山岸 真(やまぎし まこと、1962年 - )は、日本のSF… 山岸 真(やまぎし まこと、1962年 - )は、日本のSF翻訳家、研究者、アンソロジスト。日本SF作家クラブ会員、日本推理作家協会会員。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校を経て埼玉大学教養学部卒業。卒論のテーマはマイクル・ビショップ。 学生時代から、小川隆主宰の海外SF紹介研究のファングループ「ぱらんてぃあ」に参加。1980年代半ばから海外SF紹介の第一人者として『SFマガジン』『本の雑誌』や文庫解説などで活躍。1991年までビデオリサーチに勤務。 近年ではグレッグ・イーガンの作品翻訳などで知られている。また、2008年には、最愛の作品であるマイクル・コーニー『ハローサマー、グッドバイ』を新訳した。
野崎 歓(のざき かん、1959年1月21日 - )は、日本… 野崎 歓(のざき かん、1959年1月21日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家、評論家。東京大学名誉教授、放送大学教養学部教授。 新潟県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。同大学院修了。一橋大学法学部法律学科専任講師・助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授を経て、2007年、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部仏文科准教授。2012年同教授に昇格。2019年放送大学教授、2022年4月から2025年3月までは放送大学附属図書館長を兼任。 2000年に、ジャン=フィリップ・トゥーサンの翻訳でベルギー・フランス語共同体翻訳賞(フランス語版)を受賞したのを皮切りに、2001年に『ジャン・ルノワール 越境する映画』でサントリー学芸賞、2006年に『赤ちゃん教育』で講談社エッセイ賞、2011年に『異邦の香り―ネルヴァル『東方紀行』論』で読売文学賞(研究・翻訳賞)、2019年に『水の匂いがするようだ─井伏鱒二のほうへ』で第17回角川財団学芸賞を受賞した。
蓮池 薫(はすいけ かおる、1957年(昭和32年)9月29… 蓮池 薫(はすいけ かおる、1957年(昭和32年)9月29日 - )は、日本の著述家、翻訳家、大学教員。北朝鮮による拉致被害者。新潟産業大学経済学部教授。 新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校を経て中央大学法学部に進学、1978年(昭和53年)夏、大学3年生(当時20歳)のとき北朝鮮工作員によって拉致され、2002年(平成14年)10月に帰国するまでの24年間、北朝鮮において主として日本の新聞翻訳業務を強いられる生活を送る。帰国後、復学して中央大学法学部を卒業、その後新潟大学大学院に進んで修士課程修了。新潟産業大学経済学部教授。 著書『半島へ、ふたたび』により新潮ドキュメント賞を受賞した(2009年8月27日)。
高橋 知伽江(たかはし ちかえ、1956年 - )は、日本の… 高橋 知伽江(たかはし ちかえ、1956年 - )は、日本の劇作家、翻訳家。新潟県新潟市出身。 東京外国語大学ロシア語学科卒業。劇団四季、新神戸オリエンタル劇場を経て、1997年よりフリーランスで演劇台本の執筆、翻訳、訳詞などを手がけている。 2011年、ノエル・カワードによる戯曲『秘密はうたう A Song at Twilight』『出番を待ちながら』の翻訳により第4回小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞。2013年4月~2017年3月、水戸芸術館演劇部門芸術監督。 2016年第23回読売演劇大賞優秀スタッフ賞受賞(劇団四季『アラジン』の訳詞) 2003年夏以前に上演されたものは、本名(高橋 由美子)で発表されている。
中俣 真知子(なかまた まちこ、1952年3月27日 - )… 中俣 真知子(なかまた まちこ、1952年3月27日 - )は、日本の翻訳家、文筆家。 新潟市生まれ。東京外国語大学卒業。1988年より「朝日ウィークリー」紙で毎週、映画の解説とシナリオ対話を執筆してきた。
池上 正治(いけがみ しょうじ、1946年 - )は、新潟県… 池上 正治(いけがみ しょうじ、1946年 - )は、新潟県生まれの評論家、翻訳家。新潟県立長岡高等学校を経て東京外国語大学卒業。日本翻訳家協会理事。 中国に関する研究・翻訳のほか、東洋医学の研究にも取り組む。
中野 恵津子(なかの えつこ、1944年8月29日 - 20… 中野 恵津子(なかの えつこ、1944年8月29日 - 2013年1月26日)は、日本の翻訳家。 新潟市生まれ。国際基督教大学卒業。米国小説を中心に翻訳した。肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月… 木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月16日)は、日本の哲学者、翻訳家。専攻は西洋哲学史、現象学の研究。中央大学名誉教授。 モーリス・メルロー=ポンティ、エドムント・フッサール等の、20世紀ヨーロッパ思想で著名な哲学者の代表作を平易な日本語に訳した。ハイデガーの研究でも知られる。 新潟県新潟市生まれ、本籍地は山形県最上郡東小国村(現在は最上町)。 3歳のとき一家で満洲・新京に渡る。新京第一中学校(戦時体制のため4年で繰り上げ卒業)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校に入学(78期)。同年8月6日、江田島で水泳の訓練中、原爆投下を広島市側の海岸で目撃。8月15日に日本が終戦を迎えると軍海軍兵学校では生徒たちに帰宅の指示が出たが、満州出身であったため本土にいる親戚もよくわからず困っていたところ、教官が自身の佐賀の実家へ行くよう指示してくれる(教官は兵学校での残務処理に残った)。
鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004… 鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004年10月7日)は、日本の英文学者、英米演劇研究家、翻訳家。本名は鳴海 弘。 テネシー・ウィリアムズ、エドワード・オールビー、ニール・サイモンの戯曲やアガサ・クリスティなどの小説を翻訳した。文学座座友。 1919年新潟県長岡市に、1922年に東京市に移り関東大震災に遭う。東京府立第五中学校、東京商科大学予科を経て、1940年に東京商科大学(現・一橋大学)卒業。会社員となるがアマチュア演劇団体に所属。 1944年弘前市歩兵連隊に応召。敗戦後、田舎にこもる。1949年帰京。1951年慶應義塾高校教諭、コロンビア大学に留学。1952年帰国、文学座の文芸演出部員となる。
大窪 愿二(おおくぼ げんじ、1915年(大正4年)5月9日… 大窪 愿二(おおくぼ げんじ、1915年(大正4年)5月9日 - 1986年(昭和61年)5月18日)は、日本の政治学者、翻訳家。専門は日本政治、国際政治。在日カナダ大使館顧問、聖徳学園岐阜教育大学教授を務めた。 1915年、秋田県生まれ。1926年、新潟市に転居。1933年に新潟県立新潟中学校を卒業し、青山学院文学部に入学。英語師範科で学び、1937年に卒業。1938年、太平洋問題調査会(通称IPR)就職する。以後、2度の従軍経験をはさんで1949年までIPRや世界経済調査会などのシンクタンクに勤務する。 1938年に、日本生まれのカナダの歴史家E・H・ノーマンとIPRのオフィスで出会い、交際が始まる。
川口 正吉(かわぐち しょうきち、1912年 - 1982年… 川口 正吉(かわぐち しょうきち、1912年 - 1982年2月25日)は、日本の翻訳家。 新潟県三条市生まれ。中央大学経済学部卒業。英語の小説、ノンフィクションを翻訳。キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』がベストセラーになった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
星野 慎一(ほしの しんいち、1909年1月1日 - 199… 星野 慎一(ほしの しんいち、1909年1月1日 - 1998年12月17日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。 新潟県長岡市生まれ。旧制新潟県立長岡中学校、旧制新潟高等学校を経て、1932年東京帝国大学文学部独逸文学科卒業。旧制成城高等学校教授、埼玉大学文学部教授、東京教育大学教授。1961年「ライナー・マリア・リルケの伝記的研究」により東京大学文学博士。1971年頃教育大を定年後、南山大学教授を務め、1991年長岡市史編集委員長。1998年、89歳で没。1999年、星野の蔵書が長岡市立中央図書館に寄贈され、星野慎一文庫と名付けられた。 リルケなどドイツの詩を翻訳研究するほか、短歌、俳句にも関心が深かった。
長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 … 長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本の小説家、翻訳家。 林不忘(はやし ふぼう)、牧逸馬(まき いつま)、谷譲次(たに じょうじ)の3つのペンネームを使い分けて執筆した。林不忘は時代小説「丹下左膳」シリーズ、牧逸馬は犯罪実録小説、家庭小説、翻訳、谷譲次は米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる。 幕府の金座役人を祖父に持ち、新潟県立佐渡中学校で英語教師をし、後にジャーナリストとして活動する長谷川清(のちに改名した長谷川淑夫の名前で知られる。楽天、あるいは世民とも号した)の長男として新潟県佐渡郡赤泊村(現在の佐渡市赤泊)に生まれる。父・清は佐渡中学校の寄宿舎の舎監も務めており、当時佐渡中学校に在学していた北一輝にも感化を及ぼし、鈴木重嶺門下の清楽社同人として和歌を新潟新聞に寄稿していたが、海太郎が1歳のとき、北海新聞主筆に招かれ、のちに犬養木堂の依頼で函館新聞の主筆となる父に従って一家で函館に移住した。
山川 丙三郎(やまかわ へいざぶろう、1876年3月3日 -… 山川 丙三郎(やまかわ へいざぶろう、1876年3月3日 - 1947年8月17日)は、イタリア文学者、翻訳家。日本で最初にダンテの『神曲』「地獄篇」を完訳した。 新潟県北蒲原郡(現・新潟県新発田市上館)生まれ。新潟市の北越学館に入学し受洗。1892年東北学院労働会に入って勤労学生として苦学し、20歳の同学院文科2年生のときに島崎藤村が教師として赴任し、交流する。バイオリニストを志して渡米し、カリフォルニア大学に学び、語学の才を発揮し、とくに中世英語ではアメリカ人を抜いてトップの成績を修めたという。 1914年から1922年にかけてダンテ・アリギエーリ『神曲』を邦訳。ダンテ研究家の大賀寿吉に絶賛される。
山縣 初男(やまがた はつお、1873年〈明治6年〉8月31… 山縣 初男(やまがた はつお、1873年〈明治6年〉8月31日 - 1971年〈昭和46年〉1月11日)は、日本陸軍の軍人・著述家・中国文学研究者・翻訳家。別号は三志園、海城。最終階級は陸軍大佐。陸軍の中国通(支那通)の一人として知られ、繆斌工作に関与していた。娘婿は自由民主党の政治家である三原朝雄。新潟県村上本町表新町(現・村上市)に生まれる。 旧士族・山縣正升の長男として生まれる。村上私学校を中退して陸軍教導団歩兵科に入り、1894年(明治27年)3月に卒業。歩兵二等軍曹として日清戦争に参戦した。1898年(明治31年)12月、士官候補生となり、陸軍士官学校(12期)に入学(同期に小磯國昭らがいる)。
高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年… 高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年3月20日) - 1935年9月7日)は、明治時代から昭和初期の翻訳家、啓蒙的英文学者、英語学者、言語学者、評論家、教育者である。 聖書の翻訳や英語教育を行い、立教大学、早稲田大学、駒澤大学で教授を歴任した。 1856年(安政3年)に越後国柏崎の庄屋の家に生まれる。本名は吾良である。1868年、群馬県高崎に行き、竜門寺で市川左近に漢学や仏学を学ぶ。1871年より牧野再竜、高崎藩校の田中毛野に学ぶ。 1873年に洋学を学ぶために上京し、緒方塾で緒方惟孝(緒方城次郎、緒方洪庵の三男)に学び、植村正久と知り合いになる。1875年(明治8年)に横浜へ行き、植村の紹介でアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師S・R・ブラウンのブラウン塾で英学と英語、仏語、独語を習った。