。全国の美術館等にて個展も開催している。1990年、イメージフォーラム・フェスティバル1990審査員特別賞受賞、1995年、ベルリン国際映画祭NETPAC賞受賞。 2025年9月、胃がんの診断を受けながらも、都内での自身の展覧会に合わせ高知から浅草まで移動し、会場でパフォーマンス(アクション)を行った。
福田 美蘭(ふくだ みらん、1963年2月6日 - )は、日… 福田 美蘭(ふくだ みらん、1963年2月6日 - )は、日本の現代美術家。 東京都世田谷区出身。父はグラフィックデザイナーの福田繁雄、祖父は童画家の林義雄。聖心女子学院初等科・中等科・高等科卒業。1985年東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。1987年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻油画修了。1988年6月ギャルリーユマニテ東京にて初個展を開催。1988年10月から朝日新聞(夕刊)連載小説、赤川次郎『人形たちの椅子』の挿絵を担当(1989年5月まで)。1989年には「第32回安井賞展」において、当時史上最年少の26歳で同賞を受賞。過去の名画にデジタル加工するなど手を加えたり、食材など身の回りの素材を組み合わせたりした作品が多い。
藤井 豊(ふじい ゆたか、1962年〈昭和37年〉12月30… 藤井 豊(ふじい ゆたか、1962年〈昭和37年〉12月30日 - )は、東京都出身の日本の番組セットデザイナー、舞台美術家、画家である。1997年第25回伊藤熹朔賞 新人賞受賞。東放学園専門学校 美術制作科(旧テレビ美術科)非常勤講師。 世田谷区生まれ。東京都立富士高等学校、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業。株式会社アックスに入社。2007年退社、独立。ボイジャーズデザイン株式会社を設立。
ウダ・ケンスケ(漢字表記:宇多 健介、1962年(昭和37年… ウダ・ケンスケ(漢字表記:宇多 健介、1962年(昭和37年)3月3日 - )は、日本の現代美術家、油彩アーティスト。作品は風景が多く、主にフランスを拠点に活動し欧州を中心に高く評価されている[要出典]。 東京都千代田区出身。1980年(昭和55年)に東京都立日比谷高等学校を卒業。1浪ののち、東京芸術大学美術学部日本画科に進学し、1985年(昭和60年)に卒業、引き続き同大学大学院美術研究科に進み、1987年(昭和62年)に修士課程を修了する。修了制作は次席だった。1992年(平成4年)同博士後期課程を修了、博士(美術)を取得した。 自らの作品制作を行うかたわら、芸術イベント『GEIKAKU』プロジェクトのチェアマンを務め、アーティスト集団『ボーダーライン』を主宰し、若手アーティストのプロデュースを行うなど、活発な活動を展開している。
川田 祐子(かわだ ゆうこ、1962年 - )は、日本の現代… 川田 祐子(かわだ ゆうこ、1962年 - )は、日本の現代美術家。東京都小金井市出身。長野県軽井沢町在住。
宮島 達男(みやじま たつお、1957年〈昭和32年〉1月1… 宮島 達男(みやじま たつお、1957年〈昭和32年〉1月16日 - )は、日本の現代美術家。東京都江戸川区出身。 「Art in You(芸術はあなたの中にある)」という考え方を基盤に、発光ダイオード(LED)を使用したデジタルカウンター等、LEDの作品を特徴とする美術家である。また、コンピュータグラフィックス、ビデオなどを使用した作品も手掛けている。 美術家を志望したのは佐伯祐三、青木繁の自然体で自由な生き方に憧れたことが発端で、東京都立小岩高等学校を経て1984年(昭和59年)に東京藝術大学美術学部油画科を卒業(学士)、1986年に東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了(修士)。 大学在学中には油絵を学んでいたが、油絵では自分の言いたいことを表現できないもどかしさがあると感じ、現在においても作品制作のテーマとなっている「それは変化し続ける」、「それはあらゆるものと関係を結ぶ」、「それは永遠に続く」の3つのコンセプトを形にする手段を模索していたところ、偶然LEDと出会う。
堀本 惠美子(ほりもと えみこ、1947年 - )は、日本の… 堀本 惠美子(ほりもと えみこ、1947年 - )は、日本の美術家。東京都生まれ。東京都立豊多摩高等学校、東京女子大学短期大学部教養科卒業、武蔵野美術学園修了、日本美術家連盟会員、国際平和展日本事務局代表、東京Ⅲゾンタクラブ会員。 1980年より国内外の美術館・百貨店(三越・髙島屋・小田急デパート・丸善・阪急・松坂屋他)・ギャラリーなどの個展開催は110回以上。 1982年日仏現代美術展(パリ)、1991年サージマルジス賞受賞展(ニューヨーク)、2002年~2003年フランス・パリ及びナントで個展。コソボへ行くきっかけとなる。 2003年~2005年日本人として初めて、国連軍主催で、コソボ(旧ユーゴスラビア)の主要3大都市において「コソボ国際平和展“宇宙の愛のメッセージ”堀本惠美子展」を開催。
上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版… 上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版画家、現代美術家。 1942年東京都杉並区に生まれる。小学校低学年より油彩をはじめ、中学、高等学校の頃は抽象画を描く。 東京都立工芸高等学校卒業後、東京写真専門学校へ通う。画家・小野木学(叔父)の思想概念に影響を受けた。 国画会展、モダンアート展へ抽象絵画を出品。写真製版による捺染技術を知り、シルクスクリーン技法に興味を示す。 1960年代以後、美術界は写真の時代に入り、ベンヤミンの著書「複製技術時代の芸術」などに翻弄され芸術はアウラを超え「写真」と「版画」の時代に変革していった[独自研究?][要出典]。 そんな中で上矢津も油彩の抽象絵画から離れ、剥製や標本の写真をシルクスクリーンに転写、1970年『シリーズ博物詩』を制作。
田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5… 田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5月13日 - 2019年〈令和元年〉8月23日)は、日本の現代美術家、彫刻家。 1960年代の「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を経て、ミニマリズムやインスタレーションの分野で活動。国内外で評価された。 1940年東京生まれ。太平洋戦争末期に茨城県日立市へ疎開し、茨城県立日立第一高等学校卒業。その後上京し、1959年二紀展に入選しデビューする。1960年より読売アンデパンダン展に出品し、篠原有司男らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」で活動する。 1960年代後半、ミニマル・アート的作風へ転向。1968年の個展「点・線・面」や、1970年の第10回日本国際美術展「人間と物質」展へ参加。
鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -202… 鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -2021年5月24日)は、日本の女性画家、浮世絵師、舞台美術家。鳥居派9代目当主。本名は、鳥居せつ子。鳥居派8代目・5代清忠の娘で、鳥居派で初の女性浮世絵師である。東京都町田市在住。日本舞台美術家協会会員、国際浮世絵学会会員、日本演劇協会会員木版画や鳥居派伝統の歌舞伎絵看板だけでなく、歌舞伎の衣裳や舞台美術も手がけ、舞台装置図のような立体図も制作。鈴本演芸場番組表の表紙絵も描いていた。 東京都出身。鳥居派8代目・5代清忠(言人)の娘として生まれる。幼少より家業の手伝いをしていたが、兄・元宏が映画監督の道に進んだため、鳥居派を滅ぼすまいとした父から画法を伝授された。
野中 ユリ(のなか ゆり、1938年 - )は日本の美術家。… 野中 ユリ(のなか ゆり、1938年 - )は日本の美術家。銅版画、平版、印刷版画、デカルコマニー、コラージュ、パステル、油彩、タブロー・コラージュ、オブジェ、装丁、挿画の分野で活動。 画家の野中曜子の娘として東京府に生まれる。東京都立駒場高等学校卒業。1953年頃から銅版画を始め、関野凖一郎や駒井哲郎や瀧口修造に師事。それ以来、正規の美術学校には入らず、独学で研鑽を積む。1957年、瀧口の推薦で瀧口企画のグループ展「銅版画展」(タケミヤ画廊)に出品。同年「第1回東京国際版画ビエンナーレ展」(東京国立近代美術館)にも出品。1959年の第1回個展で澁澤龍彦の知遇を得る。
秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22… 秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22日 - 2020年4月3日)は、日本の現代美術家。本名は秋山 祐徳(あきやま すけのり)で、雅号は聖徳太子をもじって付けた。1970年代の東京都知事選挙へ出馬したことでも知られている。見世物学会理事。 選挙に立候補した際の選挙ポスターが国立国際美術館などに収蔵されている。2002年には著書『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』を出版。落選後も自ら「泡沫のソムリエ」と称した。
朝倉 摂(あさくら せつ、1922年7月16日 - 2014… 朝倉 摂(あさくら せつ、1922年7月16日 - 2014年3月27日)は、日本の舞台美術家・画家。本名・冨沢摂。the companyのアソシエイツメンバー。 東京府東京市下谷区谷中(現在の東京都台東区谷中)に生まれる。父は彫刻家の朝倉文夫。妹は彫刻家の朝倉響子。娘は文学座所属の女優の富沢亜古。声優の大塚周夫は従弟。同じく声優の大塚明夫は従弟の長男にあたる。 父・朝倉文夫により幼い頃から英才教育を受けるが、徐々に父や権力に対する反感の念が彼女の中に擡げてきたところがあり、それにより日本画家として生きていかんとする意思を抱いたとNHKは報じている。 画家の伊東深水に師事し、初めは日本画を学ぶ。
木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 20… 木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 2004年11月7日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画美術家、劇作家、演出家、俳優、彫刻家。本名は木俣 三郎(きまた さぶろう)、舞台俳優・映画美術家としては衣 恭介(ころも きょうすけ)、時代劇俳優としては木南 兵介(きなみ へいすけ)、現代劇俳優として鬼塚 大吉(おにつか だいきち)等、多くの別名をもつ。プロダクション鷹・日東テレビ映画の創業者・元代表取締役、ムービーブラザースの共同代表を歴任した。高見順の短篇小説『大部屋の友』の主人公モデル、あるいは世田谷区・豪徳寺の「無名戦士慰霊記念碑」のレリーフ彫刻を手がけた彫塑作家としても知られる。
篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、1913年… 篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、1913年〈大正2年〉3月28日 - 2021年〈令和3年〉3月1日)は、日本の美術家、版画家、エッセイスト。 映画監督の篠田正浩は従弟、建築家の若山滋は甥にあたる。 日本の租借地だった関東州大連に生まれる。父の篠田頼治郎は東亜煙草の大連支社長で、職場と自宅があったジョサイヤ・コンドル設計の元ロシア帝国の3階建洋館で三男四女の第五子として生まれ、満洲子と命名された。 2歳で東京に戻り、5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。 1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。
吉田 謙吉(よしだ けんきち、1897年2月10日 - 19… 吉田 謙吉(よしだ けんきち、1897年2月10日 - 1982年5月1日)は、日本の舞台美術家・舞台装置家、映画の美術監督、衣裳デザイナー、タイポグラフィ作家である。 1897年(明治30年)2月10日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)に生まれる。京橋小学校では同級生に歌舞伎役者の坂東三津之丞、先輩に松竹社長の城戸四郎、後輩に築地小劇場系の劇作家久保栄らがいた。1909年(明治42年)、府立一中に入学するが3年生進級の際、父の倒産により中退。1911年(明治44年)、府立工芸学校金属科鋳金科に入学。1915年(大正4年)に卒業後、海軍造兵廠鋳金工場に勤務する傍ら、葵橋洋画研究所に学び、また、土岐善麿に師事し生活歌を学ぶ。
中川 一政(なかがわ かずまさ、1893年〈明治26年〉2月… 中川 一政(なかがわ かずまさ、1893年〈明治26年〉2月14日 - 1991年〈平成3年〉2月5日)は、日本の洋画家、美術家、歌人、随筆家。東京府生まれ。 洋画、水墨画、版画、陶芸、詩、和歌、随筆、書と多彩な作品を制作した。作品のすべてが独学であり、自ら「在野派」と称した。洒脱な文章でも知られた。