山崎 佳代子(やまさき かよこ、1956年9月14日 - )… 山崎 佳代子(やまさき かよこ、1956年9月14日 - )は、日本の詩人、翻訳家。セルビア共和国のベオグラード大学文学部教授。セルビア文芸協会会員(副理事)。夫山崎洋は、ユーゴスラビア研究者・翻訳家で、その父はユーゴスラビア人記者だったブランコ・ヴケリッチである。 石川県金沢市生まれ、静岡県静岡市育ち。1979年北海道大学文学部ロシア文学科卒業後、ユーゴスラビアの奨学金を得てサラエボ大学文学部でユーゴスラビア文学史を学ぶ。リュブリャナ(スロベニア共和国)の民謡研究所への留学を経て、1982年 ~1986年、ベオグラード大学大学院に在学。在学中の1985年から助手を務め、その後文学部日本学専攻教授となる。
芝山 幹郎(しばやま みきお、1948年 - )は、日本の翻… 芝山 幹郎(しばやま みきお、1948年 - )は、日本の翻訳家、随筆家、評論家、詩人。 石川県金沢市生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。詩集『晴天』(書肆山田、1972年)で詩壇に登場し、後に翻訳、評論の分野で精力的な活動を行う。 スポーツ、映画にも造詣が深く、1993年から2000年まで「キネマ旬報」に「オールモスト・クール」を、2000年から2009年1月まで日本経済新聞土曜版に「今週の1本」を連載したほか、「月刊メジャー・リーグ」「週刊サッカーマガジン」などにも随筆や評論を掲載している。
徳沢 愛子(とくざわ あいこ、1939年〈昭和14年〉1月2… 徳沢 愛子(とくざわ あいこ、1939年〈昭和14年〉1月29日 - )は、日本の詩人。石川県出身。 1939年、石川県金沢市生まれ。1947年、金沢泉丘高等学校 卒業。1951年、金沢大学 教育学部 卒業 ※金沢方言詩集:『ほんなら おゆるっしゅ』、『いちくれどき』、『花いちもんめ』金沢方言詩集『金沢方言集』、金沢方言詩集 2『金沢方言集Ⅱ』、金沢方言詩集 3『金沢方言集Ⅲ』※中日新聞社で紹介:https://www.chunichi.co.jp/article/513474 「英霊の名誉を守り顕彰する会」の会長である佐藤和夫の実姉。彼の招きにより宗教研究の例会にて自身の宗教について講演した(2022年10月21日文教シビックホール)講演風景:https://www.nicovideo.jp/watch/sm41272723 https://bungeikan.japanpen.or.j
福田 陸太郎(ふくだ りくたろう、1916年2月9日 - 2… 福田 陸太郎(ふくだ りくたろう、1916年2月9日 - 2006年2月4日)は、日本の英米文学者、比較文学者、詩人、東京教育大学名誉教授。紫綬褒章・勲三等旭日中綬章受章。追叙従四位。 1916年、石川県羽咋市生まれ。1940年、東京文理科大学英文科を卒業した。 卒業後は東京高等師範学校に勤務。太平洋戦争後の1947年、東京教育大学助教授に就任した。のち教授に昇任。1948年には、太田三郎、中島健蔵らと共に日本比較文学会を創立。1949年から3年間ソルボンヌ大学に研究留学。1961年からはフルブライト交換教授として1年間米国の諸大学に派遣された。1977年に東京教育大学を定年退官し、名誉教授となった。
水芦 光子(みずあし みつこ、旧姓 布光子、1914年(大正… 水芦 光子(みずあし みつこ、旧姓 布光子、1914年(大正3年)9月12日 - 2003年(平成15年)10月13日)は、日本の詩人、小説家。室生犀星の女性初の弟子でもある。 石川県金沢市馬場五番丁六(現・東山3丁目29-13、14)生まれ。第四高等学校から東京帝国大学に進学する程のインテリであった次兄の雄吉の影響を受け、幼い頃から源氏物語などの古典に親しみ、歌舞音曲や映画鑑賞などの芸能を好む数寄者の母を持った影響から文学的才能を養った。 金沢市広坂にあった石川県立金沢第二高等女学校(現・石川県立金沢桜丘高等学校)4年の在学中に、水芦の父の篤が創業し、経営していた家業の金箔商経営が、受取手形が不渡りになった事によって不振に陥り、倒産。
毎田 周一(まいだ しゅういち、1906年〈明治39年〉9月… 毎田 周一(まいだ しゅういち、1906年〈明治39年〉9月22日 - 1967年〈昭和42年〉2月27日)は、日本の仏教思想家、詩人。金沢市出身。第四高等学校を経て、1929年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1937年長野県師範学校教諭、1942年石川県師範学校教諭。 暁烏敏に師事し、西田幾太郎に学ぶ。雑誌『真』、『大雪山』を主宰。仏教の教えを日常の言葉で語り、多くの解説書や詩を残した。没後「毎田周一全集」が纏められた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
村井 武生(むらい たけお、男性、1904年10月11日 -… 村井 武生(むらい たけお、男性、1904年10月11日 - 1946年2月1日)は、日本の詩人。本名=邑井武雄。 1904年(明治37年)石川県石川郡美川町(現:白山市)にて生まれる。幼少期に一家は金沢に移り、武雄は文学に興味を持つようになり、室生犀星、木山捷平など多くの詩人と交流し、雑誌を発行する。東京や大阪に転居したが、1934年(昭和 9年)に金沢へ移り、 粟崎遊園の少女歌劇の舞台監督、脚本などに関わる。1940年(昭和15年)中国の太原で新聞局員となり、終戦後、1946年(昭和21年)帰国前に北京にて客死。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月… 中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人、天台宗僧侶。文化功労者。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。 1895年(明治28年)、石川県金沢市長町に生まれ、富嗣と命名される。祖父は加賀藩士。父親は海軍軍楽隊教官だったが、悟堂の生後まもなく病死し、母は長崎の実家に帰ったまま行方不明となり、父の兄で中西家十代の当主元治郎(悟玄)の養嗣子となる。3歳頃より四書五経を学び千字文を書写する。
相川 俊孝(あいかわ としたか、1889年(明治22年)12… 相川 俊孝(あいかわ としたか、1889年(明治22年)12月24日 - 1940年(昭和15年)11月18日)は、大正から昭和前期の日本の詩人。 金沢大学の前身となった旧制第四高等学校を中退。室生犀星の影響を受け詩作をはじめ、1916年(大正5年)室生犀星・萩原朔太郎創刊の『感情』に同人として参加する。1920年(大正9年)には『感情同人詩集』に「懲罰」などの詩を発表。1922年(大正11年)『詩聖』に「凝視」などを発表し、1924年(大正13年)には佐藤春夫の序文を得て『万物昇天』を刊行、ほか詩誌『壺』も主宰した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
国府 犀東(こくぶ さいとう、明治6年(1873年)2月5日… 国府 犀東(こくぶ さいとう、明治6年(1873年)2月5日 - 昭和25年(1950年)2月27日)は、戦前日本の記者、官僚、漢詩人。本名は種徳。石川県金沢市出身。新潟、台湾、東京で新聞記者を務めた後、内閣、宮内省、文部省等で地方改良運動、近代社格制度、詔勅起草、文化財行政等に関わった。また慶應義塾大学予科、旧制東京高等学校で漢文を講義した。 号は金沢西部を流れる犀川の東畔に生まれたことに由来する。対岸で生まれた室生犀星はこれを受けて犀西の意で犀星と名乗った。また、美術編集者坂井犀水の号も犀川による。 明治6年(1873年)、石川県石川郡金沢城下(金沢市竪町)の左官職鹿島家に生まれた。初名は長松。