森山 裕之(もりやま ひろゆき、1974年 - )は日本の編… 森山 裕之(もりやま ひろゆき、1974年 - )は日本の編集者。長野県出身。 長野県長野高等学校を経て、1995年獨協大学外国語学部卒業。文芸編集者志望であったが新卒時は出版社に受からず、印刷会社に入社して営業マンとなり、大手出版社の純文学の部署を担当した。当時は、出入りしている出版社の編集者よりも自分の方が絶対に文学のことを思っていると悔しさを抱えていたという。その後フリーライターを経て、2001年に太田出版に入社、『Quick Japan』などサブカルチャー誌の編集を手掛ける。 『Quick Japan』編集者時代に『はねるのトびら』などお笑いの特集を多く組んでいたことが縁になって、2008年によしもとクリエイティブ・エージェンシーに移籍。
塩澤 快浩(しおざわ よしひろ、1968年 - )は、日本の… 塩澤 快浩(しおざわ よしひろ、1968年 - )は、日本の編集者。早川書房編集部長。『SFマガジン』第8、10代編集長。日本SF作家クラブ会員。 長野県飯田市出身。飯田市立丸山小学校から上郷町立(現飯田市立)上郷小学校、飯田市立高陵中学校を経て長野県飯田高等学校に進む。東京外国語大学の入試に失敗し、一浪して上智大学英語学科に入学。早川書房入社前はミステリファンであり、SFはあまり読んでいなかった。 編集長就任後は、ライトノベル出身作家を積極的に『SFマガジン』等で執筆させたり、『このミステリーがすごい!』のSF版『SFが読みたい!』の創刊や、叢書「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」を創刊したりするなど、精力的に活動。
畔上 文昭(あぜがみ ふみあき、1967年9月10日 - )… 畔上 文昭(あぜがみ ふみあき、1967年9月10日 - )は、日本の編集者、記者、コラムニスト。現在は取材で得た量子コンピュータ関連の人脈と知識を生かすべく、量子計算コンサルタントとして活動中。 長野県山ノ内町出身。長野県須坂高等学校卒業、中央大学理工学部物理学科卒業。金融系のシステムエンジニアを経て、雑誌編集者になる。株式会社メディアセレクトの創業メンバーの一人。月刊ITセレクトの創刊編集長となる。米IDGの日本法人、IDGジャパンに移り、月刊e・Gov(イーガバ)を創刊、創刊編集長となる。月刊CIO Magazine編集長時代、2013年5月にIDGジャパンが解散したことにより、株式会社BCNに移籍。
馬場公彦(ばば きみひこ、1958年 - )は、日本の編集者… 馬場公彦(ばば きみひこ、1958年 - )は、日本の編集者、中国学者。 長野県伊那市出身。長野県伊那北高等学校、北海道大学文学部卒業、北海道大学大学院東洋哲学研究科修了。35年間岩波書店の編集者を務め、2013年岩波現代全書創刊時の編集長。2010年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程満期修了、「戦後日本論壇における中国論の変遷1945-1972 総合雑誌関連記事の歴年推移をたどって」で学術博士。 1983-1988年株式会社東方書店、1989-2019年株式会社岩波書店、2019年から北京大学外国語学院外教(外国人教師)として日本語を教える。2015年から中国伝媒大学(北京)新聞伝播学部・伝播研究院国際伝播研究センター名誉教授。
国田 昌子(くにた まさこ、1947年 - )は、日本の書籍… 国田 昌子(くにた まさこ、1947年 - )は、日本の書籍編集者、プロデューサー。 1947年(昭和22年)長野県松本市生まれ。1965年(昭和40年) 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1969年(昭和44年) 成蹊大学文学部卒業、徳間書店に入社。徳間書店編集課長。三浦しをん、森村誠一などの編集を担当する。日本ペンクラブ委員。 1975年(昭和50年)国田が28歳の時、同い歳の映画監督手塚正己がはじめて撮った自主製作映画『M子』の主演を務めた。また、三浦しをん氏の原作『神去なあなあ日常』を映画化した『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常』(2014年5月10日公開、配給:東宝、監督:矢口史靖、主演:染谷将太、長澤まさみ、伊藤英明)のDVDでは、三浦しをん(原作)×細谷まどか(プロデューサー)×国田昌子(徳間書店編集担当)による、“女子会オーディオコメンタリ―”が収録されている。
白川 浩司(しらかわ ひろし、1943年 -2024年 )は… 白川 浩司(しらかわ ひろし、1943年 -2024年 )は、日本の編集者。 長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1965年東京大学文学部卒業(指導教授は林健太郎)、文藝春秋新社(現・文藝春秋)入社。『週刊文春』、『月刊 文藝春秋』編集部、出版部等を経て、1988年から91年まで『諸君!』編集長。1991年から94年まで『文藝春秋』編集長。1998年出版企画局長として「文春新書」の創刊に携わる。1999年同社取締役。2003年常務取締役。2006年常任監査役を経て、2007年に退社。
中野 幹隆(なかの みきたか、1943年 - 2007年1月… 中野 幹隆(なかの みきたか、1943年 - 2007年1月14日)は、日本の書籍・雑誌の編集者である。1970年代に『現代思想』、『エピステーメー』両誌の創刊編集長を歴任、1980年代に「週刊本」を手がけた。哲学書房、セーマ出版創立者・社主。 1943年(昭和18年)、長野県東筑摩郡宗賀村(現塩尻市)に生まれる。 1967年(昭和43年)、日本出版協会に入社、20代半ばで『日本読書新聞』編集長を務め、1970年(昭和45年)前後に竹内書店に移籍、季刊誌『パイデイア』の編集を手がける。1972年(昭和47年)に同社を退社し、青土社に移籍、三浦雅士らとともに1973年(昭和48年)、『現代思想』を創刊、編集長に就任する。
武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集… 武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集者。赤塚マンガのキャラクター「武居記者」として知られる。 1941年(昭和16年)、長野県岡谷市に生まれる。実家は諏訪で800年の歴史を持つ神社。長野県諏訪清陵高等学校を経て早稲田大学第一文学部を卒業、大学時代の親友に後の俳優の小林勝也、後の漫画原作者であるやまさき十三がいた。 1966年(昭和41年)、小学館に入社、第二編集部の『少年サンデー』に配属され、赤塚不二夫、古谷三敏、石井いさみ、あだち充などの担当編集者として数々のヒット作を手がける。 1975年からは少女漫画部門へ異動となり、『週刊少女コミック』副編集長に就任。新人編集者の都築伸一郎と共に、人気作家となる前のあだち充を粘り強く起用し続けた。
宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は… 宮原 照夫(みやはら てるお、1938年 - 2018年)は、日本の雑誌編集者。長野県伊那市出身。 講談社発行の漫画雑誌、『週刊少年マガジン』第4代編集長、ならびに『週刊ヤングマガジン』、『月刊少年マガジン』初代編集長。 高校卒業後の1956年に講談社に入社、『少年倶楽部』配属となる。1959年、『週刊少年マガジン』編集部に創刊スタッフとして異動、ちばてつやの担当編集者として「ちかいの魔球」、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」の連載に携わる。その後、梶原一騎の担当編集者として「巨人の星」、「あしたのジョー」の連載を立ち上げ、1971年に『週刊少年マガジン』第4代編集長となる。1974年に『月刊少年マガジン』、1980年には『週刊ヤングマガジン』を創刊、初代編集長となる。
市川 一雄(いちかわ かずお、1935年 - 2019年4月… 市川 一雄(いちかわ かずお、1935年 - 2019年4月17日)は、日本の作家、編集者。 長野県下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校卒。地域紙「湖国新聞」編集長を経て、編集工房「草原社」(現「あざみ書房」)を設立し、地方文献を出版。 文芸誌『窓』編集発行人。自身の著書も多数。 「諏訪こぶしの会」(新田次郎顕彰会)会長、「ふるさとの製糸を考える会」副会長、諏訪市文化財専門審議委員、下諏訪町文化財専門委員等、多数の役職を務めた。 霧ヶ峰 ビーナスライン建設にあたり、新田次郎、藤森栄一らと共に反対運動(霧ヶ峰八島線事件)に取組み(1967~)、当初の八島ケ原湿原や旧御射山遺跡を通る計画を回避させた。
大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 202… 大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 2021年6月20日)は、日本の編集者、出版事業家、古代史研究家。大和書房(だいわしょぼう)および青春出版社の創業者。 長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)にて、江戸時代から続く呉服商の家庭に生まれる。生家が没落したため、高等小学校卒業後、名古屋市の三菱重工業に旋盤工として就職する予定であったが、1942年、官費で学べる長野師範学校(信州大学教育学部)に入学し、1948年に卒業すると長野県下伊那郡大鹿村立鹿塩中学校に赴任、国語と音楽を教えていた。1948年12月に退職し、長野市に移住。ここで山本茂実主宰の人生誌「葦」に参加。第4号以降、同誌の編集長となる。
小尾俊人(おび としと、1922年3月2日 - 2011年8… 小尾俊人(おび としと、1922年3月2日 - 2011年8月15日)は、日本の書籍・出版編集者。 長野県茅野市出身。羽田武嗣郎の出版社「羽田書店」の社員だったが、1945年に独立、山崎六郎、清水文男らとみすず書房を創業、編集長として「現代史資料」「荻生徂徠全集」などを編さん。1990年定年退職。
田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月1… 田中 正明(たなか まさあき、明治44年(1911年)2月11日 - 平成18年(2006年)1月8日)は、日本の歴史研究家、政治思想家、近現代史評論家、著述家、新聞編集者。戦前・戦時中は松井石根の私設秘書としてアジア解放運動に従事した。 大亜細亜協会編集責任者、戦後は、拓殖大学講師、世界連邦建設同盟事務局長、財団法人国際平和協会専務理事を務めるほか、近現代史評論家として著述活動を活発に行った。 長野県下伊那郡喬木村出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)卒業。1933年、興亜学塾卒業。松井石根の元私設秘書、松井が設立発起人となった大亜細亜協会編集責任者となる。応召し、無錫で終戦を迎える[要出典]。
今井 潤(いまい じゅん、1910年8月15日 - 1997… 今井 潤(いまい じゅん、1910年8月15日 - 1997年10月13日)は、日本の小説家、随筆家、編集者。本名は、今村義雄。 長野県上伊那郡伊那富村(現・辰野町)出身。旧制諏訪中学校(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東洋大学専門部東洋文学科修了、1933年法政大学文学部哲学科中退。簡易保険局勤務を経て、日本文学報国会事務局長を務めた。戦後、鎌倉文庫勤務を経て、文芸美術国民健康保険組合発足から運営に従事し常務理事を務めた。1975年藍綬褒章受章。
臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17… 臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17日 - 1987年(昭和62年)7月12日)は、日本の編集者、評論家、小説家、日本藝術院会員。息子は映像作家の臼井高瀬。 長野県南安曇郡三田村(現・安曇野市)に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校(現・信州大学)文科甲類を経て、1929年東京帝国大学文学部卒業。松本中学での同級生に筑摩書房の創業者となる古田晁、俳優・演劇評論家の松本克平がいる。 旧制伊那中学(現・長野県伊那北高等学校)、松本女子師範学校などで教員を務めた後、上京して東京女子大学でも教え、さらに1946年に創刊した筑摩書房の総合雑誌『展望』編集長を務め、文芸評論家としても活躍した。
小林 勇(こばやし いさむ、1903年(明治36年)3月27… 小林 勇(こばやし いさむ、1903年(明治36年)3月27日 - 1981年(昭和56年)11月20日)は、編集者、随筆家、画家。号は冬青。岩波書店の創業者岩波茂雄の女婿であり、同社会長を務めた。 長野県上伊那郡赤穂村(現・駒ヶ根市)の農家の五男として生まれる。実業学校で基礎教育を受けたのち家業を手伝っていたが、1920年、17歳で上京し、岩波書店の住み込み社員となり、岩波文庫の創刊に携わる。幸田露伴の愛顧を受ける。 岩波茂雄の女婿(次女小百合と結婚)となるが、1928年に独立し、三木清らの援助を受けて自身の出版社・鉄塔書院、新興科学社を興す。だが、後に経営不振となり、1934年に岩波書店に復帰。
原 圭二(はら けいじ、1903年 - 没年不詳)は、日本の… 原 圭二(はら けいじ、1903年 - 没年不詳)は、日本のノンフィクション作家、編集者、翻訳家。本名は堀経道 長野県諏訪郡宮川村(現・茅野市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、長野師範学校卒業。関西学院英文科卒業。博文館編集部で「少年世界」などの担当を経て、1933年頃に出版社・六人社を発足。1936年頃から原圭二名義で戦争に関する文章の寄稿を始める。その後、民主教育協会勤務。探検記、探偵小説、翻訳多数。 堀経道名義では探偵小説・推理小説の翻訳を多数しており、昭和22年6月刊行の「黄金の書」(まひる書房)の企画を終戦後いち早く立ち上げ、江戸川乱歩の元へ相談を持ちかけた。
木内 高音(きうち たかね、1896年〈明治29年〉2月28… 木内 高音(きうち たかね、1896年〈明治29年〉2月28日 - 1951年〈昭和26年〉6月7日)は、大正から昭和時代にかけて活動した日本の編集者、児童文学者。赤い鳥社、中央公論社で編集者として優れた作品を世に送り出す一方、雑誌『赤い鳥』などで多くの童話を発表した。 1896年(明治29年)2月28日、広島県尾道市で生まれた。鉄道技師だった父の仕事の都合で、神戸、小樽と移り住み、10歳から父の故郷である長野県北佐久郡志賀村(現・佐久市志賀)で過ごす。野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)卒業後、早稲田大学文学部英文科に進学する。大学在学中に、鈴木三重吉の作品と出会い、傾倒。三重吉の門を叩き、三重吉宅へ出入りするようになる。
岡 茂雄(おか しげお、1894年(明治27年)7月27日 … 岡 茂雄(おか しげお、1894年(明治27年)7月27日 - 1989年(平成元年)9月21日)は、日本の編集者、書店主、陸軍軍人。大正から昭和初頭の日本に於いて、民族・民俗学や考古学専門の書店「岡書院」、山岳書専門の「梓書房」を創業、経営。民族学・考古学から山岳・自然関係の名著を、短期間ながら多数出版した。 学術史上の名著となる多くの書籍、雑誌を世に送り出した。南方熊楠を最初に見出し、鳥居龍蔵や新村出の著作を出版するなど、岩波書店と並ぶ良心的な出版人として知られた。 長野県東筑摩郡松本町(現・松本市)生まれ。陸軍中央幼年学校から陸軍士官学校(28期)を経て1916年(大正5年)12月26日に歩兵第60連隊附の歩兵少尉となった。