山中 瑶子(やまなか ようこ、1997年3月1日 - )は、… 山中 瑶子(やまなか ようこ、1997年3月1日 - )は、日本の映画監督。長野県長野市出身。 日本大学芸術学部映画学科監督コースを中退。19歳から20歳にかけて制作した初監督作品『あみこ』がPFFアワード2017で観客賞を受賞。ベルリン国際映画祭、香港国際映画祭、全州映画祭(韓国)、ファンタジア国際映画祭(カナダ)、ジャパン・カッツ(米・ニューヨーク)など海外映画祭に多数参加し、2018年9月1日にポレポレ東中野で劇場公開された。2024年に『ナミビアの砂漠』が第77回カンヌ国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞した。 長野県長野市生まれ。厳しい家庭だったため、映画や漫画などの文化に触れられない幼少期を過ごす。
酒井 麻衣 (さかい まい、1991年8月22日 - ) は… 酒井 麻衣 (さかい まい、1991年8月22日 - ) は日本の映画監督である。長野県千曲市出身。京都造形芸術大学映画学科プロデュースコース卒業。
太田 貴寛(おおた たかひろ、1989年3月6日 - )は、… 太田 貴寛(おおた たかひろ、1989年3月6日 - )は、日本のVFXスーパーバイザー、映像監督。株式会社KASSEN代表取締役。長野県安曇野市出身。 長野県安曇野市生まれ。2008年、日本大学芸術学部映画学科監督コースに二年次から編入学。大学在学中に監督・脚本を務めた『飛ぶツチノコ』が第13回JCF学生映画祭で準グランプリを受賞する。 大学卒業後、アニメ制作会社やCM制作会社を経て、2013年4月よりVFXスタジオ「Khaki」に所属。代表の水野正毅に師事し、オンラインエディターとして数多くのTVCMやミュージックビデオを手掛ける。 2020年に担当した映画『約束のネバーランド』でVFX Supervisorを務めたことを機に独立。
鶴岡 慧子(つるおか けいこ、1988年10月9日 - ) … 鶴岡 慧子(つるおか けいこ、1988年10月9日 - ) は、日本の映画監督。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校を経て立教大学現代心理学部映像身体学科卒業。大学では万田邦敏監督に師事する。卒業制作の初長編映画『くじらのまち』が第34回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)アワード2012グランプリとジェムストーン賞(日活賞)をW受賞する。 大学卒業後は東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域に進み、黒沢清監督に師事する。1年目に撮った『はつ恋』が第32回バンクーバー国際映画祭でタイガー&ドラゴン賞にノミネートされる。 第23回PFFスカラシップ作品『過ぐる日のやまねこ』で劇場デビューする。
太田 信吾(おおた しんご、1985年9月12日 - )は、… 太田 信吾(おおた しんご、1985年9月12日 - )は、日本の映画監督・俳優・演出家。 埼玉県立浦和西高等学校、早稲田大学文学部卒業。在学中は哲学・物語論を専攻。 『卒業』でイメージフォーラムフェスティバル優秀賞・観客賞を受賞。『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で公開後、世界12カ国で配給され大ヒットを記録。2014年、第27回東京国際映画祭において『解放区』が「日本映画・ある視点」部門に選ばれた。2022年、志賀直哉原作の小説『城の崎にて』の監督を務めることが発表された。 俳優としても舞台・ドラマ・バラエティなどに多数出演。 2017年、韓国のソウル市立美術館で初のインスタレーション作品を発表した。
岨手 由貴子(そで ゆきこ、1983年 - )は、日本の映画… 岨手 由貴子(そで ゆきこ、1983年 - )は、日本の映画監督である。長野県長野市出身[リンク切れ]。石川県金沢市在住。明治学院大学経済学部経済学科卒[リンク切れ]。 大学在学中、ENBUゼミナールの映画監督コースに通い、篠原哲雄の指導のもとで製作した短編『コスプレイヤー』が第8回水戸短編映像祭、ぴあフィルムフェスティバル2005に入選。 2008年、初の長編『マイム マイム』がぴあフィルムフェスティバル2008で準グランプリ、エンタテインメント賞を受賞。 2009年には文化庁若手映画作家育成プロジェクトに選出され、山中崇、綾野剛らを迎え、初の35mmフィルム作品『アンダーウェア・アフェア』を製作。
平波 亘(ひらなみ わたる、1978年12月13日 - )は… 平波 亘(ひらなみ わたる、1978年12月13日 - )は、日本の映画監督である。 長野県塩尻市出身。長野県松本美須々ヶ丘高校を経て、2001年に旭川大学を卒業。2004年ENBUゼミナール卒業を経て自主制作活動を開始。2008年にぴあフィルムフェスティバルのPFFアワードに入選。以降も国内外の映画祭やイベントで作品が上映される。映画監督だけでなく、TVドラマの監督、舞台演出、ミュージックビデオの製作もコンスタントに行い、また商業・インディペンデント問わず助監督としても数多くの作品に参加している。 『きさらぎ駅』の監督・永江二朗は大学の同期(永江は中退)。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。
山岸 謙太郎(やまぎし けんたろう、1977年 - )は、日… 山岸 謙太郎(やまぎし けんたろう、1977年 - )は、日本の映画監督。長野県須坂市出身。 自主制作映画チーム ProjectYamakenの代表兼監督として横浜市を拠点に活動を行いながら、近年では全国のイオンシネマズにて公開された「ぼくらは動物探検隊富士サファリパークで大冒険」など商業作品も手がける。 2007年公開の「キヲクドロボウ」は、自主制作映画にもかかわらず、10大映画祭の1つの上海国際映画祭パノラマ部門で入賞。同作品は他にもハンブルク日本映画祭、京都国際映画祭など数多くの映画祭で上映され、マスコミに取り上げられる。2012年、アクションムービーコンペ2012にて短編映画「東京無国籍少女」が審査員長賞を受賞。
西條雅俊(にしじょう まさとし、1975年3月13日 - )… 西條雅俊(にしじょう まさとし、1975年3月13日 - )は、日本の映画監督。長野県長野市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
尹 美亜(ゆん みあ、1975年 - )は、日本で活動する韓… 尹 美亜(ゆん みあ、1975年 - )は、日本で活動する韓国国籍の映画監督。在日韓国人3世。 長野県佐久市生まれ。長野県野沢北高等学校、津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。デザインの勉強や広報関係の仕事を経て映画界へ入る。2010年から株式会社平成プロジェクトに参加している。
新海 誠(しんかい まこと、1973年2月9日 - )は、日… 新海 誠(しんかい まこと、1973年2月9日 - )は、日本のアニメーション作家・映画監督、小説家。本名は新津 誠[5](にいつ まこと[6])。妻は女優の三坂知絵子、娘は子役の新津ちせ。中央大学文学部卒業。 第6回 文化庁メディア芸術祭特別賞(2002年) 第59回 毎日映画コンクールアニメーション映画賞(2005年) アジアパシフィック映画祭“Best Animated Feature Film(最優秀アニメ賞)(2007年) イタリアフューチャーフィルム映画祭ランチア・プラチナグランプリ(2007年) 第八回中国国際動漫節「金猴賞」優秀賞(2012年) カナダファンタジア映画祭審査員賞“Satoshi Kon Award” 観客賞“Audience Award(最優秀劇場アニメーション)”(2013年) 第21回 ドイツシュトゥットガルト国際アニメーション映画祭長編映画部門 最優秀賞(2013年) 第40回 山路ふみ子映画賞 山路ふみ子文化賞(2016年)
工藤 伸一(くどう しんいち、1971年9月4日 - )は、… 工藤 伸一(くどう しんいち、1971年9月4日 - )は、日本のCMディレクター、映像監督、演出家、プランナー、プロデューサー。 1971年、長野県佐久市生まれ。コマーシャル、ミュージックビデオ、ドラマなどで監督を務める。2017年、ザ・ブルーハーツ30周年を記念して制作されたオムニバス映画「ブルーハーツが聴こえる」で、永瀬正敏主演「ジョウネツノバラ」で劇場映画初監督。。この映画制作を企画から参加した経験から、その後、様々な映像コンテンツのプロデュースに携わるようになった。清水崇監督、西村喜廣監督を抜擢した360°VRホラー作品「おうちに行こう」は、コロナ禍で上映場所が限られるなか、国内だけでなく台湾、オーストラリア、ラスベガスなど世界で公開された。
金子 文紀(かねこ ふみのり、1971年 - )は、日本のテ… 金子 文紀(かねこ ふみのり、1971年 - )は、日本のテレビドラマの演出家、映画監督。TBSテレビ制作部(旧TBSエンタテインメント)所属。 長野県出身。長野県松本深志高等学校、早稲田大学理工学部機械工学科卒業。大学在学中は無人島研究会、テレビ放送研究会に所属していた。 1993年入社。『Sweet Home』『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』などのドラマで演出補を経てデビュー。『木更津キャッツアイ』で初のチーフディレクターを務める。 TBS系列制作の宮藤官九郎や堤幸彦の作品を、よく演出・監督をしている。ただし宮藤が手がける『うぬぼれ刑事』と堤が手がける『SPEC』では、映画『大奥』の撮影で多忙のため、1話しか関わっていない。
プチ鹿島(プチかしま、1970年〈昭和45年〉5月23日 -… プチ鹿島(プチかしま、1970年〈昭和45年〉5月23日 - )は、日本のお笑い芸人、コラムニスト、映画監督。本名は、鹿島 智広(かしま ともひろ)。ワタナベエンターテインメント所属。 長野県千曲市出身。高田文夫に憧れて、高田と同じ日本大学芸術学部に進学したいと思っていたが、大阪芸術大学の推薦入試合格の方が先に決まっていたため、同大学芸術学部放送学科に入学、卒業。大学時代、友達とラップグループ『イエローモンキークルー』を結成し、第2回チェック・ユア・マイク・コンテスト(ECD主催)で優勝した。CDを発売している。そして、大学卒業後、高田の番組を聴きたいという一心で上京した。 「骨太熱」、「鹿島商業」、「第三勢力」というお笑いグループでの活動を経て、2003年にバカ野坂と『俺のバカ』を結成した。
古厩 智之(ふるまや ともゆき、1968年11月14日 - … 古厩 智之(ふるまや ともゆき、1968年11月14日 - )は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家。長野県塩尻市出身。長野県田川高等学校を経て、日本大学藝術学部卒業。C&Iエンタテインメント所属。 妻は女優・作家・映画監督の唯野未歩子。 大学在学中に撮った『灼熱のドッジボール』が、1992年ぴあフィルムフェスティバル (PFF) でグランプリ受賞を果たす。これでスカラシップ権を獲得し、1995年に『この窓は君のもの』で長編デビュー。同作で第35回日本映画監督協会新人賞を受賞。当時26歳であり、これは現在も同賞の最年少受賞である。1995年秋には塩尻市の塩尻東座で『この窓は君のもの』が自主上映され、地元紙にも大きく取り上げられるような成功を収めるとともに、自主上映会フロム・イースト(FROM EAST)発足のきっかけとなった。
坪井 昭久(つぼい あきひさ、1967年6月4日 - )は、… 坪井 昭久(つぼい あきひさ、1967年6月4日 - )は、日本の映画監督、映像クリエイター。大阪芸術大学映像学科卒業後、助監督や広告宣伝業務を経て映像制作の世界に進出。草野球愛好家としても知られ、2023年に劇場映画『野球ユーチューバー有矢』で監督デビューを果たした。 長野県須坂市出身。長野県須坂高等学校、大阪芸術大学映像学科を卒業。 高校時代に8mmフィルムで自主映画を制作したことをきっかけに映画にはまり、映画監督を志す。 大阪芸術大学を卒業後、テレビドラマの現場で助監督を務めるが、映像にのめり込みすぎた人生に疑念を感じ、その後、スポーツ用品関連の宣伝部に転職、ファンスキーの普及活動に従事した。
深沢 正樹(ふかさわ まさき、1965年3月11日 - )は… 深沢 正樹(ふかさわ まさき、1965年3月11日 - )は、日本の映画監督、脚本家。 長野県松本市出身。
山崎 貴(やまざき たかし、1964年〈昭和39年〉6月12… 山崎 貴(やまざき たかし、1964年〈昭和39年〉6月12日 - )は、日本の映画監督・脚本家・VFX制作者・アニメーション監督。長野県松本市出身。総合映像制作プロダクション白組所属。 長野県松本市出身。松本市立清水中学校、長野県松本県ヶ丘高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。 13歳の時に『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』に出会い、特撮の仕事を志すようになる。 1979年(昭和54年)中学3年生の夏、同級生ら約10人と一緒に8ミリフィルムによるSF映画『GLORY(グローリー)』を撮る。 地球に住めなくなった人類が、宇宙探査船『グローリー号』で新たに移住できる星を探す旅に出る。その旅の途中で地球が滅亡したという知らせを受け取る…というストーリーだった。
小松 隆志(こまつ たかし、1962年12月28日 -)は、… 小松 隆志(こまつ たかし、1962年12月28日 -)は、日本の映画監督。脚本家。テレビドラマ演出家。 長野県長野市出身。長野県長野吉田高等学校在学中から8ミリ自主映画を撮り始め、専修大学商学部在学中、『いそげブライアン』がぴあフィルムフェスティバル86に入選。第3回PFFスカラシップとして16ミリ作品『バス』を制作し、ロンドン映画祭をはじめ、アメリカ、香港、ニュージーランド、イタリア、スコットランド、スウェーデン、オランダなど各国の映画祭に招待された。『いそげブライアン』はその後、渋谷パルコ・ステージラボでレイトショー公開され、8ミリ自主映画としては異例の1年9ヶ月に及ぶロングラン上映となり、1988年、ニュージーランド「ニュージャパン・シネマ映画祭」で招待上映された。
飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、… 飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、テレビドラマの演出家。小説家。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、明治大学中退。自主映画出身の映画監督。1980年、8ミリ映画『休憩』でぴあフィルムフェスティバルに入選。友人に、『世にも奇妙な物語』などの作曲で知られる蓜島邦明がいる。 『世にも奇妙な物語』シリーズでは、「中村功一」のペンネームでいくつか脚本を書いている。そのうち、『常識酒場』、『トラブルカフェ』は『NIGHT HEAD』の原型となった。 今井雅之、東根作寿英、豊川悦司、武田真治等、出演当時ほぼ無名であった役者をキャスティングして細かな演技指導を行って彼らをスターダムに押し上げた。
原田 昌樹(はらだ まさき、1955年3月9日 - 2008… 原田 昌樹(はらだ まさき、1955年3月9日 - 2008年2月28日)は、日本の映画監督。長野県出身。長野県屋代高等学校卒業。血液型はA型。 趣味は競馬。主に特撮テレビ番組やオリジナルビデオ作品の演出を手がけた。 同期は『半落ち』の佐々部清、『樹の海』の瀧本智行等。 小学生時代に一時住んでいた松本市で映画のロケ隊を見て映画製作に興味を抱いた。学生時代にはアルバイトとして映画の制作現場に入るようになり、教育映画の現場でついていた助監督の誘いで『宇宙鉄人キョーダイン』(1976年)のサード助監督として本格的に制作に携わる。 助監督時代には東映、大映、三船プロダクション、フィルムリンク・インターナショナル等を渡り歩いた(この時期は長石多可男や蓑輪雅夫といった助監督の下で現場に従事)。
合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレ… 合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・ディレクター・映画監督・脚本家。脚本家としては、野々山 花見(ののやま はなみ)という筆名を用いることもある。テレビマンユニオン所属。長野県大町市出身。 長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学第一文学部心理学科を卒業後、テレビマンユニオンに参加。音楽番組、ドキュメンタリー番組などの制作を経て、テレビドラマのプロデュースに携わる。1994年放送のテレビドラマ『真昼の月 続・病院で死ぬということ』は放送文化基金賞奨励賞、ATP賞優秀賞、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。ドラマ番組では以降も単発・連続もののプロデュースを主に行うが、2013年のNHK連続ドラマ『書店員ミチルの身の上話』では、プロデュース・演出・脚本の三役を務めた。
崔 洋一(さい よういち、朝: 최양일、男性、1949年〈昭… 崔 洋一(さい よういち、朝: 최양일、男性、1949年〈昭和24年〉7月6日 - 2022年〈令和4年〉11月27日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。在日韓国人2世。 日本映画監督協会理事長、宝塚大学教授、株式会社ネクステップ顧問、スカパーJSATグループ番組審議会委員、民間放送教育協会理事を歴任。 長野県佐久市生まれ。父は在日朝鮮人、母は日本人のハーフ。 1968年(昭和43年)、東京朝鮮中高級学校高級部を卒業。東京綜合写真専門学校中退。写真学校在学中の20歳のころ、主に近代映画協会で撮影助手の仕事をしていた先輩に勧められ、近代映画協会とは関係のない今井正監督の『婉という女』(ほるぷ映画製作・東宝配給)の現場に就く。
坂田 雅子(さかた まさこ、1948年 - )は日本のドキュ… 坂田 雅子(さかた まさこ、1948年 - )は日本のドキュメンタリー映画監督。 BSスペシャル「枯葉剤の傷痕を見つめて〜ベトナム戦争終結50年〜」(2025年11月14日、NHK BS)
山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美… 山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美術監督、デザイナー。
後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 202… 後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 2025年11月22日)は、日本の映画監督。長野県伊那市出身、飯島町在住。 長野県伊那北高等学校を経て、1962年立教大学社会学部卒業。新世紀映画株式会社入社。山本薩夫監督の助監督として、『戦争と人間』、『華麗なる一族』、『金環蝕』、『不毛地帯』、『あゝ野麦峠』などに就く。1978年に『こむぎいろの天使-雀(すずめ)と少年』(青銅プロダクション)で監督デビューする。その後、活動拠点をふるさとである信州伊那谷(飯島町)に置き、動物と人間のふれあいをテーマにした作品や、時に美しく時に厳しい自然をテーマに「生きる」ということを人間に問いかけるような作品を多く手がけている。
田中 登(たなか のぼる、1937年8月15日 - 2006… 田中 登(たなか のぼる、1937年8月15日 - 2006年10月4日)は、日本の映画監督。 長野県白馬村出身。長野県大町高等学校を経て明治大学文学部仏文科入学。在学中、黒澤明の『用心棒』にアルバイトとして参加する。 1961年、200倍以上の難関を勝ち抜いて日活演出部に入社。フランス映画狂いで、付けられたニックネームは「ムッシュ」。助監督会の幹事も務めた。 日活がロマンポルノ路線に転向すると、1972年『花弁のしずく』で監督デビュー。翌1973年に撮った『㊙女郎責め地獄』では美術の川崎軍二と組んだグロテスクかつサイケデリックな映像美が評価され、日本映画監督協会新人賞奨励賞を受賞した。その後も田中&川崎コンビで秀作を量産、1975~1978年に3本がキネマ旬報ベスト・テン入りを果たした。
降旗 康男(ふるはた やすお、1934年8月19日 - )は… 降旗 康男(ふるはた やすお、1934年8月19日 - )は、日本の映画監督である。長野県松本市出身。
諏訪 淳(すわ あつし、1933年12月23日 - 没年不明… 諏訪 淳(すわ あつし、1933年12月23日 - 没年不明)は、日本の映画監督。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。実家は代々教師の多い家系。中学時代から演劇に興味を持ち、脚本を書いて仲間と舞台作品を発表。長野県諏訪清陵高等学校時代は映画鑑賞して友人と語り合った。東京芸術大学を経て、成城大学経済学部在学中に演劇部に所属、映画美術助手として水谷浩、下河原友雄に師事。美術では限界があり、大監督の作品に満足できなくなり、監督を目指すようになり、契約助監督となる。1959年同大学卒業後、岩波映画製作所入社。羽仁進、羽田澄子らの助監督を務める。1965年『道程』で初監督。1995年同社社長に就任。その後、岩波映像販売社長、岩波映像会長を務める。
熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - 2007年5… 熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - 2007年5月23日)は、日本の映画監督。妻はエッセイストでポプリ研究家の熊井明子。多くの監督作が『キネマ旬報ベスト・テン』に選出され、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭の各賞を受賞した。日本を代表する社会派映画の巨匠である。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。田町小学校、県立松本中学校(現長野県松本深志高等学校)、松本高等学校 (旧制)から学制改革により信州大学文理学部卒業。大学時代は演劇と映画の日々を送っていたが、関川秀雄監督の誘いで卒業後は独立プロの助監督へ。さらに1954年日活撮影所監督部に入社する。そこで久松静児、田坂具隆、阿部豊、牛原陽一などの助監督に付くかたわら脚本家としての仕事もこなす。
市村 泰一(いちむら ひろかず、1925年8月19日 - 1… 市村 泰一(いちむら ひろかず、1925年8月19日 - 1989年3月18日)は、日本の映画監督。 長野県須坂市出身。父は「信濃毎日新聞」の記者。小学校四年まで上田市で過ごしたのち東京府・世田谷に移住、独協中学校をへて1947年上智大学文学部新聞報道科卒業。中学の同級生に藤間紫の弟・藤間勝胤がおり、その関係で15歳の時から大学卒業まで藤間宗家の書生であった。六代目尾上菊五郎に魅せられ歌舞伎研究に没頭、1949年松竹京都撮影所演出部に入る。斎藤寅次郎、大曾根辰保、渡辺邦男、内出好吉などの作品に助監督でついたあと、1961年、川内康範原作、伴淳三郎主演のアクション・コメディ「快人黄色い手袋」で監督デビュー。
成沢 昌茂(なるさわ まさしげ、1925年(大正14年)1月… 成沢 昌茂(なるさわ まさしげ、1925年(大正14年)1月29日 - 2021年(令和3年)2月13日)は、日本の脚本家、映画監督。 長野県上田市原町出身。上田市長をつとめた成沢伍一郎の二男。旧制上田中学(長野県上田高等学校)卒業後、1941年に松竹京都に入社、溝口健二に師事する。1944年、日本大学芸術学部卒業。 学徒出陣し捕虜生活を経て1945年に復員。1946年、松竹を退社。1952年に溝口にならって大映と契約、溝口の『噂の女』『新・平家物語』『赤線地帯』など、次々と巨匠と組んで名脚本を書き続けた。1962年、『裸体』で監督に転身、5作品を残す。1970年以降は映画から離れ、1975年から1977年にかけてNHK連続人形劇『真田十勇士』(柴田錬三郎原作)を担当。
小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 20… 小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 2004年10月12日)は、日本の映画監督、脚本家、占い師、山伏。 戦後、日本映画の最盛期に娯楽性の高い作品を世に数々送り出し、職人監督と評されている。長野県東筑摩郡四賀村出身。 易者・山伏名:小沢 宏瑞(おざわ こうずい)、本名:小沢 茂美(おざわ しげよし)。 少年時代は松本市で上映される無声映画を頻繁に見ていた。1930年に旧制松本中学に入学。日本大学芸術科専門部映画科へ入学し、演劇科には三木のり平、映画科には沼田曜一がいた。在学中の17歳に映画研究会を作り、熊谷久虎・マキノ正博らに講演依頼をしたのが縁で、やがて正博の家に居候をし、薫陶を受ける。
村山 新治(むらやま しんじ、1922年7月10日 - 20… 村山 新治(むらやま しんじ、1922年7月10日 - 2021年2月14日)は、日本の映画監督。兄はドキュメンタリー監督の村山英治。 長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。1941年に長野工業学校卒業後、記録映画の助監督を経て、1949年に東映の前身である太泉映画入社。今井正らの助監督を務めた後、1956年に東映教育映画部の『わんぱく時代』で監督デビュー。1957年の『警視庁物語 上野発五時三十五分』で一般映画も監督するようになる。その後も『警視庁物語』シリーズをはじめとしたセミ・ドキュメンタリー的な作品を多く手がけた。 1970年代以降は主にテレビドラマ演出に活躍の場を移し、『特捜最前線』や一連の東映不思議コメディーシリーズなどの監督を長年にわたって務めた。
筧 正典(かけひ まさのり、1915年10月12日 - 19… 筧 正典(かけひ まさのり、1915年10月12日 - 1993年1月14日)は、日本の映画監督、助監督。 長野県下諏訪町出身。旧制諏訪中学(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、京都帝国大学法学部卒業。1940年東宝入社、東宝映画(社長シリーズ)やウルトラシリーズを監督。1968年フリーランスとなる。仕事には厳格な人物であったとされる。 1989年、勲四等瑞宝章受章。
瑞穂 春海(みずほ しゅんかい、1911年3月22日 - 1… 瑞穂 春海(みずほ しゅんかい、1911年3月22日 - 1995年6月19日)は、日本の映画監督、脚本家である。 1911年(明治44年)3月22日、長野県長野市に善光寺塔頭蓮華院の長男として生まれる。 旧制・長野県長野中学校(現在の長野県長野高等学校)、旧制・姫路高等学校(現在の神戸大学)をそれぞれ卒業後、東京帝国大学に入学、同文学部で美術史学を専攻し、同学を1934年(昭和9年)に卒業した。卒業後、同郷の映画監督・池田義信の在籍する松竹キネマの松竹蒲田撮影所に入社した。池田のほか、深田修三、渋谷実に師事した。 1940年(昭和15年)、三浦光子主演の映画『女の気持』で監督に昇進した。第二次世界大戦開戦後の1943年(昭和18年)、河村黎吉・吉川満子主演の『家に三男二女あり』を監督した。
芝 蘇呂門(しば そろもん、1906年 - 没年不詳)は、日… 芝 蘇呂門(しば そろもん、1906年 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家である。本名佐々木 美長(ささき よしなが)名義で脚本家としてデビュー、マキノ・プロダクションで監督になり、のちに神田 金太郎(かんだ きんたろう)と改名した。 1906年(明治39年)ころ、長野県松本市に生まれる。 大学卒業後、映画監督の鈴木謙作を頼って日活大将軍撮影所に入社、19歳になる1925年(大正14年)、鈴木監督にオリジナル脚本を採用され、『血の人形』として同年11月13日に公開される(「佐々木美長」名義)。当時鈴木は同作の主演でもある女優の宮部静子との恋愛問題で撮影所内で評判がよくなかったこともあり、芝蘇呂門をつれてマキノ・プロダクションに移籍する。
高木 新平(たかぎ しんぺい、1902年〈明治35年〉11月… 高木 新平(たかぎ しんぺい、1902年〈明治35年〉11月3日 - 1967年〈昭和42年〉4月21日)は、日本の俳優、映画監督、映画プロデューサー。初期には片岡 慶左衛門(かたおか けいざえもん)、片岡 慶三郎(かたおか けいさぶろう)と名乗った。本名は慶吉(-けいきち)。身のこなしの軽さから「鳥人」として知られる。 1902年(明治35年)11月3日、長野県下諏訪町に「高木慶吉」として生まれる。神田英語学校卒業。 1920年(大正9年)、マキノ俳優養成所に入り、牧野省三に師事した。1923年(大正12年)6月、片岡 慶左衛門、片岡 慶三郎の名で映画に出演し始める。1925年(大正14年)の東亜キネマからの牧野の分離独立後も、東亜キネマに残留する。
荒井 良平(あらい りょうへい、1901年10月22日 - … 荒井 良平(あらい りょうへい、1901年10月22日 - 1980年10月22日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。 1901年(明治34年)10月22日、長野県上田市に生まれる。 長じて東京に移ったが、1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起き、焼け出されて大阪に移る。当時、日活大将軍撮影所の時代劇の原作募集に応募、入選した。これをきっかけに同所の池永浩久の面接を受けて、監督志望である旨を伝えたが、俳優研究生として同社に入社した。記録に残るもっとも早い時期の出演作は、1926年(大正15年)2月28日に公開された楠山律監督の現代劇『愛の貴公子』における「滝川耀子の父・義人」役で、満24歳にして宮部静子の父親役を演じた。
池田 義信(いけだ よしのぶ、1892年3月10日 - 19… 池田 義信(いけだ よしのぶ、1892年3月10日 - 1973年9月1日)は、日本の映画監督、脚本家である。本名・旧名池田 義臣(いけだ よしおみ、いけだ ぎしん)。映画製作者連合会事務局長、映画倫理規程管理委員会(旧映倫)副委員長を歴任。 1892年(明治25年)3月10日、長野県上水内郡三輪村(現長野市)に生まれる。 長野郵便局(現在の長野中央郵便局)勤務を経て、1920年(大正9年)、松竹蒲田撮影所に入社、新派系の演出家賀古残夢、野村芳亭に師事する。翌1921年(大正10年)には、田中欽之が監督した『親なき娘』の脚本を書く。同年10月21日に公開された、柳川春葉原作、伊藤大輔脚本、栗島すみ子主演の映画『生さぬ仲』で監督に昇進している。