庄司 隼人(しょうじ はやと、1991年6月21日 - )は… 庄司 隼人(しょうじ はやと、1991年6月21日 - )は、静岡県沼津市出身の元プロ野球選手(内野手)。2020年から広島東洋カープ球団スコアラーを務める。 静岡県沼津市生まれ。小学校1年時に今泉少年野球団で野球を始め、4年生から投手。 常葉橘中学校では3年生の時、エースとして軟式野球全国大会初戦で、11個奪三振最速144km/hを記録するが初戦で敗れる。 常葉学園橘高等学校では1年春から投手として登板し、2試合目で初先発初完投、1年秋にはチームのエースとなる。2年春に創部46年目で初の東海大会優勝、3年夏には県大会決勝で完封、2打席連続本塁打を打ち、浜名高校に10-0で勝利し、常葉橘は甲子園初出場を果たす。
岩崎 優(いわざき すぐる、1991年6月19日 - )は、… 岩崎 優(いわざき すぐる、1991年6月19日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 NPBの左投げ投手としては史上初となる、100ホールド・100セーブの達成者。 静岡市立清水第四中学校の軟式野球部で野球を始める(後述)と、サッカーの名門で進学校の静岡県立清水東高等学校に進学したが、甲子園球場の全国大会とは縁がなかった。 国士舘大学への進学後は、チームが東都大学野球の1部リーグに所属していた1年時からベンチ入りを果たすと、2部リーグに所属した2年時以降は救援投手として活躍した。
森下 宗(もりした つかさ、1991年2月23日 - )は、… 森下 宗(もりした つかさ、1991年2月23日 - )は、静岡県掛川市出身のプロ野球選手(外野手)。
土屋 健二(つちや けんじ、1990年10月4日 - )は、… 土屋 健二(つちや けんじ、1990年10月4日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 野球人生のスタートは、小学3年生時に、後に出身高校の先輩となる松坂大輔の投球に衝撃を受けた事と後に語っている。地元の「富士シニア」所属時代は投手として全国16強入りし、全日本選抜メンバーにも選出された。 2006年に横浜高校に進学。2007年秋の明治神宮大会では準優勝投手となった。この年の秋関東大会までは背番号1だったが、明治神宮大会では背番号10として出場した(エースとしての自覚を持ってほしい事から、監督が背番号を10に変更させた)。エースとして3年生時の春(2008年)に出場した第80回選抜大会は初戦(2回戦)で北大津高校の前に敗退するも、続く3年生時の夏の第90回選手権大会では浦和学院高校や広陵高校、仙台育英高校といった強豪を撃破したものの、準決勝で浅村栄斗を擁する大阪桐蔭高校に敗れベスト4。
浦野 博司(うらの ひろし、1989年7月22日 - )は、… 浦野 博司(うらの ひろし、1989年7月22日 - )は、静岡県袋井市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
渥美 万奈(あつみ まな、 1989年6月15日 - )は、… 渥美 万奈(あつみ まな、 1989年6月15日 - )は、静岡県浜松市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。元トヨタ自動車レッドテリアーズ所属。元ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 浜松市立曳馬中学校、常葉学園菊川高等学校卒業。 2008年、トヨタ自動車に入団。 2013年にCanada Cup International Softball Championship、2016年にカナダのサレーで開催された第15回世界女子ソフトボール選手権と2018年に千葉県で開催された第16回世界女子ソフトボール選手権に出場した。第15回と第16回世界女子ソフトボール選手権では銀メダルを獲得した。
髙橋 朋己(たかはし ともみ、1988年11月16日 - )… 髙橋 朋己(たかはし ともみ、1988年11月16日 - )は、静岡県三島市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。左投左打。実姉はフリーアナウンサーの髙橋早紀。 三島市立中郷小学校2年生の時に「中郷ファイターズ」で野球を始め、当時は野手だった。三島市立中郷西中学校時代は「三島田方リトルシニア」で投手としてプレーした。 加藤学園高等学校では2年生の時に背番号「1」を背負うものの、3年生時では主に一塁手で夏には救援投手を務めた。怪我の影響もあってエースにはなれず、球速も最速129km/hに留まった。甲子園出場経験は無い。一方で大学に向けて練習していた際に、当時の監督から腹筋と背筋を鍛えるために命じられた薪割によって筋力がアップした。
髙橋 朋己(たかはし ともみ、1988年11月16日 - )… 髙橋 朋己(たかはし ともみ、1988年11月16日 - )は、静岡県三島市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は埼玉西武ライオンズに所属。
仁藤 拓馬(にとう たくま、1988年7月13日 - )は、… 仁藤 拓馬(にとう たくま、1988年7月13日 - )は、静岡県島田市出身の元プロ野球選手(投手)。
赤田 龍一郎(あかだ りゅういちろう、1988年1月7日 -… 赤田 龍一郎(あかだ りゅういちろう、1988年1月7日 - )は、愛知県名古屋市北区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 小学校3年から、名古屋北リトルで一塁手として野球を始める。のちに中日でチームメイトとなる堂上剛裕・堂上直倫兄弟と同時期にリトルに所属していた。名古屋市立北陵中学校時代は、ボーイズリーグ東名古屋スターズで捕手に転向し、以降は捕手一筋。 静岡学園高等学校時代は、1年秋から4番を務め高校通算31本塁打を記録。3年夏は、静岡県予選1回戦で小笠高に2-9で敗れた。甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は、愛知大学に進学し愛知大学野球連盟に所属する硬式野球部へ入部。2年春から4番を務め、4年春には1部昇格の原動力となった。
赤堀 大智(あかほり だいち、1987年4月13日 - )は… 赤堀 大智(あかほり だいち、1987年4月13日 - )は、静岡県掛川市出身の元プロ野球選手(外野手)。
山崎 憲晴(やまざき のりはる、1986年12月13日 - … 山崎 憲晴(やまざき のりはる、1986年12月13日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は阪神タイガースの二軍内野守備走塁コーチ。所属事務所はトラロックエンターテインメント。 小学校3年生から野球を始め、富士シニアでプレーしていた。 埼玉栄高等学校時代には、2年時の秋季関東大会でベスト8まで進んだことが最高成績で、春夏ともに阪神甲子園球場の全国大会へ出場できなかった。その一方で、2学年先輩に星野真澄、2学年後輩に木村文紀がいた。 横浜商科大学への進学後は、1年時の春からレギュラーに定着。職人肌の守備とシュアな打撃が評価され、2・3年と大学日本代表に選出された。
石川 雄洋(いしかわ たけひろ、1986年7月10日 - )… 石川 雄洋(いしかわ たけひろ、1986年7月10日 - )は、静岡県駿東郡清水町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。元アメリカンフットボール選手(ワイドレシーバー)。野球解説者。 愛称は「タケ」、「石さん」。 横浜高校では1年生からベンチ入りを果たし、第75回選抜に左翼手で出場し準優勝。第86回全国選手権では、対京都外大西戦の6回に三塁打を放ちヘッドスライディングした際に三塁手と交錯し、首などを強打し左肩を捻挫する。一時は意識を失い担架で運ばれるも、その後意識を取り戻し強行出場した。スコア0対0の9回には自身のエラーをきっかけに満塁のピンチを迎えるが、涌井秀章が三振で抑えると、10回には涌井が招いたピンチをファインプレーで助け、チームは11回に1対0でサヨナラ勝ちを決めた。
黒田 祐輔(くろだ ゆうすけ、1986年5月1日 - )は、… 黒田 祐輔(くろだ ゆうすけ、1986年5月1日 - )は、静岡県藤枝市出身の元プロ野球選手(外野手)。
小林 敦(こばやし あつし、1986年2月24日 - )は、… 小林 敦(こばやし あつし、1986年2月24日 - )は、静岡県島田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 東海大翔洋中学校時代は2年次に三塁手として第16回全日本少年軟式野球大会でベスト8。3年次からエース投手となる。その後東海大相模高に進学。2年秋からエースとして活躍し、3年夏は県大会ベスト4で敗退。甲子園の出場は叶わなかった。東海大学進学後は3年秋の4勝を挙げるも、4年時は不振だったこともありプロからの指名はなかった。 大学卒業後は七十七銀行に入行。1年目から日本選手権、東京スポニチ大会などで全国経験を果たす。第81回都市対抗野球東北2次予選では、第2代表決定戦の対TDK戦で3安打7奪三振無四球完封で敢闘賞を受賞した。
川口 盛外(かわぐち たけと、1985年8月15日 - )は… 川口 盛外(かわぐち たけと、1985年8月15日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手、社会人野球選手(投手)。現在は王子硬式野球部に所属。
川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は… 川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。右投右打。 小学3年生の時から野球をスタート。同郷の同級生である牧田和久と増井浩俊(いずれも投手)とは、後にオリックスの外野手として、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦で相まみえている。 東海大学第一中学校(現在の東海大学付属静岡翔洋中学校)時代は「1番・捕手」で、3年時に全国大会ベスト8を経験。東海大相模高校への進学後は、4番打者を任された。3年夏の神奈川大会で決勝まで進んだが、在学中には春夏ともに、甲子園に出場できなかった。ちなみに、当時の同級生であった原拓也とは、後にオリックスでもチームメイトになっている。
松井 宏次(まつい こうじ、1984年12月2日 - )は、… 松井 宏次(まつい こうじ、1984年12月2日 - )は、静岡県掛川市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ。NPBでは育成選手であった。 磐田農業高から東海大学へ進むが、控えに留まる。きらやか銀行に入るが、活動縮小により4ヶ月で退社。地元に戻り運転代行等の仕事に就いた。 2008年は、愛知県名古屋市に本拠地を置く社会人野球のクラブチームであるNAGOYA23でプレーした。 2009年に四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。初年度より俊足巧打の機動力を持つ内野手として定着し、長崎の前期優勝に貢献した。打率.308を記録してリーグのベストナイン(二塁手)にも選ばれている。 2009年プロ野球ドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから育成ドラフト1位で指名され入団。
牧田 和久(まきた かずひさ、1984年11月10日 - )… 牧田 和久(まきた かずひさ、1984年11月10日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者、コーチ。 現役時代はNPBの埼玉西武ライオンズやMLBのサンディエゴ・パドレスなどでプレーし、先発・中継ぎ・抑えと幅広い役割をこなす事から「困った時の牧田」と称されていた。西武時代1年目の2011年にはパシフィック・リーグの新人王を受賞している。 愛称は"マッキー"、"牧やん"。 焼津市立小川中学校から静清工業高等学校に進学。1年時の秋にアンダースローに転向した。甲子園出場はない。 平成国際大学ではエースとなり、2年時には大学日本代表として日米大学野球選手権大会に出場する。
菊地 正法(きくち まさのり、1984年9月9日 - )は、… 菊地 正法(きくち まさのり、1984年9月9日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手。 静岡県立富士宮東高校在籍時からプロのスカウトに注目される存在だったが、ドラフトで指名されず、卒業後は三菱自動車岡崎に入社した。しかし、在籍2年目の2004年に本社の不祥事発覚で三菱自動車岡崎が活動自粛を余儀なくされ、東邦ガスに移籍する。 東邦ガスでは早速エースとして活躍し、2005年の第76回都市対抗野球大会出場に大きく貢献した。2006年は第77回都市対抗野球大会へ自チームでの出場こそ逃したものの、トヨタ自動車の補強選手として出場、社会人野球日本選手権でもエースとしてチームの日本選手権初出場をもたらした。
増井 浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日 - )は… 増井 浩俊(ますい ひろとし、1984年6月26日 - )は、静岡県焼津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
深田 拓也(ふかた たくや、1983年4月23日 - )は、… 深田 拓也(ふかた たくや、1983年4月23日 - )は、静岡県静岡市駿河区出身の元プロ野球選手(投手)。
高木 康成(たかぎ やすなり、1982年3月30日 - )は… 高木 康成(たかぎ やすなり、1982年3月30日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。大阪近鉄バファローズの歴史において、最後の勝利投手として知られている。
鈴木 寛樹(すずき ひろき、1981年5月15日 - )は、… 鈴木 寛樹(すずき ひろき、1981年5月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
佐藤 由希(さとう ゆき、1980年11月3日 - )は、静… 佐藤 由希(さとう ゆき、1980年11月3日 - )は、静岡県出身の女子ソフトボール選手(内野手)。2004年アテネオリンピック銅メダリスト。
伊代野 貴照(いよの たかてる、1980年10月29日 - … 伊代野 貴照(いよの たかてる、1980年10月29日 - )は、競輪選手、元プロ野球選手(投手)。競輪選手としては、日本競輪選手会奈良支部長(2024年6月下旬より)、ホームバンクは奈良競輪場。 静岡県伊東市出身。沼津学園高校時代の同級生に松永共広がいる。 高校卒業後は、社会人野球のローソンに入団したが、2002年シーズン限りでのチームの廃部が決定する。同年のドラフト会議で阪神タイガースから10巡目で指名を受け入団。なお、このドラフト会議では同僚の新井智と萱島大介もそれぞれ9巡目・11巡目で阪神に指名され入団、吉川昌宏は8巡目でヤクルトから指名を受け入団している。 2003年4月26日の対広島東洋カープ戦で敗戦処理として登板すると、その後味方打線が爆発して逆転勝利という幸運な形でプロ初勝利を挙げた。
後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、… 後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。 愛称は「ゴメス」など(後述)。 中学校時代にはシニアリーグの「浜松シニア」に所属し、チームメイトで1年後輩の野久保直樹らと共に全国大会で準優勝している。 横浜高等学校では、1年生時からベンチ入りし、第78回全国高等学校野球選手権大会では、3回戦の9回に代打で起用され安打を放った。 1998年、松坂大輔、小池正晃、小山良男らと共に第70回選抜高等学校野球大会に出場し全国制覇を果たすと、第80回全国高等学校野球選手権大会に主に3番打者として出場し、準々決勝では上重聡、平石洋介らを擁するPL学園、準決勝では寺本四郎を擁する明徳義塾高校、決勝では吉見太一を擁する京都成章高校に勝利し、春夏連覇を果たした。
寺田 祐也(てらだ ゆうや、1980年5月7日 - )は、静… 寺田 祐也(てらだ ゆうや、1980年5月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。
林 昌樹(はやし まさき、1979年11月28日 - )は、… 林 昌樹(はやし まさき、1979年11月28日 - )は、静岡県磐田市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学生時代、地元磐田市の中泉クラブに所属。 興誠高等学校では、3年夏の県大会で骨折しながら勝ち進むも、決勝で浜松工業高等学校に敗れ準優勝。 その後、1997年のドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、入団。 2000年にサイドスローに転向。 2001年に一軍で初登板を果たした。 2003年にセ・リーグ初となる1球でプロ初勝利を飾る。 2006年は自己最多の61試合に登板し、開幕から10試合以上防御率0点台を保つなど、前半戦はリリーフエースとして重要な役目を果たした。しかし後半戦は疲労からか登板のたびに失点することが多く、防御率は急落。
小田 智之(おだ ともゆき、1979年5月19日 - )は、… 小田 智之(おだ ともゆき、1979年5月19日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学3年生で野球を始め、興誠高等学校では1年秋からレギュラーとなる。1997年の夏は3番・遊撃手として出場も県大会の決勝戦で敗退し、甲子園出場ならず。高校通算14本塁打。元広島東洋カープの林昌樹とは同級生で、俳優の野久保直樹は2学年後輩にあたる。1997年のドラフトで日本ハムから2位指名され、入団。 2003年にイースタン・リーグ2位の打率.347、9本塁打と安打を量産し、シーズン終盤に一軍に昇格してプロ初打点を挙げた。 2004年、プロ7年目にして開幕戦のスターティングメンバーに名を連ね(八番・指名打者)、4月3日にプロ初本塁打。
山﨑 貴弘(やまざき たかひろ、1978年9月1日 - )は… 山﨑 貴弘(やまざき たかひろ、1978年9月1日 - )は、静岡県菊川市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。 小笠高3年夏は優勝した常葉菊川に敗れてベスト8。1996年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから3巡目指名を受けて入団。1年目の10月に左肘を手術した。 1999年、一軍初登板。 2000年シーズンオフに寺村友和との交換トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。 2001年5月29日、対福岡ダイエーホークス11回戦の8回表1死一塁の場面に4番手として登板。1球目で松中信彦を併殺打に討ち取ってチェンジとなり、その裏に味方が勝ち越したため、1球でプロ初勝利を挙げた。初勝利が1球勝利となるのはプロ野球史上初のケースであった。
山﨑 貴弘(やまざき たかひろ、1978年9月1日 - )は… 山﨑 貴弘(やまざき たかひろ、1978年9月1日 - )は、静岡県菊川市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。
山崎 隆広(やまざき たかひろ、1976年10月11日 - … 山崎 隆広(やまざき たかひろ、1976年10月11日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。
池野 昌之(いけの まさゆき、1976年5月8日 - )は、… 池野 昌之(いけの まさゆき、1976年5月8日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。 静岡県熱海市で出生したが、幼少期に県内の富士宮市へ転居。富士宮市立貴船小学校4年時から野球を始めると、富士宮市立第四中学校を経て、静岡県立富士宮北高等学校へ進学した。 高校では2年夏に県大会ベスト16、3年夏は1回戦で延長の末敗れた。1994年のNPBドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから7位で指名され入団した。背番号は67。 在籍中には一軍公式戦への出場機会がなく、2000年に現役を引退。翌2001年から2009年まで、球団に残ってブルペン捕手を務めた。 東京都内の一般企業へ勤務した後に、2015年から富士宮市内の企業へ転職。
萩原 多賀彦(はぎわら たかひこ、1975年9月9日 - )… 萩原 多賀彦(はぎわら たかひこ、1975年9月9日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
小野 晋吾(おの しんご、1975年4月7日 - )は、静岡… 小野 晋吾(おの しんご、1975年4月7日 - )は、静岡県駿東郡長泉町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 小学2年生時に長泉町に初めて出来た少年野球チーム長泉ジュニアクラブに入団。3年生から二塁手や投手としてレギュラーになった。小学5年1月時に右大腿骨に骨嚢腫が見つかり一時は野球を諦めたが、6年生時に怪我を押してマクドナルド県大会に出場し準優勝に貢献。夏休み中に手術を行い克服した。 長泉町立北中学校3年春の県大会で浜名中を相手に1安打14奪三振を見せるも敗戦。御殿場西高校時代は1年秋に県大会決勝で東海大工の森中聖雄に投げ勝つと東海大会も1人で投げ抜いてベスト4。2年春の第64回選抜高等学校野球大会に出場、東山高校の岡島秀樹と投げ合い、逆転負けを喫する。
吉田 道(よしだ とおる、1975年(昭和50年)1月15日… 吉田 道(よしだ とおる、1975年(昭和50年)1月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)、教員。
西村 亮(にしむら あきら、1974年7月18日 - )は、… 西村 亮(にしむら あきら、1974年7月18日 - )は、静岡県掛川市出身の元アマチュア野球選手(捕手・内野手)、野球指導者。右投右打。 静岡高等学校では2年秋に投手として東海大会ベスト8に進出。2学年上に山崎一玄がいた。駒澤大学に進学して硬式野球部に所属し、捕手、一塁手、4年次は主将を務めた。東都大学野球リーグでは1996年の春季と秋季での2度ベストナインに選出され、秋季には、首位打者も獲得した。2学年上に河原純一、本間満、高木浩之、1学年下に高橋尚成、2学年下に新井貴浩がいた。 大学卒業後は、社会人野球のJR東日本東北のチームに入団し、主に捕手として、活躍し、同チームのコーチも務めた。 不祥事で辞任した小椋正博監督の後任として、2012年から母校の駒澤大学の監督に就任。
星野 順治(ほしの じゅんじ、1974年6月18日 - )は… 星野 順治(ほしの じゅんじ、1974年6月18日 - )は、新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 2024年からソフトバンクに所属する星野恒太朗は息子。 東京都生まれ、新潟県西蒲原郡吉田町粟生津育ち。同郡分水町(現在はいずれも燕市)との境界付近に在住していたため、中学時代は分水町の中学校に通学していた。 新潟商業高から社会人野球のNKKに進む。1997年の都市対抗ではエースとして起用され、2回戦に進むが日産自動車に敗退。同年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスから4位指名を受け入団。 1998年社会人即戦力として期待されたが、一軍の壁が厚くシーズンの大半を二軍暮らしとなる。
庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )… 庄司 大介(しょうじ だいすけ、1974年6月18日 - )は、東京都生まれ静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学4年の時に野球を始める。静清工業高校では投手を務め、エースとして1992年の夏の静岡県予選でチームを準優勝に導いた。東都大学野球連盟の国士舘大学に進学後、2年次からは外野手に転向。1部リーグ通算2季で、11試合に出場、28打数5安打、打率.179、本塁打、打点はなし。 卒業後の1997年より河合楽器でプレー。主に4番として都市対抗野球大会に2度出場した。1999年には6月13日の都市対抗静岡代表決定戦で顎に死球を受け、意識を失い複雑骨折する重傷を負ったが医者を説得して早期復帰し、本大会にも出場している。
石井 伸幸(いしい のぶゆき、1974年4月23日 - )は… 石井 伸幸(いしい のぶゆき、1974年4月23日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 中学まではサッカー部で、藤枝明誠高から野球部に入部すると3年春に投手となり、夏は県大会1回戦敗退。1992年のドラフト7位で西武ライオンズに入団。 一軍での登板が無いまま、1995年に引退。
牧田 勝吾(まきた しょうご、1974年4月13日 - )は… 牧田 勝吾(まきた しょうご、1974年4月13日 - )は静岡県出身のオリックス・バファローズに所属していた元プロ野球選手。
森中 聖雄(もりなか まさお、1974年4月9日 - )は、… 森中 聖雄(もりなか まさお、1974年4月9日 - )は、静岡県三島市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
斉藤 肇(さいとう はじめ、1973年7月22日 - )は、… 斉藤 肇(さいとう はじめ、1973年7月22日 - )は、静岡県富士宮市出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)・野球指導者。 富士宮市の星陵高では2年秋に県大会ベスト8、通算44試合で407奪三振。1991年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズと広島東洋カープから4位指名を受け、抽選により横浜に入団。 早くからファームでは先発として投げていたが、安定した成績が残せずその後は中継ぎでの登板が増え、9年間で227試合に登板したが、一軍での登板はないまま2000年オフに戦力外通告を受け退団。二軍における227試合登板は、金剛弘樹(中日)の282試合登板に次ぐ2位記録である。また227試合はイースタン・リーグの1位記録であり、一軍登板経験がない投手として1位記録でもある。
岩下 修一(いわした しゅういち、1973年6月2日 - )… 岩下 修一(いわした しゅういち、1973年6月2日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。2006年のみ、登録名を岩下 修壱(読みは同じ)とした。 現在は、北海道日本ハムファイターズの打撃投手。
山﨑 一玄(やまざき かずはる、1972年7月21日 - )… 山﨑 一玄(やまざき かずはる、1972年7月21日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は阪神タイガースで打撃投手を務めている。
佐藤 康幸(さとう やすゆき、1972年5月24日 - )は… 佐藤 康幸(さとう やすゆき、1972年5月24日 - )は、静岡県小笠郡浜岡町(現:御前崎市)出身の元プロ野球選手(投手)。 静岡県立池新田高等学校3年夏は県大会4回戦で敗退。帝京大学へ進学後は、首都大学野球リーグで52試合登板し12勝21敗。 大学卒業後、河合楽器に入社。社会人時代は、2年連続で都市対抗野球に出場して1996年は2回戦で先発したが、川村丈夫(元横浜ベイスターズ)が投げるなど五輪代表選手を擁する日本石油の前に5失点で降板、敗退。同年は京都市長杯優勝投手となりMVPも獲得。同年のドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名を受け入団。 1998年には貴重な左腕中継ぎとして20試合に登板し初勝利も記録した。
永井 浩二(ながい こうじ、1971年6月2日 - )は、広… 永井 浩二(ながい こうじ、1971年6月2日 - )は、広島県出身の学生野球指導者。 現役時代は捕手としてプレー。広島県立広島商業高等学校時代に甲子園大会出場を経験。亜細亜大学に進学し、高津臣吾の球を受けた。1年下に入来祐作、沖原佳典がいた。 大学卒業後は地元の広島県福山市のNKK(現在のJFE西日本)に入社。ドラフト候補にあがることもあったが、プロ入りは叶わなかった。 1998年から知人の紹介で渡米し、2年間メジャーリーグのニューヨーク・メッツにブルペン捕手兼打撃投手を務めた。 帰国後、クラブチームの浜松ケイ・スポーツBCに入団し、のちに現役引退。 2006年から浜松大学(2013年より常葉大学浜松キャンパス)のコーチに就任。
山口 晋(やまぐち すすむ、1971年4月23日 - )は、… 山口 晋(やまぐち すすむ、1971年4月23日 - )は、静岡県島田市出身の元プロ野球選手(投手)。 島田商業高では3年春に東海大会準優勝、夏は県大会ベスト4に導く。1989年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団。 1992年オフに日本ハムファイターズに移籍するが、一軍登板のないまま1996年限りで現役を引退。 引退後は料理人となり、2017年に浜松市に「京料理 九花」を開店し店主を務めている。
門奈 哲寛(もんな てつひろ、1970年5月30日 - )は… 門奈 哲寛(もんな てつひろ、1970年5月30日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。