玉村 和彦(たまむら かずひこ、1940年 - )は、日本の… 玉村 和彦(たまむら かずひこ、1940年 - )は、日本の経営学者、観光学者。同志社大学名誉教授。 1940年(昭和15年)長野県生まれ。1959年(昭和34年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1963年(昭和38年)同志社大学商学部卒業。1965年(昭和40年)同志社大学大学院商学研究科修了。2002年(平成14年)エクセター大学大学院地理学・考古学研究科地理学専攻。 同志社大学商学部助教授、教授、2000年(平成12年)同志社大学キリスト教文化センター所長を経て、2006年(平成18年)定年退官。同志社大学名誉教授
倉田 毅(くらた たけし、1940年 - )は、日本の医師、… 倉田 毅(くらた たけし、1940年 - )は、日本の医師、医学者。厚生労働省 国立感染症研究所 名誉所員。学位は医学博士(信州大学・1971年)。特定非営利活動法人 バイオメディカルサイエンス研究会 会長。専門は病理学、ウイルス学など。 国立感染症研究所 所長、日本ウイルス学会 理事長、国際医療福祉大学塩谷病院 感染症専門医(教授)などを歴任した。 日本の研究所、大学のみならず、インドとバングラデシュで世界保健機関の天然痘根絶計画に参加したほか、アフリカ西部のシエラレオネでラッサ熱の研究など世界各地で研究をおこなった。 長野県に生まれる。1959年 長野県松本深志高等学校 卒業。1966年 信州大学医学部 卒業。
宮坂 元裕(みやさか もとひろ、1940年 - )は、日本の… 宮坂 元裕(みやさか もとひろ、1940年 - )は、日本の教育学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年東京教育大学(現・筑波大学)教育学部芸術学科彫塑専攻卒業。東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)教諭。上越教育大学助教授。1997年横浜国立大学 教育学部教授。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科教授(併任)。横浜国立大学教育学部附属横浜小学校校長(併任)。2006年退官後、横浜国立大学名誉教授。これらの期間に、文部省(現・文部科学省)小学校学習指導要領(図画工作)指導書作成協力者、公益社団法人日本美術教育連合理事長、公益財団法人教育美術振興会理事、公益財団法人三菱UFJ環境財団理事を務めた。
藤森 汎(ふじもり はん、1940年 - )は、日本の彫刻家… 藤森 汎(ふじもり はん、1940年 - )は、日本の彫刻家。三軌会彫刻部会員・部長。 長野県諏訪市出身。諏訪市立高島小学校、諏訪市立上諏訪中学校を経て、1959年長野県諏訪清陵高等学校卒業。1963年東京都立大学人文学部卒業後、金属工芸家小川正波に師事した。1964年パリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール・ド・パリ)彫刻科留学。彫刻家ロベール・クーチュリエに師事した。1967年プリ・ド・エコール賞受賞。ギャラリーホワイエ(パリ)にて、山本平と二人展開催。1968年帰国。1970年、東京都世田谷区三軒茶屋の自宅に藤森彫金アトリエ(のちの株式会社フジモリ)を開設。1970年〜1985年立動美術展に会員として毎年出展。
横田 尚武(よこた なおたけ、1940年 - )は、日本の篤… 横田 尚武(よこた なおたけ、1940年 - )は、日本の篤農家。 長野県飯田市出身。長野県飯田長姫高等学校を卒業後、単身ブラジルに渡り日系農場での農業研修を経て独立、サンパウロ近郊でジャガイモやダイズを生産する農場主となる。また、かつてはバイア州において「不毛の大地」と呼ばれてきたセラード地帯の農業開拓に関わる。 かつては東京農業大学などで講演をしたこともある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6… 中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6月5日)は、日本の医師、医療評論家。 長野県更埴市(現千曲市)生まれ。長野県上田高等学校を経て、1966年京都大学医学部卒業(医学士)。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。1996年より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰。医師による延命治療の拒否を唱えている。 生前は 毎月第3土曜日に京都市内にて「自分の死を考える集い」を開催し講演をしていた。 また、1970年代にはクイズプレイヤーとして数々のクイズ番組に出場し、「クイズグランプリ」グランドチャンピョンなど数々の優勝経験を持ち、さらに日本テレビ系「アメリカ横断ウルトラクイズ」の栄えある第1回で、機内800問(当時)ペーパーテストでは第1位で優勝者の松尾清三とわずか5点差の707点で第2位の成績を残すが、アメリカ本土上陸後のチェックポイント「サンディエゴ」で敗者となり、シャチにキスされるという罰ゲームを受けた。
倉石 忠彦(くらいし ただひこ、1939年12月15日 - … 倉石 忠彦(くらいし ただひこ、1939年12月15日 - 2023年6月25日)は、日本の民俗学者。國學院大學名誉教授。道祖神研究、都市民俗学論で知られる。妻の倉石あつ子、長女の倉石美都も民俗学者。 長野県長野市に生まれる。長野県立長野高等学校を経て、1959年に國學院大學文学部文学科に入学し、國學院大學民俗学研究会に入会する。1962年に日本民俗学会で「道祖神信仰の一考察」を発表する。1963年國學院大學文学部を卒業し、長野県内で高校教諭となる。1967年、前沢あつ子と結婚。1973年から長野県史民俗資料調査委員を務め、1975年には長野県史刊行会編纂委員になる。1980年、国立歴史民俗博物館設立準備委員会協力委員と長野県史刊行会常任編纂委員を務める。
宮澤 宗弘(みやざわ むねひろ、1939年(昭和14年)12… 宮澤 宗弘(みやざわ むねひろ、1939年(昭和14年)12月13日 - )は、日本の政治家。元長野県安曇野市長(3期)。元長野県議会議員(5期)、元豊科町議会議員(5期)。 1958年(昭和33年)3月、長野県南安曇農業高等学校土木科卒業。同年4月、コンクリート製品の製造販売会社に就職。 1971年(昭和46年)4月、豊科町議会議員選挙に立候補し、初当選。以後、同町議を5期つとめる。 1991年(平成3年)4月、長野県議会議員選挙に立候補し、初当選。以後、同県議を5期つとめる。2009年(平成21年)8月、県議を辞職。 2009年(平成21年)10月11日執行の安曇野市長選挙に無所属で立候補し、初当選。
浜 文恵(はま ふみえ、1939年11月29日 - )は、日… 浜 文恵(はま ふみえ、1939年11月29日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県岡谷市出身。 1957年の全日本スピードスケート選手権大会で優勝。三協精機所属時の1960年スコーバレーオリンピックにオリンピック日本女子スピードスケート史上初の代表として出場、500m8位、1000m7位、1500m10位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
赤羽 昇(あかはね のぼる、1939年(昭和14年)11月7… 赤羽 昇(あかはね のぼる、1939年(昭和14年)11月7日 - 2020年(令和2年)12月22日)は、日本の実業家。株式会社ノリタケカンパニーリミテド代表取締役社長や、同社取締役会長、スリランカ民主社会主義共和国名誉総領事などを務めた。 長野県松本市出身。1962年(昭和37年)南山大学経済学部卒業、日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)入社。1994年(平成6年)、取締役。1997年(平成9年)、常務取締役。2000年(平成12年)、専務取締役。 2002年(平成14年)6月、代表取締役副社長。 2004年(平成16年)6月、代表取締役社長。 2012年(平成24年)6月、相談役。スリランカ民主社会主義共和国名誉総領事、森村商事取締役なども務めた。
堀込 基明(ほりごめ もとあき、1939年10月31日 - … 堀込 基明(ほりごめ もとあき、1939年10月31日 - 1997年2月16日)は、長野県小諸市出身のプロ野球選手(外野手)。愛称は「モーやん」。 小諸商業高校から専修大学へ進学。東都大学野球リーグでは1959年春季リーグで優勝。直後の全日本大学野球選手権大会では、エース坂井勝二を擁し準決勝に進出するが、木次文夫、近藤昭仁らのいた早大に敗退。1960年秋季リーグでも山本兵吾の好投もあって在学中2回目の優勝を飾った。大学の1年上には坂井(3年で中退)、山本の他に、後にプロで同僚となる小池兼司がいた。1961年春季リーグでは首位打者を獲得。リーグ通算89試合出場、288打数95安打、打率.330、4本塁打、35打点。
林 利隆(はやし としたか、1939年10月29日 - 20… 林 利隆(はやし としたか、1939年10月29日 - 2005年9月16日)は、日本のジャーナリスト・大学教員。関西大学社会学部教授・早稲田大学教育学部教授を歴任。専門分野は、ジャーナリズム論・マスコミュニケーション論・新聞学・メディア論。 長野県岡谷市出身。1958年長野県諏訪清陵高等学校卒業、1962年早稲田大学第一文学部哲学科卒業。日本新聞協会入社。編集部副主管、業務部副主管を経て、1977年より編集部主管。1983年に日本新聞協会研究所研究員、1986年から再び編集部主管として雑誌『新聞研究』・機関紙『新聞協会報』の編集長を務め、1988年より日本新聞協会研究所所長。1991年、同職を退任、退職。
水城 武彦(みずしろ たけひこ、1939年10月22日 - … 水城 武彦(みずしろ たけひこ、1939年10月22日 - 2008年3月6日)は、日本の経済ジャーナリスト。NHK記者、解説委員。
柳田 剛彦(やなぎだ たけひこ、1939年(昭和14年)10… 柳田 剛彦(やなぎだ たけひこ、1939年(昭和14年)10月14日 - )は、日本の政治家。元長野県小諸市長(1期)。
鎌倉 矩子(かまくら のりこ、1939年9月29日 - 20… 鎌倉 矩子(かまくら のりこ、1939年9月29日 - 2023年6月16日)は、日本の医学者。学位は、医学博士。広島大学名誉教授。長野県諏訪郡原村出身。 1958年長野県諏訪二葉高等学校卒業。1962年東京大学医学部衛生看護学科卒業。教授の「日本には今後リハビリテーション医療が必要になる」との言葉で進路を決め、日本肢体不自由児協会整肢療育園に就職。東京大学医学部附属病院技官、東京都老人総合研究所主任研究員、東京都立医療技術短期大学教授、広島大学医学部保健学科教授、国際医療福祉大学大学院教授などを歴任。その業績は、発達障害、高次脳機能障害、上肢機能など多岐に渡る。 1976年、東京大学から医学博士の学位を取得。
高木 俊輔(たかぎ しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉9月… 高木 俊輔(たかぎ しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉9月15日 - )は、日本史学者、国文学研究資料館名誉教授。 長野県諏訪郡長地村(現岡谷市)生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年東京教育大学文学部史学科卒業。1970年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、静岡大学人文学部講師、1971年助教授、1973年信州大学人文学部助教授。1976年「明治維新草莽運動史」で文学博士(東京教育大学)。1984年信州大教授、1994年国文学研究資料館教授、1998年同史料館館長、2000年定年退官、名誉教授、立正大学教授。2010年退職。 2019年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
金丸 龍之介(かなまる りゅうのすけ、1939年8月31日)… 金丸 龍之介(かなまる りゅうのすけ、1939年8月31日)は、日本の内科医。専門は、癌化学療法、分子生物学。医学博士。
岩間 辰志(いわま たつし、1939年〈昭和14年〉8月21… 岩間 辰志(いわま たつし、1939年〈昭和14年〉8月21日 - 2015年〈平成27年〉11月16日)は、日本の実業家。元サッポロホールディングス社長、名誉顧問。 長野県出身。長野県野沢北高等学校を経て1963年に早稲田大学政治経済学部を卒業。同年日本麦酒株式会社に入社(1964年にサッポロビールに社名変更)。 1998年3月に取締役、同11月常務取締役、1999年年11月代表取締役社長に、それぞれ就任。 2003年、サッポロビールの純粋持株会社化に伴い、サッポロホールディングス代表取締役社長に就任。2005年同社相談役、2007年同社名誉顧問。 2015年11月16日、慢性骨髄性白血病により76歳で死去。
林 泰章(はやし やすあきら、1939年(昭和14年)8月2… 林 泰章(はやし やすあきら、1939年(昭和14年)8月21日 - )は、日本の実業家、政治家。元長野県岡谷市長。 岡谷市生まれ。1962年(昭和37年)日本大学経済学部卒業。会社勤務を経て、1966年(昭和41年)和泉工業(メッキ関係)取締役となり、同代表取締役、岡谷青年会議所副理事を務めた。 1975年(昭和50年)9月、岡谷市長選挙に出馬し36歳で当選、当時、全国最年少市長であった。1995年(平成7年)9月まで5期務めた。在任中は公共下水道や市営住宅の整備、防災体制の強化、市街地の再開発、医療施設の充実などに尽力した。 スポーツ界では、1975年、岡谷市体育協会長となり、1979年(昭和54年)長野県スケート連盟会長、1980年(昭和55年)日本スケート連盟理事を兼任し、のち副会長となった。
丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、… 丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、日本の国際ジャーナリスト、中国研究家。 長野県塩尻市生まれ。1963年京都大学文学部東洋史学科卒、読売新聞記者となる。1971年から1973年までインドネシア・ジャカルタ特派員、1975年から1978年までケニア・ナイロビ特派員を務めた後、中華人民共和国・北京支局長、アジア総局長、外報部次長、読売新聞調査研究本部主任研究員を務めた。 1994年から1998年まで文教大学文学部で非常勤講師、また台湾国策研究院客員研究員を務めた。目白大学社会学部メディア表現学科教授として国際ジャーナリズム論の教鞭を執った。
井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 - 20… 井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 - 2018年9月2日)は、日本の実業家、政治家。橘倉酒造代表取締役会長。 衆議院議員(3期)、厚生大臣(第77代)、新党さきがけ代表(第2代)を歴任。 父は内閣官房長官や農林大臣、郵政大臣を務めた元衆議院議員の井出一太郎。作家の井出孫六は叔父。衆議院議員の井出庸生は甥。 長野県南佐久郡臼田町(現:佐久市)生まれ。長野県野沢北高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。大学では中国経済を研究していた。大学卒業後は、政治家である父・井出一太郎に代わって家業の酒造業の経営に携わる。 1986年、父・一太郎の引退に伴い、父の支持者から要請を受け、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧長野2区から立候補し、初当選した。
川村 昌平(かわむら しょうへい、1939年6月10日 - … 川村 昌平(かわむら しょうへい、1939年6月10日 - )は、日本の実業家。養命酒製造代表取締役会長。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、慶應義塾大学商学部卒業。1962年養命酒製造入社。1993年経理部担当部長。1996年取締役・経理部長。2002年常務取締役・人事、経理担当。2004年専務取締役執行役員・管理本部長。中期経営計画を3次まで立案し指揮した。2006年代表取締役専務取締役執行役員・総務、人事、経理担当。2007年代表取締役副社長執行役員・海外事業、総務、人事、経理担当。2008年代表取締役副社長執行役員・生産事業本部長。2010年代表取締役副社長執行役員・生産本部長、事業開発本部長。
名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日… 名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日 - )は、日本の男性声優、アナウンサー。81プロデュース所属。長野県富士見町出身。 1958年、長野県諏訪清陵高等学校卒業。 1962年に早稲田大学卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。 1999年、NHKを定年退職。声優活動を開始。 主にニュース番組で活躍。また、よど号ハイジャック事件、ドイツ日航機爆破事件、三菱重工爆破事件、クアラルンプール・アメリカ大使館占拠事件、あさま山荘事件、小櫃川(千葉)集中豪雨、エリザベス女王訪日、昭和天皇訪米、原子力船「むつ」放射能もれ洋上漂流、佐世保修理入港、ドイツ・ベルリンの壁崩壊の国内外重要中継リポートを担当。
小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )… 小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 岡谷工業高校時代にはインターハイ10000mで3連覇を達成。明治大学在学時の1960年スコーバレーオリンピックに出場、1500m34位、5000m24位、10000m21位だった。
青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は… 青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法・民事手続法。東京大学名誉教授。公益財団法人日本スポーツ仲裁機構評議会会長。長野県高遠町(現・伊那市)出身。三ヶ月章門下。弟子に松下淳一、大橋眞弓、貝瀬幸雄など。
山岸 哲(やまぎし さとし、1939年3月15日 - )は、… 山岸 哲(やまぎし さとし、1939年3月15日 - )は、日本の鳥類学者。山階鳥類研究所名誉所長。理学博士。 長野県須坂市に生まれる。長野県長野高等学校を経て、1961年信州大学教育学部卒業。大阪市立大学理学部教授、京都大学大学院理学研究科教授を歴任。1993~1997年日本鳥学会会長、次いで2002年に山階鳥類研究所所長に就任。 かたわら、2005年東京農業大学客員教授、2008年より新潟大学特任教授を務める。2010年3月山階鳥類研究所所長を退任し、名誉所長となる。2010年10月兵庫県立コウノトリの郷公園園長就任。 1999年 第8回山階芳麿賞受賞。 また、2003年5月1日から2004年4月30日にかけて、『朝日新聞』朝刊第1面にてコラム『けさの鳥』を連載していた。
那須 重信(なす しげのぶ、1939年1月22日 - )は、… 那須 重信(なす しげのぶ、1939年1月22日 - )は、元信越放送のアナウンサー。 1939年(昭和14年)長野県北安曇郡池田町出身。1958年(昭和33年)長野県松本県ヶ丘高校 卒業。1962年(昭和37年)日本大学卒業。1963年(昭和38年)信越放送入社。エグゼクティブアナウンサー、アナウンス部長。主に SBCニュースワイドのキャスター、SBC制作番組のナレーションを務める。2000年(平成12年)信越放送定年退職。 以降、NHK文化センター松本・長野県カルチャーセンター講師を務める。
小川 元(おがわ はじめ、1939年(昭和14年)1月1日 … 小川 元(おがわ はじめ、1939年(昭和14年)1月1日 - 2024年〈令和6年〉10月15日)は、日本の政治家、外交官。元衆議院議員(3期)。位階は従四位。 元駐チリ特命全権大使。長野県諏訪郡富士見町出身。司法大臣、鉄道大臣などを歴任した小川平吉の孫。 1939年(昭和14年)1月1日、小川一平・俊子夫妻の長男として生まれる。父・一平は弁護士・政治家小川平吉の長男、母・俊子は実業家・杉本甫の姉。 1961年(昭和36年)、学習院大学政経学部卒業。同年、三菱商事入社。 1970年(昭和45年)、ブラジル三菱商事株式会社取締役としてリオデジャネイロに5年間駐在し、帰国後は非鉄金属本部長代理などを歴任。
小宮山 淳(こみやま あつし、1939年 - )は日本の医学… 小宮山 淳(こみやま あつし、1939年 - )は日本の医学者(小児科学、血液学)。 長野県出身。長野県上田高等学校を経て、昭和39年(1964年)信州大学医学部卒業、同44年(1969年)同大学院医学研究科小児科学専攻博士課程修了、母校助手。同60年(1985年)医学部助教授、平成2年(1990年)教授、同7年(1995年)信州大学医学部附属病院長、同11年(1999年)医学部長、同15年(2003年)学長。同28年(2016年)瑞宝重光章受章。前・松本秀峰中等教育学校校長(2010年-2015年、2018年-2022年)。現・老人保健施設はびろの里施設長(2023年)。
阿部 治平(あべ はるひら、通称じへい。1939年 - )は… 阿部 治平(あべ はるひら、通称じへい。1939年 - )は、中国農業地理を専門とする。 1936年6月、長野県諏訪郡原村生まれ。 1958年長野県諏訪清陵高校卒業。 1962年東京教育大学農学部卒業。全国農業協同組合に就職するも喘息のため退職。1965年より1999年まで埼玉県公立高校教諭で、地理教師のちに中国語教師として過ごす。 この間、大阪外国語大学モンゴル語科非常勤講師として21年間兼務、中国天津外国語学校教師として2年、埼玉大学非常勤講師1年を過ごす。2000年より2011年まで中国天津社会科学院(中国語版)で論文翻訳と日本語の教師、青海民族高等専科学校・青海師範大学(英語版)・青海民族大学などで日本語教師を歴任する。
春日 敏夫(かすが としお、1939年 - )は日本の医学者… 春日 敏夫(かすが としお、1939年 - )は日本の医学者。放射線医学者。金沢大学名誉教授。 同年信州大学医学部放射線医学講座 助手、1991年(平成3年)から信州大学医学部附属病院 講師、1995年(平成7年)から信州大学医学部附属病院 助教授を務めた。
後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 202… 後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 2025年11月22日)は、日本の映画監督。長野県伊那市出身、飯島町在住。 長野県伊那北高等学校を経て、1962年立教大学社会学部卒業。新世紀映画株式会社入社。山本薩夫監督の助監督として、『戦争と人間』、『華麗なる一族』、『金環蝕』、『不毛地帯』、『あゝ野麦峠』などに就く。1978年に『こむぎいろの天使-雀(すずめ)と少年』(青銅プロダクション)で監督デビューする。その後、活動拠点をふるさとである信州伊那谷(飯島町)に置き、動物と人間のふれあいをテーマにした作品や、時に美しく時に厳しい自然をテーマに「生きる」ということを人間に問いかけるような作品を多く手がけている。
黒沢 惟昭(くろさわ のぶあき、1938年10月25日 - … 黒沢 惟昭(くろさわ のぶあき、1938年10月25日 - )は、日本の教育学者。東京学芸大学教育学部教授、財団法人神奈川県高等学校教育会館教育研究所代表等を経て、中国東北師範大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1965年一橋大学社会学部卒業。高島善哉や鈴木秀勇の指導を受けた。1969年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。指導教官は宮原誠一。2010年「現代に生きるグラムシ 市民的ヘゲモニーの思想と現実」で一橋大学より博士(社会学)の学位を取得。審査員加藤哲郎、関啓子、平子友長。 1969年本州大学(現長野大学)経済学部専任講師、1972年助教授。神奈川大学外国語学部教授を経て、2001年に東京学芸大学教育学部教授を定年退官。
綿貫 隆夫(わたぬき たかお、1938年(昭和13年)10月… 綿貫 隆夫(わたぬき たかお、1938年(昭和13年)10月2日 - 2020年(令和2年)12月25日)は、日本の政治家、弁理士。長野県中野市長。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。長野県長野高等学校を経て、信州大学工学部卒業。高校卒業時から家業の醤油醸造業を承継し、学生生活と社長を兼ねた。 1973年に弁理士試験合格。科学技術翻訳士資格取得。その後、長野市に綿貫国際特許・商標事務所を開業し、クリエイ知的所有権研究所長も務める。 1996年、中野市長選挙に初当選した。2004年に退任し、2006年からは長野県教育委員長を務めた。 2009年、旭日双光章受章。2020年、紺綬褒章飾版受章。
依田 郁子(よだ いくこ、1938年9月30日 - 1983… 依田 郁子(よだ いくこ、1938年9月30日 - 1983年10月14日)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走・ハードル競走。女子80mハードルの元日本記録保持者で、1964年東京オリンピック日本代表として同種目で入賞を果たした。 長野県小県郡丸子町(現・上田市)出身。長野県上田染谷丘高等学校卒業。結婚後の姓名は宮丸 郁子(みやまる いくこ)。 中学3年生のとき肋膜炎と肺炎にかかり上田染谷丘高校の受験に失敗、同校の定時制に入るが翌1955年に再受験して全日制に入学した。同校は当時バスケットボールの強豪で身体能力を見込まれた依田はバスケット部の勧誘を受けるも、「私は個人主義だからバスケは向かない」と陸上部に入部する。
青木 拡憲(擴憲、あおき ひろのり、1938年(昭和13年)… 青木 拡憲(擴憲、あおき ひろのり、1938年(昭和13年)9月23日 - )は、日本の実業家。メンズ、レディースファッションの「AOKI」・ブライダルの「アニヴェルセル」・エンターテイメントの「快活フロンティア」を中心としたAOKIグループの創業者。元AOKIホールディングス代表取締役会長。公益財団法人AOKI財団 の評議員、名誉会長。日本創新党の有力な支援者だった。 1938年9月、更級郡篠ノ井町(現・長野県長野市)で米穀商・青木商店の長男として生まれる。太平洋戦争後の1946年、父親が質屋を開業するも、行き詰まる。 長野商業高校卒業後の1958年9月、数有る質流れ品の中で自分が着用し理解できる洋服の販売を決意、弟 青木寶久とともに個人商店「洋服の青木」を創業。
飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )… 飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )は、日本の作曲家。 長野県南安曇郡豊科町(現在の安曇野市)出身。長野県松本深志高等学校を卒業後、東京芸術大学音楽学部作曲科に進学、同専攻科修了。作曲を石桁眞禮生、ピアノを安藤仁一郎、小田雪江、遠山ゆや、指揮法を山田一雄にそれぞれ師事。 第32回日本音楽コンクール入賞。1964年より桐朋学園大学にて教鞭をとる。現在、桐朋学園大学名誉教授。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、作曲家の会《環》各会員。 学校向けの合唱作品が多い。
山崎 一穎(やまざき かずひで、1938年9月20日 - 2… 山崎 一穎(やまざき かずひで、1938年9月20日 - 2024年9月14日)は、日本の近代文学研究者。専門は森鷗外。跡見学園女子大学名誉教授。元学校法人跡見学園理事長。森鷗外記念会会長、森鷗外記念館(津和野町)館長。 長野県中野市生まれ。中学校以降は千葉県で育つ。1957年、千葉県立千葉第一高等学校、1962年早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。千葉県立高校の定時制教諭の傍ら、1970年、同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。同年、跡見学園女子大学文学部国文学科専任講師、1974年助教授、1978年教授。同年から跡見学園女子大学学長、1989年に学長を退任。1998年学長に再任、2008年定年退職。
才口 千晴 (さいぐち ちはる、男性、1938年9月3日 -… 才口 千晴 (さいぐち ちはる、男性、1938年9月3日 - 2024年4月17日)は、弁護士、元最高裁判所判事(2004年1月6日 - 2008年9月2日)。長野県上水内郡豊野町(現長野市)出身。 破産法の専門家で、ダイエー再建時の2003年頃、企業再生ファンド アドバイザーを務めた。2001年から2003年にかけて、ラジオ番組「テレフォン人生相談」(ニッポン放送)に回答者として出演していた。現在はTMI総合法律事務所に所属。
丸山 敬一(まるやま けいいち、1938年9月1日 - )は… 丸山 敬一(まるやま けいいち、1938年9月1日 - )は、日本の政治学者、中京大学名誉教授。 長野県伊那市生まれ。1966年京都大学法学部卒。1976年大阪市立大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、中京大学法学部助教授、81年教授、87-89年法学部長。2001-03年法学研究科長、2009年定年退職、名誉教授。91年「マルクス主義と民族自決権」で、法学博士(大阪市立大学)の学位を取得。専攻はドイツ、オーストリアの政治思想史。
林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 202… 林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 2021年2月10日)は、日本の政治活動家、経済学研究家。社会主義労働者党委員長、マルクス主義同志会代表を経て、労働の解放をめざす労働者党(略称・労働者党)代表委員。旧組織名・栗木伸一。 元東京女子大学教授・林道義の弟。保守派・反フェミニズムとなった兄については厳しい批判を展開している。 長野県出身。父が教師だっため転居を繰り返す。長野県伊那北高等学校卒業後、東京大学文学部入学。青木昌彦に勧誘され、19歳の時に日本共産党に入党するが半年で離党。離党理由については「お粗末な実態に愛想をつかした」と述べている。その後共産主義者同盟の一員として60年安保闘争に参加。
小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、… 小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、日本の児童文学作家、小説家。本名・聰。箕輪町の資料館「美空ひばり歌の里」館長。 長野県上伊那郡箕輪町出身。立教大学文学部卒。 1983年、『黒潮物語』で第6回塚原健二郎文学賞受賞。「絵本伊那谷ものがたり」シリーズを刊行している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - … 宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - )は、日本の画家、イラストレーター、テレビ美術家。長野県安曇野市出身。 長野県松本県ヶ丘高等学校を経て東京芸術大学美術学部図案計画科卒業後、TBSに入社し、昭和を時代背景にした名作を数多く残した作家で脚本家の向田邦子、作家で演出家の久世光彦のテレビドラマの美術を担当する。 サロン・ド・プランタン賞受賞。パリ国際青年ビエンナーレ展出品ほか、個展9回、グループ展に多数出品。 サンケイ新聞婦人欄にイラストを連載したほか、池田弥三郎著『わが街銀座』等の挿絵、TV番組「日本レコード大賞」、水曜劇場「ムー一族」、「世界・ふしぎ発見!」等の美術を担当する。
池内 輝雄(いけうち てるお、1938年(昭和13年)5月1… 池内 輝雄(いけうち てるお、1938年(昭和13年)5月14日 - 2025年(令和7年)6月24日)は、日本の近代文学研究者。 長野県軽井沢町生まれ。1962年東京教育大学国文科卒、1969年同大学院博士課程満期退学、東京教育大学文学部助手。1971年大妻女子大学文学部助教授、教授、1993年筑波大学文芸・言語学系教授、2001年帝京大学文学部教授、2005年國學院大學文学部教授、2008年國學院大學・國学院大學大学院客員教授。 2006-07年日本近代文学会常務理事。2015₋2023年日本近代文学館副理事長。軽井沢高原文庫初代館長。
野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月… 野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月3日 - )は、日本の実業家。1997年(平成9年)に廃業した山一證券の最後の社長として知られる。 長野県出身。長野県屋代東高等学校を経て、法政大学経済学部卒業後、山一證券に入社。 1997年(平成9年)7月に山一證券の社長に就任したが、その僅か4ヵ月後の同年11月に廃業に追い込まれた。その記者会見の席で「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」と号泣する野澤の姿は繰り返し報じられた。 山一證券の清算後には日産センチュリー証券社長およびユニコムグループホールディングス取締役副会長を歴任。その後は営業や経営の経験に基づき山一證券出身の企業家等の指導・教育をしているほか、ピーアールコンビナート株式会社が主催する「評判づくり研究会」の運営顧問およびブレーン(マーケティング分野担当)を務めている。
牧内 良平(まきうち りょうへい、1938年4月 - )は、… 牧内 良平(まきうち りょうへい、1938年4月 - )は、日本の新聞記者、実業家。元テレビ神奈川社長。前学校法人神奈川大学理事長。神奈川県海老名市在住。 長野県飯田市出身。飯田高校卒業後2年間浪人したのち、早稲田大学政治経済学部に入学。1965年、神奈川新聞社に入社。 1985年、社会部長に就任。1986年6月1日付の神奈川新聞に霊感商法の被害状況を取材した記事が掲載されると、その日の夕方から神奈川新聞社本社には、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者からの無言電話および抗議の電話が殺到。電話は3日夜までに8,400件を超え、会社の通信機能は麻痺した。牧内は6月4日付の同紙のコラムに実名で「暴力は、どんな形にしろ絶対に容認できない。
野村 俊明(のむら としあき、1938年3月21日 - )は… 野村 俊明(のむら としあき、1938年3月21日 - )は、日本の化学者。信州大学名誉教授。専門は分析化学。 長野県東筑摩郡中川村(現・松本市)生まれ。1956年(昭和31年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1962年(昭和37年)信州大学文理学部大学院修了。 信州大学理学部助教授、教授を務めた後、2003年(平成15年)定年退官。信州大学名誉教授。 1998年(平成10年)から2002年(平成14年)の間、信州大学付属図書館館長を務る。日本分析化学会名誉会員。 退官後は、四賀村議会議員などを務めた。
長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - 2… 長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - 2022年5月8日)は、日本の政治家。中核派の政治団体「都政を革新する会」(旧「杉並革新連盟」)代表。杉並区議会議員(5期)、東京都議会議員(1期)を務めた。 選挙では、名前を平仮名にした長谷川 ひでのりの表記も用いる。また、俗称に長谷川 エイケン、ハセケン。 長野県生まれ。長野県小諸商業高等学校を卒業し、会計検査院に入庁した。働きながら早稲田大学第二政治経済学部を卒業。 1967年、70年安保や沖縄返還、公害、消費者保護を争点に杉並区議会議員選挙に立候補し、初当選。以後1971年、1975年、1979年、1983年と杉並区議に連続当選。
小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は… 小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は、日本の医学者、医師。専門は脳神経外科。米国脳神経外科学会専門医。前小諸厚生総合病院院長。相澤病院顧問、世界脳神経外科学会連盟名誉会長、信州大学名誉教授。 長野県千曲市出身。長野県上田高等学校を経て、1963年信州大学医学部卒業。脳神経外科を専攻し、在日米軍横須賀海軍病院でのインターンを経て、1965年から6年間メイヨー医科大学院に留学。帰国後は信州大学医学部附属病院で杉田虔一郎に師事し、脳神経外科の手術・研究に従事した。また、ロボット手術の機械を開発し、脳深部の腫瘍や動脈瘤の新たな手術方法を考案するなど脳外科分野の発展に大きく貢献し、米国脳神経外科学会の「国際功労賞」を日本人として初めて受賞。
小笠原 隆元(おがさわら りゅうげん、1938年3月1日 -… 小笠原 隆元(おがさわら りゅうげん、1938年3月1日 - )は、日本の仏教学者、僧侶。駒澤大学名誉教授。大本山總持寺顧問。長野県の曹洞宗広沢寺第30世住職。 長野県松本市生れ。1956年長野県松本深志高等学校卒業。同年、駒澤大学仏教学部仏教学科入学、1961年同卒業。同年東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻修士課程入学、1964年同修了。同年、駒澤大学大学院人文科学研究科仏教学専攻博士課程に入学し1968年3月同満期退学。同年、駒澤大学文学部専任講師、同大学国際仏教研究所理事。 1970年より1973年3月まで東海大学教養部非常勤講師。1971年より1994年3月まで曹洞宗教化研修所海外開教課程嘱託講師。