小林 英造(こばやし えいぞう、1987年 - )は、日本の… 小林 英造(こばやし えいぞう、1987年 - )は、日本の脚本家。長野県長野市出身。長野県長野高等学校卒。早稲田大学教育学部国語国文学科卒。兄の小林雄次も脚本家である。祖父は長野郷土史研究会初代会長の小林計一郎。 高校時代から「矛先盾一」のペンネームで小説現代ショートショート・コンテストに入選。アニメ、実写ドラマ、小説など、幅広く活動。ドラえもんに思い入れが深く、2014年7月5日には早稲田大学で辻村深月、小学館ドラえもんルームの徳山雅記と共に講演を行った。ドラえもんは大学在学中から、サザエさんは卒業1年目から脚本に携わっている。
小林 雄次(こばやし ゆうじ、1979年9月3日 - )は、… 小林 雄次(こばやし ゆうじ、1979年9月3日 - )は、日本の脚本家。長野県長野市出身。弟の小林英造も脚本家として活動しており、父小林一郎は長野郷土史研究会の会長。母小林玲子は絵解きの口演家として活動し、兄小林竜太郎は長野郷土史研究会で編集を担当している。祖父は長野郷土史研究会の初代会長で郷土史家の小林計一郎。アンドリーム(&REAM)所属。 長野日本大学高等学校出身。日本大学芸術学部映画学科脚本コース卒業。 2002年にアニメ『サザエさん』で脚本家デビューを果たし、以後は主に円谷プロダクションの特撮作品やそのノベライズ執筆を中心に活動しながら、一般ドラマの脚本も手がける。プリキュアシリーズへの参加以来、アニメ脚本の執筆も多い。
深沢 正樹(ふかさわ まさき、1965年3月11日 - )は… 深沢 正樹(ふかさわ まさき、1965年3月11日 - )は、日本の映画監督、脚本家。 長野県松本市出身。
山崎 貴(やまざき たかし、1964年〈昭和39年〉6月12… 山崎 貴(やまざき たかし、1964年〈昭和39年〉6月12日 - )は、日本の映画監督・脚本家・VFX制作者・アニメーション監督。長野県松本市出身。総合映像制作プロダクション白組所属。 長野県松本市出身。松本市立清水中学校、長野県松本県ヶ丘高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。 13歳の時に『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』に出会い、特撮の仕事を志すようになる。 1979年(昭和54年)中学3年生の夏、同級生ら約10人と一緒に8ミリフィルムによるSF映画『GLORY(グローリー)』を撮る。 地球に住めなくなった人類が、宇宙探査船『グローリー号』で新たに移住できる星を探す旅に出る。その旅の途中で地球が滅亡したという知らせを受け取る…というストーリーだった。
安斎 昌幸(あんざい まさゆき、1964年6月8日 - )は… 安斎 昌幸(あんざい まさゆき、1964年6月8日 - )は、日本のテレビプロデューサー、構成作家、脚本家、メディアプロデューサー、メディア芸術評論家。元NHKエンタープライズエグゼクティブプロデューサー。クンストラボ トウキョウ代表、アフターワード代表。 早稲田大学大学院国際情報通信研究科・理工学術院非常勤講師、早稲田大学メディアデザイン研究所客員研究員。 NHKなどで科学・芸術・文学、アニメ・インターネットなどのサブカルチャー関係の放送番組を制作するほか、メディアアート関連の展覧会の企画・構成、インターネットコンテンツ開発に携わる。 長野県長野高等学校を経て、一橋大学社会学部卒業。日本放送協会に入局し科学番組部を経て、NHKエンタープライズに出向。
飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、… 飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、テレビドラマの演出家。小説家。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、明治大学中退。自主映画出身の映画監督。1980年、8ミリ映画『休憩』でぴあフィルムフェスティバルに入選。友人に、『世にも奇妙な物語』などの作曲で知られる蓜島邦明がいる。 『世にも奇妙な物語』シリーズでは、「中村功一」のペンネームでいくつか脚本を書いている。そのうち、『常識酒場』、『トラブルカフェ』は『NIGHT HEAD』の原型となった。 今井雅之、東根作寿英、豊川悦司、武田真治等、出演当時ほぼ無名であった役者をキャスティングして細かな演技指導を行って彼らをスターダムに押し上げた。
宮下 隼一(みやした じゅんいち、1956年8月12日 - … 宮下 隼一(みやした じゅんいち、1956年8月12日 - )は、日本の脚本家である。長野県長野市出身。旧筆名は宮下 潤一(読みは同じ)。主に刑事ドラマや特撮、アニメーションなどの脚本を手がけている。 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。同窓に岸間信明、平野靖士らがいる。元々は監督志望で、テレビ映画の助監督として活動していたが、石原プロモーションにプロットを持ち込んだ事がきっかけで永原秀一の門下に入り、1979年に『西部警察』第7話「暴走刑事を撃て」で脚本家としてデビューした。1981年よりテレビ朝日プロデューサーの紹介で『特捜最前線』に参加し、シリーズ後半では中心ライターとして活動する。
合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレ… 合津 直枝(ごうづ なおえ、1953年 - )は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・ディレクター・映画監督・脚本家。脚本家としては、野々山 花見(ののやま はなみ)という筆名を用いることもある。テレビマンユニオン所属。長野県大町市出身。 長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学第一文学部心理学科を卒業後、テレビマンユニオンに参加。音楽番組、ドキュメンタリー番組などの制作を経て、テレビドラマのプロデュースに携わる。1994年放送のテレビドラマ『真昼の月 続・病院で死ぬということ』は放送文化基金賞奨励賞、ATP賞優秀賞、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。ドラマ番組では以降も単発・連続もののプロデュースを主に行うが、2013年のNHK連続ドラマ『書店員ミチルの身の上話』では、プロデュース・演出・脚本の三役を務めた。
崔 洋一(さい よういち、朝: 최양일、男性、1949年〈昭… 崔 洋一(さい よういち、朝: 최양일、男性、1949年〈昭和24年〉7月6日 - 2022年〈令和4年〉11月27日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。在日韓国人2世。 日本映画監督協会理事長、宝塚大学教授、株式会社ネクステップ顧問、スカパーJSATグループ番組審議会委員、民間放送教育協会理事を歴任。 長野県佐久市生まれ。父は在日朝鮮人、母は日本人のハーフ。 1968年(昭和43年)、東京朝鮮中高級学校高級部を卒業。東京綜合写真専門学校中退。写真学校在学中の20歳のころ、主に近代映画協会で撮影助手の仕事をしていた先輩に勧められ、近代映画協会とは関係のない今井正監督の『婉という女』(ほるぷ映画製作・東宝配給)の現場に就く。
山川 啓介(やまかわ けいすけ、1944年〈昭和19年〉10… 山川 啓介(やまかわ けいすけ、1944年〈昭和19年〉10月26日 - 2017年〈平成29年〉7月24日)は、日本の作詞家、脚本家。本名は井出 隆夫(いで たかお)。長野県佐久市出身(本籍は南牧村海尻)。 長野県上田高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。血液型はO型。 山川啓介名義での作詞活動の他、本名の井出隆夫名義で「おかあさんといっしょ」をはじめとする子供番組の楽曲の作詞や人形劇の脚本、及び番組の構成を手がけていた。特に「おかあさんといっしょ」では、1982年4月から10年半放送された「にこにこぷん」、1992年10月から7年半放送された「ドレミファ・どーなっつ!」で計18年間にわたっておよそ3500話を超える脚本を執筆し、劇中歌全てを作詞した。
田口 成光(たぐち しげみつ、1944年2月4日 - )は、… 田口 成光(たぐち しげみつ、1944年2月4日 - )は、日本の脚本家、構成作家、プロデューサー。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て日本大学芸術学部を卒業後、脚本家を目指して1967年に円谷プロダクション(以下、円谷プロ)へ入社。しかし、円谷プロの意向で『ウルトラセブン』などの特撮班助監督を経験することになり、同社の作品数が激減した1960年代末に企画室の勤務へ就いた。 1971年に放映された『帰ってきたウルトラマン』で、TBSのプロデューサーだった橋本洋二から深夜に及ぶ書き直し要求を経て、第8話「怪獣時限爆弾」が初採用され脚本家としてデビュー。以降は円谷プロで企画室長として1970年代の「第2期ウルトラシリーズ」『ミラーマン』などを企画し、脚本も執筆した。
片野 満(かたの みつる、1934年 - )は、日本の映画脚… 片野 満(かたの みつる、1934年 - )は、日本の映画脚本家・演出家・監督・プロデューサー。 東京都出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、日本大学芸術学部卒業。岩波映画製作所にて科学映画、教育放送番組の脚本・演出・監督・プロデューサーを歴任し、内閣総理大臣賞ほか多数の受賞作品に携わった。安井電子出版取締役制作本部長を務めた。
上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - … 上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - 2002年8月14日)は、脚本家・作家。長野県上水内郡中条村(現長野市)出身。長野県長野北高等学校を経て、早稲田大学第一文学部卒。 『サインはV』『アテンションプリーズ』『積木くずし』といった高視聴率のテレビ番組や、日本テレビの『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『おれは男だ!』『飛び出せ!青春』『われら青春!』といった一連の青春学園シリーズを執筆。他、数多くの人気テレビドラマの脚本を書く。晩年は舞台の脚本も手がける。(新橋演舞場『都おどり』など) 叔父の阿木翁助の影響で大学時代からラジオドラマを書き始める。大学の同級生に監督の高瀬昌弘がおり、彼がメイン監督となった『これが青春だ』の折に「君の青春を提供してくれ」と依頼を受け、その後も一連のシリーズに執筆しつづけた。
瓜生 喬(うりゅう たかし、1931年3月28日 - 200… 瓜生 喬(うりゅう たかし、1931年3月28日 - 2009年10月6日)は、脚本家・作家。本名は上條孝之。 長野県松本市出身。同志社大学文学部卒。1955年から1966年まで長野県立高校の英語教師を務め、1962年劇団「炎」を旗揚げし、全国や海外で民話劇や朗読劇を上演する一方、NHKラジオの劇作家として約300本のラジオドラマを書き下ろす。1982年にはNHKニュースワイドのリポーターとして活躍。「推理ロマン〜望郷〜」で1992年度日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞。またタイ国立芸術大学客員講師を務め、1997年にタイ王国政府から文化功労賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
成沢 昌茂(なるさわ まさしげ、1925年(大正14年)1月… 成沢 昌茂(なるさわ まさしげ、1925年(大正14年)1月29日 - 2021年(令和3年)2月13日)は、日本の脚本家、映画監督。 長野県上田市原町出身。上田市長をつとめた成沢伍一郎の二男。旧制上田中学(長野県上田高等学校)卒業後、1941年に松竹京都に入社、溝口健二に師事する。1944年、日本大学芸術学部卒業。 学徒出陣し捕虜生活を経て1945年に復員。1946年、松竹を退社。1952年に溝口にならって大映と契約、溝口の『噂の女』『新・平家物語』『赤線地帯』など、次々と巨匠と組んで名脚本を書き続けた。1962年、『裸体』で監督に転身、5作品を残す。1970年以降は映画から離れ、1975年から1977年にかけてNHK連続人形劇『真田十勇士』(柴田錬三郎原作)を担当。
小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 20… 小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 2004年10月12日)は、日本の映画監督、脚本家、占い師、山伏。 戦後、日本映画の最盛期に娯楽性の高い作品を世に数々送り出し、職人監督と評されている。長野県東筑摩郡四賀村出身。 易者・山伏名:小沢 宏瑞(おざわ こうずい)、本名:小沢 茂美(おざわ しげよし)。 少年時代は松本市で上映される無声映画を頻繁に見ていた。1930年に旧制松本中学に入学。日本大学芸術科専門部映画科へ入学し、演劇科には三木のり平、映画科には沼田曜一がいた。在学中の17歳に映画研究会を作り、熊谷久虎・マキノ正博らに講演依頼をしたのが縁で、やがて正博の家に居候をし、薫陶を受ける。
阿木 翁助(あぎ おうすけ、1912年7月14日 - 200… 阿木 翁助(あぎ おうすけ、1912年7月14日 - 2002年9月11日)は、日本の劇作家、脚本家。本名:安達鉄翁。息子は東宝プロデューサー。孫は笠井信輔(元フジテレビアナウンサー)。 脚本作品としては、1957年のNHKのラジオドラマ「花くれないに」、1964年のNET系のテレビドラマ「徳川家康」などが知られる。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。旧制長野県立諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。1930年、小説家を志し上京。 1932年東京プロレタリア演劇研究所を卒業、築地小劇場演劇研究所の研究生となり、1934年にはムーラン・ルージュ新宿座文芸部、新派文芸部に入って劇作家としての道を歩み始め、「女中あい史」の脚本で名を挙げる。
瑞穂 春海(みずほ しゅんかい、1911年3月22日 - 1… 瑞穂 春海(みずほ しゅんかい、1911年3月22日 - 1995年6月19日)は、日本の映画監督、脚本家である。 1911年(明治44年)3月22日、長野県長野市に善光寺塔頭蓮華院の長男として生まれる。 旧制・長野県長野中学校(現在の長野県長野高等学校)、旧制・姫路高等学校(現在の神戸大学)をそれぞれ卒業後、東京帝国大学に入学、同文学部で美術史学を専攻し、同学を1934年(昭和9年)に卒業した。卒業後、同郷の映画監督・池田義信の在籍する松竹キネマの松竹蒲田撮影所に入社した。池田のほか、深田修三、渋谷実に師事した。 1940年(昭和15年)、三浦光子主演の映画『女の気持』で監督に昇進した。第二次世界大戦開戦後の1943年(昭和18年)、河村黎吉・吉川満子主演の『家に三男二女あり』を監督した。
芝 蘇呂門(しば そろもん、1906年 - 没年不詳)は、日… 芝 蘇呂門(しば そろもん、1906年 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家である。本名佐々木 美長(ささき よしなが)名義で脚本家としてデビュー、マキノ・プロダクションで監督になり、のちに神田 金太郎(かんだ きんたろう)と改名した。 1906年(明治39年)ころ、長野県松本市に生まれる。 大学卒業後、映画監督の鈴木謙作を頼って日活大将軍撮影所に入社、19歳になる1925年(大正14年)、鈴木監督にオリジナル脚本を採用され、『血の人形』として同年11月13日に公開される(「佐々木美長」名義)。当時鈴木は同作の主演でもある女優の宮部静子との恋愛問題で撮影所内で評判がよくなかったこともあり、芝蘇呂門をつれてマキノ・プロダクションに移籍する。
荒井 良平(あらい りょうへい、1901年10月22日 - … 荒井 良平(あらい りょうへい、1901年10月22日 - 1980年10月22日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。 1901年(明治34年)10月22日、長野県上田市に生まれる。 長じて東京に移ったが、1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起き、焼け出されて大阪に移る。当時、日活大将軍撮影所の時代劇の原作募集に応募、入選した。これをきっかけに同所の池永浩久の面接を受けて、監督志望である旨を伝えたが、俳優研究生として同社に入社した。記録に残るもっとも早い時期の出演作は、1926年(大正15年)2月28日に公開された楠山律監督の現代劇『愛の貴公子』における「滝川耀子の父・義人」役で、満24歳にして宮部静子の父親役を演じた。
池田 義信(いけだ よしのぶ、1892年3月10日 - 19… 池田 義信(いけだ よしのぶ、1892年3月10日 - 1973年9月1日)は、日本の映画監督、脚本家である。本名・旧名池田 義臣(いけだ よしおみ、いけだ ぎしん)。映画製作者連合会事務局長、映画倫理規程管理委員会(旧映倫)副委員長を歴任。 1892年(明治25年)3月10日、長野県上水内郡三輪村(現長野市)に生まれる。 長野郵便局(現在の長野中央郵便局)勤務を経て、1920年(大正9年)、松竹蒲田撮影所に入社、新派系の演出家賀古残夢、野村芳亭に師事する。翌1921年(大正10年)には、田中欽之が監督した『親なき娘』の脚本を書く。同年10月21日に公開された、柳川春葉原作、伊藤大輔脚本、栗島すみ子主演の映画『生さぬ仲』で監督に昇進している。
西澤 裕子(にしざわ ひろこ、1929年 - 没年不明)は、… 西澤 裕子(にしざわ ひろこ、1929年 - 没年不明)は、日本の小説家、脚本家。 長野県出身。実践女子大学、早稲田大学文学部芸術学科卒。 俳優座養成所・演出研究生をへて、1955年、日活脚本部と契約。松竹京都撮影所シナリオ養成所等を経て、シナリオ活動を展開している。主なシナリオ作品に映画「黎明八月十五日」「大奥」、テレビ 信濃三部作「絹の家」「文子とはつ」「白き牡丹」など。 3000本を超すシナリオがある一方、舞台演出も手掛けている。
内田 保憲(うちだ やすのり)は、日本の映像作家・脚本家・構… 内田 保憲(うちだ やすのり)は、日本の映像作家・脚本家・構成作家。長野県長野市出身、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業(駿台予備学校 私文1)。 音楽番組・バラエティ番組・ドラマ等を中心にテレビ番組の演出・構成・脚本、さらにアイドルから海外アーティストまでミュージックビデオや企業広告映像等の監督をするなど多岐にわたる映像作品を手がける。また、CG作品も制作・演出する映像クリエイター。ゲームソフトのキャラクター「トロ」や広末涼子、小西真奈美等が出演する長編作品『トロと旅する THE MOVIE』を脚本・監督。大学時代に某有名アイドルやアーティストのバックバンドでギターを担当、ライブやレコーディングに参加。