枝村 匠馬(えだむら たくま、1986年11月16日 - )… 枝村 匠馬(えだむら たくま、1986年11月16日 - )は、静岡県榛原郡榛原町(現:牧之原市)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 高校サッカー指導者(三浦学苑監督)の枝村隼人は実兄。 清水エスパルスJrユース、同ユースを経て2005年トップチームに昇格。同期入団は兵働昭弘、青山直晃、岡崎慎司、平岡康裕。同年10月22日のジュビロ磐田との静岡ダービーにて公式戦デビュー。2006年に背番号が32番から16番となり、甲府との開幕戦で初得点を挙げた。2008年には背番号が16番から8番となり、チーム最多となる公式戦計13ゴールを挙げ、チームの後半から終盤にかけての快進撃とナビスコカップ準優勝に貢献した。
櫻田 未来(さくらだ みく、旧名: 口木 未来(くちき みく… 櫻田 未来(さくらだ みく、旧名: 口木 未来(くちき みく)、1986年10月11日 - )は、静岡県浜松市出身の女子サッカー選手。ポジションはフォワード。シンガポール所在のウォリアーズFC(女子)所属。サッカー選手の櫻田真平は夫。 中学生時代までは、出身地浜松市所在のHonda FCレディースに所属、東海女子サッカーリーグでプレーした。当時のチームメイトのひとりに佐藤シェンネンがいる。 中学校卒業後鹿児島県へ渡り、神村学園高等部に入学した。同級生に有馬静佳、伊藤美菜子、清原万里江、齋田由貴らがいる。2004年度には全日本高等学校女子サッカー選手権大会で優勝を経験した。また同年、U-18鹿児島県にも選出され、全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会にも出場した。
中村 友亮(なかむら ゆうすけ、1986年10月6日 - )… 中村 友亮(なかむら ゆうすけ、1986年10月6日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、現フットサル選手。サッカーでのポジションはミッドフィールダー、フットサルでのポジションはアラ。しながわシティ所属。2014年からフットサル日本代表。 154cmと小柄ではあるが瞬発力やテクニックに秀で、ドリブル突破を持ち味としている。2014-15シーズンのFリーグ登録選手中もっとも身長の低い選手である。 サッカー推薦ではなく一般入学で静岡学園高等学校に入学し、3年間親元を離れて寮生活をした。入学当初はA・B・Cと3チームある中で最下級のCチームだったが、1年冬にはAチームに昇格し、2年次には右ウイングのレギュラーとして全日本ユース選手権で準優勝し、サッカー静岡県選抜にも選出された。
加門 亮兵(かもん りょうへい、1986年9月22日 - )… 加門 亮兵(かもん りょうへい、1986年9月22日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。 代表選手も一目おく卓越した技術力と優雅さで観る者を魅了したMF。国内外での選手キャリアを活かし、育成年代の指導者として複数回リーグ戦優勝を果たすなど、育成年代の選手を成長させる力と指導力には定評がある。 地元大阪でサッカーを始め小学4年時ガンバ大阪ジュニアへ入団。その後、ガンバ大阪ジュニアユースへ昇格し才能ひしめくライバル達と共に成長。本田圭佑、家長昭博、東口順昭らとは同期で一学年下には安田理大などがいた。その後静岡学園高校を進路に選んだ。この頃から女性ファンも多く追っかけがいたという噂がある。
岡本 達也(おかもと たつや、1986年9月19日 - )は… 岡本 達也(おかもと たつや、1986年9月19日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学校時代からのジュビロ磐田育ちで、ユースでは藤井貴との2トップで得点を重ね、上田康太らと共にトップチームへの昇格を果たした。しかし出場機会を得ることはできなかった。 本人が大学への進学を希望した事により、2006年シーズンの契約をもってチームを退団した。2007年3月8日、本人より順天堂大学への入学が決定したとジュビロ磐田会員専用サイト内にて発表。また大学進学後もサッカーを続け、スピードという弱点を克服してJリーグの舞台への復帰を目指すともコメントしている。 順天堂大学ではレギュラーFWの一角として活躍、2007年関東大学リーグの新人王を獲得した。
鈴木 真司(すずき しんじ、1986年8月29日 - )は、… 鈴木 真司(すずき しんじ、1986年8月29日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。現在は熊本県のサッカーチーム、エンフレンテ熊本で代表を務める。
井上 渉(いのうえ わたる、1986年8月7日 - )は、静… 井上 渉(いのうえ わたる、1986年8月7日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
赤星 貴文(あかほし たかふみ、1986年(昭和61年)5月… 赤星 貴文(あかほし たかふみ、1986年(昭和61年)5月27日 - )は、静岡県富士市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 静岡県東部の富士市に生まれ、地元の少年団神戸(ごうど)FCでサッカーを始める。中学時代は清水エスパルスジュニアユースに所属し、枝村匠馬らとクラブ日本一を経験した。この当時から年代別の代表に名を連ねる選手であった。 高校時代は清水ユースへと進まず、藤枝東高校に進学。先輩の成岡翔から受け継いだ10番を背負い、1年時からスタメンに定着した。在学当時、総体に2年連続出場、全日本ユース、高校選手権に2年連続と、当時の静岡勢としては最も多くの全国大会を経験したにもかかわらず、全国大会での目立ったタイトルはなく、三年時に静岡県選抜として優勝した埼玉国体が唯一のタイトルである。
狩野 健太(かのう けんた、1986年5月2日 - )は、静… 狩野 健太(かのう けんた、1986年5月2日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡学園高等学校から2005年に横浜F・マリノスに入団し、プロ入りした。プロ入り時には出身地にある清水エスパルスなど複数クラブから入団の誘いを受けたが、最終的に横浜FMを選択した。 プロ2年目の2006年からはある程度試合に出場したものの、レギュラーを獲得するまでには至らなかった。そうした状況が変わったのは2008年であった。この年、横浜FMはJ1残留争いに巻き込まれ、桑原隆から木村浩吉へ監督が交代した。木村は狩野を抜擢すると、狩野はそれにこたえる活躍を見せ、残留争いから脱出する原動力になった。
笠井 健太(かさい けんた、1985年12月25日 - )は… 笠井 健太(かさい けんた、1985年12月25日 - )は、静岡県菊川市出身の元プロサッカー選手、元フットサル選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 3歳頃から地元の菊川市でサッカーを始め、小学2年生から中学1年生までの時期をカナダ・オンタリオ州で過ごす。帰国した後、菊川東中学校の3年次にはブラジルのサントスFCの下部組織に1ヶ月間の短期留学を経験した。高校は静岡県立袋井高等学校に進学。県大会出場に貢献するなどスピードが武器のフォワードとして活躍した。高校2年次の秋にアメリカにサッカー留学し、翌年からは再びサントスFCの下部組織へ入団してプレーした。 2004年からサンパウロ州のパウリスタFCの下部組織に移り、12月には2年間のプロ契約を結ぶ。
勝又 慶典(かつまた よしのり、1985年12月7日 - )… 勝又 慶典(かつまた よしのり、1985年12月7日 - )は、静岡県富士市出身の元サッカー選手である。ポジションはフォワードおよびミッドフィルダー。 2008年に当時の関東リーグに所属していた町田ゼルビアに入団。いきなりこの年の得点王と関東リーグのベストとなりJFL昇格の原動力となった。しかし2009年のJFLの開幕2戦目の試合開始前に右足膝前十字靭帯損傷で全治6ヶ月の大怪我 でわずか3試合の出場にとどまった。そして怪我明けとなった2010年はロアッソ熊本から移籍した木島良輔との2トップとの相性が良かったこともあり、18得点をとりJFL得点ランキングで3位となりベスト11に選出された。2012年に町田がJ2最下位となった際には、町田の選手を代表して涙ながらに挨拶を行った。
松井 謙弥(まつい けんや、1985年9月10日 - )は、… 松井 謙弥(まつい けんや、1985年9月10日 - )は、静岡県掛川市出身のプロサッカー選手。台湾社会人甲級サッカーリーグ・台中Futuro所属。ポジションはゴールキーパー。 小学校4年生の頃からサッカーを始めた。ヤマハジュビロサッカースクール掛川からユースを経てジュビロ磐田トップチームに昇格した。U-18やU-22などの各世代別の日本代表では、同世代の西川周作、山本海人らとポジションを争っていたが、定位置確保にはいたらず。 ジュビロ磐田時代は、日本代表の正GKである川口能活と経験豊富な佐藤洋平が居り、ベンチ入り出来ない時期が続いたが、2006年は川口の代表招集による不在と佐藤の負傷による長期離脱があり、ナビスコカップでゴールマウスを守った。
飯塚 渉(いいづか わたる、1985年7月31日 - )は、… 飯塚 渉(いいづか わたる、1985年7月31日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。
松下幸平(まつした こうへい、1985年7月24日 - )は… 松下幸平(まつした こうへい、1985年7月24日 - )は、石川県松任市(現白山市)出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(左SB)。
山本 海人(やまもと かいと、1985年7月10日 - )は… 山本 海人(やまもと かいと、1985年7月10日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市)出身の元サッカー選手。ポジションはGK。元日本代表。 清水エスパルスのアカデミー出身。2004年に清水のトップチームに昇格し、入団後の4年間はリーグ戦出場は1試合のみであったが、2008年7月20日に行われたJ1第18節新潟戦(東北電力ビッグスワンスタジアム)において、正GKの西部洋平が負傷したことに伴い先発出場し、完封勝利に貢献した。この後は正GKとしてシーズン終了まで起用され、苦戦が続いた2008年シーズン前半戦とはうってかわり、後半戦のみで勝点首位となったクラブの躍進に貢献した。ただし、オフには左ひざ半月板の内視鏡手術を受けた。
菊岡 拓朗(きくおか たくろう、1985年6月30日 - )… 菊岡 拓朗(きくおか たくろう、1985年6月30日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 静岡県立清水東高等学校時代からファンタジスタとして知られており、強豪校がひしめく地域にあって全国大会とは無縁だったものの、3年生時には第82回全国高等学校サッカー選手権大会静岡県予選大会で準優勝を果たしている。高校在学中からJクラブの練習にも参加していたが、自身は大学進学を決めており、卒業後は法政大学に進学した。 法政大学サッカー部に入部後は早くからレギュラーを獲得し、3年生時には天皇杯に主力として出場し3回戦に進出。4年生時には関東大学1部リーグでアシスト数第2位を記録し、インカレでは準優勝の原動力となった。
横山 拓也(よこやま たくや、1985年6月29日 - )は… 横山 拓也(よこやま たくや、1985年6月29日 - )は、静岡県出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 浦和レッズ入団当時から、得点能力の高いFWとして期待され、デビュー戦でアシスト、海外遠征のボカ・ジュニアーズ戦でゴールを決めるなど、チームの期待は高かった。2005年こそそこそこ出場機会があったものの、2006年になるとまったく試合に出られず、モンテディオ山形へレンタル移籍を決断する。 山形では、チームトップタイの8ゴールをあげたが、それ以上に警告14(チームトップ、J2リーグ2位タイ)がネックとなり、12月早々に山形からレンタル移籍満了が言い渡され、さらに浦和・中村修三GM(当時)からも「横山は浦和に戻らない」と明言されてしまう。
阿部 文一朗(あべ ぶんいちろう、1985年4月2日 - )… 阿部 文一朗(あべ ぶんいちろう、1985年4月2日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 小学生時代は地元のサッカークラブ、六合東サッカースポーツ少年団でプレー。中学時代は清水ジュニアユースに所属。U-15から各年代の日本代表に選出される。清水エスパルスユースに昇格した後も、各年代の代表に選出されている。トップチームへの昇格後は1年目からリーグ戦に出場するなど首脳陣から期待されていたが、2005年にレンタル移籍したサガン鳥栖では11試合出場、無得点に終わり、レンタル元の清水から戦力外通告を受ける。また、レンタル先の鳥栖とも契約満了となり、20歳で現役を引退した。
佐藤 シェンネン(さとう しぇんねん、1985年3月30日 … 佐藤 シェンネン(さとう しぇんねん、1985年3月30日 - )は、静岡県藤枝市出身の女子サッカー選手。 ポジションは、DF、MF。
渡邊 圭二(わたなべ けいじ、1985年1月28日 - )は… 渡邊 圭二(わたなべ けいじ、1985年1月28日 - )は、静岡県沼津市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
杉山 浩太(すぎやま こうた、1985年1月24日 - )は… 杉山 浩太(すぎやま こうた、1985年1月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 清水のジュニアユース出身。2003年にトップチーム昇格。早くから才能を評価される一方で、持病の気管支炎に苦しむ。 2008年から2シーズンの間、柏へ期限付き移籍。同年より食事療法に取り組んだことで喘息の症状が改善。2009年は開幕前のちばぎんカップでMVPを獲得。大谷秀和の離脱もあり、先発出場した試合ではゲームキャプテンを任されることもあった。 2010年から清水に復帰するが、2月の鹿児島キャンプで右膝半月板を負傷。手術とリハビリでシーズンの大半を欠場した。2011年は11月16日の天皇杯3回戦で清水復帰後初ゴールを挙げた。
尾崎 瑛一郎(おざき えいいちろう、1984年12月7日 -… 尾崎 瑛一郎(おざき えいいちろう、1984年12月7日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー選手。Jリーグ・アスルクラロ沼津所属。ポジションはディフェンダー。
谷澤 達也(やざわ たつや、1984年10月3日 - )は、… 谷澤 達也(やざわ たつや、1984年10月3日 - )は、静岡県志太郡大井川町(現・焼津市)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 元々野球好きであったが、親の負担を考え、3歳年上の兄を追って小学4年生からサッカーを始めた。中学時代はEWS・FCに所属し、同学年の成岡翔とともに、1年生から主力として活躍した。2000年に静岡学園高校へ進学。2、3年次に全国高校サッカー選手権に出場し、2年次にはベスト16へ進出。高校の1学年上には永田充、同学年には安藤淳、1学年下には、小林祐三、松下幸平、横山拓也、2学年下には狩野健太で、谷澤が背負った背番号10は狩野へと引き継がれた。 2003年に高校を卒業し、Jリーグ・柏レイソルへ入団。
秋葉 竜児(あきば りゅうじ、1984年6月13日 - )は… 秋葉 竜児(あきば りゅうじ、1984年6月13日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 2003年に名古屋グランパスエイトに入団。翌年、ベガルタ仙台に移籍。2005年限りでベガルタ仙台から戦力外通告を受けた。
成岡 翔(なるおか しょう、1984年5月31日 - )は、… 成岡 翔(なるおか しょう、1984年5月31日 - )は、静岡県島田市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 静岡県の強豪、藤枝東高校で中心選手として活躍。高校在学中から各年代の日本代表に選出された。藤枝東高の同期には磐田時代のチームメイトであった大井健太郎、岡田隆(岡田とはアビスパ福岡、大井とはアルビレックス新潟でもチームメイトとなる)、1学年先輩には長谷部誠、岡田佑樹、2年後輩に赤星貴文がいる。 ワールドユースに出場したユース代表でも中心選手として活躍し将来を嘱望されていたが、高校時代の目立ったタイトルはないため「無冠の帝王」と呼ばれていた。高校卒業時、Jリーグの各クラブが獲得に名乗りを上げたが、最終的に当時Jリーグ二強を誇った鹿島アントラーズと強化指定選手に登録されていたジュビロ磐田に進路を絞る。
大井 健太郎(おおい けんたろう、1984年5月14日 - … 大井 健太郎(おおい けんたろう、1984年5月14日 - )は、静岡県藤枝市出身のプロサッカー選手。ポジションはDF。 静岡県の強豪、藤枝東高校で中心選手として活躍。高校在学中から各年代の日本代表に選出された。藤枝東高の同期には磐田時代のチームメイトであった成岡翔、岡田隆(成岡とはアルビレックス新潟でもチームメイトとなる)、1学年先輩には長谷部誠、岡田佑樹、2年後輩に赤星貴文がいる。2003年にジュビロ磐田へ入団。同期入団の成岡、菊地直哉とともに将来のジュビロを担う選手と期待されたが、2011年は出場機会を求めて湘南ベルマーレへ期限付き移籍。湘南ではレギュラーに定着し、シーズン途中からキャプテンを任された。
岡田 隆(おかだ りゅう、1984年4月10日 - )は、日… 岡田 隆(おかだ りゅう、1984年4月10日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはDF、MF(ボランチ)。静岡県藤枝市出身。 ジュビロ磐田のジュニアユースであるジュビロSS掛川でプレーし、高校時代はサッカーの名門・ 藤枝東高校で成岡翔や大井健太郎と共にプレーした。筑波大学進学後は1年生でレギュラーを奪取し、大学選抜チームの常連でもあった。 2007年に、中学生時代にプレーしたジュビロ磐田のオファーを受けて入団。守備の職人であった服部年宏移籍後の後継者として期待され、2年目の終盤はけが人続出のDFラインの一角を担い、磐田のJ1残留に貢献した。2009年と2010年にはレギュラーとしてプレーすることも増えた。
矢野 貴章(やの きしょう、1984年4月5日 - )は、静… 矢野 貴章(やの きしょう、1984年4月5日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・栃木SC所属。 ポジションはフォワード、ディフェンダー。元日本代表。 実兄の矢野晴之介は現在、日本体育大学サッカー部の監督を務める。 小学生時代はジュビロ浜北サッカースクールおよび静岡大学附属浜松サッカー少年団に在籍。中学生時代に在籍したヤマハジュビロSSではサイドバックを務めていたが、浜名高校在籍時にフォワードにコンバートされた。2001年にはU-17日本代表としてU-17世界選手権に出場し、5-1と大敗したフランス戦でゴールを決めた。2002年は、ジュビロ磐田の強化指定選手に登録された。 高校卒業時には4クラブから誘われた中からJ1・柏レイソルに入団。
河住 一仁(かわすみ かずひと、1984年3月13日 - )… 河住 一仁(かわすみ かずひと、1984年3月13日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手でポジションはDF。
長谷部 誠(はせべ まこと、1984年1月18日 - )は、… 長谷部 誠(はせべ まこと、1984年1月18日 - )は、静岡県藤枝市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。元日本代表。2025年10月10日現在、フランクフルトIIでアシスタントコーチ、サッカー日本代表のコーチングスタッフとして、ドイツと日本の2カ国でサッカーチームの業務をこなしている. 妻はモデルの佐藤ありさ。 2006年から、代表引退を発表した2018年まで日本代表に選ばれ続け、キャプテンとしてワールドカップに3度出場(2010年・2014年・2018年)。キャプテンとして出場した代表での試合数は81試合で、日本代表歴代1位である。
犬塚 友輔(いぬづか ゆうすけ、1983年12月13日 - … 犬塚 友輔(いぬづか ゆうすけ、1983年12月13日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF、DF。 磐田ユース時代は太田吉彰と同期で個人的にも親しかった。当時はボランチの選手だった。 静岡産業大学でも当初はボランチや1.5列目に置かれていたが、身体能力に秀でていることを買われて大学3年以降は専らFWとしてプレーし、フィジカルを生かした突破力で東海大学リーグ3連覇、インカレ3位に貢献した。また磐田とは練習試合の相手だけではなく、サテライトの試合に磐田の選手として出場。決定力と器用さ(貸し出された際はもっぱら中盤で起用されていた)を見せた。 2006年、磐田を含むJ数チームからのオファーを受けたが、本人の夢だったという磐田とプロ契約。
金澤 大将(かなざわ ひろまさ、1983年12月1日)は、静… 金澤 大将(かなざわ ひろまさ、1983年12月1日)は、静岡県榛原郡中川根町(現:川根本町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、教育者。ポジションはDF、MF。 大学4年次に2005年夏季ユニバーシアードのサッカー日本代表に選出され優勝に貢献。大学卒業後の2006年に横浜FCに入団。開幕戦で右サイドバックのスタメンに抜擢されたが出場はその1試合に終わった。2007年にら水戸ホーリーホックに期限付き移籍し、中盤のチャンスメーカーとして活躍した。2008年に水戸へ完全移籍した。2010年にSC相模原に完全移籍。2011年限りで現役を引退した。 2012年から菊川南陵高等学校のサッカー部監督に就任し、指導者へ転身、2014年4月より同校の校長に就任した。
山本 朝陽(やまもと あさひ、1983年11月8日 - )は… 山本 朝陽(やまもと あさひ、1983年11月8日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 大学卒業後アルテ高崎に入団するが、レギュラーに定着できず退団。2008年にはシンガポールのチームのトライアウトを受けている。 2009年1月に香港四海流浪のトライアウトに合格、2月2日のリーグ戦対愉園戦に出場した。2008-09シーズン終了後同じく香港1部リーグの晨曦に移籍した。
山田 堅太(やまだ けんた、1983年10月6日 - )は、… 山田 堅太(やまだ けんた、1983年10月6日 - )は、静岡県沼津市出身の元ビーチサッカー選手、元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。現在は、ビーチサッカーコーチとして活動する傍らで、産業支援機関でも活躍している。 東京工業大学での研究に専念するために、一度はサッカーから引退するも、2016年にインテルジャパンBSに選手として復帰、2017年からは東京ヴェルディBS、東京レキオスを経て、2020年からはFC琉球BSに所属。 サッカー関係者だけではなく、多種目のプロスポーツ選手やアーティスト、芸人、漫画家との交流がある。
岡田 佑樹(おかだ ゆうき、1983年10月4日 - )は、… 岡田 佑樹(おかだ ゆうき、1983年10月4日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手(ミッドフィールダー、ディフェンダー)。 高校卒業後、プロ入りは叶わず、2002年は東海1部中央防犯藤枝SCにアマチュア選手として所属した。 しかし当時川崎フロンターレのスカウトだった城福敬(城福浩の兄)は岡田を注視し続けており、チーム事情により川崎ではオファーを出さなかったが、城福敬がコンサドーレ札幌の強化部入りした2003年にオファーを受け入団 。俊足で巧みなドリブルもできる運動量豊富な右サイドハーフとして徐々にスターティングメンバーとして定着していった。 しかし、2006年に新加入した芳賀博信や藤田征也の台頭により出場機会を失い、復活を期した2007年の開幕前キャンプでは負傷を負い、2年連続リーグ戦に不出場となった。
小澤 雄希(おざわ ゆうき、1983年10月4日 - )は、… 小澤 雄希(おざわ ゆうき、1983年10月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 高校卒業後、単身渡欧しオランダのセミプロチームで活躍。2008年、トップチームセレクションを経て水戸ホーリーホックに加入。2年間主力として活躍した後、2010年よりJ1に昇格した湘南ベルマーレへ完全移籍しJ1リーガーにまで飛躍。しかし、出場機会は減少し2011年シーズン終了後に退団した。 2012年、SC相模原へ移籍。2年間全試合に出場し、JFL昇格へも大きく貢献した。 2014年、カマタマーレ讃岐へ完全移籍。2016年シーズン終了後、契約満了により讃岐を退団。
太田 吉彰(おおた よしあき、1983年6月11日 - )は… 太田 吉彰(おおた よしあき、1983年6月11日 - )は、静岡県浜北市(現:浜松市浜名区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 実兄は元サッカー選手の太田圭輔。 静岡選抜で太田と一緒にプレーした経験がある長谷部誠らが証言しているように、元々はトップ下の選手だった。しかしジュビロ磐田ユースに加入後、トップ下では自分に将来がないと感じ、ずっと目標としてきた兄・圭輔と同じようなサイドアタッカーに転身することを決断。当時はスタミナもそこそこ、足も特に速いわけではなかったが、トレーニングで自身の肉体を変貌させ、高校3年時にはスピードを生かした突破力を武器とするプレイヤーとしてFWやサイドハーフのレギュラーを奪取した。
浅見 和正(あさみ かずまさ、1983年5月1日 - )は、… 浅見 和正(あさみ かずまさ、1983年5月1日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手、プロビーチサッカー選手。ソーマプライア所属。ビーチサッカー日本代表。ポジションは、FW。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
日高 拓磨(ひだか たくま、1983年4月8日 - )は、元… 日高 拓磨(ひだか たくま、1983年4月8日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 サッカークラブの監督を務めていた父親の影響で5歳よりサッカーを始める。幼少時代より父親から厳しいサッカーの英才教育を受け実力を伸ばし、旭丘小時代には中国地区トレセンに選出されるなど早くから頭角を現した。学生時代はフォワードをはじめ 攻撃的な中盤のポジションを務め、中学時代は地元の旭丘JrユースFCでプレー。高校からは単身親元を離れ清水エスパルスユースに所属し寮生活を送る。当時の清水ユースは強豪チームとして主要大会でも好成績を残しており、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会ベスト4、高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会ベスト4、Jユースカップ準優勝などを経験。
永田 充(ながた みつる、1983年4月6日 - )は元プロ… 永田 充(ながた みつる、1983年4月6日 - )は元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。元日本代表。 静岡県清水市(現:静岡市)出身。静岡学園高校では3年時に第80回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。 2002年に柏レイソルとプロ契約。2年目の2003年からセンターバックのレギュラーに定着し、2003 FIFAワールドユース選手権にU-20日本代表のメンバーとして参加。その後、20歳にしてA代表に初選出された(出場はなし)。 2005年3月19日のナビスコ杯、対FC東京戦において、相手FWのルーカスとの接触により負傷。左膝前十字靭帯断裂で全治8ヶ月の重傷を負い、シーズンの大半を棒に振った。
小林 大悟(こばやし だいご、1983年2月19日 - )は… 小林 大悟(こばやし だいご、1983年2月19日 - )は、静岡県富士市出身のプロサッカー選手。ポジションはMF。メジャーリーグサッカー・ニューイングランド・レボリューション所属。2004年11月13日、モデルの佐藤綾花と結婚した。
秋本 倫孝(あきもと みちたか、1982年9月24日 - )… 秋本 倫孝(あきもと みちたか、1982年9月24日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。 2005年にセレクションを経て甲府に入団。2005年シーズン昇格争い真っ只中の第4クールでレギュラーを奪う。2006年8月、オーバーワーク症候群と診断され[要出典]、一時戦列を離れるが、11月18日大分戦で復活を果たした。2008年はキャプテンに指名され[要出典]、甲府をDFリーダーとして統率した。 2011年1月京都サンガF.C.に完全移籍。2月23日副キャプテンの就任が発表される。2013年シーズン終了後、契約満了により退団。 2014年、カターレ富山へ移籍。同シーズン終了後契約満了をもって退団。 2015年から2018年までタイ・ホンダFCでプレー。
櫻田 和樹(さくらだ かずき、1982年8月1日 - )は、… 櫻田 和樹(さくらだ かずき、1982年8月1日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 2005年に静岡産業大学からザスパ草津に加入。シーズン当初はサテライト暮らしが続いたが、シーズン終盤にトップに昇格し、その後レギュラーとして、7試合に出場する。 2006年シーズンはケガで出遅れるものの、16節のヴィッセル神戸戦でアクシデントにより急遽出場すると、ボランチとしてゲームを作るだけではなく、セットプレーでの危機を防ぐなど活躍し、勝利に貢献する(後に、櫻田は「自分が出た試合で勝ったことがなかったので、勝ててホッとした」と語っている)。シーズン通して14試合に出場し、1アシストを残す。
納谷 伊織(なや いおり、1982年7月11日 - )は、静… 納谷 伊織(なや いおり、1982年7月11日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはMF。 三浦知良、三浦泰年のいとことして知られる。 父が代表を務める静岡城内FCでサッカーを始め、静岡学園高等学校、国士舘大学へと進学した。 卒業後はいとこの三浦知良に倣って渡伯し、キンゼ・ジ・ジャウーでサッカーを始めた後、数クラブを転々とした。 2007年にはJ1リーグに昇格した横浜FCのトライアルに参加するも契約はならなかった。翌年に日本フットボールリーグ所属のFC琉球に加入した。 2009年に静岡FCに移籍するも、同年限りでクラブが合併のために消滅した。 翌2010年に香港プレミアリーグの大中足球会に加入した。
鈴木 良和(すずき よしかず、1982年6月1日 - )は、… 鈴木 良和(すずき よしかず、1982年6月1日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手。 2001年湘南ベルマーレに入団。ルーキーイヤーから開幕スタメンを飾り、ドリブルを武器にJ2を席巻、2001年シーズン初頭の湘南の快進撃の原動力となった。2002年シーズンより中田英寿も背負ったベルマーレの顔とも言うべき背番号7を託されるが、怪我に泣く事が多く「7のヨシカズ」は徐々にピッチから見られなくなる。2005年シーズンには背番号を15番に変更、心機一転でシーズンに臨んだが、ポディションを不慣れな右サイドバックなどで起用されるなど、本来の力を発揮する事なく同シーズン終了後に戦力外通告。半年間のブランクを経て水戸ホーリーホックに移籍した。
佐野 裕哉(さの ゆうや、1982年4月22日 - )は、静… 佐野 裕哉(さの ゆうや、1982年4月22日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF、FW。 早くからセンスの高さには注目が集まっており、東海大一中時代の全国大会2連覇の際にはエースストライカーとして活躍し、U-16代表にも選出される。清水商業高校に進学後は小野伸二2世として期待され、視野の広さ・パス能力・得点能力いずれにも長けている選手として注目されていたが、怪我の多さから満足なプレイができずに終わる。背番号は清水商業の伝統的なエースナンバーである8番。同級生だった小林大悟は後に「裕哉がつけるべき番号だった」と述べている。 東京ヴェルディに入団後も怪我により、試合出場はほとんどないまま3年間で公式戦無得点に終わり解雇される。
松下 太輔(まつした だいすけ、1981年10月31日 - … 松下 太輔(まつした だいすけ、1981年10月31日 - )は、静岡県磐田市出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。現役当時のポジションはゴールキーパー。 ジュビロ磐田ユース所属の1999年、日本クラブユース、全日本ユースの2冠を達成。地元磐田市出身であり同年度のユースチームから唯一のトップチーム昇格者として期待された。 2001年には出場機会を得るため期限付き移籍で静岡産業大学(当時はJFLに所属)へ移籍し正GKを務めた。その後磐田に復帰するがやはり出場機会は得られず、2004年にヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍、翌年完全移籍。 2005年後半にはスターティングメンバーを獲得するが、阿部謙作がヴィッセル神戸から復帰するとその地位を奪われる。
和田 拓三(わだ たくみ、1981年10月20日 - )は、… 和田 拓三(わだ たくみ、1981年10月20日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 静岡県立浜名高等学校、日本大学卒業。一児の父。趣味はゴルフ。 清水エスパルスでプロキャリアをスタートする。所属した3年間でレギュラーの座はつかめず、2007年は横浜FC、2008年は東京ヴェルディに期限付き移籍。両年とも所属クラブはJ2降格するも、リーグ戦20試合以上に出場した。 2009年シーズンより、ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍したが、千葉でもJ2降格を経験することになる。翌2010年も千葉はJ1昇格を果たせず、契約満了に戦力外通告を受ける。
鈴木 孝明(すずき たかあき、1981年10月7日 - )は… 鈴木 孝明(すずき たかあき、1981年10月7日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 中学時代に、鈴木啓太らと共に全国中学校サッカー大会優勝を経験。その後、東海大翔洋高校、筑波大学と進学し、大学4年時には関東リーグ得点王(11得点)に輝いたものの、プロからのオファーはなく浪人生活を余儀なくされた。 2005年、練習生として参加していたサガン鳥栖から合格通知をもらい加入すると、開幕から全44試合に出場し15得点を挙げる活躍をした。 2006年は2得点のみに終わり、2007年に水戸ホーリーホックへ完全移籍した。2007年シーズン終了後に、戦力外通告を受ける。
太田 圭輔(おおた けいすけ、1981年7月23日 - )は… 太田 圭輔(おおた けいすけ、1981年7月23日 - )は、静岡県浜北市(現浜松市浜名区)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー (右サイドハーフ)。サッカー選手の太田吉彰は弟。 スピードと持久力に優れたサイドアタッカーで、特に持久力については、柏レイソル所属中には乳酸値測定で上位の成績を挙げ、ジェフユナイテッド市原・千葉においてはチームの持久力テストでトップの成績を挙げている。 5歳でサッカーを始める。小学生時代は浜北市所在の少年サッカークラブおよびHonda FCのU-12チームでプレーし、中学校入学時にU-15チームへ昇格した。 1997年に清水エスパルスのユースチームに入団。