宮本 忠長(みやもと ただなが、1927年10月1日 - 2… 宮本 忠長(みやもと ただなが、1927年10月1日 - 2016年2月25日)は、日本の建築家。 長野県須坂市生まれ。1951年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、佐藤武夫建築事務所に勤務した。1964年に郷里に戻り、1966年に宮本忠長建築設計事務所を設立した。その後、長野県建築士会会長、日本建築士会連合会会長、国土交通省中央建築士審査会委員、長野市都市景観賞審査委員等を歴任した。2016年2月25日に胆管腫瘍のため死去。
高橋 信次(たかはし しんじ、1927年〈昭和2年〉9月21… 高橋 信次(たかはし しんじ、1927年〈昭和2年〉9月21日 - 1976年〈昭和51年〉6月25日)は、日本の経営者、宗教法人GLAの創設者。 1927年、長野県南佐久郡の農家に10人兄弟の次男として生まれる。 1938年、原因不明の病気にかかって幾度か死線を超え、「もう一人の私」となっている自分に気がついたという。 1944年、陸軍士官学校に進学し、終戦 。 1946年、復員。敗戦のショックの中、廃墟となった東京に上京する。勉学を志し、大学入学資格試験を通過、日本大学旧工学部(現 日本大学理工学部)で、自然科学や理科学を学ぶ。 1952年、自営で電気関係の仕事を始め、コンピューター端末機器製造会社の高電工業株式会社を設立し、社長となる。
南澤 道人(みなみさわ どうにん、1927年(昭和2年)9月… 南澤 道人(みなみさわ どうにん、1927年(昭和2年)9月14日 - )は、日本の僧侶。曹洞宗管長。永平寺第80世貫首。駒澤大学卒業。道号法諱・祖苗道人 長野県更級郡桑原村(現在の千曲市大字桑原)の龍洞院という寺の長男として生まれる。長野県屋代中学校(旧制中学)を経て、1945年に海軍兵学校、1948年に駒澤大学専門部仏教科卒業。1949年、大本山永平寺僧堂に安居。 2003年まで長野県龍洞院住職。その間、1982年に大本山永平寺の副寺(ふうす)、副監院、監院、並びに道元禅師七百五十回大遠忌奉修の総監を務める。札幌中央寺住職。 2008年より大本山永平寺副貫首。2020年9月29日、永平寺貫首に就任。
市川 健夫(いちかわ たけお、1927年9月5日 - 201… 市川 健夫(いちかわ たけお、1927年9月5日 - 2016年12月7日)は、日本の地理学者(人文地理学・地誌学)。学位は、理学博士。地域学としての『信州学』の提唱者として知られる。 長野県上高井郡小布施村生まれ。旧制須坂中学(長野県須坂高等学校)を経て、東京高等師範学校文科第四部卒業。長野県都住村立都住中学校教諭、長野県須坂西高等学校教諭、長野県長野高等学校教諭、長野県総務部事務吏員長野県政史編纂、東京学芸大学助教授、教授、信州短期大学教授、学長、名誉学長、長野県県文化財保護審議会長、長野県立歴史館館長などを歴任する。東京学芸大学名誉教授、信州短期大学名誉教授。秋山郷常民大学学長。 学位論文「日本の中央高地における高冷地農業の諸類型」で東京教育大学より理学博士の学位を取得。
沖 実郎(おき じつお、1927年7月12日 - )は、長野… 沖 実郎(おき じつお、1927年7月12日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。
滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年〈昭和2年〉6月15… 滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年〈昭和2年〉6月15日 - 2013年〈平成25年〉5月2日)は、日本の建築家。 1927年、長野県更埴市(現千曲市)出身。早稲田大学大学院修了後、吉阪隆正主宰のU研究室の創設メンバーとして1954年から1964年まで在籍。この時期に関わった代表作に「浦邸」(『吉阪隆正の方法 浦邸1956』斉藤祐子編著、住まい学大系064:住まいの図書館出版局、1994に詳しい)がある。ほかに、「ヴィラ・クゥクゥ」、「富山市立呉羽中学校旧校舎」、「大学セミナー・ハウス」などを担当した。 1965年に自身の建築設計事務所を開設、更埴市庁舎などを設計している。国士舘大学教授も務めた。
金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年… 金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年7月7日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。特に近世から近代にかけての対外交流史関係の著作が多い。 長野県東筑摩郡里山辺村(松本市)出身。旧制岡谷市立中学(現在の長野県岡谷南高等学校)を経て、1948年旧制松本高等学校文科乙類卒業、1951年東京大学文学部国史学科卒業。1956年同大学院人文科学研究科中退。1951年東京大学史料編纂所に入所、1962年助手、1971年助教授、1976年教授、1987年「日蘭交渉史の研究」で東大文学博士。1988年定年退官、名誉教授。 『神奈川の写真誌』全5巻、石井光太郎 共編 有隣堂 1970-1971年。
金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年… 金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年7月7日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。特に近世から近代にかけての対外交流史関係の著作が多い。
赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 199… 赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 1995年9月23日)は、日本の医学者(小児科学)。 長野県出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和27年(1952年)旧制松本医科大学医学部卒業。同28年米国留学、同30年(1955年)信州大学助手、同38年(1963年)医学部助教授、同44年(1969年)教授、同63年(1988年)信州大学医学部附属病院長、平成元年(1989年)学長。
松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20… 松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20日 - 2003年(平成15年)4月11日)は、日本の陶芸家。国の重要無形文化財「練上手(ねりあげで)」保持者(人間国宝)。本名、美明。 練上手という技法を集大成し、伝統技術を基盤にした現代の個性豊かな陶芸のあり方を提示した。
小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 200… 小池 和夫(こいけ かずお、1927年5月17日 - 2009年5月3日)は、日本の実業家。湖池屋の創業者。長野県諏訪市出身。 高校卒業後に上京し、職業を転々とし、1958年には湖池屋を設立し、社長に就任。1995年にフレンテ会長に就任し、2006年には名誉会長に就任。1994年3月には会長に就任。 2009年5月3日肺炎のために死去。81歳没。
中條 高德(なかじょう たかのり、1927年5月3日 - 2… 中條 高德(なかじょう たかのり、1927年5月3日 - 2014年12月24日)は、日本の実業家。アサヒビール株式会社名誉顧問。 1927年5月3日、長野県埴科郡森村(現・千曲市)に生まれる。屋代中学(現・長野県屋代高等学校)卒業後、帝国陸軍の現役兵科将校を目指し、陸軍予科士官学校に第60期生として入校しさらに本科(陸軍士官学校)に進むが、第二次世界大戦敗戦により陸士は閉校となる(最終階級は士官候補生たる陸軍兵長)[要出典]。 戦後は旧制松本高等学校文科乙類(現・信州大学)に進み、1952年3月に学習院大学文政学部政治学科を卒業。同年4月、アサヒビール入社。東京支店長、取締役、大阪支店長を経て1982年には常務取締役営業本部長として「アサヒスーパードライ」作戦を実行し、1988年に代表取締役副社長。
近藤 廉治(こんどう れんじ、1927年5月3日 - 202… 近藤 廉治(こんどう れんじ、1927年5月3日 - 2023年3月6日)は、精神科医、南信病院理事長。 長野県飯田市出身。1952年信州大学医学部卒。同放射線医学教室勤務。1957年「篩照射に関する基礎的研究」で信州大学医学博士、同年神経科へ移る。国立武蔵療養所、1970年長野県立駒ケ根病院長、1972年開放病棟の南信病院を設立、院長、理事長。
伊藤 礼吉(いとう れいきち、1927年4月10日 - 19… 伊藤 礼吉(いとう れいきち、1927年4月10日 - 1995年7月16日)は、日本の化学者。専門は、量子化学。旧姓は、宮坂。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、1953年名古屋大学理学部物理科卒業。同大学大学院、小林理学研究所勤務を経て、1957年東京農工大学助手。1961年理学博士学位取得。1962年同大学助教授。1966年早稲田大学理工学部(現・早稲田大学先進理工学部)助教授、化学科設立要員として赴任し同学科設立へ向けて尽力。1970年同大学理工学部教授。チューリッヒ工科大学留学を経て、1973年早稲田大学理工学部化学科(現・早稲田大学先進理工学部化学・生命化学科)設立し、以後の教育・研究に尽力。
松本 弘明(まつもと ひろあき、1927年3月28日 - 2… 松本 弘明(まつもと ひろあき、1927年3月28日 - 2014年9月30日)は、日本の物理学者。福井大学名誉教授。兵庫県出身。 1927年(昭和2年)兵庫県神戸市生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)を経て、1950年(昭和27年)京都大学理学部卒業。 和歌山大学教授、福井大学工学部教授を務めた後、1990年(平成2年)定年退官。福井大学名誉教授。 専門は電子物性物理学。
馬瀬 良雄(ませ よしお、1927年3月3日 - 2014年… 馬瀬 良雄(ませ よしお、1927年3月3日 - 2014年10月8日)は、日本の日本語学者。信州大学名誉教授。専門は音韻論・音声学・方言学。長野県松本市生まれ。
北沢 清功(きたざわ せいこう、1927年2月20日 - 2… 北沢 清功(きたざわ せいこう、1927年2月20日 - 2001年11月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員。
神津 武士(こうづ ぶし、1927年〈昭和2年〉2月11日 … 神津 武士(こうづ ぶし、1927年〈昭和2年〉2月11日 - 2025年〈令和7年〉12月17日)は、日本の政治家。元長野県佐久市長(3期)、元佐久市議会議員(2期)。旭日小綬章。本名は「たけし」。 長野県北佐久郡岩村田町(同郡浅間町を経て、現在の佐久市浅間地区)生まれ。1944年(昭和19年)旧制岩村田町立岩村田中学校(現在の長野県岩村田高等学校)卒業。同年に県下の小学校助教となり、1946年(昭和21年)退職し、自営農家となる。1955年(昭和30年)小諸北佐久農業改良クラブ会長、1960年(昭和35年)農業改良委員、1969年(昭和44年)佐久市議会議員(2期)、1972年(昭和47年)長野地方裁判所佐久支部調停委員となる。
三沢 光広(みさわ みつひろ、1927年(昭和2年)1月30… 三沢 光広(みさわ みつひろ、1927年(昭和2年)1月30日 - 2023年(令和5年)5月16日)は日本の政治家。塩尻市長(第5代)。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。長野県東筑摩農学校卒業。1946年から長野県農業会に勤務し、1948年から長野県農協中央会教育部生活課長、広報課長、教育部長、農政対策部長、審議役を歴任した。1983年から長野県議会議員を務め、地方社会保険医療協議会委員、長野県農協学園講師を兼任した。2期目の途中で辞職し、1990年9月に塩尻市長に当選、3期務め、2002年に引退した。在任中はレザンホールの建設などにあたった。2004年に旭日小綬章を受章。
向山 光昭(むかいやま てるあき、1927年1月5日 - … 向山 光昭(むかいやま てるあき、1927年1月5日 - 2018年11月17日)は、日本の有機化学者。東京大学名誉教授、東京工業大学名誉教授、東京理科大学名誉教授。社団法人北里研究所基礎研究所有機合成化学研究室名誉所員(前室長)。東京化成工業株式会社基礎研究所技術顧問。長野県伊那市出身。位階は従三位。 シリルエノールエーテルとカルボニル化合物をルイス酸触媒(四塩化チタンなど)下で作用させるとアルドール反応が進行することを発見。この反応は世界的に向山アルドール反応と呼ばれるほどで、今日、有機合成化学者で知らない者はいないほど有名である。それ以外にも脱水縮合反応を中心とした研究を行っている。大環状化合物合成に有用な向山縮合試薬や、フッ化糖類を用いる新規グリコシル化反応なども開発した。
土屋 武則(つちや たけのり、1927年(昭和2年)1月2日… 土屋 武則(つちや たけのり、1927年(昭和2年)1月2日 - 2003年(平成15年)4月19日)は、昭和後期から平成初期の地方公務員、政治家。長野県中野市長。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。1943年(昭和18年)12月、中野農商学校(現長野県中野立志館高等学校)農業科を卒業。1955年(昭和30年)4月、中野市役所に入庁し、1960年(同35年)農政課長、1968年(昭和43年)市民課長、1969年(昭和44年)総務課長などを歴任し、1977年(昭和52年)11月、助役に就任した。 1984年(昭和59年)2月、中野市長選挙で当選し、1996年(平成8年)2月まで3期務めた。
矢崎 明子(やざき あきこ、1927年 - )は日本の邦楽演… 矢崎 明子(やざき あきこ、1927年 - )は日本の邦楽演奏家。 長野県諏訪市に生まれる。10歳より宮城門下にて琴を習う。長野県岡谷高等女学校(現・長野県岡谷東高等学校)を経て、東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科卒業。1952年同研究科修了。 宮城道雄、宮城喜代子に師事。宮城会所属。 1957年、NHK邦楽技能者育成会2,3期生から選ばれた4名で、世界青年友好祭 民族楽器コンクール(モスクワ)に出演して金賞。 帰国後、同メンバーにて『邦楽4人の会』結成(尺八:北原篁山、筝:菊地悌子、後藤すみ子、矢﨑明子)。古典邦楽からヨーロッパクラシック曲、前衛的な楽曲まで幅広く取り組み、現代邦楽の新たな可能性を開いた。
篠原 昭登(しのはら あきと、1927年(昭和2年) - 2… 篠原 昭登(しのはら あきと、1927年(昭和2年) - 2020年(令和2年)6月28日)は、里山、風景洋画家。長野県茅野市出身。日展会員 一水会運営委員 元小学校教師。
後藤 道夫(ごとう みちお、1927年(昭和2年) - 20… 後藤 道夫(ごとう みちお、1927年(昭和2年) - 2017年12月22日)は、日本の科学ジャーナリスト・サイエンスプロデューサー、科学教育研究家。平成記念かざこし子どもの森公園初代公園長、飯田市少年少女発明クラブ会長、東京の科学実験グループ「ガリレオ工房」名誉会員。 長野県飯田市生まれ。東京理科大学理学部物理学科卒業。工学院大学附属高等学校で教諭を、工学院大学、東京都立大学 (1949-2011)、上智大学、明治大学などで講師を務める。 1992年に「青少年のための科学の祭典」を設立。科学技術館を中心とし、日本各地の80都市で行った。第1~4回、9回の全国大会実行委員長を務めた。 現在はサイエンスプロデューサーとして、各地で「親子科学教室」など開催するほか、飯田市科学教育ボランティアグループ「おもしろ科学工房」(平成13度組織化)スタッフとともに市内および下伊那郡内の小・中学校を対象に「巡回科学実験教室」(平成11年度スタート)を開設している。
藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12… 藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12月26日 - 2016年(平成28年)6月25日)は、日本の官僚。日本赤十字社名誉社長。環境事務次官、内閣官房副長官、宮内庁長官、日本赤十字社社長などを歴任。勲等は勲一等旭日大綬章。
笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年(大正15年)1… 笠原 俊一(かさはら しゅんいち、1926年(大正15年)11月21日 - 2007年(平成19年)4月8日)は、昭和戦後から平成期の地方公務員、政治家。長野県諏訪市長。 現在の諏訪市出身。1943年(昭和18年)12月、岡谷工業学校(現長野県岡谷工業高等学校)卒業。1944年(昭和19年)近藤製作所(のち浅野航空)に入社。1945年(昭和20年)応召し、復員後は職場が解散したため農業に従事。1951年(昭和26年)7月、中洲村役場に入り、諏訪市合併後、1967年(昭和42年)財政課長、1979年(昭和54年)助役を歴任。 1983年(昭和58年)5月、諏訪市長選挙に当選し、1999年(平成11年)5月まで4期務めて引退。
赤羽 賢司(あかばね けんじ、1926年〈大正15年〉11月… 赤羽 賢司(あかばね けんじ、1926年〈大正15年〉11月20日 - 2015年〈平成27年〉4月22日)は、日本の天文学者。東京大学名誉教授。専門は電波天文学。日本物理学会および電子情報通信学会のフェロー会員。 長野県東筑摩郡寿村(現松本市)生まれ。旧姓は青木。 赤羽の弟子には川尻矗大、大師堂経明、海部宣男、平林久、井口哲夫、稲谷順司、福井康雄、長谷川哲夫、佐藤文男、加藤隆二、長井嗣信、春日隆、土井恒久らがいる。
小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月… 小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の俳優、声優。本名は小松 豊成(こまつ とよしげ)。 長野県松本市出身。生まれつき体が弱く、3歳の頃に肺炎を患い生死の境をさまよったことがあるという。小学校卒業後、叔父を頼って上京し昌平中学に入学した。卒業後、満鉄の技術員養成所に入るが、結核を患って退社する。1945年(昭和20年)、終戦直前に海軍へ入り、同年8月6日の原爆投下の前日まで広島市にいた。東京の警備隊に転勤となり前夜8月5日、最終列車で東京に向かう。新型爆弾投下をラジオで聞いた場所は、空襲の影響で列車が止まった静岡県掛川駅だった。
武重 千冬(たけしげ ちふゆ、1926年10月16日 - 2… 武重 千冬(たけしげ ちふゆ、1926年10月16日 - 2001年3月3日)は、日本の医学者。昭和大学(現・昭和医科大学)学長を務めた。医学博士(1956年、千葉大学)。 長野県小諸市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、昭和27年(1952年)昭和医科大学医学部卒業。同31年(1956年)母校講師、同32年(1957年)助教授。同35年(1960年)から4年間ペンシルベニア大学留学。同47年(1972年)昭和大学医学部第一生理学教室主任教授、同62年(1987年)医学部長、平成6年(1994年)学長。同11年(1999年)昭和大学医療短期大学学長を併任。 著書に「生活習慣がつくる病気」(川口毅と共著)がある。
三枝 孝弘(さいぐさ たかひろ、1926年9月25日 - 没… 三枝 孝弘(さいぐさ たかひろ、1926年9月25日 - 没年不詳)は、日本の教育学者、名古屋大学名誉教授。 長野県松本市出身。東京教育大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科教育学専攻修士課程修了。岡山大学教育学部助教授、名古屋大学教育学部教授。同名誉教授、埼玉大学教授、白鷗大学教授。2005年瑞宝中綬章受勲。
相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年… 相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年5月23日)は、日本の詩人・随筆家・国文学者。本名・出川光治。 長野県須坂市出身。旧制上高井農学校(長野県須坂園芸高等学校)を経て、1950年立命館大学文学部日本文学科卒業。京都市立中学校国語教諭を経て、京都聖母女学院短期大学助教授、教授、図書館長を務めた。詩の他、京都文化についての随筆を多く残した。
岩尾 秀嶺(いわお しゅうれい、1926年8月15日 - 2… 岩尾 秀嶺(いわお しゅうれい、1926年8月15日 - 2010年12月20日)は、日本の理論物理学者。 長野県上水内郡[要出典]出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、名古屋大学理学部物理学科を卒業した。その後、大阪市立大学(現・大阪公立大学)大学院理学研究科、およびロチェスター大学大学院博物学をそれぞれ修了した。[要出典] シラキュース大学、ジェノヴァ大学、ベルン大学、東京教育大学(現・筑波大学)勤務を経て、金沢大学理学部助教授に就任、のち同大学理学部教授に昇進した[要出典]。定年退官後、同大学名誉教授。 名古屋自由学院短期大学(のちの名古屋芸術大学短期大学部)教授も務めた[要出典]。
宮沢 澄也(みやざわ すみや、1926年5月29日 - 没年… 宮沢 澄也(みやざわ すみや、1926年5月29日 - 没年不明)は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
本島 健三(もとじま けんぞう、1926年3月8日 - 20… 本島 健三(もとじま けんぞう、1926年3月8日 - 2014年1月30日)は、日本出身の測量技師、慈善家及びギニア国地図作成事業に尽力した人物である。彼のギニアに対しての慈善活動は、ギニアの発展に大きく貢献し、彼の死後にはギニアの最高位の勲章・コラティエ勲章がギニア政府により授与された。彼は1977年から1982年のギニアの基本地図作成事業以外にも、ギニアの難民への慈善活動や、寄付活動を生涯かけて行い、NGOギニア会の初代会長に任命された人物である。 長野県飯田市(旧名・鼎村)の農家の家系で生まれる。8人兄弟の3男で、兄弟全員男という珍しい兄弟構成だった。幼い頃は体を動かすことが大好きで、木登りや水泳などをしていたという。
瀬在 良男(せざい よしお、1926年(大正15年)2月20… 瀬在 良男(せざい よしお、1926年(大正15年)2月20日 - 2001年(平成13年)4月15日)は、日本の哲学研究者。日本大学第9代総長。 長野県埴科郡五加村内川(現千曲市)に医師の次男として生まれる。医学者で第10代日本大学総長の瀬在幸安は実弟。 旧制屋代中学(長野県屋代高等学校)を経て、1950年(昭和25年)日本大学法文学部文学科を卒業、母校専任講師となる。1958年(昭和33年)に日本大学助教授となる。1964年(昭和39年)から翌年の昭和40年度まで南カリフォルニア大学に留学し、大学院哲学専攻博士課程修了。帰国後、1967年(昭和42年)日本大学文理学部の教授となり、1975年(昭和50年)に文学博士(日本大学)。
片山 泰久(かたやま やすひさ、1926年2月18日 - 1… 片山 泰久(かたやま やすひさ、1926年2月18日 - 1978年1月24日)は、日本の理論物理学者。 京都大学工学部原子力工学教授。学位は理学博士。素粒子論専攻。湯川秀樹の共同研究者。 長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類卒業。旧制京都帝国大学理学部卒業。1947年学術図書出版社に任務後、1957年7月京都大学基礎物理学研究所助教授、1961年4月同教授(1966年10月まで)、京都大学工学部に異動。
竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月… 竹入 義勝(たけいり よしかつ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2023年〈令和5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、東京都議会議員(1期)、文京区議会議員(1期)を歴任。位階は正三位。 1967年から1986年まで公明党委員長を務め、言論出版妨害事件では中心となって動いた。1972年7月に独自のルートで中国の周恩来首相と会談し、同年9月の日中国交正常化の橋渡しを行った(竹入メモ)。 のちに、創価学会から除名された。詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 長野県上伊那郡辰野町に生まれ、北佐久郡軽井沢町で育つ。 陸軍航空士官学校在校中に敗戦を迎えた。旧制伊那中学を経て、国鉄(現:JR東日本)に勤務。
栗田 裕夫(くりた ひろお、1926年1月7日 - 2016… 栗田 裕夫(くりた ひろお、1926年1月7日 - 2016年7月19日)は、日本の自衛隊員、実業家。位階は従四位。 陸上自衛隊第11師団長・陸将や、セブン-イレブン・ジャパン社長を務めた。 1943年、旧制上田中学校(現長野県上田高等学校)卒業。1945年、陸軍士官学校卒業。日本の降伏後、陸上自衛隊に入隊。1979年、陸上自衛隊第11師団長。1981年にセブン-イレブン・ジャパン入社。1992年には鈴木敏文の後任としてセブン-イレブン・ジャパン社長に就任した。1995年の阪神・淡路大震災ではヘリコプターを使って弁当を空輸し、「ライフライン」で第12回新語・流行語大賞トップテンに入賞した。1997年、健康上の理由で退任。
大谷 茂盛(おおたに しげもり、1926年1月1日 - 19… 大谷 茂盛(おおたに しげもり、1926年1月1日 - 1990年10月15日)は、日本の化学工学者。元東北大学総長。従三位勲二等旭日重光章。 1926年、長野県南安曇郡真々部村(現・安曇野市)生まれ。1943年に 旧制長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)を卒業。旧制山梨工業専門学校(現・山梨大学工学部)に進んで1945年に卒業した。戦後、東北大学大学院第1期特別研究員として東北大学大学院工学部機械工学科で学び、1949年に卒業した。 1960年、東北大学工学部助教授に着任。1965年、「粒状物質内における水分移動に関する研究」を提出して、工学博士号を取得。また、同年に東北大学工学部化学工学科教授に昇進。
小林 経旺 (こばやし つねお、1926年1月1日 - 生死… 小林 経旺 (こばやし つねお、1926年1月1日 - 生死不明 )は、長野県出身の元プロ野球選手(投手)。 1948年の登録名は小林 常夫、1949年から1954年は小林 恒夫。 通算100敗以上しながら、唯一通算50勝未満の投手であり、負け越し数「64」(46勝110敗)のプロ野球ワースト記録を保持する。 台中商業、社会人野球の台湾電力、上田栞製作所を経て、1947年に国民野球連盟の大塚アスレチックスに入団。翌1948年に大塚の金星スターズ買収に伴い金星スターズへ移ると、監督であった石本秀一の指導で頭角を現す。翌1949年に石本が大陽ロビンスの監督に就任する際に、小林も連れていこうとする。これに対して、金星の後継球団である大映スターズが二重契約であると主張。
太田 谷山(おおた こくざん、1925年12月6日 - 20… 太田 谷山(おおた こくざん、1925年12月6日 - 2011年4月19日)は長野県岡谷市出身。書家、教育者。本名は太田 正二。 雅号の"谷山"は、出身地岡谷市(岡→山と谷)を由縁とする(上條信山)。 長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、中央大学法学部卒業。文部省・東京芸術大学共催高校書道科教員養成長期講座修了。金子鷗亭、上條信山、續木湖山、清水無儘に師事。 1950年から1984年にかけて長野県内高等学校にて社会科・書道科教諭として勤務。多数の役職を務め、県下を中心に書道教育を牽引した。また自身も研鑽に励み、日中友好書道で訪中(1978年)する等、書道による海外交流にも積極的に励んだ。
10代 式守 与太夫(しきもり よだゆう、1925年12月4… 10代 式守 与太夫(しきもり よだゆう、1925年12月4日-1983年5月25日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1977年11月〜1983年5月。立浪部屋所属。 長野県佐久市出身。本名は関口清三郎。 ヒゲの19代式守伊之助の弟子。27代木村庄之助は兄弟子、31代木村庄之助は弟弟子にあたる。1936年小学5年生の時に行司見習いとして春日山部屋に入門。 1937年夏場所に式守政吉の名で初土俵。のち政臣と改名し、1952年1月に十両格昇格、式守清三郎と改名。1958年7月に幕内格昇格。1969年3月に10代式守与太夫襲名。1974年1月に行司抜擢制度にて、序列1つ上の木村筆之助と序列が入れ替わり幕内格筆頭に昇進したが、同時に与太夫をも抜いて先に三役格に昇格したのは、与太夫より序列が2つ下だった8代式守錦太夫である。
横山 十四男(よこやま としお、1925年11月26日 - … 横山 十四男(よこやま としお、1925年11月26日 - 2019年)は、日本の郷土史家、環境運動家。ラテンアメリカ美術史家の横山和加子は娘。 長野県上田市仁古田生まれ。1943年、旧制上田中学校(長野県上田高等学校)卒業、陸軍経理学校入学。1945年、敗戦により同校は解散、東京高等師範学校文科に転入。1947年、東京文理科大学国史学科入学。1950年、同学科卒業。1950年、横浜市立港高校(定時制)教諭。1956年、東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)教諭。1980年、筑波大学助教授。1984年「義民伝承の研究」で筑波大学文学博士。1985年、筑波大学教授。1989年、定年退官、東京家政学院大学教授。
清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 201… 清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 2010年1月14日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県長野市出身。1944年早稲田高等工学校機械工学科卒。1944年大日本機械に入社し、応召・復員後、印刷工となる。1949年印刷出版労組長野県支部書記長から、1957年長野県労評事務局長、1966年同議長。1976年の総選挙で旧長野1区から社会党公認で立候補し、初当選し以後6期務めた。1979年社会党政策審議会副会長、1982年衆議院予算委員、1984年社会党国会対策副委員長、同産業貿易政策委員長を務める。1993年の総選挙で落選し、政界を引退。1995年、勲二等旭日重光章受章。
市村 泰一(いちむら ひろかず、1925年8月19日 - 1… 市村 泰一(いちむら ひろかず、1925年8月19日 - 1989年3月18日)は、日本の映画監督。 長野県須坂市出身。父は「信濃毎日新聞」の記者。小学校四年まで上田市で過ごしたのち東京府・世田谷に移住、独協中学校をへて1947年上智大学文学部新聞報道科卒業。中学の同級生に藤間紫の弟・藤間勝胤がおり、その関係で15歳の時から大学卒業まで藤間宗家の書生であった。六代目尾上菊五郎に魅せられ歌舞伎研究に没頭、1949年松竹京都撮影所演出部に入る。斎藤寅次郎、大曾根辰保、渡辺邦男、内出好吉などの作品に助監督でついたあと、1961年、川内康範原作、伴淳三郎主演のアクション・コメディ「快人黄色い手袋」で監督デビュー。
大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2… 大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2009年3月1日)は、長野県北佐久郡軽井沢町出身で春日山部屋(一時立浪部屋)に所属した大相撲力士。本名は石田 勇。最高位は西前頭筆頭(1955年3月場所)。現役時代の体格は身長185cm、体重116kg。得意手は左四つ、寄り、外掛け。引退後は春日山部屋を経営して、後進の指導に尽くした。 1941年1月場所、春日山部屋から初土俵を踏む。藤川の四股名で昇進していったが、親方(元関脇・藤ノ川)が1946年限りで部屋を閉じ、幕下だった彼は立浪部屋に預けられることになった。1949年1月場所、信州の四股名で十両昇進、すぐに大昇と改め、1951年1月場所に新入幕を果たした。
小松 恒夫(こまつ つねお、1925年6月30日 - 200… 小松 恒夫(こまつ つねお、1925年6月30日 - 2000年12月8日)は、日本の文筆家、元朝日新聞記者。 長野県南安曇郡倭村氷室(現・松本市)生まれ。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て松本高等学校 (旧制)理科乙類を卒業後、東京大学理学部物理学科に進学するが同文学部国文科に転部し卒業。 1952年朝日新聞社入社、「週刊朝日」記者、科学部次長、「週刊朝日」編集長を経て、1974年教育雑誌『のびのび』を創刊、1978年の休刊まで編集に参加した。 1980年『百姓入門記』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1988年日野市教育委員。
岩波 一寛(いわなみ かずひろ、1925年6月5日 - 没年… 岩波 一寛(いわなみ かずひろ、1925年6月5日 - 没年不詳)は、日本の経済学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、陸軍士官学校、中央大学経済学部卒業。1950年立正大学助手、のち助教授を経て、1963年中央大学経済学部助教授、1966年教授。同大学多摩キャンパス移転時に経済学部長を務めていた。法政大学や武蔵大学の講師を兼任した。定年退官後、同大学名誉教授。門下生に緒方俊雄中央大学名誉教授がいる。
小口 武彦(おぐち たけひこ、1925年4月7日 - 200… 小口 武彦(おぐち たけひこ、1925年4月7日 - 2006年12月30日)は、日本の物理学者。元日本物理学会会長。長野県岡谷市出身。 この項目は、物理学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:物理学/Portal:物理学)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )… 小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1949年早稲田大学文学部哲学科心理学卒業。1974年「乳幼児における自己制御機構の発達的研究」で文学博士。早大講師を経て、1959年文学部教授。家庭裁判所研修や国立公衆衛生院の講師も併任した。1995年定年退官、名誉教授。